『経済学・哲学草稿』〔第三草稿〕

      拓殖大学政経学部 大石高久

目次
はじめに
 A. 「カール・マルクス問題」の再定式
 B.  『経済学・哲学草稿』・『ミル評註』問題の再定式
第1章 『経済学・哲学草稿』における〔第一草稿〕後段の位置と「類的本質存在」規定
 A. 〔第一草稿〕前段の位置
 B. 〔第一草稿〕後段と〔第二草稿〕の関係及びその位置
 C. 〔第一草稿〕後段における「類的本質存在」規定(1)
 D. 〔第一草稿〕後段における「類的本質存在」規定(2)
 補論氈F〔第一草稿〕「中断・放棄」説の書誌的検討
第2章 『経済学・哲学草稿』における〔第三草稿〕の位置と「類的本質存在」規定
 A. 〔第三草稿〕の位置とその主内容
 B. 〔第三草稿〕〔二〕における「類的本質存在」規定
 補論:望月氏のGesellschaft理解の批判
 C. 現実的な「人間の科学」としての「経済学批判」の成立
おわりに


はじめに

 A. 「カール・マルクス問題」の再定式

 現代資本主義の意外なまでに強靱な生命力[1]、「現存社会主義[2]」の戦慄的な実態、マルクス・エンゲルスは勿論レーニンの死後、新たに発掘・刊行されたマルクス自身の諸原稿等々によって、マルクス研究に新しい分野が形成されて来た。即ち、一度マルクス自身の諸著作・諸原稿に沈潜し、マルクス「経済学批判」体系の形成過程の追体験を通して、従来の通説的解釈に囚われることなく彼の市民社会把握及びそれの全人類史上への位置づけを解明せんとする「マルクス形成史」研究がそれである。
 この「マルクス形成史」研究において、一大中心論点を成しているものが、『経済学・哲学草稿』──以下、特に断わりのない()内頁は岩波文庫版の頁を示すものとする──と『資本論』との関係であり、それは「アダム・スミス問題[3]」に準えて、「カール・マルクス問題[4]」と呼ばれている。この問題は、通常、次の様に定式化されている。即ち、『経済学・哲学草稿』の所謂「疎外論」で代表される哲学者ないし思想家としての初期マルクスと、『資本論』の剰余価値論・蓄積論で代表される経済学者ないし理論家としての後期マルクスとの関係は如何なるものか、と。
 ところで、「問題の定式化は、その解決である[5]」から、この「カール・マルクス問題」の定式を検討することは、何よりも重要であろう。そこで今、先の定式を考察してみると、この定式では、初期マルクスと後期マルクスが各々「思想家」「理論家」とされ、マルクスにおける思想と理論とが切り離され、各々が各時期に抽象的に固定化されていることに気付く。従って、この定式に従えば、思想と理論のどちらか一方のみを重視する抽象的議論を別にすれば、唯一可能な合理的解決としては、思想から理論への発展という説明しか残されていない。日く、「疎外論」という初期の思想は、『資本論』第一巻、第三篇、第五章、第一節「労働過程」に生きている、と。
 しかし、『経済学・哲学草稿』の「疎外された労働」概念は、単なる思想ではない。『経済学・哲学草稿』がそれ以前の諸論文──例えば『独仏年誌』のそれ──と較べて優れて経済学的な著作であることを考えるならば、「疎外された労働」概念の内実も亦、優れて経済学的なものであることに疑問の余地はない。従って、何よりも先ず、「疎外された労働」概念の経済学的内実と、この概念がマルクス「経済学批判」体系において有する意義が解明されねばならない。
 以上の二点が解明されるならば、もはや先の「カール・マルクス問題」の定式の抽象性・不十分さは明白となろう。丁度、『道徳感情論』と『国富論』との整合性として出発した「アダム・スミス問題」が、スミスにおける「利他心」と「利己心」の問題から、スミスにおける倫理─法─経済の問題へと深化・発展したのと同様、「カール・マルクス問題」も亦、疎外論と剰余価値論の問題から、マルクスにおける経済学批判─哲学批判─社会主義批判の問題へと深化・発展するであろう。
 何故ならば、『経済学・哲学草稿』の「疎外された労働」概念は、優れて経済学的なその内実故に、ヘーゲル法哲学とプルードン等の社会主義とを批判する原理ともなっている。初めての、未熟な体系である故に却って一層明瞭に、『経済学・哲学草稿』はマルクスにおける経済学批判─哲学批判─社会主義批判の三位一体的統一の統一原理と統一構造を読み取り易くしている。
 『経済学・哲学草稿』を経済学から区別されるところの哲学書、『資本論』を哲学から区別されるところの経済学書と看做すことを止めるとき、「カール・マルクス問題」とは、その深い意味において、マルクスにおける経済学批判─哲学批判─社会主義批判の三位一体的統一の統一原理と統一構造の問題として再定式されるのではあるまいか。

 B. 『経済学・哲学草箱』・『ミル評註』問題の再定式

 ところで、「疎外された労働」概念が「経済学批判」体系の中で占める意義については、大別以下の二通りの、相互に対立した見解が見られる。
^ 「疎外された労働」概念は、資本の本質規定であり、マルクスの学的認識(=概念的把握)の原理である[6]。
_ 「疎外された労働」概念は、学的認識の原理としては、〔第一草稿〕以降放棄された[7]。
 この見解の相違は、『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕後段(所謂〔疎外された労働〕部分)と『ミル評註』における分析視座及び「類的本質存在(Gattungswesen)」規定に見られる差違の解釈から生じたものである。その差違とは、通常次の様に言われている。即ち、〔第一草稿〕後段における分析視座は資本─賃労働関係視座であり、そこでは「類的本質存在」も自然対人間の根源的関係において規定されているのに対して、『ミル評註』においては、商品─貨幣関係視座から分析が行なわれ、それに対応じて「類的本質存在」も人間対人間の関係(「社会的交通(geselliger Verkehr) 」)で規定されている、と。
 この両著作間の差違性及び関係について、両著作の執筆順序が、問題解決の「一つの鍵」として追求されてきた。解釈^は、『経済学・哲学草稿』と『ミル評註』との性格の相違──前者が一つの独立した著作の原稿であるのに対して、後者は読書ノートに過ぎない──に注目し、『ミル評註』→『経済学・哲学草稿』の執筆順序を考え、認識も商品─貨幣関係視座から資本─賃労働関係視座へと深化したと看做すものである。
 これに対して解釈_は、〔第一草稿〕前段(所謂「所得三源泉の対比的分析」部分)に見出せる引用諸文献や、〔第一草稿〕後段に見られる約10頁分の余白に注目し、〔第一草稿〕の「中断・放棄」→『ミル評註』→〔第二・第三草稿〕の執筆順序[8]を考え、『ミル評註』以後マルクスの学的認識の原理に変化が生じたと看做するものである。従って、『経済学・哲学草稿』─『ミル評註』問題とは、実は〔第一草稿〕(特にその後段)と『ミル評註』との間の二つの視座と「類的本質存在」規定とが、初期マルクス自身において如何なる関連で理解されていたのか、という様に定式されている。
 しかし、この問題には次の二点で再検討の余地があると思われる。即ち、
^ 初期マルクスの文献を、後期マルクスの文献から外在的に、安易に裁断してはいないか。例えば、〔第一草稿〕後段を「資本─賃労働関係視座」とすることに問題がありはしないか、更に、
_ ほぼ同時期の文献に執筆順序をつけることに危険がありはしないか、の二点である。
 特に後者は、論理的関係が問われているにも拘らず、一切を時間的発展関係に還元してしまう傾向を有している点で要注意である。例えば、先の解釈_で、時間的に先行するとされる〔第一草稿〕後段の原理が、後行するとされる『ミル評註』においては否定されたと看做されていることなどはその一例である。
 このことは、『経済学・哲学草稿』〔第三草稿〕の中に、〔第一草稿〕後段と『ミル評註』における各々の「類的本質存在」規定と同一のものが存在していることを考え合わせれば一層明確になろう。即ち、解釈_においては、2種類の「類的本質存在」規定の論理的関係が、執筆順序問題を通して、マルクス形成史上の歴史的発展関係と混同ないし解消されてしまっている様に思われる。
 しかしながら、〔第三草稿〕の中に二種類の「類的本質存在」規定とも見出せるということに注目するならば、〔第一草稿〕後段と『ミル評註』との論理的関係の問題は、〔第一草稿〕後段と〔第三草稿〕との論理的関係の問題になること、即ち、『経済学・哲学草稿』における各〔草稿〕間の論理的関係及び展開として論じ得るということが判明するであろう。それ故、『経済学・哲学草稿』各部分の論理的関係は如何なるものであるか、これこそが著者による『経済学・哲学草稿』─『ミル評註』問題の再定式である。
 本章の直接的目的は、『経済学・哲学草稿』〔第三草稿〕の考察を通して、〔第一草稿〕後段と〔第三草稿〕〔二、私的所有と共産主義〕との、従って亦両者に見られる二種類の「類的本質存在」規定の論理的関係を論定することにある。しかし、更に「カール・マルクス問題」について、即ち、マルクスにおける経済学批判─哲学批判─社会主義批判の問題についての著者の解釈も提起してみたい。
 それ故、以下本章は次の様に展開される。先ずのA、Bで、〔第一草稿〕と〔第二草稿〕との関係及びそれらが『経済学・哲学草稿』全体の中で占める位置について要約的に示し、続くC、Dにおいては、〔第一草稿〕後段での「類的本質存在」規定の性格の考察を通して、『ミル評註』及び〔第三草稿〕〔二〕に見られる規定が〔第一草稿〕後段においては潜在的にしか叙述されていないのは何故か、について考察する。
 次に。では、〔第三草稿〕が『経済学・哲学草稿』全体の中で占める位置とその主内容を考察し(A)、〔第一草稿〕後段と〔第三草稿〕〔二〕の二つの「類的本質存在」規定の論理的関係及び〔第一草稿〕後段と同種の規定が〔第三草稿〕〔五、ヘーゲル弁証法と哲学一般との批判〕に再現しているのは何故か、が明らかにされる(B)。
 最後に(C)、『経済学・哲学草稿』から読み取り得る限りで、経済学批判─哲学批判─社会主義批判の関係及びそれに関して「疎外された労働」概念が持つ意義について解明されるであろう。


第1章 『経済学・哲学草補』における〔第一草稿〕後段の位置と「類的本質存在」規定

 A.〔第一草稿〕前段の位置

 『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕前段──所謂「所得三源泉の対比的分析」──は、近代市民社会分析[9]である。マルクスはこの部分で、経済学者や社会主義者達の諸文献を活用しつつ、近代市民社会の構造及び動態諸法則を整理し、これをそれ以後の概念的把握のための出発点として、表象として確定している。
 「労賃」「資本利得」「地代」の三欄の前半においては、各々の本質・源泉・平均率・最高率・最低率等を示しながら、次の様な結論を引き出している。即ち、地代は結局の所利潤の一部でありその派生形態であるから、市民社会は資本家と賃労働者の二大階級から成ること。更に、各階級の利害と社会の利害との関係の考察を通して、労働者階級こそが来たるべき人間的解放の「心臓」であることを確認する。そして以上三欄の前半部分の小括として、労賃欄において、賃労働者の現状が人類史において有する弁証法的意義に関する二つの問いを提起している。
「さて我々は、国民経済学の水準を越えることにしよう。そしてほとんど国民経済学者の言葉を用いて述べてきたこれまでの説明に基づいて、二つの問題に答えてみよう。
^人類の大部分がこのように抽象的な労働(他の生産諸要素から切り離され、単なる働き手でしかない様な労働……大石)へと還元されるということは、人類の発展において、どの様な意味を持つか。
_労賃を引き上げて、それにより労働者階級の状態を改善しようとするか、さもなければ労賃の平等を(プルードンの様に)社会改革の目的と看做す改良主義者達はどの様な誤りを犯しているのか。」(28頁)
 三欄の後半は、前半で明らかになった「資本の本質」を基軸として、資本と土地の蓄積過程が独占の形成過程として描き出される。そしてこの叙述を通して先の「二つの問い」に対する解答が与えられる。
 即ち、自由時間の拡大、労働の社会化、男女間の差別撤廃の可能性と必然性等が示されると同時に、賃労働とは人間の生命活動の譲渡に他ならず、肝心なことは賃金の多少ではなく、この生命活動を奪回することである、こと等が描出される。
 最後に、この三欄の後半部分の小括として、蓄積の必然的結果としての独占の復活と、革命を通しての「連合(Assoziation)」によるその根絶が展望されている。以上の様に、〔第一草稿〕前段の『経済学・哲学草稿』における位置は、概念的把握にとって出発点であるところの、市民社会の表象の確定である。そして、前半の構造分析と後半の動態分析とは「二つの問い」によって結びつけてられているのである。

 B. 〔第一草稿〕後段と〔第二草稿〕の関係及びその位置

 〔第一草稿〕前段が近代市民社会の構造・運動諸法則を表象として確定する作業であるとすれば、〔第一草稿〕後段以後は、この表象された諸法則を私的所有の必然的諸法則として概念的に把握する作業である、という点で論理次元が根本的に異なる。『経済学・哲学草稿』のマルクスは、この諸法則の概念的把握を次の手順で行おうとしている。
 即ち、先ず第一に、「私的所有の一般的本質」(104頁)ないし「私的所有の本質」(85頁)を剔出する。この剔出は、土地所有に始まる私的所有の「発展の頂点」としての「資本」を分析することで行われる。何故なら、この頂点において、「私的所有の本質は」自己を純粋な形で実現しているからである(労働一般!)。続いて、この「私的所有の本質」と経済学的諸範疇の内的連関を、諸範疇の発生的展開によって示す、という手順である。
 ところで、資本(─賃労働関係)には、「相互に制約し合うところの、あるいは一個同一の単に異なった表現に他ならないところの、二つの構成部分」(105頁)が存在する。即ち、「労働としての私的所有の関係」(110頁)=「生産の対象や行為に対する彼(労働者……大石)の関係」(101頁)と「資本としての私的所有の関係」(1l0頁)=「労働者やその労働生産物に対する非労働者の関係」(106頁)の二面がそれである。そしてこれらの二つの構成部分の各々を考察したものが、〔第一草稿〕後段と〔第二草稿〕に他ならない。従って、〔第一草稿〕後段と〔第二草稿〕とは不可分な関係にあり、両者は合わせて一つのものである。
 ところで、先の私的所有の二側面の内、「労働としての私的所有の関係」の方が先に考察されているのは、この関係の方が概念的にはより直接的であり、「資本としての私的所有の関係」はこの関係の論理的帰結(102頁参照)に他ならないからである。従って、〔第一草稿〕後段と〔第二草稿〕とが『経済学・哲学草稿』での原理的部分であるが、就中〔第一草稿〕後段はその原理の中の原理的箇所である。蛇足ながら付言すれば、〔第二草稿〕において「疎外された労働」が見出せないことは、この概念が放棄されたことを意味するものでは断じてない。逆である。「疎外された労働」概念からの展開が行われているということの証拠である。

 C. 〔第一草稿〕後段における「類的本質存在」規定(1)

 さて、本章においては、〔第一草稿〕後段と『ミル評註』とに見られる二種類の「類的本質存在」の論理的関係を、〔第一草稿〕後段と〔第三草稿〕〔二〕におけるそれとの論理的関係から明らかにしようとしている。そこで先ず前者におけるそれの性格や論理次元を、以下の諸点の考察から解明しよう。
^ 〔第一草稿〕「中断・放棄」説の、従って亦、学的認識の原理「変更」説の論拠の一つを形成しているところの、「フォイエルバッハ・テーゼ 六」とそれとの関係。
_ 〔第一草稿〕前段における「二つの問い」とそれとの関係。この関係の考察によって、それの論理次元が明らかとなろう(以上、本節)。
` 「疎外された労働」概念の第一・第二規定とそれとの関係、及び
a 「疎外された労働」概念の第四規定とそれとの関係(以上、次節)。

