プル−ドンの「系列の弁証法」とマルクス
──『哲学の貧困』における「経済学批判」の方法に関する一考察──

拓殖大学政経学部教授  大石 高久

【目次】
A. はじめに
B. プル−ドン『経済的諸矛盾の体系』の方法
 1. プル−ドンの「系列の理論」
 2. 『経済的諸矛盾の体系』の「系列の弁証法」
 3. プル−ドンの範疇把握
 4. プル−ドンの範疇展開
C. マルクスによるプル−ドンの「系列の弁証法」批判
 1. プル−ドンの歴史発展理解批判
 2. プル−ドンの範疇把握批判
 3. プル−ドンの範疇展開批判
D. おわりに


A. はじめに

 「二巻から成る大著(プル−ドンの『経済的諸矛盾の体系、別名貧困の哲学』、以下『体系』……大石)の批判については、私の答弁(マルクスの『哲学の貧困』、以下『貧困』……大石)を見て頂かなければなりません。私はその中で、特に、プル−ドンが科学的弁証法の神秘に浸透することが如何に少なかったか、又他方において『思弁的』哲学の諸幻想に如何に多く陥っているかを明らかにしました。つまり、経済学的諸範疇を物質的生産関係の一定の発展段階に照応する歴史的生産諸関係の理論的表現として考察する代わりに、彼の想像力はそれらを一切の現実に先立って存する永久的諸観念に変形し、かくして、一回りして彼はその出発点たるブルジョア経済学の見地に戻っていることを明らかにしたのです[1]。」

