ABBAとの出会い

ABBA  1970年代後半から80年代前半にかけて「Dancing Queen」「Fernando」等数々のヒット曲を世に出し一世を風靡したスウェーデンのポップグループにABBAがいた。ABBAは男女2組のグループでABBAという名前もメンバーの名前の頭文字を並べたものである。最近は動向を聞かなくなったがどうしているだろう。
 1980年3月、私と家族はロンドンから東京へJALでアラスカ経由で 帰国するためヒースロー空港内の混雑したシャトルバスに乗っていた。私の母親と私が並んで立っていたとき前に座っていた男が「御座りになりますか」と手際よく母に席を譲った。母は言葉に甘えて座らせて頂いた。私は「親切な人だなぁ」と思い席を譲った当人の顔をふと見ると見覚えのあるサル顔(失礼だが)だった。これはABBAのBjornだとすぐにわかったがそれにしてはあまりにも無防備すぎるしまわりも全く反応していない。しかし何度も顔を見て確認して(失礼な話だが)確信した。バスを降りてすぐ母親に「おかあさん、あれABBAのBjornだよ!」といっても「え〜、ほんと〜?」とまわりと同じ反応。すぐにかばんから筆記用具とメモ帳を取り出し迷惑な話だが飛行機に乗りこむ直前のタラップの上でサインをしてもらった。それでも気さくにニコニコと笑いながらサインに応じてくれた。
autograph  その後アラスカ(アンカレッジ)で給油の待ち時間のとき空港内のロビーをうろついていたらABBAの軍団がたむろしていた。メンバーとバンド、スタッフなのだろうが、みんなでかい人間ばかりだった。だいたいメンバーが女性陣も含めて身長180 cm前後だったし、バンドマンの中には大デブでしかも190 cmは超えてそうなのがうようよいたので正直驚いた。「スウェーデン人ってでかいんだぁ」と、この時始めて認識した。
 うろうろしているともう一人のメンバーBennyが一人でのんきに歩いていたので、またすかさずサインをもらった。この時は短いが会話をするゆとりがあった。「日本に公演に行かれるのですか」「そうです」「がんばってください」「ありがとう」。さわやかな感じの人だった。
 成田に到着するとやけに機内から出るのに時間がかかるが機長から「ABBAのせいで少々遅れております」とアナウンスがあった。どうも先に降ろしたようだ。その後税関で厳しく念入りにチェックされていたので結局我々の方が先に出たのだが、出たとたんの報道陣の出迎えは予想していなかっただけにびっくりした。あれだけのカメラとライトが全部こっちをむいている光景にとびこむ体験はなかなかできない。そのまま素通りしてから自分もカメラをもって報道陣に紛れてABBAの写真をとってきた(冒頭のimage)。
 それにしてもスターがみんなと一緒に満員バスにゆられて飛行機に乗るもんかなぁ、と不思議だったが飛行機で乗った位置はもちろんファーストクラスだった。でもスターであってもBjornはジェントルマンだったよ!

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