現代日本の食と農

西田潤一郎

目次
はじめに

第1章  現代の食と農業

第1節 自給率の変化とTFC比率
 (1)自給率の変化
 (2)TFC比率の変化
 (3)食料事情とコメ
第2節 農業の役割
 (1)食料生産の役割
 (2)環境への役割
第3節 新しい農作物の形態
 (1)遺伝子組み換え野菜
 (2)有機野菜

第2章  食糧管理法と食料法

第1節 食料管理法
 (1)歴史的定義
 (2)経済上の変遷
第2節 食管制度と新食料法
 (1)55年体制の改革
 (2)食管制度と食料法

第3章  諸外国と日本農業の形態

第1節 GATT 協定とウルグアイラウンド
 (1)ガット協定
 (2)ウルグアイラウンド農業交渉
 (3)農業合意の特徴
第2節 世界の農業政策
 (1)アメリカ
 (2)オーストラリア
 (3)EU
 (4)中国
第3節 日本の農業政策

第4章  新しい農業の構築に向けて

第1節 世界の農業展望
 (1)人口問題と農地
 (2)環境変化と農業
第2節 自給率と食料安全保障
 (1)食料安全保障とは
 (2)日本農業の問題点

おわりに

参考文献及び資料一覧


はじめに

 近年、日本農業は厳しい状況にある。天候不順によって収穫高が左右され農業経営がさらに厳しくなていること、コメ需要の頭打ちによる価格低下の懸念と代替となりえる主力農産物が見受けられないこと、海外からの安価な農産物が輸入され価格競争が難しいことや農業人口の減少、高齢化、人口増加による優良農地の宅地化など挙げていけばきりがない。国として成り立っていくには経済はもとより、食料、安全保障を自分たちで行っていかなければならない。
 しかしながら我が国は、経済は一人前に成長したが、その他ではある種の他力本願的な所が否めない。特に現在の食料事情はまさにその言葉通りである。根幹的農作物であるコメについてもこれから外国産米が本格的に輸入されるようになれば果たしてどれだけ自給率を保てるのか不安であるし、小麦、豆類に至っては日本産を探し当てる方が難しい状況になっている。
 これから先、世界の食料事情は慢性的な食料不足をおこしかねない状況である。人口増加、作付け面積拡大の限界、農業用水の不足や砂漠化の問題、栄養不足国の増加など問題は数多く指摘されている。もし輸入がストップしたらどの様な状態になるのであろうか。 現在我が国の農産物輸入量はは1200万ヘクタールを諸外国に借地しているのに相当する量である。これは国内の作付け延べ面積(512万ヘクタール)の倍以上である。これが全てストップすると、単純計算で1回の食事の量が3分の1に減ることになる。また外国への依存度が大きくなるにつれ外交の切り札の1つともなり得るのである。
 このような事態を避けるためにも少なくとも自分たちで消費する食料は自分達で作り出さなければならないと私は考える。本論では食料を自給するためにはどうすれば良いのか、農業はどうのようにあるべきかを念頭におき、現在の食料及び農業事情、過去から現代までの農業の推移、諸外国との農業比較等を行い、これから農業はどうあるべきなのか、また農業をどのように変えていかなければならないのかをコメを中心に考えてみたい。
         

第1章 現代の食と農業

 現代の日本における食文化は非常に広範である。日本の伝統的な食事から洋食、中華、フランス、イタリアなど世界各国の料理が日本、特に東京では味わうことができる。また市販されている料理ガイドにも多様な料理が提案されている。
 現代日本は飽食の時代と呼ばれ、料理の趣向もファッションのように変化している。また料理の素材も世界各地から輸入されてきたものが多く用いられている。しかし、現状をみると飽食とは言い難く、世界各地からお金で集められたものを我々が食べているといった感が否めない。
 そこで第1章では日本における自給率の変化、FAO(国連食料農業機関)の基準によって作成されているタンパク質、脂質および炭水化物の供給熱量割合(PFC熱量比率)から現代における食の嗜好や農作物の作付けの変化をデータから考察し、農業がもっている社会的な役割と、新しい農作物の作付けを見ながら現代日本の農業について考えてみたいと思う。

第1節 自給率とPFC比率

 (1)自給率の変化
 平成8年度の食料自給率は供給熱量(カロリーベース)で42%である。これは先進国の中では最低の水準である。特に農業貿易国とされるアメリカ、フランスは100%を超える自給ができている。(それぞれ113%、143%) またイギリスでも70%程度の自給率を維持しており、EUの掲げる域内自給をあわせるとほぼ全量を自給していることになる。(各国の数字は1987年現在:カロリーベース)
 実際に日本の数字を細かくみていくと、平成8年度の概算ではコメが102%なのに対し、豆類が5%、(大豆は2%)、砂糖類が32%、果実が47%となっており、コメ偏重型の農業生産であることがわかる。特に世界の3大穀物であるコメ・小麦・トウモロコシのうち、コメに関しては自給が完全に達成されているが、小麦、とうもろこしに関してはほとんど生産されていないといっても過言ではない状況である。これらは当該作物の輸出国であるアメリカ、フランス、中国などとの国際的な価格競争からそのシェアを占有されていることがあげられる。日本の自給率低下は言うまでもないが、世界共通の現象として自給率は確実に低下しており、また自給率とともに各国の食料備蓄料も年々低下している。人口増加のスピードに今までは農業基盤の整備、肥料や農法の改善等で単位収穫量を増やしていったが、それも限界に近づき、現在では食料生産が追いついていないことがうかがえる。
 日本の場合、先にも述べたコメ偏重型の農業生産の要因としては次のことが挙げられると考えている。

@諸外国に比べ、耕地面積が少なく、耕作条 件も不利な地域が農業生産地域に多いこと。
A農業人口の減少・高齢化とともに農業の機 械化が遅れていること(@も含め単位当たりの生産物のコストが増加)。
B農業基本法と食管法によりコメに関しては市場競争の原理が働いていなかったこと。
C農業政策がコメ中心の政策であり、その他の生産物に関してはBとは逆に市場の原理 に任されており、生産物としてのメリットが無くなってしまったこと。
Dコメを作っていれば大丈夫という安心感が農業生産者にあったこと。

 これらの問題点については後で詳しく論じていこうと考えているが、自給率の低下には国際競争力に限らず多くの問題が見え隠れしている。
 最も自給率の高いコメは平成5年を除き、過去10年間、生産料は前年並か、増加しているのに対し、その他の主要農産物についてはよくて前年並で、軒並み自給率は低下している。特に肉類については20ポイントも低下している。自給率が低下している国内的要因としては先に挙げた問題点があり、外的要因としてはGATT・ウルグアイラウンドの農産物自由化の流れから、輸入肉類にそのシェアを奪われたことが考えられる。
 JA全中の発行する「世界、日本の食料・農業に関するファクトブック」(97年版)では現在の食料自給率42%は2005年以降に起こり得るだろうと考えられていた。全中では『効果的なてこいれがないまま近年のすう勢で推移した場合』と記述していることから現在の自給率低下は予想をはるかに上回るスピードである。


 (2)TFC比率の変化
 TFC比率とは、食事に含まれる3大栄養素(タンパク質:T、脂質:F、炭水化物:C)の割合である。国連食料機関にこの比率は毎年報告され、各国食料事情の基本的な目安とされている。日本人の適正値はT:12.5%
F:25.0%、C:62.5%とされている。平成8年度は順に13.6%、29.7%、56.7%であった。過去10年間の数字から比較するとタンパク質、脂質の摂取量増加と炭水化物摂取の減少が続いてる。この要因として若年層を中心とした外食傾向と魚料理から肉中心の食事が多くなっていることがいわれている。またある調査では独身男性が台所にたつ時間は1日平均15分であることがわかっており、また小売業のデータでも惣菜関係の売り上げが近年上昇しており、家庭でも台所離れが端待っていることが窺える。
 92年(平成4年)のデータから、世界のTFC比率を比較してみるとほとんどの国で脂質が摂取量の4割以上を占めている。日本が脂質の摂取量が少ないにもかかわらずタンパク質の摂取量が多いのは、主に魚とご飯が中心に摂取されているからだと考えられる。デンマークは脂質の摂取量が食事中に52.5%とデータの中では最も大きく、次いでオランダ、フランスとなっている。データ中の多くの国が肉類を中心とした献立が一般的であり、必要な栄養素のほとんどを肉類から摂取するためにこのような数値として現れるのだと考えられる。一般的な日本の食卓はご飯、味噌汁、主菜、漬け物などで構成されており、主菜には魚、肉、野菜など様々なものが並ぶ。日本人はご飯で炭水化物、主菜でタンパク質、脂質を摂取しており、主菜には魚、肉、野菜など様々なものが列ぶ。日本人はご飯で炭水化物を、主菜でタンパク質・脂質を摂取している。最近の傾向として先に挙げた肉を中心とした食文化の国の主菜が並ぶことが多く見受けられ、このため脂質、タンパク質の取り過ぎは必然的なものになってくる。
 このような食の変化は言い換えれば農産物需要の変化である。コメをはじめとする農産物の需給不一致は明らかであるが、はっきりとした対応ができていないのが現在の日本農政ではないかと考える。

