原子力発電


              商学部貿易学科  32188
  
                         村上 雅裕

目次
はじめに
第一章 原子力発電の必要性(国、電力会社の言い分)
第二章 原子力発電の問題点
  一 安全最優先?
  二 原子力は石油の代替エネルギー?
  三 原発を止めると停電するか
  四 利益とリスク
  五 もんじゅの事故と危険性 
   事故の原因
   ナトリウムの危険性
   暴走の危険性 
  六 原子力の秘密体質
  七 核燃料再処理工場
  八 放射性
第三章 マスコミと核武装に関する問題
第四章 原発所在地、巻町住民投票取材報告
おわりに

第一章 原子力発電の必要性(国、電力会社の言い分)

 ここではなぜ原子力発電が必要とされているのだろうか、ということについて考えてみよう。もちろん原子力を推進するためにはそれなりの理由があるはずだ。その理由とはいったいなんなのだろうか、とりあえず電力会社、政府の意見を調べてみたので書く。

1 平成五年度版東京電力パンフレット
 ●経済性に数多くのメリット
  一グラムのウラン235で石油二〇〇〇リットル分のエネルギーを得ることができる
2 平成八年度の東北電力チラシ
 ●資源が乏しい日本にとって、原子力は重要なエネルギー源だからです。
3 電気新聞特集
 ●石油節約に効果があり廃棄物も少量で済みます
4 エネルギー 一九九四年一月号 日本工業出版
 ●原子力発電で環境や貧困など同時解決
 ●人類生存のための原子力開発
5 原子力白書 平成五年度版
 ●二酸化炭素や酸性雨の原因物質を排出しない特徴を有する
6 原子力白書 平成七年度版
 ●単にエネルギー供給問題の解決策のみとしてとらえるのではなく、広く産業の進展、学術の進歩、国民福祉の増進に寄与する未来を築く政策として位置付け。
7 科学朝日誌上の三菱重工広告
 ●エネルギー枯渇などの地球規模の問題解決への近道
 ●もんじゅは国際協力の場として世界に解放

 少しダブっている箇所もあるが、だいたいこんなところだろうか。なるほど、確かにごもっともな意見である。二酸化炭素で空気が汚れるのもなんだし、酸性雨も降られちゃこまる。石油などの化石燃料は有限な資源である、我々の世代だけで使い切ってはいけないものだし、これから発展していく国にも残しておかなければならない。我が国では石油なんて雀の涙ほどしか採れないから国外にエネルギーを依存しているので安定供給は難しい、現にオイルショックなんてことがあった。
 ふむふむ、やっぱり原子力発電は必要なんじゃないか?しかも、もう三割の発電量が原子力によって賄われているのだから、今さら止めるわけにもいかないじゃないか? それに安全性も国の最高レベルの審査をくぐりぬけて合格してるんだから。
 と、すぐに飲み込んでしまってはいけない。これにはちゃんとした「裏」があるのである。次になぜ反対するのかを考えてみよう。

第二章 原子力発電の問題点

 ここからが本題である。一概に問題点といっても正直な話、膨大な量である一つ一つ詳しく書いていきたいが、そうもいかないので、かいつまんで進めていこうと思う。まず、「安全性」について。

一 安全最優先?

 まず、疑問に思うのが電力会社は本当に安全最優先でおこなっているのか、ということである。電力会社のパンフレットを見てみると「安全最優先で行っています」と堂々と書かれてあるが、本当だろうか。
 日本原子力産業会議の故有沢広巳会長がなんとあのチェルノブイリの事故の起きた一九八六年の四月八日(事故は二九日)の新聞紙上で「安全確保に役立っていない過重な付属設備は除去すべきである」と述べ、その例としてECCS(緊急炉心冷却装置)を例にあげたのだ。チェルノブイリの事故の後、電力の言い分としては日本には「ECCSがある」というのが語られた。ふむ、ずいぶんと簡単に必要になったり、ならなくなったりするものだ。しかも事故後、電力は技術力の差を力説していたが、JICC出版から出ている別冊宝島「原発大論争」にはこんな話が載っていた。
 「チェルノブイリ事故の六年半前に原子力事情を調査するためにソ連を訪れた日本 原子力産業会議視察団の故・有沢広巳団長はその報告書で、ソ連の原子力の開発状 況から受けた感銘をつぎのように述べている。『ソ連において、広大な基礎研究の 上に着々と原子力開発に取り組んでる様子をつぶさにみることができ……、これら の経験は我が国の原子力開発を進める上で大いに参考になる』と。 そしてレニン グラード原発(チェルノブイリ原発と同型の原子炉を装備)の幹部達との懇談会
 で、ソ連側が、スリーマイル島の原発事故について話していたとも報告されてい
 る。『騒ぎすぎである。原子力に反対する側の陰謀と考える。当原発では、スリー マイル島原発事故を想定して実際に点検したが、ECCS、逃がし弁とも完全で
 あった。冷却水の自然循環による原子炉の冷却も可能で安全に絶対の自信を持って いる』と。さらに有沢団長がその席上『レニングラード発電所と東海発電所が姉妹 発電所になってはどうか』と提案したことまで報告されている。」
 日本の原発の安全性の根拠はECCSや、炉の自己制御性、万が一の時のための原子炉全体を収納する頑丈な格納容器、多重防護機能などだが、これがちゃんと動かないことには安全性の根拠とはなり得ない。
 しかし、一九八六年には玄海原発のECCSの主軸系ポンプが折れたままフル稼働させていたことがあった。これではこの機能がついていても意味は全くない。しかもECCSがちゃんとした歯止めになる確証などないのだ。まだまだこれが安全最優先なのか、と疑問に思うことがある。元設計技師の田中三彦さんが現在運転されている福島原発四号炉の圧力容器が製造段階でジャッキ整形されそれがそのままなんの点検もうけないまま使用されていると暴露したのだ。
 田中さんは製造元の日立でこの容器の設計を行う主任として加わっていたが、工程で容器にゆがみが生じてしまったのだ。それをジャッキでむりやり整形したことにより材料は耐久性をなくし、この作業によってどんな後遺症がでるかも誰も分からずにただ祈りながら作業を進めたと言っているのである。しかし、このことが公になっても電力会社は次の日には何の調査もしないまま安全宣言を出してしまったのである。設計した張本人が「危ない」と言っているのに他人が「安全だ」となぜ言えるのだろうか。これは電力会社が安全性を軽視し、原子炉を止めることによる損害を重視している確実な証拠である。
 なにが「安全最優先」だ。そんなことを言う資格は全くない。

二 原子力は石油の代替エネルギー?

 さて、一般にウラン235が一グラムあればそこから石油二トン相当のエネルギーを取り出すことができると言われている。これはかのアインシュタインの相対性理論から導かれる一つの事実だが、ここで問題にするのは我々がウランを一グラムを手に入れるまでにどのくらいの石油が必要になるか、ということである。
 室田武著 「原子力の経済学」という本にはこういうことが書かれてある。(以下、抜粋)
 
「イギリスのオープンユニバーシティという新しいタイプの通信教育大学のエネギー研究グループという研究集団(ERG)に属する科学者達が、原子力発電をするにもずいぶんと沢山のエネルギーが必要ではないかという考えてみればごく当たり前の事実に着目した。そしてERGに属する若い科学者ピーター、チャップマンと交通問題研究者Nモーティマーは原子力発電によって産出されるとそのために投入される石油、石炭の量を比較検討した試算結果を一九七四年に共同論文の形で発表した。さらにチャップマンは翌七五年にこれを少し修正した結果を世界的に評価の高いイギリスのエネルギー問題専門誌『エナジーポリシー 』に単独論文の形で発表した。これらの論文で明らかになったことは、エネルギーの問題を発電という一つの分野のみにかぎり、原発にとって都合の良い仮定をたくさんおいて計算してみても火力発電に比べて原子力発電による石油の節約効果はせいぜい一〇倍前後であり、ウラン鉱石の品位が将来低下すれば節約どころかよけいに浪費することになるだろう、という点であった。」

 と、こういうものだ。そしてこの他に原発の作り出す大量の放射性廃棄物の長期保管をも考慮に入れると原子力発電は決して石油を節約できるとは言えないのだ。 電力会社のパンフを見るといかにも石油は使っていないような書き方をしているが、実際にはウランを掘るときのブルドーザーなんかは石油で動いている。ウランを運ぶ船や自動車だって石油で動く。また、原子炉を造るときにも大量の石油を使う。そもそも、原子力は石油の代替になりうるのだろうか?なりはしないのである。もし石油がなくなってそれでも原子炉が電気を作っているとしよう。もし、石油がなかったら、冷蔵庫も、コンピューターも、テレビも、照明も、洗濯機もつくれなくなってしまう。なぜならみんな石油からつくられているからだ。これら電気で動く物ができないのに、電気だけあったとしてなんの意味があるのだろう。
 電力のパンフにはよく「石油に代わるエネルギー」なんて書いてあるが、残念ながら、原子力は「電気」しかつくれないのである。電気だけあっても石油がないならまったく意味はないのだ。
 また、よくこんな言い方もされている。「原子力は二酸化炭素も排出せず、クリーンなエネルギーです」 本当にクリーンなのか?確かに発電中には二酸化炭素は出していない。しかし、前にも書いたようにその周辺の作業で二酸化炭素は排出されているのである。この「二酸化炭素問題」は電力会社が気に入ってよく宣伝に使っている。まるで、火力発電所が酸性雨や温室効果の元凶みたいな書き方をしている。しかし、火力発電所で放出される二酸化炭素は全体の一部にすぎない。もっと問題なのは、車の排出する二酸化炭素の量なのである。もちろん、二酸化炭素をださない発電方法も必要だろう。だからといって、すぐに原子力発電というのは短絡的すぎる。原子力の排出する二酸化炭素は火力発電に比べてもちろん少ないだろう。だが、原子力発電では放射能を毎日出し続けているのである。宣伝では自然放射線と比べて、「ほら、こんなに量は少ないんですよ、人体にも影響はありませんよ」なんて書いてるのだ。しかし、放射能というものは少量でも人体に決して良い物ではない。放射線防護学、工学博士でもある安斎育郎氏も「放射線は等しく有害」と言っている。しかも、もっと重要なのは一度チェルノブイリ級の事故を起こしてしまえば、史上最悪の環境汚染に繋がるということなのだ。旧ソ連では日本より広い穀倉地帯をだめにっしてっしまった。放射能汚染により、大人、子供関係なく今現在、癌や白血病で人々が死んでしまっているのである。放射能の恐いところは影響は徐々に広まっていくということである。今後何十年にもわたって癌、白血病にかかる人達が倍、倍に増えていくだろうとも言われているのである。これでもクリーンなエネルギーと言い張るのだろうか、一度にして世界の隅々まで環境を破壊する原子力が本当にクリーンと言えるのだろうか?

