私的所有批判と古典派労働価値説批判
−『聖家族』におけるK・マルクスと古典派労働価値説の問題を中心にして−

拓殖大学政経学部  大石 高久

〈目次〉
A. はじめに              
B. 私的所有批判から経済学批判へ    
 1. 私的所有批判としての『所有とは何か?』
 2. 経済学批判としての『所有とは何か?』の意義
 3. 経済学批判としての『所有とは何か?』の限界
C. 経済学批判から古典派価値論批判へ  
 1. 価値論批判としての『所有とは何か?』の意義
2. 価値論批判としての『所有とは何か?』の限界
D. おわりに


A. はじめに

「リ−プクネヒト氏はビスカンプに向かって明言した、『これほど自分を失望させた本は未だなかった』と。ビスカンプ自身は僕に言った、自分には『何の役に立つのか』わからない、と。」

 これは『経済学批判』出版直後、K.マルクスがF.エンゲルスに宛て書いた手紙(1859.7.22)の一節である。『経済学批判』は、いうまでもなく「商品」と「貨幣」の二章しか含んでいない。先の手紙から判断すると、マルクスの支持者ですら、『経済学批判』の中に革命のための指針を見出せず、失望していたと思われる。では、彼らがこれらの諸章にないものねだりをしていただけなのであろうか。
 同じ手紙の中でマルクスは、「最も単純な形態、商品という形態において」、「ブルジョア的生産の独自に社会的は性格」が分析されていると記している。明らかに、そこには「私的所有批判」という赤い一本の糸が貫いている。このマルクスの「商品」分析は、古典派の価値論から何と懸け離れていることか。
 マルクスにおいては、労働価値説と私的所有批判は不可分の関係にある。しかし、古典派の場合は事情は全く異なる。むしろ、労働価値説は私的所有を擁護するためのものであろう。この両者の差違は、一体どこから生じたのであろうか。そもそも、マルクスの労働価値説をD.リカ−ドオ等の古典派のそれと近似視することは、マルクスの労働価値説を根本的に誤解することにならないのであろうか。この点を明確にすることが、本稿の究極の目的である。  ところで、「あらゆる国民の年々の労働は、国民が年々消費する生活の必需品と便益品のすべてを 供給する源であって、.......」と、A.スミスはその主著『国富論』の碧頭において、労働の重要性をかくも高らかに宣言している。
ところが、そのスミスが、他方でその労働の直接的担い手たる労働者の悲惨な現実を遠慮会釈なく暴き出していることもまた、周知の事実である。「労働こそが富の源泉である」と主張しながら、その労働の担い手たる労働者の貧困を見て何の矛盾も感じないスミス。このスミスのシニシズム(zynismus) に敢然と戦いを挑んだのが、J・P・プル−ドンとマルクスであった。
 プル−ドンは言う、「占有を所有に変えるには、労働以外のものが必要であり、それがなければ、人は労働を止めるや否や、所有者ではなくなる」はずである、と。然り!労働者は、「労働」するが故に資本家ではなく、貧しい。それに反して、資本家は「労働」しないが故に[1] 、「富」を所有するのである。現実には、「労働こそは貧困の源泉である」というべきなのかもしれない。それ故に、プル−ドンは「所有権とは、不労収得権である」[2]と結論し、その根拠を労働者の「集合的な力」[3]に対する不払いに求めていく。
 それでは、マルクスの場合は一体どうであったのだろうか。本稿の直接の目的は、マルクスの『聖家族(Die heilige Familie )』(1844.9執筆)第四章「4 プル−ドン」を中心的対象として、マルクスにおける私的所有批判[4] −経済学批判−古典派労働価値説批判の三者の関連を少しでも解明することにある。その際注意すべき第一点は、『聖家族』の性格である。
 『聖家族』は、マルクスの「経済学批判」体系自体を積極的に展開した著作ではない。『聖家族』は、その副題「批判的批判の批判」が示しているように、更にまた「序文」に明記されているように、「独立した著作(マルクス自身の「経済学批判」体系、即ち今日の『経済学・哲学草稿』........大石)に先だって」、「批判的批判」即ちバウア−兄弟等の「思弁的観念論」を批判することを直接の目的としている。それ故、直接経済学に関する記述は、ただ断片的に、あちこちに存在するに過ぎず、この『聖家族』だけから、当時のマルクス「経済学批判」体系を判断することは不可能である。従って、服部氏も指摘されているように[5] 、『聖家族』の経済学的研究は、当時の『経済学・哲学草稿』(以下、『草稿』と略記する)や「リカ−ドオ評注」および「ミル評注」等によって補完されなければならない。
 しかし、そのことはまた、『聖家族』評価が『草稿』や「リカ−ドオ評注」および「ミル評注」理解によって左右される、ということをも意味する。このことは不可避的であるとは言え、やはり程度問題であろう。『聖家族』の自立性を可能な限り維持するためには、『聖家族』の中の文脈を重視するしかないと思われる。そこで本稿では、『聖家族』中の断片をできる限り全体の脈絡の中で解釈し、必要以上に他の著作から読み込むことを避けることにする。
 注意すべき第二点は、マルクス「経済学批判」体系の方法に関係がある。即ち、マルクスは、「私的所有」を今日の経済的諸関係の総体として、また、経済学的諸範疇をその科学的反映に他ならないと把握している。更に、これらの経済学的諸範疇を「発生的に叙述」する方法を採っている。従って、マルクスの私的所有批判は当然にも、価値論、剰余価値論、蓄積論等、それぞれの論理次元において重層的に行われているのである。それ故、価値論次元のみでマルクスの「私的所有批判」を考察することには、非常に大きな限界があることは言うまでもない。
 しかしながら、これまでともすれば、マルクスと古典派の労働価値説を同一視とまでいかなくても近似視してきた通説的見解に対しては、このような研究も少なからぬ意味を持つであろう。
 「批判」とは、相手の主張する「全体性」の成立根拠と同時に、その限界をも示すことであり、その「全体性」を一契機とする新たな「全体性」を提示することである。それ故、「批判」は批判対象との「同一性」と同時に、「差違性」をも持つのである。
 従来、古典派とマルクスの労働価値説の「同一性」が、あるいは「同一性」のみが強調されてきたが、ここでは両者の「差違性」こそが重要なのである。
 何故なら、「経済学批判」体系が経済学的諸範疇の批判的叙述の体系である以上、「価値」概念自体も批判されているはずだからであり、筆者の関心も、古典派価値論がマルクスによって如何に批判され、私的所有批判と関連していくのか、にあるのだから。
 更にまた、古典派との「同一性」においてのみならず、「差違性」においても把握してこそ完全なマルクス理解と言えるであろうからである。マルクスの価値論理解についても、次のことは勿論妥当する。
 「説明ではあっても、種差[differentia specica ]を挙げないような説明 は、およそ説明ではない。」[6]
 以下、本稿は次のように展開されるであろう。
 先ず第一に、プル−ドンの私的所有批判と経済学批判を紹介した後、マルクスによるその批判を考察する(B.)。
 第二に、プル−ドンの価値論とマルクスによるその批判を考察する(C.)。
 そして最後に、マルクスの価値論を私的所有批判と経済学批判との関連で整理する(おわりに)。


