価値概念とブルジョア的諸関係の歴史性および統一性把握
──『哲学の貧困』におけるプル−ドン「総合価値」論批判を中心として──

拓殖大学政経学部  大石 高久


目次
A. はじめに 
B. プル−ドンの経済学批判と古典派価値論批判
C. 『哲学の貧困』における「総合価値」論批判:歴史性把握
D. 『哲学の貧困』における「総合価値」論批判:統一性把握
E.  おわりに


A. はじめに

「プル−ドンの最近の経済学的業績は、彼の『無償信用』とこれを実現すべき『人民銀行』との発見です。それらのプル−ドンの考え方がブルジョア経済の第一の要素即ち商品と貨幣との間の関係の完全な無知に基づくものであること、それらを実現しようとすることは遥か以前のしかも遥かによく工夫された諸計画の再生産に過ぎないことは、私(マルクス・・・・大石)の『経済学批判』ベルリン、1859年(59-64頁)で証明されている通りです。[1]」

 マルクスの『経済学批判』──以下、『批判』──の最大の実践的課題は、プル−ドン流の社会主義を批判することにあった。このことは次ぎの二点から明らかである。
1) 『批判』の書評を書く際には「プル−ドン主義が徹底的にやっつけられていること」[2]を「忘れないように」とマルクスがエンゲルスに確認していること。
2) ヴァイデマイヤー宛の手紙でも「この二章[3]で同時にプル−ドン流の、今フランスで流行している社会主義・・・・が根底から覆される」[4]と記していること。 
 プル−ドン流社会主義の特徴は「私的生産は存続させるが、しかし私的生産物の交換は組織化し、商品は欲するが、貨幣は欲しない」[5]点にあり、その理論的支柱が『経済的諸矛盾の体系』──以下、『体系』──における「総合価値」論である。従って、「この二章」でのプル−ドン主義批判は、理論的には彼らが「商品」の「貨幣」への、「交換価値」の「価格」への「転化」の必然性を把握しておらず、彼らの「平等」・「正義」は資本主義社会の表面(=単純流通)からの抽象でしかないことにあった。
 問題を「総合価値」批判に絞ると、マルクスの批判は次の二点にある。
1) 「自由競争」以外に労働を社会的に配分する規則が存在しないブルジョア的諸関係の下においては、個々の商品に投下された私的諸労働は価格変動を通じて「事後的」にの み社会的労働として評価されざるを得ないこと。
2) 従って、「価値」と「交換価値」とは、各々「労働の社会性」と「労働の社会的配分」のブルジョア的な形態に他ならないこと。
 こうした商品ないし「価値」把握によって始めて「貨幣」の必然性も説明可能となる。 即ち、貨幣の必然性は価値関係の「質」的考察によって解明され得るのであり、その要点は「労働の社会性」の特殊、歴史的な形態を把握する点にある。それは、「直接には個別化された独立の私的労働の生産物」である「商品」と「直接に社会的」な「貨幣」との「同一性」と「区別」の問題であり、「商品」に含まれている労働が社会的な労働になる特殊な様式の問題である。つまり、次の点を把握することが肝心なのであった。
「諸商品は、直接には個別化された独立の私的労働の生産物であって、これらの私的労 働は、私的交換の過程でその譲渡によって、一般的社会的労働であるという実を示さなければならない。即ち、商品を基礎とする労働は、個人的労働の全面的な外化(譲渡)によって始めて社会的労働になるのである。[6]」
 ここで重要なことは、マルクスの「商品」論ないし「価値」概念が商品と貨幣の内的連関の概念的把握を可能とするものであることである。それは、「貨幣形成」の必然性等とは無関係な、「貨幣」から抽象的に切り離された「商品」の「価値」規定でも、「商品価値」の単なる「量」的規定でもない。それは「商品」の「貨幣」への転化の必然性を説明・展開できるものとしての商品「価値」の「質」的・「量」的規定であり、即自の価値「概念」である。それは「貨幣論として成就すべき価値論」[7]であり、「歴史理論として創成する価値論」[8]なのである。
 こうしたマルクス価値概念の特徴は、実は彼が経済学の批判的研究を開始した当初から見られる[9]のであるが、『体系』を批判した『哲学の貧困』──以下、『貧困』──において明白になっている。事実、『批判』「序言」でマルクスは「我々の見解の決定的な諸論点は、1847年に刊行されたプル−ドンに反対した私の著書『哲学の貧困』の中で、単に論争の形式においてではあったが、始めて科学的に示された」[10]と記し、その至る所の注で「当時尚至る所の本屋にあった」[11]『貧困』の参照を求めている。 
 本稿の目的は、この『貧困』における「総合価値」論批判の分析を通じて上記マルクス「価値」概念の特徴を明らかにすることにある。
 ところで、『貧困』は「第一章 科学上の一発見」と「第二章 経済学の形而上学」の二章からなる。後者ではブルジョア的諸関係の「歴史性」と「統一性」を反映するものとして諸範疇を規定する方法が展開されている。前者ではプル−ドンの「総合価値」論が、従ってその「商品」把握が批判されている。従って、この二章を統一的に理解する立場をとるならば、マルクスの「総合価値」批判には「商品」の「歴史性」および「統一性」把握の二面が存在し、この両面から整理した方が論点が一層明確になる[12]。そこで、以下本稿は次のように展開される。即ち、マルクスの「総合価値」に対する批判を理解する基礎知識を得るために、先ずプル−ドンの古典派経済学と古典派価値論に対する批判の要点を明らかにする(B.)。次に、この基礎知識を前提して、「総合価値」に対するマルクスの批判を「商品」の「歴史性」把握の側面と(C.)、「有機的統一性」把握の側面(D.)の両面から解明する。


