山陰→山陽ジグザグ紀行

(一九九三年)
 大仕事がやっと一段落したので、休暇を2日とって木次線などに乗りに出かけた。出かける前に子供たちに「遠くへ出かけてくるよ」といったら、下の4歳の子が「そうか、旅に行くんだね」という。おや、しゃれたことばを知っているな、と思って「旅ってなあに」ときいたら、「海の方へ行くことでしょ」。確かに海のそばを通るが、主目的は海と海の間である。
 1.出雲3号
 一一月二八日(日)夜九時二〇分、寝台特急出雲3号で東京を出発。個室に乗るのは初めてである(B寝台のシングル)。 寝台券は三、四日前に難なく取れた。実は一四年前にも同じ出雲3号に乗ったことがあるのだが、当時はもっとずっと混んでいた。

 部屋に入ってみるといすが2人分あり、上がベッドになっている。いすもベッドになるので2人用にもできるらしい。下はいすのままで上に寝ればよいのかと思ったら、検札にきた車掌さんは「下に寝てください」という。

 いすの間にかなり大きなテーブルが出せるようになっていて、さっそくビールと弁当を広げて遅い夕食をとる。個室は、オーディオサービスもあるし、カードキーをかければ荷物を置いたまま部屋を出ることもできる。遅くなって着替えやベッドの用意をしても大丈夫だし、翌日ちらっとのぞいたA寝台の個室ほどではないが、なかなか快適である。実際にはよく見ると設備がいたんだり薄汚れたりしている部分もあったけれど。

 いすをベッドにしてみると、ちょっとでこぼこがあるのが残念だったが、疲れてもいたし、熱海を過ぎてまもなく眠ってしまった。

 一度目をさましたのは四時すぎで、列車は山陰本線に入っていた。動きの早い雲の合間から月が見える。「月を旅路の友として」という風情に満足してまた眠る。

 翌朝は七時前から車内放送が入り、浜坂(七時一四分発)から車内販売が乗ってきた。個室は七時を過ぎてもベッドをたたまれる心配はないので、のんびりできる。ただ、左側だったので、山陰の海とか宍道湖は部屋からは見えない。大山にはすでに雪が少し積もっていた。

 夕食が遅かったが、さすがに腹が減ってきて、九時二四分着の米子でかにちらしを買って朝食とする。かにはたっぷりで、私の好みからは少し甘すぎるが、美味。これだから旅は太る。

 一〇時一七分、宍道(しんじ)で下車。

 

 2.木次線
 一〇時二八分発の木次(きすき)線出雲横田行きに乗る。2両つながっていたので意外な気がしたが、入ってみたら後ろの車両は締め切り扱いだった。ワンマンだが車掌さんが乗っていた。

 雲はあるものの晴れて、雪の季節の前のつかの間の青空が広がっていた。乗客は終始一〇人から二〇人のあいだで、まずまずの数か。加茂中で最初のタブレット交換があった。大きなスーパーが駅の脇にどーんと建っている木次では一一分停車して後ろの付録1両を切り離し、上りと交換。

 峠を越えて終点まで行くのは次の列車だから、どこかで降りて乗り換える必要がある。若干迷ったが、昼食時だし、駅そばで有名な亀嵩(かめだけ)で降りることにした。(なかなか漢字が出ないと思ったら、漢和辞典では「嵩」という字には「だけ」「たけ」という読みはないのだった。)

 降りるときにふと見ると、そば屋の若奥さんが持ち帰り用のそばの包みを車掌さんに渡していた。あとできいたら、電話予約もできるそうだ。おいしい割子そばとおでんで昼食。付近を少し散歩する。

 一三時〇二分亀嵩発。山がいっそう深くなって、三段スイッチバックの出雲坂根駅に到着。「駅のトイレなどご利用ください」という放送がある。ホームへ出てみると、有名な延命の水をポリタンクに入れている人がいた。車で来た人だろう。

 運転士が後ろへ移動し、逆向きに出発。木の間越しに下の線路を見ていると、まったく林の中の山道を歩いている気分だ。次いでまた運転士が移動して元の向きになってさらに登る。これでやっと、普通に旅客列車が走る本州のスイッチバックは全部制覇したことになる。

 登っていくと、 頭上に道路の雄大なループが見え、 車掌も愛称「おろちループ」として紹介していた。しかし、こうして道路が整備されてしまうと、線路の命運が気にかかるところだ。実際、沿線では「木次線の存続はまず利用から」といった看板が出ていた。

 

 3.芸備線・伯備線・姫新線
 一四時一一分備後落合着。わずか三分の接続で芸備線に乗る。あまりに接続がよくて、宮脇俊三氏がもっとも駅らしい駅と書いていたこの駅に降りることができない。山越えを繰り返しながら備後から備中に入る。意外と(失礼!)開けていた木次線の沿線に比べ、ひなびた山村風景が続く。

 備中神代(こうじろ)から伯備線に入って、終点は新見。さらに姫新線に乗り換えて一七時四五分津山に着いた。

 当初津山に泊まろうと思っていたが、出かける前にガイドブックを見ていたら、近くに湯郷(ゆのごう)温泉というのがあるという。津山から旅館リストを見て電話し、3軒めで予約できた。最寄り駅の林野まで姫新線にさらに二〇分余り乗る。もう六時半なのに高校生がたくさん乗っていた。

 湯郷温泉は美作三湯のひとつだそうで、さっぱりしたお湯だった。満月を見上げながら露天風呂につかった。

 
 

 4.津山・津山線・赤穂線
 翌日午前中は、まずまずの天気に恵まれ、城下町津山を歩いた。城跡の石垣はまことに雄大なもので、登るのにひと汗かいた。天守閣を再建しようという話もあるそうだが、この石垣だけで十分価値がある。

 城下町特有のかぎ型に曲がった道を歩き、公開している古い家(洋学の箕作(みつくり)家など)をいくつか見学した。

 一一時四八分、鳥取からやってきた急行砂丘3号に乗り、駅弁で昼食とした。山がしだいに遠のき、旭川と何度も交差する。田んぼの間に風格のある瓦屋根と白壁の家が点在している。

 1時間ちょっとで岡山着。このまま帰るのはちょっともの足りないので、まだ乗ったことのない赤穂線に乗ることにした。昨日から乗ってきた山の中のディーゼルと対照的に、明るい海辺を行く電車である。しかし、昼食のビールがきいて、だいぶ居眠りをしてしまった。

 終点相生からは素直に新幹線に乗る。最初はがらがらで、東海道・山陽にこんな列車もあるのかなと思っていたら、新大阪・京都でたちまちいっぱいになった。七時前、東京駅着。

 
 帰って家族にきいたら、4歳の子はやっぱり「旅」ということばの意味がわかっていなかったようで、「ねえ、お父さんにちょっとききたいことがあるんだけど」「でもお出かけで、どこにいるかわからないのよ」「だって旅に行ったんでしょ。旅に電話すればいいじゃない」。電話が来なかったのは幸いであった。