「ストレンジ・デイズ」1999年12月31日に向かってカウントダウンされる話。2000年も半ばを過ぎて、何をいまさらって気もする。でも、だから新鮮ってとこもある。
地下鉄のホーム、追われる女。ケバイ化粧も落ち、ただごとじゃない。追ってくるのは警官二人。どこ?女が見えない。本署に連絡「容疑者を追っている。白人男性。トシは30〜40。」えっ?違うじゃん。嘘つき。何かある。スリリングなサスペンス映画なのか?電車が入ってくる。閉じかかるドアに飛び込む女。ところが、警官が・・・すさまじい格闘。電車の轟音に被さる銃声。刺激的なアクション映画か?どこかオリエントなピーター・ガブリエルの曲と共に、ストレンジな映画の始まり。
主人公はレニー。脳にデータを送り、他人が体験したことをそのまま体験できるという、違法のディスクを売りさばいている。このディスクは脳に直接働きかけるので、視覚聴覚だけでなく、匂い、触感、すべてを体験してしまう。
新しいメディアってヤツは、ビデオにしてもインターネットにしても、アダルトから普及していくという欲望の経済学(?)のセオリーどおり、レニーのちょっとヤバイ商売もその方面で儲かってるらしい。(ジャパニーズトラベラーも話に乗ってた。)
けどレニーは、ダーティな仕事に手を染めていながら、どこか汚れてないというキャラ。たとえば、車椅子の知り合いに「脚はいつ生えてくるんだ?」なんて軽口を叩きながら、ディスクを放り投げる。それは、ただ砂浜を走ってくだけのディスク。素足に波の感触、砂地を蹴って駆ける感覚・・・。それがレニーのささやかな良心ってもん?
女はレニーを探してる。一枚のディスクを持って。怯えた表情。お願い、助けて。あいつらにやられちゃう。せっかくレニーに会えたのに、警官の姿を見つけて逃げ出してしまう。謎のディスクは車の中。そんなことレニーは知らないまま、車はレッカー車にもってかれる。
はじめてこの映画を見たとき、一番印象に残ったのは、ジュリエット・ルイス。逃げる女じゃなくて、レニーのもと彼女フェイス。レニーの個人的なディスクには、フェイスの生き生きとした姿が残されている。あたかも今そこに彼女がいるかのように。
ビキニの上にTシャツという、西海岸ならではのセクシーな格好で、ローラーブレードしてるフェイス。その笑顔、レニーを呼ぶ声。誰もが夢中なるくらいキュート。でも今、彼女は他の男にくっついていて、こうも変わるのかと思うくらい、退廃的に悪魔的に変身している。(それはそれでまたすごく魅力的だったりするんだけど。)
この変貌ぶり、見事。どっちのフェイスも偽物には見えないってとこに「ジュリエット・ルイスってすごい女優なんだなあ!」と感嘆してしまう。女のコって、付き合う相手の価値観に感化されちゃうとこあるから、こういうことってあるのかも、かも、かも。(フェイスはシンガーなので、ジュリエット・ルイスがかすれた声で歌うシーンは、彼女の裸体とともにファン必見?!)
で、レニーはフェイスを今も想ってる。忘れようにも忘れられない。ところで、レニーの友人にやたら強い黒人女性がいる。(彼女はおうちに男のコがいて、塀の中には亭主がいる。精神的にもタフなヒトみたい。)彼女はレニーに言う。「こんなもん(フェィスのディスク)見てるから、いつまでたっても過去から逃れられないのよ。現実を見なさい!」そうだよ、なんて頼りないヤツ、っていうか、彼女が強すぎるのか?(でもこんなカップルけっこういるよね。)
そんなわけで、レニーはなにかと彼女に助けられる。実はこの映画はラブ・ストーリー。いったい彼はいつ気づくのか?自分にとってほんとうに大切なものの存在に・・・。
レイプ殺人をディスクに記録し、他人に同じショッキングな体験を味わわせる変質者の事件、という刺激的な題材を扱いながら、黒人ラッパーが白人権力に潰されるという社会問題を含みながら、実は、2000年の幕開けのカウントダウンの興奮した群衆、色とりどりの紙吹雪、警官のぶっ放す銃声がかき消されるほどの嬌声を背景にした、ロスの片隅のちっぽけな恋の物語。
1999年が終わろうとしている。何やってんだよ、世界が終わっちまうぜ!誰かが叫んでる。時代の大きなうねりの中に、巻き込まれ、呑み込まれてしまいそうだ。今年の暮れもまた世紀の年越し。きっとドラマチックに煽り立てられてしまうのだろう。(何かに気づくこともなく?)戻る