• 笈ヶ岳は富山、石川、岐阜の三県の県境にある300名山である。登山道がないため一般には春の残雪期に登られることが多い。雪山で、かつ山中で最低一泊は必要なこともあり、300名山中では最も登頂困難な山と言っても良いだろう。2000年の春、ゴールデンウィーク休みを利用して小里さん、岡田さん、それに私の三人で笈ヶ岳を目差すことにした。コースは北のブナオ峠から稜線伝いに大門山、大笠山を経由して笈ヶ岳へ。更に三方岩展望台を通ってスーパー林道の馬狩ゲートまでの山中二泊のロングコースである。
  • 4月29日、越中五箇山とも呼ばれる上平村の西赤尾で9:30に待ち合わせた。夜行で高岡へ行き、朝のバスで集合地に向かった。他の二人はいずれも車で前日に現地へ入った。高岡駅でバスを待っている時、小里さんから携帯電話に連絡が入った。ブナオ峠への林道はゲートが閉まっていて車は通れないとのことだった。これから1台の車を馬狩まで回送するとのことだった。
  • 9:30、桜とミズバショウが満開の西赤尾に集合。除雪された林道を歩き始めた。谷の新緑がきれいだった。ところどころに山桜が咲いていた。山菜取りの人たち数人とすれ違った。やがて標高約800m地点で除雪が終了になった。スパッツを付けての雪上の登りになった。この日の早朝につけられたと思われる単独行の足跡が有った。ほぼ林道に沿って登った。林道が大きくカーブしているところではショートカットして登った。途中の標高約900m地点は谷をはさんで大門山の眺めが良かった。青空が広がり、まさに申し分のない天気だった。
  • 傾斜のゆるやかな林道を登っていくと、やがて避難小屋が現れ、ブナオ峠に着いた。積雪は約1mだった。標識が埋もれていて字が見えなかったので掘り返してみると、大門山の方向を指し示す文字が見えた。ここからは尾根伝いの登りだった。先行の単独行者の跡をたどっていった。時折、樹林が切れて視界が開けた。向かいに白い山が見えたので20万分の一地形図で調べたところ人形山だった。やがて傾斜が緩くなり、小ピークを乗り越えて、大門山と見越山との鞍部に着いた。広々とした鞍部で正面に大笠山が見えた。先行の単独行者は大門山を往復した後、見越山方面に向かっていた。絶好のテント場なので今日はここまでとしてテントを張った。
  • テント設営後、大門山に向かった。少しガスが出てきて遠くは見えなくなっていた。やや急な坂を上り詰めると大門山の山頂に出た。丸く一面の雪におおわれ標識一つとして雪の上に出ていなかった。何の目印もないため積雪量の見当もつかなかった。ガスにおおわれていて視界は無かったが、15分ほど待つと、急に晴れてきて大笠山や笈ヶ岳が見えだした。ゆっくりと展望を味わった後、満足してテント場に戻った。
  • 翌朝のテント内の温度は0℃だった。回りの雪はアイゼンをきかして登るにちょうど手頃なかたさだった。天気は快晴で意気揚々と笈ヶ岳へ向かって出発した。赤摩木古山(あかまつこやま)は北側のピークを巻いて最南端のピークで休んだ。動物の足跡がところどころに有った。風が少しあった。下りは先行の単独行者の足跡に従って、やや右寄りに広い斜面を下った。見越山との最低鞍部付近では鳥のさえずりが聞こえた。見越山へは急な登りだった。アイゼンをきかして急な斜面を登っていくと、突然、山頂に出た。大門山が谷を隔てて見えた。今朝の幕営地点の鞍部もよく見えた。
  • やや夏道の露出した見越山の下りを通過し、奈良岳との鞍部に着いた。先行の単独行者が幕営した跡があった。ここからは先行者の足跡は今朝の早い時間帯のものとなったためにはっきりしなくなった。次の奈良岳は広い山頂だった。西の奥三方山方面からの昨日のものと思われる単独行者のはっきりした足跡がり、大笠山方面へ向かっていた。奈良岳からの下りは広い斜面だった。南向きで雪がゆるんでいて、ところどころザラメ状になっていた。足下が滑ったので、あわててピッケルで停止させた。こんなところで滑落停止の練習をするとは思わなかった。ゆるい斜面を下り終わり、稜線を進んでいくと、やがて雪庇が多くなった。崩れかけの雪庇も多かった。ところによっては念のために前後の間隔をあけて一人ずつ通らなければならなかった。約1660mの小ピークの登りにかかるところで奈良岳から続いていた単独行者の足跡は引き返していた。目の前の小ピークを巻くか直登するか少し迷ったが、巻くのは危険と判断し直登した。登っている途中で昨日からの単独行者のかすかな足跡を見つけほっとした。小ピークの上からは行く手の稜線がよく見えた。崩れそうな雪庇がたくさん見えた。なるべく雪庇から離れて歩かなければならないと思った。