三 原発を止めると停電するか

 さて、今原発を全部止めてしまえば停電してしまうと思っている人達が大勢いると思う。それは「思っている」のではない、思わされている、のである。テレビ、新聞、ラジオ(特にFM局)などでの宣伝では「日本のエネルギーの三割は原子力が賄っています」なんて聞かされているからである。
 実はこの三割を原子力に任せるために火力、水力発電所の稼働率を落としているのだ。この分をちょっとよけいに働かせてやれば停電などおきないのだ。逆に原子力に頼りすぎると大停電の可能性もでてくる。
 原子炉一機の賄う発電量は莫大なので、なんらかの事故で止まるとかなりの電力が不足することになる。また、原子炉なだけに他の同じ型式の炉も止めなくてはならない。するともっと多くの電力が不足することになってしまうのだ。このように、「原子炉がなくなると困るぞ」というのは電力会社の宣伝にすぎないのだ。

四 利益とリスク

 原子力発電推進派の意見を聞いてみると「発電所は地元の地域開発に繋がる」という論理を強くだしてる。その例が、実業の日本編集部編「知られざる原子力」という本である。この本の著者は日本の寒村の現状を憂いて「なんとかせねば」と前から考えていたそうではあるが、それを克服する一つの方法が原発の立地なのだそうである。この本では原子力発電所ができたために様々な交付金が地元に与えられ、道路も整備され、万々歳ではないか、というのである。
 たしかに日本には地元の人々の不利益にならないようにということと、立地の促進という観点から電源三法というのがある。この法律は火力、水力、原子力の各発電所が出来た場合、地元に資金的還元つまり交付金というのをだそうじゃないか、というものである。こういう利益があるのになぜ地元の人達は反対するのか、ということが書かれてある。その他にこの本にはこういうことも書かれてある。それはたとえば我々は自動車に乗るが、自動車に乗って事故に遭って死亡する人達は年にかなりの数にのぼる。さて、そういう危険性があるのになぜ我々は自動車を利用するのかというのである。この本の言わんとしていることが分かるであろうか、つまり、我々は事故にあって死亡したりする可能性があるのに自動車を利用するのはリスクよりも便益性のほうが勝っているからだというのだ。
 たしかにそのとうりだ。しかし、この本はならば原子力発電にもこのことがあてはまるあてはまるではないか、と言っているのだ。この論理は電力新報社からでている田中靖著「原子力の社会学」という本でも扱っている。この「原子力の社会学」を書いた田中さんはこういうことも述べている。(以下、抜粋)

「ごく初期の自動車、一九〇〇年当時の自動車は文字通り動く棺桶のような代物で、あるアメリカの統計によれば1000運転時間に一件の死亡事故が現在では一〇〇万運転時間に一件に減少したといわれる。つまり過去八〇年間に一運転時間当たりの死亡率は一〇〇〇分の一に引き下げられたのである。それだけ機械が進歩し、道路や交通法規あるいは運転技術などの制度的、人間的条件が向上したことになる。同様のことは当然原子力にもあてはまろう。」

 といっているのだ。原子力発電にはたしてそういう論理が通用する物なのか。 ここでこの二冊の本に対して反論したいと思う。交付金というのは確かに地元にとっては魅力的だろう。道路も整備されるだろうし、公共施設も充実するにちがいない。しかし、それがすぐに地元に利益をもたらすか、というとそんなに簡単にはいかないのだ。今年の夏取材で福島や新潟に行ったのだが、決して潤ってはいなかった。交付金によっていろいろな施設はできたのだが、それを利用する機会もない、ただただ維持費に金が飛んでいってしまうのだそうだ。また、商店が潤うほど人口が増えたわけでもない。要するに「身になってない」のだ。それよりも原子炉に対する不安が大きいと言っていた。金では安心は買えないのである。
 それからリスクよりも便益性が勝っているという話だが、もしもう一度チェルノブイリ級の事故が起きたら日本はどうなるのだろうか。この狭い日本のことだ、もう終わりである。そんなことはみんな知っているはずだ。自動車事故は一度の事故で運が良ければ怪我、悪ければたしかに何十人もの人達が犠牲になる。しかし、放射能漏れ事故が一度でも起きると日本経済は破綻し何千万人に被害が及ぶ。勿論、チェルノブイリではソ連国内だけではなくヨーロッパ大陸全土に深刻な被害をだしたことは言うまでもないことだろう。それでもリスクより便益性が勝っているというのだろうか、チェルノブイリの事故ではこれから何十年もかけて被害が広がっていく。ソ連邦の崩壊はあの事故が要因とも言われている。国の崩壊をもたらすような、何千万人もが癌で苦しむようなものでも便益性が勝るというのか。
 「原子力の社会学」では機械、制度、人間的条件がますます発展していけば事故の起こる確率はもっと減るだろうと書いてあるが、はたして過去と比べて大小様々な原発に関する事故は減っただろうか、それは勿論否であると言っておく。それどころか大事故につながるようなとらぶるが数え切れない程起きているのだ。そしてなにより、科学技術の発展など原子力発電では待ってられないのだ。発展する前に事故が起きてしまったら元も子もない。この二冊の本に書いてあることは詭弁にすぎない。こんな小学生でも「ん?」と思うような論理を平気で書いている人達の頭はどうなっているのかと思ってしまう。

五 もんじゅの事故と危険性

 九五年十二月八日、「夢の原子炉」と宣伝されてきた高速増殖炉もんじゅが大量のナトリウム漏れ事故を起こした。 平成六年四月五日に臨界に達してすぐに起きた事故である。広瀬隆さんは著書でもんじゅの事故をあらかじめ予想し、臨界間もなく重大事故を起こすことになるだろうと言っていた。まさにその通りになってしまったのである。

 事故の原因   

 事故の原因となったのはナトリウムが流れている配管に設置されている温度計がナトリウムの流れにより振動し、力が集中するくびれた部分に金属疲労が生じ、て破断した。その破断した部分からナトリウムが漏れだしていたのだ。
 もんじゅの温度計は実験炉「常陽」の温度計と比べて先端部が急激に細くなっていてくびれた部分に力が集中しやすい形になっている。常陽の方は二十年近い運転で一度もナトリウム漏れを起こしていない。もんじゅと常陽の温度計の形がなぜ変えられたかというと、設計、施工したメーカーが違うためである。細かい部分の設計はメーカーに任されていて温度計の形は明らかな理由が示されないまま変えられてしまったのである。もんじゅの温度計を制作したのは石川島播磨重工で、事前のコンピューター解析ではなんの異常もみつからなかった。しかし、これと同じ温度計を使って事故後解析したところ、数千、数万回の振動による金属疲労で亀裂が生じてしまうことがわかったのである。実際に原因となったのは温度計というよりも温度計をいれる「さや管」という部分なのだが、ここがスパーンとちょんぎられてしまったため、先端部分が二次系冷却配管の中に行方不明になってしまった。先端部は長さ十五センチの小さな破片ではあるが、見つからないまま運転することはシステムの安全上できない。発見できなければ二次冷却系すべてを交換することが必要となり、多額の費用と時間をかけなければならない。この小さな部品がもんじゅの運命を握ることとなったのだが、無事発見され動燃はひとまず最悪の事態からは免れたのである。