B. 私的所有批判から経済学批判へ

 1. 私的所有批判としての『所有とは何か?』

 『聖家族』はその副題「批判的批判の批判」が示しているように、「批判的批判」(以下、「批判」と略記)即ちバウア−兄弟等を中心とした「思弁的観念論」の批判を直接の目的としている。マルクスはこの著作において、「思弁的観念論」に対して「現実的人間主義」、「現実の個々の人間」を対置し、思弁哲学の妄想を暴露してゆく。エンゲルスが分担した『聖家族』の第一章から第三章までにおいては、概略以下の諸点が批判されている。
 第一に、「批判」は「大衆」のために書くという主張の許に、「言葉」の内容を捨て去り、「実践」から懸け離れていること。
 第二に、「批判」は、「その対象に対して自由な態度をとる」ことによって、「現実の歴史」からも懸け離れていること。
 第三に、こうしたことは単なる偶然ではなく、「批判」の「原理」そのものの必然的結果であること。
 こうした脈絡の中で、マルクスが担当する第四章では、「認識の静止」としての「批判」にとって、「対象」はもはや「外的客体」ではなくなっていることが、「批判」が翻訳・解釈するプル−ドンと実際のプル−ドンとの比較・検討の中で明らかにされてゆく。この『聖家族』に置いて、マルクスがプル−ドンを取り上げる理由は二つある。
 先ず第一に、「批判」自身がプル−ドンの『所有とは何か』を取り上げ、批判していることである。しかし、この理由は消極的であり、これだけでは、何故マルクスが「批判」のプル−ドン論に多くの頁を割いているかは、説明できない。
 第二の、本当の理由は、「批判」が『所有とは何か』の「特徴的性格」とその革命的意義を理解できず、プル−ドンを不当に評価しているからである。マルクスによれば、『所有とは何か?』は「私的所有の本質の問題を経済学と法学の死活問題として取り上げることを期」[7]したものであり、「経済学を革命し、真の経済科学をはじめて可能にした」[8]著作である。要するに、『聖家族』のマルクスは、プル−ドンが私的所有批判を経済学批判の形で展開したことを高く評価し、「批判」の不当な批判からプル−ドンを擁護しているのである。
 しかしながら、この高いプル−ドン評価から、当時のマルクスがプル−ドンと全く同一の見解を有していたとか、「戦術的動機」から同調しただけ、と結論するのは早計であろう。何故なら、マルクスは同時に、このプル−ドンの経済学批判が極めて不十分なものであることを、繰り返し記しているからである。例えば、こうである。
 「いかなる科学の最初の批判も、それがたたかっている科学の諸前提に、ど うしてもとらわれるように、プル−ドンの著作『所有とは何か?』も、経済 学の立場からする経済 学の批判である。[9]」
 明らかに、マルクスとプル−ドンの間には私的所有批判と経済学批判の関係をめぐる「同一性」と「差違性」が存在する。換言すれば、マルクスはプル−ドンを「批判」しているのであり、最初の「経済学批判」としての意義と同時に、それが「経済学の立場からの経済学批判」でしかないことの限界、の両面で把握しているのである。
 この批判を、両面を把握すること、これが『聖家族』の経済学的意義を論定することに他ならない。そこで以下において、この両面理解を軸にして、マルクスよるプル−ドン批判の内実を明らかにしていこう。