B. プル−ドンの経済学批判および古典派価値論批判

 1. プル−ドンの古典派経済学批判
 プル−ドンは当時の経済学──セーがその典型──を、単なる「実証科学」でしかないと批判する。経済学は不断に変動・対立している経済諸現象を是認し、それらをただ記述・実証するだけである。しかし、「正義」の秩序を発見し、論証することが必要なのだ、というのである[13]。彼の『体系』はこうした「正義」=「平等」を発見し実証する「経済科学」である。ここから、その演繹的で、当為的な性格が生じる。
 更に、彼は「労働」に特別の意義を認める。労働主体、労働手段や労働生産物等に転態した労働こそ、あらゆる経済学的諸範疇のもとであり、あらゆる経済的変化を通じて見出だされるものだからである。ここから、その「労働科学」としての性格が生じる[14]。 彼によれば、「労働」は「物的対象に対する人間の知的行為」であり、本質的に「集合的行為」である。ところが、経済学は物質的生産として労働を考察するが、その「人間的生産」としての側面を考察しない。その結果、経済学は「集合的行為」によってもたらされる次の三つの事実を切り離してしまうという。即ち、1) 事実上の連帯(人間が欲求、分業、その結果としての交換の必要性によって他者と結び付くこと)、2) 分配し得る富の増大、3) 個人の諸機能の特殊化や与えられた役割の制約、の三つである。
 労働者は個々の労働者の力の総和を超える一つの「集合力」を有しているにも拘らず、この「集合力」の生み出す剰余が生産諸手段の所有者にのみ帰属させられることを「計算の誤り」という。経済学が「計算の誤り」を犯す根本原因はここにあるというのである。
 成程、古典派経済学は労働こそ富の源泉であると主張しながら、他方では賃金が労働者にとって最低限であることを明け透けに語る。この古典派経済学のシニシズムは、確かに彼らがブルジョア的労働を「疎外された労働」として把握しないことから生じる矛盾である。しかし、それは一面では経済学が現実の諸法則を忠実に理論的に反映し、記述したに過ぎないからでもある。ところが、このシニシズムの原因をプル−ドンは、古典派が上記三事実を切り離していることにのみ求める。即ち、経済学は労働者の「集合力」に無知であり、集合的剰余の分配に関しても全員がその剰余の生産に参加していることを軽視し、労働者の諸機能が企業内部の「行為の共同性」であり、作業場の「有機的統一体」であり、経済社会の構成要素であることを看過している、と。要するに、彼はこの「計算の誤り」の原因を、次の三つの「事実」に見出す。
1)「計算上の事実」:控除したり、評価したりすることが困難な集合的剰余の帰属についての誤り。
2)「社会学的事実」:生産的剰余を生み出す集合的行為の存在。
3)「法的事実」:労働諸手段と交換諸手段の所有者による集合的剰余の領有。
 彼の「経済科学」は人間と物質の両面を対象とし、この三つの「事実」に対応した人間諸力、経済諸法則および両者を動的に均衡させる「経済法」の三部門[15]から成る「労働科学」である。
 最後に、「経済科学」が持つ歴史科学としての性格について述べておこう[16]。彼によれば、「組織の観点からみれば、政治経済学の法則は、歴史法則」でもあるから、「歴史は政治経済学と同一」である。「歴史」をこの「労働の観点」[17]から考察する時、「文明史の一面」としての自由の進歩と同時に、「経済法則の背反から生じた社会的撹乱」もまた現われる。
 そこで彼は、「社会−経済学」的現実に適合した社会の組織としての「不変の組織原理」を摘出するために、個別的労働者の機能の組織に基づいて社会組織を段階区分、考察し、文明の退廃の原因は次の点に見出だす。即ち、経済有機体が社会の基底であり、政治組織の存在条件であるにも拘らず、政治組織はそのことを認めず、その法則を侵害する点である。従って、人民が生存し、社会が存続するには「自立した、自由な経済組織」が必要であり、諸機能を整序し「産業民主主義」を構築するためには「国家とは別に、商業、農業、工業を集中する必要がある」、と結論する。
 このように、「社会発展・・・・の科学」として認識された経済科学によってのみ「労働の諸法則」(分業と集合力)が「歴史のなかでその自発的発現と適用」を示すと同時に、「歴史」が「社会の定式」を明らかにし得るものとなるという。集合的で、激変的で、絶えず矛盾した行為に他ならない社会的実践(労働)は、失敗、誤り、敵対的痙攣を通じてのみ「社会的理性」を形成するのであり、歴史は「否定の歴史」と「発現の歴史」という二側面を持って現われざるを得ない。社会の継起的諸形態は、「労働の法則」の影響によって結果的にのみ、社会的現実の基本法則と組織の法則を弁証法的に発現させるのである。歴史は社会的理性の永続性と発現が絶えず阻害されていることを明らかにすることによって、社会的理性の固有の法則である「論理」を「発現」する。その意味で「歴史」は「啓示」である、と。
 「分業組織」の必然性を論理的歴史的に証明しようとした『体系』は、スミスの価値論と分業論を平等主義的に解釈したもの[18]である。


