要旨・外国籍住人によるスピーチ  −切実な声が聞こえてきます−
アジア女性センター


1 ペルー 女性
 日本に来たのは、10年前で、今は子どもが4人います。
 来日してすぐに妊娠しましたが、日本語が分からないので、通院が心配でした。通訳は見つかったのですが、出産時が大変でした。こちらの子育ても全然知りませんでした。
今、保育園で給食の助手として働いています。以前、園長から、運転免許を取得するように言われたので、免許は取りたいけれど、カタカナとひらがなしか読めないと答えると、漢字が読めないと、受験できず、免許は取れないだろうと言われました。
 今の私は、勉強する時間がありません。朝8時から仕事をし、帰りはだいたい18時。帰宅後は、ご飯を作って子どもたちに食べさせて、寝ること繰り返し。仕事が休みの日曜日は、子どもたちがどこかへ行きたいと言うので、勉強がはかどりません。
 保育園での勤務は8年で、年数では先輩ですが、運転免許を持ってないと責任者にはなれないそうです。がんばって免許を取るようにと言われても、漢字を読めず、英語もあまりわからないのです。
運転免許試験場で、試験問題の漢字にふりがながあればなんとか読める、と言ってみましたが、ふりがなはない、言語も、日本語または英語ということでした。
 仕事があるため、勉強ができないのですが、仕事をしないと収入が足りない。子どもたちはゲームなどを欲しがりますが、お金がないから我慢して、と言うしかない。子どもたちが大人になるまでは仕事をしないといけないと思っています。
 帰国したいのですが、帰国費用が貯まらず、ずっと帰っていません。母からは、いつ戻るのかと聞かれます。去年、父が病気をして、毎月、病院代が9万円、さらに薬代が必要なので、帰国は難しいです。


2 ペルー 男性
 私は37歳で、2人の子どもの父親です。大学卒業後に日本に来て、9年間住んでいます。本職は獣医です。本当は、日本で専門を生かして仕事をしたかったのですが、言葉や差別意識の問題で、かないませんでした。日本では、個人の本来の能力や価値観に関わらず、言葉が通じないこと、外国人ということで見下されます。現在は自営業ですが、商工会などの助言や協力があり、なんとかやっています。
 また、教育環境にも問題を感じています。私自身が、ひらがなや漢字を理解できなかったため、子どもが学校で文字を覚えてきても、それが正しいのかどうか、確認してやるのが難しかったです。妻が日本語を学び、子どもの勉強を助け、宿題の採点をしてきました。
 振り返ると、日本の社会で生きるため、多くの犠牲を払い、努力してきましたし、たくさんの事を子どもに与えてきました。
 一方で、なぜこんなに苦労しなくてはいけなかったのか、こんなに大変な思いをしてこなければいけなかったのかと感じることもあります。苦しい環境ですが、子どもたちにはその殻を破って大きくなってもらいたいと思っています。親は常にそうした思いで子どもを育てているのです。子どもには、ペルーの話をして、人間性を育てるよう努めています。
 現状を打破して前に進むために、少数派である外国人たちが、力をあわせて一緒に行動することが大事だと思います。手を取り合わなければ、この社会で孤独に生きることになります。互いを理解しあって共に歩めば、何らかを成し遂げることができるのではないかと感じています。


