1996年度ゼミ論文   

 性差別緩和へ向けて


                 政経学部経済学科3年 44107番

                         大橋 美智子


【目次】
 はじめに
 第1章 セク・ハラにみる性差別
  第1節 セク・ハラの起こり
  第2節 セク・ハラの具体的内容
 第2章 日本の性差別の根深さ
 第3章 性差別緩和への前進
  第1節 男女雇用機会均等法の見直し
  第2節 性差別意識の改革
 おわりに
【参考文献】


はじめに 

 今年度は、「女性の雇用形態」、「男女の賃金格差」といったように、主に企業における女性の諸問題を考察してきた。そして見えてきたことは次の2点である。第1に、女性は企業において、真の労働者として、また一人の人格を持った人間として認められていないこと。第2に、めざましい経済発展を遂げたにも関わらず、世界の他の国と比較してみて、日本の女性は賃金も含め、雇用状態が悪いことである。これら2点はまぎれもなく、性差別という根深い問題につながる。これをなくすことは、はっきり言ってとても困難である。しかし、少しでも改善できれば、女性の労働環境が良くなるのではないかと私は考える。そこで今回は、今年度のまとめとして、日本人の国民性を踏まえつつ性差別緩和の行方を探っていくことにする。   


第1章 セク・ハラに見る性差別

 性差別とは、女性とはこういうものだという固定観念から生じるものであり、「女は家庭、男は仕事」という性役割意識が根強く人々の頭の中にあることが要因である。この意識が存在するため、賃金や雇用など、様々な側面において、女性は間接的に差別を受けている。これを最も端的に象徴したのがセクシャル・ハラスメント(以下、セク・ハラと記す)である。  

  第1節 セク・ハラの起こり 
 セク・ハラの定義は、はっきりとは存在しない。しかし、1980年にアメリカのEEOC(雇用機会平等委員会)が発表したガイドラインがおおもととなっている。そこには、次のように明文化されている。
 「セク・ハラは、相手の望まない性的な誘いや要求その他の性的な発言や行動であ る。対価・地位利用型、職場環境型ともにセク・ハラに該当する。」
アメリカではその後、いくつもの判決が出て、セク・ハラの範囲がさらに広がった。クラスアクション(注1)や、制裁的慰謝料の制度(注2)があるため、企業は判決を起こされないよう、セク・ハラの発生防止に真剣に取り組むようになった。
 またEC(現、EU)では、1987年、ルービンシュタインがアメリカの成果をもとに、「セク・ハラは職場での女性の尊厳を害するものであり、女性が多く差別され雇用や昇進の機会を奪われている。」とし、セク・ハラを「ECが1976年に出した男女平等待遇指令に反する性による差別である」と、EC委員会に報告し、明確な姿勢を打ち出している。  
 このように、セク・ハラはアメリカの事例をもとに、全世界に広まっていった。日本にもそれが伝わった。第2節では、セク・ハラの具体的内容をあげてみることにする。

  第2節 セク・ハラの具体的内容
 セク・ハラは、曖昧でつかみにくい事柄である。そこで性を理由に受ける差別全般をセク・ハラ、つまり「性差別」としてとらえ、以下にその具体的内容を4つにまとめてみた。
 @ 結婚・妊娠・出産・生理などを嫌悪したりゆする環境
 A 職場で女性としての役割を求められる環境
 B 仕事の主張や権利の主張による反感から生じる差別的な環境
 C 女性軽視の環境

 これらを実際の言葉に表現してみると、さらに性差別の実態がみえてくる。順に、「結婚したのになぜやめない」、「お茶を煎れてくれ」、「女なんかに仕事がわかるはずがない」、「だから女は駄目だ」といった具合である。日本においては諸外国にくらべ、より、この性差別が深刻であると思われる。第2章ではそれをさぐってみる。 

 (注1)裁判に訴えなかった被害者も、判決が出ると勝訴したのと同じく賠償をうけられる制度。
 (注2)企業に痛みを感じさせ2度と同じ行為を起こさせないようにするため、 巨額の慰謝料を認める制度。 


