北京 ’93
1993年8月に国際結晶学会という学会出席のため中国を訪れた。なんせ社会主義国家への本格的な訪問は初めてだったので非常に期待をして行ったのだが案の定、珍しいことばかりで非常に印象深い旅となった。
北京空港に降り立ち出口へ向かう通路からすでに中国らしさが出てきた。壁が木製でアンティーク風な雰囲気を醸し出している。出口へ向かうと税関があるのだが、チェックがいいかげんである。結局わたしはなんとノーチェックで出てしまった。学会事務局が手配したマイクロバスに乗り込み一路北京市内へ行く。宿泊先は五州大飯店というアジア大会の競技場隣のホテルであった。到着当夜、ホテルの歓迎セレモニーで盛大なダンスショーやらミュージックショーが何時間も繰り広げられたのは圧巻だった。丁度そのころ北京は2000年のオリンピックを誘致しようと北京市はものすごいエネルギーを注いでいたので外国人に対して印象を良くしようと大変な気合いの入れようだったし街のあちこちには「オリンピックを北京へ」の垂れ幕がかかっていた。ショーははっきりいって凄かった。国威発揚とも言える盛大なショーで、たかだか学術学会(しかも結晶学会ですよ)でこれほどのものを見せられると、穿った見方だがいかに人件費が安いかがわかった。人件費の安さについては後にも述べるが社会のライフスタイルにものすごい影響を与えているということを改めて感じ入った。

Image: ショーのほんの一部の映像。左から、チベット地方の踊り、鼓弓の演奏、「北国の春」を歌う歌手
学会の内容についてはここでは触れないが、世界各国のその道の大御所が大勢来ていて、教科書や学術論文で名前をよく拝見する御仁に大勢会えたのは収穫であった。ところで以下に述べることは学会の合間に行ったことであるが、あたかも遊びに行ってきたかのような誤解を受けるといけないので予めお断りしておきます。
やはり北京に行ったら天安門広場に行かなければならないでしょう。行ってみると確かに広い!天気もよく、のどかである。建国の父、毛沢東の肖像画は健在であった。また故宮は素晴しい。明、清代の宮殿だっただけに風格があり、その雄大さには目を奪われる。その後駆け足で裏手の景山公園へ登り、市内を一望したあと隣の北海公園を歩いたが素晴しい公園である。ちなみにここにはケンタッキーフライドチキンがあった。
翌日も天安門広場に来たが今度は買い物が目的である。広場の隣に王府井(ワンフーチン)というショッピング街がある。土産ものなら何でもあるが、とにかく安い。金銭感覚がマヒするようである。ここには牛丼の吉野屋が出店していると聞いていたので食べて見た。以前ロサンゼルスで食べたときおいしかったので今回はどうかと思ったが、ま、日本と同じ味であった。ただ買うのに苦労した。というのも中国人は列を作るという概念がないので我先と争わないとレジのおねえさんに対応してもらえない。しかも語学のハンディがある。そこを逆手にとって「ワン・ビーフボウル!」と英語で怒鳴ったらうまくいった。それにしても一杯10元(当時のレートで200円)は高いぞ!

Image: 左から、故宮の入り口、太和殿、北海公園の白塔
翌日は聞きたいテーマがなかったのでほぼ一日使って観光した。ホテルで自転車を借りて西太后が住んでいたと言われる頤和園を目指して北京の町を中国人民と同じように移動してみたが、これがまた気持ちがいい。車と自転車専用道路とは分かれており、しかもほとんど坂がないため快適な旅であった。北京の町も自転車で30分も走るともう地方都市の様相を呈してくる。まばらな住宅地や商店、無舗装道路、青空市(といっても道端に野菜が並べてあるだけ)などがあった。
北京の夏は東京ほど蒸さないがやはり暑くて喉が乾く。水が欲しいが自動販売機のような気の利いたものはないしな〜、と思いながら見回しているとこれがあった。といっても自販機ではなく飲み物やアイスの売り子である。これが道端に絶妙のタイミングでいるのだ。しかし考えて見れば自動販売機のような機械を置くより人間一人に売らせたほうが中国でははるかに安いに決まっている。そういえばホテルでもエレベータをよぶ「エレベータガール」が1基に1人はいたし、学会会場入口にはただ立ってるだけのモデル風の女性が十何人もいたし、労働者過剰なのだろーなー、という印象を受けた。もっとも日本にもいまだにデパートにエレベータガールがいるけれど。
それはともかくミネラルウオーターを片手に一時間半位で頤和園に着きました。セミのなく中、ひたすら山の上へ登り建造美のすばらしい頤和園と夏の日を浴びてきらめく昆明湖の眺めをじっくり堪能した。それにしてもこの万寿山や昆明湖は人工だというから恐れ入る。もっとも西太后はこれを造るために海軍の軍事費を流用したため日清戦争に負けたといわれている。そりゃそうだろうなぁ。帰りは自転車のパンク、ブレーキの故障、道に迷う、のトラブル続きでやっとホテルまでたどり着いたという感じだったが北京という街を肌で感じたような気がした旅だった。

Image: 左:万寿山へ登る道、右:昆明湖を遊覧する船
翌日、学会主催の万里の長城ツアーがあった。学会参加者の大半が参加したと思われるので観光バス20台をパトカーが先導する「大名行列」で(しかも乗員はみんな外人)沿道の北京市民が驚くのを横目に目的地へ向かった。一般に観光客の訪れる八達嶺という一番造りの立派な部分に行った。しかしここは山頂に続く登り坂でほとんど登山である。頂上へ着くと喉が乾く。そこで水を売っていたが当然のごとくえらくボル。しかしず〜と見てると欧米人に売る値段より日本人に売る値段の方が高かった。欧米人のほうが値段には敏感なのだろうがこの露骨な差別はどうなのかな。頂上からはるか数千キロに及ぶ長城の一部を垣間見たに過ぎないがそれでもスケールの大きさを感じずにはいられない。ちなみに宇宙飛行士シラーの話だと万里の長城は幅が大してないのに宇宙船から本当によく見えるそうだ。
北京で中国4000年の歴史を一部垣間見ることが出来たような気がする。国土と同じく雄大であった。また、今回の旅で非常に印象に残ったのは食べ物のおいしさだが、それについては続編の上海編で記述することとします。

Image: 左から、山頂までの坂、見下ろした長城のほんの一部、長城バックに記念撮影
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引用されている画像は8ミリビデオからおこしたものです。
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