3 中国 女性
 中国から来て十数年です。来日当初は仕事探しが大変でした。面接で、中国人とわかると不採用という差別に苦しみました。採用してもらえ、なんとか続くのは、清掃などのきつい仕事でした。
 職業訓練学校でパソコンを習ったこともありますが、それを仕事に生かすことはできませんでした。個人の技術や能力を生かすことができないのは残念です。
 今の仕事に就いて4年です。清掃関係の小さい会社で、従業員のほとんどは女性です。勤務を始めた頃は大変でした。嫌味を言われて、その意味はわかっても、言い返す言葉が出ず、本当に辛かったです。例えば、中国と日本では、お茶の淹れ方が違うのですが、そのことで、遠回しに嫌味を言われたこともあります。外国人は、そういうことに慣れていないのです。
 また、以前は、私が職場の留守番の時は、盗難を疑うのか、社長が頻繁に帰ってきていました。外国人だからという疑いの目で見られていました。今は、信頼を得たのか、そういう視線は感じません。さらに、引っ越しの際、近所への挨拶回りで、中国人と知れると、「悪いことはするなよ」と言われたこともあり、偏見の目が辛かったです。
 私の友人夫婦で、事情で別居している人がいます。妻は、日本人夫の実家の行き来もしていますが、別居が原因なのか、永住ビザの申請を2回却下されました。
 日本人カップルでも別居は多いのに、中国人だからと偽装結婚を疑われ、却下されることが不満です。私のアドバイス通り、夫と申請に行っても、彼は話下手なので、結局は妻が事情を説明せざるを得なかったそうです。彼女は、永住申請をあきらめたそうです。
 別の友達は、子どもを3人抱え、生活保護を受けています。小学生の子には障害があります。在日15年以上になるのに定住ビザなので、なぜ永住ビザ申請をしないのかと尋ねると、生活保護家庭は、自立していないから却下されるとのことでした。同じ中国からの来日でも、残留孤児の場合は、生活保護世帯でも永住権が取れることに納得がいきません。


4 フィリピン人 女性
 1986年にフィリピンから来ました。今、私は子ども会の班長をしていますが、一番困っているのは漢字が分からないことです。夫は忙しいので、書類は子どもに読んでもらっています。
 先日、班の1人が、脱会すると言ったので、名簿に記載しなかったところ、大問題になりました。地区委員にも相談の上で決めたことなのにと思い、役を辞退したくなりましたが、思いとどまりました。
 この会には、規則や、会合の議事録、行事の記録が残っていないので、伝達ミスによる誤解があるようです。記録を残せば、こういった問題も防げるのではと思います。また、子どもの学校関係の書類は全て漢字なので、今でも苦労しています。
 ここまで言っていいのか迷いましたが、周囲のフィリピン人についてもお話しします。例えば教会で、グループになって陰口を言ったり、他人への態度に裏表があったります。ある時、私の趣味のトールペイントを何人かに教えることになりました。すると、他の人たちが「あの人たちはおしゃべり目的で集まって、人の悪口を言っている」と言い出しました。また、ある人がカメラを10万円で手に入れたので、買い物上手を褒めたくて、「安く手に入れて、よかったですね」と言ったのですが、なぜか相手が怒りだし、もう彼女の顔は見たくないと言われてしまいました。さらに、私の子どもたち向けの英語のレッスンを批判されたこともあります。見学していたフィリピン人の母親が、私がうっかり言った“It’s a apple” を聞き逃さず、「こんなの英語じゃない」と言われました。
 私は、人のあら探しをするのではなく、こうした方がいいと思うことがあるのなら、自分がやればいいと思います。人に迷惑をかけない範囲で、自分から進んでやりたいことをやればいいのです。この時は、精神的に辛く、胃を壊しました。


5 ペルー 男性
 2年前から、リサイクル品の輸出業をしています。15年前、出稼ぎ労働者として来日し、東京、大阪、山口などで働きました。各国から多くの労働者が集まっていて、楽しく仕事できましたが、このままではいけないと感じ、今の仕事を始めることにしました。仕事は順調なので、事業拡大も考えています。皆さんも、何かやりたいことがあるなら、怖がらずにチャレンジしてみてください。