 (3)食料事情とコメ
 平成5年の俗に言う「平成米騒動」はまだ記憶に新しいのではないだろうか。国産米の異常な高騰やブレンド米の奨励、タイ米の緊急輸入などが行われた。この時のコメ需要はおおよそ1041万トンであった。政府は緊急備蓄米として100万トンを保有していたが、それでも不足するといった状態で(当時の供給量はおおよそ900万トン弱)であった。
  農産物は他の工業製品などとは多少異質な面を持っておりこのことが需給の不一致や農産物貿易に多大な影響を及ぼしているのである。それは価格弾力性の問題である。
 例えば工業製品などは、売れ残った場合には1年でも減価償却して販売することができる。しかしながら農産物は1年でも経過してしまえば果物は腐ってしまうし、コメであれば臭くて食べられたものではない。つまり生産された年でなければその価値はゼロに等しいものになってしまうのだ。
 農産物貿易はこのような価格弾力性を考慮して行われており、必要量と作付け量はほぼ前年に決定しているのである。特にコメの場合は世界の生産量のわずか4、8%しか貿易が行われていない状況(94年)を考えると、日本お緊急輸入がコメ価格に与えた影響は多大なものである。日本は食糧を海外に依存できるだけの経済力は持っているが、アジア・アフリカの途上国には貿易相場の高騰は、国の財政に直接の圧力を与えてしまう。食糧援助が必要な国があるなかでこのような緊急輸入は果たして良いといえるのだろうか。現在日本画農産物を輸入している国がもし凶作となり、輸入がストップした時、どうなるのであろうか 

第2節  農業の役割

 (1)食料生産の役割
 農業は本来生きるために始められたものである。確かに、歴史上農業を営むことで社会が形成されたのであるが、現在我々が人間らしく生きるためには食料の他に必要なものがあり、それは貨幣を媒体として我々に供給されているのである。農業によって生活する専業農家ではその収入はおよそ400万円程度といわれ、農業を経済活動として考えると他の産業との格差が大きいことは否めない。しかしながら、農業は経済活動としてだけで割り切れるものではない。特に日本の場合、コメは食管法によって作れば作っただけ政府が買い取った。このため農家の多くはコメを基軸にして作付けを行ってきた。このため需要が減少しているにも関わらず供給は相対的に増えていった。これとは逆に、コメ以外の農産物は市場の原理に任されており、安価な外国産農作物は日本農業を直撃し、そのシェアを簡単に奪っていった。特に豆類、トウモロコシなどはよい例である。
 食管法から食糧法へと関係法規が変わり食料生産の場としての農業はすなわち経済活動の場となった現在、農業は食料生産だけでなく、「食」の発信源として活動を行わなければならない。近年の農業白書が低コスト型農業の実現と、安全性や本物志向に対応した収益性の高い高付加価値型農業の追求を目指していることからもわかるようにこのような食事をするためには何の材料が必要で、それは何処で生産されている。だからその生産地に注文をするという形である。
 経済効率(競争)と国際分業(自由貿易)が世界中に浸透し、農業をも巻き込んでいる現状を考えると、生き延びるために果てしない競争の混沌から何とかして別の方法を探り出す必要があるように考える。インスタント麺が「食」の世界を変えたように、農業もその生産地から「食」に働きかける新しい方策を考えなければならない時期である。

 (2)環境への役割
 現在農林水産省は農村の見方を再検討している。多くの農村は山間地域、山間部と平野部の中間に位置する中間地域に点在している。農林統計では人口密度、耕作率等の条件から、
  A)都市的地域 B)平地農業地域
  C)中間農業地域 D)山間農業地域 
の4つに分類し、各地域の特徴をとらえ事業を考えている。A)及びB)の地域は現在人口の集中等によって住宅地等への転用が始まっている。そのためこれ以上の耕地整理等は少々厳しいものがある。
 農林水産省が着目しているのはC)及びD)の地域である。この地域を総称して「中山間地域」と呼んでいるが、この中山間地域は公益的な環境に対する大きな力を持っていることがわかってきている。
 中山間地域は地形的に斜面が多い。そのため平地には住宅、斜面には農地という構成にならざるを得ない。斜面には段々畑または棚田という方法で農地を開拓していった。この斜面利用法が土砂災害等の防止に非常に大きな力をもっている。農林水産省が新潟県牧村をモデル地域として行った調査では水田の耕作放棄地がない状態での土砂災害発生率が100年間で0.56回なのに対し、放棄地が50%以上になると2.03下位と4倍近い確率で発生することがわかっている。(1994年調査)
 野村総研が1996年に注)仮想条件調査法によって調査した結果、農村の公益的機能には一世帯当たり約10万1000円の支払意志が認められた。全国でおよそ4兆1000億となる。また、三菱総研の1994年の試算では農村の公益的機能は6兆7000億であるとしている。
 人間が環境を破壊しているという議論は近年よく耳にする。しかしながら環境を作り出すことは人間にしかできないのである。日本の風景の一つとして田んぼと点々と見える家の灯、夏にはカエルの泣き声や螢のあかり、秋にはコオロギといったものを想像する方は多いのではないだろうか。また高知県では棚田が景勝地として保存されたりもしており、これらは先人が日本の風土と人間の便利のために作り出した環境の一つである。狭い日本のなかでアメリカのように表土流失などの問題をおこさずに斜面にも耕作できるような農業技術はまさしく環境を考えた良いものである。

 注)仮想条件調査法
    (Cntigent Valuation Method)
   全国の農業、農村がもたらす公益的機能が全く失われるような仮想状況を想
   定し、そのような事態をさけるために受益者である一般国民が支払ってもよい
   という金額をアンケート調査によって直接尋ねる方法。

第3節 新しい農作物の形態

 近年の遺伝子技術の発達により、農作物は試験管の中でその種を生産できるようになった。またその種は病気に強いものや害虫を殺すことのできるものなど様々なものが開発されている。また、食のニーズが多様化したことで農産物の生産方式が変わってきている。 ここでは新たな農作物の形態として遺伝子組み換え農産物と、新しい栽培方法を簡単にまとめてみたい。

