『経済学・哲学草稿』における〔市民社会分析〕

拓殖大学政経学部 大石高久

はじめに

 『経済学・哲学草稿』(以下、特に断わりのないカッコ内頁数は岩波文庫版を示すことにする)は、マルクス自身「国民経済学への良心的な批判的研究」(12頁)の成果であると記されている様に、本質的に「経済学批判」の書である。従って、『経済学・哲学草稿』の白眉である「疎外された労働」概念も、単にヘーゲルやフォイエルバッハの批判的研究によって獲得されたものではない。この概念は、同時に経済学の批判的研究の成果であり、経済学的内容を有するものである。
 ところで、私見によれば、『経済学・哲学草稿』において生成しつつある「経済学批判」体系は、それが近代市民社会の、私的所有の発展の頂点である資本関係の解剖であることによって、同時に、ヘーゲルの国家論及びプルードン等の社会主義に対する批判ともなっている。『経済学・哲学草稿』においては、未だその体系が未熟であるが故に却って、「『哲学と経済学と社会主義』の、あるいは『思想と科学と実践』の『三位一体的統一』[1]」が、「その結合統一の原理……(と)……構造[2]」が他の如何なる著作よりも明らかである様に思われる。そこで我々は、「疎外された労働概念の経済学的内容及びこの概念が、以上の意味での「経済学批判」体系において占める意義を確定することが急務であると考える[3]。
 ただしこの課題に対して著者は、ラーピンによる執筆順序の推定[4]──〔第一草稿〕→『リカードウ・ミル評註』→〔第二・第三草稿〕──を採用しない(その理由は後述)。『経済学・哲学草稿』はその形式と内容の両面から見て、〔序文〕を持つところの、一つの独立した著作の原稿と看做されるべきものである。にも拘らず、『経済学・哲学草稿』全体の論理構造を問うことなく、断片化して扱って来た所に従来の研究の根本的欠陥が存在すると考えられるからである[5]。そこで著者は、先の課題を、
(1) 〔第一草稿〕前段の所謂「所得三源泉の対比的分析」(以下、本書では〔市民社会分析〕と略称する)
(2) 〔第一草稿〕後段の所謂〔疎外された労働〕及び〔第二草稿〕
(3) 〔第二草稿〕ヘの「付論」であるところの、所謂〔第三草稿〕
の各部分が『経済学・哲学草稿』において占める位置とその論理展開を考察することによって、つまり、『経済学・哲学草稿』の論理構造の開示を通して、果そうと考える。
 結論を先取りして言えば、「疎外された労働」概念は、土地所有に始まる私的所有諸関係の発展の頂点であるところの──この「発展の頂点」という言葉の特別な意味は後にも触れるが、最終的には、次章以後で明らかにされよう──資本─賃労働関係の分析から獲得された「私的所有の一般的本質」(105頁)であり、「資本の本質[6]」あるいは資本(関係)の「最も一般的・抽象的な規定[7]」と言ってもよい。そして、『経済学・哲学草稿』の構造は次の様に整理できよう。
〔表1〕

『経済学・哲学草稿』部分名   内容ないし論理次元
--------------------------------------------------------------------------------------------------------
〔第一草稿〕前段  近代市民社会の表象確定。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------
〔第一草稿〕後段  資本制的生産過程分析:労働としての私的所有の関係
          =私的所有の本質の摘出:資本としての私的所有の関係:
          及び両者相互の関係の一部。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
〔第三草稿〕    私的所有の本質からの、表象及び諸理論の意義と限界の概念的            把握等。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 本章は、〔第一草稿〕前段即ち〔市民社会分析〕が『経済学・哲学草稿』全体の中で占める位置及びそこでの論理展開を論定するものであって、特殊な、個別的問題を追求したものではない。しかしながら、次の二つの理由から、本章においては、資本把握と労働価値説の問題が中心的課題となるであろう。
^ 〔市民社会分析〕における論理自体が、資本利得の本質、源泉、量的規定を中心に展開されていること、
_ しかしながら、通説によれば、この当時のマルクスは古典派の労働価値説を拒否ないし否定していたとされており、その結果、『経済学・哲学草稿』における「経済学批判」も、未だ「価値論なき剰余価値論─資本蓄積論[8]」に過ぎないとされているからである。
 日本での『経済学・哲学草稿』研究においては、従来から「疎外された労働」概念の持つ経済学的性格が一貫して強調されて来た[9]のであるが、結局の所、『資本論』体系を支える思想ないし視角としてしか評価されてこなかったのは、この「労働価値説拒否」説が根底にあるからに他ならない(この点に関する研究史については、次章以降に予定している)。従って、本章においてこれらの問題を真正面から取り上げ、詳論するであろう。

第1章 〔市民社会分析〕の位置及び本章での考察順序

 1 ラーピン論文の功罪
 細見氏によって紹介されたラーピン論文[10]が〔市民社会分析〕の研究に波紋を投じたことは、周知の事実である。このラーピン論文は、フォトコピーを利用した文献考証によって、次の三点を主張した[11]。
^ 『経済学ノート』と『経済学・哲学草稿』の執筆順序が複雑な過程であったこと、
_ 〔第一草稿〕前段が「対比的分析」であること、
` エンゲルス論文[12]ヘのマルクスの取り組みが二度であったこと。
 ^に関して細見氏が自己の旧説を撤回し、ラーピン説を採ることを表明したことによって、ラーピン論文は一層確固たるものとして受容されたのであった。だが、今やラーピンの主張は改めて検討されるべき時期に来ているのではなかろうか。というのも、ラーピンの三つの主張は文献考証という面(これが最大の目玉商品であったが)から見ても、ただ〔市民社会分析〕に関してだけなされているに過ぎず、他の二点は、彼の主観的で且つ形式的な推定でしかないからである。更にまた、今やその文献考証ですら、山中、服部両氏の業績[13]によって一層厳密且つ包括的になされているからである。これら両氏の考証によって、ラーピン論文における純粋に文献学的な部分とそれとからめて提起されている彼の主張とは、今や区別しうるしまた区別しなければ却って障害物になるとさえ考えられるのである[14]。
 彼の論文が引き起こした〔市民社会分析〕の研究方法上の画期的意義は、決して忘れられてはならない。だが、階梯区分や内容把握へと進むや否や、彼の主張は全く形式的、一面的なものでしかなくなる。以下、二点に亙ってもう少し詳しく述べることにしよう。
 先ず第一に、ラーピンは『経済学・哲学草稿』が〔序文〕を持つ一つの原稿であることを無視し、『経済学・哲学草稿』各部分の位置及び論理を解明しない。各部分での論理展開は、むしろ「一つの思想群とその成熟度から次のそれへと──実際に移っていった……時間的順序[15]」に解消されてしまうのである。例えば、『経済学・哲学草稿』と『経済学ノート』の執筆順序については、ただ次の様な点を指摘するにとどまっている。つまり、『経済学・哲学草稿』各部分で出てくる経済学者名、抜粋の利用状況、「一般に第二・第三草稿でマルクスの示している経済学的水準が、第一草稿におけるよりも著しく高いこと[16]」等である。
 例えば、ケネー、サン・シモン、ヘーゲル、フォイエルバッハの名前もまた〔第一草稿〕では出てこない。だが、名前が出てこないということは、彼らの著作を未だ読んでいなかったということに直結しないし、彼らの著作が〔第一草稿〕の執筆に何の意義も持たなかったということでもない。そのことから直接言えることは、せいぜい読んでいなかった可能性があるということでしかない。それ以上のことは内容の分析[17]及び『経済学・哲学草稿』各部分の論理次元や位置の確定によって初めて言えることである。
 一体、リカードウの経済理論は〔第一草稿〕では如何なる役割も果たしていないのであろうか。〔第一草稿〕と〔第三草稿〕とは、〔市民社会分析〕と〔疎外された労働〕とは、一体同次元のものなのであろうか。ラーピン論文は、こうした点を何も明らかにしていないのみならず、『経済学・哲学草稿』を同一次元の「深化」に、即ち時間的発展に還元することによって、『経済学・哲学草稿』の論理構造解明への道を閉ざしている。
 ラーピンが〔市民社会分析〕と〔疎外された労働〕を同一次元のものとしていることは、彼が「労賃」欄での「二つの問い」(28頁)の解答を〔疎外された労働〕に見出している[18]ことからも明らかである。「疎外された労働」概念を如何に「偉大な精神の飛翔」と文学的に修辞しようとも、事態は何等変わらない。
 だが、マルクス白身は、これら両部分の次元の相違を明確に記している。即ち、マルクスは、〔疎外された労働〕の冒頭で、〔市民社会分析〕では「国民経済学そのもの」から「私的所有が現実の中で辿る物質的過程」(84頁)を確認すると同時に、経済学者はこの過程(=諸法則)が如何にして私的所有の本質から生じるかを概念的に把握しないことをも明らかにした、と述べている。従って、〔疎外された労働〕以降においては、特に貨幣制度との関連でこの概念的把握を行なう、と。
「従ってわれわれは、今や私的所有、所有欲、労働と資本と土地所有との分離、の間の本質的連関を、また交換と競争、価値と人間の価値低下[19]、独占と競争などの本質的連関を、更にこうした一切の疎外と貨幣制度との本質的連関を概念的に把握しなければならない。」(85-6頁)
 この記述から、〔市民社会分析〕について、次のことが判明する。
^ 〔市民社会分析〕は、マルクスの見解を積極的に展開した部分では全くないこと[20]。
_ そこでの目的は、経済学者達の最良の成果を通して、私的所有の諸法則を析出することにあったこと。
` そこで「結論がすでに先取りされた形になって──まだ経済理論的に十分科学的に基礎づけられていない[21]」のは、実は経済学者達自身の限界なのであって、マルクスは経済学者の言葉を通してこの彼らの限界をも明らかにしているに過ぎない。
 〔第一草稿〕前段即ち〔市民社会分析〕は、〔疎外された労働〕以降で概念的に把握される当のもの、即ち近代市民社会の表象を確定したものに他ならない。表象は概念にとっては、出発点でしかない。しかし、それと同時に、不可欠の出発点でもある。〔市民社会分析〕が『経済学・哲学草稿』全体に占める位置は、そのようなものなのである。
 第二に、ラーピン論文による〔市民社会分析〕の内容分析について述べておく。この点についてラーピン論文は、主として各欄での対応にばかり注目し、各欄内部の論理展開には非常に手薄である。彼が「対比的」分析と読んでいる理由は、正にこの点にあろう。
 例えば、地代の階級的本質に関する基本的結論を引き出した時点以後、「地代問題の叙述は利潤断片との直接の関連を失い、独自のプランにしたがって展開されていく[22]」とラーピンは述べている。しかし、彼の言う「独自のプラン」は何等説得的に論証されていない。執筆過程での時間的経過を直ちに研究の深化として捉えるラーピンは、〔市民社会分析〕から一切の計画性、統一性を奪い、単なる行き当りばったりのもの、単に「所得の三源泉の分析から始めることによって社会的政治的な諸問題の根元をつかむことができるだろうという、ナイーブな信念[23]」に基づくものにしてしまう。
 しかし、たとえノート頁が対応していなくとも、マルクスは近代市民社会の構造と運動について各欄で論じている。各欄の前半においては、各所得形態の本質、起源、量的規定、各々の階級と社会の利害関係を通じて、二大階級論を展開している(構造分析)。また各欄の後半においては、この資本─賃労働把握を基軸にして、土地所有→諸資本という私的所有の発達が疎外の完成であること、この諸資本の蓄積が独占の再興に他ならず、土地に適用される「連合(Assoziation)」による疎外の頂点での疎外の止揚を論じている(運動分析)。
 このことは逆に、〔市民社会分析〕に一定の確固としたプランが存在することを示しているのではなかろうか。各欄でのこの理路整然としたマルクスの展開を単に形式的に見るからこそ、各欄は「対比的」に展開されたものとして現われ、対応頁がズレた時には、あたかもその部分ではプランが変更したかの様に見えるのである。ラーピンが指摘した各欄での対応ないし平行性とは、このような形式に過ぎないと言っては言い過ぎであろうか。
 ともかく、〔市民社会分析〕において各欄は各々構造分析と運動分析に分かれており、しかも後者は前者を前提してのみ展開可能であったと考えられる。
 以上二点でラーピン論文の功罪について述べてきたが、要約すれば次の様になろう。ラーピン論文は、その文献考証によって〔市民社会分析〕を『経済学・哲学草稿』全体の中で位置づけるための基礎を提供した。しかし、ラーピン自身は、〔市民社会分析〕及び『経済学・哲学草稿』の他の諸部分の位置及び論理構造を分析する方向には進まず、単なる形式的分析に留まっているのみならず、安易にプラン変更、解答中断、「……を、決心した」、「……に、気がついた」と推測することによって、むしろ『経済学・哲学草稿』の論理構造への内在を放棄している。
 以上の反省の上に立って、著者は各欄での上述の論理展開を明確化するために、発表形式としては、〔表2〕の順序で各欄を一括して考察する(ただし研究過程においては、ラーピンの推定した執筆順序に基づいて内容を検討したことは言うまでもない)。

