イタリア '78


1978年8月に家族でイタリアを旅行した。これはいわゆるイタリア人ガイドつきの本格的な観光旅行だった。
SF  初日リミニ空港に到着し、サン・マリーノ共和国というイタリア北部の小さな国に宿泊した。ここは標高がかなり高く夏なのに非常に肌寒く、用意して行った服では寒くてとてもいられなかった。この国は世界最古の共和国といわれているが実質はイタリアの保護国である。ただ、独立意識は非常に強いらしい。以前ウルビーノ(近隣の町)出身のイタリア人の友人に聞いた話だがそいつの父親が若いころ自動車で仲間と共和国に乗り付け、いたずらでイタリアの国旗を振りかざし「本日を以って本国をイタリアに併合する」などと宣言してつかまりそうになったことがあるらしい。とにかくそういう関係の国のようだ。
 その後バスでアッシージ(サン・マリーノから少し南)へと移動した。ここは山麓の素晴しい町でそこにあるサン・フランチェスコ聖堂を訪れた。宗教と芸術の結び付きは洋の東西を問わずであるが、壁画やステンドグラスは目を見張るものがある。それぞれに由来や歴史があるようだったが、まだそこまでキリスト教に明るくはなかった。この町は狭く曲がりくねった石畳の坂道が続いていたが、いわゆる田舎臭さを感じさせないところはやはりヨーロッパである。
画像:Basilica de San Francesco

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Outside (L) and Inside (R) view of the Colosseum
 いくつかの序曲を経て、いよいよ本番、ローマ入りした。全ての道はローマに通ずる、とフランスの詩人ラ・フォンテーヌは言ったが頷ける言葉である。ローマ帝国時代はなるほどそうであったろう。しかし同じ言葉を今言われても全く違和感がない。壮大にして雄大、歴史の重みをひしひしと感じずにはいられない都市である。ローマ帝国の中心であり、その強大さにただ々ひれ伏すばかりである。そのローマの観光スポットには色々足を運んだ。まず度肝を抜かれたのがColosseo(コロッセオ)である。ここはローマ帝国時代の闘技場でなんと着工してから8年で作り上げたそうだから当時の建築技術の水準の高さに驚かずにはいられない。建物は四層構造をしており6万人の観衆を収容したというからため息がでる。外壁の半分は崩れ落ちているので完全な形ではないが、それが2000年という歴史を語る上では巧妙な演出のようにさえ感じる。感動の余り、近くに出ていた土産屋で石造りのコロッセオの模型を買ってしまった。重いのに…。このとき最初土産屋のおやじは1500リラだと言ってたのが、買うのに迷っていたら900リラにまで下げてくれた。別に値切ろうと努力した訳ではなかったので得した気分になったが、要は最初から高値をつけていただけだ。子供だったからそういうことはあまりよくわからなかっただけである。