 ナトリウムの危険性

 高速増殖炉もんじゅに見られる特徴は、ほかの原子炉とちがい、冷却水の代わりにナトリウムが使われている点である。なぜナトリウムでなければならないのかというと普通、原子力発電所では、原子炉で発生した熱を冷却剤で取り出し、最終的には水蒸気でタービンを回して発電する。軽水炉の場合、炉心部を循環する普通の水が高速中性子を減速して核分裂反応を効率よく起こす役割と、冷却剤としての役割を同時に果たしている。
 高速増殖炉では高速中性子をそのまま利用してプルトニウムを増やすため、減速効果のない液体ナトリウムを冷却剤に使っている。ナトリウムは水よりも効率よく熱を伝え、配管のステンレスを腐食する作用もない、優れた冷却剤とされている。 ところがナトリウムは化学定期活性が高いという難点がある。空気中の酸素と反応して燃え、水とも激しく反応する。
 さて、酸素とも水とも相性の悪いナトリウムだが、高速増殖炉では全く水を使わないわけではない。なんとわずか三、四ミリ隔てた金属の壁でしきられている。この部分は熱をもったナトリウムがみずを蒸気に変える部分で、蒸気発生器と呼ばれる。ここは今度の事故とは関係ないが、今度の事故以上に危険とされている部分なのだ。
 91年美浜原発でこの蒸気発生器のパイプがギロチン破断するという事故が起きた。美浜は高速炉ではなく、冷却にも水が使われているが、このもんじゅと同じタイプの蒸気発生器をもっているのである。原子力専門家などが「決して起こらない」と豪語してきたのだが、、、、、、
 美浜では蒸気発生器の細い管によって一次系冷却水と二次系冷却水(タービン側の水)が分離されていたこの細管は五百円ほどの直径しかなく、わずか一ミリ程度の薄い金属でできている。この細管には三百度を越える熱水が百六十気圧という超高圧で流れていた。パイプの材料はインコネル600という高価で粘りのある合金で作られ、瞬間的に全面破断することは絶対にない、という実験結果が三菱重工の高砂実験所で得られていた。なにしろ最悪の条件の三倍の強度を持つと言われてきたものなのだ。それが、全面的に瞬間破断したのである。
 しかももんじゅの蒸気発生器をよく見るとギロチン破断した美浜の蒸気発生器よりはるかに過酷な条件で使用されている。美浜では水(一五七気圧、三二〇度)と水(六〇気圧、二七〇度)が金属パイプで仕切られていたのに対してもんじゅではナトリウム(五気圧、五〇〇度以上)と水(一三〇気圧、三〇〇度前後)で仕切られているのだ。考えただけでもぞっとする。これらの危険性に対して推進側は茨城県大洗町にある高速増殖実験炉「常陽」が心配されるナトリウム漏れ事故を起こしていないと反論。(二〇年以上実験運転を行う)しかし、常陽は発電しない「実験炉」のため問題の蒸気発生器を持っていない。つまり、水とナトリウムの接触する機会がなかっただけのことなのだ。
 今回の事故はナトリウムが水と直接接触するようなことはなかったが、コンクリートとは一部接触していたようである。コンクリートなら全然問題ないと思うかもしれないが、コンクリにはかなりの量の水分が含まれているのだ。もんじゅにはこのコンクリとの接触を防ぐためにも金属で「おおい」をしていたのだが、それがどういうわけか、一部漏れて接触してしまっていたのだ。
 想定が裏切られた事態は他にもある。ナトリウムが漏れても傾斜したライナーの上を流れてタンクにたまるため、周囲の損傷や火災は発生しないはずだった。ところが、実際にはナトリウムが酸素や水と反応してできた化合物がライナー上にたい積し、ライナーの一部を損傷した。机上の論理でできた安全対策は何も効を奏さなかったのである。

暴走の危険性

 半永久的に核物質を生産し続けるはずの高速増殖炉は全世界の原子炉技術を生み出したアメリカが八三年に早くも計画を断念した。緻密なシステム解析をした結果、建設や運転に莫大な費用がかかるだけでなく、チェルノブイリ事故のような核暴走に対する安全性を確保することが技術的に殆ど不可能であるという結論が導かれたからであった。その後、八八年にイギリス、ドイツが九一年フランスが九二年と事故が多発して増殖炉計画を断念してきたのである。もんじゅでは燃料棒と燃料棒の間隔を狭くして設計しなければならなかった。この炉心でプルトニウムの燃料棒が秘めている危険性はこれまでの原子炉と比べて比較にならないほど大きい。七九年にスリーマイル島原発で発生した炉心溶融事故のように燃料棒が溶け落ちていく事故の場合、増殖炉では溶け落ちたプルトニウムが集まって原爆に変わる可能性が高いと言われている。この炉心溶融事故に備えて普通の原子炉にあるECCSを持たないことが、増殖炉の大きな特徴である。もんじゅに内蔵されているプルトニウムは一四〇〇キログラムである長崎に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」がわずか八キログラム。もんじゅがかかえるプルトニウムは長崎型の二〇〇発分に近い。
 さて、燃料棒の間隔がもんじゅでは狭いため、燃料同士が近付くだけで、ただちにチェルノブイリ型の暴走に突入し、その暴走のスピードが普通の原子炉に比べて二五〇倍もはやい。しかもそのとき暴走をくいとめる反応が起こらず、一気に爆発に至る特性を持っている。しかし、これほどの厳しい条件を知りながら、もんじゅでは暴走対策として制御棒の他、何も防御するものがない。チェルノブイリではわずか二、三秒でフル出力の一〇〇倍になったと言われているが、もんじゅはそれよりはるかに早いスピードが考えられる。いずれにしろ制御棒を挿入しても間に合わないスピードであることがわかる。ちなみにフランスの高速増殖炉「スーパーフェニックス」がその出力異常を起こしている。

六 原子力の秘密体質

「公開の原則」
 原子力の研究、開発及び利用が軍事利用など誤った方向に向けられることを原子力の研究等に関する「成果」の公開によって抑制しようとするものである。
 ここにおける「成果の公開」という基本方針は具体的な個々の資料を全て公開すべきことを要請しているのではなく、商業秘密に関する事項や過激なテロリストから施設を防護するための技術は公開されない。
 原子力発電所の設置許可申請書や添付書類等は国会図書館の他、原子力発電所が設置される都道府県にそなえつけられている。
 ここで、また有沢会長がでてくる。有沢会長は原子力産業会議の部内に研究会をつくり、「公開の原則は一定の限度で制限される場合があり得る」「秘密管理体制の強化と整備」などを内容とした中間レポートを会員に非公式に打診していたことが明らかにされた。しかもこのレポートがスリーマイル事故の半年後というのはなにを示しているのだろうか。
 公開の原則が守られているのか、ということを見ていくと、全くといっていい程まもられていない。例えば一九七一年の美浜原発での燃料棒破損事故では約四年近くも隠され、やっと内部告発により明らかにされた。一九七九年の玄海原発での九時間にもわたる冷却水漏れ事故という重大事故では公表まで二日、一九八一年滋賀原発では一月に二回も給水加熱器のひび割れ事故を秘密裏に修理していたのを内部告発を受けた共産党が明らかにした。一九八七年の玄海原発がECCSの主軸系ポンプが折れたままフル稼働していた件では九州電力は半月後に通告、一九八七年に発生した滋賀一号炉自動停止事故で、住民側が事故資料を請求したが電力会社は回答したものの、資料全二三ページのうち一二ページを黒塗りで提出するなどかなりひどいことをやっている。また、一九九三年五月九日イギリスの新聞「オブザーバー」が七〇年代、八〇年にかけてイギリスのウインズケール(現セラフィールド)再処理工場から日本に向けてプルトニウム六六〇キロ計八回に分けて空輸されていたことが報道された。翌日、日本産経新聞には科学技術庁の談話でプルトニウムの空輸を認め、「秘密にしたことはない」というのが発表された。しかし、公表されていた事実は全くない。ちなみにニューヨーク空港でのプルトニウム空輸問題が起きたとき、州政府から事故評価を依頼されたリスニコフ博士は空港の上空でわずか一、五キログラムのプルトニウムが漏れただけで五〇万人ものニューヨーク市民が発癌するという試算をだし、州政府はこれを受けて計画を中止させたという事件も起きている。
 そして、今度のもんじゅである。動燃は事故直後のビデオを編集し、ナトリウムが漏れた場所を掃除してから写したものを最初に公表した。しかし、後でそれがばれて、動燃の信用を一気に失墜させた。(信用なんて最初からなかったが)責任者は「隠すつもりはなかった」と言っていたが、隠すつもりがなければそんなことはしないものだ。
 「原発大論争」に載っていた文章(以下抜粋)

Q 電力会社は都合の悪い本当の情報を隠しているのではないか?
A 原子力安全に関わる事項についてはその結果を公開することを前提に取り組んでいます。また、地方自治体とも安全協定を締結しており、必要な事項については全て報告することになっております。
 事故、故障等の情報については逐一報告しており決して都合の悪い情報を隠すようなことはありません。 

 平成五年度版 原子力安全白書
原子力施設で故障、トラブル等が発生した場合にはその都度、速やかにその内容が公表されています。

 この二つの文章を読んでどう思われただろうか。「ウソ八百」もいいところである。
 話はちょっと変わるが、原子力安全白書は原子力安全委員が加わり出している物である。この「原子力安全委員」とは一体何なのか?というと、通産省、電力会社、原子力産業会議、原子力委員会なあどの原子力推進派が暴走しないように絶えず計画をチェックしながら警告を出すことを目的として設立された最後の歯止めとなる機関なのだ。しかし、残念ながら、「安全性の宣伝役」になってしまっている。その例が、一九七九年スリーマイルの事故の後、原子力安全委員の吹田委員長がまだアメリカでも事故がどのようなもので、どのように進行しているのかつかみかねている時に「日本ではこのような事故は起こり得ない」といった談話を発表した。しかし、事故から二週間後、アメリカが日本の発電所も危険と通告してきたのだ。「同じく危険」と警告を受けた原発は福井県の大飯原発だった。しかし、いまっさら危険と言われたところでどうすることもできず、安全委員会が許可を出し、今でも運転中なのだ。もんじゅでも、安全委員会の許可が出て、臨界となった。
 
七 核燃料再処理工場
 
 六ヶ所村に建設中の再処理工場、この再処理というのは一度原子炉で使った燃料からもう一度使える核燃料を取り出すという工場なのだ。六ヶ所村にある再処理工場はフランスのラ、アーグという再処理工場を手本にしている。しかし、このラ、アーグは一九八〇年四月一五日にあわや、人類絶滅か、というきわどい事故を起こしているのだ。「東京に原発を」に載っていた事故経過を要約して書く。
 
 事の始まりは停電というありふれたものだった。勿論この時は非常用の自家発電機にスイッチが切り替わり、冷却水を送るポンプも動き出した。主電源も修理が終わりもとの状態にもどった。しかし、手違いで自家発電のスイッチを切らなかったため巨大な電流が流れ主電源のトランスが火をふき、工場内の電気の流れがあちこちでストップし、もはや高濃度の廃棄物を冷やすことができなくなったのだ。(高濃度の廃棄物は冷却し続けないとやがて核爆発を起こす)それに加え、この施設にはこれ以外の発電装置を持っていなかった。しばらくすると廃棄物は熱を帯びて危険な状態になっただが、幸運なことに工場から二〇キロ以内という近い所に軍の兵器庫があり、そこに発電装置があったのでそれを車に積んではこび、なんとか爆発を免れた。

 また、最近ではロシアの再処理工場「トムスク7」が爆発事故を起こしている。これもまた処理方式は六ヶ所村のものと同じなのだ。 一九九三年四月一四日の朝日新聞にこの事故についての原子力関係者の解説が載っている。これを見ると同じような事故は日本では起きないと言っている。管理技術の甘さのためだと、、、
 しかし、広瀬さんの本には事故直前に書かれたある記事のことが書かれてある。その記事とは原子力工業という本の中のトムスク7訪問記というものだ。読んでみるとどこにもこういった事故が起きる危険性など書かれていないそうであるし、それどころか技術力の高さを誉め称えているのだそうだ。この記事が書かれたのは事故の起きるなんと五ヶ月前に書かれたものであった。これでも日本は大丈夫と言い張れるものなのか?