 2. プル−ドンの古典派価値論批判

  a.「交換価値」の「発生」論
 プル−ドンの価値論批判は、経済学が「交換価値」という観念の「発生= g始屍ation=起源」と使用価値と交換価値との「対立・矛盾」関係の二点を解明していない点にある。 先ず、前者の問題から見てみよう。
 プル−ドンによれば、「交換価値」という観念の「発生」はスミスやリカ−ドウ等の経済学者によっても「十分な配慮をもって注意されたことがない」(『全集』版S.67, 国民文庫版49,岩波文庫版13、以下『貧困』からの引用文はこの順序で示す)。従って、「何よりも先ず価値の二重の性質、「使用価値を交換価値たらしめる運動」(S.67,49,13)あるいは「(交換)価値という観念の発生」を説明する必要がある。彼の説明は、大略次のようなものである。
 人間は多面的な欲求を持っており、それらの欲求を自分一人では充足できない。それ故、他の種々の職業に従事している協働者たちに「交換」を呼びかける、と。

  b.使用価値と交換価値の対立・矛盾関係
 次に、交換価値と使用価値の「対立」ないし「矛盾」関係の問題に移ろう。プル−ドンによれば、この問題は需要と供給ないし「社会的労働と私的労働の区別」の問題であり、スミスやリカ−ドウによって次の二点は証明されている。
1) 労働こそ「価値」の原理であり、動因であること。
2) 個々の商品の価値は、需給の変動を貫いてその生産に投下労働量に応じて決定される 傾向を持つこと。 
 問題はそこから先である。プル−ドンはこの二点を次のように解釈する。即ち、諸商品がその投下労働量に応じて交換されるという「正しい関係」は、「所有」の存在(独占、ばらばらな産業つまり組織の欠如)によって不断に撹乱されている[19]。にも拘らず価値が投下労働量に「自発的に向っている」ということは、それが「平等」な関係であることを示している。諸商品を投下労働量に応じて交換することこそ「平等」であり、むしろ労働量に応じて価値が決定されるべきである。上記の「傾向」は、「こうした平等関係の確立を予告しているし、同時にそれが可能であることを示している」、[20]と。
 つまり、「ひとたび効用が認められれば、労働が価値の源泉である」こと、労働の尺度は時間であるから、使用価値と交換価値の対立を止揚したところの「一生産物の構成された価値は、・・・・その生産物に凝結している労働時間によって構成される価値である」(S.77,65,30)と主張する。

