カーニバルよりすごいワールドカップ!


stadium  1982年にスペインでワールドカップが催されたとき私はブラジル・サンパウロに滞在していた。ブラジルはご存じのとおりサッカー王国で国民のサッカーに傾ける情熱たるや半端ではない。日本では読売ジャイアンツの勝敗の経済波及効果がよくいわれるが、ブラジルにとってのサッカーは日本よりかなりその効果が大きい。
 準々決勝リーグに進出するためには4チーム総当たりで勝ち抜く必要があるが、同じグループ内のソ連、スコットランド、ニュージーランドと快勝したブラジルは自信満々でリーグ進出を果たし、スワ優勝か、というムードが漂っていた。それにしても試合のある日は国中あげてTV中継にかじりつきとなり、大げさでなく街には人がほとんどいなくなる。試合でブラジルがゴールを決めようものなら街中で花火が大音響とともに轟き、人々の歓声があがる。TVもエコーがかかった「ブラズィウ!」(これが'Brasil'の正しい発音です)という音声が流れる。ゴールを決めた選手がヒーローに見える。サッカーの選手がゴールを決めるとはしゃぎまわって喜ぶが、あれは国民全体の期待に応えられた達成感がそうさせるのであって、この国にいると選手の気持ちがよくわかる。いくらはしゃいでもはしゃぎ足りないくらいだ。当時のブラジル代表は監督がテレサンターナ、選手はキャプテンがソクラテス、その他ジーコ、ファルカン、ジュニオール、など日本でもなじみのあるスター選手が揃っており、最強のメンバーだった。
 それにしても快勝に次ぐ快勝に、試合のあった夜はまさに「街はもう大騒ぎ」状態であった。サンパウロにパウリスタ通りという大きなビジネス街があるのだが、そこに市民が大挙して集まりお祭り騒ぎを繰り広げていた。それはもうカーニバルの比ではない。カーニバルは観客が見ている中、サンバのダンサーがパレードをするお祭りだが、ワールドカップの夜は市民全員参加の野外大ダンス大会である。通りは人で埋め尽くされ、狭い空間でみんながサンバの音楽に合わせて踊り狂う、ラテンのノリである。しかし残念ながら準々決勝でブラジルはその年の優勝チームだったイタリアとあたり、ロッシの奇蹟的なプレーに屈して惜しくも負けてしまった。
 余談だが、そういう意味では94年のワールドカップの決勝はブラジル対イタリア、ともに4回目の優勝がかかった雪辱の対戦であり、延長戦も引き分けに終わり、PK戦にまでもつれこんだのは82年のくやしさがあるだけに、ものすごく見応えがあった。このときNHKは予想外の放送時間延長でも朝7時のニュースの時間をつぶしてまで最後まで放送したのはさすが立派であった。この年はブラジルが悲願の4回目の優勝をしたことは記憶に新しい。その時のメンバーはキャプテン、ドゥンガを始め、多数が日本で活躍しているとは、82年には想像もできなかったことである。
 個人的には、ラテンのノリを満喫するならカーニバルよりもワールドカップ開催中のブラジルを訪れることをお勧めしたい。(97/3/2)

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