八 放射性廃棄物

低レベル放射性廃棄物
 放射能の主役は燃料のウランが核分裂してできた「死の灰」だ。ウランの原子核が分裂するときの割れ方によって色々な組み合わせの死の灰ができる。これが再処理の後にとても放射能レベルの高い液体の放射性廃棄物として残り、高レベル廃棄物と呼ばれる物の本体となるのだ。その死の灰のごく一部が燃料からにじみ出て原子炉の中の水を汚すことになる。この汚れた水や蒸気が配管の継ぎ目などから漏れて低レベル放射性廃棄物の元となる。水や蒸気から放射能を回収するために使われたフィルター類、放射能で汚れた紙や布を燃やした灰、、、、これらの低レベル廃棄物はセメントに混ぜたりアスファルトやプラスティックに混ぜたりしてドラム缶に固め込まれるようになっているこれが個体の低レベル廃棄物。これらの低レベル放射性廃棄物は地下に埋設する処分になっている。その段階は、一、貯蔵の段階、二、ドラム缶やコンクリート施設から放射能が漏れても一般の人達がそこに近よらなければいい段階。三、ドラム缶を掘り出したりしないなら一般の人達が近寄ってもいい段階。四、それ以後はそのまま捨ててもいい段階となっている。一般の人が近寄ってもいい段階になると放射能漏れの監視は止めてしまうことになっている。土地は誰かに売っても良いということにもなるのだそうだ。段階的に管理しながら捨てていくといっても管理らしい管理をするのは漏れがあれば修理をする第一段階だけ、第二段階では漏れを監視するだけで、修理は必要ないとされている。要するにこれは埋め捨てなのだ。どうしてこのような処分の仕方をするのかというと、はじめから捨てると言うと放射能レベルが比較的低くても嫌われてすてられない。はじめは貯蔵と言い、段階的にきちんと管理するのだということではじめて捨てることができるという仕組みになっているのだ。しかし、埋設段階から第三段階が終わるまでには三〇〇年以上かかると言われているし、その時でもドラム缶一本あたり一般の人が一年間にそれ以上体に入れてはいけないと法律で決められた量の一〇万倍もの放射能が残っているのだ。そんなものを平気で捨てようというのか、まったくどこがクリーンエネルギーだ!

高レベル放射性廃棄物
 高レベル放射性廃棄物の「高レベル」というのはいったいどの位高レベルなのだろうか。高レベル廃棄物の本体は原発の使用済み燃料を再処理した後に残る「死の灰」だ。これを特別のガラスと一緒に溶かしてステンレスの容器に固め込んだ物を「ガラス固化体」と呼ぶ。仮に、そのガラス固化体一本に抱きついたとしよう。すると確実に一五秒抱きついていただけで、死に至るというくらいのものである。一一〇万キロワット級の原発を一年間動かした後の使用済み核燃料を再処理すると、このガラス固化体にして三〇本分ほどの高レベル廃棄物がでてくる。日本国内には茨城県東海村の再処理工場に数百本分たまっている。これはまだガラス固化体にはなっていなくて硝酸に死の灰が溶けた液体としてタンクに貯蔵されている。九五年二月にやっと固化体にする試験が始まったが、わずか三日間動かしただけで故障し、一年間ストップしている。六ヶ所村に建設中の再処理工場が動き出すと、毎年、ガラス固化体数百本分の高レベル廃棄物ができることになる。
 国の計画では、海外から返されてくるガラス固化体と六ヶ所村からでてくる固化体は六ヶ所村で、東海再処理工場からでる固化体は北海道の幌延町で三〇年から五〇年間、貯蔵されることになっている。(幌延の計画は地元住民の反対はもとより、北海道議会なども反対を決議しており、あくまで国の計画にすぎない)埋め捨てをする場所についてはそれがどこか未だ決まってはいないのだ。そもそも、誰が責任をもって捨てるのかすら決まってはいないのだ。
 地下に埋め捨てることの安全性はまったく確認されてはいない。地下に埋め捨てるのは地上に保管していると戦争などに巻き込まれる可能性があるからだそうだ。また、どんなに頑丈な施設をつくっても何万年もの間、管理が必要なのだから、そんな物を人間がつれるわけがないということだ。しかし、地中だからといって、全く安全という保証はないのだ。地下のことはまだまだ謎に包まれていて、地下水の動きとか地震の影響がある程度分かるまでには数百年かかるとも指摘されているのである。じつは、まだどこの国でも高レベル廃棄物の捨て場所は決まっていないのだ。候補地を決めているアメリカでも反対が強く、科学的な安全も保証されていないとあって、正式決定ではない。原子力を推進している人達は「すでに放射性廃棄物はたまっているんだ!」と言うが、すでにたまっているからといってさらに何倍も増やしていいことにはならないはずだ。捨てることのできない廃棄物はそもそも生み出すべきではないのだ。


 第三章 マスコミと核武装に関する問題
 
 私が大学二年生の時、武谷三男さんの「現代論集 三」を読んでいたら気になる文章を見つけた。(以下抜粋)

 今、原子力発電をあせってやろうとするのは、なにかためにする議論と言わなければならない。政治ないしは利権の目的といったような特殊な、つまり原子炉の本当の開発以外の目的によるとしか考えられない。 大体、原子炉予算が昨年登場したときから中曽根氏は原子力について何の知識もなしに予算を押しつけた。これに反対する者は全部原子力建設に反対だ、という一方的な態度をとっている。ころ論理の飛躍には彼の背後になにかあることが明瞭である。
 
 この文に少し説明を加えると、これは一九五五年に書かれたもので、まだ日本に原子炉がなかった頃のものだ。内容はいまだに理論の確立されていない原子力発電を「今にも始めないと他に遅れをとるぞ!」と言っている人達に対して疑問を感じているというものなのだが、私が気になったのは「中曽根」という名前と政治や利権の疑惑があるというところだった。
 なぜ気になったのかと言うと、以前読んだJICC出版からでている「ザ、新聞」という本の中で、右翼のドン児玉誉士夫と政治家中曽根、読売新聞の問題発言で有名なあの渡辺恒雄との関係が載っていたのを思い出したからである。この本によるとこの三人、利権をめぐって様々な活動を一緒にやっていたと書いてあった。この本には原子力をめぐる疑惑は書いていなかったが、これは武谷さんの抱いていた疑惑と合致するのではないか、と思ったのだ。そして一昨年十一月に出された読売新聞の「憲法改正試案」がますます私の抱いた疑惑を強めさせた。 さて、その読売新聞が原子力についてどのような報道をしているか少し見てみよう。一九九三年十二月六日の社説を一部抜粋する。

 白書(原子力安全白書)を発表した原子力安全委員会は原子力の行政庁とは別の観点から、安全をチェックする機関である。その安全委員会が「安全だ」と発表したのだから間違いなく安全なのだろう。

 これを読んでどう思われたであろうか。政府の発表を何の下調べのなしに何の疑問も持たずに鵜呑みにしてしまっているのだ。これが社会の公器と名乗る新聞の姿勢なのか?
 前章でも書いたように安全委員会はただの安全宣伝機関でしかない。しかもこれれまでに何度も重大事故を起こしてきた原子炉に対しても、「安全」の判を押し、危ない橋を我々に渉らせてきたのである。その機関を信用し、安全委員会が「安全だ」と言ったからといって何の調べもなしに信用してしまっているのはどういうことなのか。これではまるで「私たちはバカですよ」と社会に公言してしまっているようなものである
 マスコミの役割というのはあくまでも政治家や政治家が暴走しないように、国が言っていることに対し疑問を持ち、疑うことが役割のはずである。このままでは過去の過ちを繰り返すことになってしまう。
 話は少し変わるが、最近「国家秘密法案」というのが自民党を中心に法案化しようという動きがある。「いきなりなんだ?」と思うかもしれないが、これは原子力発電のこれからに大変深く関わってくるものだ、と私は思う。
 なぜそういうことになるのかという説明は後回しにして提出された条文を抜粋する。

  ──省略──

 第二次世界大戦が終わり、日本は戦後憲法により憲法第九条により戦力と交戦権の放棄を定めた。これにより我々は戦争をしないのだから「敵」という概念も存在しなくなった。「敵」がいないのだから「スパイ」という概念も存在しない。こういう考えのもと、戦後の刑法改正作業に関わってきた人達が戦前の「間諜罪」というものを排除したのだ。
 木村晋介著「木村弁護士がウサギ跳び」という本からこれに関する文章を抜粋する。
 
 この点に関して当時法務庁検務局にいた中野次雄さんという人が昭和二三年に出された「改正刑法の研究」という本の中で次のように述べている。(中野さんは戦後すぐに行われた刑法改正にあたって、立法の当初から公布にいたるまでの間、終始一貫して関わり、最もその立法の経過に詳しい一人だ。

 「外患(スパイ)の規定は憲法の改正にともなってどうしても改められねばならぬとさいしょから考えられていたのであった。けだし、それはいずれも、我が国と外国との間に戦争状態の発生することを前提とし、また、我が国が戦力を保持することを前提として戦争誘致行為乃至は戦時における害我利敵行為の処罰を規定したものであるが、新憲法の宣言する「戦争の放棄」「戦力の不保持」はこれらの規定の適用の余地を全く失わせしめたからである。
     (中略)
 「陸、海、空、その他の戦力は保持しない」今日の日本としては、これまでの第八十二条から第八十六条まで規定されたような「軍事上の機密」「軍事上の利益」というごとき観念も考えられないことになった。かくて従来の規定はこれを存置しても、無意義であり、いたずらに不体裁なものになったのである。


