越後・信州スイッチバック紀行

(一九九二年)


 東日本のスイッチバック駅も、奥羽本線板谷峠越えの4駅がなくなって横綱大関不在のおもむきとなった。それ前からずいぶん「改良」が進んでいたので、いまJR東日本に残っているのは、信号所を別にすると、3箇所らしい(中山宿、二本木、姨捨)。

 このうち、信越本線二本木にはまだ行ったことがなかったので、東京から日帰りで訪れようと思い立った。当初、長野側から二本木経由で直江津に出、まだ一部乗ったことのない大糸線回りで戻ってくるルートを考えていたが、ハートランド・フリー切符が発売になったのでこれを利用してJR東日本の範囲内で動くこととし、姨捨を再訪する計画にした。ただし、かろうじて発売額分に達する程度しか乗れないだろう。
 

 1.上越新幹線
 九月二六日(土)、 もうすぐ6歳になる娘をお供にして(というか、間もなく運賃がかかるようになるので今のうちにと、無理につきあわせて)、朝食を食べる時間もなく家を出た。 朝食用に東京駅の南通路でサンドイッチを一つ買ったが、ホームでもっとおいしそうなのを売っていたのでそれも買う。(これが後で役に立つことになる。)

 東京駅八時半すぎ発の上越新幹線に乗る。混んでいたらその次のを待つつもりでいたが、結局は自由席は6割そこそこの乗車率で発車した(指定席は満席というアナウンスがあった)。 隣には「やまびこ」+「つばさ」が入ってきたところだった。さっそく朝食にする。上野ではほとんど乗車はなく、大宮で9割ぐらい席が埋まった。しかしまだ空席があるので、無賃の客もそのまま座らせてもらう。ハートランド・フリーで目一杯乗ろうという人たちはもっと早い時間に、それも効率よく遠くへ行かれる東北新幹線に乗ったのかな、と思う。

 上越新幹線は、高崎を過ぎて少しするとトンネルとシェルターばかりになり、まったくおもしろくない。山陽の方がまだましだ。
 

 2.直江津まで
 長岡では信越本線の普通電車直江津行きが待っていた。わずか2両の編成。乗ったとたんに車掌さんは「この電車にはトイレはありません」と冷たいことを言う。あわてて娘をだきかかえるようにして隣のホームのトイレへ走る。

 ちょうど座席が埋まるくらいの絶妙の乗車率で発車した。沿線は稲の刈入れの季節で、いろいろな段階の田んぼがまだら模様になっている。塚山・長鳥のあたりはかなり山の中という雰囲気だったが、柏崎へ向かって下っていき、鯨波を過ぎると、深い緑がかった灰色の日本海が見えてきた。高い波が豪快に白く砕け散る。冬のきびしさが思われる。米山だったかと思うが、旧線のトンネル口が見えた。れんが造りの風格ある無用の長物だ。

 直江津に着いてすぐに次の長野行きに座席を確保し、弁当を買いにいく。ところが売店には何もなく、おばさんが「今持ってきますから」といって立ち売りのおじさんのところから分けてもらってきたのは2種類だけで、どちらもちょっと食指が動かない。ほかのホームを捜してみようと階段を昇り降りしたが、まったく何もなく、元のホームに戻ったら2種類のうち1種類は売れてしまい、残るはかにずしだけ。しかたなく1個買って、あとは朝のサンドイッチの残りとビールでカロリーを補うことにした。
 

 3.二本木
 席に戻ったら、後からきた「雷鳥」からの客が乗ってきていて、立つ人が1両に二〇人ぐらいいる混雑となった。一二時〇一分発。さっそく昼食とする。のんびりビールを飲んでいるあいだに、かにずしのかには七割、ご飯は半分娘に食べられてしまった。途中、土曜日なので高校生でいっぱいになった。高田あたりには大学もあるようで、大学生も多い。

 二本木の駅が近づくが、いっこうに山の中という感じがしない。奥羽本線の板谷峠のように山が両側から迫ってきているところを最初は想像していたのだが、けっこう田畑が広々していて山はいっこうに迫ってこない。それでは肥薩線の大畑のように前が開けた斜面かというと、そんな様子もない。ただ、線路は確かに勾配をまっすぐ昇っているようだ。やがて、左へ分れる折返し線に入って停車、すぐ逆行して本線を横断し、二本木のホームに到着した。ここで特急を待避する。

