• ポント・レジーナのホテルから、山中で宿泊するディオヴァレッツァ小屋とマルコ・エ・ローザ小屋に電話をかけ、たどたどしい英語で予約をした。夕方までポントレジーナ周辺を散策した後、列車で移動した。風光明媚な車窓を楽しんでいるうちにベルニナ・ディオヴァレツァ駅に着いた。ここでロープウェイに乗り換えた。乗客は言葉の感じからイタリア人が多いようだった。登山者ばかりだった。ディオヴァレッツァ小屋は、二人部屋の個室で一人あたり59スイスフラン(約4200円)とまずまずの値段だった。食事はカレーライスのような米の料理にスープだけで、デザートも無く、今一歩の感じだった。週末のせいか宿泊者は100人以上いた。日本人は他にはいなかった。隣席には20歳台のドイツ人二人組と50歳台のドイツ人男性単独行が座っていた。どちらも明日はピッツ・パリューに行くと言っていた。
  • 朝食はパンとコーヒーだけの簡単なものだった。余分な荷物は、専用の部屋が準備されていて、預けることができた。表に出ると、まだ真っ暗な中、大勢の人たちがいた。右手の稜線沿いにピッツ・パリュー方面に行く人も多かった。正面の氷河に下りる5-6人のグループに付いて、岩場を氷河の方に下る事にした。あまりはっきりしない踏み跡を適当に下っていくと氷河に着いた。5-6人グループは我々とは方向の違う氷河の上流方面に向かって行った。どうやらピッツ・パリューに向かう様子だった。200m位下流にはディオヴァレッツァ小屋から岩場を下りてくる団体がいた。岡田さんが付近を歩き回って、氷河を渡るかすかな踏み跡を見つけてくれた。アイゼンを着け、ザイルを結んだ。岡田さんを先頭に氷河を渡り始めた。しばらくして振り向くと、下流の団体も氷河を渡り始めていた。
  • 広い氷河を渡り終わるころ、4人組の若者に追いつかれた。見るとアイススクリューを何本も持っていて、装備が物々しかった。行き先を聞いたところピッツ・パリューとのことだった。どうやら氷河の行き止まりにある北壁を登るらしかった。ヨーロッパの若者はスケールの大きな山登りをすると感心した。若者たちと分かれ氷河を横断し終わったところで、我々より少し下流を渡ってきた19人組の団体に追いつかれた。ガイドに連れられたグループだった。行き先はベラ・ビスタとの事だった。どうやらこの日、同じルートでピッツ・ベルニナを目差す人はいないようだった。
  • シャムオッチ(Rifugi dals Chamuotsch)と呼ばれる岩場の基部に沿って、だらだらとした坂を登っていくと稜線(フォルテッツァ稜)に着いた。モルテラッチ(Morteratsch)氷河側を登ってくるトレースに出会った。雪面を少し登ると岩場に着いた。団体のすぐ後に付いて岩場を登り始めた。岩場には、はっきりとしたオレンジ色のマークが付いていた。最初の岩場はさほど難しくなく、左側を巻くような感じで登った。最初の岩場が終わると、いったん雪面に出た。アイゼンを着けたままでは岩場が登りにくかったので、ここで外す事にした。次の岩場は、最初よりもやや難しく、三点確保で慎重に登った。手がかりが多いので極端に難しくはないが、剣岳の別山尾根よりは、やや難しい感じがした。岩場終了点では、だいぶ団体から引き離されてしまった。ほっとして休んでいると上の方から二人組が下りてきた。「ボンジョルノ。マルコ・エ・ローザ?」と挨拶され行き先を聞かれた。
  • 雪がゆるんできたので、そのままアイゼンを外して登り続けた。ガスが出てきて視界を閉ざした。しばらく登っていくと、トレースが二手に分かれていた。正面がベラ・ビスタへのトレース、右側がマルコ・エ・ローザへのトレースらしかった。右手に進んだ。やがてガスが晴れ始め、マルコ・エ・ローザ方面から次々とやって来る人たちが見えた。数パーティーとすれ違い、ビラビスタ基部の一番急な部分に着いた。あちこちからなだれの音が聞こえて来た。あまり気持ちの良いところではなかった。ここから少し急な下りになるので雪はやわらかかったがアイゼンを再度着けた。急な下りを通過し、崩れかけた雪の固まりの間を通るとゆるい雪面のトラバースになった。正面にオレンジ色のマルコ・エ・ローザ小屋が見えた。小屋との間にあるモルテラッチ氷河を下って行く人影が見えた。モルテラッチ氷河の最上部をクレバスに注意しながら横断し、最後の凍結してシャーベット状になった斜面を通過するとマルコ・エ・ローザ小屋に着いた。
  • マルコ・エ・ローザ小屋にはディスコ調の音楽がかかっていた。いかにもイタリアの小屋らしく明るい感じがした。木靴を履いたあごひげの35歳くらいの小屋番が「おー、電話をかけて来たジャパニーズか」と歓迎してくれた。さっそく中二階にあるベットに案内してくれて、「こことここが君たちの場所だ」と教えてくれた。「前に日本からベルニナ山岳会と言うのが来て、あれを記念に置いていった」と壁に貼られたペナントを指さして教えてくれた。靴やアイゼンは玄関に置くようにとのことだった。後で気が付いたが革製の靴(しかもイタリア製)は私だけで、他の人は全員プラブーツだった。イタリア製の革の重登山靴なんて、ここでは、はやらないのかと思った。宿泊費は60フラン(約4200円)で、出発時に払えばよいとのことだった。のどが乾いたのでハイネケンを飲んだ(500mリットル1本が10フラン=約700円)。これも出発時にまとめて払えばよいとのことだった。