 1. 「フォイエルバッハ・テーゼ」との関係
 「テーゼ 六」でマルクスは、フォイエルバッハの「人間性(das menschliche Wesen)」把握を次の様に批判している。
「フォイエルバッハは宗教的あり方(Wesen)を人間的あり方に解消する。しかし人間性は一個の個人に内在する如何なる抽象物でもない。それは現実性においては社会的諸関係の総体である。この現実的なあり方の批判へ乗り出さないフォイエルバッハは、それ故否応無しに、
(一)歴史的経過を切り捨て、宗教的心情をそれだけとして固定して、一個の抽象的孤立的……人間としての個体を前提せざるを得ない。
(二)本質(Wesen)はそれ故ただ『類』としてのみ、内なる、無言の、多数の個人を自然的に結び合わせる普遍性としてのみ捉えられ得る。[10]」
 この批判でもってマルクスの人間観の全貌が余す所なく示されている、とは言い難い。ここでは、フォイエルバッハの見解を批判する限りでマルクスの見解が開示されているに過ぎない[11]。
 事実、マルクスの批判点は、フォイエルバッハが「抽象的個人」を考察したという事自体にではなく、「抽象的個人」「のみ」を考察し、その個人が「或る特定の社会形態に属することを見ない」という点にある。従って、この問題でのマルクスとフォイエルバッハの相違点は、「社会形態」を考慮に入れるか否かに対応した「抽象的個人」の内容的差違にあると言えよう。そしてこのことは、「人間性」と「社会的諸関係」との関係が、後者は前者の「現実的なあり方」であるとされていることからも確認できよう。マルクスは「人間性」・「類」を否定しているのではなく、そのフォイエルバッハ的内容を批判しているに過ぎない。
 更に、マルクスが「人間性」の「現実性」を「社会的諸関係の総体」として捉えたのは、このテーゼにおいて始めてではないことに留意する必要がある。既に『独仏年誌』においてマルクスは、「人間とは即ち人間の世界であり、国家であり、社会的結合(Sozietaetである[12]」という認識を獲得していたのである。亦、その様な認識に到達していたが故に、マルクスはバウアー兄弟やフォイエルバッハと袂を分かって経済学研究へと進んでいったのである。従って、「テーゼ 六」は〔第一草稿〕後段の「類的本質存在」規定の放棄を意味するものでは全くない、と言えよう。

 2.「二つの問い」との関係
 〔第一草稿〕前段において、直接的生産者たる賃労働者が単なる商品、しかも売れなければその生命を維持することさえ不可能な、その意味で最も惨めな商品に貶められていることを暴露したマルクスは、この労働者の状態は人類史上一体如何なる意味を持つか、という問題を提起した。「二つの問い」(28頁)がそれであった。我々は、同じ「表象」次元における解答が与えられていることも、既に見た。ところが、〔第一草稿〕後段に入り、生産的活動が人間の類的活動であり、資本の生産過程において人間的本質=人間の類的本質存在が疎外されていることが明らかにされるや否や、先の「二つの問い」に対して、更に根源的な解答が与えられる。
「この(疎外された労働からの私的所有への論理的……大石)発展は、これまで解きほぐされなかった様々の衝突について、直ちに解決の曙光を与える。
 ^国民経済学は生産の本来の心髄としての労働から出発するが、にも拘らず、それは労働には何ものをも与えず、私的所有に一切を与える。プルードンはこの矛盾から、労働を擁護し私的所有に反対する結論を引き出した。しかし我々は、外見上のこの矛盾が疎外された労働の自己矛盾であること、そして国民経済学が単に疎外された労働の諸法則を言い表したに過ぎなかったことを、見抜くのである。……
 従って労賃の強引な引き上げ(その他の一切の困難を度外視し、亦この引き上げが一つの変則としてただ力づくでのみ維持されるであろうことを度外視して)も、奴隷の報酬改善以外の何ものでもないだろうし、労働者にとっても、労働にとっても、その人間的な規定や品位をかち取ったことにはならないであろう。
 それどころか、プルードンの主張する様な給料の平等でさえも、自分の労働に対する今日の労働者の関係を、労働に対する総ての人間の関係へと転化するだげのことなのである。
 _私的所有に対する疎外された労働の関係から、更に結果として生じて来るのは、私的所有等々からの、隷属状態からの社会の解放が、労働者の解放という政治的な形で表明されるということである。そこでは労働者の解放だけが問題になっている様に見えるのであるが、そうではなくてむしろ労働者の解放の中にこそ一般的人間的な解放が含まれているからなのである。」(102-4頁)
 生産的活動は、自由な意識的活動であり、類の確証行為に他ならないことが、人間の自然に対する本源的関係様式から示された以上、この生産的活動の疎外された形態である「労働」を生命活動に転化することが決定的に重要であることも亦明らかとなる。従って、この観点から、プルードン等の改良主義の評価も行われる。
 このマルクスの観点から見れば、資本において私的所有は主体的にも客体的にも、その内容について無頓着になり、その意味で「抽象」の原理にまで発展している。つまり、資本の主体的本質である(疎外された)「労働一般」は、歴史的発展の中でその都度生じたあらゆる「特殊」な疎外の行為を含んでいる。従って、労働者の解放(=「労働一般」の疎外の止揚)は、逆に、特殊な活動の疎外の止揚でもあり、あらゆる階級の解放ともなり得るのである。
 とすれば更に次の点が解明されなければならない。
^ 真に人間的な所有とは何であり、私的所有とは人間にとって如何なるものであるかを、一層具体的に規定すること。
_ 人類史上において、私的所有が発生・消滅する論理的必然性を、人間の発展との関係の中で解明すること。
 そこでマルクスは、〔第一草稿〕後段末尾近くで、先の「二つの問い」(28頁)を次の如く設間し直している。
「^ 疎外された労働の結果として明らかになった様な私的所有の一般的本質を、真に人間的なそして社会的な(sozia1)所有に対するそれの関係の中で規定すること。
_ 我々は労働の疎外を、その外化を、一つの事実として受け取り、そしてこの事実を分析したのであった。そこで我々は問おう。どの様にして人間は自分の労働を外化し、疎外するようになるのか、と。」(104-5頁)
 この設問に続けてマルクスは、「我々は既に、私的所有の起源に関する問題を、人類の発展行程に対する外化された労働の関係という問題に置き替えることによって、この課題を解決するために多くのものを獲得してきた」(105頁)と記しているが、この「置き替え」た箇所が、「疎外された労働」の第三規定、即ち「類からの疎外」である。
 以上の考察から明らかな様に、〔第一草稿〕後段の「類的本質存在」規定は、何故人間にのみ労働の疎外が生じ得るのか、この労働の疎外とその止揚が人間の発展にとって如何なる意義を有するのか、に答え得るものとして存在している。

 D. 〔第一草稿〕後段における「類的本質存在」規定(2)

 1. 第一・第二規定との関係
 では次に、〔第一草稿〕後段での「類的本質存在」規定を、「疎外された労働」概念の諸規定との関連の中で考察して見よう。
 人間にとって生産的活動とは、人間による自然の領有(Aneignung)であり、生産物とは、この活動が対象化・事物化されたものである。ところが、〔第一草稿〕前段で確定された表象、即ち「国民経済学上の現に存在する事実」(86頁)は、「国民経済的状態の中では……対象化が対象の喪失及び対象への隷属として、〔対象の〕領有が疎外として、外化として現われる」(87頁、ただし、以下『経済学・哲学草稿』からの引用文中の〔〕は城塚・田中両氏による補充を示すものとする)ことを示している。
 この「彼の対象における労働者の疎外」(89頁)が「疎外された労働」概念の第一規定である。自然は人間にとって、(1)活動の場であると同時に、(2)肉体的生存の手段を提供する。しかしながら、この第一規定に依れば、人間は(1)仕事にありつくだけでなく、(2)肉体的生存の手段にありつく、という二重の意味において自然の奴隷となるのである。
 この人間と自然との転倒した関係の原因を明らかにするものが、次の「疎外された労働」の第二規定である。
「しかし疎外は、単に生産の結果においてだけではなく、生産の行為の内にも、生産的活動そのものの内部においても現われる。仮に、労働者が生産の行為そのものにおいて自分自身を疎外されないとしたら、どのようにして彼は自分の活動の生産物に疎遠に対立し得ようか。」(91頁)
 こうして、「活動的な外化、活動の外化、外化の活動」(同上)が第二規定となる。この第二規定は、労働者にとって生産的活動が「肉体的及び精神的エネルギー、つまり彼の人格的生命」(93頁)の発現ではなくなり、肉体の消耗と精神の頽廃でしかなくなっていることを示している。
 では、生産物と活動が労働者から疎外されているということは、人間にとって如何なる意味を持つのであろうか。この問いに答えるものが「類的本質存在」である。マルクスに依れば、人間は一つの「類的本質存在」であるが、それは次の三つの契機から成る[13]。
^ 人間の非有機的身体としての自然
_ 生命活動としての自由な意識的活動
` 類的生活
 人間は、精神的にも肉体的にも外界の自然を自己の対象として必要としている。人間は死なないためには、この自然と不断に交流しなければならない。しかしこの自然は、そのままの形では人間の欲求を直ちに充たす姿態にはなってはいない。その意味で自然は人間の「非有機的身体」である。そこで、人間は対象に固有の基準に従って、道具を作製し、対象を加工する。この対象との普遍的関係は、人間が自由で(対象に限定されず)、意識的に活動する存在であることを示している。そして、人間が自由で意識的であるが故に、人間の生産的活動は、類生活の対象化という性格を持つ。「即ち、人間が、類(普遍的なもの……大石)に対して、自分自身の本質に対する様にふるまい、あるいは自己に対して、類的本質存在に対する様にふるまう存在であることの確証」(96頁)としての性格を持つのである。
 従って、「人間は、まさに対象的世界の加工において、現実的に一つの類的本質存在として確認される」(97頁)のであり、「この生産が人間の制作活動的(werktaetig)な類的生活なのである」(同上)。そして、この生産を通じて自然は、人間の制作物及び現実性(本質と現存在との統一……大石)として現われ、人間は自分の創造した世界の中で自分自身を直観するのである。
 ところが、「疎外された労働」の第一・第二規定は、人間の「類的本質存在」としての三契機の内の前二者が疎外されていることを示している。その結果は、第三の契機にも影響を与えずにはおかない。即ち、生産的活動が自由で意識的活動でなくなり、生産物が労働者に敵対的になることによって、生産は人間にとって「類的本質存在」を確証する活動ではなくなるのである。
「疎外された労働は人間から、(1)自然を疎外し、(2)自己自身を、人間に特有の活動的機能を……疎外することによって、それは人間から類を疎外する。」(95頁)
 それ故、「疎外された労働」の第三規定が意味するものは、個人的であると同時に類的生活でもある人間特有の非有機的自然の加工において、両者が分離・固定化し(その意味で抽象化し)、後者が前者の手段になる、ということである。
「第一に疎外された労働は、類的生活と個人的生活とを疎外〔互いに疎遠なものに〕し、第二にそれは、抽象の中にある個人的生活を、同様に抽象化され疎外された形での類的生活の目的とならせるのだ。」(同上)
「疎外された労働は、自己活動を、自由なる活動を、手段にまで引きさげることによって、人間の類生活を、彼の肉体的生存の手段にしてしまう。」(97頁)
 嘗てマルクスは、近代市民社会の次に来るべき社会の原理を、即ち人間的解放の原理を、「現実の個体的な入間が……個体的な人間でありながら、その経験的生活、その個人的労働、その個人的諸関係の中で類的本質存在となった時……その時初めて人間的解放は成就されたことになる[14]」と定式化した。この〔第一草稿〕後段では、近代市民社会における諸個人が、その個人的労働の中で類的本質存在となっていないことが暴露されたのである。
 ところで、存在論的には、人間の生命活動と動物のそれとは、「意識している」か否か、によって区別される。しかし、その人間が彼の生命活動、「人間の精神的な類的能力」を、生存のための手段にし得るのも亦、人間が意識的存在であることによる。
「意識している生命活動は、動物的な生命活動から直接に人間を区別する。正にこのことによってのみ、人間は一つの類的本質存在なのである。……疎外された労働はこの関係を、人間が意識している存在であるからこそ、人間は彼の生命活動……を、単に彼の生存の為の一手段とならせるというふうに、逆転させるのである。」(95-6頁)
 従って、この〔第一草稿〕後段における「類的本質存在」規定は、人間にのみ存在する「疎外された労働」の根拠を示すものである。
 最後に、フォイエルバッハとマルクスの相違点が「二重化」にあることを付言しておこう。〔第一草稿〕後段のマルクスは、既にフォイエルバッハの「類的本質」把握を越えている。何故ならば、フォイエルバッハにおいて、人間が自己を二重化し、自己の創造した世界の中で自分自身を直観するのは「意識」の分野に限定されていたのに対して、マルクスは「制作活動」の分野にも拡げているからである。それだけではない。マルクスはこの「制作活動」の分野において、人間的本質をその個人が属する社会的諸関係の中で規定しているからである。

 2. 第四規定との関係
 「疎外された労働」の第四規定とは、「人間からの人間の疎外」である。この規定は、「実践的な現実的世界では、自己疎外はただ他の人間達に対する実践的な(一定の関係に対象化された……大石)現実的関係を通してのみ、現れることが出来る」(101頁)という命題を媒介として、第一〜第三規定の「直接の帰結の一つ」(98頁)として引き出されるものである。しかしその主内容は、望月氏が理解するような、「孤立人」の世界に「ある他人」が突如登場するというものでは全然ない。
 問題は、「労働者の活動と生産物に対する他の人間の関係」の論理的発生である。マルクスは、〔第一草稿〕後段と〔第二草稿〕の至る所で、私的所有の関係には、「労働としての私的所有の関係」と「資本としての私的所有の関係」が存在すること、前者が後者を必然的に(ただし論理的に)生み出すことを述べている。第四規定とは、まさしく、この前者からの後者の論理的発生に他ならない。
 では、後者は如何にして、前者から生じるのであろうか。詳しくは本書第8章で述べたので、ここでは簡単に述べるだけにしよう。マルクスは次の様に記している。
「@人間が彼の労働の生産物……に対して、一つの疎遠な、敵対的な、力強い、彼から独立した対象に対する様にふるまうとすれば、
Aその時彼は、この生産物に対して、ある他の、彼には疎遠で敵対的で力強い人間、彼から独立した人間がこの対象の主人であるという様にふるまっているのである。
B人間が彼自身の活動に対して、不自由な活動に対する様にふるまうとすれば、
C彼はこの活動に対して、ある他の人間の支配や強制や桎梏の下でこの人間に奉仕する活動に対する様にふるまっているのである。」(100-1頁。ただし、番号は大石)
 @とBとは、「疎外された労働」の第一・第二規定である。Aは次のことを意味している。即ち、自己に属さない様な生産物を生み出すということは、その生産物を別の人に属するものとして生み出している、ということである。同様にBは、自己に属さない様な生産的活動をしていることは、結局、他人に属するような活動を行なっているということを意味している。何故なら、神々や自然ではなく「ただ人間そのもの」(100頁)にしか、それらは属しようがないからである。それ故、労働者の活動と生産物に対する関係が、その活動と生産物に対する(労働の外部に立つ)他の人間の関係を生み出すのである。
 勿論、資本が賃労働を生み出す側面も存在する(102頁参照)。しかし、概念的把握にとっては、より直接的な、生産者と生産の関係から出発すべきなのである。ところで、資本家の所有関係自体の考察は〔第二草稿〕において始めて行われるのであって、この「疎外された労働」の第四規定の考察では、次の点が確認されれば十分である。
 即ち、この関係(第四規定)は、第一〜第三規定の論理的・必然的帰結として生成する、ということ。亦、〔第一草稿〕後段で使われている「私的所有」の一つの意味は、この「労働者及び労働に対する非労働者の所有関係」(106頁)であるということである。
「労働に対する労働者の関係は、労働に対する資本家の……関係を生み出すのである。従って私的所有は、外化された労働の、即ち自然や自分自身に対する労働者の外的関係の、産物であり、成果であり、必然的帰結なのである。」(102頁)
 以上「疎外された労働」概念の四つの規定を、特に第三規定を中心に概説してきたが、今度は、この「疎外された労働」概念全体の意義を考察しておこう。
 マルクスは〔第一草稿〕前段において主としてスミスの学説に基づきながら、これを補いつつ、近代市民社会の構造と運動に関する表象を確定した。しかし、〔第一草稿〕後段に入るや否や、古典派経済学の根本的欠陥は、彼らがその法則を概念的に把握しない点にある、と批判される。こうして、〔第一草稿〕後段以降におけるマルクスの課題は、私的所有の本質から如何にしてそれらの諸法則が生じるかを確証することとなる。
 この課題は、何よりも先ず私的所有の本質を剔出し、経済学的諸範疇をその本質の発展した諸形態として発生的に展開することによって遂行される。その際、「疎外された労働」概念によって、私的所有の本質は、他人の労働及び労働生産物の領有、あるいはむしろ、労働及び労働生産物からの労働者の疎外に他ならないことが明らかになる。この本質把握によってマルクスは、同時代あるいは彼に先行する私的所有の弁護論者(例えば、ヘーゲル)や否定論者(例えば、プルードン)を超克し、彼独自の理論体系(「経済学批判」体系)の不動の基礎を確立する。
 それと同時に、人類の発展史における私的所有の意義と限界の問題は、今や歴史の問題から構造の問題・論理の問題へと再定式され、次の様に設問され直される。
「しかし我々は、……二つの課題の解決を試みよう。
(1)疎外された労働の結果として明らかになった様な私的所有の一般的本質を、真に人間的なそして社会的な所有に対するそれの関係の中で規定すること。
(2)我々は労働の疎外を、その外化を、一つの事実として受け取り、そしてこの事実を分析したのであった。そこで我々は問おう。如何にして人間は自己の労働を外化し、疎外する様になるのか、と。この疎外は人間の発展の本質の内に如何に基礎づけられるのか、と。
 我々は既に、私的所有の起源に関する問題を、人類の発展行程に対する外化された労働の関係という問題に置き替えることによって、この課題を解決する為に多くのものを獲得してきた。……云々。[15]」(104-5頁)
 言うまでもなく、この「二つの課題」は、〔第一草稿〕前段における「二つの問い」(28頁)を「疎外された労働」概念を媒介にして、より高次の論理段階で再提出したものである。そして、この「二つの課題」以降の叙述から判断するならば[16]、マルクスは、〔第二草稿〕において「労働者及び労働に対する非労働者の所有関係」(106頁)の考察を通してこの課題に答えようとしていたと思われる。事実、この〔第二草稿〕ヘの「付論」である〔第三草稿〕において、その解答と思われるものが存在している。そこで次に、この〔第三草稿〕を考察することにしよう。

