エンゲルス『国民経済学批判大綱』とパリ時代のマルクス

           拓殖大学政経学部 大石高久

はじめに
第1章 従来の諸研究の方法的批判
第2章 「経済学批判」における両者の同一性と差違性
第3章 古典派価値規定批判における両者の同一性と差違性
おわりに

はじめに

 一般に「進歩は同時に亦、退歩である」と言われる。戦前・戦中のファシズムからの解放と、新資料の発掘[1]とによって、戦後、マルクス研究が大いに進歩したことは疑い得ない。その進歩の一つとして、マルクス「経済学批判」体系の形成過程自体の研究が自立化し、一つの研究部門を成した[2]こと、特に『経済学批判要綱』を中心とする「中期マルクス[3]」研究が新しい視角・論点を提起したことは周知の事実であろう。ところが、特に『経済学・哲学草稿』(1844年)を中心とする「初期マルクス[4]」研究の最近の動向の中に研究の退歩を見出すのは、一人著者のみではあるまい。事実、かなり以前から、この形成過程研究が非弁証法的な、単なる「結果の記述学[5]」に終っているという批判が存在していたのである。
 そこで本章において著者は、初期マルクス研究に即してこの形成過程研究全体に対する方法的反省を行なってみたい。何故初期マルクス研究を問題にするかと言えば、「初期マルクス」の時期はその形成過程の「端緒」の時期であり、この「端緒」の理解が形成過程全体の理解を規定しているからである。この初期マルクスの中でも、特に「パリ時代[6]」を問題にするのは、この「パリ時代」理解が「初期」全体の理解を左右しているからに他ならない。では何故、F. エンゲルスの『経済学批判大綱』と「パリ時代」のマルクスを、特に両者の古典派価値規定批判を比較するのか。それは、従来の形成史研究がマルクス価値論成立史をその一つの中心テーマとしており、この「パリ時代」、否「初期マルクス」の価値論は『経済学批判大綱』の完全な影響下にあったと解釈されているからである。そして、ここに従来の形成史研究の破綻が最も明瞭な形で、とは言え自覚されることなく、語り出されていると思われるからである。その明瞭な破綻とは、マルクス「経済学批判」体系形成過程におけるエンゲルス『経済学批判大綱』の意義についてである。
 この意義について、マルクス自身は1859年の『経済学批判』「序言」で次の様に証言している。
「私は、F. エンゲルスとは、経済学的諸範疇の批判の為の彼の天才的スケッチ(『経済学批判大綱』……大石)が『独仏年誌』に)現れて以来、断えず手紙で意見を取り交わし続けて来たが、彼は別の道筋を経て……、私と同じ結果に達していた。[7]」(ただし、強調は大石。)
 ここでは、差し当たり次の三点が重要である。
^ 1843年の『経済学批判大綱』出版時にマルクスはこれを「天才的スケッチ」と評価していること。
_ その評価は、『経済学批判』「序言」を執筆した1859年時にも不変であること。
` そして最後に、『経済学批判大綱』の天才性は、その「経済学的諸範疇の批判の為の……スケッチ」としての性格にあること。
勿論、従来の諸研究も、このマルクスの記述を引用することを忘れてはいない。しかし、従来の諸研究はこの『経済学批判大綱』評価を裏づけ得ないでいるだけではない。その主張を簡潔に要約すれば、むしろ『経済学批判大綱』は「経済学的諸範疇の批判」としては完全な誤りであり、それ以後のマルクスの歩みとは、この『経済学批判大綱』の悪影響から脱出する歩みであった、ということである。この『経済学批判大綱』評価をめぐる、マルクス自身の証言と従来の通説的研究の対立の中に、従来の形成史研究全体の欠陥が語り出されている。
 本章では、先ず従来の研究の方法を再検討した上で()、『経済学批判大綱』と「パリ時代」のマルクスの「経済学批判」の性格──課題、方法、範疇把握──の比較(。)、及び古典派の「真実価値」規定に対する批判の比較へと進み(「)、『経済学批判大綱』の天才性を裏づけると同時に、新しい形成史理解の端緒としての、新しい「パリ時代のマルクス」理解を提起してみたい。


第1章 従来の諸研究の方法的批判

 A 通説とその方法の批判
  a 通説とその成立根拠
 初期マルクスの「経済学批判」に関する通説的見解は、概略以下の様にまとめることができる。
1. 「経済学批判」とは言え、主として価値論が主たる考察対象であった。
2. この価値論について、マルクスは当初『経済学批判大綱』の完全な影響下にあり、時には「逐語的にすら[8]」『経済学批判大綱』の後を追っている。即ち、当初マルクスは『経済学批判大綱』同様、古典派「労働価値説」を「否定」ないし「拒否」していた(『経済学ノート』)。しかし、その後「唯物史観」の成立に伴い(『ドイツ・イデオロギー』以後)、生産における労働の意義を認識するに至り、古典派(特にリカードウの)「労働価値説」を「肯定」ないし「受容」するに至ったのだ(『経済学批判大綱』)、と。
 以上が、ローゼンベルク等に代表される通説的見解である。こうした見解の特徴は、『ドイツ・イデオロギー』を境目として、それ以前をリカードウ労価値説の全面「否定」、それ以後をその全面「肯定」と定式化し、前者から後者への「転向」という形で、マルクス価値論の「発展」をドラスティックな形で提示している点にある。
 理論形成の過程(=運動)が問題である以上、理論的発展が必ず指摘されなければならない。従って、この通説の発展論がドラスティックであるだけに、説得力を持っている。事実、『経済学ノート』と『経済学批判大綱』の両著作におけるマルクスのリカードウ価値論に対する態度は対照的である。疑いもなくこの外見的対照性が、こうした見解の成立根拠を成している。

  b 通説の方法的批判
 だが、仮に以上の一切を認めたとしても、この通説は、マルクス価値論の成立過程を何ら説明していない点に注意しなければならない。何故なら、そこで説かれていることは、マルクスがリカードウになったということであり、マルクスがマルクスになったということではないからである。それはせいぜい「成立前史」であって、「本史」については何も語られていないからである。
 要するに、仮りに通説を完全に認めたとしても、通説でもって形成史研究が終るのではない。むしろ、マルクスがリカードウ価値論から区別されるところの、彼独自の価値論を形成してゆく「本史」は完全に抜け落ちているのである。従って、通説に従えば、研究者の本来の仕事は、『哲学の貧困』以降の著作から、即ち通説の終る所から始まると言わねばならないであろう。ところが、通説はこの成立「前史」をもって「本史」を解明したつもりなのである。
 そこには、成立史研究で本来解明されるべきマルクス価値論の「種差」すら理解されていない、という根本的欠陥が潜んでいるのである。リカードウとマルクスの価値論が同一視されているが故に、通説はリカードウ価値論の「受容」をもってマルクス価値論成立史の「本史」と看做し得るのである。
 この「種差」の無理解という根本的欠陥を生み出した諸原因として、
^ 古典派価値論の理解に関する誤りと、
_ 「批判」や「発展」等の哲学用語に対する無理解が考えられる。
 前者について言えば、戦前、戦中の弾圧下でマルクスの代用品として古典派研究が行われたことと無関係ではあるまい。しかし、弾圧下で止むを得ず古典派の中にマルクスを読み込むことは許されても、今日マルクスの中にスミスやリカードウしか見出さないことは許されるものではない。具体的に指摘すれば、リカードウの「生産費」と彼の「投下労働量」及びマルクスの「社会的必要労働量」の三者を同一視しているのではないか。この同一視故に、マルクスによる古典派価値論「批判」が、「否定」か「肯定」か、「拒否」か「受容」かという次元でしか理解されないのではないか。
 「批判」とは、相手の主張する「全体性」の成立根拠と限界を指摘し、それを一契機とする新たな「全体性」を提示することである。リカードウ「労働価値説」の「拒否」だとされる『経済学ノート』中の『リカードウ評註』は、リカードウ『経済学及び課税の原理』──以下『原埋』と略記──の第一章第4節、第二・第四章への評註であり、そこでの批判点は「生産費」──平均率にある賃金と利潤の合計であって、投下労働量ではない[9]──による価値規定である。これをもって「労働価値説」の「拒否」とし得るのは、先に指摘した二つの原因を共有している者のみである。
 更に、「転向」は「転向」であって、「発展」ではない。「発展」とは、以前には「崩芽」として潜在していたものが、顕現、開花することである。「拒否」から「受客」への「転向」は、仮にその事実があったとしても、「唯物史観の成立」という空語で、「発展」に転化させることは出来ない。「唯物史観」を持つことのなかったスミスやリカードウが「労働価値説」を説いているのであるから、その「受容」にとって「唯物史観」は必要条件ではないであろう[10]。