 (1)遺伝子組み替え野菜
 構成省と農水省は遺伝子組み替え野菜に対して特別の表示は安全性の面からみても必要はないという談話を発表している。しかしこれは世界各国でその対応がバラバラである。アメリカは一般的に表示を義務づけられてはおらず、スイスやカナダでは条件付きで義務化されてはいない。しかしながらフランス・イギリスでは組替え食品を含むものすべてにおいて表示の義務があり、オーストラリアは一時的に組換えトウモロコシの輸入を禁止したりしている。
 この分野に関してアメリカは先進国であり、すでに大手の穀物会社や食品会社は遺伝子組換えされた農作物の種子を特許申請しており、その種類は我々の知り得るほぼすべての食品をカバーしている。遺伝子組替え野菜の安全性について農水省はOECDの考え方をもとにしている。
 OECDでは、実質的同等性を確認することで組替え野菜の安全性が確かめられると考えている。実質的同等性とは導入する遺伝子が生成するタンパク質の安全性を確認し、組替え農作物ともとの農作物を比較して、いろいろな特製に変化がなければ実質的な同等性といえることである。
 現在、日本に遺伝子組替え農作物がどれだけ輸入されているのかは定かにはなっていない。何万トンと輸入される小麦のなかに数%の組替え小麦が混入していたとしても何ら不思議はないわけである。検疫を受ける際にもその程度であれば誤差とされてしまう。又、農水省はこれから考えられている食糧不足への切り札の1つとして表現しているが、果たしてどこの国の食糧不足を補っていくのであろうか。輸出国のコスト減、利益率増加のための切り札ともなり得るこの遺伝子組替え農産物はどのように扱っていけばよいのであろうか。これからの議論に注目しなければならないだろう。 
 (2)有機野菜
 スーパーの一角に「有機野菜コーナー」を見かけるようになって久しい。また健康をテーマとしたテレビをはじめとするメディアが健康食として有機野菜の話を積極的に行っている。日本では制約された農業用地、人口増加による需要の増加などから、単位当たりの面積から収穫を増やすために化学肥料の投入や農薬の散布などを用いている。これは多くの農業国で行われていることだが、農薬の有害性、化学肥料の多投からくる土壌の変化や野菜への影響を考慮する消費者が多くなってきた。
 農薬の有害性の議論は御存知かと思うが、ポストハーベスト農薬に代表されるように収穫後の農作物に散布されることで農薬残留のうど基準を超えてしまったり、あるいは輸出国では認められていない農薬が輸入国では認めているため散布されたりと、不可解な使用が疑問視されている。またこれは推測であるが、猿山の猿の子供に奇形児がふえはじめたのは輸入資料を与えたことと、猿山の近隣農家が農薬を多量に使用しはじめた頃と一致しているという。
 このような危険性を少しでも減らし、消費者に安全で、生産者にとっても高付加価値となる有機野菜が注目されるようになった。
 有機野菜は文字どおり、化学肥料や農薬は一切使用せず、退避は動物のたい肥などの有機肥料を利用し、除草剤などの薬品を使用せず人間の手で行っていくというものである。これは手間がかかり、その分生産物の価格も高くなるのであるが、近年その売りが上昇している。安全な農作物を求める消費者が増えてきたことでこれまで生産するのは農家であり、売るのはスーパーといった流通関係から生産者からちょくに消費者へと届ける産直方式の発展も見られるようになり、生産者の顔が見える農作物が消費者に届けられるようになった。またこの発展を生かし、村おこしの1つとして村全体で取り組む自治体もある。
 生産性を高める方法として、プランと内での野菜生産も軌道に乗りはじめている。食品メーカーでは無菌状態の密閉された空間を作り出しそこに野菜の最も好条件となる温度や湿度、紫外線などを作り出し、野菜の栽培をおこなっている。ここで作り出された野菜はふつうの路地生産よりも8割程度の日数で収穫でき、また調理の際に洗う必要もなく、栄養価も路地生産されたものと同等、あるいはそれ以上という調査結果が出ている。


第2章 食糧管理法と新食料法
第1節 食糧管理法

 (1)歴史的流れ
 1942年に戦時立法として成立した食糧管理法は、当初食管法は食料の国家管理を目的とする法律であった。
 日中戦争の長期化による食糧需給の悪化により37年にから個別の作物を対象に供出制度と配給制度を主軸とする統制法規で生産者は定められた価格で食料を政府に売り渡さなければならなかった。40年にコメが供出・配給制下におかれ、のちに麦、小麦粉、芋、大豆、雑穀にまで拡大された。
 食料管理法はこのような個別の法令を集大成し、食糧営団を設けて配給機構を一元化するとともに、対象となる食料は、政府の定めた価格で政府の定めた数量を供出しなければならないとした。これが食管法の当初のねらいであった。
 敗戦後の食糧難に対しても、この法律による統制が続けられ、供出数量の決定に、農民の代表が参加した食料営団の食料配給公団への改組などが行われたが、他方、46年には食糧緊急措置令により、供出未遂者に対して強制収容を行ったり、事前割当制(48年)など一時的にではあるが、統制が強化された。その後ドッチ・ラインの実施により需給関係が緩和し、50年には芋類、52年には麦類の供出制度及び食糧配給公団を廃止した。また米穀についても、55年に供出割当て制を廃止し、予約買い付け制に改め、食糧管理政策も数量等制から農民保護の価格維持政策ヘの傾向を強めていった。
 近年になり、逆ざや減少や、在庫米の増加による食管赤字(およそ3兆円)や、自主流通米の導入などによって社会問題ともなった。これに対して追い討ちをかけたのがいわゆる平成米騒動である。
 93年は、おりからの長雨と、台風の影響で北陸、東北地方は冷夏に襲われた。このためコメの作柄は1948年の調査以来最悪のものとなった。作況指数(前年度の収穫量を100とした時の収穫指数)は青森県では地域によっては10になるなど全体でも74という低水準になった。政府は必死になってコメの買い付けを行ったが、需要に対しておよそ200万トンの不足という結果になった。
 このことは、食管法が内包する制度的矛盾、すなわち供給不足にもかかわらず、政府買い取り米の価格はすでに決定しており、政府売り渡しよりも自主流通米としての売り渡しが利益幅が大きいため政府売り渡し米が集荷できなかったことと、食管法の本来の目的である国民食料の確保が供給不足によりできなかったことである。それまで供給過剰であったため、政府売り渡し価格をどのように生産者の利益になるように維持するか、業者への卸売り価格をどのように決定するかに論点が終始していたため、制度への打開策が見いだせないままに緊急輸入、そして新食糧法への移行となったのである。

 (2)経済上の変遷
 食管法の制度の変遷は、日本が途上国から先進国へと成長する過程で非常に重要な意味を持っていると私は考えている。特に高度成長期の70年代を境に超過米(政府買取り米−消費量)の量は増えつづけているという事実はこの頃に日本がそれまでの工業優先政策によって、農業生産の利益の搾取を行い、工業生産へとその利益を配分していたということ、すなわち食管法がコメの価格調整を行うことで工業(雇用者)へとその利益が移動したということである。
 工業優先政策によって工業労働者が増加する、すなわち労働力が農業から工業へとシフトするわけであるから農業労働者の減少(農業収入の減少)がおこり、農産物価格は上昇する。同様に工業労働者の需要も増加してお


グラフの挿入

り、労働者需要も増加しているので賃金も上昇してくる。雇用者の増加は農産物の需要増加につながり、農産物価格は上昇(P0→P1)し、雇用者の賃金は生活費に利用され、実質的な減少(W1→W0)となるのだが、ここで政府の価格支持によって価格が(P0)に押さえられたとする。このような場合、価格が(P0)のままであるので需要の増加に供給が対応しない不足状態となる。しかしながらこの不足分(C,Q'1,Q"1,E)を安価な輸入に頼ることで、雇用者の賃金は実質的な上昇(W0→W1)となり、生存賃金(W0)を除いた賃金(W1−W0)が、食料品以外の消費や貯蓄に回されることで経済成長を達成するよう、政策が打ち出されると考えられる。
 これとは逆に、経済がある程度まで成熟すると農業部門と非農業部門とで所得の格差がはっきりとしてくる。

グラフの挿入


 農産物と工業製品が同じ数量だけ供給を増加した場合、価格弾力性の差が如実に現れてくる。先にも述べたように農産物は価格弾力性が小さい。グラフ上ではそれは垂直的な需要曲線によって表され、需要曲線のシフトの幅が小さければ小さい程、所得の弾力性が小さくなる。反対に非農業部門では価格弾力性が総体的に大きいのでグラフ上では垂直的に表される。そして需要曲線のシフトが大きければ大きい程所得の弾力性が大きくなる。このため、両者の所得格差が広がってしまう。政府がこれを是正するために農産物の価格が下落しないように価格支持を行うと生産過剰をひき起こしてしまうことになり、生産過剰の農産物は輸出、もしくは備蓄に回されるかあるいは食管法のように政府買取り価格と卸売り価格との差が生じてしまい、財政支出を余儀無くされてしまう。
 以上みたように、日本の食管法は70年代までは前者の働きをし、それ以降は後者の働きをしていることがわかる。日本人留学生が銃殺された時に、先進国には先進国たる問題と、途上国的な問題の両面が存在するといわれたが、食管法もこの2つの異なる側面を持った問題であるといって良いのではないだろうか。

