花岡事件 − 中国人強制連行事件


花岡事件

野添憲治著、お茶の水書房

「太平洋戦争中に日本政府は、国内の労働力不足を補うために、主の日本軍の大包囲作戦(兎狩り戦法ともいった)で捕えた中国人たちを日本に強制連行してきたが、その数は三八,九三五人という膨大なものだった。この中国人たちは、日本国内の三五社の一三五事業所で強制労働をさせられたが、日本の敗戦によって中国に帰されるまでに、6、830人が死亡している。 」
(「聞き書き 花岡事件」、はじめに、野添憲治著、お茶の水書房 )
*

「太平洋戦争中に、日本の国内へ中国の民間人とか兵士を強制連行してきて、重労働をさせるようになった直接のきっかけは、東条内閣が財界からの強い要請を受け入れて、昭和一七年11月に『華人労働者内地移入ニ関スル件』を閣議決定したときからだった。だが、この閣議決定の背景には、日本の戦争経済の影響が深くはりめぐらされていた。」
(「聞き書き 花岡事件」、p.80、野添憲治著、お茶の水書房 )

*

昭和17年の閣議決定というのは下記の内容でした。

「華人労務者内地移入ニ関スル件

第一
方針

内地ニ於ケル労務需要ハ愈々逼迫ヲ来タシ特ニ重筋労働部面ニ於ケル労力不足ノ著シキ現状二鑑ミ左記要領二ヨリ華人労務者ヲ内地ニ移入シ以テ大東亜共栄圏建設ノ遂行ニ協力セシメントス

第二
要領

一、本方策ニ依リ内地ニ移入スル華人労務者ハ之ヲ国民動員計画産業中鉱山、荷役業、国防土木建築及其ノ他ノ工場建設ニ使用スルコトトスルモ差当リ重要ナル鉱山荷役及工場雑役ニ限ルコト
二、移入スル華人労務者ハ主トシテ華北ノ労務者ヲ以テ充ツルモ事情ニ依リ其ノ他ノ地域ヨリモ移入シ得ルコト
但シ緊急要員ニ付テハ成ル可ク現地ニ於テ使用中ノ同種労務者並ビニ訓練セル俘虜帰順兵ニシテ素質優良ナル者ヲ移入スル方途ヲモ考慮スルコト
三、移入スル華人労務者ノ募集又ハ斡旋ハ華北労工協会ヲシテ新民会其ノ他現地機関トノ連繋ノ下二之ニ当ラシムルコト
四、移入スル華人労務者ハ年令概ネ四十歳以下ノ男子二シテ心身健全ナル者ヲ選抜スルコトトシ家族ヲ同伴セシメザルコト
五、華人労働者及其ノ指導者ハ移入ニ先立チ一定期間現地ノ適当ナル機関ニ於テ必要ナル訓練ヲ為スコト
六、華人労務者ノ使用ヲ認ムル事業場ハ華人労務者ノ相当数ヲ集団的ニ就労セシムルコトヲ条件トシ関係庁協議ノ上之ヲ選定セシムルコト但シ華人労務者ヲ供給業者ニ取リ扱ワシムルコトハ原則トシテ認メザルコト
七、華人労務者ノ契約期間ハ原則トシ同一人ヲ継続使用スル場合ニ於テハ二年経過後適当ノ時期ニ於テ希望ニヨリ一時帰国セシムルコト
八、華人労務者ノ食事ハ米食トセズ華人労務者ノ通常食ヲ給スルモノトシ之ガ食糧ノ手当ニ付テハ内地ニ於テ特別ノ措置ヲ講ズルコト
九、労務者ノ所得ハ支那ニ於テ通常支払ハレルベキ賃金ヲ標準トシ残留家族ニ対スル送金ヲモ考慮シテ之ヲ定ムルコト
十、華人労務者ノ移入ノ時期、員数、輸送、貿易、防諜、登録其ノ他移入ニ必要ナル具体的細目ニ付キテハ関係庁ト協議ノ上決定スルコト
十一、華人ノ家族送金及持帰金ニ以テハ原則トシテ制限ヲ付セザルコトトシ本方策ノ実施ニ依リ日支間国際収支ニ重大ナル影響ヲ及ボスベキ場合ニハ可能ナル範囲ニ於イテ内地ヨリ支那向ケ適当ナル裏付物資ノ給付ニ付考慮スルコト

第三
措置

本方策ノ実施ニ当タリテハ之ガ正否ノ影響大ナルニ鑑ミ別ニ定ムル要領ニ依リ試験的ニ之ヲ行イ其ノ成績ニ依リ漸次本方策ノ全面的実施ニ移ルモノトスルコト

備考

支那ニ於ケル技術労務者不足ノ現況ニ鑑ミ本方策ノ実施ニ関連シ別途華人青少年労務ノ内地工場ニ於ケル使用ヲ認メ之ガ使用ニ付特ニ技術的訓練ニ意ヲ用イ将来支那ニ於ケル基幹労務者タルベキ者ヲ養成スル措置ニ付キテモ併セ考慮スルコト 」

(「聞き書き 花岡事件」、p.94-95、野添憲治著、お茶の水書房 )

*

「太平洋戦争の間に、秋田県北の小坂鉱山、尾去沢鉱山、花岡鉱山の三つのヤマに、3000人の朝鮮人労働者が連行されてきたといわれている。花岡鉱山には延べ人員で約4500人が連行されてきたといわれているが、はっきりした人数はわかっていない。」
(「聞き書き 花岡事件」、p.82、野添憲治著、お茶の水書房 )

Last update : 10/6/96
copyright Eiji Takeuchi, 1996
your comments and suggestions mv4e-tkuc@asahi-net.or.jp


return to Eiji-home