 2. 経済学批判としての『所有とは何か』の意義

  a. 『所有とは何か』の経済学批判
 先ず第一に、マルクスの高いプル−ドン評価の側面から見ておこう。
 マルクスのプル−ドン評価は、何よりも先ず、プル−ドンが私的所有批判を経済学批判として行った点にある。今この点を、『所有とは何か』に即して考察してみよう。
 プル−ドンにとっての主たる関心は、「政府および諸制度の原理である所有を論じる」点にある。ここでの所有権とは、「不労収得権」であり、他人「排除の能力」であり、「侵害の能力」である。
 この所有権を基礎付ける試みには、「自然権」によるものと、「労働」によるものの二種類しかない。前者は更に、「先占」と「民法」に、後者は「専有ないし占有」、「人々の同意」および「時効」に分かれる。 勿論、プル−ドンはこれらのどの議論にも賛成できない。そこで彼は、第二章で「自然権」論を、続く第三章で「労働」論を批判してゆく。
 しかしながら、「法の立場から法を批判した本書の法学の部分については、我々はここで詳しく立ち入るにはおよばない。経済学の批判が主たる関心事なのだから」[10]というマルクスの言葉に従って、我々もまたプル−ドンの経済学批判に集中することにしよう。
 『所有とは何か』第三章、「第一節 土地は専有されない」においてプル−ドンは、「専有ないし占有による所有の形成」論としてセ−とコントの主張を取り上げ、批判している。彼によれば、セ−の主張は「ひどく曖昧な解答」でしかなく、結局「土地のように、限定された、移ろいやすくない物が、水や光よりも横領の手掛りを多く提供し、空気よりも所有権がはるかに行使されやすい」というものでしかない、という。そこで、以下のように批判する。
 「セ−は可能性と権利をとりちがえているのである。[11]」
 他方プル−ドンは、コントの論拠を「土地は有限である........から、土地は専有されざるをえない」と要約し、逆に有限であるからこそ「土地は専有物であるべきではないと」主張すべきである、と批判する。コントの議論は、国民全体がその国土の「所有者」であると最初から前提し、そこから「所有権」を説明しているに過ぎず、「論点窃取の虚偽(petitio principii )に陥っている」と批判している。
 第二節では、「人々の同意」、「普遍的同意」とは「平等」であり、これらの同意が、それ自体不平等である「所有権」を基礎付け得ないことが立証される。
 続く第三節以降が、『聖家族』研究にとって極めて重要な箇所である。この三節でのプル−ドンの「時効論」批判の論拠は、二つある。
 先ず第一に、「各人が時効によって消滅しえない権利のあることを知っている」こと。時効は、一定の諸条件を前提にして始めて可能だということ。
 第二に、「不動産の占有権が、人類の最も不幸な時代にも決してすべてが失効することのなかった普遍的権利の一部である」こと。
 これら二つの論拠から、プル−ドンは次のように結論する。
 「グロテイウスが述べているように、時はそれだけではなんら有効な力をも  たない........万事は時の中で到来する。だが、何事も時によってなされな   い。」
 「先占」も「労働」も「不労収得権」としての「所有権」を説明することはできない。これがプル−ドンの結論である。
 「占有を所有に変えるには、労働以外のものが必要であり、それがないと、人は労働者でなくなるや否や、所有者でなくなる。[12]」
 そこでプル−ドンは、第四節では更に立ち入って「労働」論を批判し、所有の基礎を価値の問題にもとめていく。「間違った計算」論が、それである。しかし、この点についての詳細は次節に譲ろう。ここでは、プル−ドンが私的所有批判を法学批判から経済学批判へと進めたことを確認するだけにして、マルクスのプル−ドン評価を一層具体的に考察することにしよう。マルクスは、以下のように記している。
 「いまやプル−ドンは経済学の基礎に、即ち、私的所有に批判的検討を、し かも最初の 決定的で遠慮のない、と同時に、科学的な検討をくわえる。こ れは彼がなしとげた偉大な科学的進歩であり、経済学を革命し、真に科学的 な経済学をはじめて可能にする進歩である。[13]」
 この引用文から明らかなように、プル−ドンに対するマルクスの高い評価は、プル−ドンが経済学の基礎である「私的所有そのもの」を批判的に検討した点に与えられている。 マルクスによれば、プル−ドン以前の経済学者達は、基本的に私的所有を「人間的」で「合理的」な諸関係として把握しているために、ある矛盾に気づいたとしても「私的所有そのもの」の「矛盾」として把握されることはなく、「ある特殊な形態の私的所有」をこの「合理的な」諸関係の偽造者として攻撃するだけで終わっている。経済学者達の間の論争がそれだ、というのである。長くなるが、煩をいとわず引用してみよう。
「(1) 私的所有の関係を、人間的・合理的な関係として受けいれる経済学は、その基本的前提である私的所有に対して、不断の矛盾のうちに運動している。(2) それは、宗教的表象を絶えず人間的に解釈し、まさにそれによって、その基本前提たる宗教の超人間性に対して絶えず神学者が陥っているのと同じような矛盾である。(3) たとえば経済学では、賃金は、はじめのうちは、生産物のうちの労働に相応する比例的分け前として現れる。賃金と資本利得は、もっとも親密な、相互に助け合う、見た所もっとも人間的な関係(=比例)をたもっている。/後になって、これらのものが、相互に、もっとも敵対的な 関係にあり、反比例していることが分かる。(4) 価値は、はじめは、そのものの生産費と社会的効用によって、見た所合理的に決定される。/後になって、価値は純偶然的な規定であって、生産費に対しても、社会的効用に対しても、まったく比例しなくてもよい ことが分かる。........(5) 商業についても、その他の経済諸関係についても同様である。(6) 経済学者自身も、時折これらの矛盾に気づき、矛盾の発展は彼ら相互間の論争の主たる内容となっている。しかしながら、これらの矛盾が経済学者の意識にのぼってくると彼ら自身はなにかある部分的な姿態の私的所有を合理的な諸関係の偽造者として捉える。即ち、それ自身としては、つまり彼らの観念では、合理的な賃金、それ自身としては合理的な価値、それ自身としては合理的な商業を、ある部分的姿態の私的所有が偽造したと捉えるのである。(7) このようにスミスは時折資本家に対して、トラシは両替商に対して、シスモンデイ は工場制度に対して、リカ−ドオは土地所有にたいして、ほとんど全ての近代の経済学者は非工業的資本家に対して論争する。[14]」(番号は大石によるもの。以下同様。)
 要するに、経済学者達が自己の前提である「私的所有そのもの」を疑うことなく、「人間的・合理的な関係」として前提しているために((1))、私的所有が生み出した諸矛盾((3)、(4)、(5))を私的所有そのものの矛盾として把握することができず、別の姿態の私的所有によって撹乱されているとしか把握できない((6)、(7))でいるのである。
 プル−ドンの『所有とは何か』がなしとげた「進歩」とは、この経済学者の「無意識性」をきっぱりと捨て去り、「私的所有そのもの」を否定した点にこそ存在する。マルクスは、続けて次のように記している。
「いまやプル−ドンがこの無意識性に、きっぱりと結末をつけた。彼は経済的諸関係の人間的外見をまじめにとりあげ、これをその非人間的現実性[Wirklichkeit]にはっきりと対置した。........それ故彼は他の経済学者のようにあれこれの種類の私的所有を部 分的にとりあげるのではなく、首尾一貫して私的所有そのものを全体的に、経済諸関係の偽造者として示している。[15]」
 経済学は、「富」から出発して、私的所有の弁護論になっている。これに対してプル−ドンは、私的所有の運動によって生み出された「貧困」−「私的所有の矛盾に満ちた本質が、もっとも目立った........形で現れている事実」−から出発して、私的所有の否定論に到達する。プル−ドンは、単に貧困という事実から出発しているだけではない。彼は、富と貧困の間の内的・本質的関係を認め、資本の運動が如何に貧困を生み出すかを詳細に立証している。これに対して、こうしたことすべてを、「批判」は全く理解・評価できないでいる、とマルクスはいう。
 マルクスはこのプル−ドンの主張を敷延し、「資本」が矛盾関係であり、「解消されつつある私的所有」であること示している。私的所有の発展の頂点である資本、こうした意味での資本を積極的に止揚することによって始めて、私的所有そのものを止揚し得ることを展開している。この点は、『草稿』においても同一の見解が見出せる[16] 。
 以上要するに、プル−ドンこそは、私的所有そのものの最初の批判者であり、経済学を革命し、科学的経済学への道を開いた功績者である、ということである。