〔表2〕
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第一段階B17頁1行目〜28頁最終行@39頁1行目〜47頁3行目A62頁1行目〜72頁9行目
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第2段階D29頁1行目〜38頁最終行C47頁4行目〜61頁最終行E72頁10行目〜83頁最終                             行
------------------------------------------------------------------------------------------------------------
(頁、行は岩波文庫版による。丸数字は著者の考察順序。)

 ラーピンの第二・第三階梯にほぼ相当する箇所は、内容上連続している[24]ので一括すると、全体はその内容上、構造分析と運動分析に二分される[25]。本章では、内容的に各欄を二分し、二段階で考察を進める。
 各段階内部における順番は、マルクス白身の言葉で展開されている部分(BとE)よりも抜粋によって展開されている部分(@とA、CとD)を先行させる。〔市民社会分析〕の目的が、経済学者自身に語らしめることにある上に、内容的にもBは@Aを、EはCを前提していると考えられるからである(詳しくは行論で示される)。
 次に、@とA及びCとDの順序については、マルクスの原稿泄ナで@がAに、ヲ-ェ頁でCがDに先行して書かれていることに従ったものである。
 以上の内容上からの区分によれば、近代市民社会の構造分析は「労賃」欄最後の「二つの問い」(28頁)で総括され、運動分析がそれへの解答の位置を占めていることが判明するであろう。


第2章 市民社会の構造分析(第一段階)

 1、「資本利得」欄
  「(一) 資本」
 この欄即ち『経済学・哲学草稿』全体は、次の設問から始まっている。
 「資本、即ち他人の労働生産物に対する私的所有は、何に基づいているのか。」(39 頁)
 この設問に対して、マルクスはJ.B.セーを巧みに利用して、我々を法律の次元から経済学の次元へと導く。つまり、資本の元は盗みでも詐欺でもなく相続財産である。だが、相続財産者は何故、それを元手にして生産される生産物の所有者と成りうるのであろうか。実定法によってである。では、この実定法によって如何なる権能を獲得することによって、貨幣所有者は資本家となりうるのか。「物を買いとる力……他人のすべての労働に対する、……これらの労働の全生産物に対する支配力(command)」(スミス)である、と。こうしてマルクスは、資本を次の様に規定する。
「資本とは、労働及びその生産物に対する指揮命令権能(Regierungsgewalt)[26]である」(40頁)
 先のスミスからの引用文で、マルクスが「古典派と同じ用語にマルクス的意味をこめて[27]」commandを使っていることにまず注目すべきである。この「マルクス的意味」については、マルクス自身「後に(マルクス自身のつけた表題「三」で……大石)、……資本家が資本を媒介にして如何にして労働に対する指揮命令権能を行使するかを……見る」(40頁)と述べているので、当該箇所で詳しく考察することにして、ここではスミスの原文では「富」が主語であるのに対して、マルクスはそれを「資本」に置換している点のみを指摘しておこう[28]。
 ともかく、ここでマルクスはスミスに従って資本を労働に還元する。そして改めて設問する。蓄積された一定の労働である「資材が、資本と呼ばれるのはただ、その所有者に収入ないし利得をもたらす場合だけである」(スミス)。では、その利得の源泉は何か、と。

 「(二) 資本の利得」
 今やマルクスは、スミスの著作に土俵を移して、次の点を検討する。
^ 利得は資本の価値額に比例するものであって、指揮命令労動の報酬ではないということ。
_ 資本家が「利得と資本の間のこの比率」(41頁)を要求する根拠。
` 利潤率の平均、最低、最高等。
 この内の_について言えば、スミスの解答は、利潤が得られなければ資本家は「労働者を雇う」ことや「より大量の資本を使う」ことに何の興味も持たないであろうというものでしかない(この点はリカードウも同様である)。後に、「国民経済学は、自分が説明すべきものを予め仮定している」(85頁)と批判される様に、スミスは資本家が利潤を請求する経済学的権限(Title)を歴史的与件として前提しているのである。だが、マルクスはスミスからの引用を統け、利得の発生源に次の二つがあると結論する。
 「彼は二重に、即ち第一には分業から、第二には一般に人間労働が自然生産物について 成し遂げる進歩から利得をあげる。」(45頁)
 ここでは二種類の利得の源泉が明確に区別されている。それだけではない。当時のマルクスは、プルードンの「集合力」搾取論を知っていた[29]。にも拘らず、「分業から引き出す利得については後に見る」(45頁)として、当面の問題を後者に限定して生産過程へと進む[30]。先きに「指揮命令権能が如何に行使されるかを見る」と述べていた表題「三」がそれである。

 「(三) 労働に対する資本の支配(Herrschaft)[31]及び資本家の動機」
 ところがここでは、資本家が資本を投下する部門を決定するのはただ利潤の観点からであるという主旨のスミスからの引用文が三つ続くだけで、マルクス自身の見解の積極的展開は見られない。そこで、この表題の前半部分については何も語られなかったとする解釈も生じる[32]。
 だが、果たしてそうであろうか。引用文をよく見ると、単に資本家の動機だけを示すためだけには不要で、しかも標題前半部分にぴったりのものも存在するのである[33]。
「労働の最も重要な運用は、資本を使用する人々の計画と思惑とによって規制され、管理される。そして、これらすべての計画や運用において彼らが前提としている目的は利潤である(スミス)。」(46頁)
 資本家は利潤を得るために、労働の運用を規制し、管理する。逆に言えば──そしてこの方がここでの展開に即しているのだが──一般に、労働者を雇用し、その労働を生産過程で指揮命令することによって資本家は利潤を獲得できるというのである。分業による利益を度外視してもである。
 成る程、引用文だけでマルクスによる補足は一切存在しないのであるから、このスミスの言葉が「労働に対する資本の支配」の内容であることには、今一つ不明確な点が残される。しかしそのこと自体、経済学者に語らせる〔市民社会分析〕の、結局は国民経済学者自身が有する制約なのである。我々は後に、マルクス自身の言葉でハッキリと聞くであろう。事物の疎外、自己疎外、と。だが、少なくともこの段階でも、スミスとマルクスのcommand論の同一性と差違性とが、以前よりも明確化されたのを知る。
 スミスは、「富は〔経済的な〕力」(購買力)であるという──そのこと自体は、ホッブズの富は「〔政治的な〕力」に対する読み込みである──が、その力は流通表面での力に過ぎない。だからこそスミスは、支配労働価値説へ傾斜してゆかざるをえない。だがマルクスのcommand論は、言わば絶対的剰余価値の源泉を生産過程に、そこでの労働の指揮命令及び労働生産物の領有に求めるものである。正しく、実定法によって、人権(droits de l'homme)の行使そのものによって、貨幣所有者は資本家になるのである。
 このスミスとマルクスのcommand論の差違性は、従来注目されたことがなかった。そこで、両者の相違とその意義に注意を喚起するために、ここで後期の著作から二箇所引用しておこう。

 一、 スミスとマルクスのcommand論の相違について:
「資本が労働に対する指揮命令権能になるというのは、スミスが述べているような、富は一般に労働に対する支配力である、という意味ではない。労働者が労動者として資本家の指揮命令のもとに入る、という意味である。[34]」

 二、 マルクスcommand論の意義について:
「彼(スミス……大石)においては、資本は……本来的に賃労働の契機をそれ自身の中に対立的に含むものとしてではなく、………節約によって流通から生成するものとして現れる。従って資本は、本来それ自身で増殖するものではないことになる──何故なら、正に他人労働の領有ということが、資本概念自体の中に取り入れられていないからである。資本は、それが資本として前提された後に、後から………他人労働に対する支配力として現れるに過ぎない。[35]」
 スミスの資本規定(「蓄積され貯蔵された労働の一定量」=使用価値視点のみ)でも、セーのそれ(「価値の総額」=価値視点のみ)でも、あるいは両者の合成(使用価値視点十価値視点)でもないマルクス独自の資本規定(他人の「労働と労働生産物に対する指揮命令権能」)こそ、資本と賃労働の一体性を捉え、「資本を自己増殖する価値」として捉える当のものである。
 テキストに戻ると、利潤の観点のみで資本の投下部門が決定されることから、マルクスは更に、資本家の利害は社会の一般的利害と一致しないことを指摘する引用で、この欄の第一段階を終っている。