 現在までの政府解釈では自衛隊は憲法で言う「戦力」には当たらない、というものであるから、やはり「間諜罪」は必要がない。
 元統合幕僚会議議長だった栗栖広臣氏はこう言っている。
「漏れて実害の出るような重要な機密はごく一部しか知らない。政治家や防衛庁の幹部くらいです。そういう人達が喋ったりしなければ、機密は漏れない」「秘密法を制定するより情報公開法を制定する方が先だ、安易な秘密法で国民の目から防衛問題が見えなくなる可能性があっては困る」
 秘密法を促進しようとしている自民党の森清議員は「国家秘密法に反対している人間はスパイを実行しようとしているからだ!」と言っているそうである。この論理からいくとこの法案に反対している人は沢山いるわけだから、たしかにスパイ天国なのかもしれない。
 国家秘密法を促進している団体の母体はどんな組織なのだろうか。スパイ防止法制定国民会議の支部、防法促進神奈川県民会議の議長広田洋二は国際勝共連合の顧問でもある。国民会議の資金は何処から出ているのかというと、国際勝共連合が約半分を出している。要するに勝共連合なしでは活動は成り立たないのだ。 この「勝共連合」とはどんな団体かというと死去した「一日一善!」で有名な日本船舶振興会会長、笹川良一氏と桜田純子でお馴染みのあの「統一教会」とが共産主義思想と対決するためにつくった反共右翼団体なのだ。
 六十一年の衆参ダブル選挙では勝共連合が推薦した候補者が衆参合わせて百三十人当選した。自民党の防止法制定特別委員会の松永光委員長、同委員会の森清議員も推薦を受けた。
 表向きは国民会議や自民党が「スパイから日本を守れ!」と叫び、それを勝共連合がバックアップするという、表裏一体の構造になっている。
 さて、この秘密法案が守ろうとしている「秘密」とは何なのだろうか。それは「我が国の安全保障に関わる外交上の方針、外交上の内容、外国に関わる情報」だそうである。さて、安全保障などと聞くと自衛隊やその他の関連機関などに関わる情報だけのように聞こえるが、そうではないのだ。一歩間違うと自分たちの身の回りのものが全てが「国家秘密!」なんてことになりかねないのだ。
 なぜかというと、例えば昨年七月三十一日の読売新聞にはロサンゼルスタイムスの記事としてホワイトハウスと議会が日独など産業大国との経済対立を重要な国家安全保障問題として見始めた、とある。食糧問題なども重要な安全保障問題になりうる。(最近の農産物輸入自由化問題などもアメリカのような見方をすると経済対立なのだからロサンゼルスタイムスの記事のような安全保障問題とも言える)
 話を戻すと、原子力発電は国外から燃料を輸入しているし、原子炉から核兵器も造れることから重要な外交問題になる。(北朝鮮の例を思い出して欲しい)また、いったん戦争になると原発は重要な攻撃目標となってしまう。実際、イラン、イラク戦争の時、建設中の原発にイラク空軍が攻撃を加えるということがあった。この時、初めて原発を持つということはそこを攻撃されただけで原爆を落とされるのと同じ効果を受けてしまうということが問題になった。そして日本には数十機の原発がある。これこそ重要な安全保障問題なのだ。攻撃を避けるためには原子炉の場所、発電方式、発電量など様々な原子炉に関することを秘密にしなければならない。
 第二次世界大戦中、実際にこういうことも起きている。 

 若狭湾では海軍の軍事施設が増えてきていて、施設付近の漁船の立ち入りが禁止になったのだが、漁業組合では立入禁止区域の場所を確認するために海図を広げて確認していた。その時警察官が立ち会っていたのだがある漁師が若狭湾の中のある島に軍事施設がつくられているのが見えたと発言した。この漁師はもちろんその海域も立入禁止になるだろうと思っていったことだった。もし知らないで他の漁師達がその海域に入ってしまうと逮捕されてしまうからである。
 しかし、その漁師はただちにそこにいた警官に逮捕されてしまったのである。国家秘密を他人に漏らした、という理由からである。そして裁判にかけられその漁師は有罪になってしまったのである。

 ちなみにこのころの「間諜罪」はスパイを取り締まるだけが目的で民間人には関係ないものだと説明されていたのだ。
 だが、今度の「国家秘密法案」にはきちんと民間人にも適用されると書かれているのだ。 旧ソ連のチェルノブイリ事故ではソ連の秘密主義体制が被害をいっそう拡大させたことは確かだ。ソ連の秘密主義をどうこう言う前に我々は自分たちの足下を見てみる必要がある。
 だが、「そんな法律がこのご時世にできるわけがない」と思っている人もいるだろう。しかし、この法案は昭和六十年に国会に提出され、継続審議になったが同年の臨時国会で廃案に、しかし、六十一年にも提出しようという動きがあったし、二、三年前にもそういう動きがあり、なかなか根強いものがある。
 さきほど、なぜ間諜罪が戦後の刑法から外されたかを説明したが、その理由とは憲法に「戦力の不保持」が明記されているためであった。だが、もし、憲法に戦力が明記されれば、存在意義がでてきてしまう。 そして、あの「ナベツネ」率いる読売新聞が戦力を明記せよ、と言い始めたのである。
 一昨年十一月、読売新聞の新聞紙上で「憲法改正試案」が発表されたのである。この「試案」は主に憲法第九条の改正(改悪?)を目的としたもので、内容の一番重要なところは、「日本国は自らの平和と独立を守り、その安全を守るため自衛のための組織を持つことができる」というところだ。これは「自衛のために戦力を持つことができる」ということなのだ。つまりこれは戦力の明記をうたっているのである。 
 読売がこの試案を発表した後、TBS、朝日、などはテレビでいっせいにこれについて報道した。その殆どが反対意見であり、憲法学者の意見では「これは渡辺の指図によるもので明らかなプロパガンダだ」という意見が多かった。朝日新聞では昨年の憲法記念日に改憲、特に第九条の改憲に強く反対する、といった社説を掲載した。
 読売はこれまでに自民党の御用新聞と言われ、消費税導入のときなども自民党アピールに力を入れていたのを覚えている人も多いことだろう。
 昨年出版された宮沢元首相の「新、護憲宣言」という本には読売の試案のように九条を改正すれば「核兵器」という問題が出てくる可能性があると書いてある。「安上がり」「技術的にも可能」「陸は無理でも潜水艦に搭載される形では大いにあり得る」「自衛のための核戦力だと言えば説明もしやすい」という理由からだそうだ。このまま我々が放って置いたら、なしくずしに九条が改正され、国家秘密法案が法制化され、おまけに核武装へとなる可能性が大きい。
 だが、まあ別に改正しなくても一九五七年に岸首相が「自衛のための核戦力は合憲」と言明し、一九五九年には「自衛のための核戦力は合憲」という政府統一見解が出されている。「原発大論争」には電気事業連合会の資料が載っているが、その中で、核兵器への転用の危険性は国際原子力機関(IAEA)の査察を受けているのでそんなことはあり得ない、核不拡散条約、原子力基本法の「平和利用に限る」といった歯止めがあるのでその危険はないといっている。
 だが、よく考えてみれば、憲法のように法が改正されてしまえば歯止めにはならないのである。現行の九条では「永久に」と書かれてあるのだが、それでも法を変えてしまうことができるのだから、、、、
 さて、表向きは核武装なんて考えていないはずの日本だが、ちゃっかりそういうことを考えていた証拠が出てきた。 「我が国における自主防衛とその潜在能力について」と題された極秘レポートが昭和五八年三月三十一日の参議院決算委員会で社会党の野田哲議員によって暴露されたのである。
 ここで使われているデータは昭和五十三年までのもので、五十四年から五十五年にかけて防衛庁、もしくはその周辺によって作成されたと見られている。 また、使用されているデータの正確さからみて、科学技術庁、電気事業連合会、動力炉核燃料開発事業団などが関与しているとみて間違いないとされている。
 電力会社は「核兵器への転用はIAEAなどの査察を受けているので心配ない」と宣伝しているが、北朝鮮には核査察をあれほど厳しく行い、核を持っていることが公然の秘密となっているイスラエルにはなぜ査察を行わないのか、全くあてにならない組織である。その証拠にIAEAの議長だったスイス人、ルドルフ・ロメッチという人物が八八年にドイツからパキスタンに向けて原爆用のウランを輸出していたことが明らかにされた。また、この人物は自分の車にプルトニウム四キロを積んで運んだこともあったそうだ。 このロメッチは科学技術庁の招きで八七年に国際放射性廃棄物会議で講演をしたこともあったそうだ。 宮沢氏も「国連を絶対視することに現実としていろいろと問題があるということを我々は認識しておく必要があると思います」と述べている。


第四章 原発所在地、巻町住民投票取材報告

 僕は7月29日から8月5日までの間、福島、宮城、新潟の巻町を取材してきた。
 事前に取材先に連絡を取っていたわけではなかったので最初は何処に行ったらいいのかも分からず、大変苦労した。ここではその苦労話も交えつつ、話を進めていこうと思う。
1福島第二原発
 ここでは町を歩いている限りでは反対活動の様なものは特に見あたらなかった。他の町のように「原発反対!」という血走った立て看板のような物も見あたらなかったし、町のおじさんや、おばちゃん数人に原発の事を聞いてみたが、たいていは「ま、危なくないようにやってくれればねー」なんていう返事が返ってくるだけだった。
 発電所のすぐ近くまで行ったのだが、中に入れる訳でもなく、ここは、ただ外から写真を撮るだけにしておいた。 