  b. 経済学批判としての『所有とは何か』の限界
 では次ぎに、プル−ドンの経済学批判の限界について考察してみよう。それは、「経済学の立場からの経済学批判」、あるいは「歴史的に是認された彼の立場」ということの意味を解明することに他ならない。先ず最初に、プル−ドンの方法について考察しておこう。
プル−ドンは「第一章 方法」において、「どうして社会にはこんなに苦しみや貧困が多いのか」と自問した後で、その原因を人間が「正義」を誤って理解していることに求めている。
「かくも神聖な、正義、公正、自由という言葉の意味を理解しなかったこと、このそれぞれについての我々の観念は曖昧であったこと、最後にこの無知こそは我々を貧りつくす貧困と人類を苦しめるすべての禍の唯一の原因であることをまず認めなければならない。[17]」 
 ここにプル−ドンの方法の特徴と欠陥が、一言で語り出されている。「正義」「自由」「価値」を正しく理解し、換言すれば、これらの概念を正しく規定して、それを現実に「適用」すれば「正義」を実現できる、というのである。例えば、次のように記している。
「従って、もし正義および法について抱く観念の規定が正確でなく、不完全であり、誤ってさえいるならば、その立法への我々のあらゆる適用が不正であり、我々の制度に欠陥が有り、我々の政治は誤っているであろう。従って、無秩序と社会悪が存在するであろう。[18]」
 確かに、政治や法律の場合、人間が社会に働きかける側面が強い。しかし、経済学的諸範疇については、事情は異なる。経済的諸関係の実態を理論的に反映したものが経済学的諸範疇に他ならない。その逆は成り立たない。この点をマルクスは、プル−ドンが「経済的諸関係をして観念されているとうりに現実性においても存在させようとする、あるいはむしろ、経済的諸関係に対して自己自身に関する観念を放棄し、自己の非人間的内実を承認させようする」と批判している。
 経済学的諸範疇を経済的諸関係の科学的反映として把握するマルクスにとって、プル−ドンは経済的諸関係を人間的にするために経済学的諸範疇に「当為」を持ち込んでいるに過ぎないのである。あるいは、プル−ドンは経済学的諸範疇を人間的に解釈することで経済的諸関係そのものを人間的に変えようとしているに過ぎないのである。
「プル−ドンが、例えば賃金、商業、価値、価格、貨幣等のような私的所有の詳細な姿 態を[weiteren Gestaltungen]、例えば『独仏年誌』において行われたように(エンゲルスの『国民経済学批判大綱』を見よ)正に私的所有の諸姿態として把握する[19] のではなく、これらの経済学的諸前提について経済学者と争っているのは、上述した歴史的に是認された(最初の批判という........大石)彼の立場に完全に照応している。[20]」
 ここには、プル−ドンとマルクスの経済学的諸範疇把握の差違が明白となっている。諸範疇に「当為」を持ち込むプル−ドン。これに対して、諸範疇を私的所有の具体的、規定された諸姿態として把握するマルクス。『草稿』においては、「私的所有」[21] と「疎外された労働」の両概念から一切の経済学的諸範疇を展開するという構想まで示されている。
 ここでマルクスのプル−ドン批判を、プル−ドンの「平等な占有」論に即して一層具体的に考察してみよう。
 先ず第一に、フランス語の(プル−ドンの)「平等」とドイツ語の(バウア−の)「自己意識」が同一内容であるという点について、マルクスは次のように記している。
「もしエドガ−氏が、フランス語の平等をドイツ語の自己意識とほんの暫くの間でも比べてみるならば、彼は後者の原理とは、前者がフランス語で、即ち、政治と直感的思考の言葉で表わしているところを、ドイツ語で、即ち、抽象的思考の言葉で表わしていることが分かるであろう。[22]」
 ではその同一の内容とは、何であろうか。それは、「人間と人間の社会的 (gesellschaftlich)あるいは人間的(menschlich)関係」に他ならない。
「(1) 自己意識とは、人間が純粋思考において、自己自身と平等なことである。(2) 平等とは、実践の領域における人間の自己自身についての意識、即ち、人間が他の人間を自己と平等なものとして意識することであり、人間が他の人間に自己に平等なものとして関係することである。[23]」
 しかしながら、プル−ドンの「平等」とバウア−の「自己意識」は、マルクスが『草稿』[第三草稿]や「ミル評注」において規定した「人間的所有」や「社会的人間」概念[24]の未だ疎外された表現でしかない。今、この点について考察してみよう。
「平等とは、人間が本質的に一であることを、人間の類意識と類関係 (Gattungsverhalten)を、人間と人間との実践的同一性を、それ故にまた、人間と人間との社会的あるいは人間的関係を表わすフランス的表現である。[25]」
 要するに、「人間と人間との実践的同一性」あるいは「人間と人間との社会的関係」を表現しようとしている点では、ドイツ語の「自己意識」もフランス語の「平等」も同じである。しかし、それと同時に、両表現においては、その内容が「政治と直感的思考」の言葉あるいは「抽象的思考」の言葉で把握されている点で不十分なのである。
「プル−ドンはこの思想(自己疎外の止揚........大石)を、それにふさわしく完成させることができなかったのである。『平等な占有』という観念は、人間にとっての存在としての、即ち、人間の対象的存在としての対象は、同時に他の人間に対して人間が存在することであり、他の人間に対する人間の人間的関係であり、人間の人間に対する社会的関係である、ということの経済学的な、従って、なおまだ疎外された表現である。プル−ドンは経済学的疎外の内部で経済学的疎外を止揚するのである。[26]」(下線と傍点は大石。)
 今や、プル−ドンの経済学批判の欠陥は明らかであろう。
 『草稿』においてマルクスが展開していたように、経済的疎外は存在と意識の両面に関係するのであり、その意味で「全面的」である。従って、その止揚もまた「全面的」である。この経済的疎外を現実に止揚するためには、経済的疎外そのものを現実に止揚しなければならない。プル−ドンのような概念の再規定では、「意識」面の変革にはなりえても、肝心な「存在」面での疎外を現実に止揚することにはならないのである。
 人間と自然の関係および人間と人間との関係を、実際的に「人間的、社会的」にしなければならないのである。その際の基準は、「自己実現」ないし「本質力の発揮」が行われているか否かである。ところが、プル−ドンの「平等な占有」は「占有の経済学的形式のもとにとらえられている」のであり、経済的諸関係を現状維持したままで分配を強制的に平等にする試みでしかない。そこでは以然として、「排除」が問題なのである。    
 では次に、「経済学批判」が如何に価値論批判に収斂していくか、更にまた「経済学批判」におけるマルクスとプル−ドンとの「差違性」が両者の価値論において如何に現れてくるか、を考察してみよう。