 前稿[2]において筆者は、引用文中の「その出発点たるブルジョア経済学の見地」の意味が、古典派経済学の経済学的諸範疇が「歴史性」と「統一性」を欠いているという意味であることを明らかにした。
 本稿の目的は、この引用文中の「一回りして」の意味を明らかにすることを通して、マルクス「経済学批判」の方法に対する理解を深めることにある。つまり、プル−ドンの『体系』は、古典派経済学の「非歴史性」を「批判」・「止揚」する意図を持つものであった。しかしながら、このプル−ドンの「経済学批判」は、マルクスから見ると、古典派経済学と同様の「非歴史性」に陥っているというのである。この「一回りして」の意味の解明を通して、経済学的諸範疇を「歴史的」なものとして把握するということはどういうことなのか、マルクスの古典派「経済学的諸範疇の批判」(=「経済学批判」)の方法とはどういうものなのかを明らかにすることが本稿の目的である。
 ところで、プル−ドンにとって『経済的諸矛盾の体系──別名、貧困哲学』(1846年)──以後、『体系』と略記──は、野心的な自信作であった。近代市民社会が一方での「富」と他方での「貧困」を生み出し、各々は「経済学者」と「社会主義者」によって一面的に代弁されていた。プル−ドンの『体系』は、この「古典派経済学」と「社会主義者」の各々の一面性を「批判」・「止揚」する意図を有していたのである。今、古典派「経済学」に対する批判について見てみよう。
 プル−ドンは、未だ「科学」的認識と呼べるだけの水準に到達していない古典派経済学を、方法的上の変革(「系列の弁証法」)を通して、「経済科学」と呼べるまでに「批判」・「止揚」し尽くしたと自認していたのである。従って、当然にも彼は、パリで議論を重ね、同じ意図を持っていたマルクスからの「遠慮のない批評を」、内心では「絶賛」を期待していたであろう。
 ところが、マルクスはこの『体系』を絶賛するどころか、全面的に批判したのである。言うまでもなく、『哲学の貧困』(1847年)──以後、『貧困』と略記──がそれである。『貧困』においてマルクスは、プル−ドンが「経済学」も「社会主義」も全く「止揚」しておらず、むしろ経済学の最高峰であるリカ−ドウやリカ−ドウ派社会主義者ブレイの「下位に立つ」、「単なるプチ・ブルジョア」でしかない、と論評したのである(『貧困』:『全集』版、S.144、国民文庫版、172頁、岩波文庫版、139頁。以下、『貧困』からの引用はこの順序で示す)。
 マルクスからの予期せぬ手厳しい批判を受けたプル−ドンは、こう記しているという。 
「マルクスの著作(『哲学の貧困』:大石)の本当の意味は、とりわけ私が彼と同じように考え、そして彼よりも前に私がそのことを言ったことを残念がっているところにあるのだ。」[3]
 このプル−ドンの言葉から、次の二つのことを読み取ることができよう。
 先ず第一に、彼とマルクスの取り組んでいた課題が同じであったということである。その同じ課題とは、「近代ブルジョア的所有」の批判を「経済学批判」として展開する、という課題に他ならない。第二に、それと同時に、彼がマルクスの批判点を理解することは遂になかった、ということである。
 では、今日の我々はどうであろうか。残念ながら、従来の諸研究を見る限り、我々はマルクスのプル−ドン批判を理解していないし、従ってまた、マルクスの「経済学批判」を十分理解しているとは言えないように思われる。この点について、もう少し触れて見よう。
 『体系』は、プル−ドンの「経済科学」である。彼にとって個別諸科学を「科学」たらしめるものは、「方法」である。この彼の科学方法論が、「系列の弁証法」であり、『体系』はこの「系列の弁証法」の「適用」[4]であった。
 しかし、実はこのプル−ドンの「方法」に問題があるのである。結論を先取りして言えば、マルクスの批判の核心は次の点にある。
 即ち、プル−ドンの方法とは経済学的諸範疇をそれらの範疇の外部にある一定の「区分原理」(「平等」=「正義」)に基づいて「区分」し、「編成」したものでしかない。そこには、諸範疇が表現する現実の経済的諸関係の分析も、その分析に基づいた範疇展開もない。その根本的欠陥は彼の範疇把握における「歴史性」の欠如にある、という点である。 本来プル−ドンの「系列の弁証法」は、理論的系譜としては、ヘ−ゲルの「弁証法」ではなくシャルル・フーリエの「系列」概念にある[5]。にも拘らず、マルクスがプル−ドンの「系列の弁証法」にヘ−ゲルの「弁証法」を、しかも経済学的諸範疇把握と範疇展開に関連して対置している理由は、マルクス自身のヘ−ゲル「弁証法」との関連からの読み込みなのである。このように『体系』と『貧困』とは、同じ「経済学批判」──古典派経済学の批判であり、彼らの経済学的諸範疇の批判である──という課題に対するプル−ドンとマルクスの各々の方法論を展開したものである。
 勿論、『貧困』のプル−ドン批判には、「経済学批判」の方法に関する一般的批判以外に、その「経済学批判」の基礎理論である「価値」に関する批判、がある。それ故、前稿において記しておいたように、『貧困』の十全な理解には、次の四点の理解が必要とされるのである。
 (1) プル−ドンの古典派経済学の方法に対する批判、
 (2) マルクスのプル−ドンの方法に対する批判、
 (3) プル−ドンの古典派経済学の価値論に対する批判、
 (4) マルクスの「総合価値」論に対する批判、の四点である。
 従来の『貧困』研究において『貧困』でのリカ−ドウ批判が看過されがちであったが、その根本的原因はこれらの諸点が全く理解されてこなかったことにある。
 では、こうした諸点に対する無理解を生み出したものは、一体何であろうか。いくつか問題点を指摘することができよう。例えば、
 (1) 従来の諸研究は、例えば「価値論」、「剰余価値論」、「蓄積論」といった個別理論の成立過程を中心的問題にしてきたのであり、その意味では対象文献の中からそれらの個別理論に関係する部分だけしか見てこなかったこと。対象に内在するよりも、特定の視角からしか対象を見てこなかったために、プル−ドンへの方法批判が同時に古典派の方法批判ともなっていること等を見落としてきたこと。
 (2) 第一の原因と密接に関連しているが、従来の諸研究が『貧困』第一章を中心に考察し、第二章を相対的に軽視してきたこと。
 (3) 研究者の側での評価基準を形成している「価値」論理解にも問題があったこと。マルクスの「経済学批判」は「経済学的諸範疇の批判」である。このことからすれば、古典派の「価値」も「批判」されていると考えるのが当然である。ところが、「価値」に関する限り、マルクスのリカ−ドウ批判を明確に意識した研究者は少ない[6]。「価値形態論」はともかく、「価値実体論」では、マルクスもリカ−ドウも同じであると看做されているのである。それ故に、マルクスのリカ−ドウ価値規定「批判」がリカ−ドウ「労働価値説」の「拒否」・「否定」と理解され、弁証法的な「批判」としては理解されないできた。
 (3) に関して言えば、リカ−ドウとマルクスの二つの価値論の内容理解が関わってくるので、この点の本格的検証は別稿に譲る他ない。その理由はこうである。従来の形成過程諸研究は、マルクスに引き付けて理解されたリカ−ドウ価値論理解と、『資本論』冒頭「商品」の「価値」の「量」的規定に限定したマルクス「価値」論理解を前提にしてきたと思われる。そこには、「価値」の「質」的規定──これこそマルクス価値論をリカ−ドウのそれから区別するものである──が欠けているのである。これらの二つの前提を、少ない紙数で、十分説得的に検討することは不可能だと思うからである。
 この理由から、理論面での批判、「生産費」批判──これこそ筆者の本来的テーマである──はすべて別稿に譲らざるを得ないのである。
 こうして本稿での考察は、残る(1)と(2)の問題に、『貧困』の根本性格の解明に限られることになる。本稿での考察は、以下のように進められる。
 B章では、マルクスのプル−ドン批判を理解するためにプル−ドン『体系』の方法である「系列の弁証法」と範疇展開に関する基礎知識が要約される。C章では、マルクスのプル−ドン批判の中で、プル−ドンの範疇把握と範疇展開が、特に「分業と機械」および「地代」範疇に即した考察を通して、マルクス「経済学批判」の方法が明らかにされる。
 本稿の考察は、プル−ドンとマルクスの「牽引」と「反溌」を明らかにするであろう。つまり、両者の私的所有批判を経済学批判として展開するという課題の「同一性」と、その方法・理論内容における「差違性」を明らかにするであろう。そしてその時、プル−ドンとマルクスにとって古典派経済学は、最初から「批判」──勿論、「拒否」や「否定」ではない──の対象であったことも明確となろう。『貧困』におけるリカ−ドウ「生産費」批判は、本稿を通じて得られる基礎知識を踏まえて始めて、次稿で詳細に説明・展開されるであろう。