 B 杉原説とその方法の批判
  a 杉原説とその成立根拠
 ところで、通説の「転向」説は、換言すれば、「断絶」論である。そこでは、『ドイツ・イデオロギー』の前後における「連続」性は一切認められない。これに対して、杉原四郎氏こそは、形成過程の中に積極的「連続面」を見出した数少ない研究者である。氏はマルクスの『経済学批判大綱』評価を裏づけるべく、マルクスの諸文献における『経済学批判大綱』ヘの言及・引用を丹念にフォローし、「価値本質論」が初期マルクスから一貫していること、しかもこの「価値本質論」の出自は『経済学批判大綱』に他ならないことを解明している。
 「価値本質論」とは、「価値の本質を生産費用と消費効用との前者を基礎とする関係として理解する考え方[11]」であり、これは『資本論』にも貫流するものである、という。この連続面をもって杉原氏は、「『経済学批判大綱』の価値論は、この点において、noch nichtという消極的評価とは反対にbeinahe schonという積極的評価をあたえられなければならぬ[12]」と結論している。この杉原氏の「連続」説こそ、先のマルクスの高い『経済学批判大綱』評価を裏づける道を開くものである。しかし、noch nichtが非弁証法的であると同様、beinahe schonも亦、非弁証法的である。そこで次に、杉原説の批判的検討に移ろう。

  b 杉原説の方法的批判
 杉原氏によれば、「価値本質論」は、未だ価値論そのものではなく、「その商品価値論よりもその基礎にある価値の本質論的把握[13]」に他ならない。言わば、価値論を生み出す思想である。そして氏は思想は正しかったと認めた上で、そこから生み出されたはずの当時の「価値論」を「『資本論』のそれとくらべるなら、すくなからぬ未熟と混乱と誤謬をそこに指摘することは決して困難ではない[14]」として、通説をほぼ追認している。
 後に見る様に、『経済学批判大綱』のみに関して言えば、著者とて、この見解から大きく離れている訳ではない。だが、だから当時のマルクスもそうであったと結論するには、従来あまり触れらることのなかった次の二つの点を詳細に検討する必要があると考えるものである。
^ 『経済学批判大綱』とパリ時代のマルクスの価値論はどこまで一致しているのか。
_ 杉原氏が当時のマルクスの「価値論」から「価値本質論」を切り離して評価せざるを得ないのは何故か。
 前者は、両者の同一性と差違性の厳密な検討を必要とする。後者は、「価値本質論」とは単なる「思想」なのか、そう判断させる「理論」の方も再検討することを必要とする。通説同様、杉原氏も『資本論』の「価値論」を冒頭「商品」論と看做し、それを基準として、「理論」(=「価値論」)の成熟度を測っていることにかわりはない。従って、せっかく「価値本質論」という「連続面」を発掘しながら、それは言わば「思想」としてしか評価できないのである。しかし、冒頭「商品」論は、それが以後の叙述の端緒規定であるが故に、研究過程(=形成史)の基準とはなり得ないのではあるまいか。今、節を改めて、この点をもう少し詳しく述べてみよう。

 C 価値論形成史研究の意義と基準
  a 形成史研究の意義
 一般に、ある著作家の形成過程を研究する場合、その著作家の後期の著作を基準とし、それ以前の諸著作を、この基準に照らして評価することは当然である。より発展した形態が明らかにされている場合にのみ、より未熟な形態の何処が、何故、如何に、その後発展してゆくか、亦、発展してゆかねばならないかを明らかにし得るからである。その意味で、「人間の解剖はサルの解剖の鍵である[15]」という言葉は正しい。同様に、資本制的生産諸関係の解剖が、資本制的生産に先立つ諸形態の解剖の鍵である。マルクスが、人類史全体を視野に入れながらも、直接解剖したものが資本制的生産・分配諸関係でしかない理由も、そのことによる。
 だが、ここに一つ注意すべき点がある。それは、その基準となる「人間」や「資本制的生産諸関係」の本質は、直接に、即ち無媒介的に与えられるものではないということである。それらは解剖の出発点であり、従って亦、叙述による展開・説明の到達点でもある。それらの「表象」は、その解剖に先立って、人間とサル、資本制とその先行諸形態を比較・対照することによってのみ与えられるのである。このことは、ある著作家の後期の著作とそれに先立つ諸著作についても完全に妥当するであろう。
 従って、初期の諸著作を評価する基準としての後期の著作は、その著作のみから理解されたものであってはならず、初期の諸著作の理解によって媒介されたものでなければならないことになる。従来の研究に欠けているものは、この媒介であった。
 従来の研究は、「初期」から切り離された「後期」著作の理解、あるいは「初期」の著作の理解によって「反省」されることのない「後期」著作理解を、評価の唯一の基準としているのである。従来の形成史研究において、noch nichtのみが前面に出ているのは、その為に他ならない。noch nichtという先行諸著作評価は、何ら諸著作間の「発展」を解明したものではない。それは単なる「同義反復」でしかない。初期の諸著作が後期のそれに比較して末熱であることは、当然のことであり、詳しい研究を要しないことである。そうした研究は、結局の所、ただ何時成熟したかを明らかにするものでしかない。正しく、「非弁証法的な結果の記述学」であり、得るものの少ない「貧しい」研究である。
 この欠陥を正すには、評価の基準である『資本論』理解を、初期の諸著作から反省する必要があろう。その時、形成過程の研究が従来の『資本論』理解に反省を迫り、結果的に『資本論』の理解を「豊かに」するであろう。丁度、『経済学批判要綱』の「自由時間」論等が、『資本論』に新しい光を当てた様に。本来、形成過程を研究する意味は、正しく、この形成過程(=運動)から「結果」を反省することにあるのである。
「ある事柄に関して、問題は、目的とされているものの内に尺きるのではなく、それを実現する過程の内に存する。亦、結果が直ちに現実的な全体ではなく、その結果を生ずるに至った生成と合せて全体なのである。……むきだしのままの結果は、それに向かってきた動きから離れた屍に他ならない。[16]」

  b 価値論形成史の基準は何か
 ところで、従来のマルクス価値論形成史研究において、基準は疑いもなく『資本論』冒頭「商品」論であった。たとえ、その理解がリカードウ的に歪められていたにしても、「商品」論こそ「価値論」であり、「価値論」形成史の基準も亦それ以外に存在するはずはない、というのが常識てある。
 だが、常識を破壊する所から科学が始まる。『資本論』における叙述が「商品」論から、その価値規定から始まっていることは言うまでもない。だからといって、否、それ故にこそ、この価値規定は形成過程評価の基準になり得ないのではなかろうか。「研究の順序と叙述の順序は逆[17]」だからである。
 通説は明らかに、価値論が形成されて始めて剰余価値論ひいては蓄積論が形成されると考え、主張している。だが、形成過程(=研究の順序)を虚心坦懐に考察すれば、順序が逆転していることは明らかである。「商品」論は、1859年の『経済学批判』において始めて登場したのである。「発生的叙述」をもって真に学的展開とするマルクスにおいて、この叙述の「始元」は、後に展開・説明されるべき事柄が決まった後で、その「反照」として、最初に叙述すべき事柄が明らかになるからに他ならない[18]。
 そこから、叙述の「始元」は、叙述全体の中で一番未熟な規定の提示でしかない、ということが判明する。商品の価値規定が「価値」の全体ではないのである。真の「値価」は、むしろ後に展開される「市場価値」であり、商品の価値規定は、そこに至る最初の、「抽象的」規定──有機的全体から分離され、固定化された一つの契機──でしかないのである。
 クーゲルマン宛の手紙[19]で明確に述べられている様に、
@どんな社会も労働の上に成立しており、
A種々の欲求量に対応する生産物量が、社会的総労働の種々の量的に規定された量を必要とする。
B「価値」とは、この社会的総労働の分配の、ある歴史的に発展した形態に他ならない。
 商品生産社会において、この分配は商品交換の結果としてのみ行なわれ得るのであるから、「価値」は「価値法則」の形で、価格変動という過程(=運動)を通してのみ現れるのである。
 これに対して言えば、「商品」論の価値規定は「個々の生産物を手にとって、それが商品として含んでおり、それに商品の極印を押すところの、いろいろな形態規定性を分析[20]」したものでしかない。それは「ただ潜在的にだけ実在する[21]」ところの、言わば「交換可能性」の提示に過ぎないのである。
 この様に考えてくると、通説の評価規準の不当性が明らかになってこよう。それと同時に、「経済本質論」や「競争重視」に連続性を見る杉原説の欠陥も明らかになろう。「価値論」から区別された「経済本質論」や「競争重視」が連続しているのではない。マルクスの価値論とは、元来がそれらの契機を含むところの価値法則論なのではないのか。丁度、「資本」が一つの「社会関係」であり、一つの「過程(=運動)」を表わす範疇であるのと同様、「価値」もまた一つの「社会関係」であり、一つの「過程」なのではあるまいか。少なくとも、『経済学批判大綱』でのエンゲルスや当時のマルクスが問題にしたところの「価値」規定が、冒頭「商品」論の価値規定とは次元を異にしていることは見落されてはならないことである。マルクスのリカードウ価値論批判が、リカードウ『原理』の第一章第4節、第2章及び第4章の論点に集中していることは、そのことを意味しているのであろう。