  C.「総合価値」の基本性格
 この「総合価値」を理解する上で重要なことは、次の三点である。
 第一点は、「価値は経済機構の礎石である」の意味である。それは体系(系列)全体の基礎が「価値」であり、それ以外の諸範疇がこの「価値」から説明・展開されるという意味ではない。
 プル−ドンは「実質的には、需給説」[21]の立場を取っている。即ち、現実の諸関係の下では商品価値は需要と供給によって決定されていると考えている。これに対して、彼の「総合価値」は、理想社会の価値であり、現実の不均衡を批判する基準である[22]。それは「すべての人々が合意するような原理、つまり等価交換の、真実の取引の、諸価値の均衡の原理」であり、現実の交換価値の規定ではないのである。彼の範疇編成における基準は、諸範疇の同一性としての「平等」=「正義」であり、その経済学的表現が「価値」なのである。従って、「礎石」とは範疇編成の基準がこの抽象的同一性として「価値」であるという意味でしかない[23]。
 第二点は、「総合価値」の内実である。プル−ドンは「所有」を止揚した後の社会を、全員が賃金労働者であるような社会として想定している。それに対応して、「総合価値」とは「労働」ないし「賃金」のみ[24]から「構成された」価値に他ならない。彼はそれを使用価値と交換価値の対立・矛盾を「止揚」した「総合」と看做し、その価値に基づいた交換によって「平等」が実現できると主張しているのである。
 プル−ドンは言う。「総合価値」が支配するということは、「一定の労働は、この同一量の労働によってつくりだされる生産物と等価値である」(S.82,74,39)ことを意味し、「労働日はすべての他の一労働日と等値である。・・・・人はすべて賃金労働者である。しかも、相等しい労働時間に対して相等しく支払われる賃金労働者である。完全な平等が交換を支配する」(S.82,74,39)、と。
 第三点は、「総合価値」の理論的系譜である。それはリカ−ドウ価値論というよりもスミス価値論、より正確にはスミスの「初期未開の社会」における価値規定の系譜の上にある[25]。
 スミスの歴史観には、本来、資本も蓄積されず土地も占有されない、従って分業も交換もない「初期未開の社会」なるものは存在しない[26]。スミスにとって「初期未開の社会」は、現実の「文明社会」の特徴を明確にするための理論装置でしかない。この装置を通してスミスは、次の諸点を主張したのである。
 即ち、今日の社会は、その構成員は総て「商人」であり、各人は各々自己の所有する商品(労働力、土地、資本)を「自由」に売買する(法的に「平等」ないし「対等」)。こうした「商業的社会(commercial society)」においては、人間の貧富は、直接的には、その人が市場において支配し得る生産物(「生活必需品および便益品」)の量に、つまり「支配労働量」に依存する。この「支配労働量」は、資本も蓄積されず土地も占有されていない「初期未開の社会」においては「投下労働量のみ」によって規定される。しかし、資本が蓄積され土地も占有された「文明社会(civilized society)」においては、この「投下労働量」(スミスはこれを「賃金」と同一視している)の他に、資本家の「利潤」と地主の「地代」もその「支配労働量」に影響する、と。
 スミスがその適用を「初期未開の社会」に限定した上記「価値」規定を、プル−ドンは理想社会におけるあるべき「価値」として、「新しい所有」下での正義と平等を象徴する規範として「発見」したのである。そして、「一九世紀の経済学者たち」がこの価値論(「革命的な平等論」)を受け入れず、むしろ反対していることを「後世の人々はどう思うだろうか」と問いかけている。
 最後に、貨幣の必然性との関係について一言触れておこう。彼は金と銀が「その価値が構成に到達している最初の商品である」ということから、「貨幣」の交換可能性を説明している。その意味で、彼の貨幣論は「総合価値」論の適用と言える。