第2節 食管制度と新食料法

 (1)55年体制と改革
 農業における55年体制とは農地法に基盤をおく農地制度、食糧管理法を根幹とする食管制度、農業協同組合法におる農業協同組合制度、土地改良法にもとづく土地改良制度などをその骨格にしてそれぞれに補完して体系づけられ、それに我が国特有の農業補助金制度が組み合わさり政治における55年体制と巧みに結合しつつ、戦後農政の展開過程を想定してきたのである。
 この55年体制をかたちづくってきた諸法令諸制度はいずれも1940年代後半から50年代前半にかけて構築されたもので農地改革の成果として創出された自作農を基盤とし、その維持、存続を意図するものであった。
 農地法は農地改革の成果を恒久的に維持するため、それまで制定されてきた農地立法を再構築するとともに地主制の復活・再建の阻止をうたい、自作農的土地所有制度の恒久的維持と自作農のみが農業生産の担い手であることを固定化した構造として設定した。そのため、農地に関するすべての権利移動につて農業委員会等の許可制度のもとにおくことにしたのである。このような制度は農地以外の宅地などその他の土地についても、また諸外国の農地法制においても類例を見ない、我が国独特の農地法のみが持つ特徴であった。
 この土地制度を基盤として他の諸制度は構築され、戦後の農業及び農政は展開してきたのである。そして、こうした農業の展開を指導し、補完し、誘導したのが政治における55年体制であったと考えられる。
 しかしながら70年の農地法の大改正、生産調整政策の導入による増産メカニズムの限界、食糧管理制度、土地改良制度などの戦後自作農体制のもとで構築されてきた諸政策の破たんが現実のものとなってきたにもかかわらず、政治・社会・経済システムのなかにビルトインされたこのシステムの終焉は見られず、諸制度の破たんを繕いながら、近年まで生き長らえてきたのであろう。
 そして、これらの矛盾がウルグアイラウンド交渉と、農業合意によって一気に噴出したかたちになり、解決策の第一歩として食料法の制定ということになった。今までのインフラ整備を中心とした農業支援策、タレ流しの感が否めない補助金政策等の弊害が問題視され、抜本的な改革が必要とされている。現在はこれまでの消費者負担型の農政から財政負担型の農政への転換が考えられている。EUの「緑の政策」に盛り込まれている条件不利地域への直接所得補償やアメリカの96年農業法など参考とする材料は多い。特にEUと日本はある種共通した問題を抱えており、日本の学ぶべきところは多いように感じている。先頃の緊急輸入の対応が揶揄されているように現在の情勢を的確に把握した、迅速な対応が求められているのではないだろうか。

 (2)食管制度と食料法
  1994年12月14日に「主要食料の需給及び価格の安定に関する法律」いわゆる食料法が成立した。1942年に戦時立法として成立し、たびたび制度と運用についての改正を経ながらも戦後農政のの最大の政策展開の手段とされてきた食管法が廃棄され、ウルグアイラウンド農業合意後わずか1年で新食料法が成立した。
 このように短期間で成立した背景にはウルグアイラウンド農業合意と、93年の大凶作とそれに伴うコメ不足問題、いわゆる「平成コメ騒動」があったと考えられる。
 食管制度の改正問題はたびたび政治的にも社会的にも取りあげられている。しかし、具体的にどうするのかという議論はあまり起こらなかった。その象徴として、ウルグアイラウンド農業交渉を考慮してだと考えられるが、92年6月の「新しい食料・農業・農村政策の方向」においても、食管制度改革問題については『より長期的方向での米管理のありかたについても研究』していくとだけ書かれていた。
 しかし、農業合意の翌年には農政審議会での審議が開始され、「新たな国際環境に対応した農政の展開方向」という審議会の答申からわずか10ヶ月で与党合意、法案国会上程及び国会通過成立してしまった。長年の農政上の最大の懸案であった食管改革であったが一体どういうことなのだろうか。今村奈良臣氏によれば、第一の理由は
 『ウルグアイラウンド農業合意が、コメの  ミニマムアクセス輸入という部分解放で  決着することにより全面的に敗北した』
 からであるとしている。農協系統組織が、全力を挙げて取り組んだ米市場解放反対、国内自給堅持を旗印にした闘争が、農業合意によって敗北したことにより、農協の農政運動は虚脱状態になり、組織内部及び組合員から批判が続出する中で、上層部は運動目標を失い、従来の食管堅持の強硬姿勢を続けることが不可能になり食管改革問題を条件付きで認めなければならなくなってしまったからである。
 第二の理由は
 『いわゆる平成米騒動という93年産米の  大凶作のもたらした結果』
であるとしている。
 偶然とはいえこの大凶作が消費者、生産者の両者から食管制度への不満を噴出させ、制度改革の声となったのである。消費者は国産米の不足による価格の暴騰、緊急輸入米の抱き合わせセット販売の強制への不満が食管制度の硬直性、画一性の批判を増大させた。他方、政府米の集荷が強烈な督励にもかかわらず困難を極める一方で、自由米価格が暴騰し、正直者がばかを見るといった、従来から潜在的にあった米作農民の不満が噴出し食管改革への声が農村内部からも出てきたからである。
 では新食料法と食管法とではどのような違いがあるのかをみてみたい。新食料法の特徴としては

@政府米による政府管理と基本とした制度運 営から自主流通米による民間流通を基本と した制度運営への転換
A政府米による政策米価を中心に自主流通米 の価格形成を誘導する方式から、自主流通 米価格形成センターにおける需給実勢を反 映した価格形成へと転換すると共に、政府 (備蓄)米の価格決定にも市場原理を導入 する方式へ移行
B備蓄、生産調整、ミニマム・アクセスにか わる諸事項の法制化
C備蓄、生産調整、ミニマム・アクセスを含 め米の需給調整の有機的運用のための計画 制度の確立(なお、責任の所在を備蓄につ いては政府が主、民間が従、生産調整につ いては政府が従で民間が主とする体制を明 確化)
D生産者の政府への売り渡し義務を基本にし た厳格な流通ルートの決定的改革と多様な 販売方法の承認(流通業者の許可制から登 録制への変更と新規参入機会の促進)

などがあげられる。では具体的にどのように運用面で違いが出てくるのかを考えると、まず需給調整に関する問題は、毎年11月の計画的な生産・出荷の指針からはじまり、翌年3月の基本計画の作成に基づき、生産調整は生産者の自主的な選択に基づく選択制へ移行し、生産調整を実施した生産者から政府(備蓄)米が買い入れられる。備蓄は政府米による150万トン程度の確保を基本とし、50万トン前後の幅を持った運用を行うために自主流通法人による民間備蓄を義務付けるとした。また方策時の供給過剰対策として調整保管を位置付け、農業合意によるミニマム・アクセスによる輸入米は政府米として備蓄や食用、加工用として販売、または海外食料援助として利用し、売却利益は備蓄の経費となる。
 また自主流通に関しては、自主流通米価格形成センターで形成される指標価格によって実勢を適あくに反映するように取り引きの弾力化を図り、一般の相対取り引き価格はこの指標価格に基づいて決定される。また、自主流通米と政府米を加えたものを基本計画の対象として、生産者は政府への売り渡し義務から自由にはなったが、事前の意志が考慮されたうえで、特定の登録業者への売り渡しが義務付けられている。生産者の自家消費を除いたその他の米は計画外流通米として事前に販売数量を国(食料事務所)に届け出れば自由な販売が認められる。
 この新食料法については以前の食管法の流れをくんでいるともいわれるが、価格システムが政府主導ではなく、あくまでも実勢に配慮して決定されること、作付けしたものが制約があるとはいえ生産者が売り渡し先を決定できることなどから以前の食管法とは決定的に違うといえるのではないかと考えている。
 しかしながら、この新食料法にも問題点がいくつかあると私は考えている。
 ウルグアイラウンド農業合意で、日本はミニマムアクセス米の輸入を義務づけられた。この義務的な輸入米が国内産の米に及ぼす影響がまず第一の問題点ではないだろうか。国内産米の需給の動向いかんに関わらず輸入されるミニマムアクセス米は現在のコメの需要を考えると在庫米として今までの食管赤字の要因の一つである管理費の増加につならがらないかということと、価格競争によって、国産米にダブつきが生じないかということである。
 もう一つの問題点としては先のミニマムアクセス米と重なるが、備蓄に関わる問題である。数量などは先に示したが、種別として備蓄はA)政府備蓄、B)民間備蓄、C)民間調整保管の3つに分類されるが、備蓄されたコメは何らかのかたちで売却、流通、消費されなければならないが、コメの不足時には効果を発揮しても、過剰の際にはこのA、B、Cの三者が競合しなければならず、必然的に価格破壊が起こりかねないということと、政府備蓄150万トンは買い入れ限度で、しかも政府は新米を買い入れ、古米を売却しなければならず、金利や倉敷料保管経費の他に古米売却の差損により構造的な赤字にならざるを得ないが、その財政負担をどこが、どのように処理するのかが問題となる。現在の財政状態で負担できるのだろうか。また、政府米の買い入れは生産調整に連動し、売却は流通制度のなかで行われていくことになっているが、このような枠組みではコメの需給事情のいかんにかかわらず毎年一定量の政府米の売買を行わななければならないため、現在の供給過剰のもとでは制度の維持に困難を生じる恐れがある。
 この他にも価格形成についての変動調整や生産調整をめぐる矛盾など様々な面で指摘することができるが、最後に運用の実情について述べてみたい。
 94年以降、コメの豊作が続き、96年10月末の時点で持越在庫量は96年当初の見通しを大幅に上回り294万トンに達したのを反映して、自主流通米価格形成センターにおける自主流通米の入札取り引きの状況を見ると一部の産地銘柄には上昇の動きがあるものの大多数の銘柄では価格の下落傾向が顕著にみられる。
 出荷業者、卸売り業、小売業については指定・許可制から登録制変更され96年6月に登録が行われた。第一種出荷取扱業者に3296業者(農協など)、第二種出荷取扱業者には86業者の登録があった。米卸売り業への登録はそれまでの1.2倍の339業者で新規参入は73業者、小売業では10万9994業者が登録され、販売所数は17万5609店鋪で登録前の1.9倍となり、ディスカウントストアなど様々な業態からの参入があった。
 コメの需給事情がさらに緩和されるなかで計画外流通米の増加も予想され、ミニマムアクセス米の増加もありと非常に厳しい状況での運営であり、新食料法をめぐる問題は多くの難題を迎えている。