  • 雪庇を注意深く通り、やがて大笠山の最後の登りにかかるところまで来た。行く手は雪が段になって崩れているように見えた。こんなところを登れるのかと思うほどだった。しかし近付くと段に見えたところは雪が融けてザラメ状になり黒っぽくなっていただけだった。キックステップを使って何とか登ることができた。やがて勾配がゆるくなると大笠山の広い山頂部の一角に着いた。単独行者が歩いていた。笈ヶ岳を往復し、大笠山の東尾根を下山するとのことだった。山頂標識のところにベンチがあり荷物を置いて休憩した。行く手に笈ヶ岳と白山が見えた。天気はやや下り坂で、曇が広がってきた。
  • 大笠山からはしっかりしたトレースがあった。針葉樹の間のトレースはちょうど冬の北八ヶ岳のような感じがした。やがて笈ヶ岳に日帰りすると言う単独行とすれ違った。こんな山に日帰りするとは、かなりの健脚者と思った。鞍部にはザックが二つ置いてあった。笈ヶ岳を往復してこのあたりに幕営するつもりの登山者のものらしかった。薄く雪をかぶった笹ヤブのトレースを歩いていくとやがて登りになった。笈ヶ岳までには宝剣岳、錫杖岳の二つの小ピークが有った。宝剣岳までは1時間に300メートルのペースで登った。かなりきつい登りに感じた。宝剣岳に着いたときは、全員が長い一日の歩行で疲れ切った表情だった。錫杖岳の方から二人組パーティが下りて来るのが見えた。全員なかなか立ち上がる元気が無く、ようやく二人組が間近に近づいたところで立ち上がった。
  • 次の錫杖岳は、やや広い雪におおわれたピークだった。小休止の後、笈ヶ岳に向かって最後の登りにかかった。途中、二人組パーティとすれ違った。最後の一登りを終えると笈ヶ岳の山頂に着いた。山頂には誰もいなかった。うっすらと雪におおわれ、ところどころ笹が出ていた。白山が大きく見えた。三方崩山や猿ヶ馬場山が見えた。振り返ると大笠山や、遠くに大門山が見えた。全員で握手して登頂を祝福した。携帯電話が通じるか試したが、さすがに通じなかった。
  • 笈ヶ岳から下り始めるとすぐに大部分のトレースは冬瓜山方面へ向かっていた。三方岩方面へはほとんど人がいっていない雰囲気だった。冬瓜山へのトレースが分かれてすぐのところが平坦で幕営には最適だった。仙人窟岳まで行く案もあったが、疲れもあり、この日はここで幕営することにした。西風が少し吹いていた。ラジオの天気予報で明日の明け方は雨が降るが日中は天気が良くなることを確認した。
  • 翌朝のテント内の温度は5度だった。雪は柔らかだった。雨が降ったりやんだりしていた。西風のあたる面だけテントの布地とフライシートがくっついて濡れていた。雨の影響でテントをたたむのに時間がかかり、予定よりやや遅れて出発した。ガスで視界はあまり良くなかった。アイゼンを付けたが雪が靴の下に団子になってくっつくので、時々たたき落とさなければならなかった。すぐに岩峰に着いた。右側を巻いた。右側が急に落ちているので少し緊張した。雪が柔らかで3cmから5cmくらい靴がもぐった。仙人窟岳との鞍部への最後の下りで雪庇が崩れていて通行に苦労した。先行者の足跡は雪庇の先端まで続いていたが雪がゆるんでいてとてもそこまで行けそうになかった。後から来ていた小里さんが途中の割れ目から雪庇の下に下りられることを確認した。10m位バックしてそこから下に下る事にした。割れ目のところはとても狭く、ザックの横に付けたマットが引っかかった。何とか通り抜けたが、あわてたせいかレインウェアをアイゼンで引っかけて5cm位破いてしまった。雪庇の下は左下が急に切れ落ちていた。ピッケルでしっかり確保しながら慎重にトラバースし、再び雪庇の上に出てほっとした。鞍部からは雪庇の崩れを避けるように右に左にルートを取りながら仙人窟岳の北端の少し平坦になるところまで登った。ザックを下ろし、振り返ってみると、先程通ってきた雪庇の崩れが見下ろせた。良くもあんなところを通って来たものと思った。「昨日は仙人窟岳まで来ないで良かった」と小里さんが言った。笈ヶ岳を過ぎてからこんなに苦労するとは誰も思っていなかった。しばらく進んでいくと、傾斜がゆるくなり仙人窟岳に着いた。ガスの中で展望は無かった。