 2、 「地代」欄
 まず地代の源泉について、「地主の権利はその起源を略奪に発している」(セー)と述べ、スミスからの引用でその論拠を三つ上げる。
 次に、スミスにおける地代の大きさを決定する二契機(「土地の豊かさ」及び「位置」)を取り上げて、次の様に批判する。
「スミスのこれらの命題は重要である。何故ならそれらは、同じ生産費と同じ規模の場合には、地代を土地の豊かさの大小に還元しているからである。従って、土地の豊かさを土地所有者の特性に変えてしまうという国民経済学における概念の転倒が明白に証明されている。」(64-5頁)
 もしもスミスが主張する様に、──リカードウにおいても結局は同じことなのだが──土地の豊かさと地理的有利性それ自体から地代が生じるのであれば、地代は如何なる時代にも生じることになる。「利潤」がそうであった様に、この古典派経済学の「地代」範疇もまた近代市民社会の特殊歴史的性格を正しく反映しておらず、その意味で経済学的諸範疇は未だ完全には「私的所有の諸姿態[36]」として把握されてはいない。
 これに対してマルクスは、「地代は借地農(「資本家」と読むこと!……大石)と地主との間の闘争を通して確定される」(65頁)と主張することによって、「地代」が土地所有の近代市民社会的形態に他ならないことを明確にしている。地代は資本家(=借地農)が支払いうる最高の価格であり、「地代額の高低は価格の結果」(67頁)に過ぎない、と。
 「資本利得」欄で利潤の最高率が「地代の全部を食いつくしてしまい、……労賃を最低の価格まで……引き下げた時の率」(43頁)と規定されていたのに対応し、ここで地代を資本家の支払いうる最高の価格と規定することによって、「地代」は「資本利得」の一派生物であることが明らかにされる。つまり、マルクスは終始一貫分解価値説的見地を堅持し、地主が資本家にとっての寄生虫に過きず、市民社会が実は資本家と賃労働者の二大階級から成ることを示していく。第二段階の「地代」欄での「資本家と地主との間の区別の解消」(75頁)は、実はここでの構造分析で既に析出されているのであって、後に突然現われるのでも、ラーピンが推測するような、プランが変更されたのでもない。
 最後に、「地主が如何にして社会のあらゆる利益を収奪するか」(69頁)を四点列挙し、それを根拠として、スミスの「地主の利益は社会の利益に一致する」という見解を「ばかげたこと」(70頁)、「反対の関係」(71頁)であると批判し[37]、地主と社会──「借地農、農業、製造業労働者及び資本家」(72頁)──との利害の対立を五点に亙って論究しこの欄を終わっている。
 結局、この欄においてマルクスは、スミスの分解価値的見解の引用を通して、地代を資本利得の派生形態として叙述することによって示したことは、次の二点である。
^ 地代とは資本化された土地所有であり、
_ 地主は資本家(=借地農)に対する寄生者である。

 3、 「労賃」欄
 マルクスはスミス賃金論を要約する形で、「労賃は資本家と労働者との敵対的闘争を通して決定される」(17頁)と述べ、労賃の本質を、労働者の販売する商品の価格と捉える。正に「労賃は土地と資本とが労働者に引き渡す一つの控除」(27頁)に過ぎない。そしてこの労賃の本質からして、この関争における労働者の不利を確認する。他の二欄での展開を受けて、直ちに次の結論が得られる。
「もつぱら労働者にとってのみ、資本と土地所有と労働の分離は必然的で、本質的で、有害な分離なのである」(17頁)
 労賃の大きさについては、平均率イコール長期的最低率の立場[38]から「動物的生存にふさわしい労賃」(18頁)であることを指摘し、「一つの商品」(18頁)と化した労働者にとっては、自分を売れればまだましで、たとえ売れた場合でも諸商品の価格変動の第一の犠牲者たらざるをえないことを確認する。市場価格が自然価格に引きよせられるのは、何よりも先ず、この労働者の犠牲を通してなのである、と。
 次に、労働者が「単に自分の肉体的な生活手段を得るため……ばかりでなく、彼の活動を実現できる可能性を得るためにも……闘わねばならない」(20頁)ことを、「社会のありうる3つの主要状態」(20頁)で証明し、それが市民社会での常態であることを示す。
 紙数の関係上、ここではスミスの扱いと最も異なる第二状態──諸資本と諸収入が増大しつつある社会──のみを考察する。
^ 労働者にとって最も有利なこの状態においても、労働者の生産物はますます他人の手に移り、彼に対峙していくことでしかない。何枚なら、資本は蓄積された労働なのだから。資本の増大とは「労働者自身の労働が他人の所有物としてますます彼に対抗するようになること」(21頁)に他ならないからである。
_ 諸資本の急速な集積→工場内分業の高度化→一層の単調労働化であること。
` 諸資本の集積→(利潤率低下)→金利生活者の資本家化→競争激化→中産的資本家の労働者への転落であること。
 結局、この状態においてすら「労働者にとっての必然的な諸結果は、過重労働と早死、機械への転落、労働者に敵対して物騒に蓄積される資本への隷属、新しい競争、労働者の一部の餓死ないし乞食化」(23頁)であり[39]、この労働者の状態の根源は、生命活動即ち一般的富の可能性の譲渡そのものにある、と。
「労働者の没落と貧困化は、彼の労働の産物であり……窮乏、それはこうして今日の労働そのものの本質から生じるのだ。」(27頁)
 市民社会の三階級の中、ただ労働者階級のみが、市民社会の原理(=自己労働に基づく私的所有)の解体を体現し、人口の大部分占めている。従って、労働者階級以外に市民社会を止揚する主体は存在しない。
 では、この労働者階級は、『独仏年誌』で検出済みの「その階級の要求と権利が実は社会そのものの権利と要求である[40]」という主体的条件を具備しているのであろうか。彼らの理論的諸請求権(Ansprueche)と実際的諸請求権の対立が、そのことに答える(〔表3〕参照)。

〔表3〕
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理論的諸請求権              実際的諸請求権
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
(1)起源から見ても概念上から見ても、   現実においてほ、労働者の手に入る
労働の全生産物は労働者に属する。/   は生産物の中の最小部分
                    ……だけなのだ。(25頁)
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
(2)すべてのものは労働によって買われ    しかし──労働者は、すべてのものを
るのであり、資本は蓄積された労働に    買うことができるどころか、自分自身
他ならない。/              および自分の人間性を売らねばならな                       い。(25頁)
--------------------------------------------------------------------------------------------------------
(3)労働こそは、人間がそれを通じて     ところが一方……地主と資本家は、
自然生産物の価値を増大させる唯一の    地主と資本家という資格のおかげで、
ものであり、労働こそ人間の活動的な    まったく特権的で怠楕な神々なので
財産である。/              あり、如何なる場合でも労働者に優
                     越しており、労働者に法則(Gesetz)
                     を押しつける。(25−6頁)
----------------------------------------------------------------------------------------------------------

 この労動者階級の両請求権の対立が明らかにすることは、「労働者の利害は社会の利害に決して対立するものではないのに、社会は常に、且つ必然的に労働者に対立する」(26頁)ということである。従って、労働者階級は上記条件を具備していると言える。
 各欄第一段階の最後で、各階級の利害と社会の利害の関係が論じられているが、そのことでマルクスが示したいことは、『独仏年誌』での彼の課題から考えて[41]、次の様に言ってよかろう。
^ 資本家及び地主階級は、自己の生存条件を規定的法則(Gesetz)として押しつける能力を失いつつあること。
_ これに反して、労働者階級は「何か歴史的な権源ではなく、わずかになお人間的な権源のみを拠り所にし──社会の自余のあらゆる圏を解放することなしには、己れを解放することのできない圏[42]」であり、市民社会止揚の唯一の主体であり、その勝利は必然的であること[43]。
 〔疎外された労働〕以降で概念化されるここでの構造分析も、以上の様に考えることによって一層、「労動者の解放の中にこそ一般的人間的な解放が含まれている」(104頁)という命題と整合的となろう。
 ところで、人間的解放の心臓であるプロレタリアートの検出がなされた今、残る課題は、哲学を現実と媒介させることによってこの解放の頭脳にまで陶冶することである。その基本的方向は既に『独仏年誌』で獲得されていた様に、諸個人のブルジョア(私人)とシトワイアン(公人)ヘの分裂の、個体的労働における個人的在り方と類的在り方への分裂、交換価値を指定する労働の止揚がそれであった。そこで、第一段階全体の最後に記す。
「さて我々は、国民経済学の水準を越えよう。そしてほぼ国民経済学者の言葉を用いて述べてきたこれまでの説明に基づき、二つの問いに答えよう。
^ 人類の大部分がこの様に抽象的な労働へと還元されるということは、人類の発展において、どのような意味をもつか。
_ 労賃を引き上げることによって労働者階級の状態を改善しようとするか、それとも(プルードンの様に)労賃の平等を社会改革の目的と看做す改良主義者達[44]は、如何なる誤りを犯しているのか。
 労働は、国民経済下においてはただ営利労働の姿でしか現われないのである。」(28頁)
 従来、この「二つの問い」にマルクスは答えられなかったとする見解が支配的であるので、この問いの性格を明確にしておく。
 まず第一に、一般的に言って「これまでの説明に基づき」とある様に、マルクスにとって解答は既に用意されていたと同時に、それは飽くまでも表象段階の解答であること。
 第二に、^で言う「抽象的労働」とは、土地と資本から抽象(=分離)された労働という意味ばかりでなく、その抽象化を基礎として完全に単調化、機械化された労働という意味がある。この「抽象的労働」の内容、「人類の発展において、どの様な意味を持つか」、続く第二段階の内容、及び「遺稿『賃金』[45]」(1847年)等から考えて(1)は賃労働の積極面を問うものと言えよう。
 最後に、_においては、賃労働は何故、如何なる方向に止揚されるべきかが、つまりその否定面が問われているのである。「営利活動(Erwerbstaetigkeit)」について言えば、それは『ミル評註』によって補足しておく必要がある。諸共同体間に交換が生じ、交換関係が発展するに応じて労働は営利労働化するが、「生産物を買う者が自分では生産しないで他人が生産したものを交換取引する[46]」という事態を通して、つまり資本─賃労働関係の下で始めて、労働の営利労働化は本格化するのである。
 この「営利活動」概念でマルクスは、単純商品生産と資本制的商品生産の区別を忘れ、両者を混同しているのではない[47]。むしろ、賃労働に営利労働の頂点を見い出し、その頂点である賃労働の積極的な止揚によって、一切の営利労働の基礎そのものを止揚しうると考えているのである[48]。
 (2)は、国民経済下で一切の労働が営利労働と現われることから、労働を営利労働としてしか促えられず、営利労働の頂点としての賃労働止揚を夢にも思いつかない改良主義者達の根本的な誤りが、「疎外の内部での疎外の止揚[49]」の誤りが改めて問われているのである。
 これらの問いが以上の性格のものとすれば、確かに、本欄での「社会の三状態」の分析において、特にその第二状態の分析において、これらの問いに対する解答を垣間見ることができる。