第3章  GATT・ウルグアイ
           ラウンドと農業政策

第一節 ガット協定とウルグアイラウンド

 (1)ガット協定
 一般に、GATTウルグアイラウンドとしてその名前が知られているが、これは正確にはガット協定の第8回目の交渉の事を指している。ガット協定は国際貿易機構の設立準備において関税と貿易ルールについての部分をとりだすかたちで起草されたものであるが、アメリカ議会の反対で貿易機構については流産してしまった。ガットが正規の国際機関ではないといわれるのはこのためである。
 ウルグアイ・ラウンド交渉とその合意(WTO協定)をみる前に簡単にガット協定のポイントをみてみたい。この協定のポイントとしては4点があげられる。
@最恵国待遇の一般化
 最恵国待遇とは「加盟国のひとつが、他の 第3国に対して与える最も有利な待遇を、 他の加盟国に対しても与えること」を言  い、その一般化とは、最恵国待遇を加盟国 全体に対して及ぼしあうことである。最恵 国待遇の一般化は、自由と無差別を大原則 とするガット協定に基礎に位置付けられて きた。
A輸入数量制限の禁止とその例外規定
 ガットは最恵国待遇の一般化とともに、輸 入数量制限の撤廃を貿易拡大と発展の手段 として位置付けた。しかし、これには当初 から2つの重要な例外が設けられており、 「国際収支が赤字の国については、輸入制 限の維持は認められる」とされ、さらに  「農産物について、生産長生や販売数量調 整が行われている場合には輸入制限が行い 得る」とされていた。
B義務免除(ウェーバー)条項とそれに基づ くアメリカの輸入制限
 ガットでは、総会の3分の2以上の賛成が あれば「加盟国に課せられる義務を免除す る(ウェーバー)ことができる」とした。 これによってアメリカは生産調整の行われ ていない酪農品、落花生などについて   1955年から94年に至るまで輸入制限を  行ってきた。
C工業製品についての輸出補助金の禁止と農 産物についての容認
 ガットは、ダンピングが第2次世界大戦の 原因のひとつという認識もあり、工業製品 については輸出補助金の使用を厳禁してき た。所が農産物については輸出補助金の許 与を禁じていない。これも「農産物に輸出 補助金を用いる権限」を大統領に与えてい るアメリカの実体にあわせた形でガット協 定が成立したためである。

 このようなガット協定のもとで多角的な関税引き下げ、貿易交渉は1947年の第一回から70年代の東京ラウンドまで7回行われ、ウルグアイラウンドは8回目にあたった。なぜ、ウルグアイラウンドの焦点が農業分野であったのだろうか。
 それまでの交渉(特に第6回ケネディーラウンドと第7回東京ラウンド)で関税が大幅に引き下げられ、東京ラウンド後の関税率はアメリカで平均4%、日本でも平均5%となり、次の80年代における多角的交渉が行われるとすれば、農業分野では、関税以外の国境措置(生産調整を行っている農産物への例外的輸入制限、EUの輸入課徴金制度、アメリカのウェーバーによる輸入制限など)がその中心テーマにならざるを得ない状況になったのである。

(2)ウルグアイラウンド農業交渉
 86年9月にスタートを切り、93年12月に合意に達したウルグアイラウンドであるが、この交渉分野、グループは3分野15グループの多岐に渡った。この交渉の特徴としては、交渉全体の焦点に農業が位置していたことである。これはアメリカとケアンズグループ(オーストラリア、カナダなど輸出補助金を用いていない農産物輸出国13カ国)が「農業についての合意成立がなければ、他分野についての合意もない」としたからである。
 この背景については次のことがいわれている。80年代前半〜中期においてアメリカの農産物輸出額が81年の438億ドルから86年263億ドルへと40%も減少し、貿易黒字額も80年239億ドルから86年48億ドルと5分の1に激減した。これは世界の輸入需要が80年代に停滞または減少したこと、穀物輸出国に転じたEUがアメリカの輸出市場に進出したからである。
 アメリカの農産物輸出の減少と貿易黒字の激減はアメリカ全体としての貿易赤字を254億ドル(80年)から1440億ドル(86年)へと激増する時期に発生し、ウルグアイラウンド交渉においてEUの輸出補助金の撤廃とアメリカ農産物輸出の障壁となっている他国の国境措置(EUの輸入課徴金や日本のコメについての輸入制限など)を引き下げることがアメリカ農業だけでなく、アメリカ全体の貿易課題となったのである。
 また、輸出補助金を用いていない農産物輸出国(=ケアンズグループ)にとっては、EUの輸出補助金の使用と、それに対抗したアメリカの輸出補助金付き輸出の着手によって輸出価格が人為的に引き下げられることは、農産物貿易の著しい歪みを意味し、農産物輸出が、輸出全体の中で大きなウエイトを占めるケアンズグループにとっては重大問題だったのである。
 このような背景からはじまった交渉は93年12月にようやく全分野の妥協に至るが、ここでは簡潔にまとめてみたい。
 各国の基本的な立場としては主要国(アメリカ、EU、日本)が開始から一年内にしめしたのであるが、ますはじめに起草したのがアメリカであった。アメリカは国内保護、国境保護、種出補助金のすべてにおいて10年内に保護を撤廃することを目標としたのである。
 このアメリカの提案に対し、EUは「保護の総体を、現実的かつ漸進的に削減するべきである」とした。つまり国境措置や輸出補助金等をそれぞれに考えるのではなく、それらを一体として考えるということである。当時、輸出補助金なしに農産物の輸出ができなかったからである。
 これに対し日本は、交渉の目的は保護の撤廃ではなく、その削減におかれるべきである(EUと同じ)とし、基礎的食料(日本ではコメ)は食料安全保障の立場から国内生産を維持(自給)し得るように輸入制限が認められるべきだとした。国内生産を行っている穀物は事実上コメだけである日本の現実からの提案であった。
 主要国の基本的立場は当初の交渉期限である90年12月をまえにさらに具現化されていったのであるが、90年12月の閣僚会議では輸出補助金を独自の交渉テーマとするか否かをめぐってアメリカとEUが対立し、何も生み出さずに終わってしまった。このようななかで91年12月にドンケル事務局長によって提起されたのが農業を含む15分野全体についての包括的合意案であった。農業交渉に当たってはドンケル自らが議長を務めておりドンケルはそれまでの交渉の合意点を元に、残る不一致点についてはドンケルが裁定を書込むという形でまとめれていた。ウルグアイラウンド合意案はこのドンケル合意案をもとに、それぞれ修正するというかたちをとったのである。

 (3)農業合意の特徴
 最終合意はドンケル案を骨格としたものでドンケル案の特徴ともいえるが最も大きな特徴としては、国境措置だけではなく、輸出補助金、(貿易歪曲および生産拡大をもたらす)国内保護についても独自の保護削減対象としたことである。また、この合意は現実への配慮(国内保護削減率が他に比べて小さいことなど)が十分に考えられており、さらに基礎的食料についての関税化特例措置を設定したことや生産調整のもとでの所得保障(アメリカの不足払いやEUの直接支払い)を国内保護削減対象から外したことなどが加えられている。
 しかしながら、輸出補助金撤廃への過程が示されていないことや、補助金付き輸出量の削減について、実施機関の初頭については、基準期間を91,92年度までずらすなど輸出国主導の色合いも残っている。また、合意では国内保護削減対象に「生産拡大を促す政策」が無条件で含まれているが、生産拡大政策は貿易を歪曲する政策ばかりではなく、国内需要に対応し世界的な需給不均衡の発生を防ぐという側面もあり、こうした側面も含めた生産拡大政策を保護削減対象とするのは国内需要に対する増産政策への強い制約となり、今後の食料問題への対応が考えられている中でこの点に関しては早急に検討されなければならない課題であると私は考えている。