C. 『哲学の貧困』における「総合価値」論批判: 統一性把握

 A 「価値比例性の法則」論批判
 本章の課題は、マルクスの「総合価値」論批判の残る一面即ち「統一性」把握の側面を解明することにある。それは「商品と貨幣との内的連関」あるいは「貨幣の必然性」把握の問題である。
 この面でのマルクスの批判は、大略次のように要約できる。
 即ち、プル−ドンの「価値比例性の法則」は貨幣の「交換可能性に関する彼の全学説を密輸入するため」(S.112,123,88)のものであり、その説明は「一般的交換媒介物」が結局「金と銀」に帰属させられるということに関わるものでしかないこと。従ってそれは、今日の社会が何らかの「一般的交換媒介物」を「貨幣」として必要としていることを解明するものではないこと。更に、他の経済学者たちが主張しているように、「貨幣状態としての金・銀こそ、まさにすべての商品の中でその生産費によって決定されない唯一の商品である」(S.112,124,89)こと。以上の意味で、「価値比例性(均衡)の法則」は「商品と貨幣との内的連関」に関する彼の無知を語り出すものであること、等である。こうした批判を通して、マルクスは「貨幣」を「一つの社会関係」、「一つの生産関係」(S.107,115,80)として解明する必要性を強調しているのであるが、本論に入る前に、プル−ドンの「価値比例性の法則」を検討しておこう。
 「価値比例性の法則」とは、「価値とは、富を組成する諸生産物の比例性関係である」(S.89,85,51)という規定であり、「生産全体に対するこの生産物の比例的割前」を意味する。それは「構成された価値」の「新たな規定」である。
 しかし、これは逆立ちした議論でしかない。需給の均衡・比例は、「生産手段が制約されていて、交換が極端に制限された範囲内で行なわれていた時代にだけ可能であった」(S.97,96,62)に過ぎない。今日の社会においては「生産が消費に先行し、供給が需要を強制する」(S.97,97,62)のであり、需給を均衡させる運動(=価格変動)しか存在しないのである。需給の「正しい均衡」は失われて久しく、「Fuit Troja(トロヤは最早存在しない)」(S.97,96,62)のである。
 つまり、「営業の自由」と「生産の無政府性」とは同義であり、ブルジョア的生産・交易諸関係とは、相互に独立した私的生産者たちがその生産物を商品として販売することを最初から前提して大量に生産し、交換する諸関係である。こうした大工業と自由競争の社会においては、何を、どれだけ生産すべきかは各々の私的生産者の見込みと結果の判断によって決定される他ない。
「需要と供給の諸変動が、せめて生産費だけでも引き替えに受け取るためには所与の商 品をどれだけ生産しなければならないか、その分量を生産者に指示するのである。」(S.93,91,57)     
 つまり、すっかり「構成されてしまっている」価値などは存在しない。存在するのはただ、商品価値を労働時間によって構成する「運動」(=「過程」)だけである。従って、価値は労働時間によってアプリオリに決定(構成)されてもいないし、亦され得るものでもない。価値は価格変動を通して事後的に決まるのである。 
「構成されてしまっている『比例性〔均衡〕関係』などというものは存在しない。構成する一つの運動が存在するのみである。」(S.94,92,58) 
 個々の商品に対象化されている私的な、個別の労働時間は、可能性としての「価値」でしかない。そうした労働時間が、その全面的な譲渡・販売、その価格変動、産業諸部門間での資本移動等を通じて始めて、社会的に必要な労働時間としての「価値」に生成するというのである。
「価値を決定するものは、一つの生産物の生産に必要な時間では決してなくて、この生 産物が生産され得る時間の最低限であり、この最低限は競争によって確認されるという点を強調することが、重要である。」(S.95,94,59)
 労働力、商品、生産手段や全施設等一切の諸商品の価値は、価格変動・競争を通じて「それが生産され得る時間の最小限」に規定されるのであり、その意味では不断の「価値低下」は不可避である。従って、「価格変動」の中には、労働時間による価値規定は価値「不比例性の法則に転化する」ということも含まれているのである。
 こうした記述から、マルクス「価値」概念が少なくとも次の三契機を有することが判明する。即ち、
1)  私的労働の社会的労働への転化、
2)  価格変動ないし「価値不比例性(不均衡)の法則」、
3)  社会的必要労働時間の生成、の三契機である。
 先ず、私的労働の社会的労働への転化について述べて見よう。
 何を、どれだけ生産するかは社会的に前以て決定されておらず、個々の私的生産者たちが勝手に生産している以上、それらの商品に対象化されている労働は、直接的には、私的諸労働でしかない。それらの私的諸労働は、商品販売を通じて始めて、社会的に有用な労働として、社会的労働として認められるのである。こうして社会的労働として認められた労働のみが、価値なのである。
 次に、価格変動の必然性について述べて見よう。
 商品に含まれている私的諸労働が、それらの販売を通じて社会的労働に転化するということは、価値が価格変動を通じて事後的に決まることを意味する。価値は、労働時間によってアプリオリに決定(構成)され得ない。存在するのは、ただ価値を労働時間によって構成する「運動」=「過程」だけである。この運動の中には、労働力、商品、生産手段や全施設等の不断の「価値低下」も含まれている。
 最後に、社会的必要労働時間の生成について述べて見よう。
 市場に出ている商品に含まれている労働時間は、直接的には私的労働時間であり、可能性としての「価値」でしかない。その私的労働時間が価格変動を通じて社会的労働(時間)に転化するということは、それらの商品価値がその商品の労働時間だけによって決まるのではないことを意味する。ある商品は、同一品種、他品種の他の諸商品の生産に要する労働時間との関係に入るのであり、その商品の価値も、それらの諸商品の生産に必要な労働時間に依存することになる。しかも、生産者間、生産者と消費者間、消費者間の三面的競争は不可避である。これらの競争と供に、生産技術・品質の向上や新製品の登場等の時間的要素が絡んで来ざるを得ない。こうした競争の結果、価値は「それが生産され得る時間の最小限」に規定されざるを得ないのである。