第3章 市民社会の運動分析(第二段階)

 1、 「資本利得」欄
  「(四) 諸資本の蓄積と資本家間の競争」
 本欄においては、諸資本の蓄積が如何にして独占を生み出すかが展開されるが、マルクスの競争論は、独占論及び資本の運動法則との関連で注目すべきものである。
 先ず最初に、競争論と独占論との関連について考察すると、スミスは競争と独占を抽象的に分離して両者の間に何等の本質的連関も認めない。スミスは両者を外的に対置するのである。
「労賃を高めるためにも、消費する大衆のために商品を廉価にするにも、……競争は、資本家に対抗する唯一の援助者なのである」(47-8頁)
 だが、マルクスはここにも国民経済学者の没概念性を見い出す。スミスが両者を外的に対置しうるのは、彼が「一個同一の資本が増大するという意味での蓄積(と)、……それによって多数の資本が成立する分割行為としての蓄積[50]」とを区別しないからである。しかし、競争そのものを「資本の使用法との比較[51]」によって解明する立場に立てば、競争は必然的に独占へと移行せざるをえないことが判明し、両者の間の本質的連関も明らかとなろう。[52]
「……競争は諸資本が増大することによってのみ、しかも多くの人達の手中で増大することによってのみ可能である。資本は一般に蓄積によってのみ成立するのであるから、多数の諸資本の成立はただ多面的な蓄積によってのみ可能であり、しかも多面的な蓄積は必然的に一面的な蓄積に変化する。」(48頁)
 要するに、競争とは「不安定な独占」(78頁)でしかない、というのである。
 第二に、競争と資本の運動法則との関連について見れば、前者を後者の推進者として把握していることは、次の一節からも明白である。
「蓄積、それは私的所有の支配下では、少数者の手中への資本の集中であり、一般に諸資本がその自然的な進行のままに放任される場合の必要的な帰結である。そして資本のこの本来的規定は競争によって始めて真に自由な進路を切り開くのである。」(48頁)
 「地代」欄でも、ズバリこう述べている。
「この競争の中で、資本の運動法則が所有者たちを破滅させるか成り上がらせるかによって……。」(78頁)
 この競争把握に基づけば、「競争を全く無視しても、既に大資本の蓄積は小資本の蓄積よりもはるかに急速である」(48頁)ことは容易に解き明かしうる[53]。というのも、問題は資本自体の問題に、即ち、蓄積における大・小資本の有利性の問題に転化されているからである。
 そこでマルクスは、以下本欄を蓄積における大資本の二大有利性を媒介項として展開する。その二大有利性とは、
^ 第一段階で示された「資本の利得は資本の大きさに比例する」(41頁)という命題(48頁以降)、
_ 「固定資本と流動資本の割合」(51頁)、
の二つである。
 第二の、固定・流動資本の割合に関してマルクスは、大資本の蓄積においては「固定資本の集中と単純化……労働諸用具の一種の組織化」(53頁)が行なわれ、この固定資本の節約イコール流動資本の実質的増加イコール利得の増加であると主張する。この主張も、利得の発生原が流動資本──マルクスはスミスの諸規定の内、「生活資料の生産、製造業または商業のために使用される資本」(51頁)という規定のみを採用している──に、生きた労働をcommmdする資本にあることを暗黙の中に含んでいる。そして資本蓄積の運動を、「固定資本の集中と単純化」→物価の暴落→利潤率の低下→一層の大規模化→過剰生産と捉える。
 ところで、以後この欄は引用文ばかりが読く、それらの内容を要約して見れば、それらが二種類のもの、しかも第一段階「労賃」欄末尾の「二つの問い」に対する解答から成ることが判明するであろう。

一、 第二の問いへの解答:
「労働の賃貸しは、奴隷生活を始めること。労働の材料の賃貸しは、自由の資格を得ること」(55頁)
「材料という要素は労働なしには富の創造力なし。しかし、あたかも自分自身の行為によって労働を注入したかのような魔術的な力を獲得している」(55頁)
「所有者達は、人権(droits de l'homme)によって、あらゆる労働の材料を使用し濫用する権利を得た。」(55-6頁)
「使用し濫用する権利、交換の自由、自由競争は一つのもの。これらは、無政府的生産、恐慌、富と努力と時間の濫費を生む。」(56-7頁)
「人間は消費し生産するための機械であり、人間の生命は一つの資本であり、経済法則は世界を盲目的に支配する。」(57頁)
「雇用者は、不十分な賃金、長すぎる労働時間にも責任を負わない、彼も自分が課す法則に服従しているのである。」(58頁)
 要するに、資本家は労働者を雇用することによって「人々を自分のために労働させる」(55頁)のであるが、それは、(社会主義者の言う様な)人権の濫用から生じるのではない。正しく、人権の行使そのものの帰結であり、全ての人間が盲目的な法則に支配されている、と。

二、 第一の問いへの解答:
「住民が土地を完全に耕作するために十分な資本をもっていない。生産地には加工業のための資本がない。」(58頁)
「土地及び労働の年々の生産物の価値を増加させる両方の場合にも、常に資本の追加を必要とする。」(58−9頁)
「労働は資本の蓄積に比例して細分化され、生産力は向上する。」(59頁)
「資本の蓄積は自然に生産力の拡大を引き起こす。即ち、資本家はできるだけ多量の製品を生産しようとし、労働者間に最適の分業を導入し、できるだけ優秀な機械をあてがう。」(59頁)
「こうして過剰生産が起こる。」(60頁)
「生産活動のいっそう広汎な結合……それは工業および商業においては、一層大規模な企業のために、より多数の、より多様な人間諸力及び自然諸力を結合することによってなされる。また既に、生産の主要諸部門相互間の密接な結合があちこちに見られる。……非常に多数になった比較的大きい株式諸企業において、金力と科学的ならびに技術的な知識及び技能との広汎な結合が見られる。……だが、資本をもっとも多様な仕方で収益あるものとする可能性がこのように容易になったこと自体が、有産階級と無産階級との間の対立を激化するにちがいない。」(60-1頁)
 要するに、資本の蓄積は生産力の発展であると同時に、差し当りそれは、過剰生産と階級闘争の激化を生み出すのである。特に初めの方の引用で、蓄積の肯定的側面が強調されていることは注目すべきである。人間的解放にとって不可欠な基礎を形成するものだからである。

 2、 「労賃」欄
 この欄でも前欄での資本蓄積の展開に対応して、その下での賃労働者の状態を示す引用文が続く。前欄では資本の積極面と消極面が、引用を通して語られたが、本欄ではその半面である賃労働の積極面と消極面が語り出される。

  一、 第一の問いへの解答:
「機械的に単調化された作業の賃金は、競争の激化とともに下落する。この労働様式こそ、労動組織の現段階では、きわめて多数なのである。……労働を節約する機械が導入されて以来、事業主の営利追求のために労働時間は延長されてきた。」(29-30頁)
「総生産が上昇し、同じ度合で欲求も増大し、絶対的貧困が減少する反面、相対的貧困が増加する。」(30頁)
「だが国民経済学は、労働者をただ労働動物としてしか認めない。」(30頁)
「精神的に自由に発展するためには、精神的に創造・享受する時間が必要。労働組織の進歩は、これを生む。」(31頁)
「差し当り、同じ形で反復される諸作業の内一部分のみが機械に属し、他は人間に属することになる。」(32頁)
「しかし、将来にとっては、機械の中で作用している自然諸力は、我々の奴隷であろう。」(32頁)
「機械の諸変革によって、女性は一層経済的に独立」(33頁)
「機械工学の長足の進歩は、画一的な作業を一層取り除く。しかし、資本家はこの機械工学のかわりに下層階級の(幼児を合む)諸力を使用する。」(33頁)
 要するに、「必要労働時間の短縮、自由時間の拡大、生産手段と労働の社会化、それを通しての人間の社会化、男女間の社会的差別の解消等々……の可能性と必然性[54]」が、差し当りは疎外された形態で現われる資本の蓄積過程に即して描き出されているのである。
 しかも、山中氏が明らかにされた様に、「以上のようなシュルツの機械制大工業に対する基本視角が、……プルードンの小商品生産の立場に対する批判をその根底にすえ[55]」たものであることは、重要である。というのも、このことは「マルクスの設問^は設問_、とりわけプルードン批判との関連で理解されるべきであ[56]」ることを意味するからである。二つの問いは、賃労働の入類史上の位置という点で内的連関を有しているのである。