6 ペルー 女性
 私は、ペルーから来て16年です。昨年5月、夫、子ども、私のビザ更新のため、在日ペルー領事館に行ったのですが、パスポートの期限が切れていたので、パスポートの更新手続きが必要でした。ところが、そのために、まずはペルーで使用する身分証明を更新しなければなりませんでした。ペルー側で手間取ることもあり、今年1月にやっとパスポート更新を終えました。
 さらに、ビザの更新のため、今回から無犯罪歴証明書を提示することが必要になりました。この証明書はペルーで発行されますが、帰国できない状態でした。入国管理局が領事館に連絡して、ペルー側に問い合わせなどがあったそうです。ビザの更新の手続きを始めたのが1月、無犯罪歴証明書が手元に届いたのが4月と、事務処理に非常に長い時間を費やしました。
 私個人は、無犯罪歴証明書は必要ないと考えています。このために、東京まで2度赴く必要がありましたし、書類発行の手数料をペルーに送金したり、日本で発行された書類の公印認証のために東京の領事館を往復し、その書類をペルーに送り返したり、相当なお金と時間を無駄に費やしました。
 手続き中に、永住者だったらそうした手続きが不要と分かったので、これを機に永住申請を進めたいと思っています。
 今回、なぜ私たちだけが無犯罪歴証明書を提出しなければならないのかと考えさせられました。他国の人も、同じような証明を求められているのかと非常に疑問に感じました。
 私の場合、長年日本に住んでいて、日本での犯罪歴がないことは、すぐにわかるはずなのに、なぜこのような煩雑な手続きがいるのかわかりませんし、本当に無駄だと思います。


7 フィリピン 女性
 私は、「実現できるかできないかは、誰が決めるのか?」というテーマでお話します。かつては、私も仕事や家探し、仕事とシングルマザーの両立などの困難に直面しましたが、情報収集と行動を起こすことで、乗り越えてきました。
 日本国籍を持つ息子が、小学1年生の時、学校に行きたがらなくなりました。2年生で拒食・不眠の症状も出たので、当時はこれがとても辛く、帰国を覚悟しました。しかし、その頃、仕事は順調で、急に帰ることもできず、3年後の帰国を目標にして、息子だけを先にフィリピンに帰らせました。3年後に絶対帰国するつもりだったので、荷物もお金も全てフィリピンに送り、仕事に専念しました。
 しかし、その後、父が病気になり、母に認知症が出、息子の面倒を見てくれていた姉も亡くなりました。姉の代わりに面倒をみることになった娘も仕事をやめざるを得なくなり、フィリピンで生活するのが難しくなったため、彼らを日本に呼ぼうと思いました。でも娘はフィリピン国籍のため呼ぶことができません。私は、仕事が忙しくなり誰かの助けが必要、子どもたちを呼び寄せたいけれど、娘は国籍がネックで呼べない・・・そんな状況でした。
 そこで私は、会社を興すことを思いつきました。自社を持てば、他の人を助けることも、娘を就労ビザで呼ぶこともできます。その後1年かけて会社を設立しました。努力をしても、実現しないことは、神がノーと言っているのだと思いますが、まずは、頑張ってみることが大事です。私の場合、悔しい気持ちをバネにして、勇気を出して助けを求めたから、いろいろなことが可能になったのだと思います。
 支援を求めたのはあるNPOで、そこは、自分たちで解決できない場合は、別の団体や専門家を紹介してくれます。また、力になってはくれるけれど、人を甘やかさない団体なので、私は、「角(つの)のある天使」と呼んでいます。
 私たち日本で暮らす外国人は、悩み、苦しむことが多いですが、同時に、それらに立ち向かうだけの勇気も持ち合わせています。勇気を出して、貪欲に情報を得るようにすれば、たとえ異国でも楽しく暮らせます。何か困ったら、いろいろなところに出向いて、助けを求め、支援可能な団体、専門家を紹介してもらうのです。私たちが抱える問題は、大抵解決できる問題だと思います。しかし、とかく外国人向けの情報は手に入りにくいので、今後の改善を願います。


8 アメリカ 男性
 私は、九州ネットのメンバーです。これは昨日のことですが、福岡市南区の理髪店に行き、ドアを開けて入ったとたん「うちは外国人お断りです」と言われてしまいました。私が「僕は日本滞在12年、永住権も持っています。7ヶ月の子どももいるのですが、どうしてですか?」と聞くと、店員が、「一人外国人を受け入れると、次から次に外国人が来店するから」と答えました。私は、その方が繁盛していいと思うのですが・・・。私は、フリーライターなので、皆さんが受けた人種差別の経験をどうぞ教えてください。私は他には、アパート探しの際、差別を経験しました。日常で、人種差別と感じたことがあれば記事にしますので、神父さんまでご連絡下さい。