第2章 「経済学批判」における両者の同一性と差違性

 A エンゲルスの「経済学批判」
  a 課題
 エンゲルスにとって、重商主義もスミスの自由貿易学説も同じ「国民経済学」であり「致富学」である。それらは共に、「商業が拡大した自然の結果」であり、「貨幣欲と利己心」とを本質とし、安く買い、高く売ることを原理とするところの「公然とゆるされた詐欺の完成された体系」に他ならない。勿論、重金主義→狭義の重商主義→古典派の流れの中には、進歩が認められる。エンゲルスによれば、「至る所で『貴』金属の輸出を禁止した」重金主義は、その「原則が徹底的に実行されたなら、それは商業を死滅させてしま」うことから、より博愛的な「貿易差額説」へと移行した。更に、「革命の世紀である18Cは、経済学をも変革し」、自由貿易学説を生み出したが、「この世紀の革命がすべて一面的で対立におちいったままであったように、……(この……大石)経済学上の革命もまた対立を克服しなかった」。
 その原因は、自己の基礎である「私的所有の正当性を疑ってみようとは夢にも思わなかった」からであるという。自由貿易学説は、商業、即ち「私的所有の最初の結果」を前提している。そして、この商業において利害の対立は不可避である。従って、この私的所有の正当性を疑うことのない自由貿易主義は、利害の対立を美辞麗句で隠蔽するという「論弁と偽善(Sophistik und Heuchelei)」に陥いらざるを得ないという。その意味で、エンゲルスはスミスを「国民経済学のルター」と呼ぶ。
 「重商主義はまだ、一種の天真爛漫なカトリック的率直さをもっていて、商業の不道徳な本質を少しも隠さなかった」。これに対して、スミス以降「プロテスタント的な偽善があらわれ」、リカードウからマカロック、ミルへと時代が下がるに従って、この偽善はひどくなるという。こうしてエンゲルスの課題は、この偽善を暴露すること、即ち古典派を論弁と偽善に追いやった「矛盾」、私的所有の不当性と商業の不道徳性を明らかにすることとなる。

  b 方法
 エンゲルスにとって「経済学批判」の目的が、古典派の詭弁と偽善の暴露であるとすれば、その方法は自ずから、彼らの経済学的諸範疇をとりあげ、その範疇の中の詭弁を剔出することとなる。
「そこで、国民経済学を批判する際には、我々は基本的カテゴリーを研究し、自由主義によって持ち込まれた矛盾を暴露し、この矛盾の両側面から生じる結論を引き出すであろう。[22]」
 エンゲルスは、この古典派の諸範疇の批判を、「純人間的・普遍的基礎」から出発することで行うと述べている。その意味する所は、重商主義と古典派の両方を正当に評価する為には、両者の共通の基礎である「私的所有」そのものをも疑ってみる必要があり、自分はそういう立場に立っている、ということであろう。

  c 範疇把握とその展開
 『経済学批判大綱』の範疇把握で、先ず人目を引くことは、エンゲルスが経済的諸範疇が現下の生産・分配諸関係の理論的反映であることを理解し得ず、私的所有を廃棄した後の共同体こそがそれらの本来的領域と考えていた様に思われる記述が多いことである。
 例えば、「価値」に関する次の一節などはその典型であろう。
「私的所有が廃棄されるや否や、……価値概念を実際に適用することは、ますます生産について決定を下すことに限られるようになるであろう。そしてこれこそ価値概念の本来の分野なのである。[23]」
 しかし、この一節から彼の範疇理解を一般化する際、次の二点を忘れては片手落ちとなろう。まず第一点は、こうした記述は先立って、エンゲルスは、「商業」を「私的所有の最初の結果[24]」として、そして「価値」をこの「商業によって条件づけられる第一のカテゴリー[25]」と規定している点である。従って、『聖家族』においてマルクスが次の様にプルードンとエンゲルスを区別していることは、単なる世辞ではないであろう。
「プルードンが、例えば賃金、商業、価値、価格、貨幣などのような私的所有の詳細な諸姿態(Weiteren Gestaltungen)を、例えば『独仏年誌』でやられたように(F. エンゲルスの『国民経済学批判大綱』を見よ)、正に私的所有の諸姿態として捉えるのではなく、これらの経済学的前提をとりあげて経済学者とあらそっているのは、先に述べた、歴史的に是認された彼の立場(あらゆる科学の最初の批判は、それが問おうとする科学の諸前提に、どうしてもとらわれる……大石)に全く照応するものである。[26]」
 第二点は、「批判」ということに関連して、経済学的諸範疇を資本制的生産・分配諸関係の理論的反映として捉えるということは、古典派の諸範疇をそのまま採用することではないという点である。どこまで古典派の諸範疇が正しい反映となっているかを検討し、正しい反映として諸範疇を規定し直してゆくこと、これが範疇「批判」であり、経済学「批判」である。事実、古典派の「価値」について、『剰余価値学説史』においてすら「価値と価格の混同」が指摘されていることは周知のことがらであり、古典派「価値」論は、後期のマルクスから見ても「批判」されなければならないものなのである。
 そこで改めて、『経済学批判大綱』の範疇把握に戻って考えて見よう。エンゲルスは基本的には経済学的諸範疇を生産諸関係の理論的反映として捉えている。にも拘らず、先の引用文の様に、それと矛盾する様な記述も残している。とすれば、先の引用文の意味するものは、歴史的な形態の中に、歴史貫通的なものを見出し、それを一層合理的に展開できるものとして、将来の「共同体」を描きたかったと解釈すべきではあるまいか。こう解釈して始めて彼の「純人間的、普遍的立場」も生き、「価値本質論」も生きてくるのである。今エンゲルスの真意を、彼の「価値」論に即して言えば、次の様なものではあるまいか。
 商品の「価値」には、それを生産するのに必要な「絶大な努力と莫大な費用」と「効用」の「両要素」があり、この両者の関係は、「その物の効用は生産費をつぐなうか否か」即ち「ある物を総じて生産すべきか否か[27]」を決定することにある。ところが、私的所有下においては、この「効用」を正確に掴むことは不可能であり、それが本当に可能となるのは、私的所有を廃棄した後の共同体においてである、と。
 では次に、『経済学批判大綱』での諸範疇批判の要点を整理してみよう。
 先ず第一に、批判されているものは、古典派の「真実価値」規定である。
 次いで「生産費」概念(地代、利潤、賃金)が批判され、「競争本質論」に到達する。それ以後は、この「競争本質論」を「基礎視点として、競争の法則から展開される現実的諸現象[28]」が批判されているに過ぎないので、ここでは省略する。
 そこで先ず、「真実価値」規定批判から見ておこう。エンゲルスの批判の第一点は、古典派における「価値」と「価格」の混同にある。通説に反して、エンゲルスは「価格が生産費と競争との相互作用によって決まるということ[29]」、古典派の「真実価値」は、「競争関係が均衡し、需要と供給が一致したときの価格[30]」であることを認めた上で、しかし「それは価格の一規定性に他ならない[31]」と批判している。問題は、次の点にある。
「経済学では万事がこのように逆立ちしているのであって、本源的なものであり、価格の源泉である価値が、それ自身の生産物である価格に従属させられているのである。[32]」
 例えばスミスにおいて、valueとはprice in labourである。先行者に比較すれば、in labourという点に進歩があるにしても、所詮はpriceの一規定性でしかないのである。
 第二に、この価格から区別される価値概念を規定するに際して、リカードウの「生産費」による規定とセーの効用による規定の両方が、各々一面的として批判されている。リカードウの「生産費」とは、言うまでもなく、平均率にある賃金と利潤の合計であり、「投下労働量」と「比例関係」にあるとは言え、直接に等置されている訳ではない[33]。
 以上の批判点の詳細は次節に譲り、『経済学批判大綱』の「生産費」批判に移ろう。古典派の「生産費」を構成する「地代」、「資本とその利得」、「資金」の三要素の内、「資本とは『蓄積された労働』である[34]」から、結局、これらは、「自然的側面である土地」と「人間的、主体的側面である労働」の二要素に還元される。
 エンゲルスの批判の第一点は、第三の要素、即ち「発明とか思索とかいう精神的要素[35]」を経済学者が見落している点にある。
 批判の第二点は、これら三要素の分裂が、その「原因(Kausation)」が説明されていないという点にある。エンゲルスは、生産の三要素が生産に果たす「機能」、真の「生産費の決定に対して……持つ意義[36]」は、「まったく別種のものであって、ある第4の共通の尺度で測れるものではない。従って現在の事情(私的所有……大石)の許では、……競争または強者の老獪な権利がことを決定する[37]」しかない、という。これに対して、エンゲルスの考える範疇展開は、次の様に記されている。
「@我々は、資本と労働が本源的には同一であることを見た。更に我々は、経済学者自身の説明から、労働の成果である資本が、生産過程ですぐにまた……労働の材料になり、従って一瞬間だけ生じた資本と労働との分離が、すぐにまた両者の統一によって止揚されるのを見た。Aだが経済学者は、それにも拘わらず資本を労働から切り離し、両者の分岐を固執し、同時に統一の方は、『蓄積された労働』という資本の定義によってしか認めない。私的所有から生じる資本と労働との分裂は、この分岐した状態に照応し、かつこの状態から生じる労働そのものの分岐に他ならない。Bそしてこの分離が成し遂げられた後には、資本は再び最初の資本と、資本の生産過程で受け取る資本の増加分である、利得とに分かれる。Cもっとも実践そのものはこの利得をすぐにまた資本に付け加えて、資本とともに流通させる。Dところでこの利得そのものも、再び利子と本来の利得とに分けられる。[38]」(番号は大石。)
 この範疇展開を、当時エンゲルスが読んだセーの『経済学概論』のそれと比較すれば、その特徴は一目瞭然である。即ち、セーにおいて、「富の性質と流通に関する諸原理」(所有権、富、価値、価格等)→「生産の現象に関する諸原理」(生産の三要素及び方法等)→「所得の源泉と分配」(生産費、利潤、賃金、利子、小作料等)の順に諸範疇の展開がなされているとは言え、その「生産」は超歴史的な生産である。これに対して、『経済学批判大綱』の範疇展開は資本制的生産過程を分析対象として、そこから賃金と利潤、利潤の利潤と利子への分裂という順序を採っている。しかも、この展開を通してエンゲルスは、私的所有下における生産者が「類意識のない細分された原子として」しか生産しない為に、「商業恐慌」という「周期的な革命」は不可避であること、私的所有のこの発展によって、「現代の闘争は普遍的・人間的なものになることが出来た[39]」のであり、「社会関係の完全な変革[40]」による「大転換、即ち、人類の自然との宥和及び人類自身との宥和という大転換への道[41]」が開かれていることを示している。ここにマルクスとエンゲルス──プルードンではなく──が終生の友となる根拠がある。