  二、 第二の問いへの解答:
「害悪は、数百万の人間が、身体を害し、道徳的・精神的に不具にさせられる様な労働にありつく不幸すら幸福と思わなければならないこと。」(33-4頁)
「召使─給金、労働者─賃金、使用人─俸給または報酬。」(34頁)
「自分の労働を賃貸しする。」「自分の労動を利子つきで貸す。」「他人の代わりに労働する。」(34頁)
「この経済機構は人々を賎しい、悲惨でつらい零落へと陥らせる。」(34頁)
「売春。」(34−5頁)
「労働は一つの商品であり、商品としては、労働の価格はますます下がる。……労働を商品と見る理論は、仮装した奴隷制の理論以外の何ものでもない。」(35-6頁)
「労働者は自由な売り手の立場にはなく、売ることを常に強制されている。労働、それは生命である。それは最も不幸な特性を持った商品である。」(36頁)
「今日に至るまで、産業は侵略戦争の状態。兵隊達が苦役をしのぶのは、ただ飢餓から逃れるため。指揮官達も、部下を、儲けを多くし、無駄な費用を少なくする生産の道具としてしか認めない。」(37-8頁)
「大工業都市は、いつも近隣の農村から健康な人間、新しい血を間断なく補充せねばならない。」(38頁)
 この部分では専ら賃労働の否定面が指摘され、賃労働が生命活動の譲渡であることが示されている。問題は賃金の多少ではなく、近代奴隷制そのもの、生命活動の譲渡そのものの廃止であることが読み取れよう。
 第二段階の以上二欄での引用文が、各々二つの部分に区分され、資本と賃労働の積極面・消極面が描き出されている以上、「二つの問い」に「当時のマルクスには回答不能であった」という見解[57]、引用文は全て市民社会の否定面に関するものであるという独断と偏見[58]、〔疎外された労働〕や〔第三草稿〕にその直接的解答を見い出す見解[59]、の何れにも賛成できない。こうした見解は、引用文を良く読んでもいないし、ましてや〔市民社会分析〕とそれ以降の論理次元の相違や関連など視野にないのである。そして、こうした見解が決して一部の見解ではなくむしろ通説であるところに、問題の深刻さがある様に思われる。

  3、 「地代」欄
 この欄第一段階の末尾で、地主の利害と社会の利客との対立が考察されていたが、その最後は、一人の地主と他の地主との利害対立であった。今や、この大・小土地所有者の間の競争=蓄積が扱われる。
 その際、「資本利得」欄での展開を前提して、この問題は「一般的に見ても既に……大資本と小資本との間の事情と同様である」(72頁)と述べて、ここでは土地所有の場合に特殊な事情のみを大別四つ上げている。これらの諸事情ないし諸法則はここでは省略するが、要は、この土地所有者間の競争の結果として、「資本家と地主との間の区別の解消」(75頁)が導出されるのである。
「実際のところ比較的小さい地主はそもそも既に資本家でしかないのであるが、同様に、土地所有の大部分は資本家の手中に収められ、資本家が同時に地主になるということである。同様に亦、一部の大土地所有者は同時に工業的なものになる。」(75頁)
 この「区別の解消」について言えば、次の諸点が注意されねばならない。
 まず第一に、この区別の解消とは、別言すれば「土地所有が利得をともなって再生産される資本の範疇に転落しなければならない」(165頁)ということである。これは地代と利潤とを剰余労働として一括して捉えるという意味で剰余価値論、従ってまた価値論にとっても決定的に重要な把握である[60]。
 第二に、この同じ過程を主体的に表現すれば、それは「奴隷が自由な労働者ヘ、即ち傭い人へと転化するとともに、地主そのものは産業主ヘ、即ち資本家へと転化」(112頁)するということである[61]。
 従って第三に、この「区別の解消」論は、唐突に展開されたものではない。近代市民社会の構造分析において、既に明らかにされていたのである。ただここでは、封建的土地所有諸関係が私的所有の原理に基づいて如何に資本関係へと発展するかという視角から論じられているに過ぎない。
 最後に、この「区別の解消」論、即ち土地所有に始まる私的所有関係はその内的論理に従って資本関係──疎外の完成形態──に必然的に発展するという国民経済の運動把握は、ヘーゲル『法哲学』の欺瞞性を暴露するものである。ヘーゲルによれば、「自由な意志」の外的定在は「所有」であり、彼はこの「所有」を「抽象法」→「道徳」→「人倫」(家族資産→私的所有→土地所有)と展開することによって、自由の発展を描いている。このへ一ゲルの展開で、市民社会の不安定性を内在的に止揚するものは、「譲渡しえない、長子相続権を背負い込んだ世襲財産[62]」であるところの「土地所有」であるとされ、この「土地所有」こそが「実現された自由の王国[63]」たる国家の実在的基盤と主張されている。ヘーゲルにおける「市民的諸身分」=Staende=「身分制議会」の論理の内実とは、これである[64]。ところが今や、土地所有は市民社会を止揚するものではなく、むしろ自己を止揚して資本に発展すべきものでしかないこと、土地所有とは「なおまだ未完成な資本」(117頁)でしかないことが洞察されたのである。
 従って、これ以降の部分で展開されている封建的土地所有の資本制的なそれへの転化論(マルクス自身の番号1の箇所)及び後者の未来におけるAssoziationへの転化論(マルクス自身の番号2の箇所)ばかりでなく、この〔市民社会分析〕全体が、「ヘーゲル国家論批判の二側面の内の残されていた他の一側面──「現代国家とそれに関する現実との批判的分析[65]」──の準備段階(「現実」の「表象」としての確定)と言えよう。
 次に、この「区別の解消」を生み出すところの土地の商品化に対してロマン主義が流す「感傷的な涙」に対して、1でマルクスは次の様に批判する。
「このロマン主義は、土地の掛値売りの中に存する不名誉と、土地という私的所有の掛値売りの中に合まれているところの、全く合理的な、私的所有の内部では必然的であり望ましくもある帰結とを、常に混同している。」(76頁)
 なるほど、「封建的土地所有においては、少なくとも主人は所有地の王であるかの様な外観」(76頁)がある。そこには、単なる物的な所有関係以外に人情的(gemuetlich)な側面も存在する。ロマン主義の感傷は、土地の商品化、地主の資本家への転化、農奴の自由な労働者への転化によって、所有者の非所有者に対する支配が「一切の政治的色あいを脱して」(78頁)、「搾取者と被搾取者の国民経済的関係に還元され」(78頁)る点にむけられているのである。
 しかし、彼等が見落としているのは、封建的土地所有自体の中に、既に「人間に対する土地の支配が疎遠な力として横たわっている」(76頁)のであり、私的所有とは人間に対する物の支配であり[66]、その意味で「土地所有とともに私的所有の(人間に対する……大石)支配が始まるのであり、土地所有は私的所有の土台であ」(76頁)り、資本は私的所有の発展の頂点、疎外の完成でしかないのである。
 何故なら、資本関係においては「資本という姿態をとった土地所有が、労動者階級に対する支配だけでなく、所有者自身に対する支配をも示す」(78頁)からであり、それは「人間に対する死んだ物質の完全な支配」(78頁)だからである。
 2では、「土地所有を分割すべきか、否かの論争」に対して、その分割は丁度工業領域における競争に対応したものでしかなく、結局一層憎むべき姿態をとる独占に復帰するか、あるいは土地所有の分割そのものを止揚するしかない、と主張する。
 マルクスによれば、独占の第一の否定(=土地所有の分割)が「独占の一般化」(79頁)でしかないのに対して、「否定の否定」としての、「土地や地所に適用された連合(Assoziation)」(79頁)は、「独占の完全な根絶」(79頁)であり、土地はこの「連合」によって始めて、
^ 国民経済学的見地から見た大土地所有の長所を分かち持つと同時に、
_ 分割が元来持っているところの目的(Tendenz)、即ち平等をも実現し、「理性的な仕方で、土地に対する人情的関係」(80頁)が形成されると言う。何故なら、この「連合」によって、「土地は掛値売りの対象ではなくなり、自由な労働と自由な享受とを通じて、再び人間の人格的な所有(物)になるからである」(80頁)、と。
 へ一ゲルが中世的な「土地所有」に「実現された自由の王国」の実在的基盤を求めたのに対して、マルクスは土地の商品化を媒介にして再興するとこるの独占体を実際に止揚する「連合」に求める。
 こうして最後に、マルクスはイギリス史で以上の私的所有の歴史的運動を簡単に実証し、その近代市民社会──私的所有諸関係の発展の頂点──での革命を展望して、この〔市民社会分析〕全体を結んでいる。


第4章 〔市民社会分析〕と労働価値説

1、 「労働価値説拒否」説と〔市民社会分析〕
 ところで、通説によって、1844年当時のマルクスの経済学研究が「価値論なき剰余価値論─資本蓄積論[67]」と特徴づけられていることは既に述べた。通常、この当時のマルクスが労働価値説を拒否ないし否定していた論拠として、次の二ケ所が上げられる[68]。
^ 『経済学ノート』杉原・重田訳、46及び85-6頁:エンゲルスの影響で競争を重視する余り、価値法則の貫徹を否認した。
_ 『経済学ノート』杉原・重田訳、47-8及び50-1頁:価値=生産費、価格=生産費十貢物(利潤十地代)というプルードン説に賛同し、等価交換を否定した。
 これら二大論拠は、何れも『経済学ノート』に関するものであって、『経済学・哲学草稿』に関するものではない点が注目される。そこで、『経済学ノート』及び『経済学・哲学草稿』の他の部分については別章に譲り、ここでは対象を〔市民社会分析〕に限定して、これらの論拠が妥当するか否かが検討されなければならない。
 まず競争について言えば、確かに競争は重視されていた。しかしながら、既に詳論した様に、それは資本の法則の推進者としてであった。従って、この〔市民社会分析〕において価値法則は、古典派経済学におけるよりも一層科学的に、位置づけられている。
 次に、価値規定について言えば、特別行なわれていない[69]。しかし、マルクスがスミスの「市場価格」と「自然価格」を継承していることも事実である。ここでは、労働者の犠牲を通じて市場価格は自然価格へと引きつけられるという命題(19頁)を確認すれば十分であろう。更に、スミスにおいてもリカードウにおいても「自然価格」規定が「価値」規定に他ならないことを考え合わせるならば、〔市民社会分析〕においては、少なくとも古典派的水準での「価直」規定には十分達していたと言えよう。
 このことは、通説にとっては不可解に思われるであろうが、実は自明の理でしかない。というのは、こうだからである。通説は、
(1) エンゲルスは『経済学批判大綱』において競争を重視する余り価値法則を否認しており、
_ 当時のマルクスは、このエンゲルスの立場に完全に規定されていた、という解釈の上に成り立っている。
 しかし、差し当り^についてだけ考察しても、通説はエンゲルスの古典派労働価値説批判の核心を誤解しているのである。エンゲルス自身、価格変動の中心が「自然価格」という意味での「生産費」であることは、「私的所有の基本法則である[70]」と認めた上で、その古典派の「自然価格」による「価値」規定は「価格の一規定性に他ならない[71]」と批判しているに過ぎないからである。たとえ不成功に終ったとは言え、エンゲルスの古典派労働価値説批判の核心は、古典派の「自然価格」による「価値」規定においては、「価格の源泉である価値が、それ自身の産物である価格に従属させられている[72]」という点にあり、そこにマルクスは「価値」から「価格」(=「自然価格」)ヘの発生的展開を読みとったのである。ともかく、以上によって〔市民社会分析〕においては、「自然価格」は否定されておらず、またそもそも否定するハズがないことも示された。従って、以上によって、通説の二大論拠はこの〔市民社会分析〕には妥当しないと言えよう。