B. プル−ドン『経済的諸矛盾の体系』の方法

 1. プル−ドンの「系列の理論」

 プル−ドン『体系』の方法論は、彼の「系列の理論」である。
 本章ではこの「系列の理論」の解明を通して、『体系』における経済学的諸範疇把握、範疇展開を明らかにしよう。尚、本章での叙述は主として佐藤茂行著『プル−ドン研究』に依拠したものである。
 プル−ドンによれば、「宗教」と「哲学」を止揚した後に成立した近代的認識が「形而上学」であり、その内容は系列の方法、または「系列の法則」の理論であるという。それ故、彼の「形而上学」それ自身は科学ではない。それは、個別的諸科学に方法と正確さを提供する科学方法論であるとされる。この科学方法論は、対象を区分と下位区分、群と下位群、属と種に区別し、順序付け、体系づけ、整序するものであるという。
 プル−ドンによれば、このようにその対象が系列づけられ、それらの系列の性質と規則性が証明された個別的諸科学だけが、「特殊科学」と呼ばれ得るという。
 このプル−ドンの立場から見ると、古典派経済学といえども「科学」ではない。「経済学は、素材が豊富で、計算と統計によって、非常によく諸観察を集めてはいるけれども、それは混乱以外の何ものでもなく、そこでは何ものも分類されず、関係づけられもせず、整序されてもいない……」[7]からである。
 それ故、プル−ドンの『体系』は、この科学方法論に基づいて、経済学を「経済科学」にまで高めようとしたものであり、その意味で間違いなく彼の「経済学批判」であった。ただし、このプル−ドンの「系列」は、決して実体的なもの、因果的なものではない。それは単なる「秩序」、「諸関係」ないし「法則の総体」でしかないのである[8]。
 彼の「系列」とは、分割されたものの集合、諸物の中の「同一性」=「単位」の繰り返しのことでしかないのである。この「系列」に「形態」を与えるものは、諸単位の関係であり、「同一性」であり、その「同一性」のバリアントである「類似性」、「進歩」、「構成」等の「根拠」である。 そして、経済学に関連する系列の関係としては、「等価」の関係(「単位」の数だけが異なり、それらの絶対的広さが同一な二つの系列の関係)にある系列が問題になる。
 プル−ドンは言う。
「まさにこうした種類の系列〔等価の関係の系列〕によって、経済学は、我々の無政府 的、秩序破壊的な社会から規則的に組織された社会への移行をもたらすであろう。」[9]