9 イギリス 男性
 去年、日本政府はテロの未然防止を目的とした改正入管法を公布しました。法務省入国管理局はこの改正法によって個人識別情報、生態情報を利用した入国手続きを、今年の11月から全国で導入します。この背景には、米国の同時多発テロ事件があります。
 日本は、2004年に、外国人を取り締まるテロの未然防止に関する行動計画を策定しました。日本政府は、外国人を潜在的なテロリストとみなしているのではないかと考えます。この法律は、16歳以上の外国人に、指紋や顔写真の提供を義務付けます。提供を拒否すると強制送還される可能性が高いようです。 法務省は警察庁と協力し、指名手配者リストと照合しながら、該当者の入国防止、身柄確保をするだろうと思います。
 アメリカでは、2004年の1月から、外国人に指紋と顔写真の提供を義務づけ、リストと照合するプログラムを始め、2年間で1000人以上が摘発されたという報告があります。アメリカに入国する、アメリカ人以外の人たちは、潜在的なテロリストであるとみなされているようですが、日本も同じではないでしょうか。
 政府は、日本人にはテロリストがいないと信じているのでしょうか。この制度により、政府に批判的な立場の人など、都合の悪い人間を排除する可能性が高くなります。法務省は、一連の制度により、日本はより安全、安心な国になると言っていますが、外国人の人権が侵害される恐れはないでしょうか。さらに、日本社会のこの問題に対する無頓着さも問題です。法律の強化は、社会に対する不安感を募らせる効果をもたらすこともあるでしょう。
 イギリスでは何年か前に、これに似たシステムを導入する話が出て、白熱した議論が起こりました。一方で、日本は国民に十分説明したのでしょうか。この問題が論じられることはほとんどなく、マスコミの関心もあまりなく、情報が普及していません。国民の生命財産を守ることとか、安全安心な国を確保するよりもむしろ日本社会の管理化とつながっていきます。原因のひとつは確かにテロですが、外国人への疑惑を引き起こすかもしれません。
 私は7年間日本に住んで、この国に貢献したと思っています。そんな私を管理するのは決して建設的ではありません。良い共存社会を作り出すには、互いの関係づくりが大切必です。法律を作る時も、在日外国人と話し合う必要があると思います。国が独断で決めることは、私たちに悪影響を与えると思います。
以上のような問題を話し合うほうが、より建設的だと思います。


10 ナイジェリア 男性
 入国管理局との問題についてお話します。私は2004年に、友人を介して妻と出会いました。そして、彼女の住む熊本県に引っ越しました。熊本の妻の父親と会うことを楽しみにしていましたが、妻との結婚を申し込むと、拒否されました。何回もお願いしましたが、断られ続け、その後いろんな問題が起こりました。
 私は、結婚できなかったら一度帰国して、再度ビザの申請を行おうとしましたが、妻が納得しませんでした。そこで、アパートを見つけて、妻と同居しようと考えていました。ある日昼食を食べに行き、階下に下りていくと、警察がいました。突然パスポートを見せるようにいわれ、非常に驚きました。今までは何の問題もなく暮らしていたからです。結局逮捕され、その後、裁判で闘うことになりました。
 妻も私も、まさかこんなことになるとは思ってもみませんでした。どうすればいいのか二人とも非常に悩みました。私のことを警察に通報したのは、実は彼女の父親でしたが、裁判では、彼は娘との約束で国には帰れない、と応援してくれました。
 私は、裁判中も大村収容所にいました。収容されてから2年経っていましたが、努力のお陰で、1回目の裁判では敗訴しましたが、2回目は高裁で逆転勝利を得ました。私のケースが新聞で取り上げられて、報道もされました。中島さんには感謝しています。もし彼とコムスタカというグループの支援がなかったら、私はたぶんここにいないでしょう。収容されて、自暴自棄に陥ったこともありましたが、多くの方の支援を受け、ここまできました。皆さんには感謝しています。外国人にとってはこの国には様々な難しいところがあります。裁判で勝利を得たことに関しては、支援いただいた皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと思っています。