【補論:〔第一草稿〕「中断・放棄」説の書誌的検討】

 〔第一草稿〕→『ミル評註』の執筆順序を推定したラーピン論文は、それ以前から存在していた〔第一草稿〕「中断・放棄」説にとって好都合なものであった。〔第一草稿〕末尾の約10頁分の余白の存在と〔第一草稿〕→『ミル評註』の順序推定が、この「中断・放棄」説を書誌的に裏付げていると判断したからに他ならない。
 だが、この約10頁分の余白は、はたして〔第一草稿〕が「中断・放棄」されたことを意味する余白なのであろうか。そこで、この余白の意味を、ラーピン論文以後山中・服部両氏によって明らかとなった書誌的研究の成果から検討して見よう。
 服部氏の研究成果に従って〔第一草稿〕の頁付げとボーゲン(以下Boと略記)との関係を復元して見ると、以下の如くなっている。〔第一草稿〕は、第1Boを一番下に、第9Bo一番上に来る様に順次重ね、真中で谷折りにした形になっている。谷折りの内側を「表」と呼ぶと、マルクスの書き順は、次の様になっている。
 〔第一草稿〕泄ナをマルクスは、第6Bo裏左から書き始め、を同Bo裏右、。を同Bo表右へと書き進んでいる。従って、書き始めた時のマルクスは、9Bo重ねて谷折りにすることまでは予定しておらず、三欄に区分された記述が同一Boで連続させられる様に書き進んだのである。
 しかし、その過程で、この書き方を変更する。つまり、第6〜9Boを重ねて谷折りにした状態で連続する様に書き始めるのである。つまり、第7〜9Boの右側の表裏を「〜ァ頁に当てているのである。「は第7Bo裏右、」は同Bo表右、、は第8Bo裏右、・は同Bo表右、ヲは第9Bo裏右、ァを同Bo表右、と続けているのである。
 次に、第6〜9Boの右表裏を書き尺くしたマルクスは、その続きを第6〜9Bo左の表裏に書いていく。つまり、ィはァの続きとして第9Bo表左に、ゥは同Bo裏左、ェを第8Bo表左にという具合に、第6Bo表左にュ氓ェ来るまで続けている。このュ氓ナもって第6〜9Boは表裏、左右とも埋められたことになる。
 このュ泄ナでも足りなくなったマルクスは、第6〜9Boとは「用紙の判型や種類や紙質が明瞭に区別されうる[17]」第1〜5Boをその下に重ねて継ぎ足し、次の様に書き進んでいる。即ち、第5Bo表左をュに当て、続きの同Bo表右をュ。に当てて以降は、各Boの右の表裏だけを埋めていくのである。こうして、第5Bo裏右にィァを、第4Bo右にィィ、同Bo裏右にィゥと続けて行くと、第1Bo裏右がィィ・となる。この第1Bo裏右が4行書かれただけで、〔第一草稿〕が終っているのである。
 そして、以上の9Boを谷折りにし、折り目が左になる様に横にすると、ィィ・頁である第1Bo裏右が下に、余白となっている同Bo裏左が上に来る。この上になった第1Bo裏左にマルクスはHeft 氓ニ記しているのである(このHeft 氓左に開いた右側の頁、つまり第2Bo左には、「早くとも1845年8月のマンチェスター滞在中またはそれ以後に作成されたものと判断しうる[18]」29点の著作目録が記されている。)
 ここで、36頁中26頁と4行しか書かれていないということを改めて考えて見よう。今日我々が市販のノートに、最初から順番に書き込む様に書いていて生じた余白ならば、それは内容上完結したか、中断ということもあり得る。だが、〔第一草稿〕は、その後段(所謂〔疎外された労働〕部分)で私的所有の関係の二つの構成部分の内、一方のみを考察し、他方を考察しようという予告でもって終わっている。既に考察した如く、内容上は〔第二草稿〕がその残された他の構成部分を考察したものである。だとすれば、何故、余白部分に続けてィィヲ以降の頁づけがなされていないのであろうか。
 原因はマルクスの書き方にある様に思われる。マルクスは書き始めた時と、同一の紙質のBoが尽き、新しく第5Boを追加した時にだけ、そのBoの左右を連続させている。しかし、それ以降は、束ねて析った状態での続き具合を考えて、各Boの右だけあるいは左だけを書き進めているのである。
 更に、〔疎外された労働〕部分のィェ頁以下、第1Boの右裏ィュ頁にも予め三欄区分がなされ「労賃」「資本利潤」、「地代」の表題づけがなされていることは、マルクスがこの第5Boを追加する際、どの程度の頁が必要かについての明確な展望を持たず、差し当たり5Bo用意したに過ぎないことを意味している様に思われる。
 そして、この5Boに、各Boの右の表裏にだけ書いていき、ィィ、頁で「労働としての私的所有」の関係の考察を終え、このィィ、からィィ・頁に掛げて次の考察対象である「資本としての私的所有の関係」のプランを書き留めたのである。
 従って、約10頁分の余白とは言っても、実は約1頁の余白と、9頁分の用紙のムダと言えなくもない。このムダは、マルクスが分量について明確な展望を持たない上に、先の様な書き進め方をしたことから生じたものであろう。少なくとも、この約10頁分の空白の存在自体から、「中断・放棄」を云々することはできないであろう。


第2章 『経済学・哲学草稿』における〔第三草稿〕の位置と「類的本質存在」規定

 A. 〔第三草稿〕の位置とその主内容

 『経済学・哲学草稿』〔第二草稿〕の現存部分は、マルクス自身の頁づけによるところのィL〜ィL。の4頁だけである。〔第三草稿〕は、この〔第二草稿〕のィィィ、頁とィィィァ頁への付論、「内容から見て明らかに序文と思われる文章[19]」(297頁)及びKARL MARX‐FRIEDRICH ENG: GESAMTAUSGABERKEで〔貨幣〕と表題をつけられている「一つの独立した付論」(297頁)から成っている。〔第三草稿〕が主として〔第二草稿〕の失われた部分に対する付論であることは、形式上明確である。というのも、〔第三草稿〕〔一、 私的所有と労働〕(とKARL MARX‐FRIEDRICH ENG: GESAMTAUSGABERKEで表題をつけられた部分)の最初にad pag. ィィィ、.、〔二、 私的所有と共産主義〕の第一・第二バラクラには、各々ad pag.ィィィァ.、ad ibidem.と記されているからである。
 このことは更に、内容上からも確認し得る。何故ならば、〔第一草稿〕後段と〔第二草稿〕とは私的所有の発展の頂点としての資本の直接的生産過程の二面的分析であった。前者においては、「労働及び労働生産物に対する労働者の関係」が考察され、「疎外された労働」概念の論理的・必然的帰結として、「私的所有の概念」が、即ち「労働及び労働生産物に対する非労働者の所有関係」が導出され、後者においてこの所有関係が詳論されていた。そして、〔第三草稿〕の先の三つの付論は総て、「私的所有の主体的本質は(疎外された……大石)労働である」という命題に関連したものだからである。
 では次に、各部分の主内容を検討し、〔第三草稿〕が内容的にも〔第一草稿〕後段を前提としていることを論証して見よう。

〔一、 私的所有と労働〕
 この付論のテーマは、私的所有の本質としての労働を「産業(Industrie)」の主体的本質として対自的に捉え直すことによって始めて、資本の世界史的力や経済学の発展が論理的に必然的なものとして把握できる、という点にある。
 先ずマルクスは、労働をその原理として認識したA.スミスが始めて、私的所有を人間の外部にある一状態とは考えなくなったこと、このスミスから見れば、私的所有を単なる対象的な存在としてしか認めない重金・重商主義は呪物崇拝者、カトリック教徒であり、逆にスミスは「国民経済学上のルター」(120頁)である、と記している。
 ルターは神学的討論を通して贖宥の効力と範囲を明らかにし、贖宥と教会の現状を改善しようとして、次の様な結論に達した。
「こうして我々は、キリスト者は信仰で十分であり、義とされるために何の行いも必要としなければ、確かに一切の戒めと掟とから解放されている。彼が解放されているなら、確かに自由である。これがキリスト者の自由であり、唯一の信仰である。[20]」
 ここで、ルターは「宗教心を人間の内面的本質とすることによって、外面的な信心を止揚した」(120頁)。同様に、「労働一般」を富の源泉として認識したスミスによって、「富の外在的な没思想的な対象性は止揚され」(同上)た。しかしそれと同時に、「〔人間そのものが私的所有の本質と認められる〕ために、人間そのものは、ルターの場合に宗教の規定の中におかれているのと同様に、私的所有の規定の中におかれることになる」(同上)。
 古典派はこの富の主体としての人間労働を人間的なものと看做している[21]。従って、彼らは労働こそ富であるという見解から出発しながら、その労働の直接的担い手たる労働者がもっとも惨めな状態にあるということに何の矛盾も感じない。これが古典派経済学のシニシズム(Zynismus)と呼ばれるものである。マルクスはこの古典派のシニシズムが現実の国民経済の科学的反映であることを認めた上で、その根本原因を次の点に見出す。
「彼らは私的所有をその活動的な形態において主体とし、従って正に人間を本質とすると同時に、非本質としての人間を本質とするのであるから、現実の矛盾は、彼らが原理として認識したところの矛盾に充ちた本質に完全に対応している。」(122頁)
 〔第一草稿〕後段に関連させて言えば、古典派のシニシズムとは、「国民経済学が単に疎外された労働の諸法則を言い表したに過ぎ」(103頁)ず、マルクスは「外見上のこの矛盾」(103頁)を、「労働者(労働)と生産との間の直接的関係を考察」(90頁)することから出発し、諸範疇の発生的展開によって「疎外された労働の法則」として解明しようとしているのである。
 本論に戻ろう。スミスにおいて富の本質が人間労働一般として始めて把握されたとすれば、ケネーは、「重商主義からA.スミスへの通路」(122頁)として位置づけられる。何故なら、彼にあって「富の主体的本質は、既に労働へと移されている」が、依然として「農業が唯一の生産的労働」(123頁)という制限性をも有しているからである。ケネーにおいては、「労働は、まだその普遍性と抽象において捉えられてはいない」(123頁)のである。
 しかし、マルクスはこのケネーからスミスへの流れの中に「富の普遍的本質が認識されるようになり、従って労働がその完全な絶対性、即ち抽象において原理にまで高められていくという必然的な進歩」(123頁)を見出す。何故「必然的」であるかと言えば、「産業の主体的本質は同時に土地所有の主体的本質をも包括しているから」(124頁)であり、「労働一般」(123頁)は農耕労働をその一部として含んでおり、抽象性において劣るものは、抽象において原理にまで高められたものへと向かわざるを得ないからである。
 要するに、マルクスは私的所有の発展の頂点としての「資本」の主体的本質が疎外された労働に他ならないことを明らかにすることによって、私的所有がその「完成された客観的形態」(125頁)である「産業資本」(同上)へと発展せざるを得ない論理的必然性を、亦この発展に対応じて、経済学も農耕労働から労働一般を富の主体であると認識するに至らざるを得ないこと、そして最後に、古典派の外見上の矛盾(シニシズム)は疎外された労働の諸法則として解明できることを掴んだのである。

 〔二、 私的所有と共産主義[22]〕
 第一パラグラフについて:
 ここでのテーマは、無所有と所有の対立を労働と資本との対立として、更に労働の自己矛盾として対自化することによって、資本という私的所有の頂点が、同時にその没落点に他ならない論理的必然性を明らかにすることにある。
 〔第二草稿〕でマルクスは、「労働者は資本を生産し、資本は労働者を生産する。従って労働者は自分自身を生産するのである。そして労働者としての、商品としての人間が全運動の産物なのである」(107頁)と述ベ、資本の生産過程で労働者が利潤を伴って資本を再生産すると同時に、自分自身を無所有で、売ることを強制された商品として生産することを解明した。
 成程、所有と無所有の対立は、確かに既にローマ時代から見られる。しかし、資本と労働の対立は、単なる無所有と所有の対立ではない。この対立は私的所有そのものによって定立されたもの」(126頁)である。資本の生産過程を分析すれば、「労働とは自己にとって失われた人間であるということが、資本のところに客体的に存在すると同様に、資本とは全く自己にとって失われた人間であるということが、労働者のところに主体的に存在する」(107頁)ということが解明される。
 資本と労働は相互に前提し合うと同時に排除し合う、矛盾関係である。資本と労働との対立は、疎外された労働の自己矛盾に他ならず、私的所有関係の頂点であると同時に、その没落点でもある。
「しかし所有の排除としての私的所有の主体的本質である労働と、労働の排除としての客観的労働である資本とは、その発展した矛盾関係としての私的所有、従って解消へと駆り立てるエネルギッシュな関係としての私的所有である。」(126頁)

