還暦記念にマッターホルンに登頂!! 行動の人!!

台湾の玉山(91年5月)を皮切りに、モンブラン(93年8月)、エルブルース(94年8月)、キリマンジャロ(95年5月)と次々と踏破、97年のアコンカグアこそガイドの制止で9合目で断念したものの、ついに念願のマッターホルンに98年7月登頂。

小里(おり)さんと言えば、海外登山。きっかけは富士山より高い山に登ってみたいと登った玉山。そこでのいろいろな人との出会いから海外登山にのめり込んでいった。仕事のやりくりをして毎年のように出かけている。
もちろん国内の登山も多い。単独行が中心だが、最近はインターネットや、他の山で知り合った仲間と行く事も多い。

キリマンジャロ登山をきっかけに小里さんが中心になってWASTER(World Adventure & Summitter)クラブを作った。海外登山の好きな人たちの集まり。山岳会の横断的な組織を目指している。
会員には世界七大陸の最高峰(セブンサミット)を目指す人もいる。現在は、会報の作成で大忙し。

週3回ランニングとウエイトトレーニング。自宅近くのスポーツクラブで汗をながしている。
やっぱり山登りにトレーニングは欠かせない。

始めて登った山は丹沢山。高校3年の今で言えば卒業旅行。突然思いついて仲間と行ったそうだ。
その後は、連続していろいろな山へ。会社や町の山岳部に入り、山にのめり込んだ。冬山合宿にも参加し、山登りの基礎を徹底的に学んだ。しかし、残念ながら仕事が忙しくなり、28歳頃から山から遠ざかってしまった。
ようやく時間がとれるようになったのはそれから20年後、今までのブランクを取り戻すかのように、国内海外の山に登り始めた。
98年は毎週登山にもチャレンジした。雪の日も、土砂降りの日も行った。

95年10月よりプライベート通信「四季峰」を発行。山行記録を中心とした情報をB4一枚にまとめ各地の山仲間と情報交換している。98年12月で第90号になった。

お気に入りの山は、海外ではマッターホルン。苦しかったけれど還暦の記念にと執念で登った。すばらしかったのはモンブラン。その後の登山活動に大きな影響を与えた。国内では冬の木曽駒ヶ岳、山スキーで行った焼岳。どちらも一面の銀世界がすばらしかったそうだ。
現在は、日本の名峰500、日本の山1000、一等三角点の山を視野に入れながら日本300名山を中心に山行を重ねている。

今後の目標は世界の名峰の訪問。21世紀は世界百名山がブームになるのではないかと考えている。
それには年をとるわけには行かない。 「登山年齢は、いかに多くの夢を持ち続け、肉体的な若さを保っていくかで 決まる。生涯現役! これが私のモットーです。」と語っている。
(1998年12月取材)

(写真はマッターホルン山頂にて。1998.7.23撮影)