- 鉱山跡の残る足尾の町を通り、足尾砂防ダムに着いた。対岸には廃線となった鉄橋があった。鉄橋の絵を写生している人がいた。
- 大ナギ沢出合からは、林道が荒れていて車も通ることができなかった。最後の三沢出合付近では、林道は跡形も無かった。錆び付いたパワーショベルのアームがだけが、かつてここが林道だった事を示していた。三沢出合のダムの手前で徒渉した。水かさは膝下くらいだった。冷たい水だった。
- ダムからは靴を脱がずに石伝いにジャンプしながら進んだ。ニゴリ沢出合まであと15分のところで足が滑り、服の前面をずぶぬれにしてしまった。
- ニゴリ沢出合付近には皇海山を示すペンキマークが多かった。ニゴリ沢出合から少し下流に戻った右岸にペンキマークがあり、登っていくと皇海山の見える台地に着いた。この付近がニゴリ小屋跡と判断して砂地の上にテントを張った。あたりには鹿の足跡がたくさんあった。
- 翌朝、ニゴリ沢を登り始めた。流れが二手になっていた。緩そうな右側を進むと流れが細くなり、間違っていることに気が付いた。ヤブを通って左手の本流に戻った。右手(左岸)から岩がごろごろ落ちてきているところで川は左へカーブしていた。カーブを曲がると正面に滝が見えた。カーブから約50mの左岸に尾根の取り付き点があり、国境平を示す黄色の標識があった。
- 赤と黄色の標識に従って、踏み跡を登っていった。ところどころ踏み跡は不明瞭になった。国境平手前の笹原はじゅうたんを敷きつめたようで美しかった。鹿があちこちで鳴いていた。最後はロープで右方向にトラバース気味に導かれて国境平に着いた。
- 国境平からの登りは、途中で笹原から樹林帯に変わった。シャクナゲが多かった。やがて樹林におおわれた地味な山頂に着いた。ガスが出てきて寒々としていた。結局、三沢出合から山頂まで誰にも会わなかった。
- 山頂からは急に人が増えた。鹿の鳴き声を頻繁に聞きながら鋸山を経由して庚申山に向かった。熊野岳から蔵王山にかけてはロープと鎖が多かった。重い荷物で苦労した。庚申山を過ぎるとガスはますます濃くなった。大胎内くぐりからの下りでは、印を見落としてしまい、10mくらい間違えて谷の方向に進んでしまった。
- 庚申山荘ではローソクの明かりで夕食をとった。宿泊者は約20人だった。
- 翌朝、料金箱に 住所、氏名を書いた紙と一緒に2000円を入れて出発した。後日、領収書が届いた。