 B マルクスの「経済学批判」
  a 課題
 マルクスは『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕において、古典派の諸用語や諸法則を受けいれ、その諸帰結を批判的に剔出した後で、自らの課題がそれらの諸法則の「概念的把握[42]」にあると述べている。
 私的所有の諸法則の概念的把握とは、私的所有の本質からそれらが如何に発生するか、諸範疇とこの本質との内的連関を解明することである。この私的所有の本質は、私的所有の発展の頂点である資本(−賃労働関係)の生産過程分析を通して、「疎外された労働」概念として剔出される。
 ところで、この「私的所有の本質」は、単に資本制社会の構造及び運動諸法則を概念的に把握する為の基軸であるばかりではない。それは同時に、経済学の発展史(私的所有の主体的本質の認識史)を理解する基軸でもある。何故ならば、資本−賃労働関係という私的所有の形態において、富の主体的本質は「労働一般[43]」という「普遍性と描象」度の完成形態に達しており、この形態においてはそれ以前の富の本質が、その特殊な一形態として包含されているからである。経済学の歴史は、この現実の発展を科学的に反映してゆく過程でしかない。
「土地所有と対立する産業(Industrie)……の主体的本質が捉えられさえすれば、この本質が自分の中に自分のあの対立物を含んでいることが、すぐ自ずから理解される。というのは、止揚された土地所有を産業が包括しているのと同様に、産業の主体的本質は同時に土地所有の主体的本質をも包括しているからである。……私的所有の主体的本質、即ち労働を科学的に捉える際にも、この過程はもう一度繰り返されるのであり、こうして労働は最初はただ農耕労働としてだけ現れるが、しかし次に労働一般として通用するようになるのである。[44]」
 この様に、「私的所有の本質」を軸として、土地所有から産業への私的所有の発展と、それに対応した経済学の発展の論理的必然性を理解するマルクスにとって、エンゲルスの「スミスは国民経済学上のルター」という言葉も、次の様な意味に「改訳」=「批判」されてしまう。
「だから富の主体的本質を──私的所有の枠内で──発見したところの、この啓蒙された国民経済学にとっては、私的所有を人間に対する単に対象的な存在としてしか認めない重金主義及ぴ重商主義の一派は、呪物崇拝者、カトリック教徒に見える。それ故エンゲルスは、正当にもA.スミスを、国民経済学上のルターと名づけた。ルターが……聖職者を俗人の心胸の中へ移し入れた故に、俗人の外に存する聖職者を否定したのと同様に、……人間そのものが私的所有の本質と認められることによって、人間の外にあって人間から独立した……富は止揚される……のである。[45]」
 勿論、スミスによる富の主体的本質の発見は「私的所有の枠内」でのことである。スミスは、この本質としての労働が「辛苦と骨折り(toil and trouble)」であると述べるが、この労働のあり方を永遠視することによってそれを人間的な、当然のあり方と看做す。そこで、一方で労働こそが富の唯一の本質であると主張しながら、他方で彼が科学的に私的所有の諸法則を明らかにすればするほど、その労働の担い手たる労働者の窮状を描き出しながら、その間に何の理論的矛盾も感じない。「こうした偽善を脱ぎすて、その完全なシニズムをむきだし」にした国民経済学。このシニシズムを、私的所有の本質が「疎外された労働」に他ならないことから解明すること、これがマルクスの課題であった。
 要するに、エンゲルスとマルクスの「経済学批判」の課題の間には、「スミスは国民経済学上のルター」の意味内容、「偽善と詭弁」か「シニシズム」かに代表的に示されている様に、決定的な相違が存在する。マルクスの頭脳にかかると、エンゲルスの『経済学批判大綱』も換骨奪胎され、新たな意味を持たされるのである。

  b 方法
 マルクスの「経済学批判」の方法を考えるにあたり、何よりも先ず注目すべきは、彼が資本制社会の構造法則のみを問題としているのではない点である。私的所有が土地所有に始まり、資本−賃労働関係においてその発展の頂点に達すること、その頂点は同時にその没落に他ならないことをも、私的所有の必然的法則として概念的に把握しようとしている[46]。
 この私的所有の生成−発展−消滅という運動法則の概念的把握は、「私的所有の一般的本質」とその運動との内的連関を解明することに他ならないのであるが、マルクスはこの本質を、私的所有の発展の頂点、即ち、資本−賃労働関係、しかもその生産過程の分析から剔出する。『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕の所謂「疎外された労働」概念がそれである。何故ならば、発展の頂点においてこそ、本質はその即自態を脱し、明瞭なものとなっているからである。
 資本−賃労働関係が「頂点」であること、それが「没落」の始まりであることは、資本−賃労働関係において、私的所有の本質が客体的にも(素材に対する「抽象度」)、主体的にも(「労働一般」)完成形態にあり、「矛盾」関係にあることで説明されている。「人間の解剖は、サルの解剖の鍵である」と言われる様に、私的所有の発展の頂点である資本制的生産・分配諸関係の解剖は、私的所有の生成−発展−消滅の鍵なのである。
 マルクスの方法の第二の特徴は、近代市民社会と政治的国家の分裂の基礎を、近代市民社会に、しかもそこでの諸個人の「私人(boufgeois)と公人(citoyen)ヘの分裂に求めていることである。そこから、資本制的生産・分配諸関係は「類(Gattung)の疎外された関係、擬似的「社会」に他ならず、政治的国家もこの市民社会における「特殊」性をただ政治の次元において止揚する擬似的「共同体(Gemeinwesen)に過ぎないこと、真に人間的社会は、この「個」と「類」との分裂の止揚、「疎外された労働」の止揚、「真の、活動的所有[47]」によって始めて可能であると展望されるのである[48]。従って、マルクスの「経済学批判」においては、その諸範疇の批判的叙述を通して、「個」と「類」、「私人性」と「社会性」の分裂、対抗が描き出されてゆく。

  c 範疇把握とその展開
 次にマルクスの範疇把握について述べるならば、彼の場合は、エンゲルスと比較して一層明確に、経済学的諸範疇を資本制的生産・分配諸関係の理論的反映として捉えている。先に引用した『聖家族』の一節が、そのことを証明している他、例えば次の様な一節も上げることができよう。
「極貧状態に関するイギリスの見方……をもっとずばりと言い表しているのは、イギリスの国民経済学、即ちイギリスの国民経済状態の科学的反映である。[49]」
「我々が疎外された、外化された労働の概念から分析を通して私的所有の概念を見つけ出して来た様に、これら二つの要因の助けをかりて、国民経済学上のすべての範疇を展開することが出来る。そして我々は、例えば掛値売買、競争、資本、貨幣といった各範疇において、ただこれら二つの最初の基礎のより規定された、そして展開された表現を、再発見するだけであろう。[50]」
 後者の引用文中でマルクスは、「すべての範疇を展開することが出来る」と述べているが、この当時どこまで範疇展開していたのであろうか。詳しくは本書第四篇第9、10章の参照を乞うとして、結論だけを示せば、パリ時代のマルクスは、「疎外された労働」「私的所有」と「資本」(「賃金」と「剰余価値」に相当する広義の「利潤」)を展開できたに留まっている。だが、ここでマルクス自身言明している様に、それらが他の諸範疇を展開する基礎であることを方法的に十分認識した上での、単に作業上の未成熟だという点が重要である。正しく、この点にこそ、マルクスの「天才的スケッチ」という高い『経済学批判大綱』評価が関係してくるからである。
 『経済学批判大綱』は、生産過程に先立つ流通部面での「資本」と「労働」の分離、生産過程におけるこの分離の止揚、そして最後に、分配における「賃金」と「利潤」との分裂、後者の「利潤」と「利子」との分裂という範疇展開を描いていた。パリ時代のマルクスは、この『経済学批判大綱』のスケッチをより厳密に跡づけてゆくことが出来る地点に到達していた。そのことは、『経済学・哲学草稿』「第二草稿」と『経済学ノート』「ミル第一評註」の各々の末尾で、次なる課題を以下の様に整理していることからも明らかであろう。
「私的所有の関係は、労働、資本、及びこの両者の関連である。この両項が通過しなければならない運動は、次の通りである。第一に、──両項の直接的な統一と媒介された統一。──
〔第二に〕両項の対立、これらは相互に排斥し合う。……
〔第三に〕各自の、自己自身に対する対立。資本=集積された労働=労働。この様なものとして、資本は自己とその利得に分解し、同様に亦、利得は利得と利子に分解する。……[51]」
「労働の自己自身からの分裂=労働者の資本家からの分裂=労働と資本との分裂。……分配は私的所有の力の発揮である。──労働、資本、土地所有相互の分裂は──労働と労働との、資本と資本との、土地所有と土地所有との分裂も、最後に、労働と労賃との・資本と利得との・利得と利子との・そして最後に土地所有と地代との分裂も亦そうであるが、──自己疎外をして自己疎外の姿態をとって現象せしめるばかりではなく、同時に相互規定的な疎外の姿態をとっても現象せしめる。[52]」
 要するに、パリ時代のマルクスは、『経済学・哲学草稿』〔第一、第二草稿〕における資本制的生産過程の二側面の分析を通して、経済学的諸範疇の批判的展開の基礎を獲得していた。しかし、その持ち前の徹底性故に、その範疇展開を、「経済学批判」を完成し得ないでいたのである。このマルクスに比較して、その秀才故に、いとも簡単に範疇展開をして見せたのものが、エンゲルスの『経済学批判大綱』に他ならない。それ故、マルクスは、『経済学批判大綱』における諸範疇批判を「天才的スケッチ」と評価したのである。


