初めてワープロというものに触ったのは、大学生の頃、サークルの先輩が持ってきたものを触らせてもらったときだった。
当時は、ワープロが普及し始める頃で、ウインドウは一行だけ。
それでも、手書きではない文字が紙に印刷されて行くのは、大変珍しく、便利そうに見えた。
そして、初めて買ったワープロと言うのは、なんとウインドウに4行も表示できるものだった。
機種は東芝の Rupo であったが、身内の勤務先であったことと(笑)、確か、欧文文字が表示できるという強味があったと記憶している。そう、「ウムラウトが出せる」というのが、チェックポイントの一つであった。
出ない場合は、自分で作って、外字登録するんですね(笑)
ない文字については、自分で作ったりしたものだった。
登録した外字を組み合わせて、ロゴを作ったり、とかしたっけ(^^ゞ
そう、当時はまだ、第一水準の漢字が出せる文字で、第二水準漢字搭載なんていうのは珍しかった。
(これも Rupo では早い時期に配慮されていたと思った)
「親鸞の『鸞』の字が出ない〜(泣)」などと嘆いた人も多かったことだろう。
私の場合、身内をはじめ出ない漢字の名前の関係者ばかりだったので、登録しまくりであった。
フロッピーで文章を保存、なんてのも私にとっては画期的であった(笑)
まるでディスクのすき間を埋めたいがために、日記でも読書感想文でも、要するにたいしたことない文章を書き綴ったものだった。あっ、今のHP作りと大差なかったりして(汗)
当時は卒業論文とか、ワープロで書いたものを認めるかどうか、揉めたりしていた学科もあったようであった。タイプライターは良かったのに(笑)
文や単語を自由に入れ換えることができ、しかも校正の跡が残らないというのは、文章の書き方を根底から変えた、と言っても良いかも知れない。それ以前は、下書きして、赤鉛筆(でなくても良いが)でチェックし、文や言葉を線を引いて消したり、つけ足したりして、そしておもむろに清書するというやり方しかなかったのだ。
そして、達筆でないものにとっても、ワープロという機械は福音だったのであった(笑)
私がワープロを買い始めた頃は、次々と各社で新製品を出し、どんどん進化して行った。
ディスプレイが20行になり、それに液晶バックライトというのが付き(そういうしくみがない時分は、机上スタンドのクビをまげ、ディスプレイの後ろに持って行ったりもした(笑))、保存できる容量が増え、、、今思い返してみると、都合4台くらい買ったような気がする(汗)
もしも、ワープロ(とパソコン)につぎ込んだお金を、みな貯金していたら(接続法第2式!)、、、と考えると、ううむ、と呻きたくなってしまう(爆)
しかし、自慢じゃないが、使い倒した、という実感はあった(笑)
住所録を作って年賀状印刷もしていたし、書いた論文は、ええと(汗)おまけに、Rupo 用のゲームまで持っていたぞ(汗)
ところで、ワープロにはワープロの限界があった。熱心にフロッピー保存したところで、各社の互換性がなかったのだ。
まあ、他人様には印刷して見せるものだったので、取り立てて不便、と言うほどのことはなかったのかも知れないが。
そういえば、感熱紙と言うのが必需品でしたね(笑)
(そういうものは、ドイツでは日本よりも高かった、という記憶がある)
しかし、誤植は印刷されてから発見されるという法則は、今も昔も変わらないものであるな(笑)
さて、ワープロの進化にそろそろ先が見えたかな、これ以上買い替えなくてもいいかしらん、と私が勝手に思っていた頃、パソコンの世界を知ることになる。実際には、カラー化されたり、パソコン通信ができるとか、MS-DOS 互換性がなんたら、と進歩し続けたのであったが。