 第二パラグラフ以降について:
 ここでのテーマは、疎外の止揚とは如何なるものであり、亦如何なるものであってはならないかを、疎外把握そのものから展開することであり、マルクスは次の様に展開している。
(1) 自己疎外の止揚形態としての三つの共産主義について(126-31頁)。
(2) 歴史の全運動は結局、疎外と疎外の止揚の運動であるということ(131-2頁)。
(3) 私的所有止揚後の生産と消費の運動の一般的性格について(133-5頁)。
(4) 私的所有の止揚が人類史上有する意義について(136-41頁)。
(5) この止揚は同時に、従来の理論的諸対立の現実的解決でもあるということ(141-8頁)。
 では以上の内容を簡単に考察して見よう。
 先ず、「自己疎外の止揚は、自己疎外と同一の道程をたどっていく」(126頁)と述べ、私的所有の主体的本質に関する認識の発展と対応じて私的所有止揚論が整理・評価される。
(1) 「ただその客体的側面においてだけ」(126頁)の私的所有止揚論(プルードン)。
(2) 「労働の特殊な仕方」(同上)による止揚論(農耕労働のフーリェ、産業労働のサン・シモン)。
(3) 私的所有の関係をその普遍性において捉える共産主義。
 a. 「私的所有に対して普遍的な私的所有を対置しようとする」(127頁)共産主義=「粗野な共産主義」(130頁)。
 b. 人間の自己疎外の止揚として自覚しているが、「私的所有の積極的本質を捉えておらず、同様に欲求の人間的性質をほとんど理解していない」(130頁)共産主義。
 c. 「社会的即ち人間的な人間としての人間の、意識的に生まれてきた、亦今までの発展の全成果の内部で生まれてきた完全な自己還帰としての共産主義[23]」(130-1頁)。
 マルクスに依れば、人間の歴史は、「人間そのものが私的所有という外面的な存在に対して……外面的な緊張関係に立つ」(120頁)という事態から、「人間そのものが私的所有のこの緊張した存在となる」(同上)事態への疎外の発展史であり、亦それに対応した自己疎外の止揚の発展史でもある。
「それ故、歴史の全運動は、共産主義を現実的に生み出す行為──その経験的現存を産出する行為──であるとともに、共産主義の思考する意識にとっては、共産主義の生成を概念的に把握し意識する運動でもある。」(131頁)
 一つ注意すべき点を挙げておこう。『経済学・哲学草稿』以降のマルクス「経済学批判」が「物質的な、直接に感性的なこの私的所有」(132頁)を分析し、その止揚を意図しているのは、そこでの疎外が意識と現実の両面(=人間の全体)に及んでいるからであり、その止揚も両面に及ぶものだからである。従って、マルクスの「経済学批判」は、一つの新しい経済学というよりは、唯一現実的な「人間についての(自然的)科学」(143、144頁)と呼ばれ、そう理解されるべきものなのである。
 続くパラグラフでは、マルクスは私的所有の止揚後に生産と消費が有する性格について、次の様に記している。
「これまで我々が見てきたのは、積極的に止揚された私的所有という前提のもとで、どのようにして人間が人間を、自己自身と他の人間とを生産するか、亦人間の個性の直接的な実証である対象が、どの様にして同時に他の人間即ち他人の現存に対する彼自身の現存であり、そして彼に対する他人の現存であるか、ということである。しかし労働の素材も主体としての人間も、まったく同様に、運動の結果であるとともに出発点でもある(そしてそれらが運動の出発点でなければならないということ、正にこの点に私的所有の歴史的必然性が存するのである)。従って、社会的性格が、この全運動の一般的性格である。」(133頁)
 この記述について、注意すべきは次の諸点である。
 先ず第一に、引用文中の「この全運動」とは、歴史的な疎外とその止揚の運動ではない。「積極的に止揚された私的所有という前提のもとで」の生産と消費の運動だということである。このことは、引用文が「これまで我々が見てきたのは」で始まっていること、「社会的即ち人間的な人間としての人間の、意識的に生まれてきた、亦今までの発展の全成果の内部で生まれてきた完全な自己還帰としての共産主義」に関する記述が、この引用文と一致していることからも明らかである。このことは、後に考察する予定の、「この全運動の一般的性格」である「社会的性格」の理解にとって極めて重要である。
 第二に、引用文中のカッコ内は、〔第一草稿〕後段末尾近くで設問された「二つの課題」(104頁)に対する答えの一端を示している、ということである。「私的所有の歴史的必然性」とは具体的には如何なるものであるかについても、後に考察されるであろう。
 本論に戻ろう。マルクスは続いて、私的所有の止揚は、「彼(人間……大石)の全面的本質を全面的な仕方で、従って一個の全体的人間として自己のものとする」(136頁)ということであって、「単なる直接的な一面的な享受という意味でだけ捉えられてはならない」(同上)と強調している。従って、「私的所有の止揚は、一切の人間的な感覚や特性の完全な解放であ」り、また逆に、それらの解放の為にも私的所有は止揚されねばならないと言うのである。
 最後にマルクスは、現実的な科学は感性的意識と感性的欲求から出発するものでなければならないこと、「産業の歴史と産業の生成し終わった対象的現存とが、人間的な本質諸力の開かれた書物であり、感性的に提示されている人間的な心理学である」(141頁)こと、更に「主観主義と客観主義、唯心論と唯物論、〔能動的〕活動と〔受動的〕苦悩」等の「理論的な諸対立の解決でさえも、ただ実践的な仕方でのみ……可能であり、……哲学はそれをただ理論的な課題としてだけ捉えたからこそ、それを解決できなかった」(141頁)ことを明らかにしている。
 要するに、〔第三草稿〕〔二〕の第二パラグラフ以降は、私的所有とは労働の疎外であり、従って人間の意識と現実の両面に亙る自己疎外であることを踏まえて、この自己疎外を従来の全成果の中で積極的に止揚することの意義を、人間の現実、意識、感覚、特性及び従来の理論的諸対立等々の多岐に亙って論じ、結局それは「全体的人間(ein totaler Mensch)」(136頁)の誕生であり、「人間的労働による人間の産出、人間の為の自然の生成」(147頁)に他ならないことを明らかにしたのである。

 〔三、 欲求、生産、分業〕
 ここでのテーマは、人間的欲求の豊かさ、従って亦生産の新しい様式並びに生産の新しい対象が、私的所有の前提下において有する意義を明らかにすることにある。このテーマを、マルクスは次の様に展開している。
^ 私的所有の下では、諸々の欲求とそれらの手段の増加は欲求と手段の喪失を生み出すということ、即ち社会主義を前提した場合とは逆の意義を持つことを示し、
_ 国民経済学者によるその証明を、その矛盾した性格の中から示す。即ち、国民経済学は「富の科学」(153頁)であると同時に「節約の科学」(同上)でもあり、「産業(=Industrie=勤労)の科学」(同上)であると同時に「禁欲の科学」(同上)でもあるということから示す。
` 次に、こうした国民経済学上の理論上の対立・矛盾は実践によってのみ解決し得ること、亦、その解決としての共産主義の意義と限界を明らかにしている。
 では、その内容を簡単に整理してみよう。
 社会主義を前提した場合、人間的諸欲求の豊かさ、従ってまた生産の新しい様式並びに生産の新しい対象は、「人間的本質力の新しい実証活動と人間的本質の新しい充実」(149頁)という意義を持つのに対して、私的所有の下では、逆の意義しか持たないと言う。
「各人は他人に一つの新しい欲求を創出しようと思惑し他人に新しい犠牲を強制しまた他人を新しい従属におとしいれて彼を享楽の新しい様式へ、従ってまた経済的破滅の新しい様式へと誘い込む。各人は、他人に対して一つの疎遠な本質力を作り出そうと努め、そこに自分自身の利己的な欲求の満足を見出そうとするのである。」(149頁)
 従って、私的所有の下における諸対象の増大は、「人間がそれに隷属させられるところの疎遠な存在の領土」(同上)の増大でしかなく、「新しい生産物の一切は、相互のだまし合いと相互の奪い合いの新しい潜勢力(Potenz)」(同上)でしかない。
 つまり、私的所有の下では、新しい対象の増大は貨幣の力の増大であり、人間自身の持つ力の減少を意味している。その結果、「貨幣に対する欲求が、国民経済によって産み出された真の欲求」(149-50頁)となる。この貨幣は、抽象的な存在──「抽象的」とは、一切の自然的・社会的規定性が捨象されているということ──であるから、「際限のなさ(Masslosigkeit)と節度のなさ(Unmaessigkeit)とが貨幣の真の尺度(Mass)」(150頁)ということになる。この貨幣の際限のなさと節度のなさは、人間主体においては次の様な二面で現われる。
^ 「生産物や欲求の拡大が、非人間的ですれからしの、そして不自然で妄想的な欲望の奴隷に、ぬけめがなくて常に打算的な奴隷になるという形で現れる」(150頁)。
_ 「この疎外が自らを示すのは、一つの側面では諸々の欲求とそれらの手段の洗練化を、別の側面では欲求の獣的な野蛮化……を生み出すことによってである」(151頁)。
 この「欲求の獣的な野蛮化」の一例として、マルクスは次の様な記述を残している。
「人間は人間的な欲求を何ひとつ持たないだけでなく、動物的な欲求すら持たなくなっている。アイルランド人はわずかにただ食うという、しかもわずかにただジャガイモを食うという、その上更に、ジャガイモの中でも最劣等種のくずジャガイモを食うという欲求しか持っていない。しかしイギリスもフランスも、各工業都市の中に既に小さなアイルランドを持っているのだ。」(152頁)
 要するに、私的所有の下においては、「諸々の欲求とそれらの手段の増加が……欲求の喪失と手段の喪失」(152頁)でしかなく、貨幣の力が増大するだけだ、というのである。
 次に、欲求と手段の増加が如何に欲求喪失と手段喪失を生み出すかを国民経済学者がどの様に確証しているかを論じてゆく[24]。
^ 「国民経済学者は、労働者の欲求を肉体的生存のぎりぎり必要で最低の維持にまで制限し、しかも労働者の活動を最も抽象的な機械的運動にまで還元することによって証明する。」(153頁)
_ 「国民経済学は、ぎりぎり貧窮した生活(生存)を標準として、しかも一般的な標準として算出することによって証明する。大多数の人間に妥当するから、一般的だ、というのである。」(同上)
 スミスやリカードウが冷徹に暴き出したことは、既に〔第一草稿〕前段で確認している様に、「労賃にとって最低の、どうしても必要な水準は、労働者の労働期間中の生活を維持できるという線であり、そしてせいぜい労働者が家族を扶養することができ、労働者という種属が死滅しないですむという線である。スミスによれば、通常の労賃は、最低の労賃、つまりむきだしの人間性即ち動物的生存にふさわしい労賃である」(18頁)ということであった。従って、「国民経済学、即ち富についてのこの科学は、同時に(労働者にとって……大石)諦めの、窮乏の、節約の科学であり、……驚くべき産業〔勤勉〕の科学は、同時に(労働者にとって……大石)禁欲の科学」(153頁)であるという二側面の中に、欲求とその手段の増大が私的所有下では欲求喪失と手段喪失でしかないことが語り出されているのである。そしてこの欲求喪失は、ミルの人口論において「最もきらびやかに姿を現している」(158頁)と付言している。
 勿論、経済学者達自身は、欲求とその手段の増大が如何にしてそれらの喪失になるかは解明し得ていない。それ故、同じ国民経済学の土俵上で、次の様な論争が生じている。
(1) 「一方の側(ローダデール、マルサス等々)は、贅沢をすすめ節約をのろい、他方の側(セー、リカードウ等々)は、節約をすすめ贅沢をのろっている」(155頁)。
(2) 「金属貨幣の呪物崇拝者である諸国民(フランス人……大石)」と「完成の域に達した貨幣諸国民(イギリス人……大石)」(160頁)との対照。
(3) またシュバリエのリカードウ批判に見られる道徳と国民経済学との対立(157-8頁参照)等。
 マルクスに依れば、こうした理論上の諸対立は、論争当時者の双方が「疎外された労働の諸法則」(103頁)の諸契機の一つを抽象的に固定化していることによって生じたものに過きず、これらの理論上の諸対立を解決する為にも、「疎外された労働の諸法則」自体を現実的に止揚しなければならない、と述べている。
「理論上の謎を解決することが、如何に明確に実践の課題であり、どれほど実践的に媒介されているかということ、また真の実践が、如何に現実的な理論の条件であるかということは、例えば呪物崇拝によって示されているのである」(160頁)
 この呪物崇拝者とそうでない者(例えば、古代ギリシア人)との間の「感覚的な意識」(同上)の相違から、マルクスは「感覚と精神との抽象的な敵対性」(同上)を解消し得るためには、「自然に対する人間的な感覚が……人間自身の労働を通して生み出され」(同上)なければならない、とも付言している。
 次にマルクスは、「疎外の止揚は、支配的な力を持っている疎外の形態から常に生じる」(160頁)こと、またイギリス、フランス、ドイツにおける近代市民社会批判の諸理論の批判や承認はこの観点から行われるべきこと、を論じている。つまり、フランス人の「平等」とドイツ人の「自己意識」とは、表現方法は異なるがその内容は同じものである。その同じ内容とは、「人間が本質的に一であること、……人間の類意識と類としての態度……人間と人間との実践的同一性[25]」に他ならない[26]。従って、ドイツ人は哲学上、フランス人は政治上、イギリス人は「実際的な欲求から」(161頁)疎外の止揚を要求している点に各々の意義と限界が存在している、と批判している。そして約1頁に亙る原文の欠落の後、ドイツの「自己意識」を次の様に批判している。
「私的所有の思想を止揚するためには、考えられた共産主義で十分である。しかし、現実的な私的所有を止揚するためには、現実的な共産主義的行動が不可欠である。」(161頁)
 そしてこの行動は、きわめて凹凸の長い過程を経るであろうが、既に労働者にも進歩が見られるという。一つは、現実的に疎外されているという意識を持っているということ(161参照)。もう一つは、彼らが「それ(教説、宣伝等々……大石)を通して一つの新しい欲求、社会的結合(Gesellschaft)の欲求を獲得している」(162頁)ということである。
 続いてマルクスは、「疎外」を広義に規定し(163-4頁)、歴史上の疎外(手段の自己目的化……大石、162-3頁参照)の発展の概略を示した後で、次の様に述ベ、この〔第三草稿〕と(〔第一草稿〕後段及び)〔第二草稿〕との関連を示している。
「こうして、見られる通り、労働が私的所有の本質として捉えられることによって始めて、国民経済的運動そのものも亦、その現実的な規定性の中で洞察され得るのである。」(168頁)
 最後に、「分業は、疎外の内部での労働の社会性についての国民経済学的な表現」(168頁)に過ぎないが、この「分業の本質」(169頁)について、「国民経済学者達は極めて不明確であり、また互いに矛盾している」(同上)こと。しかしその中にも一致点があることを引用によって示したあと、次の様な注目すべき記述を残している。
「@分業と交換とが私的所有を基礎にしているということは、労働が私的所有の本質であるという主張、即ち国民経済学には証明することができないが、彼らに代わって我々が証明しようとしている主張に他ならない。
 A分業と交換とが私的所有の諸形成態(Gestaltungen)であるということ、正にこのことの中に、次の二重の証明が存している。即ち、一方では、人間的生活がその実現の為に私的所有を必要としたということ、他方では、それが今や私的所有の止揚を必要としているということ、の証明が存しているのである。」(175-6頁。番号は大石。)
 引用文中の@で分業と交換とが基礎にしているという「私的所有」とは、スカルベクに関する二箇所の論述(172、175頁)から判断するならば、明らかに「排他的な私的所有の権利(Recht des exklusiven Privateigentums)」(172頁)である。次に、分業と交換とは「類に適合した活動と本質力としての、人間的活動と本質力との、明らかに外化された表現」(175頁)と理解されている。それ故、「基礎にしている(beruhn auf)」とは、私的所有権によって、類的活動としての「実践的な人間活動」(93頁)が疎外され、「労働」になるということである。この主張は一面では正しい。資本の生産・再生産過程を表面的に見る限り、資本家が労働者を雇い、資本によって賃労働が生産過程に入ることも見られるからである。この側面をマルクスは十分認めている(102頁参照)。しかしながら、その資本、私的所有権こそ説明されなければならない当のものでもある。
 従って、スカルベクが「分業と交換とは私的所有(権)を基礎としている」と述べているのは、スミス、セー、リカードウ等が「利己心」から分業と交換の発生を説いたのに対して、それを「客観的な形式」(175頁)で表現したということである。しかし彼らの内誰一人として、それらの論理的発生(Genesis)を解明していないのである。これに対してマルクス唯一人が、「疎外された労働概念」から「私的所有の概念」の論理的必然的発生を解明し得たのである。従って、「分業と交換とが私的所有を基礎にしている」という主張は、実は、「(疎外された……大石)労働が私的所有の本質である」というマルクス自身の主張に他ならない。
 では、このマルクスの主張は、何故「国民経済学者には証明することができない」ものなのであろうか。成程、富の本質が労働(一般)であると看破したのは古典派経済学自身である。しかし、彼らは、この資本主義的「富」の本質としての「労働」を、自然で、人間的な活動と看做したのである。それ故、彼らが現実の諸法則を科学的に、忠実に反映すればする程、シニシズムに陥らざるを得ない。富の主体的本質としての「労働」が「実践的な人間活動の疎外の行為、即ち労働」(93頁)として捉えられ、国民経済的諸法則が「疎外された労働の諸法則」(103頁)に他ならないことが発生的に展開・説明されて始めて、このシニシズムから解放される(ただし、理論上のみ)。
 従って、スミスやリカードウの経済学体系では、「労働が私的所有の本質であるという主張」は未だ「証明」されていないのである。あるいは、誤解を恐れずに言えば、古典派にはそもそもこの主張を「証明」しようという意識すらないのである。事実、リカードウの『経済学及び課税の原理』でもって論争が終焉した訳ではない。
 次に、先の引用文中のAについて考えて見よう。「諸形成態である」とは、分業と交換との不可欠な前提が私的所有(権)であり、この私的所有の具体的な現れが分業と交換に他ならない、ということであろう。ここから、私的所有の種々の発展段階はとりもなおさず、分業の種々の発展段階に他ならないということ、及びその逆のことも判明する。更に亦、「ブルジョア的所有を定義することは、ブルジョア的生産のあらゆる社会的諸関係を説明することに他ならない[27]」という見解も、ここから派生するのである。
 では、「正にこのことの中に……二重の証明が存在している」とは、どういう意味であろうか。この「二重の証明」が〔第一草稿〕後段末尾付近での「二つの課題」(104頁)の一つと密接に関連していることは言うまでもない。そこで、この関連を明らかにするという視点から考察を進めよう。
 マルクスに依れば、「分業とは、疎外の内部での労働の社会性についての国民経済学的な表現である」(168頁)。この「社会性」の意味・内容については後に詳しく検討するとして、差し当たり重要なことは次の諸点であろう。
(1)「疎外の内部での……社会性」と言われている様に、分業においては、マルクスの言う「労働の社会性」は、まだ名実伴った「社会性」とはなっていない、ということ。
(2)この「社会性」が真の「社会性」となる為には、一定の主体的・客体的諸条件が不可欠であること。
(3)それらの諸条件を歴史的に生み出し、真の「労働の社会性」を準備するものが分業と交換であること。
(4)それ故、「一方では、人間的な生活がその実現の為に私的所有を必要としたということ、他方では、それ(人間的生活……大石)は今や私的所有の止揚を必要としている」(176頁)という「二重の証明」は、分業の次元、即ち労働の次元で捉えられ、その証明を与えられるのである。
 私的所有に関する「二重の証明」とは、疎外された労働に関する「二重の証明」であり、人類の発展史上における「類」的活動の外化と止揚の意義に他ならない。
 後に詳しく考察されるであろうが、真に人間的な生活は、人間的な欲求と自己実現としての対象的な活動とその産物としての豊富な諸対象の現存を必要とする。人間は、自覚的にこれらを生み出せるまでは、差し当たり「疎外」という形式においてしか、生産できないのである。私的所有の、従って亦疎外された労働の二重の証明は、それを通して始めて、真に人間的・社会的な生活のための主体的・客体的諸条件が歴史的に生成する、という点に存在するのである。
「しかし、(私的所有止揚後の社会的生産・社会的享受にとって……大石)労働の素材も主体としての人間も、全く同様に、(生産─消費の……大石)運動の結果であるとともに出発点でもある(そしてそれらが運動の出発点でなければならないということ、正にこの点に私的所有の歴史的必然性が存するのである)。」(133頁)