第3章 古典派価値規定批判における両者の同一性と差違性

 A エンゲルスの古典派「真実価値」批判
 前節で見た様に、エンゲルスの「経済学批判」は、自由主義の「偽善と詭弁」を暴露すること、即ち諸範疇の中に自由主義が持ち込んだ矛盾を暴露することを意味した。今や、「価値」概念に即して、その経済学批判を見てみよう。
 先ず注目すべきは、エンゲルスが価値と価格を明確に区別していることである。エンゲルスに依れば、「価値」概念は「価格」の「源泉」であり、「本源的なもの」であるのに対して、「価格」は「それ(価値……大石)自身の産物」でしかない。
 この区別は、価値が「ある物を総じて生産すべきか否か……という問題を解決する」ものであるのに対して、価格はこの「価値を交換に適用」したものと表現されている。この区別は、古典派の「価値」が市場価格の「中心」としての「自然価格」でしかないのに対して、全く異なる基準に基づいた区別と言える。
 第二に注目すべきは、その「価格」規定である。先に見た様に、エンゲルスは市場価格に中心があること自体を「否定」したり、「拒否」しているのではない。彼は価格を「生産費と競争との相互作用」と規定して、次の様に記している。
「ところで、価格が生産費と競争との相互作用によって決定されるということは全く正しいことであって、私的所有の基本法則である。これは経済学者が発見した第一の法則であり、純経験的な法則であった。[53]」
 ここで注意すべきは、エンゲルスの「生産費」である。『経済学批判大綱』における「生産費」概念は、リカードウのそれとは異なる。直ぐ後で考察する様に、エンゲルスは「価値」概念を「ある物を総じて生産すべきか否か……という問題を解決する」ものとして、「生産費と効用との関係」と規定している。この「価値」概念を交換に適用したものが、彼の「生産費と競争との相互作用」という価格規定に他ならない。従って、「価格」規定中の「生産費」とは、文字通り、その商品の生産に要した費用に他ならない。この費用をエンゲルスは、商品の生産にかけた「絶大な努力と莫大な費用[54]」とか、「生産の際につぎこんだもの[55]」とも表現している。この「生産費」は、社会的平均というよりは個別的費用という性格が強いことは事実としても[56]、古典派の「生産費」(平均率にある賃金と利潤の合計)が「生産」において規定され直され、批判されていることは決定的に重要である。
 「我々は、(古典派の……大石)生産費を研究する際、このカテゴリーも亦競争に基礎を置いていることを見るであろう。[57]」
 では、「価格」規定中の「競争」についてはどうであろうか。エンゲルスに依れば、「物の効用の大小についてある程度客観的で、外見上普遍的な決定に達するただ一つ可能な方法は、私的所有の支配のもとでは競争関係である[58]」という。つまり、ここでの「競争」とは「交換」の場で現れた、あるいは現れる限りでの「効用」に他ならない[59]。
 この様に、「価格」規定について見る限り、エンゲルスの古典派批判は、古典派の「真実価値」が単なる価格の一規定(「競争が均衡し、需要と供給が一致した時の価格」……大石)に他ならない[60]」こと、価値概念から価格概念が展開されていないという点にある。だが、この批判は、次に見る古典派「(真実)価値」規定に対するラディカルな批判の一現象形態あるいは裏面なのである。
 そこで第三に、エンゲルスの「価値規定」について考察して見よう。エンゲルスに依れば、価値の「本来の領域(Sphare)は、「ある物を総じて生産すべきか否か」という「生産について決定を下すこと」にある、という。即ち、「その物の効用は生産費をつぐなうか否か、という問題を解決することである」、という。この観点から、彼は「価値」が「効用」と「生産費」の「両要素を含んでいる」と主張し、「価値とは、生産費と効用との関係である[61]」と規定する。エンゲルスの古典派価値規定批判は、この規定を根拠として、リカードウの「生産費」による価値規定も、セーの「効用」による価値規定も各々一面的であるという点にある。
「だが今事態はどうなっているか?既に見た様に、価値概念は無理矢理に引き裂かれて、個々の側面があたかも全体であるといいふらされているのである。[62]」
 『資本論』冒頭での価値規定を基準に裁断する安易な方法を捨て、エンゲルスの真意を理解する為に彼の価値規定をもう少し詳しく考察して見よう。「生産費」については、既に見たので、ここでは、「効用」について見ておこう。
 エンゲルスは言う。「効用」とは、何らかの「役に立ち」、誰かが「欲しがる」ことであり、「純主観的なもの、絶対的な形で規定できないもの」である。従って、例えばエンゲルスが「物の効用の大小について……決定する」とか「物の(実際の)固有な効用」と記す場合、それらは一つの社会全体の「需要」を指している。この様に、「効用」=「需要」と解釈する時、エンゲルスの恐慌論と価値論との接点も開けてくる。
 エンゲルスに依れば、私的所有下において生産者は需要の規模を知らず、「供給は、常に需要のすぐ後を追うが、しかし正確にそれに合致するようには断じてならない」。需給の変動、即ち「ある場所で失われたものが他の場所で取り戻されるという不断の平均を伴うこの法則」とは、「純然たる自然法則であって、精神の法則ではない」。この価値法則は、経済学者が言う様な「美しいもの」ではなく、「商業恐慌」という「周期的な革命によってしか貫徹できない一法則[63]」でしかない。その根本原因は、「人類のこの無意識状態の許では、誰も前者や後者(需要や供給……大石)の大きさを知らない」からである。従って、この商業恐慌を克服する唯一の方法は、「類意識のない細分された原子としてではなく、人間として意識的に生産」する以外にはない、とエンゲルスは言う。
「生産者自身が、消費者はどれだけのものを必要としているかを知り、生産を彼ら自身の間で配分するならば、競争の動揺とその恐慌への傾向はあり得なくなるであろう。[64]」
 以上のエンゲルスの価値規定から、次の様に結論出来よう。『経済学批判大綱』における「価値」は、個々の「商品」の価値規定というよりは、社会全体の労働配分に係わるものだということである。『資本論』においてこの「価値」規定に対応しているものは、冒頭「商品」の価値規定ではなく、「市場価値」規定であろう。確かに、『経済学批判大綱』には、私的所有下において「価値」概念は本来の力を発揮できず、私的所有を止揚した後こそが、その「本来の領域」だとする記述が存在する。しかし、この記述におけるカテゴリー把握の未熟性を指摘するだけでは片手落ちであろう。この記述には、恐慌を不可避的に伴う価格変動の中に、労働の社会的配分という歴史貫通的な事柄を見出しているというメリットも同時に含まれているのである。では次に、この『経済学批判大綱』の価値概念が当時のマルクスによって如何に批判的に摂取されていたかを見てみよう。

