「人身売買」 牧 英正 著, 岩波新書

”人身売買”の中で印象に残った記述をいくつか載せています。
ローマ奴隷は物として取り扱われた。

「ローマの奴隷は法律上「物」としての性質を貫徹された。」
(p.20、人身売買、牧英正、岩波新書)

奴婢(奴隷)の数は古代日本では人口の一割。古代ローマでは数倍から数十倍

「(大宝・養老律令制定・施行当時)奴婢を大量にもっていたのは朝廷以外では寺社であった。当時いったいどれほどの奴婢がいたものかと考えた人がいく人かあるが、戸籍計帳における人口比やその他の条件を勘案して、全人口の一割前後であろうと推測されている。市民の数倍ないし数十倍の奴隷を持っていた古代ギリシャやローマとは大きい違いであった。」
牧英正「人身売買」 岩波新書(p.21)

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人身売買の証文例

「永代売り渡し申す女房の事

与五郎女房、名はかくと申す也、年は三十五歳也、
並にむすめ、名はたねと申す也、年は七歳也、
右件の女は、長田村新兵衛譜代の女にて御座候へども、我等御年貢つまり申すに付きて、
猪兵衛どのに種々頼み申し候へば、池田村三郎兵衛殿方へ、親子共直米七斗に売り渡し申す所
実正也、但しかくは今年より卯の年まで御使ひなし下され、其の後は御隙下さるべく候、
かくの如く証文仕り候上は、子々孫々において違乱妨申す者あるまじく、後日のため
件の如し、

承応二年巳の十二月二十六日
長田村 売主 新兵衛 判
同村 口入 猪兵衛 判

池田村三郎兵衛殿参る」

牧英正「人身売買」 岩波新書(p.89)


苦界

「(売女の監督は)売女に怠け心が起こらないように常に食事を充分与えず、夜の目もねむらず客 の機嫌をとらせる。もし眠ったり愛敬がよくなければ厳しくしかるので、売女はしかられるのをおそれ、、生酔いのからむ客の機嫌をとり、泥酔して吐く者を介抱し、田舎者にも媚び、さまざまな客を一日に三人五人また六人七人も相手にし、心中の悲歎をかくして笑顔をみせる。 もし機嫌を取り損じて客が暴れたり、不快で不奉公するか客のつかないときはちょうちゃくされる。その上でもきかないときは罰として数日食を断ち、便所その他の不浄の掃除をさせ、または丸裸にして縛り水を浴びせる。水に濡れると縄は縮んで苦しみ泣きさけぶ。時には責め殺すこともある。 」
(世事見聞録からの引用,p.149-150,牧英正、「人身売買」、岩波新書)



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