 〔四、 貨幣[28]〕
 この部分でのテーマは、貨幣の本質や諸機能を経済学的に解明することにあるのではない。ここでのテーマは、人間の諸感受性や諸情熱と対象との関係及び私的所有下におけるその関係を規定することである[29]。このテーマをマルクスは概略次の様に展開している。
 人間の諸感受性、諸情熱などは人間学的諸規定であるだけでなく、真に存在論的な本質(自然)肯定であり、この人間の諸感受性、諸情熱は、対象が感覚的に存在することによってのみ、現実的に肯定されること(178頁)。こうした対象は資本制的生産を通して豊富に生産されるのであるから、「発展した産業を通して、即ち私的所有の媒介を通して始めて、人間的情熱の存在論的本質は、その総体性においても亦その人間性においても生成すること……私的所有の意味は……それがその疎外から解放されるならば……活動の対象としても享受の対象としても、人間にとって本質的な諸対象の現存であるということ」(178-9頁)は明確であろう。
 ところが、この私的所有下においては、貨幣が人間にとっての「対象」となっているのである。
「貨幣は、一切のものを買うという属性を持ち、一切の対象を獲得するという属性を持っているから、従って貨幣は優れた意味における対象である。」(179頁)
 この貨幣の属性の普遍性は、貨幣の存在の全能さであり、貨幣は人間の欲求と対象、人間の生活と生活手段との間の縁結び役であり、縁切り役である(同上)。
 この貨幣の諸属性は、貨幣所有者の諸属性、本質諸力であるから、彼がそうでありまたそうし得るところのものは、もはや彼自身の個性によって規定されるのではない(182頁)。従って、貨幣所有者は、彼個人としてはそうではなくまたそうし得なくとも、貨幣によって、そうでありまたそうし得るようになるのである。つまり、「貨幣は諸々の個性の全般的な転倒であって、個性をその反対のものに逆転させ、そしてそれらの属性に矛盾する属性を付与する」(185頁)のである。
 以上の様に、私的所有下における「対象」としての貨幣と人間の個性との転倒した関係を論じた後、マルクスは「人間を人間として、また世界に対する人間の関係を人間的な関係として前提し」(186頁)た場合、「人間に対する──また自然に対する──君のあらゆる態度(Verhaltnisse=関係、ふるまい)は、君の現実的な個性的な生命の、ある特定の発現しかも対象に相応した君の意志の発現でなければならない」(186-7頁)と結んでいる。

 〔五、 ヘーゲル弁証法及び哲学一般の批判〕
 この部分のテーマは、その観念論故にヘーゲルの弁証法が如何なる一面性と限界を孕んでいるか、更に亦、そのヘーゲル哲学を批判しているシュトラウスやバウアー等が果たしてヘーゲルを止揚しているか否か、を明らかにする点にある。しかもその要点は、ヘーゲルにおける「疎外」と「疎外の止揚」把握の意義と限界を明らかにすることにある。
 この部分は、大別して、岩波文庫版の188〜197頁1行目、197頁2行日〜198頁、199〜225頁の三つの部分から成り、原稿では各々、148頁、159頁9行目、167頁7行目に挿入されているものを、マルクスの指示に従って一箇所に整理したものである。
 従って、この部分の冒頭における「多分ここは」(188頁)とは、〔第三草稿〕〔二、 私的所有と共産主義〕で経済的疎外の止揚は人間生活の疎外の止揚であること、感性的欲求と感性的意識から出発する場合のみ、人間に関する現実的科学も可能となること等々を記した直後ということである。尚、紙数と著者の能力不足から、この部分の概略しか扱えないので、詳しくは他の専門的研究[30]に委ねたい。
 改めて、ここでのマルクスの意図を示せば、感性から出発し、経済的疎外の中に一切の疎外の基礎を見出し、その止揚を通して人間の生活全体を解放しようとするマルクスの「人間的な自然科学ないし人間についての自然科学」(144頁)の立場が、ヘーゲルの疎外論及び疎外の止揚論と如何に関係しているか、を示すことにある。
 マルクスによれば、シュトラウスやバウアー等のヘーゲル弁証法に対する批判は、批判の方法について無批判的な態度をとっているために、依然としてヘーゲル論理学の枠内に留まっている(188-9頁)。これに対して、「ヘーゲル弁証法に対して真剣な批判的態度をとって、この領域で真の発見をした唯一の人であり、一般的に言って古い哲学を真に克服した人」(191頁)はフォイエルバッハその人であった。彼の偉業は次の三つとされている。
^ 「哲学は、……人間的本質の疎外のもう一つの形式、現存様式として〔宗教と〕同様に断罪されるべきだ、ということを証明したこと」(191頁)。
_ 「真の唯物論と実在的な科学とを基礎づけたこと」(同上)。
` 「彼は、絶対的に肯定的なものであると主張されている否定の否定に対して、自分自身の上に安らぎ、積極的に自分自身を根拠とする特定的なものを対置することによって、〔上記の基礎づけを〕行った」(同上)ということ。
 これに対して、ヘーゲルの否定の否定は次の様に評価されている。
「だがヘーゲルは、否定の否定を、──その内に存している肯定的な関係から言えば、真実の唯一の肯定的なものとして捉え、──その内に存している否定的な関係から言えば、一切の存在の唯一の真なる行為及び自己確証行為として捉えたのであるが、そうすることによって彼は、単に抽象的、論理的、思弁的な表現に過ぎなかったが、歴史の運動に対する表現を見つけ出したのであった。だが、この歴史はまた、一つの前提された主体としての人間の現実的な歴史ではなく、ただやっと人間の産出行為、発生史に過ぎない」(193頁)
 そこで「ヘーゲル哲学の真の誕生地であり、その秘密であるヘーゲルの『現象学』」を解明、批判し、「現実的な歴史」の運動を明らかにする作業に取り掛かる。この作業の中でマルクスは、先ず「ヘーゲルにおける二重の誤り」(195頁)を剔出する。
 第一の誤りは、ヘーゲルの疎外及び疎外の止揚の捉え方である。ヘーゲルにおいて「疎外」とは、「即自と対自との対立、意識と自己意識との対立、客観と主観との対立」(196頁)に過きず、「人間的本質が自らを非人間的に、自分自身との対立において対象化するということではな」(同上)い。それ故、ヘーゲルにおいて「疎遠な諸対象となった人間の本質諸力を獲得するということ(疎外の止揚……大石)は……これらの諸対象を思想及び思想の運動として獲得するというに過ぎない」(197頁)。
 ヘーゲルの第二の誤りは、「対象的世界を人間の為に返還請求すること──例えば……宗教や富その他は、人間的な対象化の、製作物として外に産出された人間的本質諸力の、疎外された現実に過ぎないのであって、それ故真の人間的な現実に至る道程に過ぎないのだということの認識──この様な獲得、あるいはこの様な過程への洞察は、ヘーゲルにおいては感性、宗教、国家権力等々が精神的存在であるという形で現れる」(同上)、ということである。
 しかし、こうした二重の誤りにも拘らず、ヘーゲルが彼なりに人間の疎外を掴んでいる限りで、『現象学』の中には「しばしば後の発展をはるかに先取りしている様な批判」(同上)が存在している。その中で最も重要な点について、マルクスは次の様に記している。
「ヘーゲルの『現象学』とその最終的成果とにおいて──運動し産出する原理としての否定性の弁証法において──偉大なるものは、何と言っても、ヘーゲルが人間の自己産出を一つの過程として捉え、対象化(Vergegenstaendlichung)を対象剥離(Entgegenstaendlichungとして、外化として、及びこの外化の止揚として捉えているということ、こうして彼が労働の本質を捉え、対象的な人間を、現実的であるが故に真なる人間を、人間自身の労働の成果として概念的に把握しているということである。」(199頁)
 要するに、たとえ思弁的な形式においてではあれ、ヘーゲルによって始めて労働による人間の自己産出が、疎外とその止揚をモメントとして含むところの一つの過程として描き出された、というのである。この点は、フォイエルバッハには見られないヘーゲルの長所である。
 続いてマルクスは、「絶対知」章におけるヘーゲルの自己疎外論の構造に即して、ヘーゲルの「一面性と限界」(同上)とについて詳論している。ただし、ここでは「ヘーゲルは近代国民経済学の立場に立っている」(同上)とマルクスが「予め」示した箇所についてのみ言及することにする。何故なら、ここにこそ古典派経済学及びヘーゲル哲学に対するマルクスの批判の根本が示されているからである。マルクスは、次の様に述べている。
「@尚予め、
Aヘーゲルは近代国民経済学の立場に立っている、ということだけは示しておこう。
Bヘーゲルは、労働を人間の本質として、自己を確証しつつある人間の本質として捉える。
C彼は労働の肯定的な側面を見るだけで、その否定的な側面を見ない。
D労働とは、人間が外化の内部で、つまり外化された人間として、対自的になることである。
Eヘーゲルが知り承認している労働とは、抽象的に精神的な労働だけである。
Fそれ故、一般に哲学の本質を成しているもの、即ち自己を知りつつある人間の外化、あるいは自己を思惟しつつある外化された学を、ヘーゲルは労働の本質として捉えている。」(199-200頁。ただし、番号は大石。)
 Aで言う「立場」とは、それ以降で問題になっていることから明確な様に、「労働」ないし「労働の本質」に関するヘーゲルの立場である。
 次に、ヘーゲルと同じ立場であるとされる「近代国民経済学」とは誰を指しているのであろうか。「近代」と特に断わっている以上、スミス以降の経済学である。マルクスが「労働」把握について語る時には、スミス、リカードウ、ミルの流れを一連のものとして考えている(120-1頁参照)。従って、「近代国民経済学」とは、このスミス、リカードウ、ミルを指していると考えるべきであろう。
 では、Cで、スミスとヘーゲルが「労働の肯定的な側面を見るだけで、その否定的な側面を見ない」とされているのは、如何なる意味であろうか。
 先ず、スミス、リカードウ、ミルの「労働」把握についてマルクスは、「彼らは私的所有をその活動的な形態において主体とし、従って正に人間を本質とすると同時に、非本質としての人間を本質とする」(122頁)と要約している。つまり、スミスが富の本質は労働であると言うとき、スミスは人間(の生産的活動)が私的所有の本質であると宣言した事を意味する。しかしながら、そこで私的所有の本質とされた人間は、非本質としての人間、疎外された人間でしかない。それは、〔第一草稿〕後段で解明されたことである。古典派経済学は、この「労働」を人間的な労働であるかの如く看做しているのである。「国民経済学は、労働者(労働)と生産との間の直接的関係を考察しないことによって、労働の本質における疎外を隠蔽している」(90頁)からである。古典派は「労働の本質における疎外」を見ないことによって、富の主体としての「疎外された労働」を「意識している生命活動」(95頁)と看做したことになる。
 換言すれば、彼らは、「労働」の中に「対象化」だけを見て、「疎外、外化」を見なかったのである。古典派が「労働の肯定的な側面だけを見て、それの否定的な側面を見ない」とは、彼らが「労働」を「対象化」としてだけ見て、その「対象化」が「疎外・外化」として現れていることを見落としていることを意味している。
 重要なことは、『経済学・哲学草稿』において「労働」は、例えば、「実践的な人間的活動の疎外の行為、即ち労働」(93頁)とか、「一切の人間的活動はこれまで労働であり、……自己自身から疎外された活動であった」(141頁)という使用法に代表される様に、基本的には「疎外された労働」、「外化の行為」(120頁)という意味で使用されている、ということである。従って、先の引用文中のBで、ヘーゲルが「労働」を「自己を確証しつつある人間の本質」としてしか捉えないという批判も、「労働」の中にある「疎外」を見落としているという批判である。
 それ故にこそ、Eでは、「労働」とは単に「人間が……対自的になる」ということだけではなく、「外化された人間として、対自的になる」ということに他ならないと続けているのである。
 ヘーゲルの知っている「労働」は「精神(Geist)」の労働(=運動)でしかない(E)。ヘーゲルにおいては、人間的本質としての「自己意識」が「物性」を措定する──これが彼の言う「外化」──と同時に、自己意識にとって疎遠な「物性」が実は自己意識自身の外化に他ならず、自己自身に他ならないこと知ることによって自己に還帰する──これが彼の言う「外化の止揚」即ち、「獲得=Aneignung=領有」──のである。従って、ヘーゲルの捉えた「労働の本質」とは、「自己を知りつつある人間の外化」に他ならない(F)。
 そうしたヘーゲルの現象学においては、「現実的な疎外」と「自己意識の疎外」とは、前者が後者に反映するものとは理解されない。その逆である。
「実在的なものとして現われる現実的疎外は、(哲学によって始めて明るみに出されるところの)その最も奥深くに隠された本質からすれば、……自己意識の疎外の現象に他ならないとされるのである。」(202頁)
 それ故、ヘーゲルにおいては、現実の人間生活の疎外そのもの自体は止揚されることなく、自己意識の疎外の止揚でもって「真の人間」が自己産出される構造になっていると言える。ヘーゲルが「その(労働の……大石)否定的な側面を見ない」とは、彼が「実践的な人間的活動の行為、即ち労働」(93頁)を現実的に止揚することなく、「精神」の「労働」そのものが、人間的活動とされ、この「精神」の「労働」による「真の人間」の自己産出を説いている、と言うことである。ここでのマルクスは、以上の点──とは言え、これは結論的な点──を「予め」(@)簡単に示したに過きず、それ以降の部分でこの点を詳論しているのである[31]。例えば、次の様に述べている。
「換言すれば、ヘーゲルにとっては、自己外化及び自己疎外としての自己産出、自己対象化のあの運動は、絶対的な、それ故に究極的な人間的生命の発現、……自分の本質に到達した人間的生命の発現なのである。」(217頁)
 最後に、この〔ヘーゲル弁証法及び哲学一般の批判〕全体を整理しておこう。
 人間とは、何よりも先ず自然存在である(94頁、206頁)。人間は生命諸力を備えた、活動的な自然存在であると同時に、自然的、感性的な対象を自己の生命諸力の対象として必要としている自然存在である。
 第二に、しかも人間は、人間的な自然存在である(95頁、208頁)。人間は意識している生命活動を有する類的本質存在であり、知的にも、制作活動的にも自分を二重化し、「類」を対象とする存在である。この「個」にして「類」である様な具体的個人が、「社会的、即ち人間的な人間」(130頁)である。しかしながら、この「社会的」人間は、人間がその本質諸力を発展させることによって始めて歴史的に生成するのであり(199頁参照)、そこに私的所有が歴史上成立し、止揚される論理的必然性(178-9頁参照)と、従来の生産活動が常に疎外された労働でしかあり得なかった(141頁参照)論理的必然性も存する。
 それ故に、人間が人間の生命活動を疎外し、その疎外を止揚して行く歴史的運動は、人間が生産的活動を媒介として自己を人間として生み出す運動に他ならない(143頁、146頁、205-6頁)。思弁的にではあるが、ヘーゲルはその否定性の弁証法において、この歴史の運動を嗅ぎ出したのである(193頁、199頁、217頁)。
 この〔第三草稿〕〔五〕において、〔第一草稿〕後段の「類的本質存在」と同一次元の規定が再現しているのは、ここでヘーゲルにおける「労働」、「人間」、「疎外」把握等々の、本質的事柄が検討されているからである。
 以上、本節において我々は、〔第三草稿〕の位置とその主内容を考察してきた。この考察を通して今や次の事は明らかであろう。即ち、〔第三草稿〕は形式上、〔第二草稿〕ヘの「付論」となっている。しかし、内容的に見れば、〔第一草稿〕後段の「疎外された労働」概念を論理的に前提し、この概念から展開されたものである、ということ、これである。このことは、〔第一草稿〕後段と〔第二草稿〕とが同じ資本の直接的生産過程分析の二側面であるという我々の見解を裏づけるものであり、ラーピン論文を契機として一般化されてきた〔第一草稿〕中断・放棄説は、『経済学・哲学草稿』に内在する限り、何の根拠もない、と言えるのではあるまいか。
 この「中断・放棄」説を生み出した背景には、〔第一草稿〕後段と『ミル評註』における「類」規定についての差違性がある。そこで我々は節を改めて、〔第三草稿〕〔二〕での「類」規定を、即ち本章の立場なりに『ミル評註』のそれを考察し、この問題に答えて見よう。