 B マルクスの古典派「真実価値」批判
 パリ時代のマルクスの諸文献を一瞥すれば、通説が主張する様に、マルクスが文字通り『経済学批判大綱』の後を追っている様に見える。だが、すこし詳しく検討して見ると、そこには雲泥の差があることが明らかになろう。例えば、同じく「A.スミスは国民経済学上のルターである」と記した時にも、エンゲルスの言葉が全く別の新しい意味を持たされていたのと同様、エンゲルスの「価値」規定はマルクスに依って換骨奪胎されている。今、マルクスに依る『経済学批判大綱』の「要約」を見てみよう。
 マルクスは「価値とは生産費の効用に対する関係である[65]」と要約しているにも拘らず、何処にも「私的所有が止揚されるや否や」という一節は見当たなない。それは単に省略したという事ではない。マルクスには、『経済学批判大綱』の「私的所有を止揚した後」こそが「価値概念の本来の領域なのだ」という考えが無いからである。
 マルクスの「経済学批判」の方法を考察した所で、マルクスが「疎外された労働」と「私的所有」の二つの概念の助けをかりて、これら二つの「より(具体的に……大石)規定され、展開された表現」として一切の経済学的諸範疇を展開するつもりでいたことは既に見た。更に亦、『聖家族』においても、経済学的諸範疇を私的所有の「具体的な諸姿態」と述べていた。これらの記述からも明らかな様に、マルクスにおいては、私的所有の止揚後が価値概念の本来の領域などということはあり得ないのである。つまり、マルクスは諸範疇を私的所有の具体的諸姿態として、生産及び分配諸関係の理論的反映として把握した上で、価値、価格規定及び価値から価格への展開[66]という方法をそのまま『大綱経済学批判』と共有しているのである。これが第一の要点である。
 第二の要点は、価値概念から価格概念を展開する点に関して、マルクスはエンゲルに較べて一歩進んでいることである。エンゲルスは、古典派の「生産費」に「商品の生産に必要な労働量」と「自然価格」の二義があること、そして後者の意味での「生産費」による「真実価値」規定は一面的であると批判していた。この二つに加えて、マルクスは古典派の「生産費」には第三の意味があることを指摘している。それは、資本家にとっての「生産に必要な費用」、つまり後の「費用価格」に他ならない。
 通常、マルクスがこの「生産費」の三義を整理・区分したのは『1861-3年草稿』において始めてであると言われる。しかし、このパリ時代に既にマルクスはこの三義に気づいている。否、ただ気づいているだけでない、「自然価格」を「価格」と規定し、この「価格」の成立過程を、つまり諸価格の変動とこの変動を通じての「価値」の成立を概念的に把握する為の媒介項が「費用価格」としての「生産費」だと位置づけてすらいる。以下、その事を論証して行こう。
 先ず最初に、マルクスが先行経済学者の「生産費」に三義あることを知っていた点について、個々に見ておこう。
^ 「投下労働量」としての「生産費」について
 エンゲルス『国民経済学批判大網』とパリ時代のマルクスが当時利用したリカードウ『原理』は、セーによる注釈のついたコンスタンチオによる仏語訳であり、その第1章「価値について」の「もし貨物に体化された労働の分量がその変換価値を左右するとすれば、……云々」という原文に、「……従って、交換価値は生産費とともに増大することはない」というセーの注釈がついている。この一節にマルクスは「リカードウは価値の規定において生産費のみを固執し、セーは有用性のみを固執する」と評註している。ここでマルクスが使う「生産費」が「貨物に体化された労働の分量」であることは明白である。
_ 「費用価格」としての「生産費」について
 『原理』第2章「地代について」においてリカードウが差額地代論を展開し、「従って地代は商品の価格の一要素ではない」と結論した箇所で、マルクスはセーの注釈を逆手にとって、資本家が商品を生産するのに必要な費用としての「再生産費」を引き出してゆく。
「@このところにセーは注記して、地代は商品の生産に必要な費用の総額の一部分ではないから、その限りで確かに商品の自然価格の構成要素ではないが、商品の市場価格の一部分ではある、と述べている。A一般に次のことは興味深い:B自然価格はスミスに従えば賃金と地代と利潤とからなる。C土地は生産の為に必要であっても地代は必要な生産費の部分に入らない。D利潤も亦生産費の部分ではない。E土地と資本が生産に必要なことは、資本と土地との維持の為に労働などが必要である限りにおいてのみ費用として評価されるに過ぎない。つまりそれらの再生産費用なのである。……[67]」
 ここでの主眼は、「生産費」という範疇にふさわしい(内容と形式の一致)ものは、賃金と資本・土地の再生産費の合計である、ということを示すことにあると思われる。
` 「生産価格」としての「生産費」について
 これはリカードウの「生産費」そのものであり、特に例証を挙げる必要はないであろう。差し当たり、直ぐ後で引用する一節もその一例と言えよう。
 では次に、当時のマルクスが以上の三義の「生産費」を如何なる連関において把握していたかを見てみよう。
 マルクスの古典派「真実価値」規定批判を理解する上で最も重要な点は、彼の課題が古典派が現実の中から抽象して来た諸法則を私的所有の内的・必然的諸法則として概念的に把握する点にあったという事である。それは「価値」法則についても妥当する。そこで、我々の論証は、この点の考察から始まる。マルクスは、次の様にリカードウとセーの各々の一面性を批判している。
「@生産費が価値規定の唯一の契機だということを述べた場合にもそうだった様に……ミルは──一般にリカードウ学派はそうだが──次の様な誤りを犯している。即ち、この学派は推象的な法則を述べて、この法則の転変と不断の止揚──それを通して法則は始めて生成するのだが──を無視している。A例えば、生産費は究極において──というよりも、むしろ偶然的に需要と供給との一致が生じた場合に価値を規定する、というのが不変の法則であるというのなら、B需要と供給は一致しないし、従って価値と生産費との間に何ら必然的な関係はない、というのも、同様に不変の法則である。C事実、需要と供給とは、いつでも、それに先行する需要と供給との変動を通して、つまり、生産費と交換価値との不釣合を通して、ただ瞬間的に一致するに過ぎない。それはこの変動と不釣合とが再びあの瞬間的な一致の後に続くのと、全く同様である。ところが、この真に現実的な運動──リカードウ学派の法則はこの運動の抽象的な、偶然的で一面的な一契機に過ぎないのだが──は、近年の国民経済学者達によって偶然事、非本質的なことだとされている。[68]」
 言うまでもなく、この一節においてAとBは対句になっており、両者はリカードウとセーの見解が商品の価値を決定する運動の諸契機の一つを取り出したものでしかないことを指摘している。これに対してマルクスの積極内見解は@とCに示されており、真理はこれら両契機からなる運動そのものである、というのがそれである。
 従って、リカードウに対する批判のみを取り出して言えば、次の様に言えよう。即ち、リカードウは、需要と供給の変動は市場価格のみに影響し、自然価格は「生産費」によって決まるのが「法則」だと主張しているが、問題は、価格変動を通して初めて価格はその「生産費」(平均賃金+平均利潤)に収斂するのだ、と。そのことが私的所有の必然的法則であること概念的に把握することであると。私的所有の本質との内的・本質的連関を確証すること、これが問題なのだと。
 ここで『経済学批判大綱』のそれと比較して、マルクスの批判の特徴を明らかにしておこう。確かに、リカードウとセーの価値規定の一面性を指摘している所までは両者は同一である。しかし、マルクスの場合、リカードウとセーの規定が商品の価値を決定する現実の運動の二契機であるという点がエンゲルスと異なる。この点に関するマルクスとエンゲルスの差違は、既に考察した両者のカテゴリー把握における差違から発生していると言えよう。
 マルクスに依れば、価値は、需給の変動、従って亦価格の変動を通してのみ、自然価格としての「生産費」によって決定される運動(=プロセス)に他ならないのである。では、この運動を経過する実体は何か。言うまでもなく、商品に体化されている労働量である。この点について注目すべきは、マルクスの生産と交換についての次の考えである。
「交換がなしうることは、ただ、我々が各々自分自身の生産物に対してもっており、従って亦、他者の生産に対してもっている性格を運動させ、確証することだけである。[69]」
 資本制的商品生産において、資本家はその生産物を他人に売ることを始めから意図して生産している。従って、資本家は「観念的にはとっくに完了してしまっている交換を生産している[70]」のであり、「生産物は価値、交換価値、等価物として生産される[71]」ことを明確に把握している。
 ヘーゲル『法哲学』が典型的に示している様に、「所有(Eigentum)は往々にして、自己の排他的な、自己の値打ちを示す「人格性」と理解されている[72]。だが、価値として、等価物として生産された商品(=私的所有)は、もはやその様な意味を一切持たない。それは等価物として他人の手に移ることによって「私的所有」であることを確証する。とは言え、その内容に関しては「無関心(gleichgueltig)であり、ただ「等価」としての量のみが重要な定在である。その意味で、価値とは「私的所有と私的所有との抽象的な関係である[73]」。
この価値の量的規定を、当時のマルクスは特別規定していないのであるが、それも亦、資本制的生産過程の分析の後で交換過程の分析へと進む当時の彼の方法に関係がある。価値の量的規定は、この中の生産過程分析の中で、実質的に与えられる[74]。それはc+v+mを労働量に還元したものと言えよう。その論拠として、『聖家族』の次の一節を挙げることができよう。
「直接に物質的な生産について言えば、ある物を生産すべきか否かの決定、つまりその物の価値についての決定は、実質的には、その生産に費やされる労働時間に依存しているのである。何故なら、社会が人間的に発達をとげる時間を持っているか否かは、時間にかかっているからである。[75]」
 この引用文中での「その生産に費やされる労働時間」は、「活動としての直接的定在である労働時間[76]」のみを指しているのではない。何故ならば、ここでのマルクスの主張は、直接的労働時間のみをもって価値を規定したプルードンの価値論を「矛盾に充ちた仕方で、人間を復権させた[77]」と批判し、その不十分性を指摘しているからである。
 勿論、「生産物は需要に対してのみ価値を持っている」のであり、売れなければ「商品は、その交換価値を失わざるを得ない[78]」のであり、そこに体化された労働は、無駄なものとなる。従って、価値は社会的諸欲求、社会的な規模での効用(使用価値)に合致した額の労働量である。当時のマルクスが「価値とは、生産費の効用に対する関係」と言うとき、正しく商品に対象化された労働量(「生産費」)が、需給の変動(「競争」)を通して、社会的諸欲求(「効用」)を充足してゆくことを意味していたのである[79]。
 次に、マルクスは「この(等価物として生産された商品の……大石)価値が……如何にして価格にまで生成するか……(は)、別の場所で展開される[80]」と記しているが、その一例として「ボアギュペール評註」を取り挙げてみよう。
「@C)上述の最も都合のよい場合を想定すると、生産物はすべて非常な過剰状態で存在するのだから、その価格が非常に低下するであろう。Aだがその生産費には一定の限界がある。B生産者はできるだけ多くを交換しようと欲するが、その場合彼らは生産価格(Produktionspreis)以下を支払う一部の購買者に売らなければならない。C即ちその商品を贈るのであって売るのではないのである。D販売一般に対する最も外面的な条件は生産費(Produktionskosten)であって、更にその上に、生産者がその生産物に対して若干の利益を得ることだ。[81]」
 ここで、はっきりと「生産費」と「生産価格」が使い分けられていることは注目されるべきである[82]。ここでの「生産費」とは、AとDを考え合わせるならば、「費用価格」としてのそれであることは疑い得ないであろう。そして「生産価格」とは、「自然価格」としての「生産費」に他ならない。何故なら、Cの内容は、スミスが自然価格で売れない場合にはその取引で生産者は「損をする」と表現したことに対応しているからである。
 こうして平均値としてのリカードウ「生産費」は、それよりも上下の諸価格の平均として理論的に把握することが可能となったのである。何故ならば、この「生産価格」以下の価格でも、それが「生産費」(=「費用価格」)以上である限り、依然として利潤は発生することが説明されたからである。こうして、需要(=効用)と供給の関係、競争[83]が説明可能となる。勿論、この「生産費」による競争の説明は、この箇所に限られるものではないが、『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕における使用法も同様である[84]。
そろそろ、パリ時のマルクスの古典派「真実価値」規定批判のまとめに移ろう。批判の第一点は、価値と価格の混同である。古典派は現実の価格変動の中から、その中心が「自然価格」ないし「生産費」にあるという「規則性」を抽象し、これを「真実価値」と規定した。商品の価値は「生産費」によって決定されるのであり、これが法則だと。しかし、ここには、価値と価格の区別も、前者から後者を説明(=Entwicklung=展開)するという問題意識も無い。
 批判の第二点は、第一点の当然の帰結として、如何にしてこの自然価格が成立するかを古典派が理論的に解明していないことである。マルクスに依れば、「生産の無意識性……という前提のもと」では、生産者は需要を知り得ず、不断の価格変動を通して事後的にのみ知り得るのである。従って、商品の「価値」は、それに体化されている労働量が価格変動を通じて「自然価格」を生み出してゆく運動(=過程)全体によって決まる他ない。リカードウとセーは、各々この運動の一契機を捉えて主張しているに過ぎない、と。
 批判の第三点は、この「価値」の運動全体を私的所有の内的、必然的法則として概念的に把握する媒介項が、「費用価格」としての「生産費」に他ならないということである。「自然価格」以下の価格においても、それが「費用価格」以上である限り利潤は発生し得る。この「費用価格」こそ、需給の変動の、従って競争の実態に追ることを可能とする理論的媒介項に他ならない。
 パリ時代のマルクスの古典派価値規定が以上の様なものであったとすれば、それは『資本論』研究にも新しい光をもたらすものと言えないであろうか。例えば、価値法則と生産価格をめぐる問題に一つの解決への道を開くのではあるまいか。