 B 「最初の適用」論批判
 プル−ドンは「構成された価値」の「新らたな規定」として「価値比例性(均衡)の法則」を主張し、貨幣の普遍的交換可能性を「金と銀は、その価値が自己の構成〔構成状態〕に到達した最初の商品である」ことから説明する。その意味で、彼の貨幣論はこの「価値比例性の法則」の「最初の適用」である。
 そこで次に、この「最初の適用」論に対する批判をフォロ−して見よう。
 『貧困』の貨幣論は、1)貨幣即ち特殊な交換媒介物の必要性の解明、2)この特殊な機能が金と銀に帰属させられる諸原因の解明、の二次元から成り、当然にもマルクスは前者を主に論じている。後者は歴史的な生産・交易諸関係とは直接には無関係だからである。
「特殊な交換媒介物の必要、即ち貨幣の必要を一度認めたならば、残る問題は、何故この特殊な機能が他の一切の商品ではなく金と銀とに帰属させられる方が良いのかの理由を説明することだけである。それは、最早生産諸関係の連鎖によっては説明されないで、物質としての金と銀とに固有な特性によって説明される二次的な問題である。」(S.107,116,80-1)
 従って、本章でも前者を中心に考察する。その批判の核心は、貨幣を「一つの生産関係」として解明していないという点にある。
「(1)貨幣とは、一つの物ではなくて、一つの社会的関係である。(2) 貨幣関係が、他の一切の経済的諸関係例えば分業等と同様に、一つの生産関係であるのは何故か?(3)もしプル−ドン氏がこの関係をよく理解していたならば・・・・この関係が〔経済的諸関係の全連鎖の・・・・独語版〕一つの環であって、そのようなものとして他の〔経済的〕諸関係の全連鎖と緊密に結付いていること、(4)また、この関係が私的交換と全く同様に一定の生産様式に照応したものであることを認めたであろう。」(S.107,115-6,80。ただし、番号は大石。)
 貨幣が「一つの生産関係」であるという意味は、引用文中の(3)と(4)に記されている通り、貨幣が一定の生産様式(方法)に照応し、他のブルジョア的生産・交易諸関係と内的に連関しているということである。
「彼(プル−ドン・・・・大石)は、後で貨幣を架空の一系列の、再び見出されるべき一系 列の、第一の構成部分にするために、まず現実の生産様式の総体から貨幣を切り離すのである。」(S.107,116,80)
 確かに、貨幣は他の諸商品の価値尺度である。しかし、その貨幣自体、金・銀として一つの商品であり、その価値も固定・不変ではない。それ故、貨幣それ自身は何ら「構成された価値」ではない。価値尺度としての貨幣は、むしろ諸商品の価値決定を前提しているのである。
「貨幣は、『構成された価値』ではない。何故なら、一つの価値は単独に構成されるも のでは決してないのだから。一つの価値はただその価値のみを生産するために必要な時間によって構成されるものではなくて、それと同一の時間内につくりだされる他の一切の生産物の分け前に対比して構成されるものなのである。それ故、金と銀との構成は他の多くの生産物の全く既与の価値構成を前提条件としているのである。」(S.108, 118, 82)
 従って、貨幣の必然性の解明とは、結局、この価値決定の方法自体が一つの一般的交換手段を必要としていることの解明に他ならない。
「金と銀が事実の上でも何時でも交換可能なのは、現在の生産組織が普遍的な交換媒介物を必要とするからである。」(S.112,123,88)
 マルクスによるその解明を考察する上で第一に重要なことは、マルクスが「この価値決定の方法」(「交換価値」)を歴史貫通的な「労働の社会的配分」の、ある歴史的な、ブルジョア的形態として把握していることである。
 第二に、このブルジョア的形態の特徴が、前以て決定されていない点にあるとされていることである。
「近代社会には、自由競争以外に労働を分配するための規制も権力もないのである。」 (S.151,182-3、150-1)
 第三に、価値概念の三契機が重要である。
 ある商品に対象化されている私的労働時間は、他の商品の使用価値と関係づけられ、その全面的な譲渡・販売を通じて、「価値」に生成する。このように、一商品の価値は他の諸商品の使用価値(現物形態)の一定量で表現される他ない。所謂、「価値表現の回り道」である。私的で、個別的な労働量は、この「回り道」を経て、多くの「等価物」で表現されることによって始めて「価値」に生成するのである。貨幣とは、こうして生成する「一般(普遍)的等価物」であり、金貨・銀貨はこの一般的等価物が金・銀という特殊な金属に固定され、その重量で表現されるものに過ぎない。
「銀貨に〔かつて〕与えられ、かつ〔現に〕与えられている刻印は、銀貨の価値の刻印 ではなくて、銀貨の重量の刻印である。」(S.109,119,84)
 このように考えてくると、「等価物」「同等物」「代替物」等の概念が注目される。しかしながら、それらは見出されない。ただし、そのことは『貧困』執筆当時それらが未成立であったことを意味するのでは全くない。何故なら、それらは既に「ミル評註」において、基軸概念となっていたからである[27]。従って、『貧困』においてそれらが見られない原因は、その批判対象──プル−ドンにおける価値論の混乱──から来る制限のように思われる。
 それはともかく、ここで決定的に重要なことは、以上の批判が依然として「価値」論次元のものであることである。以上の批判は、貨幣論としての貨幣論ではないのである。ここからマルクス「価値」概念が、商品と貨幣との「質」的「同一性」を含み、貨幣の必然性を説明・展開し得るものであることが判明する。
 貨幣は一定の生産方法に照応し、他の総てのブルジョア的諸関係の一つの環である。ブルジョア的諸関係そのものが、一つの「普遍的交換媒介物」を必要とし、その意味でブルジョア的諸関係は不断に貨幣を生産している。諸商品の交換過程は同時に、貨幣の形成過程である。以上の意味で、貨幣は「一つの生産関係」である。ブルジョア社会における貨幣の普遍的交換可能性とそこから生じる呪物崇拝は、貨幣が特殊・歴史的な社会関係であることから始めて説明される。従って、その呪物崇拝からの解放は、単に意識の上のみならず、ブルジョア的諸関係の実践的止揚を必要とするのである[28]。


