リゴドン

このタイトルを読んですぐ「ダンスの話か」と思われたとしたら、相当に舞曲やクラシック音楽が好きな方に違いない。実際、リゴドンというダンスは17世紀、ルイ14世の時代のフランスで始まったとされている。しかし、僕の場合、舞曲はもちろんクラシック音楽を聴くことはあってもほとんど知識はない。つまり、ダンスやクラシックとは全く関係のないところで、この「リゴドン」という言葉を初めて知った。

「リゴドン・・・リゴドン」

ときどき、白杖を片手に道を歩いていると、自分がいま綱渡りをしているような錯覚に陥ることがある。例えばそれは違法駐車の多い駅前の狭い歩道を歩いているときだったり、人通りが多く、ごみごみした商店街を歩いているときだったりするわけだが、障害物もほとんどなく、人通りもまばらな住宅街の通りで、なぜか突然同じ感覚に襲われ体が硬直した。

少し離れた前方の道で、2〜3人の中年風の女性が立ち話をしていた。その直後、こちらに気付いたのか、女性達のおしゃべりがぴたりと止まる。早くそこを通り抜けようと思い、スピードを上げようとするが、足がもつれてうまく進めない。すると、今度は前から甲高い笑い声をあげて数人の女子学生らしい子たちがこちらへ向かって歩いてくる。とうとう僕の体は硬直して、それ以上は進めなくなり、路肩の端に体をよけて、その子たちが行き過ぎるのをじっと待った。やがて女子学生たちの声は後方に遠ざかって行き、反対側の路肩で立ち話をしていた人たちも、それぞれの家の方向へ買い物袋をがさがさいわせながら行き過ぎていった。いったい、自分はどうしたのだろうか。ここで何をしているのだろうか。路肩から道に出てまた歩き始める。さっきまでの綱渡りしている感覚はいつの間にか消えていた。

僕の場合、「リゴドン」で思い出すのはダンスでも、クラシック音楽でもなく、新井満という人が書いた「尋ね人の時間」という小説に出てくる「1歩進んで2歩さがる」というフレーズと、松明を片手にどこまでも続く老人たちの行列を写した映像だ。

フランス南東部のプロバンス地方。とある山村に伝わる伝統行事。毎年秋の収穫祭になると、地元の老人たちによって行なわれる踊り。それが「リゴドンダンス」だった。老人たちの見つめる前方が「過去」であって、後ろが逆に「未来」であるとすると、じりじりとではあるが、1歩ずつ確実に背を向けた未来へ歩んでいくことになる。

「リゴドン・・リゴドン」

いつだったか、歩きながらこんなこともあった。僕の歩いている方向と反対から1人の人物がこちらへ歩いてきた。道はそれほど広くはなかったが、すれ違えないようなところでもなかった。僕はそのまま進んだ。ところが、次の瞬間、前から来た人物と僕は鉢合わせし、危うくぶつかりそうになった。しばらく足を止めて様子をうかがったが、その人物は動く気配がなかった。内心「なぜ、よけないのか」と思いつつ、その人物をよけて僕はまた歩き出した。

通り過ぎた瞬間、僕は「はっ」として足を止めた。もしかしたらいますれ違った人物は足の悪い老人だったかもしれない。あるいは自分と同じ視覚障害のある人だったかもしれない。それともまだ幼い子供だったか、白杖なんて初めて見た人かもしれない。そう思ったら、「見えない」という傘を差して、白杖だけでなく、心の中までそれに浸っていた自分になんだか悪寒がした。

「リゴドン・リゴドン」

「尋ね人の時間」の主人公は性的不能者で、それが原因して2年前に妻と離婚している。そんな主人公の前に魅力的な若い女性が現れるが、彼はいまの自分の状況から逃れ出ることができない。交差点でのシーン。彼女を追いかけて走り出そうとするが、背後から何者かの声が聞こえて足が止まる。

「リゴドン」

最近、歩いているときに綱渡りの感覚に襲われたら、心の中で「恐怖は感じない」と自分に言い聞かせるようにしている。すると、まるで喉がからからに渇いたときに、水を飲むと、その水が体中に染み渡るのが感じられるように、硬直した体からすうっと恐怖が消えていくのが感じられる。

杖の先で感じ取れるものだけを信じよう。恐怖は杖で触ることのできないところから来るのだから。


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Last update: 2002/03/31