2 福島第二原発
 朝、8時に常磐線、大野駅に着。ここから第一発電所までなんと片道5キロ近くある。しかし、僕はお金がないので重い荷物を背に歩くことにする。(パンフレットにはタクシーで10分とあるが、さすがに徒歩何分とは書いていなかった。)
 朝からとても日差しが強く、少し歩いただけでも汗だらだら、泣きたくなった。
一時間三十分ぐらいで発電所着、着いてすぐ目に付いたのは電気自動車だった。やたらと流線型で何だ何だ?と見てみると清掃車だった。これに乗った作業員が毎日発電所の周りをきれいにしている訳である。周囲も場違いなほど(周りは田圃、ほっかぶりしたおばちゃん達が農作業をやっていた。)”近未来”をアピールしていて笑えてしまった。     それはさておき、そこには福島第一原子力発電所サービスホールというとても立派な建物があってそこに入ってみることにする。
 中の展示物を一通り見たのだが、その中で面白い展示物が置いてあった。 人間をウランに換算するとどのくらいのエネルギーになるか?ということを計算してくれるでかい体重計みたいなやつだ。1グラムのウランがどのくらいのエネルギーをもっているかというとなんと200リットルのドラム缶で10本分もある。さて、そこで僕はというと、200リットルドラム缶で548000本分だそうだ。
 一通り見た後で、受け付けのおねえさんに広報の人を呼んでもらい取材を申し込む。すんなりOKが出てさっそく取材。 
 広報山田さんは、また反対側でやってるやつだな、というような顔で入ってきた。挨拶をした後にソファーにどかっと座るなりぷっかーとたばこを吸い始めた。 これはちとまずいと思い、自分は推進側の意見を持っていて、なんで反対する人達がいるのか分からないというようなことを言った(全くそんなことは思ったことがないけれど)その方が相手も、僕のことを警戒しないで答えてくれるだろうと思ったからだし、本音を話してくれうだろうと思ったからだ。
 質問は大抵の原発本に書いてあるようなことで、それに対する答えも正しく、本に書いてあるような答えだった。(例えば、原発は安全ですか、と聞いてはい、私たちは安全最優先で行っています、と答えるような)
 しかし、かなり興味深い答えも返ってきた。僕が「文殊のような事故隠しや、情報隠しはないんですか?」と聞いたところ、(意味のない質問だ、はい、隠してます。なんて答えるわけがない)ま、ないねーなんて答えた後、「文殊は別として今までそういうことはしたことがない、反対派は情報隠しを電力は行っているというが、それは別に公表しなくてもいい物だと判断したから公表しなかっただけで、ま、親父の浮気みたいなもんだな!」などと言ったのだ。  
注 親父の浮気とは?
ばれなかったら、それはそれでOK、ということらしい
 しかし、これには反論がある。今までには美浜のようなもう少しで日本初の重大事故を起こしかけた事故までも渋々情報を公開したのである。その他にも重大事故につながるような事故も隠してきた。
 もう一つは「反原発活動は楽しいからやっているのであり、反対といっている人たちは原子力のことを何も理解しないで反対と言っている、原発反対記事を書いているやつらは目立ちたがりやなんだよ。」と、「まあ、ここら辺りでも林さんていうおばちゃん連中が反対!なんれやってるけどね、あれも選挙の票あつめなんだろうな。」という発言である。これにはさすがに僕も”カチン”ときた。が、ここで言い争いになってもしかたないので「あはは」と軽く笑っただけで何も言わなかった。
 ここで取材して分かったのだが、国の広報(新聞なんかに政府公報としてのってるやつ)は単に「きれいごと」であり、全く住民の声や反対派の声を聞こうなんて姿勢は全くない!ということだ。 しかもここの地元で反対活動をしている人に対して「単に、選挙票稼ぎだよ」とさらりと言い放ったのである。これには正直言って何も言えなかった。あきれてしまう。
 話は少し逸れるが 最近、国の原子力行政は開かれたものになりつつあります一般の方々に参加してもらう原子力円卓会議がその例です!なんて新聞の政府公報などに書いてあるが、あの会議はどういう基準で参加者を選んでいるのかも公表されず、おまけにその選ばれた人達の原子力推進派の割合はなんと八割で反対派は残りの二割しかいないのだ。これでは公正な議論は成り立たない。これもたんなる国の「我々は一生懸命やってますよ、情報もみなさんに公開なんかしちゃったりしてますよ!」という”かっこつけ”にすぎない。全く馬鹿にした話で、ちゃんと意見を聞こうという姿勢は微塵も見えない。
 だいたいの質問は1時間ちょっとで終わったのだが、なんだか知らないけど広報さんは暇なようで僕を放してくれなかった。その後、2時間近く世間話に付き合わされることとなった。(本当の話)

3地元の反対派、林 かなこさんに話を聞く

 林さんは福島第二発電所の広報さんから名前を聞いた。詳しい住所や電話番号は分からないということなので、役場に行って聞くことにする。 役場ではすぐに連絡先を教えてくれ、すぐに電話したら取材okだった。
 林さんという方は前まで小学校の先生をやっていたそうで、とても優しい方だった。林さんはとても快く僕を迎えてくれた。やはり反対派の人は僕と話が合うので午前9時に行って、帰ってきたのは午後1時過ぎだった。
 林さんのグループは「福島原発30キロ圏・ひとの会」という名前で、最後の「ひとの会」というのは田舎の近所付き合いでなかなか自分の言いたいことが言えない。そこで1人の人間として自立しようじゃないか、という願いをこめて名付たそうだ。 ここでも僕の質問はありきたりのものだった。しかし、地元で反対活動をしている人達の生の声を聞くと今まで本やなんかで読んできたものがありありと聞こえてきた。ここでは反対活動はあまり盛んではない。なぜなら、福島には原子力発電とはなんであるか?というのもないまま、地元の人達は何が何だかわからないまま建設が進めめられていったからである。
 林さん達の活動はミニコミ誌を作ったり、講演会(広瀬隆さんや原子力資料情報室の高木仁三郎さんらを招いて)を開いたり、僕の尊敬する樋口健二さん、広河隆一さんらの写真展をおこなってきたそうだ。林さんによると広河さんの写真展を開こうとしてその宣伝用のポスターを近所の酒屋さんの店先に貼ってもらっていたところ、常連の原発関係者がお酒を買いにきて、このポスターを見て、「商売長く続けたいんならこんなのは貼らないことだ」と言われたそうだ。
 講演会や勉強会の方は、はじめの頃は講演会を開いても一緒に活動を行っている何人かの仲間しか集まらないこともあったそうだが、地道な活動の甲斐有ってか文殊の事故などがあってからは予想の二倍以上の人達が集まってくれたそうだ。
 林さんは原発の問題の他に最近問題になってきている「電磁波」の問題にも関心を持っていて100万キロワット(普通の高圧線は50万キロワット、この50万キロワットでも人体にはかなり有害とされている)の高圧線を作る計画が持ち上がったころからそこの住民らと共に反対活動グループを作ったのだが、それを聞きつけた電力会社がやってきて脅しや金でその活動をやめさせたそうだ。こんな話は漫画や小説などでは聞いていたが実際、その当人から話を聞くと「本当にそんなことがあるんだ!」と思ってしまった。(新潟でもっと生々しい話を聞くことになる)
 双葉町、大熊町などの地元では万が一事故が起きた時に使用するマニュアルを地元民に配っているがそのマニュアルは全く役に立たないそうだ。その一例として避難の方法が全くなっていないそうだ。それは事故が起きたときにはもちろん住民はパニックになる。住民は我先にと車に乗り込み道路は大渋滞となる。それを防ぐために国は自動車による避難は禁止しているそうである。では何で避難するかと言えばもちろん用意されたバスなどに限られる。そう、マニュアルにはバスによる避難を行うと書いてあるそうだ。「なんだ、ちゃんとしてるじゃん!」などと思ってはいけない、なんとそのバスの集合場所は町から10キロも離れていてそこまで歩いて行かなければならないのだ!放射能の充満した空気をその間たっぷり吸うことになるだろうし、老人などの体の不自由な人達も歩いて行かなければならないのだ。もし、みんな歩いてその集合場所までたどり着けたとしても、その人達を全部安全な場所まで運んでいけるだけのバスの数がないのだ!いくらどう計算してもないものはない。いったい事故がおきたらどうやって安全な場所まで(まあ、事故が起きたら日本中どこも安全な場所なんてなくなるが、)避難したらいいのか?
 このようにマニュアルとは形ばかりあるだけで実際には役に立ちはしないのである。地元でこいいう話を聞くと妙に臨場感があり恐くなってしまった。