E. おわりに

 プル−ドンの『体系』は、不調和で異質な抽象的諸範疇の間に発見された「同一性」(「平等」=「正義」)を基準として、諸範疇を「弁証法的」に分類、関係づけ、整序、編成した「経済科学」であり、「経済学批判」であった。それはブルジョア経済学と社会主義を止揚し、富と貧困との対立を止揚する革命理論であった。
 成程、彼には経済学的諸範疇の起源を説明しようという意志は存在した。しかし、その説明は現実の諸関係の分析を基礎としたものではない。彼は諸範疇を、一定の生産諸力の上で現実の諸個人が取り結ぶ歴史的生産・交易諸関係の理論的反映として把握しない。むしろ、諸範疇を当為的に解釈することで現実を変革しようとする。その意味で、彼においては観念が現実の諸関係を産み出すのである。範疇展開の諸契機は範疇内部にはなく、その「反措定」や「総合」も各々「措定」や「反措定」から内的・必然的に展開されたものではない。その編成は、編成に先立って存在する基準(平等=正義)に基づくものでしかない。
 その結果、プル−ドンには諸範疇の歴史性も統一性も把握できず、範疇展開の順序も、従ってまたブルジョア的諸関係の歴史性も統一性も把握できない。こうして、彼は結局古典派と同じ見地即ちブルジョア的生産諸関係を永遠視する見地に立つことになる。
 こうした範疇把握上の欠陥は、彼の「総合価値」論についても妥当する。即ち、
1) 現実の諸関係の理論的反映か否かという点で、それはリカ−ドウ価値論の単なる「空 想的解釈」でしかない。この「総合価値」は現実の商品価値の規定ではない。それは、新しい所有の下での「平等」な交換の提起なのである。彼がこの価値規定に込めた「平等主義」的結論も、「労働時間による」商品の価値規定と「労働の価値による」それとを混同したものでしかない。更に、こうした試みは既にイギリスの社会主義者たちに見られるのであり、彼のオリジナリティ−はない。ましてや、彼の「発見」でもない。プル−ドンは古典派経済学も社会主義も「止揚」しておらず、むしろそれ以下なのである。     2) それと同時に、プル−ドンには商品と貨幣の内的連関が把握されていない。貨幣の必 然性を把握するには「価値関係」の「質」を考察することが必要である。商品の「価値」と「交換価値」は各々「労働の社会性=社会的労働」と「労働の社会的配分」のブルジョア的形態に他ならない。需要者間、需要者と供給者間、供給者間の三面的「競争」が、この価値法則の実現者である。従って、「価値」概念の中に、未だ人間が生産過程を制御しておらず、逆にそれによって支配されていることが語り出されている。従って、「真に人間的な社会」はブルジョア的諸関係の現実的止揚後に構想されている。
 勿論、『貧困』をもってマルクスのプル−ドン批判が完成する訳ではない。その完成は、マルクスの「経済学批判」が完成すること以外にはない。ただし、それはマルクスがプル−ドンを主たる論争・批判対象として意識していた、という意味ではない。マルクスの「ブルジョア経済学批判」が、即ちヘ−ゲル(の近代市民社会止揚論)批判であり、プル−ドン(の近代市民社会止揚論)の批判でもあるからである。
 確かに、『貧困』のプル−ドン批判は未完成である。しかし、この文献の意義はパリ時代から一貫する古典派およびプル−ドン批判──範疇批判──を、特に「商品」(「貨幣の必然性」を含む)に即して展開したところに存在するのである。