第2節  世界の農業政策

 ウルグアイラウンド合意の前後に世界の農業政策はその転機を迎えている。92年のEUにおける農業政策、新たな食料戦略に挑戦するオーストラリア、市場経済を迎えた対応を迫られる中国、そして96年農業法に代表されるアメリカなど各国とも特徴ある農業政策を実施している。
 日本でも食管法から食料法への移行や、農協法の改正、農業基本法改正への議論などが行われている。ここでは世界の農業国の政策をみながら日本の農業政策についての検証をしていこうと思う。
 (1)アメリカ
 御存じのように96年4月に新しい農業法が成立した。俗にいう96年農業法(FAIR Act of 1996)である。これまでの農業法が、@目標価格(生産費に基づく)を設定し、それを農民の市場販売額が下回った場合には、その不足分を補う不足払いを行う。A市場販売価格が暴落しないように価格支持を行うこと、B不足払いと価格支持を得るためには生産調整に参加しなければならないこと、の3点をポイントとして小麦、トウモロコシ、コメなどほぼすべての穀物について行われてきた。
 しかしながら、政府支出の削減や、世界的食料不足の危機(具体的には穀物在庫量の低下や95年の小麦の不作など)を考慮して、新しい農業法では、@生産調整の廃止、A野菜と果樹を除いて作付けの完全自由化B不足払い制度を廃止し、7年間を限度とした直接支払いの導入、C価格支持については1995年のレベルを上限としてこれまでの方式で存続させる、こととした。これまでの農業法が不足払いと生産調整を軸としていたため、まさに抜本的改革といっていい内容である。
 この改正では、直接の農業政策における政府の役割を縮小し、残る対外交渉(貿易交渉など)については政府の役割とするものである。生産調整の廃止と、作付けの自由化を行い、農民の市場対応型農業によって輸出機会の拡大に応えることと、先に述べたWTOでの多角交渉において各国(特に輸入国)の保護水準を引き下げアメリカ農産物の輸出市場をさらに広げていくことを念頭においたものであると考えられる。しかしながらアメリカはコーンベルトなどに代表されるように世界の食料庫であり、生産調整の廃止は世界の需給調整の廃止とも考えられ、中期的、長期的な視点からみると世界の需給調整の要がなくなり、価格の変動幅が大きくならざるを得ない。穀物在庫量が減少している現在ではこのことはなおさらであろう。
 (2)オーストラリア
 ケアンズグループのリーダーとしてウルグアイラウンド交渉過程での主導的役割を果たしたオーストラリアは規制緩和と環境保全に重点をおいた政策をおこなっている。特に農業については補助削減を押し進め、またこの過程で肥料補助や開墾奨励金が廃止されたことによってオーストラリアは国際的にも農業補助水準が低く、科学肥料の投入も国際的な水準を大きく下回っている。
 環境面への配慮として、環境負荷が大きいとされる灌漑農業(特に米作)についても現在は4つの規制を受けるのみになっている。
(立地規制、水割り当て規制、米生産規制、農地保有規制)また、水資源と肥沃な土壌に恵まれていないオーストラリアは他国に比べて農業部門における環境資源への配慮には敏感で、1980年代なかばには全国農民連盟とオーストラリア環境保全基金が共同で全国的運動をおこすなど積極的な活動が行われている。1989年に90年代の10年間を「ランドケアの10年」とし、連邦政府予算3億2000万ドルを計上している。この計画の推進によって従来、個別的に行われてきた資源保全、環境対策を包括的に扱うようになり、樹木や草地の劣化、土壌侵食、土壌養分の消耗、塩害等の対策を地域レベルで取り組むことを目指している。
 最近の話題として食品の安全性、特に輸入食品についてがあるが、オーストラリアではこのようなトラブルを防ぐために輸出国として、アメリカで開発されたHACCP方式(有害因子とその危険度の確定及び許容限界点の監視を行う手法)とヨーロッパで開発されたISO方式(国際標準化機構)に準拠した品質管理システムを導入し、食肉においてはこのHACCPを導入することを義務付けている。また耕種作物についても有機無農薬栽培を証明する「グリーンラベル」が発行されており、生産コストに見合う高い価格で取り引きされている。

 (3)EU
 1993年11月に欧州連合設立条約(マーストリヒト条約)が発効し、EUとしての第一歩を踏み出した。92年の市場統合と期を同じくして共通農業政策(CAP)の改革も進められた。矢口氏の言葉を借りれば「革命的」改革であった。何故かといえば、EC農政が30年来続けてきた価格支持に政策による農民の支持を転換し、大幅な価格引き下げと生産調整の実施、これにより大きな影響が出る地域や中小経営に対しては直接所得補償を行い、さらに環境保全の重要性も考慮して政策化した、という点である。
 しかしながら、この改革には各国の情勢、とりわけ(旧)東欧諸国に配慮しなければならなかった。CAPを東欧諸国にも適用すれば東欧諸国の農産物価格を引き上げることになり、生産過剰を招かざるを得ない。また急激な改革、すなわち価格支持の段階的廃止や生産調整の廃止は地域によっては社会的あるいは環境的側面からみて、大きなマイナス影響を受ける可能性があり、改革の主旨にそぐわない。このような意味からEUは日本と共通する問題点を抱えているといっても良いであろう。すなわち地域格差が大きく、また環境的には重要な地域であるにも関わらず生産性向上があまり見込まれない地域(条件不利地域)ヘの補償をどのように行っていくかということである。
 CAP改革は既存加盟国と東欧諸国の農業構造改革の進展と、農業保護水準の見直しの程度にかかっており、財政支出を抑えながら価格支持、輸出補助金、直接所得補償をどのような水準で行っていくかである。消費者の関心が高い環境問題や食品の安全性、失業などの社会問題、持続可能な農村社会の建設に照準をあわせ、農民はもちろんのこと、地域住民や消費者の生活の根底、根本を守る視点からの改革がこれから必要とされてくるだろう。

 (4)中国
 中国は主要食料の基本的自給率を95%に設定し、自給率達成と同時に経済成長を促進する、すなわちこの2つを両立させようとしている。戦後の日本が食料需給問題を国際市場とリンクさせることで経済成長を達成しようとした政策とは正反対の政策を行おうとしている。経済成長と食料自給の間に発生する矛盾(労働力問題や土地利用の問題等)が発生している。
 現代の改革では先に述べた主要食料自給率95%を達成するために次の4つのポイントがあると考えられる。
@貿易が政府計画と国営貿易会社によって管 理・運営される体制を継続すること
A全国的な「地域需給均衡」を大前提として主産地をのばす「地域分業」的要素を取り込 んだ増産及び流通システムの確立
B市場経済化に適合した制度的・経済的環境 の整備とインフラの整備
C増産、流通を担う主体、あるいは産業連関 の確立
 特にAに関しては流通市場の安定化を図り、都市、特に沿海部の大消費地への食料供給を保証する上で最も重要なことであり、Bについては、社会主義的市場経済を構築するに当って金融・物流・情報などのネットワークは農業関連産業に限らず国民経済全体の課題であるともいえる。またインフラ整備は農外産業も含めて有機的に結合した機能が必要になってくる。
 市場経済の導入に向けて、中国はこれまでの計画経済体制で機能してきた欠陥を解消しながら同時進行的に導入へのハードルをクリアしていかなければならず、また人口増加にブレーキがかかってきたとはいえ、依然世界一の人口をどのように養っていくかが、重要なポイントになるであろう。