C. 経済学批判から古典派労働価値説批判へ
     
 1. 価値論批判としての『所有とは何か?』の意義

  a. プル−ドンの「絶対価値」論
 労働者は、何故自己の生産物に対して「所有権」を持てないのか、これこそがプル−ドンの課題である。この課題に対する二つの試論、即ち「先占」論と「労働」論を検討したプル−ドンは、その何れも「所有権」を基礎付け得ないことを論証した。そのプル−ドンが最終的に到達したのが、「間違った計算」論である。今、この過程を簡単に考察してみよう。
 仮に、「労働が物に対する所有権を与える」という「労働」論者の主張を認めたとしても、労働者はその生産物に新しい価値を「創出」ないし「附加」し続けているのだから、その生産物に対する権利を獲得することになるはずである。
 ところが、「所有権は労働の娘である!」と主張する「労働」論者の誰一人として、こうしたことは勿論認めない。彼らは一様に、「彼ら(労働者........大石)がそれに附加する価値は、与えられる食物により、日々の代価によって支払われている。附加価値は資本家の所有になる」、と主張する。
 こうした主張に対して、プル−ドンは概略以下のように反論する。生産は、常に社会的であり、労働者の協同によるものである。そこでは、労働者個人個人の力の他に、労働者の「集合的な力」が作用している。従って、資本家が個々の労働者に賃金を支払ったとしても、その「集合的な力」に対しては、支払っていないのである。本来労働者に属すべき、この「集合的所有権」を資本家は盗奪しているのである、と。正しく、「Divide et impera.(汝[敵]を分割せよ、而して統御せよ)」である。 こうして、プル−ドンが解明すべき真の問題は、賃金論であり、価値論である、ということになる。
「こうしたことはすべて賃金および生産物の分配の理論に関係があり、またこの問題はまだ十分に明確にされていないので、私はこれを力説する許しを求めたい。[27]」
 その際、彼の特徴の一つは、労働者は自己の「集合的な力」に対して無知であり、資本家はこの無知に付け込んで、「詐欺」を働くと、つまりこの「集合的な力」をだまし取ると、考えることであろう。
「賃金は,労働者の日々の生計と回復とに要する費用である。あなた(資本家........大石)がそれを売価と見るのは誤りだ。労働者は何一つ売らなかった。彼は自分の権利も、あなたになした譲渡の範囲も、あなたが彼と結んだと主張する契約の意味も知っていない。彼の方ではまったくの無知、あなたの方では、........錯誤と不意打ち。[28]」
 従って、その対策も「人々が彼らの契約の意味を知るように、自由を人々に返し、彼らの知性を啓発」することによって、この「無知」に基づく「間違った計算」をなくし、平等を実現する、ということになる。このようにプル−ドンは、所有権の基礎を「賃金」問題に求めていく。
 ところで、「賃金」は、「労働力」商品の価格である。それ故結局の所、所有権の基礎は商品の「価値」規定の問題に収斂していくことになる。従って、プル−ドンにとっては、商品の「絶対的で不動な、従って、正当かつ真実の価値」を発見することが、決定的に重要な意味を持つことになる。
「我々は、この大変な問題を解決することができるならば、人類が六千年来探求している社会体制を開く鍵を持つことになるであろう。[29]」
 勿論、商品の価値規定については、経済学者間で論争があり、その意味では混乱している。しかし、とプル−ドンは言う、「読み書きのできない農民はためらわずにこう考える、同じ時間に同じ費用で作れるだけの釘だと[30]」。
 そこでこの「絶対価値」を、彼は次のように規定する。即ち、「ある物の絶対的な価値は、その物にかかる時間と費用」ないし、「生産物に要する時間と費用の合計」[31]に他ならない、と。
 佐藤氏が指摘されているように、この絶対価値は、「協同という社会的条件のもとでの平等な関係を前提とした、そのかぎりで絶対的大きさをもったもの、つまりそれは平等な社会関係によって決められた絶対的大きさを持った[平等な]価値」[32]である。それ故、以下のように定式化できよう。即ち、