 B. 〔第三草稿〕〔二〕における「類的本質存在」規定

 さて、今や我々は〔第三草稿〕〔二、 私的所有と共産主義〕に立ち返り、そこでの「類的本質存在」規定を考察し、〔第一草稿〕後段でのそれとの関係、即ち『経済学・哲学草稿』─『ミル評註』問題を解明すべき段階に到達した。最初に、我々の問題の定式化を確かなものとするために、次の二点を確認しておこう。
^ 〔第一草稿〕後段と〔第三草稿〕〔五、 ヘーゲル弁証法及び哲学一般の批判〕における「類的本質存在」規定は完全に一致すること。
_ 〔第三草稿〕〔二、 私的所有と共産主義〕と『ミル評註』における「類的本質存在」規定も亦完全に一致すること。
 先ず、^について、次の二つの文章を比較して見よう。
 〔引用文1〕
「人間は一つの類的本質存在である。何故なら、人間は実践的にも理論的にも、彼自身の類をも他の事物の類をも彼の対象にするからであるが、……──そしてこのことは同じ事柄に対する別の表現に過ぎないが──更に亦、人間は自分自身に対して眼前にある生きている類に対する様に関係するからであり、彼が自己に対して、一つの普遍的な、それ故自由な存在に対する様に関係するからである。」(93-4頁)
 〔引用文2〕
「しかし人間は、ただ自然存在であるばかりでなく、人間的な自然存在でもある。即ち、人間は自己自身に対してあるところの存在であり、それ故類的本質存在であって、人間はその有(Sein〕においても、その知識においても、自己をその様な存在として確証し、その様な存在としての実を示さなければならない。」(208頁)
 以上の何れにおいても、人間が「類的本質存在」である根拠は、人間が「自己自身に対してある」(=対自的)存在であるという点に、「類」(普遍的=共通的なもの)[32]を対象とする点に求められている点で、一致する。
 次に、_について、次の二つの文章を比較して見よう。
 〔引用文3〕
「社会そのものが人間を人間として生産するのと同様に、社会は人間によって生産される。活動と享受とは、その内容から見ても現存の仕方から見ても社会的であり、社会的活動及び社会的享受である。」(133頁)
 〔引用文4〕
「生産そのものの内部での人間活動のお互いの間での交換も、人間の生産物のお互いの間での交換も、等しく類的活動であり、類的享受である。そしてそれの現実の、意識的な真の定在は、社会的活動であり、社会的享受である。[33]」
 以上の何れにおいても、人間の活動と享受に焦点が当てられ、それが「社会的」であるとされている点で、完全に一致する。
 以上四つの引用文から、^と_との間に某かの相違が存在することも明らかである。この相違を如何に解釈するかが『経済学・哲学草稿』─『ミル評註』問題を形成しているのであるが、この問題は、『経済学・哲学草稿』内部の問題として、即ち、〔第一草稿〕後段と〔第三草稿〕〔二〕との論理的関係の問題として答え得ることも亦、明らかであろう。
 ところで、『経済学・哲学草稿』─『ミル評註』問題については、大別次の三つの立場が見出せる。
 〔立場1〕:^と_の問に存在する相違が意識されず、むしろ、^での一致を前提として、『経済学・哲学草稿』各部分──とは言え、事実上は〔第一草稿〕後段と〔第三草稿〕〔五〕のみであった──から任意に引用を行なう立場。これは研究史の初期のもので、「疎外された労働」概念をマルクス主義の根本概念と見るか、「観念論的残滓」と見るかに関係なく、この立場では共通していた。
 〔立場2〕:続いて、両者の間の差違性を認識した上で、両者の関係を相互補完関係と捉え、にも拘らず、当時のマルクスにおいては統一されていなかったと看做す立場が現れた。
 〔立場3〕:最後に、近年両者の関係を時間的発展関係と看做す見解が現れた。即ち、〔第一草稿〕後段での類把握は、『ミル評註』の類把握にとって代わられ、〔第二・第三草稿〕へと連続する、と考える立場が現れた。
 しかしながら、仮に百歩譲って、〔第一草稿〕→『ミル評註』→〔第二・三草稿〕の、あるいは『経済学・哲学草稿』→『ミル評註』という執筆順序の推定を認めたとしても、もはや〔立場1、3〕を認めることはできない。何故ならば、〔立場1〕は、^と_両者の差違を自覚しておらず、ましてや両者の関係を解明していないからであり、また〔立場3〕は、〔第一草稿〕後段と同じ「類的本質存在」規定が〔第三草稿〕〔五〕に存在することに気づいてすらいないからである。^、_の二点を確認した我々の立場から見ると、〔立場3〕は、一度『ミル評註』で〔第一草稿〕後段での「類的本質存在」規定を否定したマルクスが再びこの規定をも〔第三草稿〕では受容したという、矛盾だらけの見解でしかない。
 従って、真に間われるべき点は、〔立場2〕の正当性であり、両者の関係が「相互補完」関係ということに尽きるのか否かであろう。この問題を解決するための鍵は『ミル評註』からの〔引用文4〕にあると思われるが、本章での立場は、『経済学・哲学草稿』─『ミル評註』問題を〔第一草稿〕後段と〔第三草稿〕〔二〕問題として論じることにあるので、〔引用文3〕の解釈から始めよう。
 〔引用文3〕の解釈とは、そこでの「社会的(gesellschaftich)」の解釈であり、その解釈とは、その辞書的意味を知ること──望月氏が行っている様な──ではなく、その使用方法からマルクスが言わんとした内容を明らかにすることでなければならない。そこで、以下〔第三草稿〕〔二〕の中での「社会的」の使用例を挙げ、その意味を解明してみよう。
 〔引用文5〕
「@人間の自己疎外としての私的所有の積極的止揚としての共産主義、それ故に亦、人間による人間の為の人間的本質の現実的な獲得としての共産主義。それ故に、社会的即ち人間的な人間としての人間の、意識的に生まれて来た、亦今までの発展の全成果の内部で生まれて来た完全な自己還帰としての共産主義。……Aそれは人間と自然との間の、亦人間と人間との間の抗争の真の解決であり、現実的存在と本質との、対象化と自己確認との……個と類との間の争いの真の解決である。」(130-1頁)。
 〔引用文6〕
「宗教、家族、国家……等々は、生産の特殊なあり方に過きず、生産の一般的法則に服する。従って、私的所有の積極的止揚は人間的生活の獲得として、一切の疎外の積極的止揚であり、従って人間が宗教、家族、国家等々からその人間的な即ち社会的な現存へと還帰することである。」(132頁)
 〔引用文7〕
「@自然の人間的本質は、社会的人間にとって始めて現存する。A何故なら、自然はここに始めて、人間にとって、人間との紐帯として、他の人間に対する彼の現存として、亦彼に対する他の人間の現存として、同様に、人間的現実の生活基盤として現存するからであ……る。Bそれ故社会は、人間と自然との完成された本質統一であり……人間の貫徹された自然主義であり、亦自然の貫徹された人間主義である。」(133頁)
 〔引用文8〕
「社会的活動や……享受は、直接に共同体的な(gemeinschaftich)な活動や……享受と言った形でだけ実存しているのでは断じてない。」(133-4頁)
 〔引用文9〕
「@『社会』を再び抽象物として個人に対立させて固定することは何よりも先ず避けるべきである。A個人は社会的存在である。B従って、彼(個人……大石)の生命発現は──たとえそれが共同体的な……形態で現れないとしても──社会的生命の発現・確証なのである。……C人間の個人的生活と類的生活とは、別個のものではないのである。」(134-5頁)
 〔引用文5〕の@で「社会的即ち人間的な人間」と呼ばれているものは、私的所有を止揚し、人間的本質を現実に獲得している人間に他ならない。それ故、「社会的」の理解に際しての第一のポイントは、この用語が将来の人間のあり方を示すものである、ということであろう。このことは、〔引用文6〕と〔引用文7〕のAによっても確認し得よう。
 第二のポイントは、マルクスが「共同体的」な活動・享受ばかりでなく、「個人」の活動をも「社会的」と述べていることである。「直接に他の人間との現実的な社会的結合(Gesellschaft)の中で自分を発現し、確証する活動と享受」(134頁)である「共同体的」な活動・享受と等しく「社会的」であるとされる「個人的」な活動と享受とは、「彼の生命の発現」(同上)に他ならず、両者の同一性は正に「生命の発現」、自己実現行為という点にある。従って、「社会的」であるか否かは、一途に自己実現行為になっているか否かに掛かっているのである。この点をマルクスは、最も「個人的」活動と思われる「科学的」活動を例にして、次の様に述べている。
「私が科学的等々の活動をする……場合ですら、私は人間として活動しているが故に、社会的である。……私自身の現存が社会的活動である。これ故、私が自分から何かを作るにしても、私はそれを社会の為に作るのであり、しかも社会的存在としての私の意識を持って作るのである。」(134頁)
 この様に自己実現行為が社会的行為と規定されていることから、「類」と「社会」が、「本質」と「現実性」(「本質」と「現存在」との統一)、「可能性」とその現実的生成の関係であることが判明する。〔引用文4〕から明らかな様に、「類的」なものの「現実の、意識的な真の定在」が「社会的」と呼ばれ、亦、〔引用文5〕でも、「個と類との間の争いの真の解決」が「社会的即ち人間的な人間としての人間の……自己還帰」と呼ばれているのである。
 このことから、「社会的」を理解する際の第三のポイントが浮かび上がる。即ち、この「社会的」活動論は、〔第一草稿〕後段の「類的本質存在」規定を論理的に前提としており、その論理的展開諸姿態の一つだということである。
 言うまでもなく、「社会的存在としての私の意識を持って作る」とは、個人は〔第一草稿〕後段の意味での「類的本質存在」であり、「類」を意識している存在であること、更にこの自己実現の為に個人は感性的対象を持つ「自然存在」であることによって始めて可能だからである。「類的本質存在」、「類的活動」は、私的所有(従って、その活動としての「疎外された労働」)の止揚を通して、「社会的存在」、「社会的活動」と成り得るのである。
 重要なので繰り返そう。「社会的」とは「類的」なものが真に具体的定在を得たあり方であり、その論理的関係は、「現実性」と「本質」の関係である。単なる相互補完関係ではない。このことは、既に考察した〔第一草稿〕後段と〔第三草稿〕との論理的関係からも裏づけられる。〔第三草稿〕は、形式的にも内容的にも、〔第一草稿〕後段を前提しているのであり、前者は後者の「付論」なのである。それ故、〔立場3〕のように、マルクスがその形成史において時間的に、一つの類規定から他の類規定へと移ったと考える程安易な解釈はない。^で確認した通り、〔第一草稿〕後段の類規定は当然にも〔第三草稿〕〔五〕でも堅持されているのであり、二つの類規定をマルクス形成史上の時間的発展関係と考えることは全くできない。仮にマルクスの形成史を言うならば、その〔第一草稿〕後段→〔第三草稿〕〔二〕の論理的展開によって、『独仏年誌』で定式化された「人間的解放」論が確証されつつあることこそ重要であろう。
「個体的人間としての彼の経験的生活の中で、彼の個人的労働の中で……類的本質存在となった時、人間が彼の『個有の力』を社会的な力と認めてこれを組織(する)……時にこそ始めて人間的解放の成就がある。[34]」
 個人の自己実現によって、人間の「個有の力」が如何に「社会的な力」として組織されるかは、自由な生命活動こそが「人間の類生活の対象化」(97頁)であり、その生産物(対象)が「類的本質存在」としての人間と人間との真の紐帯となり得るからだと説明されている。〔引用文7〕に見られる様に『経済学・哲学草稿』においてはより原理的、抽象的に、他方『ミル評註』ではより具体的に表現されているという差違は存在するにしても、よく引用される次の『ミル評註』の一節も、「類的本質存在」→生命活動→「社会的存在」の論理的展開の中で始めて十分理解され得るものであろう。
「我々が人間として生産したと仮定しよう。その時には、我々は何れも、自分の生産において自分自身と相手とを、二重に肯定したことになるだろう。私は、
^私の生産において私の個性とその独自性とを対象化したことになるだろう。従って、私は活動の最中には個人的な生命発現を楽しみ、そして亦、対象物を眺めては、私の人格性を対象的な、感性的に直感じ得る、それ故疑間の余地のない力として知る、という個人的な喜びを味わうことになるだろう。
_私の生産物を君が享受したり使用する時、私は直接に次の様な喜びを味わったことになるだろう。即ち、私は労働することによって人間的な欲求を充足すると共に、人間的な本質存在を対象化し、それ故に他の人間的な本質存在の欲求にふさわしい対象物を供給した、と意識する喜びを、
`君にとって私は、君と類とをとりもつ仲介者の役割を果たしており、従って君自身が私を、君自身の本質存在の補完物、君自身の不可欠の一部分として知りかつ感じてくれており、それ故、君の思考の中でも愛の中でも私を確証していることを知るという喜びを、
a私は私の個人的生命発現において、直接に君の生命発現を作り出し、従って、私の個人的な活動において直接に私の真の本質存在を、私の人間的な本質存在を、私の共同体的本質存在[35]を確証し、実現したという喜びを直接に味わったことになるであろう。[36]」
 この様に考えて来ると、この〔第三草稿〕〔二〕の「社会的」活動論が、〔第一草稿〕後段末尾での「二つの課題」(104頁)の「(1)疎外された労働の結果として明らかとなったような私的所有の一般的本質を、真に人間的なそして社会的(sozial)な所有に対するそれの関係の中で規定すること」と深く係っていることは、今や明白であろう。私的所有の主体的本質が、人間の自由で意識的な生命活動の疎外であるのに対して、社会的所有とは、正しくその様なものとしての生命活動そのものに他ならない。
「我々が想定した場合は、労働において私の個人的な生命が肯定されるのだから、私の個性の独自性が肯定されることになるであろう。従って、労働は真の、活動的な所有となるであろう。[37]」
 この生命活動が、直接に共同体的であるか否かは問題ではないし、また単に物質的生活手段の獲得の意味に限定されてもならない。それは、人間の「全面的本質を、全面的な仕方で、それ故、一個の全体的人間として自己のものとする」(136頁)ことである。私的所有は、その逆に、人間の全面的本質の全面的疎外に他ならないのである。
 では、「二つの課題」のもう一つの課題即ち、「_……どの様にしてこの疎外は、人間的発展の本質の内に基礎付げられるのか」については、どの様に答えられているのであろうか。それは、こうである。即ち、人間がその「類的本質存在」に適合したあり方に現実的に到達し得るのは、人間がその類的本質諸力を歴史的に創り出し(発展させ)、自らの類的諸力を認識し、それを自覚的に統御することによって始めて可能であること、従って、その意識的統御までは、この類的諸力は個人にとって疎遠である他はない、ということである。
「一つの現実的な類的本質存在として……の実を示す活動は、ただ人間が実際に彼のあらゆる類的諸力を創り出し──このことは亦、人間達の働きの総体によってのみ、歴史の結果としてのみ可能なのであるが──、この類的諸力に対して対象に対する様に関係することによってのみ可能なのである。だが、このことは差し当たり、亦もや疎外の形態においてのみ可能なのである。[38]」(199頁)

