ガンを克服して三百名山に挑戦!! 「今」を生きる人!!

48才で直腸ガンの手術、それから4年で百名山(90年9月)、そして2000年1月1日金剛山で三百名山達成。

根橋さんと言えば早足。実は、人工肛門のため洗腸という作業を行っている。これでほぼ48時間程度排便が止まる。次の時間がくるまでに、自宅やホテルなどで洗腸を行わなくてはならない。そのため速く歩かざるを得ないという事情があるのだ。普通の人の山中2泊を1泊で、1泊を日帰りで、少々の雨でもう一泊するなんて許されない。いきおい登山は単独行中心になる。

けれど時には夫婦で登ることもある。病気を支えてくれた家族への心遣いを忘れない。仙丈ヶ岳の花畑を一緒に登った時の写真を見せてくれた。

毎日のように約5kmのランニング。自宅は奈良の王寺の近くだが、法隆寺まで走ることもあると言う。みなさん法隆寺でランニングをしている人を見かけたら、根橋さんかもしれませんよ!!

もともとランニングが大好き。42才の時、長野に転勤になり時間に余裕ができたのがきっかけ。病気になるまでにフルマラソンを4回完走している。
転機が訪れたのは、1986年1月48才の時。突然、直腸ガンにおそわれた。1年半後の夏、回復したら山登りをしようとの家族との約束を穂高岳ではたし自信がついた。そのとき出会ったのが浩宮様が百名山を目指しているとの新聞記事。50山で終わるかもしれないが自分もやってみようとまずは大菩薩嶺に登った。
それからは死の恐怖と隣合せてガンと闘うように登り続けた。暴風並みの雨の中、北アルプス裏銀座コースを七倉山荘から水晶小屋まで1日で歩き、小屋の従業員に目を丸くされたこともあったそうだ。「あのころは無謀でしたね」と笑いながら語ってくれた。

山行紀行は平均1500字前後にまとめ、写真や地図、所要時間等のデータを合せて製本し、整理している。3cm位の厚さでもう49冊になった。

思い出の山は百名山達成の飯豊山。始めたときは達成できるとは思っていなかったので感慨深かったそうだ。
一番のお気に入りの山は、高妻山の西にあって手垢のつかない堂津岳。残雪期に登り好転に恵まれ白馬岳や戸隠がすばらしかったそうだ。

「ガンになるまでの48年よりも、それ以後の十数年の方が何倍も充実している」と語る根橋さん。
三百名山達成後は気持ちをいったん白紙にして、じわじわと気持ちの中に何かがわき出してきたらまた始めたらいいと思っているとの事。それからホームページを作って自分の体験をみなさんに紹介したいとの事。
みなさん期待しましょう。

(写真は市房山にて。1998.11.26撮影)