 2、 「生産費」範疇の内容と意義
 ところで、この〔市民社会分析〕において「生産費」範疇は少なくとも三度使用されている。そこで、その使用法を考察して、マルクスが等価交換を否定していたか否かの問題に一層積極的に答えて見よう、
<使用例1>
「資本家は、競争の少ない場合にはそれを利用しつくして多くの利益をあげることが許されるが、そうしたすべての利益のほかに、実直な仕方で、資本家は市場価格を自然価格以上に保つことができる。
 第一に、……。
 次に、資本家がより少ない生産費で、彼の商品をその競争者と同一の、またさらには低い価格で、しかもより多くの利潤をあげながら供給するようになる、製造業上の秘密によって。」(43頁)
<使用例2>地代の量を決定する二契機について、スミスから引用した後で、
「スミスのこれらの命題は重要である。何故ならそれらは、同じ生産費と同じ規模の場合には、地代を土地の豊かさの大小に還元しているからである。従って、土地の豊かさを土地所有者の特性に変えてしまうという国民経済学における概念の転倒が、明白に証明されている。」(64-5頁)
<使用例3>
「一般的に見ても既に、大土地所有と小土地所有との間の事情は、大資本と小資本との間の事情と同様であろう。しかもそれに加えて更に、大土地所有の蓄積と大土地所有による小土地所有の併呑とを無条件にもたらす特殊な事情がある。(1)基金が大きくなるにつれて、労働者数及び用具数が比例して減少することが、土地所有におけるほど著しい場合は他にない。同犠にまた、基金が大きくなるにつれて、全面的な搾取や生産費の節約や適切な分業の可能性が増大することが、土地所有におけるほど著しい場合は他にはない。」(72頁)
 以上三例から明らかになることは、マルクスが「生産費」を資本家達にとって文字通り「生産するのに必要となる費用」の意味で使っていることである。今、スミスの原文との対比によって、この点を一層浮き彫りにして見よう。
 <使用例1>は、スミスが「ある染色業者が特定の色を出すために、ふつう使用されている原料価格のわずか半値の原料を用いる方法を発明した[73]」場合について述べている箇所を、マルクスは「より少ない生産費で」と記しているのである。更にまた、<使用例2>においても、その直前でのスミスからの引用文に見られる「資本の運用の適否[74]」(64頁)を「生産費」と呼んでいるのである。従って、マルクスの「生産費」範疇の内容は、リカードウの「生産費」(=「平均賃金」+「平均利潤」)とは異なり、マルクスの後の範疇で言えば「費用価格」である[75]。
 では、このマルクス的「生産費」は、〔市民社会分析〕において、どの様な役割を果たしているのであろうか。
 <使用例1>においては、「生産費」の低下による「特別な利潤[76]」が導出され、<使用例3>においても、大土地所有における「生産費の節約」による利得の増加(従って蓄積の有利性)が導出されている。<使用例2>においても、間接的にではあるが、「生産費」の低下による地代の増加が引き出される論理である。
 こうしたマルクスの使用法から、次の点が判明する。即ち、ここでのマルクスは、一般的利潤率及び自然価格を前提しておらず、
 「生産費」(=費用価格)+一般利潤率=自然価格
という発想とは無縁であり、むしろ、
 市場価格−個別「生産費」(=費用価格)=個別「利潤」
であり、労賃、利潤、地代等の変動を通して自然価格が生成すると考えているのである。
 では、「利潤」の源泉はどの様に把握されていたのであろうか。通説が言う様に、「不等価交換」であろうか。然り、且つ否。生産過程における不等価交換!がそれである。既にマルクスのcommand論を詳細に追究した様に、「資本利得」欄第一段階では、「資本」が法的次元から経済学の次元ヘ、更に生産の次元へと引き下ろされた、流通表面での「買う力」及び、生産過程での「指揮命令権能」の発揮が取り上げられ、「一般に、人間労働が自然産物について成しとげる進歩から利得」(45頁)の発生が説かれたのであった。ペクールからの引用に見られる様に、賃労働者が「他人のかわりに労働」し、資本家が「自分のかわりに他人を労働させる」(34頁)点が資本利得の発生源であることが、論理展開全体をもって示されていたのである。


おわりに

 遊部氏によれば、〔市民社会分析〕は、「国民経済学者(スミス)→空想的社会主義者(シュルツ、シスモンディ、ビュレ、ペクール)の順で展開され、正→反→合の合の位置にあるマルクスの積極的見解は展開されないでおわっ[77]」たものであるという。
 まず第一に、この見解は、〔市民社会分析〕が近代市民社会の構造分析及び運動分析から成り、全体が同一次元のものではないことを理解しえていない。
 第二に、この見解は、スミス、シュルツ、ペクール等からの引用文が、彼等の市民社会分析を要約して紹介するためのものでも、また彼らの見解を批判するための資料でもないことを理解しえていない。
 第三に、そして最後に、この見解は、〔市民社会分析〕が失敗作でも、未完成なものでもないことを理解しえていない。
 『経済学・哲学草稿』における〔市民社会分析〕の位置は、近代市民社会の構造及び運動に関する表象の確定にあった。なるほど、〔疎外された労働〕以降での概念化に比較すれば、〔市民社会分析〕は単なる表象に遇ぎない。だが、前者は後者の存在によって始めて可能であったのである。分析は発生的叙述の不可欠の前提であり、〔市民社会分析〕は概念的に把握すべき対象そのものを提示するものだからである。
 では、この〔市民社会分析〕で確定された表象とは一体どの様なものであったのだろうか。構造分析においては、大略以下の諸点が示された。即ち、地代は資本利得の派生形態に他ならず、市民社会は実質的には、資本家及び労働者の二大階級から成ること。労賃とは、商品化した労働者の価格であり、労働者は二重に自由であること。利得は、労働者を雇用し、生産過程でこの他人労働を指揮命令することによって獲得されること。社会の利害と一致するのは、労働者階級の利害のみであること。賃労働のポジティブ、ネガティブの両側面からの設問。
 運動分析においては、大略次の諸点が示された。構造分析での資本把握に基づいて、諸資本の蓄積過程が恐るべき独占の再興でしかないこと。政治的解放は疎外の完成をもたらすこと。二つの設問への解答(労働の商品化は近代的な奴隷制でしかなく、搾取は自由な交換そのものから生じる。しかしそれと同時に、真に人間的な解放のための物質的土台も形成される)。疎外の止揚は、私的所有の発展の頂点としての資本関係(特に、資本と土地の一大結合体である独占)の否定、土地に適用されたAssoziationによって可能であること。
 この構造・運動分析においては、次の三点が特に注目されなければならない。
^ マルクスが分析しているのは近代市民社会であって、それ以外のものではないが、その中でも特に構造分析が運動分析の基礎となっていろということ。つまり、土地所有に始まる私的所有の発展の頂点としての資本─賃労働関係の分析、これこそが、過去及び未来の分析、展望を可能ならしめているのである。
_  ^の意味での資本把握は、単なる「経済原論」的意味で体系の基軸であるばかりではない。資本把握は、同時にヘーゲルの市民社会止揚論(=国家論)及びプルードンの所有批判(=社会主義)の批判ともなっているのである。マルクスの「経済学批判」とは、近代市民社会の批判的分析であることによって、イギリスの経済学、ドイツの哲学、フランスの社会主義の批判でもある。
` この近代市民社会の批判的分析は、古典派経済学の最良の成果であるところの労働価値説に墓づいて始めて可能となった。
 『経済学・哲学草稿』においてマルクスが労働価値説を前提して展開している論拠は四つある。
^ マルクス自身「国民経済学の諸用語(Sprache)や諸法則を受け入れてきた」(84頁)と述べているが、スミスからの引用文が全て、分解価値説的見地のものであること。
_  通常この当時のマルクスが労働価値説を拒否していた理由として、(およそ取るに足りないものを除けば)二つ上げられるが、その何れもこの〔市民社会分析〕には妥当しないこと。
` 地代は資本利得の派生形態として捉えられ、資本利得の源泉は、資本によるcommandの行使に、つまり、生産過程における他人労働及び生産物の領有に求められていること。このことも、マルクスが終始一貫分解価直説に立脚していたことを示している。
a しかも、分解価値説に立たねば、「疎外された」という規定は生まれてこないということ。この点を和田氏は、次の様に的確に指摘されている。
「もし構成価値説が妥当するならば、労働はたかだか賃金部分を生産するだけとなり、したがって、『疎外された労働』という基本規定は成り立たなく……なる。したがって、マルクスにとっては、価値や価格が分解価値説的に説明されるか構成価値説的に説明されるかが……問題設定そのものに本質的にかかわるものである……。[78]」
 以上で論定された〔市民社会分析〕の位置及び論理は、それ自体既にスミス、リカードウ、ヘーゲル、プルードンを本質的に凌駕していることを示している。しかし、『第一草稿』前段のマルクスにとっては、一切は未だ表象の次元でしかない。なるほどここでは、近代市民社会の構造と運動に関して、国民経済学者や社会主義者達の文献から最大限のものが引き出されている。だが、これらの文献によっては、近代市民社会の構造・運動諸法則自体が一体どのようにして私的所有の本質そのものから生じるかは、全く解明されていない。そこでマルクスは、ここで確定された表象の分析から私的所有の本質を抉り出し、この私的所有の本質から諸法則を発生的に展開する作業に取り掛かる。
 その第一歩が、〔疎外された労働〕と〔第二草稿〕における資本制的生産過程の二面的分析に他ならない。そこで我々は、次章において、これら両部分で私的所有の本質が如何に析出され、私的所有諸関係の概念的把握が、つまり経済学批判体系が、如何に、またどの程度まで形成されているかを明らかにしてみよう。


巻末注********************************

[1]. 細見英「経済学批判と弁証法」『経済論集』(関西大)26-2号、275頁。

[2]. 同前。

[3]. この点を細見氏は1960年に指摘された(細見英『経済学批判と弁証法』未来社、1979年、113頁)のであるが、その後も事態は変わらなかった。その原因は、『経済学・哲学草稿』各部分の連関を解明する態度が不足していたことと、『資本論』の「労働過程」解釈にあったと思われる。この点は次章で詳しく述ぺる。