【補論:望月氏のGesellschaft理解の批判】
 我々は既に〔第三草稿〕で使用されている「人間的即ち社会的」という時のgesellschaftlichの内容について考察した。この「社会的」を基軸として初期マルクスの形成史を説いたものとして望月氏の所説が存在する。
 従って、「社会的」の内容及びマルクスの形成史についての著者の理解をより明確にする為に、ここで望月氏の見解を検討することも無意味ではあるまい。
 望月氏の見解は、パリ時代のマルクスとブリュッセル時代のマルクスを無理なく接続しようという関心の上に成り立っている。如何にも歴史学者らしく──山之内氏も同じ──『経済学・哲学草稿』の中に『ドイツ・イデオロギー』における分業論に基づく歴史観へと続くものを発見し、その方向で整理しようという問題意識である。従って、氏は〔第三草稿〕の分業論、「社会論」に注目する。ところが、〔第一草稿〕後段の疎外論の中にはそれらは直接見出せない。従って氏は、〔第一草稿〕後段が「中断・放棄」され、『ミル評註』で「社会的交通」視座が発見されたのだと考えるのである。文献考証面ではラーピン論文が援護してくれた。氏の見解の要点は、次の様に整理できる。
^ 〔第一草稿〕の疎外された労働論は、孤立人と自然との間の本源的で歴史貫通的な疎外論であり、ここから内的に「ある他人」を導出することは不可能である。そこで、〔第一草稿〕はマルクス自身によって「中断・放棄」され、改めてリカードウ・ミル等の研究を始めた。
_ 『ミル評註』でマルクスは、分業と交換の背後に、人間の歴史貫通的な存在様式、即ち活動と生産物の相互補完関係を「発見」した。
` 従って、『ミル評註』で発見された「社会」とは、歴史貫通的な「交通─分業的なゲゼルシャフト的関連」のことである。
a それに応じて、疎外論も変様した。つまり、〔第一草稿〕での疎外=外化=対象化から、譲渡=外化への転換である。
 望月氏の〔第一草稿〕後段理解については既に批判が存在するので、多くを語る必要はない。氏は、動物から人間を区別するところの「種差」として記されているところの、従って人間の種々の特徴を展開・説明する原理としての「類的本質存在」規定を、「孤立人」に関する記述としてしか、マルクスが繰返し強調している「対象化(Vergegenstaendlichung)」と「疎外(Entfremdung)」との区別も理解し得ない。しかし、氏の見解の決定的論拠となっているものは、むしろ「譲渡(Veraeusserung)」=「外化(Entaeusserung)」という理解である。この「譲渡」を、氏は生産物の相互補完の局面で理解している。だが、果たしてその理解は正しいであろうか。マルクスの使用法から検討してみよう。
 〔用法1〕
「譲渡は外化の実践である。……人間は、利己的欲求の支配下にあっては、自分の生産物及び活動をある疎遠な存在の支配下に置いて、それらに疎遠な存在──貨幣──の意義を付与するという仕方でしか、実践的に活動し、実践的に諸対象を作り出すことができないのである。[39]」
 〔用法2〕
「以前には、人間の自己外的存在(Sichausserlichsein)、人間の実在的な外化(reale Entaeusserung)であったものが、今や外化の行為(Tat der Entaeusserung)、譲渡(Veraeusserung)になるのである。」(120頁)
 〔用法3〕
「それ(交換価値の理論……大石)によって、労働者の活動が彼の人間的生命の自由な発現ではなく、むしろ彼の諸力の『売り渡し』(Verschachern)であり、彼の一面的に発達した諸能力の資本への譲渡(Veraeusserung)であるという、一言で言えば『労働』であるという事態を、確定するのである。[40]」
 〔用法1〕は『ユダヤ人問題によせて』の一節であり、引用文中にもある様に、「自分の本質をある疎遠な幻想的な存在とすることによってしか、自分の本質を対象化する術を知らない」という意味で使用されている。
 〔用法2〕は、古典派のシニシズムを解明した箇所で、丁度ルターの場合、聖職者が俗人の心の中に移し入れられたのと同様、スミスによって、人間自身、人間の活動そのものが私的所有の規定の中に置かれることを示している箇所である。
 〔用法3〕は1973年に発表された「フリードリヒ・リストの著書『政治経済学の国民的体系』について」(1845年3月頃執筆したものと推定されている)の一節である。ここでも「譲渡」は「労働」であり、生命活動の疎外として使用されている。
 見られる様に、以上三例の何れにおいてもVeraeusserungは生産過程における疎外、即ち生命活動をある疎遠な存在に属するものとして譲り渡すこと、の意味で使用されている。ところが、望月氏はこともあろうに、〔用法2〕をもって、自己の「社会」理解の根拠としているのである。つまり、氏はマルクスの使用法を完全に無視し、自分勝手に「販売」、「相互補完」と解釈しているのである。
 望月氏が、マルクスの使用法に内在することなく、自分勝手に解釈していることは、氏の「社会」理解についても全く同様である。マルクスが、「人間的即ち社会的」という時の「社会的」が、望月氏がペダンチックに説明したGesellschaftの語義でないことは、既に見た。ここでは、「社会的」の次の用法が望月説では説明がつかないということを示して、氏の見解の批判としよう。
 〔用法1〕
「@自己意識とは、人間が純粋思考において自己自身と平等なことである。A平等とは、実践の領域における人間の自己自身についての意識、即ち、人間が他の人間を自分と平等なものとして意識することであウ、人間が他の人間に、自分に平等なものとしてふるまうことである。B平等とは、次のことのフランス的表現である。即ち、人間が本質的に一であることの、人間の類意識と類としてのふるまいの、人間と人間との実践的同一性の、従って亦、人間と人間の社会的あるいは人間的関係の、フランス的表現である。[41]」
 〔用法2〕
「@『労働』は私的所有の生きた基礎であり、自分自身を創り出す源泉としての私的所有である。Aもし私的所有に致命的な打撃を加えようと思えば、物的状態としての私的所有に対してだけでなく、活動としての、労働としての私的所有に打撃を加えなければならない。B自由な、人間的な、社会的な労働について、私的所有を伴わない労働について語るのは、最大の誤解の一つである。C『労働』は、本質上、不自由な、非人間的な、非社会的な、私的所有によって制約され、亦私的所有を創り出す活動である。D従って、私的所有の止揚は、それが『労働』の止揚として把握される場合に始めて、現実となる。[42]」
 〔用法1〕は、『聖家族』の一節である。ここでマルクスは、『経済学・哲学草稿』におけると同様、ドイツの「自己意識(Selbstbewusstsein)」とフランスの「平等(Gleichheit)」とが、同じものの表現方法の相違であると述べている(160-1頁参照)。@は「自己意識」について、Aは「平等」について説明したものである。そしてBにおいて、その同じものとは「人間の類意識と類としてのふるまい」=「人間と人間との実践的同一性」=「人間と人間の社会的あるいは人間的関係」に他ならないことが示されているのである。
 逆の表現をすれば、マルクスの「社会的あるいは人間的関係」とは、「平等」ないし「自己意識」の焼き直しなのである。だからこそ、〔ヘーゲル弁証法及び哲学一般の批判〕においてはこの「自己意識」に議論が集中しているのであり、「社会主義としての社会主義は、人間の積極的な、もはや宗教の止揚によって仲介されない、自己意識である」(148頁)と規定されている。
 〔用法2〕は「フリードリヒ・リストの著作……について」の一節である。そのBとCでマルクスは、生命活動としての労働を、「自由な」=「人間的な」=「社会的な」という等号関係で形容し、その疎外された形態(疎外された労働)を「不自由な」=「非人間的な」=「非社会的」という等号関係で形容している。これと同様の用法は、私的所有の止揚と五感の形成を論じた箇所にも見出せる(138-9頁参照)。
 ところが、望月氏流の解釈によれば、私的所有も貨幣も人間的でgellschatlichな関係とされるのである。従って亦、マルクスが〔第一草稿〕後段末尾付近で提出した「二つの課題」(104頁)の一つ、「私的所有の一般的本質を、真に人間的なそして社会的(sozia1)な所有に対するそれの関係の中で規定する」という論理上の課題は、「分業」という歴史の問題へと強引に結びつけられる。氏はこの課題に対する解答が、至る所で与えられていることに気付かないのである。
 望月氏の決定的な誤りは、〔用法2〕のAに見られる様な、「活動としての、労働としての私的所有に打撃を加えなければならない」という根本命題が欠落する点にある。これは、『経済学・哲学草稿』の「労働」を歴史貫通的な人間と自然の関係として捉え、従って「分業」をも永遠のカテゴリーとして捉える望月氏の必然的帰結である。
 この様に考えて来ると、望月氏が再構築したマルクス像とは、実は『哲学の貧困』で批判されているプルードン像に近いものであることが判明する。
 第一に、「社会的交通」はJ.ミルの著作というよりも、スミスの「商業的社会(commercial society)」論と関係が深いことは、望月氏も認めていることである。だとすれば、そもそも何故『ミル評註』で「発見」される必要性があるのであろうか。「社会的交通」視座なるものは、確かに『ミル評註』で初出するのであるが、むしろ『スミス評註』で、つまり〔第一草稿〕を執筆する前から、獲得されていたと考えるのが自然であろう。否、もっと可能性が高いのは、スミスを研究したヘーゲルの『法哲学』から獲得していたのではないか、という推定である。実際、嘗て「価値」・「貨幣」論等に関してヘーゲル『法哲学』と「初期マルクス」の類似性が真剣に議論された時期が存在するのである[43]。
 ともかく、実際のマルクスは、人間そのものの、人間の生活の、人間の経済的疎外を、資本の直接的生産過程における労働の疎外の分析から出発し、経済学的諸範疇の発生的展開を通して概念的に把握しようとしているのであって、〔第一草稿〕後段と〔第三草稿〕との間には学的認識の原理に関する変更は何ら存在しない。存在するのは、ただ論理次元の相違であり、原理とその原理から説明・展開されたものとの相違でしかない。