巻末注********************************

[1]. 「カール・マルクスの観たプル−ドン」『貧困』、岩波文庫版、235-6。
[2]. 1859・7・22付エンゲルス宛の手紙、『批判』、国民文庫版、347頁。 
[3]. 『批判』は、分冊形式で刊行するよう計画されたものの第一分冊である。従って、それは「第一部 資本について 第一篇 資本一般」の最初の二章即ち「第一章 商品」と「第二章 貨幣または単純流通」の二章を含むものでしかない。
[4]. 1859・2・1付ヴァイデマイアー宛の手紙、(注2)文献、329-30頁。
[5]. 同上書、329-30頁。
[6]. 同上書、107頁。
[7]. 平田清明『経済学と歴史認識』岩波書店(1971年)141頁。
[8]. 平田同上書、143頁。
[9]. 『経済学ノート』、特に「ミル評註」。差当り拙稿「マルクスにおけるリカードウ批判の『始元』」『拓殖大学論集』137号参照。
[10]. 『批判』、国民文庫版、17-8頁。事実、『貧困』第一章におけるプル−ドン批判は、冒頭引用文と同趣旨のものである。
[11]. エンゲルス「ドイツ語版への序文」『貧困』、岩波文庫版、207頁。
[12]. 従来の成立史研究ではこのマルクス価値概念の特徴が、従ってまたその成立過程も十分解明されていない。(その諸原因については、別稿「エンゲルス『国民経済学批判大綱』とパリ時代のマルクス」『拓殖大学論集』、164号ないし「プル−ドンの『系列の弁証法』とマルクス」『拓殖大学論集』、172号、124-5頁を参照。)問題を『貧困』解釈に絞ると、その最大の問題点はこの二章の関係理解にある。『貧困』は「文字どおりリカ−ドウの忠実な継承である」かそれ以下(「一面的」な継承)という吉沢氏の見解(「マルクスにおけるリカ−ド理論の発見と批判」『社会科学年報』4号)は、「第二章」での古典派方法論批判を看過したものでしかない。これに対して、ローゼンベルグの「第二章」で定式化された「唯物弁証法」が「第一章」で「適用」されたという主張(『初期マルクス経済学説の形成』)は、両章の連関を指摘している限りでは正しい。しかし、この見解は、「経済学批判」の「方法」を、直接的には現実的諸関係の具体的分析と無関係な「思想」ないし「哲学」に歪曲するものであろう。 尚、この二章の関係がより具体的には四つの論点として整理できることについては、拙稿「『経済学的諸範疇の批判』とは何か」『拓殖大学論集』170号、186-7頁参照。
[13]. 佐藤茂行『プル−ドン研究』木鐸社、22頁参照。
[14]. バンカール『プル−ドン 氈x未来社、1982年、第二章、第一節参照。
[15]. (1) 富の循環の研究から成る生産の科学であり、労働を「物的対象について客観的に」考察する「社会会計学」=「経済計算論」。この研究は基礎的諸関係を記述するのに役立ち、経済諸活動の正確な評価と経済諸主体間の公正な「控除」を可能にする。 (2) 労働を「人間について主体的に」考察する「経済社会学」=「組織の科学」。この研究は「経済社会」の諸法則や社会的労働の諸法則を発見するのに役立ち、経済社会の諸機能の社会学的組織化を可能にする。 (3) 最初の二部門の総合で、諸機能の配分と賃金の配分を目的とし、経済法を構成する第三部門としての「経済法」。これは労働を「配分と分配の視角から総合的に」考察し、生産物や諸機能や労働諸手段の公正な配分を可能にする発展的社会制度を確立するのに役立つ。「労働価値」論、「集合力の理論」、「相互性の理論」は、これら三部門の各々に対応したものである。
[16]. バンカール同上書、第二章、第二節参照。
[17]. 即ち、1)  生産物・価値・資本形成、また信用・交換・貨幣について、2) 労働の特殊性と総合性、諸機能の整序、労働者の連帯と責任について、3)  生産物の配分と分配について、の三つの観点から歴史を考察するということである。
[18]. 佐藤前掲書、13頁参照。
[19]. 生産物の価値は「所有」によって収得された「価値」部分だけ引下られていると、プル−ドンは考る。この点については、拙稿「マルクスにおけるリカ−ドウ批判の『始元』」『拓殖大学論集』137号、188頁参照。
[20]. ピエール・アンサール『プル−ドンの社会学』法政大学出版会、1981年、53-4頁参照。
[21]. 佐藤前掲書、171頁。
[22]. 佐藤同上書、171頁参照。
[23]. 佐藤同上書、175頁参照。
[24]. 佐藤同上書、196-8頁参照。
[25]. マルクスが「総合価値」にリカ−ドウ「生産費」を対置したために誤解を招いているかも知れないが、「総合価値」はリカ−ドウ「生産費」とは直接の関係はない。プル−ドン自身スミスは「漠然と、直観的に」「総合価値」に気づいていたと記しているように、それは明らかにスミスの系譜上にある。勿論、マルクスはそのことを十分承知しており、『聖家族』においてと同様、『貧困』でも(S.87,81,46-7参照)プル−ドン価値論をスミスのそれに対比している。
[26]. 周知の如く、スミスの歴史観は狩猟、牧畜、農業、商業の四段階論である。
[27]. 旧MEGA、I−3、S.538. 新MEGA、IV−2、S.455. 杉原・重田訳『経済学ノート』未来社、102頁参照。詳しくは、拙稿「『経済学・哲学草稿』と『ミル評注』」『拓殖大学論集』152号、210-1頁参照。
 [28]. ブルジョア的諸関係を止揚しない限り、物の価値とはその交換価値であり、とどのつまりは貨幣の形で実存する他ない。従って、貨幣の金属定在だけしか認めない重商(特に、重金)主義を批判した古典派経済学も、結局「感性的な迷信から目覚めているという点に尽きる」のであり、「同じ穴のムジナ」でしかあり得ない。旧MEGA、I−3、SS.532-3. 新MEGA、IV−2、S.449.杉原・重田訳『経済学ノート』未来社、89-90頁参照。