[4]. N. I. Lapin. Vergleichende Analyse der drei Quellen des Einkommen in den "Oekomisch-philosophischen Manuskripten" von Karl Marx, in Deutsche Zeitschrift fuer Philosophie, Heft2. 17. Jahrgang. 1969. 細見訳「マルクス『経済学・哲学草稿』における所得の三源泉の対比的分析」『思想』1971年3月号、訳104頁。

[5]. 細見氏も、この点を暗に批判されている(細見英「遺稿・『経哲草稿』論」『現代の理論』第160号、1977年5月、146頁)。この点を初めて明言したのは山之内氏である(「初期マルクスの市民社会像」『現代思想』青土社、1976年8月号41頁、9月号234−5頁)。

[6]. 細見英前掲書、380頁。

[7]. 坂本和一「『資本論』における産業資本の直接的生産過程論」『立命館経済学』21-3・4号、101頁。

[8]. 中川弘「『経済学・哲学草稿』と『ミル評註』」『商学論集』37-2号、18頁。しかし、「価値論なき剰余価値論」というのは形容矛盾ではなかろうか。なるほど、カテゴリー展開においては、後者は前者を前提していると言えるが、研究過程においては、前者は後者を、後者は前者を相互に制約するものであり、両者は同時に成立するものであろう。

[9]. 山中隆次「(学界展望)マルクス経済学の形成(A)1840年代のMarxおよびその周辺」『経済学史学会年報』第2号、14頁参照。

[10]. 前掲Lapin論文、前掲細見訳。

[11]. 山中隆次「『経済学・哲学草稿』と「抜粋ノート」の関連」『思想』、1971年11月号、104−5頁参照。

[12]. F. Engels, Umrisse zu einer Kritik der National Oekoromie, in KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, Berlin, 1961.

[13]. 山中前掲論文。服部文男「『経済学・哲学手稿』所見」『経済学』(東北大)40-2号。

[14]. 細見氏自身も、この点ではラーピン論文に疑問を提出している(細見英前掲書、183頁)。ここで「障害物になる」とはラーピン論文自体自分に不可解な部分を安易な推側や勝手な「プラン変更、中断」で処理しており、その様な傾向を生み出しているということである。例えば、渋谷正「<国民経済学>批判の端緒的形成」『経済学』(東北大)40-2号、68頁の「中断」説は、ラーピン論文(細見訳111頁)が生み出したものである。

[15]. N. I. Lapin前掲論文、細見訳、102頁。

[16]. 同前細見訳、103頁。

[17]. 〔市民社会分析〕と『リカードウ評註』の内容的関係を分析したものとして、三野村暢禧「初期マルクスとリカードウ」『拓殖大学論集(社会科学系)』第115号は必読文献であろう。従来〔市民社会分析〕に見られるリカードウ経済学からの影響は不問にされており、このことがラーピンの〔第一草稿〕→『リカードウ・ミル評註』説を簡単に受容させる基盤を成していた。しかし、氏は『リカードウ評註』の記述が〔市民社会分析〕での叙述の原型であり、後者ではそれがより高い完成度を示していることを確証されたのである(159頁)。
 確かに、ラーピン論文を大々的に宣伝した諸研究者達にとっては、ラーピン論文は単に「好都合」(沖浦・重田・細見・望月・森田「マルクス研究の現段階と課題(一)」『現代の理論』第120号、1974年1月、101頁)なものでしかなかった。
 〔市民社会分析〕の内容を本格的に研究すれば、マルクスが未だ十分古典派経済学に内在し切っていなかった」(山之内靖「初期マルクスの市民社会像」『現代思想』青土社、1977年9月号、40頁、森田・望月・岸本『マルクス・コメンタール』現代の理論社、1972年、12頁)など言えなくなろう。望月・森田・山之内氏等がその様に言っておられるのは、正にこの内の誰一人として〔市民社会分析〕を真正面から分析されていないからに他ならない。
 ただし、三野村氏がローゼンベルク以来通説となっている「労働価値説拒否」説に遠慮しながら、「価値論……を取り入れることがなかったとしても、蓄積=分配論からの理論的吸収はありうる」(同上、151頁)とされる点は、〔市民社会分析〕に限っても疑問である。後に示される様に、一貫した分解価値説的見地、これこそが構造分析及びそれに墓づく運動分析をも可能にしているのであるから。なお、『リカードウ評註』その他での「労働価値説拒否」問題に対しては、本書第五篇を参照。

[18]. N. I. Lapin前掲論文、細見訳、115-6頁。

[19]. 二つのものの連関を問題にしている箇所で、von Wert und Entwertung der Menschenとなっており、岩波文庫版では不明確である。Entwertung der Menschenは、 『経済学批判要綱』では、奴隷の賃労働者への転化の意味で使われており、「営利労働」理解にも関連してくるものである(Grundrisse der Kritik der Politischcn Oekonomie (Berlin, 1974) , S. 200. MEGA2, Abt. I, Bd. 1, Teil 1, S. 211)。

[20]. 従来、経済学的諸研究は、『経済学・哲学草稿』での経済学研究の成果を、単に〔市民社会分析〕に、あるいはせいぜい〔第一草稿〕──〔第二草稿〕から切り離された──どまりであった、その典型は、工藤論文(工藤秀明「原・経済学批判としての1844年『経済学・哲学草稿』分析序説(上)」『経済科学』25-4号、120頁)である。
 だが、〔市民社会分析〕と〔疎外された労働〕は次元を異にしており、この相違を意識して両者は研究されねばならない。
 また、次章で論証する様に、〔疎外された労働〕と〔第二草稿〕とは同じ資本の直接的生産過程を分析した二つの部分であり、途中に『リカードウ・ミル評註』が入る必然性は全くない。否、この点を譲ったとしても、『経済学・哲学草稿』は両評註なしに分析し得る構造になっている。
 〔序文〕は〔第三草稿〕に書かれており、〔第一草稿〕での「Heft 1」が抹消されていないこと、〔市民社会分析〕には大きな訂正は一ケ所もないことなど、形式的には、〔市民社会分析〕は最後まで生きており、変更はなかった。内容的に言えば、中川氏が明らかにされた様に、「類的存在」に関して『ミル評註』と同一視角のものが〔第三草稿〕中の〔私的所有と共産主義〕に見られるのである(中川弘「『経済学・哲学草稿』と『ミル評註』」『商学論集』37-2号、21−4頁)から、『ミル評註』と〔疎外された労働〕の関係は、〔疎外された労働〕と〔私的所有と共産主義〕の関係に、〔第一草稿〕と〔第三草稿〕の問題として、つまり『経済学・哲学草稿』各部分の論理構造の問題として解明しうる。我々が『経済学・哲学草稿』の論理構造を問うのは、この意味である。

[21]. 佐藤金三郎『《資本論》と宇野経済学』(新評論、1968年)、63頁。

[22]. N. I. Lapin前掲論文、細見訳、109頁。

[23]. 同前、105頁。

[24]. 山中隆次「『経済学・哲学草稿』と「抜粋ノート」の関連」(『思想』、1971年11月号)、108頁参照。

[25]. この分類は、富塚良三『蓄積論研究』(未来社、1965年)からヒントを得たものである。

[26]. ここでスミスとマルクスの意味内容の相違を明確にするために、スミスのcommandは「支配力」、マルクスのKommando及びRegierungsgewaltは「指揮命令権能」と訳し分けることにする。なお、後者の訳語は、浜田稔氏の用語(中川善之助編『増補版 体系民法事典』青林書院新社、1968年、536-8頁)を借用したものである。

[27]. 和田重司『アダム・スミスの政治経済学』(ミネルバ書房、1978年)、308頁。

[28]. スミスとマルクスとの用法は同じであるという見解もあり得る。例えば、マルクスは『道徳的批判と批判的道徳』 ( KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 4, Berlin, 1959)でマルクスは次の様に述べているから。
 「所有は、いずれにせよ一種の権力(Gewalt)でもある、経済学達は、資本を、例えば  『他人の労働に対する権力(Gewa1t)』と呼んでいる。」(S. 337)
 実は、これもマルクスの読み込みでしかない。古典派が「富」ないし「商品」規定として述ぺているものを、実は「資本」規定であると捉え直している点に注意すべきである。

[29]. Marx und Engels, Die heilige Familie, in KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 2 (Berlin, 1959) , S. 55.

[30]. 利潤の源泉、資本家が利潤を引き出す経済的権源を追求して、その法的説明から経済学的説明へ下向し、生産過程での絶対的剰余価値の生産へ下向することは、『聖家族』「第4章 プルードン」の展開と一致している。そこでのマルクスは、プルードンが時効論等を批判し、占有の所有(=資本)ヘの転化を経済学に、「生産費」に、しかも「労働時間による価値規定」に求めたことを高く評価しつつ、同時にプルードンが「直接的労働時間」だけで価値を規定していることを「矛盾に充ちた仕方で人間を復権させた」(KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 2, S. 51)に過ぎないと批判している。マルクスは、生涯一度も労働時間による価値規定を拒否したことはないし、「自然価格」及びそれと同義のリカードウ「生産費」を「価値」規定としてそのまま受容したこともない。詳しくは本書第五篇を参照。

[31]. 「経済学批判要綱』でのいわゆる「人類史の三段階論」に関連して、Herrschaftの意味が問題にされるが、経済的な意味、マルクス的Kommandoもありうる。『賃労働と資本』でも同様の用法が見られる。
 「蓄積された、過去の、対象化された労働が、直接の生きた労働を支配することによっ て始めて、蓄積された労働は資本になるのである。」(K. Marx, Lohnarbeit und Kapital, in KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 6 (Berlin, 1959), S. 409.角川文庫、山中訳28頁。)
 この規定が、私的所有一般をその射程に含むところの、資本の最も一般的・抽象的規定であることに注目すべきである。

[32]. 渋谷正「<国民経済学>批判の端緒的形成」『経済学』(東北大)40-2号、65−6頁。

[33]. 澤野徹氏も、この部分を表題の内容としている(「初期マルクスの経済学批判」『専修経済学論集』11-1号、134頁)。

[34]. Karl Marx‐Friedrich Engels: Gesamtausgabe, Abt. II, Bd. 3, Teil 1(『資本論草稿集 4』大月書店), S. 83.

[35]. Grundrisse der Kritik der Politischen Oekonomie, Berlin, 1974, SS. 235−6. Gesamtausgabe, Abt. I, Bd. 1, Teil 1(『資本論草稿集 1』大月書店), S. 245.

[36]. Marx und Engels, Die heilige Familie, in KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 2 (Berlin, 1959), S. 33.