4 新潟県巻町の住民投票
 ここからが本題の巻町の取材である。ところが、ここに着いたのはなんと4日の投票日だったのだ!福島で取材した後、宮城の女川原発にも行ってみようと思い、行ったのだが時間もなく、取材なんかろくに出来ず終わり、急いで新潟に向かったのだが、着いたのは四日の朝九時、トホホホホである本当は前日には取材を始めようと思っていたのだが、、、
 まあ、出遅れてはしまったが、ここまできたのだからしょうがない、やるしかない。
 巻町の駅に着いて驚いたのだがこの町は今までの取材した福島原発の地元みたいに少し寂れていてどこか寂しげな雰囲気はなく、妙に小綺麗で活発で開けた町だった。想像していた巻とはずいぶんかけ離れていた。取材が終わった後、新潟のビジネスホテルにもどってテレビの特集を見ていたら、この町は20年以上前計画が持ち上がった頃は寂れた町だったのだが今では新潟のベットタウンといわれるほどきれいに開けてしまったとのこと。
 ここで巻町でなぜ住民投票が行われるに至ったかを端折って説明する。
昭和五十二年町議会が原発立地を決議したが残り3パーセントの町有地が反対のため買えなかった。その残り3パーセントのために計画はあまり進まなかった。そして一昨年秋には「住民投票を実行する会」ができる。当時造り酒屋の専務だった笹口孝明町長は弁護士に住民投票について相談した。前町長が原発凍結から原発推進に転じたのがきっかけだった。昨年二月町の協力が得られないまま自分たちの手で住民投票を実施した。二ヶ月後の町議選では、会から二人当選、さらに反原発団体の二人が二位三位を占め、議会勢力を一気に塗り替えた。そして今年一月のリコールを受けての町長選で会の笹口孝明氏が当選した。住民投票実施が公約だったのでそれを受けての今回の住民投票になったのである。
 駅から出てすぐに「原発いらないしあわせの木」が目に入った。これは全国から「原発なんかいらない」という人達から送られてきたハンカチをつなぎ合わせた物で町のあちこちで見かけた。
 巻にくるまで殆ど下調べというものはやっていなくて最低限のここまでに至った経過や場所(巻の)しか分からずどんな団体がどの程度あってどんな活動をして、そしてその事務所が何処にあるのかも分からなかったのでとりあえず町中を一回りしてみた。するとすぐに「八月四日賛成に○」と書かれたのぼりがたっている建物を見つけた。「ここが推進派の事務所か?」と思いさっそく早速中へ。事務所の中にはたくさんのビラが置いてあり、カラーで刷ったきれいな冊子などもあった。さすがに金がかかっている。と関心しつつ取材を申し込んだ。これがあっさりOKで、高島さんという方が応対してくれた。
 高島さんは将来のエネルギー政策を考えて欲しい(化石燃料は有限である)や地域活性化に繋がるというのをなんども僕に力説していた。活動の課題として「安全性は100パーセントではない」と明言した上でしかしこれからの事を考えてもらってそして理解して欲しいし、その熱意が伝わるように社員で住民の自宅を戸別訪問していると語った。
 僕はここに来る前、巻にかなりの原発メーカーが入って活動を行っていると聞いていたのでそのことを聞くと答えにくそうに連絡調整、戸別訪問などを手伝ってもらっているとのことだった。 この住民投票でノーが出た場合どうしますか?と聞いたところ、負けた場合でも勿論推進活動を行っていくし、やめるつもりはない。」と語った。また「この投票には法的拘束力はない」「この周辺ではここしか硬い岩盤がない」ともつけたした。 
 この「明日の巻町を考える会」の活動母体はやはり電力会社なんですか?と質問すると「いや、母体はここの住民のみなさんです!主役は住民のみなさんなんです!そのために我々が(電力会社)お手伝いしているんです!。」と鼻息を荒くして答えた。すばやくビラの構成組織、団体っというところを見たら公明、新進、自民、原発推進議員団、商工会、東北電力、建設業業界、などの団体名が書かれてあった。
 ここで取材しようにも手がかりが全くないので高島さんに反対している団体は何処にあるのか、何団体くらいあるのかを聞くとなんと六団体もあるそうである。場所のほうは近くの三団体を教えてくれたが、後の3団体は名前があるだけで、たいした活動はやっていないし、ここから距離も離れているということなので聞かなかった。この質問をすると反対している団体は社会党や共産党や日教組などの政治団体がやっているからあまり話を信じちゃいけないよ、というようなことを僕に言った。あんたらだってしっかり政治団体の支援受けてるじゃないのと思ったが、「あはは」と笑ってやりすごす。 僕が建設予定地はここからどのくらい離れているのかと聞くと、とても歩いてはいけない距離だというので予定地の写真は諦めようとしたら高島さんが車で送っていってもいいとのことだったのでありがたく乗せてもらうことにした。
 車に乗ろうとしたとき、急に高島さんに用事ができてしまい、代わりに小林さんという東北電力の社員の方が連れていってくれることになった。小林さんは東北電力宮城支店からの応援だそうで、一週間くらい前から巻に入って活動してるそうである。着くまでの間小林さんが反対派の活動の問題点を本当に「困った!」という感じで話してくれた。内容は高島さんが言っていた「代替エネルギーのことを考えていない!」というのや「感情やムードが先行していて理論がない」また「反対活動をしている団体は共産党や日教組なんかの政治団体でそれにつられて活動していいる人達も多い」というものだったが、興味をそそられ、僕も「それはちょっとまずいんじゃないのかな?」と思ったのが「先生が(小学校などの)生徒に折り鶴などを作らせたり、集会などに連れてくる」というものだった。現に巻ではそういうことがあったらしい。それに加えてお決まりの「代替エネルギーをどうするか?」という問題についてもあれこれと語ってくれた。その中で石油なんてのは政情が不安定な所からの輸入に頼っていて、安定したエネルギーでないのに比べてウランなんかはアメリカやオーストラリア、フランスなんかの政情の安定した国から輸入しているから安定しているとも言っていた。しかし、アメリカは南アフリカから(まだアパルトヘイトが続けられていたころ)ウランなどを輸入していた。アメリカは経済制裁なんかを表でやっておきながら裏ではウランやらダイヤ、金なんかを手に入れていた(広瀬隆 危険な話)それを日本がアメリカから輸入していたわけである。テレビで宣伝しているデビアスなんかも黒人を使ってダイヤを採掘していたのだ。
 小林さん自身の体験で何か困ったことはありますか?と聞くと誹謗、中傷が激しいとのことだった。会社から帰ろうとした時、ちょうど原発反対のデモに合い、いきなり「人殺しー!」と言われたそうである。他に雑誌などの取材の時など記者に「そんなこと言っていいのか?書くぞ!」なんて脅されたそうである。(そんなことの内容は聞けなかった)「全く、ペンの暴力だよ」とため息をついていた。まあ、たしかにそんなこともあるのだろう。 
 予定地ではもうブルドーザーなんかで土地の整備が始まっていたが、何だかんだであまり工事は進んでいなかった。その証拠に炉が設置される場所には沢山の海水浴客が楽しそうに泳いでいた。 一通り現場の写真を撮ってまた町まで戻った。
 次に反対派の事務所に行行った。ここは推進派の事務所からすぐ近くに(同じ通りで300メートルくらいはなれている。)あってすぐに見つけられた。中に入るとみんな忙しそうに仕事をしていて、とても取材させてくれるような雰囲気ではなかったが、ここまで来たんだからと思い切って側にいた人に頼んでみた。
するとその人は今忙しいからと言って他の人を指さし「あの人に聞いて」と言った。それでその「あの人」と思われる人物に取材させてくれと頼むとまた、「あの人に聞いて」と言われた。その次の人にも同じことを言われ、まるで「たらい回し」である。しかし四人目にしてやっとここの代表をしている議会の議員さんに話を聞くことができた。 この人は「原発にたよらない巻町を」という会の竹内文雄さんという方で後で名刺をもらってみたら名刺に「日本共産党」と書いてあった。ここが共産党系の事務所らしい。
 挨拶をすると「次にもいるから5分だけだよ」と言われ後ろを振り返るとNHKのレポーターとカメラマンが控えていた。「早くしろよな!」というかんじでこっちを見ていたのでなんだか落ち着かなくてありきたりの質問しかできなかった。
 まず、どうして原発に反対するのかを聞いてみると、やはり安全性の問題、が第一で次にこの町は原発の交付金なんかなくても十分やっていけるとのことだった。ここいらへんの質問は別に聞かなくても分かり切っていることだったが後ろの視線が気になったのでどうもうまく質問できなかったのだ。その後も当たり前の質問が続いてしまった。次に高島さんから反対している団体が6団体もあるという話を聞いていてので活動は共同で行っているんですか?と聞くと連絡、調整だけはしている、活動は別個だと語った。話し方を見ているとあまり他の団体とは仲が良さそうには思えなかった。そして最後に小林さんから聞いた先生などが集会などに生徒を連れていくという話が気になっていたので質問してみると、「やってるよ、わるいか?」とのこと。
 次に「原発のない巻町を」という団体に行ってみた。取材を申し込むと事務局長をしている方(中村正紀さん)が「君はどのくらい原発について知ってるの?」
と質問された。あまり深いところまでつっこまれるとちょっと辛かったので「原発関係で有名な本は一通り読んでます。」と答えるとうさんくさそうな顔をしたがとりあえずOKだけはもらえた。ここでも前半は当たり前の質問ばかりだったが地元で20年以上も反対活動をしてきた人だけあって、話に重みがあった。
 ちょっと質問の形式を変えようと思い、推進派の事務所で聞いてきた話に反論してもらおうと思ったが、これをやろうとすると中村さんは「君は国家権力の話を信じるのかね!」とはじまってしまった。僕が新聞に載っているような話は新聞で読んで地元の人にしか聞けない、新聞には載っていないような質問がしたいからだと言うと、「こういう問題はまず反対している人達の話から聞くもんなんだ!国家権力の話を最初に聞くのは間違っている!」「権力者の言うことはうそばっかりなんだ、エイズの問題なんかでもそうだろ、厚生省はウソしか言ってなかったろ!」とゆずらない。僕もちょっと「カチン」ときてしまって「こういう問題は公平に取材するべきでどちらかに重みをおいて取材すると偏向的になってしまうと思います、勿論僕は反対の意見で、卒論も反対の意見で書こうと思っています。でもこれは取材で僕はどちらの意見も公平に聞きたいと思ったからです。順番なんか関係ないと思います。」などということをまくしたててしまった。これで一挙にムードは最悪の方向へ。でもこれに関しては今でも良かったのかどうか悩んでしまう。ぼくは将来報道関係に行きたいと思っている。そういうことを考えれば取材先の相手を怒らせてしまったのは報道マンとしては最低だろう。だけどこの時はなぜかそんなことは考えられなかったのだ。若い若い。
 ムードは悪くなってしまったが、ここで引き下がっては今までの苦労が無駄になってしまうので質問を続けた。林さんの所の話を例に挙げて今までになにかいやがらせのようなものを受けたことがありますか?と聞くと、今はなくなったが「どこで事故にあうか楽しみにしてろ」とかの脅しの電話がひっきりなしだったそうである。他に「や」の字の方々が家の前で「何をやってるのか考えろ、どうなっても知らないぞ!」と叫び狂ったこともあったそうだ。他にはやはり電話で「お前の息子は〇〇社だろ、系列だから働けないようにしてやってもいいんだぞ!」
ということも言われたらしい。こんな脅しにも負けず、反対活動を20年以上も続けている中村さん達には正直委って頭が下がった。本当にこの問題を真剣に考え心配しているというのが伝わってくる。はたして自分がこういう脅しをされたらどうだろうか、と考えると、君子危うきに何とやらで、すぐに逃げてしまっているかもしれない。
 気になっていた「他の反対派とは仲が良いのか」という質問をすると「他の連中は党の方針で原発反対なだけで、それにつられてやっている。」「私たちは20年も前から活動をやっていて勉強会も今までに500回以上開いていて電力会社のやつらより知識はある。」とあくまで「本家」を主張。もっと仲良くやればいいのに。まとまった方が強いのにと考えてしまった。
 この質問の後に民放の取材が来てしまい、ここで取材はお開きとなったが、最後に中村さんは笑顔で何事もなかったように僕を送ってくれた。さすが大人は違う。
 投票結果が出るまでまだかなりの時間があったので近くの飯屋で遅い昼食をとっていると、いきなり雨が降ってきてしまった。飯屋で投票結果がでるまでの何時間かをつぶす訳にもいかず、外に出て雨宿りをしていると地元新聞の腕章をつけた記者らしき人達が「推進派の涙だな、こりゃ」と話しながら歩いていった。そのせりふといい、状況といい、ドラマみたいだったので思わず笑ってしまったが、これはそのとうりになってしまったのである。 
  投票率88、29%投票総数20503票、無効121票、反対12478で60、86%賛成7904で38、55%の大差で反対派の圧勝に終わった。
 僕は反対派が勝つだろうと思っていたので最初、「原発のない巻町を」の会の事務所で「喜びの表情」というやつを撮ってやろうと思っていたのだが途中で「いや、推進派のしょんぼり顔も捨てがたい」と思い、結局反対派、推進派の事務所を行ったり来たりすることになってしまった。推進派の事務所と掛け持ちするからには反対派の事務所も近い方がいいだろうと、共産党系の「原発に頼らない巻町を」の会の事務所に変更。結果の出る一時間前に推進派の事務所に行ったら報道関係者が事務所を占領してしまっていて、とても僕の入り込む余地はない。それにパスもとってないのに入ってもいいのかなーと躊躇していると新聞社のカメラマンが「君、学生だろ」と話しかけてきてくれた。後で聞いたらよく報道を目指す写真学校の学生が雰囲気になれるために記者会見などにもぐり込んでいるそうである。その人に「入っちゃって大丈夫ですかね、」と聞くと別に問題ないそうで、それらしい顔をして堂々と入っていけば何も言われないもんなんだそうである。しかし、優先は反対派の方であって、ねばるのはそっちだ!と思い「そちら」でねばった。
 結果は先に述べたように反対派の勝利だった。その速報が伝えられた瞬間おばちゃん達は涙ぐんでいて本当に嬉しそうな顔をしていた。しかし、この瞬間を撮ろうと思っていたのだが、なんとカメラのフィルムが終わっていたのだ!急いでフィルムを詰め替えてピントや露出も考えずシャッターを切ったのでブレブレ写真になってしまった。全くカメラマン失格である。反省。次に急いで推進派の事務所へ。ここはもう報道関係者がいっぱいでいい場所はとれなかったが、まだ会見は始まっていなかった。二股作戦成功である。会見はまず、お詫びの言葉から始まった。その「沈痛な面もち」を撮ったところですぐに帰ることにした。もうすぐ新潟行きの最終電車がくる頃だったし、(3日ぶりに新潟で宿をとっていたので)会見の内容はニュースや新聞などでいやという程読めるからである。
 帰り際、でかいカメラとストロボとファイルを抱えているのを見たおばちゃん連中が僕をどっかの新聞社のカメラマンと勘違いしたのか「お仕事たいへんねえー」と話しかけてきた。駅までの道その人達と話ていると「この町も人間関係がおかしくならなきゃいいけどねー」なんて話してくれた。本当にそう思う。こっちは賛成派、隣は反対派の世界である。いままでのように近所付き合いがうまくいくのだろうか、しこりは残らないのだろうか、なんだか勝利の嬉しさよりもそちらのほうが気になってしまった。心配である。そのおばちゃん連中の中に以前原発関係で働いていたという人がいて、この選挙とは関係ないが、面白い話をしてくれた。その話とは原発労働者の被爆量のからくりである。そのおばちゃんは事務関係の仕事をしていて要するに防護服を必要とするような炉心作業には勿論一度も入ったことがないそうなのだが、なんと、こういう人達も資料に載っているような原発労働者の被爆線量に加えられているそうなのである。被爆していない人を加えて平均をとるのだから当然値は低くなる。(まあ、考えてみれば原発労働者であることは確かだけど)原発で事務をやっている人達がどのくらいいるのかは知らないが、少なくはないだろう。全くばかげた話である。まあ、地元に来て取材をするメリットはこんな所にあるのじゃないか、と考えたりした。
 この住民投票の結果をうけての各方面の反応を簡単ながら示す。