 絶対価値=「協同としての生産にかかる時間と費用」
     =「労働者個人個人の力」+「集団的な力」=「賃金」+「利潤」
 あるいはまた、次のようにも定式化できよう。即ち、
 利潤=「集団的な力」
   =「協同としての生産にかかる時間と費用」−「労働者個人個人の力」
   =「絶対価値」−「賃金」

 賃金は、資本家が実際に費やした費用である。従って、プル−ドンにおいて利潤は、資本家が「労働者に生産物を、それがその生産に費やしたよりも高く売る」ことによってえられる、とも規定され得る。
 ただし、「高く売る」といっても、既に見てきたように、それは単なる流通面での「譲渡利潤説」ではない。それは「生産[労働と生産物の交換]における所有の横奪」[33] 論であり、生産過程における「集合的な力」の搾取論なのである。
 このプル−ドンの「絶対価値」規定そのものは、直接には、スミスでもリカ−ドオでもなく、マカロックの価値論から彼が摂取したもののようである[34] 。マカロックは、価値を「直接的労働」と「間接的労働」で規定した。このマカロックの「直接的労働」=プル−ドンの「時間」、マカロックの「間接的労働」=プル−ドンの「出費」という対応が見られる。
 勿論、マカロック自身はスミス−リカ−ドオの系列下にある。それ故、プル−ドンが直接スミスから学ばなかったとしても、プル−ドンの価値論が結果的に、スミス価値論の中の「投下労働価値説」と、つまり「初期未開の社会状態」における価値規定と同様なものになっていることに注目する必要があろう。この点は、後に意味を持ってくる。
 ただ、プル−ドンには経済学的諸範疇の批判がない。彼にとって経済学的諸範疇は、何ら現実の経済的諸関係の理論的反映ではない。彼は古典派の経済学的諸範疇をそのまま継承しながら、それを当為的に解釈しているに過ぎないのである。このプル−ドンの欠陥は、プル−ドンの方法そのものから必然的に生じるものなのである。
 この点は、当時のマルクスが既に経済学的諸範疇の発生的叙述を構想したり、スミスの「富は力である」という規定をいちはやく「資本」規定であると看破している[35] のに比べて対照的である。次に、このプル−ドン価値論をめぐる「批判」とマルクスの論争について考察してみよう。

  b. 「批判的批判」のプル−ドン価値論批判
 本節で考察したきたプル−ドン価値論を、「批判」は次のように批判する。
即ち、「時効」論批判において「時間」は何も変えないとしたプル−ドンが、「労働時間」を持って経済学的「価値」の規定とするのは首尾一貫しない、と。

  c. マルクスのプル−ドン価値論評価
 こうした「批判的批判」によるプル−ドン批判に対するマルクスの見解は、こうである。
 先ず、全体的評価として、「批判」が経済学を全く理解せず、「真に批判的なやり方で恥をさらしている、と。
 「時効」論との関係では、「批判」は「空虚な時間」と「充実した労働時間」とを同一視しているのであり、プル−ドンの方が正当であり、経済学史の中でも正統である、と。 そこでマルクスは、プル−ドンの価値論が如何に経済学史上正統であるかを、経済学に無知な「批判」に対して立証しようとする。長くなるが、ここが『聖家族』評価の分岐点なので、全文引用する。
「(1) あるものの生産に費やされる労働時間が、そのものの生産費のうちにはいること、ものの生産費とは、それに費やされるところ、つまり、競争の影響を度外視すれば、それで売られるところのものであるということ、この洞察はさすがの批判的批判にもわからないはずがない。(2) 経済学者の間では労働時間と労働の原料のほかに、生産費のうちにはいるとされるものに、なお土地所有者の地代、ならびに資本家の利子と利得がある。(3) 後者はプル−ドンには落ちている。何故なら、彼の場合、私的所有が落ちているからである。だから後に残るのは時間と出費だけである。(4) プル−ドンは、人間的活動の、活動としての直接的定在である労働時間を、労働賃金と生産物の価値決定との尺度とすることにより、古い経済学では資本と土地所有の物的な力が決定的であったのに対して、人間的側面を決定者とした。/つまりプル−ドンはやはり経済学的な、従って矛盾にみちたしかたで、人間を復権させたのである。(5) 彼が経済学の立場から如何に正しく行動しているかは、新経済学の創設者であるA.スミスがその著書『国富論』の開巻第一ペ−ジで、私的所有の発明以前には、従って私的所有の批存在という条件のもとで、労働時間が労働賃金と、それとはまだ区別されない労働生産物の価値との、尺度であったと論じていることからも推察できる。[36]」 
 この引用分全体の趣旨を掴むことから始めよう。脈絡から考えて、この一節全体は、労働時間による価値規定は、決して経済学史上特異ではないこと、それ故「批判」のプル−ドン価値論批判には全く根拠がないことを示すことを主眼としている。
 この一説に先行する叙述が、「もしプル−ドンが、時間は蚊を象にかえることができないとでもいったのなら、批判的批判もおなじく当然のこととして、プル−ドンは労働時間を労働賃金の尺度とすべきではないと推論してさしつかえがないわけだ」、となっていること。更に引用文中の(1) の最後で、「この洞察はさすがの批判的批判にもわからないはずがない」、となっていることからも明らかであろう。
 そこで次に、マルクスのプル−ドン価値論に対する評価を見てみよう。(3) においてマルクスは、プル−ドンの「絶対価値」が、地代と利潤を認めないこと、従って、ある意味では賃金のみからなることを明確にした後、(4)ではそれが人間を復権させる意図をもったものであるとはいえ、「矛盾にみちた」人間の復権でしかないこと、経済学的諸範疇の中に「当為」を持ち込んだものでしかないことを指摘し、このプル−ドンの価値論に賛成できないことを示している。
 とは言え、「批判」に対してはDにおいて、このプル−ドンの価値論が「私的所有を認めない」というプル−ドンの立場から見る限り、如何に正統であるかをスミスの例で示している。