第3節  日本の農業政策

 日本でも1992年6月に「新しい食料・農業・農村政策の方向」が公表され、食料政策、農業政策、農村地域政策、環境政策、食品産業・消費者政策などの広範な問題についての検討と政策課題を提起した。しかし、これはあくまでもビジョンと呼ぶべきものであり、従来からの食料、農業、農政体系への改革を行う具体的内容に欠けているのものであった。特にコメ問題に関してはウルグアイラウンド交渉の焦点となっていたにもかかわらず全くふれられていなかった。
 いわゆる55年体制が崩壊し、細川内閣が誕生した後、94年12月にはWTO設立協定の批准ならびに国内関連法の改正など関連法案が成立しWTO加盟が正式に決定された。これに続くかたちで「主要食糧の需給及び価格の決定に関する法律」いわゆる新食糧法が成立し95年2月に施行された。外圧によってはじめて懸案の食管制度改革が実現したかたちとなってしまった。このようななかでアメリカはウルグアイラウンド合意を盛り込み、その成果を最大限に生かす内容の新農業法を成立させており、日本農政は世界的にも立ち後れたといわざるを得ない。
 第一節、第二節をふまえてもう一度日本農政を考えると次のような論点が見えてくる。
@政府の対応は、おおむね常に受け身で、後 手に回っていた感が拭えないこと。食料輸 入大国としての立場にたち、食料、農業、 農政のあるべき方向を主張しつつも、農政 改革の戦略構想とビジョンが欠けていたこ と。
Aこれまでの農業政策の体系の改善を行いつ つ農業交渉に挑む姿勢ではなく、国際的農 業合意を受け入れた上での農政改革への部 分的な着手(新食糧法など)が行われたこ と。また、農業合意を受け入れた代償とし て緊急対策を実施するかたちで規制の手法 に基づき農業公共事業を中心に6兆100億 円にのぼるウルグアイラウンド農業対策が 組まれていること。
BECは農業交渉途上でCAP改革に果断にも 取り組み、それを背景に対米交渉を行った ことと、アメリカはウルグアイラウンド交 渉の成果を取り込むとともに、より多面的 なかたちでその成果を展開させるべく新農 業法の制定を行っているにも関わらず日本 農政の斬新な改革がなしえられていないこ と。
C2000年のWTO時期交渉に向けて世界最大 の食糧農産物の輸入国の立場と利害を主張 しつつ輸出国の義務を明確にし、他方では 日本の食料・農業・農村政策のあるべき姿 を明確にするために、新しい農業基本法の 制定、¥それを基本とする食料・農業・農 村政策の改革に取り組み食料、農業、農村 に対する国民合意の形成を図る必要がある こと。

 ウルグアイラウンド交渉からの政策展開、およびその後の対応をまとめたが、このようなことから日本の農業政策、特にコメについては相変わらず先行きがはっきりと見えてこないのが現状である。世界的に、食料貿易量が減少すればその単価が上昇し、食料不足国は増加する。また貿易量が増加すれば単価の下落により、日本への輸出拡大を狙う諸外国との農産物価格競争となり、日本農業はますます窮地に立たされてしまう。
 現在の農業政策では自給率が低下していくのは今までのデータがはっきりと示しておりこれからの斬新な対応が求められている。農業は環境に働きかけて行われていくものであり、環境に十分配慮した行動が求められている。農業問題は山積しており、硬直状態がここ数年間続いている。これまでの公共事業での地域活性化が否定されはじめ、地域の自助努力が求められはじめている今、農村、都市という枠を踏み越えた新たな政策が必要とされているのではないだろうか。


第四章 新しい農業の構築に向けて

 第一章では農業の役割と食品についての現状、第二章ではコメを取り巻く歴史的な流れを、第三章では農業貿易と主要国の農業政策をみてきた。本章では世界的に問題となっている環境問題を含めた農業の現況と将来の予測、そして日本における食料安全保障についての議論とを考え、日本農業の問題点について考えてみたい。

第一節  世界の農業展望
 (1)人口問題と農地
 現在世界の人口はおおよそ57億人といわれている。国連は2000年には62.6億人、さらに2050年には100億人になるだろうと予測している。1年間でおおよそ1億人の増加が見込まれている。特にアフリカ地域においては2025年には1990年を基準とすると2.49倍の16億人になるだろうと予測されている。 これを食料の面から考えてみる。アメリカのワールドウォッチ研究所の予測では現在の穀物生産量が現在のまま推移した場合でも、2060年には平均穀物消費量(kg/年)がアメリカ水準(約800kg)であるとすれば、27.5億人分しか生産できないとしている。また、イタリア水準(約400kg)、インド水準(約200kg)でもそれぞれ55億人、100億人としている。
 しかしながら、土地生産性は化学肥料の投入などにより1950年代から84年にかけて、肥料1トン当り9トンの穀物増産ができた。しかし84年を境に反収は大きく変化せず肥料1トンの増加に対して増産量は2トン以下となった。少なくとも肥料投入による穀物生産量の増加はほぼ見込めないと考えて良いだろう。実際に84年以降は穀物総生産量の8分の1を占めるアメリカのトウモロコシ、西ヨーロッパの小麦も単位当たりの収量の伸びが鈍化しており、アジアのコメも生産量が消費量を下回り在庫水準を減らすなどの減少が現れている。また、農地に関しても一人当たりの農用地面積が減少傾向をたどっており、1975年の34.2アールから27.3アール(1990年)へと約20%の減少がみられる。さらにアメリカ農務省によれば穀物在庫(小麦及び粗粒穀物)は世界の総需要の49日分(在庫率13.5%)であると発表している。コメについても世界の消費量の11.7%しか在庫として保存されておらず、FAOの安全水準を下回ている。
 農水省はこれらと、環境等の制約を加味すると、2010年には1992年水準と比較して小麦で2.12倍、コメが2.05倍、大豆1.81倍の国際価格の上昇が予測されるとしている。もしこのような状態が慢性的に継続すると現在中南米を中心とした栄養不足人口は国の財政難などにより増加することが予測され、地球上で飢餓と飽食という相反する事態が現在以上の格差で起こる可能性がある。また2010年の穀物需要予測及び一人当り穀物消費量の予測によれば、反収の伸びが現状通り継続すると見込んだ場合でも先進国では年間一人当りの消費量が650キロに増加する一方、途上国では255キロの水準となっている。環境問題等の制約によって反収の伸びが期待できない場合は現状よりも大きく割り込む恐れがあるとしている。

 (2)環境変化と農業
 先にも述べたが、農業は自然、環境に働きかけて作物を作るものである。現在議論が激しく行われている環境問題も農業とは切り離せない重要な問題である。
 地球温暖化や、北アメリカの熱波、エルニーニョ現象発生率の上昇と長期化など、気象の変動要因が強まり、気象変動は恒常化しつつある。気象変動の要因は人間活動による二酸化炭素濃度のぞうかやフロンガスによるオゾン層の破壊など様々な要因が考えられている。21世紀末には地球の平均気温が約3℃平均海面は約65B上昇するといわれているが、海面の上昇は標高の低い農地を減らすだけでなく、生活区域をも減らすことになる。海面1mの上昇は世界の土地の3%を危険な状態にするといわれている。3%といっても島しょ地域など世界の作物地域のおおよそ3分の1と、約10億人の居住地を含んでいるのである。昨年京都で行われた環境に関する会議で、熱帯地域など島国が猛烈な反対を示したのもこのためである。
 また、現在あまり知られていないが農業を取り巻く環境で非常に厳しいものの1つに水資源の問題がある。1940年以降、農業用の水資源利用は約3倍に増加した。農業用水は世界で利用できる淡水の約70%を占めており灌漑面積の拡大を生産増加に結び付ける余地は限界に達しているとみなければならない。また、全体としての水の供給は多くの国で問題になっており、1955年における水不足国はヨルダンなど七カ国であったのに対して1990年までにはさらにアルジェリアなど十三カ国が加わり、さらに国連の中位または高位人口増加予測で2025年までに水不足になりそうな国は十四カ国であるとしている。
また、アジア・アフリカ地域では2000年における人口一人当りの水資源が1980年当時の約半分と予測されており、深刻な水不足が到来すると予測されている。
 もう1つ農業を取り巻く環境で厳しいものに、世界の砂漠化があげられる。毎年世界で四国と九州をあわせた面積に相当する約600万ヘクタールが砂漠となっている。砂漠化の大きな要因の一つとして森林の伐採があげられる。
 熱帯地域を中心として毎年、約1540万ヘクタールの森林が減少し、いわゆる「緑の破壊」が進んでいる。アメリカ環境委員会(国防省)では2000年までに森林資源が大幅に減少すると予測しており、主な減少地のうち半数ちかくの約800万ヘクタールが南アメリカ地域に集中している。先進国よりも途上国の減少率が大きく、焼き畑農業や過放牧、先進国への輸出が主な原因とされている。
 これらからもわかるように、人口問題、環境問題を含めた世界の農業も現状は厳しい制約を受けている。人口問題は食料生産と密接に絡む問題である。どれだけ単収を増やしても、供給総量を増加させるためには耕地面積の拡大が必要とされる。しかし、耕地面積を拡大するということは、住宅地の増加分を含めた新たな開発が必要とされ、その開発は自然環境に十分配慮しなければならない。
 過度の開発を行えば砂漠化の問題のように環境に重大な負荷を与える結果となり、また条件のよい地域は宅地化、都市化の波が押し寄せている。自然に働きかける産業である農業の根本的な問題である。