 今までスイッチバック駅はいくつか訪れたが、いずれも駅以外はほとんど何もなく、停車するとしんと静まりかえっていた。ところがここは駅としてはどこよりも大きく、近くに人家もたくさんあるようだ。おまけに今日は高校生がいっぱいで大にぎわい、立ち歩くこともできず、駅の本屋を見下ろしながらじっと座って発車を待った。

 隣の関山もかつてはスイッチバック駅だったところだが、今は勾配の途中に止まり、何事もなかったかのように発車する。やがて高校生が次第に降りてすいたので、娘は横になって昼寝をする。妙高高原を過ぎて長野県に入り、黒姫でサミットとなる。豊野のあたりからはりんごが赤く色づいていた。二時前、長野着。
 

 4.姨捨
 二〇分ほど時間があったので駅前まで出てみる。日ざしに夏の名残りがある。いつか飯山線に乗りにきたときは雪の降り始めだった。「オリンピックまであと一九××日」という表示が出ていた。オリンピックのための「開発」が進まないうちに、こんどは長野電鉄にでも乗りにきたいなと思う。

 二時一〇分、篠ノ井線の松本行が発車する。3両編成で、これも絶妙に座席がちょうど埋まった。長野市の某私立女子高の生徒が乗っている。その姉妹校が首都圏某所にあって、そこの生徒たちの姿は高校時代には毎日目にしていた。久しぶりに同じバッジを目にして、勝手になつかしくなった。

 やがて登りになり、左手に善光寺平が広がってゆく。宮脇俊三氏が「飛行機の離陸に似てている」と形容したところである。一時停止・逆行して、二時三七分ごろ姨捨着。山側の線路は貨物列車が止まっているので、幸いにも谷側の線路に入線した。おかげで雄大な風景をホームから満喫できる。さっきの某女子校の生徒のひとりは、車掌さんに停車時間を尋ねてから「電話をかけてすぐ戻ります」と言って外へ走っていった。

 この駅に来るのは2回目、前のときは冬枯れかそれに近い季節だったような気がする。今日は実りの秋、薄日がさして、千曲川がきらめく。ホームには「田ごとの月」の説明を書いた板が下がり、風景の解説の銅板があった。残念ながらダイヤがきわめてよくできていて、下りの交換列車はすぐにやってきて、足元の本線を通過していき、わずか3分で発車となった。こんどは緑の季節に、なるべく長時間止まる電車をさがすか、途中下車するかしようと思う。それとも夜、田ごとの月を見にくるか。
 

 5.がらがら特急
 松本に着き、周りの人につられて急いで階段を上がる。しかし、大部分の人は、二分で接続の「あずさ二四号」に乗るために急いでいるのだった。

 今日は土曜日だから、すぐ後に「あずさ八二号」がある。しかし、乗ろうとしたらあまりに人がいないので、一瞬、回送かと思った。後ろの車両にとび乗って前の方の自由席まで歩いていく間に発車になったが、途中の指定席4両の乗客はゼロ、自由席も1両につき1桁の人数だった。二分前と一四分後に定期の「あずさ」があるし、あまり速くないから無理もないのかもしれないが、今日は各線で絶妙の車両運用を見てきただけに、その落差の大きさに驚いた。

 すいているのはありがたいけれど、こんなにがらがらというのは、特に夕闇が訪れるとわびしいものだ。娘は駅に着くたびに、「あ、3人乗ってきたよ」などとうれしそうに報告する。検札にきた車掌さんは、それでも淡い期待をこめてか、「甲府あたりで混んできたら詰めてください」と言い残していった。途中、少しずつは乗ってきたが、甲府を過ぎても1両に二〇人ちょっと、八王子では降りる人がいてまた一〇人台になった。

 六時半、新宿着。待っていたのはやっぱり都会の喧噪、でも土曜日のせいか、秋の空気のせいか、いつもよりおだやかだった。駅の中で、途中で買う時間がなかった信州のおみやげを買った。

 
 乗車距離は山手線内を除いて七〇六・四キロ、通常の切符だったとすれば特急料金(自由席)との合計は一五四五〇円、わずかの「黒字」である。 もったいないから、明日は都区内でもこれを使うとしよう。