映画横丁6丁目

「アメリカンヒストリーX」

 社会派と呼ばれる映画がある。正義とか人間の尊厳とかいろいろ考えさせられる、問題提起の映画。いつもボケーとしてな〜んも考えてないSueには、たまには刺激になっていいかも、みたいな。これもそうなの?タイトルからして「アメリカンヒストリーX」だもんね。人種差別がらみのストーリーらしいし・・・なんて思ったんだけど。
 ううん、これは兄弟の物語。理性より感性の映画。どっちかというと。むしろ、映画館に来てまで勉強したくないし、金払って説教されるなんて勘弁してよぉ、社会派の映画なんて絶対ヤだ!って気分のヒト向き?
 たしかに人種差別は出てくる。でも、ちょっと違うんだ。「ターミネーターU」であ〜んなにかっこよかった少年エドワード・ファーロングが、そのままでかくなって高校生役。「ファイトクラブ」でブラピの向こうを張ったエドワード・ノートンがその兄になる。ところでSueには兄も姉もいない。年上の身内に影響された経験がない。ただ映画を見ている間だけ、兄がいるという感覚を味わう。それってどんな感じ?
 兄は弟の憧れで、自慢でもある。兄のようになりたい、強く、かっこよく、大人になりたいと思う。父が生きていた頃の食卓の会話、差別的と言われりゃそうだけど、何を尊敬し何を馬鹿にするか、家庭それぞれだから、とくに差別的な家庭じゃないと思う。どこだってこんなもんでしょ?(差別って、価値観、美意識なんかの違いから発生して、誰の心にも存在するよね。)
 そんなフツーの家庭のフツーの兄。だけど、兄は父を亡くした悲しみを憎しみに変えていく。憎悪の炎を燃やす、ってこういうことなのか。弟は兄の変化を見る。行動を見る。そう、家族だから見えてしまう。反発してるわけじゃないから、素直に影響されていく。そして殺人の現場まで目撃してしまう。強烈な体験。弟に見せる兄の不敵な表情、こわい。でもこのときの兄は、自分の信念に基づいて行動しているから、堂々として、誇り高くさえある。一種独特なカリスマ性を放ってる。
 逮捕されてから数年後、兄は弟に再会する。どこか違う。自分が知ってる兄じゃない。どうしちゃったんだよ。何があったの?弟にはまどろっこしい。兄は自分にとってヒーローだった。兄と同じ言葉で話し、兄のようになりたかった。なのに・・・。
 (余談ですが、刑務所のシーンが出てくるんだけど、日本じゃみんな坊主なんでしょ?アメリカでは違ってて、とくに規制がないみたい。ロンゲやドラッド、形も色もさまざま。その中でスキン・ヘッドにすると目立つ、目立つ。髪の毛あるより、ないほうがよっぽどこわー。)
 何も言わない兄に初めて憤慨し、苛立つ弟。どうして僕に話してくれないんだろう?
 この映画の中で繰り返される海辺のシーン。広い空。砂浜。あどけない赤ん坊。誰もが持ってるけど、思い出すこともない遠い記憶。過ぎ去った日々。
 たしかにアメリカの人種差別は根が深いのだろう。でも、日本で暮らすSueには人種対立の実感がない。だけど、この空はわかる。フツーのおうちのフツーの暮らし。(どこまでがフツーかは置いといて)よちよち歩きの赤ん坊が空を見上げる。それはこの兄であり、この弟であり、きっと自分なんだ。
 兄は、最後には弟と話す。言えなかったこと。言いたくなかったこと。だけど、弟には伝えたいと思うこと。兄のいない私にはうらやましい、と〜っても。兄は弟を思ってこそこの話をしているのだ。 兄によって、弟は少し大人になる。そういう話。ひとことで言うと。そしてラストは・・・。
 とてつもなく暴力的でショッキングで生々しくて、嵐のようで、その過ぎ去った嵐のあとに、手のひらに残る一握りの砂、の物語。嵐に遭わなければ、この砂は見つけられない。ぜひ見てね。戻る
 


Last update: 2000/11/12