北海道 緑の旅

深名線・富良野線ほか

(一九九四年)
 
 一月に鉄道フォーラムの汽車旅会議室で「深名線に乗りたいが」という発言をしてからすぐ、夜行+一泊二日で深名線その他を訪れる乗り継ぎスケジュールを立てた。しかし、雪の季節にはとうとう実行できず、ならばいっそのこと、日が長く緑の美しい六月に、と思っているうちに、いつの間にか六月も下旬となった。

 二三日の朝のこと、急に思い立ってプッシュホン予約に挑戦してみたところ、二五日の北斗星五号のB寝台があっさりとれた。これでやっと出かける決心がついて、あわただしく帰りの飛行機の予約や、一筆書き乗車券の手配をした。窓口で念のため北斗星の個室をあたってみたが、これはさすがに無理だった。
 

(1)

 六月二五日(土)、一九時〇分、北斗星で上野を出発。 車内に持ちこんだのは、つまみになるおかずがなるべく多そうな幕の内弁当、ビール、羽田内閣総辞職を伝える夕刊である。食堂車の食事の予約は乗車3日前に締め切りなのでだめだった。

 食事を終えたころ、宇都宮から、大きなカメラ・バッグと三脚をかついだ人が隣にやってきた。聞けば旅や鉄道を撮るカメラマンで、真岡鉄道沿線に住み、比較的最近サラリーマンをやめて写真が本格的に仕事になったという。失礼ながらあまり若いとはいえない年のようだし、転身はたいへんなんだろうなと思う。

 寝台券はきょうの昼に手に入れたそうで、「個室もちょっとはじいてもらったんだけど、やっぱりだめでした」という。彼によるとみどりの窓口のマルスははじくものらしい。まあ、パチンコと似たようなものか。

 
 時刻表では予約の食事は七時半から九時となっているが、実際には遅れて、パブ・タイムの案内放送があったのは九時四〇分を過ぎていた。少しして行ったらほぼ満員の盛況。しかし十時半がオーダー・ストップだからあわただしい。ちゃんと九時ごろから始めれば客がだいたい2回転するのだろうにと思った。

 BGMはオーケストラ演奏によるオペラ名曲集。しかし、おばさん軍団の高らかな笑い声に消されがちだった。

 
 北海道は4回目である。最初は二十数年前の学生時代、弘前で用事が終わってから青函連絡船と急行(?)「ていね」で札幌へ行った。それだけで一二時間ぐらいはかかったように思う。札幌で北大に行った友人に会い、どこか湖を見たいといったら然別(しかりべつ)湖を教えられ、翌日帯広へ行ってバスでその然別湖へ往復した。帰り道では大平原に沈む夕日を眺めた。札幌までは混雑した夜行の鈍行で戻った。

 資料を見ると、当時は北海道の鉄道の全盛期で、しかもまだどこも電化されていなかったときである(小樽・滝川間が電化されたのはこの直後)。 しかし、私はそのころ鉄道自体にはそれほど大きな興味はなく、今思えば、惜しいことをしたものだ。

 
 (2)

 二六日(日)、起きる間際に変な夢を見た。 確かに北斗星に乗っているのだが、私だけ後ろにつないだ貨車みたいな小さい車両に寝かされているのである。目が覚めたら普通のベッドでほっとした。もう明るい。

 カーテンの外で話し声「もう北海道ですかね」「さあ、まだでしょう」「あ、蟹田って書いてありますね」「じゃあ青森だ」 青函トンネルの前にいくつもほかのトンネルがある。いよいよか、と思うとすぐ出てしまう。しかし、最後にやってきた「本命」は、入口からしてまるで格が違う存在で、迷いようがなかった。トンネルに入ったのは五時〇六分ごろ。竜飛海底駅を見届けてから再び寝た。

 
 函館を出てから起きだし、食堂車で朝食。BGMが昨夜と同じなのはちょっと芸がない。ちょうど列車は駒ヶ岳のふもとを回るところだったが、曇っていて山は見えない。

 昨日のカメラマン氏は函館で降りたようで、席に戻ると、向かいの上の段の人が降りてきていた。「曇りですね」と声をかけると「いやあ、こういう日は暑くなりますよ」 旭川の近くで農業をしているが、前は東京で勤めていたこともあるという。「みんななんで北海道にくるんですかね。ちっともいいと思わないんだけどね。まあ、自分のところと違うからいいのかな。わしは、北海道の家は瓦屋根がないんで、見ててどうも落ち着かないんだ。」などとぽつりぽつりと語った。