 2. 価値論批判としての『所有とは何か?』の限界
 マルクス自身の価値論を知る上で重要な点は、マルクスがプル−ドンの価値論を生産物価値=労働賃金=労働時間と正確に把握した上で、しかもこれに賛成していない点である。そこで次ぎに問題になるのが、「経済学的な、従って矛盾にみちたしかたで、人間を復権させた」ということの意味である。その意味を確定するためには、先の引用文に続いている四つの段落を考察する必要があろう。そこでは、以下の四点が記されている。即ち、
 1) プル−ドンの前提を離れても、「生産に必要とされた時間」は「価値」の「本質的な一契機でなかったこと」はないこと、
2) 直接的に物質的な生産についても、更にまた精神的生産についても、「あるものを生産すべきか否かの決定、つまりそのものの価値についての決定は、実質的にはその生産に費やされる労働時間に依存している」こと、
 3) その根拠は、「社会が人間的に発達するための時間を持つか否かは、時間(生産に費やされる労働時間........大石)に依存している」という点にあること、
 4) プル−ドンの価値論は、労働時間が人間発達に対して持つこうした意義を、経済的諸関係の理論的反映でしかない経済学的諸範疇に、即ち賃金、賃労働に対して持たせようとしているに過ぎないこと、
の四点である。 今や、マルクスのプル−ドン価値論評価の全体に迫ることができよう。次の一節がそれである。
「(1)経済学的立場における経済学の批判(プル−ドン........大石)は、人間的活動の一切の本質的規定を認めるが、(2)疎外され、外在化された形式において認めるに過ぎない。(3)この批判は、例えば、時間が人間的労働に対して持つ意義を、Cここでは労働賃金、賃労働に対して持つ意義にかえるのである。[37]」
見られるように、(1)と(3)では、プル−ドン価値論の積極面が、(2)と(4)では、その限界が指摘されている。プルードン価値論の積極面とは、人間が人間的に発達するためには、そのための時間が確保されなければならず、その時間確保のためには、労働時間に関心を持たざるをえないこと。その意味で、労働時間は人間的意味を有すること、このことをプル−ドンが掴んでいることである。その限界とは、彼が現実の経済的諸関係を変革することなく、即ち、「賃労働」を止揚することなく、賃労働に「適用」することで「平等」(「人間的」関係)を実現し得ると考えていることである。
 当時のマルクス価値論、特にその「生産費」概念について詳しくは前稿[38] を参照していただくとして、ここではただその結論だけを記すと、彼は、価値法則を「労働の社会的配分」という超歴史的ないし歴史貫通的ことがらの、歴史的ないし商品生産に特有の現象形態として把握している。
 ところがプル−ドンは、この労働時間の持つ人間的意味を、「賃金」の正しい規定として当為的に解釈し、経済的諸関係に手を触れないまま「平等」を実現しようとしているのであり、「経済学的諸前提について経済学者と争っている」に過ぎないのである。
 「例えば賃金、商業、価値、価格、貨幣といった私的所有の詳細の姿態を、正に私的所有の諸姿態として把握」し、「私的所有」と「疎外された労働」から発生的に叙述すること、これがマルクスの立場なのである。マルクスによれば、「賃労働」即ち「疎外された労働」を現実に止揚し、労働を人間化することなしに、「人間と人間との社会的・人間的関係」は実現し得ない。というよりは、むしろ、「賃労働」、「疎外された労働」の止揚っこそが、「社会的・人間的関係」そのものなのである。
 最後に、服部氏の見解にも触れておこう。
 服部説によれば、ここでマルクスは「労働時間が、『そのものの生産費の中に入る........と述べているのであって、労働が対象化されて価値になるのではな」[39] い。従って、当時のマルクスは未だ労働価値説を受容していない、と。
 マルクス自身「序文」で記しているように、『聖家族』の「叙述は、いうまでもなく、その対象によって制約されている」のである。そのことを考慮に入れなければ、当時のマルクスを不当に過小評価することになろう。「中に入る」という表現も、全体の脈絡の中で考察すれば、単に「批判」のプル−ドン批判およびプル−ドンと古典派の価値論を対比するためのものでしかない、と思われる。


【補論:『ドイツ・イデオロギ−』と労働価値説】
 所謂「唯物史観」の成立によって、マルクスが労働価値説を「受容」するようになったと主張するE・マンデルは、『ドイツ・イデオロギ−』にその証拠を見出す(『カ−ル・マルクス』河出書房新社、1971年、59-61 頁参照)。しかし、そこでの叙述は、「価格」と「生産費」の関係であり、『ドイツ・イデオロギ−』以前の諸文献の叙述と何ら変わらない。むしろ、「ミル評注」においては、「価格」から区別された「価値」概念が見出せる。