  • まだ、日が高いので小屋の外で日光浴をしながら休んだ。小屋のわきから雪解け水が流れていた。時々なだれの音が聞こえてきた。遭難の監視のためだろうか、ヘリコプターがやって来て上空を旋回して過ぎ去っていった。次々とピッツ・ベルニナ山頂方面から登山者が下りてきた。みんな人気の高い北側のビアンコ稜を登り、ここまで下りてきた人たちだった。20-30台の人たちが多く、女性も多かった。中には女性だけのパーティーもあった。ヨーロッパでは、登山は若者のレジャーなのだと思った。この小屋で泊まるのかと思ったら、みんな30分も休むと次々出発して行った。小屋から南のイタリア側氷河を見下ろすと、30分程前に小屋を出発した4人グループが歩いていた。ザイルで結んでいるので等間隔になって進んでいくのが面白かった。
  • 待ちに待った夕食の時間になった。席は満席だった。スープ、メインディッシュ、デザートのフルコースだった。メインディッシュは卵料理と肉料理から選ぶことができた。卵料理を選んだらおいしかった。デザートも4種類の中から選ぶことができた。テーブルの向かいには昨日ディオヴァレッツァで一緒だった50台のドイツ人男性が座った。ワインを飲んでご機嫌だった。ピッツ・パリュー、ベラ・ビスタを経由してきたとのことだった。その隣りには20台のカップルが座っていた。日本人宿泊者が珍しかったのか、女性の方から話しかけてきた。ドイツから来たとの事だった。ビアンコ稜を登って来たとの事だった。感想を聞いたら「Interesting」と言っていた。岩場の登りを楽しいと答えるとは、たいしたものだと思った。他のテーブルも会話で盛り上がっていた。山小屋は若者たちの一種の社交場だと思った。
  • 翌日は、5時からの簡単な朝食を済ませた後、アイゼンをつけ、ザイルを結んで出発した。空には雲一つ無かった。小屋の横を流れていた水は凍結していた。稜線沿いを南峰経由で登るルートと南峰の右側斜面をトラバースするルートとがあった。技術的にやさしいトラバースするルートを選んだ。先行する2人パーティ2組もトラバースする道を選んでいた。昨日の気温上昇のためか小さななだれの跡がたくさんあった。途中のクレバスを注意深く渡り、やがて稜線に出て南峰経由のルートと合流した。簡単な岩場を少し登ると山頂に着いた。
  • 山頂は360度の展望だった。周囲を眺めているうちに先着の2組のパーティは相次いで下山して行った。山頂には誰もいなくなった。岩に飯盒のようなものが掛けてあり、中をのぞくと聖書くらいの厚さのノートがあった。登頂記録のようなので次のページに登頂記念のサインをした。ヘリコプターがどこからともなくやってきて、山頂の30mくらい先を旋回しながら飛び去っていった。しばらくするとビアンコ稜を一番乗りで数人の登山者が登ってきた。「ボンジョルノ」とイタリア語で挨拶した。このパーティもノートに記念のサインをしていた。マルコ・エ・ローザ側から4人の登山者が登ってきたのを機会に下山することにした。
  • 稜線通しのルートと斜面のルートとの分岐には先程の4人組のアイゼンが置いてあった。岩場だと確かにアイゼンは歩きにくい。ワンタッチ式のアイゼンは外すのが楽で良いと思った。先に下山した2組のパーティは、一方は斜面を、もう一方は稜線を通っていた。我々は行きと同じ斜面を下ることにした。太陽が当たったせいで行きよりもだいぶ雪がゆるんでいた。斜面を無事通過し、右に行く小屋へのルートを見送って、ショートカットしてベラ・ビスタ基部へ向かった。登り返し付近では、小さななだれの跡がたくさんあった。
  • ベラ・ビスタ基部を通過する間に数パーティとすれ違った。ゆるい雪面を下って岩場の上部まで来ると 、フォルテッツァ稜の岩場通過の準備をしていた二人組に追いついた。アイゼンを脱ぎ、前の二人組に引き続いて出発した。岩場は下りの方が難しかった。ところどころでビレイしながら下った。気が付くと前の二人組には大きく離され、後に4人組が近づいていた。ペンキマークに従って三点確保で慎重に下って行き、岩場の終了点に近づいた。最後の部分は急な雪面になっていた。雪はざらざらで、更に下が氷っていたため足元が崩れて滑りそうになった。危うく上にいた岡田さんに確保してもらった。確保が無ければ滑り台の上を滑るように氷河まで落ちるところだった。危ない岩場を終了し、ゆるやかな雪面に出てほっとした。気温は上昇し、雪面の照り返しで暑かった。足が雪にもぐり歩きにくかった。しばらく進むと二人組が登ってきた。暑いのにこれから登るとは大変だと思った。
  • 氷河のトラバースは暑くて砂漠のような感じがした。氷河の終了点からディオヴァレッツァへの最後の登りも暑くてうんざりした。定かでない踏み跡とたどってようやくディオヴァレッツァ小屋の横に出た。テラスのベンチに座り、売店で買ったビールを一気に飲み干した。回収した荷物をテラスでザックに詰め込んでいると、イタリア人らしき男性が寄ってきて、「ピッツ・ベルニナに登ったのか? どれくらい時間がかかったのか?」などと聞かれた。本来ならテラスで2時間くらい昼寝をしたいところだったが、時間も遅くなってきたので早々にロープウェイで下山した。列車の接続が悪く、Churに着いて本格的な祝杯を上げたのは夜9時になってからだった。