第二節  自給率と食料安全保障

 現在日本の自給率がカロリーベースで42%であることは第1章で触れたが、穀物重量ベース(穀物国内生産量/国内消費仕向量)は29%まで減少している。コメ以外の穀物で、特に畜産向けの飼料用穀物をほぼ全量輸入に頼っているという現実がある。またこれから先の食生活の見通しも、コメ消費の穏やかな減少と畜産物消費の増加がこれまでと同様に継続して行くと考えられており、食料自給率が低下していく方向への推移が考えられている。
 世界の食料需給が短期的に不安定となっているのとともに、中長期的にはひっ迫して行く可能性があると予測されるなかで、『基礎的食料の確保と安定供給は国民に対する国の基本的な責務である』という考え方が食料安全保障である。現在、農政審議会基本問題調査会の食料部会ではこのような食料安全保障についての議論が行われている。
 食料の確保と安定供給について、我々がまず考えるのは現在の食生活の維持である。この期待に応えることがまず国の基本であり、そのためには国内農業生産を基本として可能な限りの維持・拡大をはかること、つまり自給率の向上につとめなければならない。またこれと同様に安定的な輸入の確保、不作などの短期的な食料不安に対する対処としての備蓄を行っていかなければならない。
 しかしながら、農業生産の特質、農業貿易の特殊性と近年の状況、異常気象の発生状況などを考えると短期的な世界食料需給の短期的不安定性は拡大すると考えなければならない。また長期的な不安定性もあり、日本が現在の経済力を維持できるかという点についてもはっきりと答えられる要素はない。このような点からも国内生産の強化は必要最低条件とならざるを得ない。
 今まで国は食料自給率の低下に歯止めをかけるための各般の政策等を行ってきたが、それにもかかわらず食生活の変化、農地の減少、担い手の減少・高齢化など様々な要因が影響して食料自給率が低下しているのが実体であり、その向上をはかることは相当の困難が予想されている。
 例えば、供給熱量自給率を1%引き上げるためには小麦で42万トン、14万ヘクタールの生産拡大が必要とされ、大豆は29万トンで16万ヘクタールの拡大が必要とされる計算になり、この増産量は平成8年度の生産量のそれぞれ約2倍、三倍強の生産量である。
 では食料安全保障の根本である自給率の向上のために取り組まなければならない問題にはどのようなものがあるのだろうか。
 まず考えなければならないのは農地や担い手などの農業生産基盤の確保とその有効活用である。近年の農地転用や耕作放棄地の状況から農水省が算出した予測では2010年(平成22年)には442万ヘクタール、あるいは396万ヘクタールになると予想されており、また農業従事者も従来の減少ペースが加速して平成7年の154万人から平成22年には74万人と半減するという予想がされている。
 これらのことから自給率向上のためには中山間地域を含めて、農地の確保とともにその有効活用を促しながら、新規就農者や農業生産法人など地域の状況に応じた多様な担い手の確保をはかっていくことが重要になり、健全な農村地域社会の維持が行われなければならない。
 また、食生活のありかたとそれをめぐる状況についての理解を消費者にしてもらわなければならない。自給率の低下はコメの消費減少、輸入飼料に頼らなければならない畜産物の消費増加が主にあげられており、先にもみたように国内の農業資源で対応できないような食生活へと変化してきた。とりわけ食事の含まれる脂質の増加と炭水化物の減少から栄養バランスが崩れ、実際に生活習慣病の増加が懸念されることが多くなってきた。このようなことからも生活のありかた、特にコメと畜産物・油脂の消費のあり方と食生活をめぐる状況について消費者に理解してもらうことも食料自給率の向上をはかるためにも重要になってくるのである。
 
第3節 日本農業の問題点 

 コメを中心に農業と食料の現状、農業貿易や農業政策等をみてきたが、先進各国がこれからの世界的な食料不安に対して、新たな方向性を打ち出し、それを法制化して取り組んでいるのに対し、日本では食料法の改正のみに留まり、議論を行っている最中というように感じられる。また食料法についてもウルグアイラウンド農業合意を受けて決定したという、外的要因によるものであるように見える。このようなことと、第1章で示した日本農業の問題点をふまえて、現在の日本農政の問題点を考えてみたい。
 まず、制度面では食管法に代表されるようにその制定が40年代後半から50年代にかけてと、現在と社会状況が全く異なる時代に制定され、改定をくり返しながら現在まで抜本的な改革が行われていなかったことである。
また改定の際にも現状を追認した改革が行われることがおおく、先を考えた改定までは実行されておらず、アメリカの農業法が定期的に改正されることを考えると日本農業の躍進的な進展はあまり期待できないであろう。食料安全保障で考えられている国内生産の強化は現在の状況では実行が厳しいように考えている。
 つぎに、農業補償については現在のようなインフラ中心、あるいは農業機械などの購入に対する補償などで財政支出を行うのではなく、直接補償を行っていくべきではないかと考えている。
 公共工事による地方活性化、あるいは景気刺激策は現在否定されはじめている。同様な方法で農業生産の拡大をこれからも行うのであれば自給率の低下はやむを得ない状況になるのではないだろうか。現在までのやり方では自給率の向上はできないというデータがあるにも関わらず、ウルグアイラウンド合意関連対策に関する予算のなかで最も大きなものが公共工事である。
 確かに、現在の中山間地域は基盤整備が遅れているが、公共事業による開発は環境対策から行っていかなければならず、それは数カ月の工事ではなく、5年、10年と年月をかけて、地域の実情にあわせた開発を行っていかなければならないと考えている。
 最後に、教育の充実を行っていくべきだと考えている。中教審では「審議のまとめ」のなかで、地域に開かれた学校作りを強く打ち出している。学校・家庭・地域の連体や協力を行いながら積極的な働きかけをし、家庭や地域社会とともに子供たちを育てていくという視点にたった学校運営を行っていくことが重要だとしている。
 地域とは自然に人間が働きかけて作り出されたものであり、そこから地域に固有の日常生活文化が生まれている。特に日本は農業とのつながりが強く、その文化の中心には食べることすなわち「食」がある。ただ食べるだけではなく、調理すること、材料を入手することから生産までつながることである。基礎学力、科学や技術の拾得を中心とした教育から自然体験や農業体験などを通して知識を覚えるだけではなく、自分で調べる学習をして学ぶことが重要なのではないだろうか。
 


おわりに

 昨今のコメをはじめキャベツなどの緊急輸入のニュースを見るたびに日本の食生活の根底である農業の厳しさを考えてしまう。農業問題を考えていくなかで、農業とは不足してもならない、過剰な生産もよくない、常に需給均衡点を求めなければならない産業であるように思えてきた。
 農産物が余れば食管法時代のコメのように社会問題となるし、逆に不足すれば現在のように輸入に頼る、それもできなければ農産物の高騰によって家計を圧迫するし栄養不足という事態にもなってしまう。長期的な世界の食料事情を考えると後者になる危険性が非常に高い。食料安全保障論についてもそれを少なくとも裁定限度にお作用とするに過ぎない。特に日本の食料事情は輸入に頼らざるを得ない状況であり、過剰な生産活動は環境に大きな負荷を与えてしまう。人間の基本的な欲求の1つである食を満たすために、働くことを覚えた。農業という産業を創出した。自然に働きかけてよりよい生活ができるように考えることができるようになった。
 普段はあまりその重要性は意識されていないのも農業であると考えている。食べることができなくなった時にはじめてその重要性が認識されるのである。現在私達は経済力を背景に世界中から食料を「買って」いる。もしこの経済力というものがゼロになってしまったら食事が今の半分の量になってしまう。だからわたしは食料の自給率にこだわってきたのである。本論では自給率の増加を視点に日本農業と食料の現状について論じようと試みた。十分なものとは言い切れないが、客観的な視点からの考察はできたと考えている。
 これからの食料事情には大変な不安感を感じているが、農業が1つの産業として日本で成立しないのであればそれはどうしようもないことである。産業としての魅力をどのように創り出すのかは、政府の政策にその大半を頼らざるを得ない状況であるが、我々はひとりの消費者としてどのようなことが出来るのかを考える契機として本論を位置付けていただければ幸いである。

 最後に、プロゼミ・ゼミナールを通じて三年間お世話になった大石教授と同期の仲間に感謝の言葉を述べるとともに、これからの大石ゼミナールを創ってゆく後輩たちにエールを送り、本論をしめさせていただく。


           平成10年12月
              西田 潤一郎