 C. 現実的な「人間の科学」としての「経済学批判」の成立

 それでは最後に、この『経済学・哲学草稿』を中心にして、当時のマルクスの経済学批判と社会主義、哲学批判との関係を整理してみよう。
 「人間」、つまり真に人間的な人間は古くから哲学の課題を成して来た。しかしその解決は、結局の所認識の問題とされて来たと言えよう。何故ならば、人間の生活を構成する現実的・実践的諸関係の変革が問われることなく、そうした「人間」の生成が可能であると考えられて来たからである。これに対してマルクスは、人間を感性的に捉えた。即ち、人間を理解するために、その感性的意識と感性的欲求から出発し、この人間の感性的在り方の中に、人間の歴史的発展を見出したのである。このことは亦、マルクスが人間を対自然(zur Natur)との関係において、更に亦、活動と生産物を媒介としての対人間(zueinander)との関係において捉えた、ということを意味している。そして、マルクスの特徴は、対自然の関係が対人間の関係を論理的に規定するところのより基礎的な関係と看做す点にある。これら両関係は、たとえ現実には相互規定的側面を持つとしても、研究成果の発生的叙述の順序としては、何よりも先ず、対自然の関係から叙述されるべきである、と言うことである。
 人間は、自己の外部に存在する自然を自己の非有機的身体として必要としている「自然的存在」(206頁)である。しかし、人間は単なる「自然的存在」ではなく、「人間的な自然存在」(208頁)であり、「理論的にも実践的にも、彼自身の類をも他の事物の類をも彼の対象にする」(93頁)様な「類的本質存在」(93頁、208頁)である。人間の対人間の関係は、この「類的本質存在」規定の論理的帰結でしかない。
 この様な人間観を背景にして、マルクスは近代市民社会における人間の経済的疎外を、人間の生活全体の疎外に他ならないと看破した。従って、マルクスの「学的体系」は、優れて経済学的性格を有している。しかし、その学的体系は、単なる一つの経済学──古典派経済学と同一水準にあり、それにとってかわるところの──なのではない。それは同時に、ヘーゲル(に代表されるところの)哲学の批判でもあり、フランス社会主義の批判ともなっているのである[44]。
 最初に、ヘーゲル批判としての側面について考えてみよう。
 先ず第一に、ヘーゲルの人間観・労働観に対する批判である。ヘーゲルにおける「絶対知」によるところの「真の人間」形成論は、抽象的ながら人間労働による人間の形成を捉えたと言う側面で評価し得るとしても、活動と対象の両面における自己確証を媒介とした対象的存在としての人間の形成としては捉えられていない[45]。それはせいぜい、認識の発展でしかない。
 これに対してマルクスは、類的本質存在としての人間が、この本質を現存において実現するためには、類的諸力が現実的・対象的世界において発達していなければならないこと、諸個人がその類的諸力を自覚的に統御し得るまでは、その類的諸力は諸個人にとって疎遠な力として現れざるを得ないこと、この類的諸力の疎外の内部での最も発達した形態が近代市民社会における分業と交換に他ならないこと、を示したのである。
 第二に、ヘーゲルによる近代市民社会止揚論に対する批判である。国民経済学の研究を通して、市民社会における富と貧困の矛盾を掴んだヘーゲルは、彼独特の身分制議会論を媒介にして、国家による市民社会止揚を説いた。しかし、この市民社会止揚論は、実は土地所有という未成熟な資本による資本の止揚という反動に他ならない。
 これに対してマルクスは、私的所有の発展の頂点としての資本の直接的生産過程の分析から私的所有の一般的本質を剔出することを通して、土地所有は私的所有の未発達な形態であり、その内容に関する「抽象度」の極限へと、資本へと発展せずには止まないことを明らかにした。
 マルクスの立場から見ると、ヘーゲルの近代市民社会止揚論は、私的所有の完成せる形態から未熟な形態への逆転であり、封建制への復古に他ならない。マルクスは、現実的な共産主義運動による資本関係の止揚、つまり、「今までの発展の全成果の内部で生まれて来た完全な自己還掃としての共産主義」(130-1頁)によって、このヘーゲルの市民社会止揚論を批判したのである。
 次に、フランス社会主義に対する批判を、特にプルードン批判として整理してみよう。『経済学・哲学草稿』と同時期の『聖家族』に見られる様に、この当時のマルクスは、プルードンが所有批判を経済学批判として展開したことを高く評価していた。「占有」から区別されるところの「所有」について、先占権論や時効論を批判したプルードンは、「所有」とは「盗み」であり、労働者の「集合力」に対する「誤った計算」による搾取であると説いたのである。しかし、プルードンはこの批判の過程で、直接的労働時間と費用によって商品価値を規定するという誤りを犯す。この価値論の誤り故に、プルードンによる人間の復権は、矛盾に充ちた仕方での人間の復権でしかない、とマルクスは批判している。
 経済学的諸範疇は、経済的諸関係を理論的に反映したものである。ところが、プルードンはこのことを理解できない。そこから亦次の様な彼の欠陥も生じる。即ち、経済的諸関係の変革によってではなく、経済学的範疇を別様に解釈・定義することによって、私的所有を止揚し得ると考える、という欠陥である。プルードンが、「直接的労働時間と出費」に基づく等価交換によって所有(不労所得権)の止揚を説く時、「私的所有は、ただその客体的側面においてだけ──それにも拘らず労働は私的所有の本質として──考察され……止揚されるべき」(126頁)である、と主張しているに過ぎないのである。
 これに対してマルクスは、経済諸法則が「疎外された労働の諸法則」(103頁)に他ならず、資本の止揚とは資本の主体的本質である「(疎外された)労働」の止揚でなければならず、従って、私的所有を止揚するものとしての「連合(Assoziation)」も「封建的占有への復帰ではなく、……私的所有一般の止揚である」(79頁)様なものでなければならない、と主張する。
 以上の考察から、次の様に結論することが出来よう。
 マルクスは土地所有に始まる私的所有の発展の頂点としての資本を、その直接的生産過程において二面的に分析し、資本の主体的本質として「疎外された労働」概念を析出した。
 この「疎外された労働」概念の経済学的内実は、資本の最も抽象的、一般的規定である。この規定は、その抽象性、一般性故に未だ資本独自の規定とはなっておらず、私的所有一般に妥当する規定である。しかし、この規定は、資本独自の一層発展した諸規定の基礎なのであり、マルクス「経済学批判」体系全体の原理でもある。
 この「疎外された労働」概念を原理とする「経済学批判」は、それが「疎外された労働」の止揚を要求することから、同時にヘーゲルやプルードン等の近代市民社会止揚論の批判、即ち哲学批判及び社会主義批判ともなっているのである。「疎外された労働」概念に基づく「経済学批判」、これこそが「哲学批判」であり、「社会主義批判」なのである。マルクスの「経済学批判」は、「人間的労働による人間の産出、人間のための自然の生成」(147頁)を概念的に把握する歴史学であり、「人間的な自然科学」(144頁)なのである。


おわりに

 本章の冒頭において著者は、「カール・マルクス問題」を「疎外された労働」概念の経済学的内実、経済学批判・哲学批判・社会主義批判の統一原理とその統一構造を解明する問題に、亦、『経済学・哲学草稿』─『ミル評註』問題を『経済学・哲学草稿』各部分の位置及び二種類の「類的本質存在」規定の論理的関係の問題に再定式した。今や、次の諸点は明らかであろう。
 『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕前段は、分析的方法による近代市民社会分析であり、近代市民社会の構造及び運動諸法則を「表象」として確定すものである。
 これに対して、〔第一草稿〕後段と〔第二草稿〕は、近代市民社会の学的認識、即ち、経済学的諸範疇の発生的展開としての「経済学批判」体系の「始元」──端初であると同時に原理──である。ここで獲得された「疎外された労働」と「私的所有(権)」概念から、一切の経済学的諸範疇が発生的に展開され、この範疇展開を通して近代市民社会の構造・運動諸法則が私的所有の内的・必然的諸法則として概念的に把握されるのである。
 勿論、『経済学・哲学草稿』の範疇展開は完成されていない。しかし、決定的に重要なことは、『経済学・哲学草稿』でのマルクスが次の点を自覚している、ということである。即ち、諸範疇の展開を通して諸法則を私的所有の必然的諸法則として把握すべきこと、亦、この範疇展開の端初として、私的所有の一般的本質を、(私的所有の発展の頂点としての)資本の直接的生産過程の分析から析出すべきこと、の二点である。
 そして〔第三草稿〕においては、疎外された労働及びその止揚について付言しつつ、私的所有が人類史上において持つ意義と限界に関する「二つの課題」にも答えているのである。
 この『経済学・哲学草稿』各部分の位置と論理展開の考察から、経済学批判、哲学批判、社会主義批判の三位一体的統一の原理が「疎外された労働」概念に他ならないこと、この概念と「類的本質存在」規定は〔第一草稿〕で「中断・放棄」されるどころか、『経済学・哲学草稿』全編を貫徹するものであること、が判明した。亦、経済学批判、哲学批判、社会主義批判は各々別個のものではなく、マルクスにとって唯一の、現実的な人間に関する科学とは経済学批判をおいて他になく、この性格故に、経済学批判が同時に哲学批判・社会主義批判という性格をも合わせ持つのであった。
 『経済学・哲学草稿』は、たとえ「経済学批判」体系として極めて未熟であるとは言え、そこでマルクスが方法的自覚の上に「経済学批判」の原理を剔出しているが故に、マルクス「経済学批判」体系形成史の「始元」に他ならない。
 『経済学・哲学草稿』は『資本論』形成史の端切であると同時に原理なのであり、後の展開を即目的に含むところの「萌芽」なのである。

巻末注********************************

[1]. 1929年の大恐慌以後の資本主義は、国家の財政・金融政策によって辛じて生き長らえているに過ぎない。従って、その生命力は、言わば「植物人間」のそれでしかないことも事実である。

[2]. M. Voslensky, Nomenklatura, Verlag Fritz Molden, 1980.(佐久間・船戸訳『ノーメンクラツゥーラ』中央公論社、1981年)に依れば、この呼称には「このように呼ばれる体制は、明らかに唯一可能な社会主義の形態であり、これ以外のいかなる社会主義も現実には存在しえない」(11頁)という主張を合んでいる、と言われている。しかし、「この主張はまだ証明されていない」(同上)のは勿論である。

[3]. この問題については、例えば、高島善哉『アダム・スミスの市民社会体系』(岩波書店、1974年)第2・3章、船越経三『アダム・スミスの世界』(東洋経済新報社、1973年)第二章、田中正司「『道徳感情論』の思想と経済学」『アダム・スミスと現代』(高島他著、同文館、1977年)第六章、星野彰男「自然法体系と経済学──スミス」『市民的世界の思想圏』(宮崎、山中編、新評論、1982年)第2章を参照。

[4]. 望月氏は、「三つの『カール・マルクス問題』」を提起している(望月他『マルクス著作と思想』有斐閣新書、1982年、ii頁)。しかし、その第二・第三のものを「カール・マルクス問題」と呼ふべきか否か、という点で疑問がある。

[5]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, S.348.

[6]. 例えば、細見英『経済学批判と弁証法』未来社、1979年。

[7]. 例えば、山之内靖「初期マルクスの市民社会像 第1回」『現代思想』、1976年8月号。

[8]. 中川弘「『経済学・哲学草稿』と『ミル評註』」『商学論集』37−2号。これに対して、Institut fuer Marxismus‐Leninismus beim Zentralkomitee der SED Marx‐Engels Abteilung, Beitraege zur Marx‐Engels‐Forschung 3, Berlin, 1978(.渋谷・服部訳及び解説「『経済学・哲学草稿』研究の新段階」『現代と思想』、1979年12月号)は、『経済学・哲学草稿』→『ミル評註』の可能性を説いている。

[9]. 本書第二部第四篇第8章を参照。

[10]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 3, S. 6.

[11]. この点を論じた粟田賢三「マルクス主義における人間性の問題」『マルクス主義研究年報』(合同出版、1977年版)、Norman Geras, MARX & HUMAN NATURE: Refutation of a Legend (Verso Editions and NLB, 1983),を参照。

[12]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd 1, S. 378.

[13]. この点は、花崎皋平「《書評》望月清司著『マルクス歴史理論の研究』論評」『思想』、1974年3月号、136頁に学んだものである。半田氏も強調されている様に、マルクスのGattungswesenには、類的活動によって「創出された世界全体そのもの」(半田秀男「人間の『類的本質』について」『人文研究』(大阪市大)24−5号、32頁)を含んでいる。従って、ここでは「類的本質存在」と訳した。この訳語は竹内氏の訳語(『マルクス・コメンタール』、現代の理論社、1972年所収の「コメント」)を拝借したものである。

[14]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, S. 370.

[15]. この課題とそれに対する解答は、飽くまで論理的なものである。これを歴史的なものと誤解する所から、その解答を『ドイツ・イデオロギー』に発見したり、〔第二草稿〕で『ミル評註』が活用されたとする誤った見解が生じるのである。〔第一草稿〕後段以降の論理次元においては、生の歴史的諸事実はもはや問題にはならないということ、このことはいくら強調しても強調し過ぎることはないであろう。詳しくは、前章を参照。

[16]. この点についても、詳しくは、前章を参照。

[17]. 服部文男「『経済学・哲学手稿』所見」『経済学』40-2号、59頁。

[18]. 同上、58頁。

[19]. 紙数の関係上、ここではこの〔序文〕の内容は取り上げない。しかし、この〔序文〕は思想上、実践上のあらゆる対立を解決できる足場を獲得した26歳の若きマルクスの興奮した口振りを伝えるものであり、その理由を解明したものはIstvan Meszaros,
arx's Theory of Alienation, Merlin Press, London, 1970(三階 徹訳『マルクスの疎外論』)をおいて他にはない。

[20]. 『世界の名著 23 ルター』中央公論社、1979年、58頁。

[21]. なるほどスミスは、「労働」を「労苦と骨折り(toil and trouble)」として捉え、亦分業が人間にもたらす災害をも理解していた。しかし、スミスにはこの「労苦と骨折り」としての労働が一定の歴史的諸条件の上に成立したものであり、止揚可能であり、止揚しなければならない、という視点はない。従って、ここでのマルクスによるスミス「労働」観への読み込みは十分に根拠があると言えよう。

[22]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENG: GESAMTAUSGABERKE編集者によるこの標題づけは、必ずしも適切ではない。少なくとも、第一パラグラフとそれ以下の部分を各々独立させるべきであろう。

[23]. この「共産主義」と言えども、それが私的所有の否定を介しての人間解放であり、そうした媒介を必要としているという点では限界を持っている。マルクスの究極の立場は、「社会主義としての社会主義」(『経済学・哲学草稿』岩波文庫、147頁)である(同前、147-8頁参照)。

[24]. この部分を理解するには、古典派経済学の賃金論に対するマルクスの評価(例えば、『経済学・哲学草稿』岩波文庫、18、25、108-9頁)を参照する必要があろう。

[25]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 2, SS. 40-1.

[26]. 詳しくは、【補論:望月氏のGesellschaft理解の批判】を参照。

[27]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENG: GESAMTAUSGABERKE, Ab. 1, Bd. 6, S. 212.

[28]. 旧MEGA編集者に依るこの標題づけも、適切とは言い難い。その理由は後に明らかとなろう。

[29]. タウベルト(Institut fuer Marxismus‐Leninismus beim Zentralkomitee der SED Marx‐Engels Abteilung, Beitraege zur Marx‐Engels‐Forschung 3, Berlin, 1978.渋谷・服部訳及び解説「『経済学・哲学草稿』研究の新段階」『現代と思想』、1979年12月号)に依る執筆順序推定の根拠は、『ミル評註』における貨幣論の方がここでのそれよりも「包括的で、また正確でもある」という点にある。しかし、彼女はこの部分のテーマを捉え損なっている様に思われる。

[30]. 例えば、細見英『経済学批判と弁証法』未来社、1979年、竹内良知『マルクス主義の哲学と人間』福村出版、1972年、宮本十蔵『哲学の理性』合同出版、1977年。

[31]. この部分について大井氏はマルクスの説明不足を非難している(『唯物史観の形成過程』、未来社、1968年、63頁)が、それは氏が「予め」という一節を見落し、詳しくはそれ以降に論じられているという点に気付かなかったからか、スミスの労働観を理解できないからに過ぎない。

[32]. マルクスの「類」把握については、竹内良知氏の「コメント」(『マルクス・コメンタール 』現代の理論社、1972年所収)が一番有益であろう。

[33]. K. Marx, Aus den Exzerptheften, in:Gesamtausgabe, Erste Abteilung, Band 3(杉原・重田訳『経済学ノート』未来社), SS. 535-6.

[34]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, S. 370.

[35]. マルクスのGemeinwesenとGattungswesenの使用法については、山本広太郎「初期マルクスの『類的本質』について」(『現代と思想』1978年9月号)、179-80頁を参照。

[36]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENG: GESAMTAUSGABERKE, Ab, 1, Bd. 3(杉原・重田訳『経済学ノート』未来社), SS.546-7.

[37]. Ibid., S. 547.

[38]. Vgl., ibid., S. 536.

[39]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. l, SS. 376-7.

[40]. Marx, K.,村田腸一訳「フリーヒドリヒ・リストの著書『政治経済学の国民的体系』について」(『経済』1972年9月号)、SS. 435-6.

[41]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. 2, SS.40-1.

[42]. Marx, K.,村田腸一訳「フリーヒドリヒ・リストの著書『政治経済学の国民的体系』について」『経済』(1972年9月号)、S.436.

[43]. この点については大野精三郎「ヘーゲルにおける古典派経済学の把握」『経済研究』7-4号、「ヘーゲルと古典派経済学」『同上誌』8-3号を参照。

[44]. 矢内原忠雄『キリスト教入門』(筑摩書房、1968年)、第六章によれば、キリスト教は人間と人間との関係、人間と自然との関係を問題にしていると言う。その限りでは、マルクスの経済学批判は同時に、キリスト教批判でもある。

[45]. この点については、宮本十蔵『哲学の理性』(合同出版、1977年)が詳しい。