 2. 『体系』の「系列の弁証法」

 では次に、プル−ドンの「系列の弁証法」について整理しておこう。
 プル−ドンは、経験を基礎とした思惟によって生み出される抽象的概念を「論理的系列」と呼ぶ。この系列そのものを「単位」として成立する系列を「弁証法的系列」と呼ぶ。 彼によれば、すべての真理はこの「弁証法的系列」に到達しているのであり、「系列の弁証法」とは、この「弁証法的系列」を対象とするものであるという。
 この「系列の弁証法」では、不調和な、異質な抽象的概念の間に「同一性」の関係が見出だされ、この関係に基づいて構成された系列(弁証法的系列)がある「区分原理」によって整序される。
 つまり、「弁証法的系列」は、次の二つの段階から成るという。即ち、
(1) 経験的概念を抽象して抽象的概念を形成する第一段階と、
(2) こうして成立した抽象的概念をさらに抽象して、これらを分類・整序、体系化する第二段階の、二つの段階である。
 ここで「体系化」とは、いくつかの相異なる、不調和な抽象的諸概念(弁証法的系列)を、一定の主題にもとづいて、それらの抽象的概念の規定内容にもとづいて分類、整序することを意味する。
 このように、プル−ドンの『体系』に適用されている方法(「系列の理論」)は、抽象的諸概念を帰納的に分析し、総合する方法である。それは同時にまた、経済学的諸範疇を体系的に編成する方法であった[10]。


 3.  プル−ドンの範疇把握

 では、プル−ドンは経済学的諸範疇をどのように把握しているのであろうか。『経済的諸矛盾の体系』というタイトルに端的に記されているように、プル−ドンの『体系』の目的は、現下の経済体制が「敵対し合う種々の項、力から成っていること、経済社会を分裂させているこれらの矛盾は労働する階級に困窮と隷属をもたらすこと」[11]、即ち、「所有の体制が階級対立を必然的にもたらし、富の独占と貧困・盗み・専制・人間による人間の搾取を同時にひきおこすものであることを証明すること」[12]にあった。
 勿論、プル−ドンにとって「所有は盗奪」であり、その「所有」の「起源」・「発生」を「計算の誤り」から説明する。この点は、マルクスも評価している。
「経済学者たちは、ブルジョア的生産の諸関係、分業、信用、貨幣等々を、固定した、不変の、永久的な範疇として示す。これらのできあいの諸範疇を手にしたプル−ドン氏は、これらの諸範疇、諸原理、諸観念、諸思想の形成作用を、発生を、我々に説明しようとする。」(S.126,146,111)
 しかし、プル−ドンの「所有」は、あらゆる形態の「不労収得権」であり、具体的には、「土地にたいする小作料、家屋や家具に対する賃貸料、永年貸付地にたいする地代、貨幣にたいする利子、交換による収益・儲・利潤」[13]を指している。そこには、ブルジョア的所有諸関係か否かの区別は全く見られない。逆に言えば、一つの歴史的「社会」を形成しているブルジョア的諸関係とそれに至る過渡的諸関係との区別はない。
 従って、プル−ドンにおいては、経済学的諸範疇を明確にブルジョア的生産・交易諸関係の理論的表現として把握していないし、それらのブルジョア的諸関係の従って経済学的諸範疇の「発生」も、その「歴史性」と「統一性」も解明しないのである。プル−ドンに範疇批判がない[14]というのは、正にこの意味であろう。
 それ故、プル−ドンは古典派経済学の「できあいの諸範疇」を取り上げて、その中に社会的対立を読み込み、所有の体制が人間にもたらす諸結果を古典派経済学は隠蔽していると告発するに過ぎないのである。
 プル−ドンの「弁証法的系列」の第一段階が、経験的概念を抽象することを通して抽象的概念を獲得する段階であったことから判断すると、プル−ドンにおける「範疇」は経験を基礎とした思惟によって生み出される「抽象的」概念と言えよう[15]。プル−ドンにおいては、現実の生産・交易諸関係が「分析」されるのではなく、古典派経済学の「非歴史的」な諸範疇を更に「抽象」し、そこに「平等」という「同一性」を発見してゆくのである。