  • 仙人窟岳からの下りは、雪庇が崩れているところが多く、稜線のヤブを何回か歩いた。途中でアイゼンがじゃまになりはずした。雨もやんできたのでレインウェア、ザックカバーも取った。国見山への登りは再び雪庇の崩れを避けて右へ左へルートを選びながらの登りだった。先行者の足跡をたどって急な登りをキックステップで登っていった。やがて大きく雪庇が崩れていて段差ができ、通行不可能になっているところに近づいた。先行者もどう通るかルートを探したらしく左右に蛇行して登っていた。雪庇の段のところで、結局、先行者は右へトラバースして一番右端の稜線沿いの急坂を登っていた。稜線に出るところがスノーブリッジになっていた。先行者はスノーブリッジの上を通っていたが、今朝の気温では崩れる可能性があった。先行者が通ったところより更に10mくらい下に下りたところから稜線にでた。稜線は非常に急で45度の傾斜が有るのではと思うようなところだった。キックステップを慎重に切り、ピッケルのピックの部分まで使ってしっかり確保しながら登った。先行者が渡ったスノーブリッジまで来て少しほっとしたが更に急なところが続いていた。延々とキックステップを切りながら慎重に登った。こんなところ二度と来るものかと思いながらの登りだった。いったいいつまで続くのかと思っていたら急に勾配がゆるくなり国見山の一角に来た。ようやく難所を通り抜けほっとした。笈ヶ岳は簡単には登らしてくれない山とあらためて思った。
  • 国見山で今までの疲れが出てゆっくりと休んだ。ここまで予定よりだいぶ時間がかかり、今日中には東京まで帰れそうにないことが分かった。大休止の後、国見山の広い雪原をゆっくりと歩き出した。広々としてプロムナードのようだった。ようやく日が差してきて白い雪がまぶしくなった。振り返ると笈ヶ岳はまだ雲の中だった。ふくべ山から下ったところはちょうど白山スーパー林道のトンネルの上だった。トンネル付近はまだ除雪していなかったので、そのまま三方岩展望台に登ることにした。相変わらず崩れそうな雪庇が多かったが、それでも今までよりはるかにましだった。三方岩展望台は地面が露出していた。久しぶりに固い地面の上を歩き、こんなに歩きやすいものかと思った。
  • 三方岩岳直下は傾斜約40度の斜面のトラバースになっていた。4年前に通ったときは雪がしっかり固まっていたので何の不安もなかったが今回は気温が上がり、雪が崩れだすのではと気がかりだった。岡田さんが「本当にここしかないのか」と言った。一人ずつ間をあけて通った。渡り終わったときは本当にほっとした。後は今までの慎重な歩みを吹き飛ばすように、ゆるい下り斜面を軽快にとばした。いったん登り返した1590mのピークからは、ようやく雲から顔を出した笈ヶ岳と大笠山が見えた。三方岩岳の岩壁も間近に見えた。日差が強くまぶしいくらいだった。軽快に雪の斜面を下り続け、やがて樹林帯に入った。最後の急坂を下ると白山スーパー林道のヘアピンカーブのところに出た。長い山行もようやく終わりが近づいた。あとはスーパー林道をゆっくり下るだけだった。林道の左右はまだ雪がたくさんあり、春はまだ遠い感じがした。途中でカモシカが林の中にいるのが見え、まだまだ山の中だとあらためて感じた。馬狩ゲートで小里さんの車に乗り西赤尾に岡田さんの車を回収に戻った。ずいぶんと時間がかかり、あらためてたくさん歩いたものだと思った。
  • その晩は疲れ果てて西赤尾の民宿に宿泊した。近くの道の駅で食べた岩魚定食とビールがうまかった。