笹口孝明巻町町長
「全町民が町の将来を自分たちで決めるという強い意志が表れた結果だと思う」

平山征夫新潟県知事           「計画撤回を要請する考えはない」

資源エネルギー庁長官
 「原発は必要と考える。あくまで住民の理解を求められるように努力したい立地凍結は考えていない。」

塚原俊平通産相
「結果はいまだに十分な理解が得られていない事を示していると認識しております」

八島俊章東北電力社長
「結果が絶対的なものという認識は持っていない」「(大差について)もっと厳しい結果になると思っていた。理解していただいた層が広がったのではないか」

中川秀直原子力委員長
「原子力施設の設置にあたっては地元をはじめとする国民の理解と協力を得ることが重要であり、今後も努力していきたい」

荒木浩電気事業連合会会長
「大変残念な結果」「まだ対話の余地はある東北電力が推進活動を続ける限り全面的な支援を続けていく」
       (朝日新聞8月5日)

 取材後の感想
 
 巻町の投票は本当に成功して良かった、と感じた。住民の本当の声が行政に反映されるからである。今まで、なんでも国は地方に重圧を強いてきた。沖縄問題もそうである。東京の離れているところに住んでいるから政治家はその土地の人達がどんな思いでいるのかなどわからないのだろう。
 これを機会に本当の民主主義が芽生えていくのだなと感じた。 この住民投票に関して一部の専門家などは「代議制を無視しているこれでは日本の民主主義はどうなるのだ」と言っている人達がいるが、今までの代議制ではあまりにも住民の声が届かなかったのだ。それを見直すためにも今度の住民投票は民主主義とは何か、ということも考えさせてくれた良いものであったと思う。
 これからいくつかの住民投票が予定されている。沖縄では基地をめぐる住民投票、他はやはり原発をめぐるものもある。それらが成功するかどうかまだ分からないが、どちらにせよこの影響でずいぶんとこの国が良い方向に向かっていくのではないか、と感じた。

追記 
 この取材は全く無計画に、突発的に思い立ち出かけていったものである。このためにお金を貯めるとか、取材計画を練るとか、そういったことは全くしなかった。だからこんなに成功するとは思っていなかった。こんなに成功させてくれたのは推進派、反対派、にかかわらず、取材に快く協力してくれたみなさんのおかげだと思っている。この場で本当に感謝の言葉を言いたい。本当にありがとうございました。


 おわりに

 これまで原子力発電に関わる様々なことについて書いてきたが、まだまだこの論文で扱っていない事は沢山ある。 原発労働者の問題や地震、津波対策、スリーマイルやチェルノブイリの事故後どうなっているか、など他に沢山ここで扱いたかったのだが、そういうわけにもいかないこの論文に書かれてあることはほんの一部でしかない。これだけ膨大な問題を抱えたまま、まだ国は原子力発電を押し進めようとしている。これを考え直させるには我々国民しかいないのだ。
 私は原発問題をエネルギー問題としてだけではなく、環境問題としても考えている。環境問題、エネルギー問題は政治や我々の生活と密接に交わっている。原子力発電だけで環境問題やエネルギー問題を語れるわけではないし、政治やゴミ問題だけで語れるわけでもない。森林破壊、河川の汚染、排気ガス、政治の汚職、我々の経済状態、日々の生活態度、それらが密接に絡み合っているのだ。
 では、これらを解決するためには我々は何をしたらよいのだろうか。 もちろん、省エネやゴミを出さない努力も必要だろう。
 だが、私の結論として挙げるのは政治に少しでも関心を持つということである。これだけ混沌とした社会で様々な問題を処理していくのが政治であり、これから我々の方向を決めるのも政治である。 この政治が間違った方向へ行かないように見張ることが一番の環境問題、エネルギー問題を解決する近道なのだと思う。それが私のこの論文における結論である。


参考文献

東京電力パンフレット
広瀬隆 『危険な話』新潮
    『最後の話』新潮
    『東京に原発を』集英社
広瀬隆 広河隆一 『四番目の恐怖』
JICC出版 『原発大論争』
JICC出版 『ザ、新聞』
平成五年度版『原子力安全白書』
平成七年度版『原子力白書』
緑風出版編集部『高速増殖炉もんじゅ事故』
西尾漠『原発を考える五十話』岩波ジュニア
現代書館 『反原発辞典』
室田武 『原子力の経済学』 日本評論社
田中三彦 『原発はなぜ危険か』岩波
武谷三男 『現代論集三』 
田中靖政 『原子力の社会学』 電力新報社
実業の日本編集部 『知られざる原子力』
宮沢喜一 『新、護憲宣言』
神奈川新聞社 『言論が危うい』
新井直之 『新聞、放送批判』
木村晋介 『木村弁護士がウサギ跳び』角川
産経人物年鑑
読売新聞縮刷版
朝日新聞縮刷版
            以上