D. おわりに 

 本稿での考察を、まとめてみよう。
 「労働は富の源泉である」と、スミスはいう。ところが、労働の直接的担い手たる労働者は、「貧困」に喘いでいる。スミス経済学が科学的で、現実を忠実に反映するすればするほど、先の根本原理と矛盾してゆかざるを得ない。
 プル−ドンは、この古典派経済学のシニシズムに立ち向かい、「富」と「貧困」の運動を研究し、私的所有そのものを否定する見地に到達した。彼は、私的所有批判を経済学批判として展開し、科学的経済学への道を開いたのである。
 更に彼は、その経済学批判を賃金論に、従って、価値論に収斂させていったのである。彼は所有権の基礎を、資本家が労働者の無知につけこんでその「集合的な力」を詐欺、横奪していることに求め、労働者を啓蒙し、「賃金」の正しい規定を教えることで「平等」を実現しようとした。そこで彼は、「賃金」に当為を持ち込み、労働時間=賃金=生産物価値という価値論を展開したのである。
 このことは、マルクスから見ると、労働時間が人間的生産に対して持つ本質的意義を掴みながら、この労働時間の意義を賃労働に対して持たせるものでしかない。彼は、「その思想に、それにふさわしい仕上げを与えることに成功しなかった」[40]のである。
 一言でいえば、プル−ドンには、経済学的諸範疇の批判がないのである。諸範疇を経済的諸関係の理論的反映として把握し、その批判的叙述を通して、経済的諸関係そのものを批判的に叙述すること、この点でマルクスはプル−ドンを決定的に超えているのである。
 マルクスは「批判」からプル−ドンを擁護すると同時に、彼の思想にふさわしい仕上げを行う。それは、「疎外された労働」=「賃労働」の現実的止揚であり、人間的本質の発揮を通じての「人間的所有」論に他ならない。この問題を、労働価値説と私的所有批判の関連に置き直して言えば、こうであろう。
 古典派の労働価値説は、「労働が富の源泉である」、「資本もまた過去の蓄積された労働である」という二つの認識の上に成り立っていると思われる。しかしながら、それだけでは、労働価値説は私的所有批判には結付かない。これらの認識に加えて、「過去の労働」による「生きた労働」の支配を、即ち、労働が「疎外」されていることを認識する必要がある、と思われる。
 更にまた、価値法則が「労働の社会的配分」という歴史貫通的なことがらの、ある歴史的形態、つまり資本主義的商品生産に特有な形態に他ならないことを把握する必要がある、と思われる。この理解を前提した上で、この歴史的形態の成立・廃棄の必然性を問題にすることが始めて可能になるのである。
 確かに、価値論次元での私的所有批判は、ほんの「端緒」的なものでしかありえない。しかしながら、その「端緒」は同時にそれ以後の展開の「原理」でもある。その両方の意味で、「価値」概念は「始元」なのである。
 「価値概念の中に、資本の秘密が語られている。」(『経済学批判要綱』)


巻末注********************************

[1]. スミスにおいてすら、「資本家」の利潤と「雇われ経営者」の賃金とは、明確に区別されている。『国富論』第一篇第六章参照。


[2]. Pierre-JosephProudhon, Qu’st-ce-que la Propriete? ou Recherches sur le Principe du Droit et du Gouverement, 1840. 長谷川進訳「所有とは何か」『プルードン』(三一書房、1976年)、178訳頁。

[3]. 同上、143訳頁。

[4]. マルクスの「経済学批判」体系を「私的所有」の批判として把握することには、若干抵抗があるかも知れない。単なる「私的所有」ではなく、「資本」の批判である、と。 だが、その時の「資本」は、はたして「私的所有」の発展の頂点として把握されているであろうか。更にまた、マルクスの「経済学批判」体系が、この私的所有の発展の頂点たる「資本」を止揚することによって「私的所有」一般を止揚することを意図したものであることが、理解されているであろうか。この点について詳しくは、拙稿[18]、33−8頁を参照。


[5]. 服部[27]、251頁参照。


[6]. Karl Marx-FriedrichEngelsWerke, Band 1, Diez Verlag (Berlin, 1956) , SS.210-1.

[7]. MEW, Vol.2, S.34.

[8]. MEW, Bd. 2, S.33.

[9]. MEW, Bd. 2, S.32.

[10]. MEW, Bd. 2, SS.32.

[11]. プルードン前掲書、115訳頁。

[12]. プルードン前掲書、133訳頁。

[13]. MEW, Bd. 2, SS.32-3.

[14]. MEW, Bd. 2, SS. 33-4.

[15]. MEW, Bd. 2, S.34.

[16]. 『草稿』岩波文庫版、110-1頁。この点について詳しくは、拙稿[18]、33-8頁参照。


[17]. プルードン前掲書、43訳頁。

[18]. 同前、54訳頁。

[19]. 当時のマルクスが、経済学的諸範疇を経済的諸関係の「科学的反映」として把握していたことは、この一節以外にも沢山見出しうる。詳しくは、拙稿「『経済学・哲学草稿』における経済学批判」、175-9頁)を参照。


[20]. MEW, Bd. 2, S.33.

[21]. この場合の「私的所有」を正確に読み取った研究者は、少ない。拙稿「マルクスにおけるリカードウ批判の始元」、31-3頁を参照。


[22]. MEW, Bd. 2, S.40.

[23]. MEW, Bd. 2, SS.40-1

[24]. ここでの「社会的」(gesellshaftlich )や「人間的」(menshlich )は、『草稿』[第三草稿]および「ミル評注」でのそれと完全に一致している。詳しくは、拙稿[『経済学・哲学草稿』[第三草稿]について」、189-191 頁を参照。


[25]. MEW, Bd.2, S.41.

[26]. MEW, Bd.2, S.44 .

[27]. プルードン前掲書、137訳頁。

[28]. プルードン前掲書、133訳頁。

[29]. プルードン前掲書、160訳頁。

[30]. 同上。

[31]. 同上、161訳頁。

[32]. 佐藤『プルードン研究』、190頁参照。


[33]. 佐藤同上,201頁参照。


[34]. 佐藤同上,195−8頁参照。


[35]. この点については、拙稿「『経済学・哲学草稿』の論理構造(1)」、158頁と同頁の注10を参照。


[36]. MEW, Bd. 2, SS.51-2.

[37]. MEW, Bd.2, S.52.

[38]. 拙稿「エンゲルス『経済学批判大綱』とぱり時代のマルクス」、389ー397頁参照。このことは、言うまでもなく、『資本論』において「どんな状態のもとでも、人間は、−発達段階の相違するにつれて同じ程度にではなかったが、−生活手段の生産に要費する労働時間に関心を持たねばならなかった」と記し、土地の測量単位であるMorgenが「一日の労働を標準にして計算され」ていることを例として挙げている([04]S.86)こととも関連している。


[39]. 服部[27]、261頁。


[40]. MEW, Bd. 2, S.44.