 
 噴火湾の岸にへばりついている部分が終わると、北海道らしい広い大地が広がる。北吉原の大昭和製紙の専用線には、黄色いかわいいディーゼルに引かれてトラという貨車がたくさん止まっていた。次いで社台では草を食むサラブレッドたち。

 千歳線に入るとときどき薄日がさすようになった。札幌が近づくとさすがに町の密度が飛躍的に高くなる。

 一〇時五〇分、定刻に札幌着。ホームから1両はみ出して停車した。

 
 深川行きの特急までに2時間ちょっと時間がある。ゆっくり昼食をとりたいので手近なところへというわけで、地下鉄に少し乗ってみることにした。

 さっぽろ駅から南北線に乗る。ホームに「次の電車は○○駅を出ました」というような表示装置がないのが意外だった。札幌の人は大陸的でのんびりしているから必要ないのかなと思ったが、後で乗った大通駅にはちゃんとあったから、そうでもないようだ。丸い貫通路が私にはちょっと目新しい。

 すすきので外へ出たら路面電車に出会った。そうか、地下鉄に気をとられていたけれど、市電があったのだった。それならこちらにすればよかったと思ったが、ぐずぐずしていたのでもう時間がない。

 札幌駅の近くまで戻って、昼食は小樽から来る魚をネタにしたすしを食べる。
 

 (3)

 一三時〇分、スーパーホワイトアロー一一号に乗る。白石まではさっき来た道、そのあとしばらくは住宅地が続く。北の大地を快走。このスピードだったら、冬はずいぶん迫力があるのだろうなと思う。最前部に行ってみたら、前のガラスには虫がたくさん激突していた。

 一四時〇一分、深川着。隣のホームで待っている深名線に乗り換える。
 

 一四時〇九分、深川発。いよいよ深名線の旅である。もちろん1両だが、中学生のグループも乗っていて、乗客は三〇人とかなりの数である。曇り空のもと、美しい田園地帯を北上する。石狩平野の一部ではあるが、大陸的な大平原ではなく、山が近い。円山を出て登りとなり、緑の山へ分け入る。サミットでトンネルに入る。

 平野部ではかなりのスピードで走る。上りとの交換も一か所しかなく、それもまったく時間のロスがないので、朱鞠内(しゅまりない)までの表定速度はほぼ時速四五キロある。下幌成(しもほろなり)では踏切の上に停車、列車も車も少ないからのんびりしたものである。古い駅名標のある鷹泊を出るとまた登りになる。左手下には木の間から雨竜川沿いの田畑が見下ろせる。これで教会の尖塔でもあれば、ヨーロッパの田園のような風景だ。幌加内(ほろかない)峠が近づくと深い林となり、熊笹が茂っていかにも熊が出そうな雰囲気になる。白樺もたくさんあるが、長野県などのと違って、太くたくましい。

 駅間距離一〇キロを走って沼牛着。ここで降りていった女性は、小さな駅舎の中の待合室に自転車をおいてあるのだった。幌加内では上り列車と交換。ここまでに乗客は減って4人になる。うち、鉄道ファンとおぼしき人が1名、それに中年男とその母親らしい二人連れ。上りの乗客は2人だった。

 
 一五時五五分、朱鞠内着。一時間半の待ち合わせとなる。

 駅近くには飲食店や郵便局などがあるが、日曜なので閉まっている。酒屋だけやっていた。ぶらぶら歩いている途中、小雨が降ってきた。しかし、空は明るい。名寄方向に少し歩いてみると、線路のまわりには、コロボックルが隠れていそうな大きなフキがたくさん生えていた。

 待合室には深名線の写真がいろいろ飾ってあった。夏は外を歩けるからいいが、冬だったらここで一時間半待つのはたいへんだろうなと思う。

 
 五時を過ぎると上りがやってきて、一〇分止まって先に発車していく。下りは一七時二二分発。出てすぐの右側に古い転車台があるのが見えた。乗客は例の鉄道ファン?氏と、幼児を連れたお父さんの4人だったが、湖畔駅からさっきの老母連れの男が乗ってきた。そうか、2キロ足らずだから、ここまで歩くという手もあったか。

 湖畔駅を過ぎるとまた登りとなり、さっきよりずっと大きなフキが生い茂っている。登りが一段落すると、右手に朱鞠内湖がところどころ見える。深い緑に沈み、幻想的な風景である。北母子(きたもしり)まで一駅で二五分、次の手塩弥生までが一八分と、駅間が広い。