第2章 日本の性差別の根深さ

 東大名誉教授の中根千枝氏によると、「日本社会に根強く潜在する特殊な集団認識のあり方は、伝統的な、そして日本の社会の津々浦々まで浸透している普遍的な(家)の概念に明確に代表されている。」ということである。これをもとに日本の性差別の根深さを分析してみる。
 まず、日本の「家」は、父(男性)を長とする家父長制であるということがあげられる。父(男性)が常に上に位置し、その下に母(女性)と子がいる。(図1)逆に欧米では、「家」をコミュニティーとしてとらえている。「家」がひとつの共同体であり、個々が独立しているのだ。(図2)つまり、中根氏の見解と合わせて考えてみると、企業においても、男性は「家」の概念を保持しているため、女性を知らず知らずのうちに下に位置づけているのではないだろうかということができる。そのため、着々と緩和へ向けて進んでいる欧米諸国とは違い、日本の差別緩和は努力のかけらはみられるものの進まないのだと私は考える。 
      (図1)      (図2) 


第3章 性差別緩和への前進

 1986年に施行された男女雇用機会均等法(以下、均等法と記す)は、日本的雇用管理での女性の不利を除去しようとするものであったが、法的拘束力が貧弱なものであるため、うまく機能していないのが現状だ。今、この見直しが進められている。  

  第1節 均等法の見直し
 労働省の婦人少年問題審議会(労相の諮問機関)は、11月26日、婦人部会を開き、均等法の改正案を公益委員見解として労使に提示した。その主な内容は、以下の4点である。
 @ 「募集・採用」「配置・昇進」の差別を禁止規定に強化、「教育訓練」も差別を禁止する範囲を限定しない。
 A 現在許されている一般職やパート募集時の「女子のみ採用」を原則的に認めな い。
 B 労使の合意が前提だった紛争処理のための調停委員会開催を一方の申し立てで開けるようにする。
 C 労働省が差別是正のために出す勧告に従わない企業名を公表する。
 こういった内容に加え、企業が期間を区切って女性管理職を増やしていく「タイム・アンド・ゴール方式」の導入、セク・ハラ対策、女性の能力発揮促進などをガイドラインとして盛り込む方針だ。
 法がこのように改正されたとしたら、性差別は緩和されるのだろうか。第2節で考えていくことにする。 

  第2節 性差別意識の改革
 上記の改正案には、依然として根強い経営者側の反対意見がある。それは無理もないことであろう。今まで当然のこととしていた女性差別が禁止になり、日本的雇用形態が崩れようとしているのだ。ここで、めでたく均等法が改正されたと仮定してみる。」法は改正されたものの、性差別意識は依然残るであろうから、経営者は矛盾を感じつつ法に従う状態になるであろう。
 心理学者の岸田秀氏は、「個々の集団は、共同幻想の場である」と、唱えている。つまり、それぞれの集団には、集団の構成員以外には理解しがたい慣習や心情がある、ということである。この「集団」を日本国民ととらえ、他国の「集団」と性差別意識を比較してみると、奇怪に見えるに違いない。また、「集団」を男性の集団と女性の集団としてとらえてみても同じことである。異性の心情は真に理解できない。そうであるからこそ、まず意識の面を変えていく必要があるのだ。それが性差別緩和への第1歩となる。決して法だけの改正にとどまってはいけない。

おわりに

 以上に見てきたように、性差別とは、人々の意識の奥底にあるものであり、法の改正だけでは時がたつにつれて、性差別緩和への動きが風化されてしまう恐れもある。そうであるから、法の改正と同時に、意識の改革も必要になるのだ。そのためには、差別されてる主体である女性が、差別を差別と認識し、訴え続け、男性はそれに耳を傾け続けるのが唯一の策であると私は考える。心の問題であるからこそ、この方法が緩和への近道となる。

【参考文献】
◆大脇雅子・中島通子・中野麻美編『21世紀の男女平等法』有斐閣選書、1996年。
◆岸田秀『ものぐさ精神分析』中公文庫、1982年。
◆久場嬉子・竹中恵美子編『労働力の女性化』有斐閣選書、1994年。
◆中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書、1967年。
◆総合労働研究所『季刊労働法(178号)』 、1996年。
◆朝日新聞
◆日本経済新聞
◆読売新聞