 【補論:マルクス価値概念と共同体】
 将来の共同体においてこそ価値概念はその本来の役割を果たし得るとするエンゲルスの考えは、その方法・範疇把握から見てマルクスには存在し得ない。この著者の主張に対して、次の一節をその反証として上げる人もいるであろう。
「@スミスが自然価格という概念を採用する場合、少なくとも次の事が問題となろう。即ち、労働、資本、土地は生産費における如何なる規定を持つかということ、これである。Aこのことは、私的所有を度外視すれば、一つの意味を持った問題である。というのは、その場合には、自然価格は生産費なのだからである。B従って例えば共同体においては、この土地がまずもって生産するものはどの生産物なのか、その物は、それを生産するのに用いられた労働と資本とをつぐなうに足るものか否か、ということが問題となる。Cこれに反して国民経済学で問題となるものはもはや単に市場価格だけだから、物はもはや生産費と関連させられず、生産費はもはや人間と関連させられず、生産全体がいかがわしい商売と関連させて考察されることになる。[85]」
 この一節を正しく理解する為には、以下の諸点を押さえておく必要がある。
 先ず第1点は、この評註が『原理』第4章「自然価格と市場価格について」におけるリカードウの見解とそれに対するセーの注釈に対する評註だということである。リカードウの主張とは、需要量の変動は市場価格のみに影響するのであって、自然価格には影響しない、というものである。
 これに対してセーは、「労働、資本、土地は決して固定した率によってではなく供給量と需要量との間の関係(割合)によって規定される」のだから、「自然価格というものは……空想的なもの……と思われる。経済学ではただ市場価格が存在するに過ぎない」と、注釈している。
 ところが、マルクスがここで問題にするのは、リカードウとセーの対立そのものではない。スミスとセーの見解を比較・論評しているのである。これが第2点である。何故か。それは、リカードウの自然価格には「地代」が抜けているのに対して、スミスの「自然価格」は、生産の三要素に対応した、賃金と利潤と地代の合計から構成されており、「自然価格」と「生産費」との内的連関を問うのに好都合だからに他ならない。
 その場合の「生産費」は、リカードウの「生産費」でない。それは、この評註に先立って展開された「商品の生産に必要な費用」に他ならない。マルクスが@の「生産費」を、Produktionskostenと「生産」を強調し、それ以下でも「生産」との関係を間うていることが、そのことを証明している。
 従って、第3に、@−Bがスミスの「自然価格」と「生産費」との関連についてのマルクスの批判的コメントであり、Cはセーの注釈に対するマルクスの批判となっている。
 最後に、第4点として、マルクスは勿論エンゲルスとて、価格変動に「自然価格」という「中心」ないし「軸」が存在すること自体は否定していない。問題は、「自然価格」と「生産費」との内的連関、換言すれば、「三位一体範式」の没概念性である。
 以上の諸点を踏まえて、上記の評註の意味を論定してみよう。リカードウは「流行の変化」は市場価格にのみ影響を及ぼすが、「それらの商品の自然価格、即ちその生産に必要な労働量は、ひき続いて不変であろう」と述べている。この言い方は、「自然価格」が「その生産に必要な労働量」に等しいかの様にも解釈できる。しかし、リカードウの基本的考えは、両者が「ほば比例」しているというに過ぎない。だが、ともかく、リカードウにおいては、外見上とは言え、自然価格は生産、従って生産費と関連していると言える。
 ところが、スミスの場合はどうであろうか。彼の自然価格は、賃金・利潤・地代の「それぞれの社会あるいは近隣地方」に存在する「通常または平均の率」と規定されているだけであって、それと生産との関係、即ち労働・資本・土地との関係は何ら明らかではない。従って、この「自然価格」を賃金・利潤・地代という分配次元の範疇を使って、敢えて生産と関連づけようとすれば、それは利潤と地代が存在しない様な社会での「生産費」として以外関連させ様がない。何故ならば、それが投下労働量としての「生産費」に直接関連がないとすれば、「費用価格」としての「生産費」と関係づけるしかないからである。ただし、その場合にも利潤と地代部分が余計である。従って、本来共同体に賃労働も賃金も存在しないのであるが、その無理を承知で敢えて言えば、この共同体では賃金プラス資本と土地の再生産費が「生産に必要な費用」であり、スミスの「自然価格」も生産と関連させ得る。
 他方、セーの場合は、Cに見られる通り、市場価格のみが問題であり、生産との関連は全く無い。この様に、マルクスが「共同体において」といっても、それは比喩的に述べているのであって、それをそのまま受け取ってはならない。皮肉をまともに受け取ると、とんでもない誤解を招くことになる。


おわりに
 以上の考察を通して、次の諸点が明らかとなった。パリ時代のマルクスの「経済学批判」(=経済学的諸範疇の批判的叙述)は、一見『経済学批判大綱』のそれを忠実にフォローしているだけに見える。しかし、詳細に検討して見ると、そこにも批判が潜んでいた。価値概念一つを取って見ても、将来の共同体においてその十全な役割を認めるエンゲルスに対して、マルクスの場合、資本制的商品生産における労働の社会的配分形態としてのみ認めるという差違が存在した。この差違を生み出したものは、エンゲルスとマルクスの「経済学批判」、その課題、方法、範疇把握等における差違であった。
 にも拘らず、次の点が決定的に重要なである。即ち、マルクスにとって同時代人(プルードン等)及び先行者(スミス、リカードウ、ヘーゲル等)の中でエンゲルスこそが、彼の『経済学批判大綱』こそが、真の範疇批判ヘの道を拓いたということである。『経済学批判大綱』における範疇展開の中に、当時は勿論1859年のマルクスも「天才的スケッチ」を見出したのである。スケッチはスケッチでしかない。このスケッチを基にして、諸範疇の批判的叙述を完成してゆくことが、マルクスのそれ以後の課題となったのである。当時におけるその作業は、『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕後段と〔第二草稿〕における資本制的生産過程の二面的分析、そこでの賃金と利潤の展開であった。
 しかし通説は、こうした事を理解し得ないでいる。そして、『経済学ノート』における、価値・価格・貨幣等の個別的テーマに関する諸評註についても、通説は積極的意義を見出し得ないでいる。その主たる原因は、『資本論』冒頭の「商品」論における価値規定を唯一絶対の基準として当時のエンゲルスとマルクスの「価値」規定を裁断して来たことにある。
 だが、叙述の順序と研究の順序とは逆なのである。冒頭「商品」論は1858年に新たに構想されたものであり、そこでの「商品の価値」規定は叙述の「始元(Anfang)」として、価値」の最も抽象的・未熟な規定でしかない。それは、生産物が商品として持つ交換可能性の理論的反映であり、現実にその商品の価値が決まってゆく運動=過程の端緒規定でしかない。1858年以前の諸著作においては、「価値」はその端緒規定の他に、それが「価格」にまで生成する過程の諸規定をも含んでいたのである。それが「価値とは、生産費の効用に対する関係である」という当時の規定であり、古典派「生産費」の三義の区分とその批判的展開であった。
 『資本論』冒頭の抽象的価値規定を基準とせず、マルクスの形成過程の諸著作を虚心に読み進む時、そこには通説的形成史像──『経済学批判大綱』からの脱脚の歩み──とは全く異なる、同じ古典派「生産費」批判についての深まり度の相違という、真の意味での「発展」の歴史が開けてくる。その時、マルクス形成史研究自体も亦、『資本論』研究及びその理解に新たな光を投ずる様な、実に「豊か」なものに転化するのではなかろうか。


