高校山岳部を率いて50年余り、喜びを与え続けている人!!
高校の英語教師のかたわら、山岳部の顧問として生徒を引き連れ、山形周辺の山を登り続け、山形県の山を隅々まで踏破した。
加藤先生と言えば、堅実、安全な山登り。常に先頭を歩きながらも最後尾の様子まで気をつける。常に一定のペースで乱れることもない。退職後もかつての教え子たちと一緒に山形の山を登り続けている。
山登りのきっかけは昭和28年に赴任した新庄北高校でのこと。
「学生時代、何か運動をしていましたか?」との質問に「いえ、何も。ただ、時々山に行っていました」
と返事したところ、たまたまそれまでの山岳部顧問が転勤でいなくなっていたため
山岳部の顧問にされたことがきっかけ。
お気に入りの山は蔵王、飯豊連峰、朝日連峰。何十回も登っている。
生徒を連れての合宿登山を何度も実施。実際、つらいことも有ったのだが、
自分ではバテては行けないと頑張ったことも多い。
一番の思い出は飯豊合宿で嵐になったこと。下りで女生徒が捻挫し、
飯豊鉱泉まで6時間の道のりを二人の顧問が交互に背負って下山した。
この女生徒も今は60歳。いまだに元気に登り続け、先日は剱岳に登ったとの知らせをくれたそうだ。
もう一つの思い出は、蔵王で昭和56年に遭難したイギリス航空の東京支社長クラーク氏の
顕彰碑を上の山市で建てようとしたとき「君は山岳部顧問なのだから英文に訳してくれ」と
碑に記載する英文を頼まれたこと。今でもエコーライン刈田駐車場の300m手前に建っているとの事。
トレーニングは朝のストレッチとダンベル体操。それに週に1-2回、近くの千歳山への登山。
真冬でも登っている。千歳山に登れば加藤先生に会えるかも知れませんね!!
目標は、歩けるうち、近くの山でも良いから若い人たちと一緒に歩きたいとの事。
朝出て日帰りできる山形周辺の山を歩き続けたいそうだ。
数々の思い出のある加藤先生も、最後は「生徒は最後は顧問を頼る。
事故も無く来れた事が一番良かった」としみじみ語ってくれた。
(写真は雁戸山手前のカケス峰下で。右端が加藤先生。 2000年3月撮影)