 久しぶりに稲の緑が広がり、天塩川を渡ると、終点名寄には一八時一八分着。
 

 外へ出ると、ようやく夕闇が訪れ、雨がさっきより強くなっていた。駅へ戻ってとりあえずソバを食べる。

 一八時五三分発の急行「礼文」に乗る。席はだいたいいっぱいだった。さすがに日はとっぷりと暮れた。少しうとうとしているうちに、一九時五七分、旭川に着き、ますます強くなった雨の中をホテルに急ぐ。夕食はかにのコースに満足した。
 

 (4)

 二七日(月)、曇ってはいるが、雨は上がった。 旭川はかなり肌寒い。しかし、高校生は元気に半袖で歩いている。

 富良野線は、線路が撤去された広いヤードの反対側のホームに発着する。3両でやってきた普通列車は、1両切り離し、ワンマン運転で七時四二分に折り返す。たくさん乗っていた高校生は、西御料で大部分が下車した。ワンマンなので降りるのに時間がかかったが、時刻表を見ると他の列車より二分余分に時間がとってあって、定刻の発車である。西神楽で上りと交換、このあたり「西」のつく駅が四つ続く。

 美瑛からかなりの登りとなり、一山越えて美馬牛、今日も緑の中を走る。富良野盆地に入っていく。有名なラベンダーが咲く季節はまだで、畑の斜面を眺めて花を想像した。

 
 八時五五分、富良野に到着。ここでまた1両切り離し、残った1両が根室本線の快速「狩勝」に併結となるので、アコモの悪い方のキハ四〇にやむをえず移る。その代りかどうか、暖房のスイッチが入った。「転線しますので、ドア閉めます」と声がかかって、動き出す。旭川方へかなり移動して待機していると、九時〇六分ごろ滝川方より快速「狩勝」がやってきた。おもむろにその後ろにドッキングし、九時一六分発車。

 山部で交換、その後金山を出てトンネルを抜けると金山湖を渡る。落合では交換のため一〇分停車した。エンジン音だけが静かな山の中に響く。跨線橋の上から交換の列車の写真を撮って、急いで列車に駆け戻った。

 進行左手の旧線跡を眺め、いくつか短いトンネルを過ぎると、いよいよ新狩勝トンネルである。石勝線とのトンネル内での合流を見ようと目をこらしたが、いつのまにか複線となり、次いで合流してもとの単線になるという感じだった。トンネルを出ると一面の霧で、旧線ほどではないにしても鉄道名所として有名な狩勝峠の雄大な景色は見られなかった。ポイント部分をシェルターで覆われた信号所をいくつも過ぎ、落合から二六分かかって新得に一〇時四九分着。

 
 新得はしゃれた駅舎で、駅前もきれいに整備されていた。「北海道の重心」という標示があった。しばらく散歩し、佐幌川を眺めたあと、駅に戻り、おみやげを買う。

 時刻表では新得には駅弁はないことになっていたが、売店では帯広の駅弁を売っていたので、豚どんというのを買って、一一時五三分の「おおぞら」四号に乗る。落合信号所までは元の道を引き返す。こんどは霧が少し晴れて、雄大さの一端はおがむことができた。

 昼を過ぎたので、豚どんの発熱剤を作動させたところ、モーレツな湯気が立ち上り、二重底になった弁当箱の横に穴まであいてしまった。湯気がおさまってふたを開けると、こんどは焼き肉のにおいが立ちこめる。すいているからいいが、隣に座る人がいたらいい迷惑だろう。

 列車は山の緑の中をひた走る。たくさんのトンネルと信号所を過ぎ、新夕張で夕張支線と合流、少しカーブした美しい鉄橋で夕張川を渡る。ここまで来ると、再び平原で、東追分では広大な牧場が広がっていた。追分を過ぎるとかなり長いこと室蘭本線と平行し、やがて右へ乗り越す。
 

 一三時二七分、南千歳着。かつて空港との間を結んでいた歩廊がさびしく延びている。一三時三六分の快速エアポートに乗ると、すぐ地下にもぐって北海道の大地ともお別れとなる。四分で新千歳空港着。一四時〇分の飛行機に間に合いそうな時間に空港のカウンター前に着いた。
 

 帰りついた東京はこの日三〇度、千歳より一五度高く、この夏一番の暑さだった。