巻末注********************************

[1]. その代表的なものが『経済学・哲学草稿』(1932年刊)と『経済学批判要綱』(1953年)である。

[2]. 日本経済学会連合会編『経済学の動向 上』東洋経済新報社、1974年、第五章参照。

[3]. ここでは、1850年代の総称と考えておく。

[4]. ここでは、1840年代の諸著作の総称と考えておく。

[5]. 津田道夫『ヘーゲルとマルクス』(季節社、1970年)、19-20頁参照。

[6]. 1843年10月末〜1845年2月2日の時期、この時代の「経済学批判」を示すものとして、『経済学・哲学草稿』、『経済学ノート』、『聖家族』等がある。前二者の執筆順序については、諸説あるが、ここでは不問に伏す。何故なら、これらの諸文献の間に根本的変化はないと考えるからである。私の立場から見ると、これらの諸文献の間に変化を認め、それを歴史的ないし時間的発展として説明しようとする通説は、通説の文献理解の欠陥を示すものでしかない。

[7]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. 13, Dietz, Berlin, 1961, S. 8.もっとも、エンゲルス自身は後に、「歴史的文書としての意義を持つだけ」(1871年4月15日付リープクネヒト宛手紙)としか評価していない。本章は、この二人の評価をも矛盾なく説明するであろう。

[8]. Rosenberg, D. I., Die Entwicklung der oekonomischen Lehre von Marx und Engels in der vierziger Jahren des 19. Jahrhunderts, Dietz, Berlin, 1958. 副島訳『改訳初期マルクス経済学説の形成 上』(大月書店、1957年)、94頁。

[9]. リカードウ『原理』の中には「それらの商品の自然価格、即ちその生産に必要な労働量」と両者を同一視しているかの如き表現も存在する(Ricardo, D., THE WORKS AND CORRESPONDENCE OF DAVID RlCARDO, Vol. 1(堀訳『経済学および課税の原理』、雄松堂書店、1972年), pp. 90-1)。
 しかし、彼にあって両者が「ほぼ比例する」関係でしかないことは、この一節においても変わりない。リカードウの「生産費」は、「利潤を含む生産費」(Ibid., p. 47)であり、「自然価格」に等しい。それらと「投下労働量」とは同一物ではないのである。この点の理解が、マルクスのリカードウ批判を理解する為には決定的に重要である。

[10]. 勿論、スミスが「唯物史観」に近い歴史観を持っていたということを否定するものではない。要は、両者の間に関連があるとすれば、何処で、何故、如何に関連しているかを解明するのが研究者の任務ではないか、ということである。

[11]. 杉原四郎『マルクス経済学の形成』(未来社、1969年)、41頁。

[12]. 同前、42頁。

[13]. 同前、41頁。

[14]. 同前、40頁。

[15]. Karl Marx‐Friedrich Engels Gesamt Ausgabe, Abt. , Bd. 6 (Berlin, 1932), S. 636. Karl Marx‐Friedrich Engels Gesamt Ausgabe, Abt. 2, Bd. 1, Teil 1(『マルクス資本論草稿集@』大月書店), S.40.

[16]. ヘーゲル『精神の現象学』「序説」(『世界の名著35』中央公論社、1967年)、91頁。

[17]. Vgl., Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. 13, Dietz, Berlin, 1961, S. 631. MEGA2, Ab. 2, Bd. 1. Teil 1(『マルクス資本論草稿集@』大月書店), S.36.

[18]. 冒頭「商品」論の成立・独立は、1858年4月2日(岡崎次郎訳『資本論書簡@』大月文庫、1971年、247-253頁)から、11月29日(同、263-4頁)の間である。勿論、それ以前のブランにも「価値」の章は存在していたのであるが(同、249頁参照)。

[19]. 1868年7月11日付、マルクスのクーゲルマン宛手紙(同前『資本論書簡A』、161-4頁)参照。

[20]. Marx‐Engels Archiv, Berlin, 1933, S. 444. 岡崎訳『直接的生産過程の諸結果』国民文庫、151頁。

[21]. 「交換過程」に先立つ「商品」分析における「交換価値」は、「単に我々の抽象の中に」、「意識の中に」にのみ存在するに過ぎない(Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. 13, SS. 30-1)とは言え、「その使用価値とは違った、そして観念的であるとはいえ明確な、独立した形態を得ていなければならない」(Marx‐Engels Archiv, S. 445、岡崎訳『直接的生産過程の諸結果』国民文庫、161頁参照)とされている。

[22]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. l, S. 502.

[23]. Ibid., S. 507.

[24]. Ibid., S. 503.

[25]. Ibid., S. 505.

[26]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. 2, S. 33.

[27]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. l, S. 507.

[28]. 杉原四郎『マルクス経済学の形成』(未来社、1969年)、34頁。

[29]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. l, S. 508.

[30]. Ebd.

[31]. Ebd.

[32]. Ebd.

[33]. 本書第五篇第12章参照。

[34]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. l, S. 508.

[35]. Ebd.

[36]. Ibid., S. 512.

[37]. Ebd.

[38]. Ibid., S. 511.

[39]. Ibid., S. 501.

[40]. Ibid., S. 522.

[41]. Ibid., S. 505.

[42]42 『経済学・哲学草稿』岩波文庫版、258-9頁の注1、青木文庫版、130-1頁の注2を参照。

[43]. 『経済学・哲学草稿』岩波文庫、123頁。

[44]. 同前、124頁。

[45]. 同前、120頁。

[46]. 通常この生成−発展−没落については「唯物史観」の領分とされている様に思われる。だが、「唯物史観」という名称自体エンゲルスに依るものであって、マルクス自身のものではない。マルクスの体系は、「唯物史観と経済学」というよりも、「経済学批判と弁証法」(頂点からの生成−発展−没落の論理的必然性の把握)という定式によってこそその内容を一層正確に捉え得ると思われる。本書第二編参照。

[47]. 杉原・重田訳『経済学ノート』未来社、118頁。

[48]. この点について、詳しくは本書第四篇第10章参照。

[49]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. l, SS. 395-6.

[50]. 『経済学・哲学草稿』岩波文庫、104頁。

[51]. 同前、117-8頁。

[52]. 杉原・重田訳『経済学ノート』未来社、105-6頁。

[53]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. 1, S. 508.

[54]. Ibid., S. 506.

[55]. Ibiid., S. 507.

[56]. 例えば、「ある人が……費用をかけて」「誰も自分が生産の際につぎ込んだもの……」という様に、個人が主語になっている。

[57]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. l, S. 506.

[58]. Ibid., SS. 506-7.

[59]. 勿論、供給面に於いては「競争」が、「生産費」で売ることを「保障」するものとされている(Vgl., Ibid., S. 506)。

[60]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. l, S. 508.

[61]. Ibid., S. 507.

[62]. Ebd.

[63]. Ibid., S. 515.

[64]. Ebd.

[65]. 杉原・重田訳『経済学ノート』、29訳頁。

[66]. 「ミル評注」に於いて次の様に言明されている。
「さて、この(等価物として生産された商品の……大石)価値が一層詳細に自己を規定する次第は、それが如何にして価格にまで生成するかということと同様に、別の場所で展開されるはずである。」(同前、102訳頁)

[67]. 同前、50-1訳頁。

[68]. 同前、85-6訳頁。

[69]. 同前、112-3訳頁。

[70]. 同前、114訳頁。

[71]. 同前、103訳頁。

[72]. ヘーゲル『法哲学』§45、§46、及び§46の〔追加〕参照。

[73]. 杉原・重田訳『経済学ノート』、89訳頁。ここでの「抽象的」とは、質の捨象を指す。

[74]. 「交換は最初から(今日の……大石)富の本質的な要素となっている。」(同前、36訳頁)

[75]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. 2, S. 52.

[76]. Ibid., S.51.

[77]. Ebd.

[78]. 杉原・重田訳『経済学ノート』、156訳頁。

[79]. この点に関連して、交換価値を生み出す労働は社会的諸欲求に対して疎遠であるとする次の一節は興味深い。
「営利労働には、いつも次の様な事態が潜んでいる。……(3)社会的諸欲求による労働者の規定。だがこの社会的諸欲求は労働者にとっては疎遠で且つ強制に等しい諸欲求であって、彼がこの強制に止むを得ず服従するのは、利己的な欲求からである。」(同前、102-3訳頁)

[80]. 同前、102訳頁。

[81]. 同前、153-4訳頁。

[82]. 『マカロック評注』及び『ボアギュベール評注』における両概念の区別を最初に指摘したのは本書第五篇第17章である。
 その後、新メガ編集者は、「マカロック評注」の当該箇所を何の説明もなく「生産部門」と判読し直している(SS. 557-8)。『マカロック評注』だけをとって見ると、それでもよさそうだが、『ボアギュベール評注』ではそうはいかないのである。

[83]. 「そもそも競争とは、需要と供給の関係以外の何ものでもないではないか!」(杉原・重田訳『経済学ノート』、135訳頁)

[84]. この点については、本書第四篇第8章「〔市民社会分析〕と労働価値説」を参照。

[85]. 杉原・重田訳『経済学ノート』、52訳頁。