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Toward the Vatican (L) and the Duomo of San Pietro (R)
 度肝を抜かれたのはコロッセオだけではない。バチカン市国のサン・ピエトロ広場、サン・ピエトロ大聖堂の巨大さも目を見張るものがあった。まずとにかく広い。広場の端からは大聖堂が遥か彼方に見える。広場を囲むように円柱が立ち並び、円柱の上には円柱の数だけ(140本)聖者の彫刻像が下を見下ろすように立っている。圧巻である。大聖堂の中へ入って二度びっくりした。天井がとにかく高い。資料によるとなんと120 mもあるらしい。その天井のドームにも彫刻が施され(眺めるのが大変なのだが)まさに一大芸術品である。この大聖堂は16世紀に工事が始まったそうだが設計者の中にはあのミケランジェロもいた。当時のあらゆる英知を結集させ作り上げたこのような建造物はまさに芸術であり、現在では真似することのできない永遠のものなのである。
 トレヴィの泉を訪れ伝説どおり肩越しにコインを投げ入れた。こうすれば再びローマに帰れるという(二度目の訪問はまだ実現していないが)。泉の中には大量のコインが沈んでいたが、なんか日本の賽銭箱を思い出させるような雰囲気である。ここでも泉の湧き出るところは彫刻の芸術品になっている。やはり芸術なくしてはローマは語れない。ヴェネツィア広場、スペイン広場も訪れたが建造美はどこでも健在である。
 ローマでの食べ物については実はもう記憶にはほとんど残っていない。まだ子供で食べ物に対する執着はなかったし味覚も嗜好も今ほど発達していなかったから。またいずれ本場のイタリア料理の食べ歩きをして見たいと夢想している。ただ当時鮮明に覚えているのはピッツァとコーヒーがおいしかったことである。ローマで食べたピッツァは水牛のチーズで作った自慢のものだと言われたが確かにおいしいかった。あのおいしさはしばらく忘れられなかった。またガイドのおっさんに「イタリアでコーヒーを頼むときは英語のいわゆるコーヒーというのはカップチーノというのを頼みなさい、普通のコーヒーはエスプレッソといってブラックのすごく濃いものだから」と教えられたのでもっぱらカップチーノばっかりをのんでいたのだがこれがまたうまい。要するに深煎り濃縮のエスプレッソにミルクをたっぷりいれて泡立てたものなのだが(シナモンの粉も入れてある)、こくがあって実にうまかった。

Firenze  ローマを南下してポンペイを訪れた。ヴェズーヴィオ山の噴火で灰に埋もれて後に発掘された町の遺跡である。紀元79年に噴火したわけだが、その当時から舗装道路あり、下水道完備という近代的な設備があったことに驚かされた。そしてソレントを経由して船でカプリ島へ渡った。この辺は有名なリゾート地で海水浴場が点在するが海がものすごくきれいだった。子供としては観光よりも海水浴をしたかったがそこが団体行動の悲しいところである。カプリ島のソラーロ山までリフトで上った。このリフトがまた結構長く怖いものがあったが登る過程で島半分が一望できる。山からは美しい海岸線を展望した。とにかく泳ぎたくてしょうがなかったのを覚えている。夜はソレントのショーを見に行って「帰れソレント」の歌を覚えた。そしてナポリを経由して北上しフィレンツェを訪れた。まずミケランジェロ広場から町並を眺めたが、すべての建物の屋根瓦が煉瓦色で町が赤く見える。やはりドゥオーモ(教会)の八角形の屋根が一番目立つ。またこの広場は花がきれいに咲き並んで絵画がたくさん展示してあり、南国ムードのある場所である。ドゥオーモ自体はドゥオーモ広場にありここも立派な大理石でできた教会で緑色の大理石が使われているためかちょっと中東っぽい異国情緒が漂う。アカデミア美術館ではミケランジェロのダヴィデ像を拝んだが、石で出来た彫刻に肉体の柔らかさを表現させるのはすごい。まあ、全ての彫刻について言えることだが、いわゆるノミさばきというのだろうか、芸術のすごさをまた改めて感じ入ってしまった。土産屋で大理石でできたミケランジェロの胸像が売っていたので思わず買ったのだが、買う前に土産屋のおやじが「これはすごい丈夫だよ」といって胸像を思いっきりガンガン板に叩き付けた。いや、たしかに傷はついていなかったが、そこまでしなくても…、といった感じである。叩き付けたものとは別のものを買ったが「もっと商品を大切にね!」と心の中で思った。
画像:View of Florence from Piazzale Michelangelo
 イタリアはかつてのローマ帝国の末裔であり、ルネッサンスの舞台でもあった歴史に燦然と輝く軌跡を残している。それだけにその文化的遺産も絶大なるものがある。文章での安易な表現ではとても言い表すことはできない。百聞は一見に如かず。ぜひ一度ご訪問あれ。

Copyright(c)Jun Honda
引用されている画像は当時の8ミリフィルムからおこしたものです。

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