• グリンデルワルトには昼過ぎに着いた。曇っていてアイガー北壁の上部は見えなかった。観光案内所の近くにホテル一覧を表したパネルが有った。このパネルからだと、ボタン一つで無料でホテルに電話をかけられるのでありがたかった。適当なホテルを選んで電話をした。1軒目も2軒目も同じ90スイスフラン(約6300円)だった。面倒なので2軒目の方に決めた。ホテルに荷物を置き、山岳ガイド組合に向かった。町をあちこちと歩き回ったがガイド組合の場所が分からなかった。結局、観光案内所で場所を教えてもらった。ガイド組合は、あいにく昼休みで閉まっていた。ホテルにいったん戻り、2時過ぎ出直した。ガイド組合の受付には30歳位の女性の事務員がいた。メンヒかユングフラウを登りたいと告げると、ゆっくりした早さの英語で値段と日程を説明してくれた。メンヒは日帰り、ユングフラウは前日に山小屋泊との事だった。値段が500スイスフラン(約35000円)と安いメンヒに行くことにした。2日後に行きたいことを告げると、多分大丈夫だろうとの事だった。クランポン(アイゼン)とアイスピック(ピッケル)は持っているか聞かれた。ハーネスも含めて持っていると答えた。持っていなかったら貸してくれたのだろうか。受付係は「ガイドに確認する」と電話をしていたが、あいにく通じなかった。確認がとれたら、ホテルに電話を入れてもらうことにした。ガイドとの待ち合わせ場所を教えてもらい、料金をトラベラーズチェックで支払った。
  • 2日後、朝一番の登山電車でグリンデルワルトを出発した。この登山電車は案内放送をドイツ語、英語から始まり、最後は日本語、韓国語でもやっていたので驚いた。途中、アイガーのトンネルの中で2回ほど休み時間があった。みんな下車してトンネルの窓から外を見ていたが、どうせ風景は後からたっぷり見ることができると、興味のない私はそのまま座席に座っていた。終点ユングフラウヨッホのコーヒーショップ前にガイドのブルニ・ハンス氏がいた。年の頃は30歳、私より背が高いがヨーロッパ人としては普通くらいだった。簡単な自己紹介の後、「コーヒーを飲んでから行くか?」と聞かれたが断り、トイレに行っただけで出発する事にした。
  • ユングフラウヨッホ駅のトンネルを抜けると、雪でまぶしい屋外に出た。尾根の取り付きまではゆるい坂道だった。最初は、やや速い速度で歩いた。ガイドは早く歩くと聞いていただけに、なるほどと思った。歩きながら、今回の休みではモンテローザなどに登ったことや、友人が先に帰り、一人になったのでメンヒはガイドを雇うことにしたことなどを話した。ハンス氏は、これで3日連続でメンヒに登るとの事だった。1時間に高度差400m位登るスピードで、やや汗をかいたころに尾根の取り付きに着いた。「ここまでは速く歩いた方が混まないうちに登れる」との事だった。ここでクランポンを付けるのかと思ったらまだとのことだった。慣れた手つきでロープを私のハーネスに取り付けてくれた。余ったロープはハンス氏が肩に掛けていた。
  • 雪面を少し登った後、岩場の登りになった。ハンス氏の一歩半後を歩いた。若干早いかと思ったが高度計では1時間に標高差300mのスピードだった。岩場が終わったところでクランポンを付けた。ヨーロッパの人はワンタッチ式を使っていることが多いが、私はひも式なので付けるのに時間がかかった。もたもたしているのを見られたせいかハンス氏に「それは自分のか」聞かれてしまった。雪面をしばらく登ると、再び岩場に着いた。ここはクランポンを付けたまま登った。手がかりが多い岩場で三点確保で登った。途中で休むか聞かれたが休まなくて良いと回答した。カメラが前日に壊れたので写真も撮らなくて良いと話した。何で壊れたのか聞かれたが、「分からない。突然壊れた。」と話した。本当は、壊れる兆候(ズームの調子が悪くなる)が有ったのだが、英語で説明するのも面倒なので、突然壊れたことにした。途中で風が出てきたのでジャケットを着た。ハンス氏が行動食のパンを食べ始め「何か食べた方が良い」と言ったので、用意してきたパンを食べた。岩場を登り終え、雪面を少し登ると、頂上に至る稜線に出た。稜線は狭くて、すれ違うときに多少の恐怖感があった。女性の単独行が下りてきてハンス氏と顔見知りのように話していた。どういう人か聞いたら、「スイスの女性ガイドでエベレストに登った人だ」と教えてくれた。名前も教えてくれたが覚えられなかった。なにげなくすれ違う人が、このようにすごい人なところがさすがスイスだと思った。
