不滅の日本ジャズ・ポピュラー史


ポリドール MR9163/5

瀬川昌久


「不滅の日本ジャズ・ポピュラー史」監修にあたって


 日本のジャズやポピュラー音楽は、今日世界でも一、二を争う程に、実演の面でも、レコード発売の面でも活況を呈しているが、その起源については、昭和二十年の終戦後に、アメリカを始め各国の影響で発展した、と考えている人が非常に多い。そして戦前の昭和二十年間の日本人による唄や演奏は、全く局限された範囲でしかきかれない幼稚なものであったとして、一顧だにしない風潮があった。しかし実際には、ジャズやポピュラーが欧米から入ったのは、遠く大正年間の始めにさかのぼるであり、昭和十年代には、ジャズ、タンゴ、シャンソン、ハワイアンなどの音楽が、ダンス・ミュージックとして盛んに演奏されるのみでなく、コンサートやステージにも広く進出して、大衆に愛好された。昭和十六年の太平洋戦争のため、ジャズの演奏や唄は禁止されたが、それでも軽音楽の名の下に、ミュージシャンは、官憲の目を盗んで、終戦まで何とか活動を続けたのである。事実、戦後の日本のジャズ・ブームやポピュラーの隆盛を支えたのは、こういう戦前派のミュージシャンであり、歌手たちであった。これらのいわば日本ジャズ・ポピュラーの先覚者たちも今日はほとんどが六十歳を超えた年輩となり、第一線から引退した人が多いが、彼等の残した音楽の記録をたどること無しには、今日までの歴史を語ることは出来ないのである。幸い、この二、三年漸く世間の関心が高まって、各レコード会社から、日本ジャズ・ポピュラーの戦前レコーディングの復元アルバムが発売されるようになったが、その何れもが、昭和三年以降の、メイジャー・レーベルの録音を出発点としていた。しかし真のルーツは、既に大正年代に、今は無くなった小会社による、電気吹込以前のレコーディングなのである。大正元年に、東洋汽船地洋丸に乗り込んだ波多野福太郎以下五人の船上バンドの一行を第一陣として、大洋航路の客船に続々とミュージシャンが乗船して、欧米の最新の音楽を習得して帰った。大正八年に映画館の金春館のち東洋キネマに波多野福太郎と(注1)金栄次郎兄弟が、それぞれ専属オーケストラを編成して、奏楽を演奏するようになって、セミ・クラシックやダンス音楽がインテリ層の間に急速に愛好者を獲得した。次第に多くの映画館が、専属オーケストラをおいて、アトラクションに、歌手を加えたジャズ演奏を行うようになった。大正末期までに、欧米のジャズやポピュラー・ソングは、レコードや楽譜が輸入されて、日本でも広く演奏され歌われた。当時は、フィリピンやロシアのミュージシャンが沢山来日していて、外人の多いホテルのダンス・パーティに出演していたので、日本のプレイヤー達は熱心に彼等から技巧やフィーリングを学んだ。
 今回ポリドールで始めて戦前の日本ジャズ・ポピュラーのアルバムを組むに当たって、従来全く埋もれていた大正年代の貴重なレコーディングを多数収録し得たことは、たいへん意義のある成果であったと信じている。K・ハタノ・オーケストラや、フィリピン人のカールトン・ジャズ・バンド、天洋丸乗組の船上バンド、松竹座専属の管弦楽団等のレコーディングは、今回初めて陽の目を見た電気吹込以前の録音である。
 昭和年代に入ってからも、ポリドール原盤に加えてタイヘイ、ニットー、エトワール等のレーベルの珍しい吹込みも入れて、従来ほとんど知られていなかった優れた歌手やプレイヤー、編曲者たちにスポットを当てることが出来た。これらを合わせきくことによって、大正、昭和に亘る戦前の日本ジャズ、ポピュラーが、意外な程に多彩であり、エンターテイニングで楽しいものであることに気付いて頂ければ、監修者としての喜びこれに過ぎるものはない。最後に本巻の編成に快く協力されたコレクターや研究家の方々に感謝すると共に、このアルバムの隅々にまできかれる古い昔のサウンドが、隠れた先人たちの血のにじむような努力の賜物であったことに想いをはせて、心からの敬意を表したいと思う。

◆ポリドール・オーケストラについて
 本アルバム収録曲の大多数に、歌手の伴奏をつとめるポリドール・オーケストラは、ダンス・オーケストラとかジャジャズ・バンドとか、その時々で異なる名称がついているが、昭和五年の結成当初から一貫して、優秀なプレイヤーを集めていた。そのメンバーは、時代と共に移動し、又吹込みの都度補強されたと思われるが、昭和十二年頃の専属メンバーは、辻順治(前陸軍戸山学校軍楽隊長)を長に、前田王幾<★入力者注1>(ヴァイオリン、東洋音楽学校本科器楽科卒)、小島一雄(バス、三越音楽部出)、高麗貞道(フルート、松坂屋音楽部出身及び新交響楽団出身)、佐野鋤(サックス、編曲、三越音楽部、日本交響楽協会出)、谷口安彦(トランペット、松坂屋音楽部出身)、細田定雄(バンジョー、編曲、宝塚音楽学校卒)、菊地博(ピアノ、東京音楽学校本科卒)、栗原進次(ドラム、三越音楽部出)、小暮正雄(アコーディオン、三越音楽部出)、鈴木福次郎(サックス、クラリネット、山田音楽隊出)、河部絢一(トロンボン、山田音楽隊出)の諸氏であった。編曲者としては初め井田一郎、紙恭輔、後に山田栄一、細田定雄、小暮正雄、佐野鋤、工藤進ら各氏があたった。


<★入力者注1>「王」へんに「幾」で一文字です。