[37]. 三野村氏は、ここにリカードウからの影響の一つを見出される(前掲、149頁)。それは正しいが、より積極的に、地代に関して一貫して分解価値説に立脚しえた点に見れるのではなかろうか。リカードウを背後に持ちながら、スミスのexoterisch(現象記述的、ただし必ずしも悪い意味ではなく)な側面をこの表象確定段階では必要としたし、そのことによって後のリカードウ差額地代論批判の出発点も形成しえた、というのが著者の推測である。

[38]. K. Marx, Lohnarbeit und Kapital, in KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 6 (Berlin, 1959)の山中訳(角川文庫)「解説」116頁参照。平均率が長期的な最低率というのは、スミス自身の考えである(『国富論』キャナン版、63頁参照)。このことをもって、古典派労働価値説の拒否とすることは、本末転倒である。なお、この点に関する『哲学の貧困』でのエンゲルスの注(岩波文庫、41頁)は、誤解に因るもので、削除すべきものである。

[39]. マルクスは過剰生産の結果、賃金が「悲惨きわまる最低限にまで切り下げ」(23頁)られるというが、これも『リカードウ評註』に記されている(杉原・重田訳『経済学ノート』、56頁)ことである。もし「評註」の方が後だと主張するのであれば、その評註を記す必要はなかったし、そもそもリカードウ以外の誰から獲得されたものなのか論証しなければならない。

[40]. K. Marx, Zur Kritik der Hegelschen Rechtsphilosophie: Einleitung, in KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1. Berlin, 1961, S. 388.

[41]. 本書第一篇第1章参照。

[42]. K. Marx, Zur Kritik der Hegelschen Rechtsphilosophie: Einleitung, in KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, S. 39.

[43]. Marx und Engels, Manifest der Kommunistischen Partei, in KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 4, S. 473-5.講談社文庫(水田訳)、24-5頁参照。

[44]. 'Refomatoren en detail'のen detailは、岩波文庫、青木文庫、育成社弘道閣版では副詞に、国民文庫、全集版では形容詞に訳されている。『経済学・哲学草稿』のどこでも細かい点の批判は全く問題になっていないので、形容詞にとり、日本語の響きからこの様に訳した。尚、K. Marx, Economic nd Phi1osophic Manuscripts of 1844 (Moscow, 1959)でも形容詞である(p. 28)。

[45]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 4, SS. 555-6.

[46]. K. Marx, Aus den Exzerptheften, in MEGA, Erste Abteilung, Band 3, Berlin, 1932. 杉原・重田訳『経済学ノート』(未来社、1962年)、103訳頁。

[47]. 宮崎氏は『ミル評註』を「批判の対象としては事実上、資本制生産を見すえていながらも、理論的にはこれを資本または賃労働においてではなく、商品または貨幣という低い抽象的な次元でしかとらえていない」と特徴づけている。
 その論拠として氏は「営利労働」を上げ、「これは明らかに小商品生産者であって賃労働者ではありえない──賃労働が営利労働であるはずはない──」(宮崎喜代司「論理的歴史的方法の形成」『政経論叢』(広島大)17-3号、39頁)と言われる。
 この見解は、細見氏を含む通説的解釈であるが、この「営利労働」解釈が『ミル評註』と〔疎外された労働〕との関係理解の一つの障害と言えよう。

[48]. この点については、中川氏が「私的所有」と「資本」に関して述べておられることと全く同じである(中川弘「『経済学・哲学草稿』と『ミル評註』」『商学論集』37-2号、31-2頁参照)。

[49]. Vgl., Marx und Engels, Die heilige Familie, in KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 2, S. 44.

[50]. K. Marx, Aus den Exzerptheften, in MEGA, Erste Abteilung, Band 3. 杉原・重田訳『経済学ノート』(未来社、1962年)、55-6訳頁。

[51]. 同前、55訳頁。

[52]. 〔市民社会分析〕のこの部分を正しく理解するためには、『リカードウ評註』(杉原・重田訳『経済学ノート』、55-6訳頁)を参照する必要がある。

[53]. 従来から、この当時のマルクスはエンゲルス『経済学批判大綱』の完全な影響下にあったとする見解が常織化している。しかし、澤野氏も指摘されている様に、「エンゲルス─競争論、マルクス─蓄積論」(〔澤野徹「初期マルクスの経済学批判」『専修経済学論集』11-1号、128頁)という視角の差違は明明白白であろう。常識の破壊から科学は生まれる。『経済学・哲学草稿』の何処を探しても、エンゲルスが競争を強調した箇所の引用は見当らない。このことは更にまた、従来の「労働価値説拒否」説の検討を迫るものである。

[54]. 山中隆次「シュルツとマルクス」『中央大学九十周年記念論文集』(商学部)
1975年、614頁。

[55]. 同上。

[56]. 同前、614-5頁。

[57]. 「第一草稿」においては答えられなかったとするのが通説であり、例外は山中論的文(前掲「シュルツとマルクス」『中央大学九十周年記念論文集』)ぐらいである。

[58]. 第二段階「労賃」、「資本利得」欄の抜粋が各々二種類のものに分かれていること、その各々がネガティブなものと同時に、明らかにポジティブなものも含んでいること、それをどう解釈するかが問題なのである。

[59]. 前注及び前々注と一体化している。山辺氏もこうした立場に疑問を提出されている(山辺知紀「マルクスによるスミス批判の構造」『三田学会雑誌』69-6号、125頁)。表象次元の問いは表象次元で答えられていなければならない。この次元での解答すら得られなかったら、どうして〔疎外された労働〕で「より高次の段階での課題展開」(梅本克己『唯物史観と経済学』現代の理論社、1971年、53頁)などありえようか。この「より高次の段階での課題」に答えられなかった点に〔疎外された労働〕のアポリアを見い出す山之内靖(「初期マルクスの市民社会像」『現代思想』青土社、1977年12月号、212頁)氏には、当然ながらこの表象次元の解答は掴めていない。氏が当該の諸引用文を「第一階梯の総括に対する事実的補完材料」、「すでに第一階梯で先駆的に指摘されていた諸論点の展開にほかならない」(同前、1977年9月号、41頁)と言われるのは、氏とは別の意味で、つまり「これまでの説明に基づ」(28頁)く解答という意味でなら正しい。

[60]. 広松氏は「このような立論(「区別の解消」……大石)は当時マルクスの読んだ『国民経済学』書から引用することはとうてい無理であって、現にマルクスは、もつぱら自己流の発言で強弁しているだけ」(広松渉『青年マルクス論』平凡社、1971年、233頁)と言われる。しかし、リカードウの差領地代論がそれなのである。実際、この点にリカードウ地代論の影響を見る研究者もいるのである。例えば、マンデルは「地代論では、リカードウ理論に従って、資本は、事実、終局的に、不動産を合体し、土地所有者を資本家に転化させるとマルクスは主張している」(E. Mandel, The Formation of the Economic Thought of Karl Marx, UBL, London, 1971.山内・表訳『カール・マルクス』河出書房新社、1971年、39頁)と述べている。このマンデルの見解をラーピンの文献考証(実は一つの推定)を絶対化して「あやまり」(遊部久蔵「初期マルクスとスミス」経済学史学会編『《国富論》の成立』岩波書店、1976年、332頁注29)として片づけるのは本末転倒ではなかろうか。

[61]. 「疎外された労働」概念と労働価値説との関係について大別四つのタイプがある。この点については、本書第五篇第13章参照。前者を後者の拒否原因と看做すタイプは、この点を理解しえていないことから生ずるのである。例えば、大島清『資本論への道』東大出版会、1968年、65-7頁。

[62]. G. W. Hegel, Grundlinie der Philosophie des Rechts, Reclam, Stuttgart, 1970, § 306.

[63]. Ibid., § 4.

[64]. 詳しくは、鷲田小弥太『ヘーゲル《法哲学》研究序論』新泉社、1975年、第5章参照。

[65]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, S. 384.

[66]. これが「疎外」の本源的意味である。『経済学・哲学草稿』岩波文庫、163-4頁参照。

[67]. 中川弘「『経済学・哲学草稿』と『ミル評註』」『商学論集』37-2号、18頁。

[68]. 重田晃一「マルクス経済学の生成──1840年代」(遊部・杉原編『講座 経済学史。』同文館、1979年)、43頁参照。

[69]. この〔市民社会分析〕においては、価格、市場価格、自然価格範疇に比較して、「価値」範疇の使用度は低い。これは、表象次元ということに起因するものであろう。マルクス自身が「価値」を使用しているのは、管見ながら、次の二度であろう。
「国民経済学者によれば、労働こそは、人間がそれを通じて自然生産物の価値を増大させる唯一のものであり、労働こそ人間の活動的な財産である、ということになる。」(25頁)
「粗生産物に対する需要の増大、従ってまた価値の上昇は、一方では人口の増大から、また彼らの諸欲求の増大から生じうる。」(70頁)
 第一の用例においては、価値の実体が労働であることを古典派経済学が捉えていることを指摘しているのであるが、この立場が同時にマルクス自身の立場でもある(杉原・重田訳『経済学ノート』未来社、1962年、118頁参照)ことに疑問の余地がない。マルクスにとっては、価値の実体が労動であることを更に一歩進めて、古典派のシニシズムを解明するという理論的水準が問われているのである。
 第二の用例は、その直前のスミスからの引用文中にある「実質価値」を指しているように思われるが、『経済学批判要綱』(Grundrisse der Kritik der Politischcn Oekonomie, S. 214. MEGA2, Abt. I, Bd. 1, Teil 1, S. 226)においてすら、需給による価値規定=生産費(=労働時間)による価値規定であることを考えるならば、初期マルクス研究において、通説の様な外在的、一面的研究態度では、真のマルクスの方法は解明できないであろう。

[70]. F. Engels, Umrisse zu einer Kritik der National Oekoromie, in KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, Berlin, 1961, S. 508.

[71]. Ebd.

[72]. Ebd.

[73]. スミス『国富論 氈x中公文庫、102頁。

[74]. 同上433頁。

[75]. この「生産費」範疇は、周知の如く、『リカードウ評註』に見られる使用法であり、それを発展させたものであろう。

[76]. スミス『国富論 氈x中公文庫、102頁。

[77]. 遊部久蔵「初期マルクスとスミス」(経済学史学会編『《国富論》の成立』岩波書店、1976年)、329頁。

[78]. 和田重司『アダム・スミスの政治経済学』(ミネルバ書房、1978年)、308-9頁。