  • 山頂は先客が5人ほどいた。狭い場所で風も少しあったので15mほど戻って風当たりの少ないところで休んだ。ハンス氏に山の名前を教えてもらい、持参の地形図で確認して行った。北側の登りに通った氷河盆地側は、何となく井戸をのぞくような感じがした。三角形のアレッチホルンが目立っていた。一通り、これは何々ホルンという具合に教えてもらい、最後に裏側の方を指さして、「これがアイガー」と教えてもらった。ここから見るとアイガーはずいぶん低い山だと思った。
  • 短い時間ながら展望を楽しんだ後、下りにかかった。下りは私の方が先になった。細い稜線のすれ違いは、上り優先のため、今度はこちら側がよける番になった。気分的には斜面の山側、と言うよりは雪庇側によけたいが、ハンス氏指示で「谷側によけよ」とのこと。いくらロープで確保してくれているとは言え、この細い稜線で谷側によけるのは緊張した。1組目はうまくいったが、2組目とすれ違ったときに腰が引けたのか、足元がゆるんだ雪で少し滑ってしまい、ハンス氏に一瞬ロープを引っ張ってもらった。稜線が終わると、やや急な雪面に出た。鉄の棒が立っていて、ロープを一回巻き付けてから下っていくように指示された。なるほどこうするとロープの摩擦で安定して確保できると思った。岩場の上に来ると下から登ってくる人がいた。「確保しているので横を垂直に下っても良い」と言われたので「試してみたい」と答えた。ハンス氏は鉄の棒にロープを今度は2回転させた後、下りるように言った。ロッククライミングで下るときの要領で垂直の岩場を下った。これはなかなか面白い。5m位だったが、調子に乗って下っていたら体が少し振られてしまった。
  • 再び雪面を下り、下の岩場の上部に着たところでクランポンを外した。岩場には、日本のようなペンキ印は全くなかった。ハンス氏にどっちに行ったらいいのか聞きながら下った。途中でハンス氏の携帯に電話が入った。何の電話だったか聞いてみると翌週にモンテローザをガイドすることが決まったとの事だった。グリンデルワルトのガイドもしばしばヴァリス地方まで行くそうだ。明日はどこに行くのか聞いたら、岩場で子供たちを教えるとの事だった。ところどころで三点確保しながら岩場を順調に通過した。ハンス氏に「一緒に行けばマッターホルンも楽勝だ」などと言われて大いに気分を良くした。最後の雪面では「ここではロープは長い方が良い」と長さを7-8mまで伸ばして下った。尾根取り付きまで下ったところでロープをハーネスから外した。ずいぶん長いロープなので聞いてみたら太さ11mmで長さ50mロープとの事だった。「この山では30mあれば十分だが、切りたくないのでこれを使っている。」との事だった。ハンス氏から「メンヒスヨッホ小屋まで行っても良いよ」と少し上にある小屋を指さしながら言われたが、翌日には日本への飛行機に乗らなければならず、あまり遅くなりたくなかったので断った。
  • 雪の道を登山電車の駅に向かって下りながら、ハンス氏と「モンテローザの時は友人と二人でガイド無しで登って苦労した」事などを話した。「ガイド付きなら楽に登れるよ」と言われた。確かに岩にマークなどほとんど無いスイスの山ではルートを見つけるのでさえガイドの力が必要だと思った。更に「ガイドがいないと危険なことすらある。実際、昨日そこのユングフラウで氷が落ちてきて一人死んだんだ」とおどかされた。のどが渇いて来たので「ユングフラウヨッホ駅でビールを飲もう」と提案した。ハンス氏は笑顔で「良い考えだ」と言った。登山の先生にお礼をする意味もあり、「私が払うよ」と提案したら喜んでくれた。ハンス氏は「スイスではビールと一緒にサイダーを入れたパナヘをよく飲むんだ」と言ったので、「ではそれを飲もう」と提案した。スペルを聞いたら PANACHE との事だった。ユングフラウヨッホの売店でビールとスプライトを注文して混ぜ、パナヘを作って乾杯した。疲れた体に甘みが心地よかった。(もっとも日本に帰ってからは、いまだに再度パナヘを飲みたいとの気分にはなっていないが・・・。)売店付近には観光客が大勢いたが、高度障害のせいか、腰を下ろして元気のない人が多かった。
  • ユングフラウヨッホからの下りの登山電車は混雑していた。グリンデルワルトに向かって牧草地を下っているときに、「アイガーがよく見える」とハンス氏が言った。「アイガー北壁を登ったことがあるか」と聞いたところ「ある」との事だった。いつ頃がシーズンか聞くと「8月下旬から9月にかけてで、今はまだ雪が落ちてくるので登れない」とのことだった。ハンス氏は終点の一つ手前のグリンデルワルト・グルントで「車が置いてあるので下りる」とのことだった。一日のガイドに感謝し、握手して別れた。