役者には役のイメージがつきまとう。もしジャッキー・チェンが大悪事を働く役やったって、どうしてもそうは見えないし、エディー・マーフィーのシリアス役だってちょっと想像つかない。そこでシャロン・ストーン。ただ色気だけの女優と思ってる?だよねー、そんな役ばっか。
ヒールの細いパンプス、胸が大きく開き、スリットの長いぴたぴたドレス、誘惑の眼差し(男性にはうけるかもしれないけど、同性には超つまんない人?)。こんなに色っぽい役ばっかやってると本人も数をこなしてうまくなるし、見る方も期待するし、他の役が似合わなくなってしまう。気の毒に…って思うのはSueだけで、だ〜れもちっとも困んないのかも。
なんで「気の毒に…」なんて思うかっていうと、むか〜し「イヤー・オブ・ザ・ガン」を観たから。この映画の原作はピュリッツァー賞受賞。イタリアの「赤い旅団」という実在のテロ集団の生々しい事件が背景になっている。スリリングなサスペンスアクションなんだけど、本はどちらかというと甘口ワイン、旅情を含んだセンチメンタルな物語。でも映画はぜんぜん違う。マジでヘビーなストーリー。
主人公は物書き志望のアメリカ青年、ショーウィンドウのマネキンと恋をする映画「マネキン」が楽しかった、アンドリュー・マッカーシー。(今何してんだろ?ま、いーや。)イタリアではテロが横行してるけど、彼の関心は地元の若き人妻との恋。この奥様、子供もいるくせにめちゃかわいー。ブラインドごしのストライブの光。ベッドの彼女に「朝が来て、目が覚めるとそばに君がいて、そんな朝がいつもくるといいのに…」なんて泣かせるセリフ。ところが、彼の書いた未発表のフィクションとそっくりな事件が起こる。誰も知らないはずなのに、なぜ?背筋が寒くなる彼。石畳の街、観光気分で眺めていた陽気な国イタリアの、もう片方の横顔。そしてまた、架空のはずの彼の事件が…。何がどうなってるのか?次々に起こる、自分がシナリオを書いたテロ事件。誰を信じればいいのか?愛する人を守れるのか?
迷路のような中世の街並みを駆け抜けるバイクのカーチェイス。デジタル処理されてないリアルなアクション!(ちょっと懐かしい?)
シャロン・ストーンの役、カメラマンは原作では悪女。欲にかられ、取材のためにどんな汚いことでもやってのけるヤな女。ところが、映画の中の彼女はぜんぜん違う。といっても安っぽい正義感に溢れてるわけじゃない。報道カメラマンに徹してる。目の前で爆破された人間の変わり果てた姿に呆然としながらも、シャッターを押し続ける。りりしく真っ直ぐで生き生きしてる。テロリストに拉致され、小部屋に閉じこめられた彼女。銃を構えるスキーマスクの見張りの前でぽつんとつぶやく。「私はあなた達を見てきたわ。世界中のいろんな場所で。私は…ただあなた達を撮るだけ…。」彼女のしたいこと、彼女にできることは、ありのままを伝えることなのだ。
何の主義主張も歴史的背景も持たない、自由でお気楽な異邦人の主人公は、まさしく私たち。平和で安全な日常にとっぷりと浸っている。NYのテロ事件も、目の当たりにしたときは本当にショックだったけど、いつのまにか他の国の話、画面の中の出来事のように感じられる。やっぱり、テロも犯罪も自分とは直接関係ない、別世界の出来事なのか。だけどそれは確かに存在していて、それを起こすのは自分と同じ人間だ。主人公は否応なく、彼にとっては遠いはずの非日常の世界にひきずりこまれていく。そして…。
何年か経ち、彼はこのことを本に書き、それはベストセラーになる。そのときカメラマンの彼女は…このラストシーンすごく好き。
あのときは命の瀬戸際にいて運命を共にした二人だが、彼には彼の求めるものがあり、彼女には彼女の信じるものがあった。ラブストーリーではなく、単なるアクションでもなく、こんなに深い。なのにおもしろい。観てね。