 4. プル−ドンの範疇展開順序

 以上のような「系列の理論」(「弁証法」)に基づいて、『体系』では経済学的諸範疇が展開──より正確に表現すれば「編成」──されてゆく。その範疇編成とは、経済学的諸範疇(類概念)が「平等」=「正義」を「区分原理」としていくつかの種概念(肯定面、否定面)ないし諸項に区分され、それらの「法則」「必然性」が論証されてゆくというものである。その際、プル−ドンの言う「必然性の論証」とは、単に諸項間に「平等」かその否定面である「貧困」という「同一性」(共通性)を検証することに過ぎないことに注意しなければならない[16]。
 例えば、「分業」は、「平等」という区分原理に基づいて、「平等をもたらす分業」と「その否定としての貧困をもたらす分業」に区分される。同様にして、「競争」も「平等の象徴としての競争」と「貧困を増加させる競争」に区分される。このように経済的概念(類概念)が、その概念の外部に存在する「区分原理」の肯定面と否定面を表わす種概念に二分され、二つの概念のクラスが編成されてゆくのである[17]。
 このようにプル−ドンの範疇展開とは、種概念の系列とは、「区分原理」の肯定・否定の両面を表わす「同一性」に基づく系列(編成)でしかない。それ故、プル−ドンの「経済科学」(『体系』)の基本性格は、「分類」に先立つ「区分原理」(この場合、「平等」=「正義」)によって規定されているのである。
 プル−ドン体系は、諸範疇(系列)の「編成」、「分類づけ」、「整序」ではあるが、諸範疇の「展開・説明」ではない。このプル−ドン「系列の理論」においては、「反措定」「矛盾」「総合」「弁証法」「必然」等の意味・内容は、ヘ−ゲル・マルクス的なそれとは全く異なる。彼の「矛盾」とは、外部から持ち込まれた「区分原理」に基づく「区分」乃至「区別」でしかなく、相互依存と相互対立の共時存在では決してない。
 「反措定」は「措定」から、「総合」も「反措定」から内的・必然的に導出されたものではない。それらは「措定」や「反措定」の「止揚」ではない。またその「経済的進化」も経済的「進歩」ではなく、単なる「連続」でしかない。従って、プル−ドンの「必然性」の「論証」を、佐藤氏は次のように指摘する。
「ところでプル−ドンの体系においては、正義のたえざる実現の必然性はたしかに確証 されてはいたが、同時にまたそれに対する否定としての悪も、同様に必然的なものとして確証されていたことは明かである。したがって、このことから、正義が最終的に勝利するという意味での正義の必然性は何ら論証されていないことは明白であろう。」[18]
 それはともかく、この「区分原理」は『体系』「序言」の「神の仮設」で仮設され、『体系』の叙述展開を通じて「科学的な、つまり経験による証明」が与えられてゆく[19]。つまり、「第二章 価値について」以降、「第三章 第一期−分業」、「第四章 第二期−機械」、「第五章 第三期−競争」、「第六章 第四期−独占」、「第七章 第五期−治安または租税」と経済的諸範疇の「系列」を順次展開されてゆく。
 「第八章 矛盾の法則のもとでの人間および神の責任または摂理の問題の解決について」においては、第一〜五期までの分析結果から「悪」の系列が確証され、従来の摂理(神意)についての幻想が拒否される。「第九章」以下の諸章(第九章「第六期−貿易の均衡」、第十章「第七期−信用」、第十一章「第八期−所有」、第十二章「第九期−共有」、第十三章「第十期−人口」)では、第八章の問題提起を受けて、正義の「発見」のための探求(正義実現のための政策論)が続けられる。最後に、「第十四章 まとめと結論」では、正義実現のための実践的方向づけとして「相互性」が示唆される。
 プル−ドンにおいて「系列」は「法則」であり「必然性」であるから、こうした範疇の「系列」化ないし「編成」を通して、諸項の間に「平等」なり「貧困」なりの同一性(共通性)が検証され、諸範疇の「必然性」が「論証」されたことになるのである[20]。


D. 『哲学の貧困』におけるプル−ドンの「系列の弁証法」批判

 1. プル−ドンの範疇把握批判:歴史性把握

 近代市民社会は封建制社会からさまざまな過渡的形態を経て歴史的一社会として存在している。このように歴史的に成立・発展してきた、自立的な一社会を理論的に把握するには、何故その時代・時期に成立し得たかという「歴史性」と、その社会もやがて没落するとは言えそれが現在持っているところの「相対的安定性」即ち「有機的統一性」の二面的把握が必要である。
 マルクスの場合、「社会」を「人間の相互的行為の産物」として、即ち生産諸力の一定の発展段階(水準)に照応する生産・交易・消費諸関係によって規定された「家族、身分、階級の一定の組織」として把握した。
 更にマルクスは、近代市民社会(資本主義社会)を規定しているところのブルジョア的生産・交易諸関係を理論的に把握するために、それらの理論的表現・反映として経済学的諸範疇を把握した。
 それ故、近代市民社会の「歴史性」と「統一性」の概念的把握は、経済学的諸範疇の「諸規定」を通して、即ち諸範疇の歴史性と内的連関の説明・展開を通して行なわれることになる。そして、この両者の基礎がそれらの諸範疇の「発生=Genesis=起源」の解明であると思われる。
 一つ一つの範疇が成立・発生あるいは反映する──するべき──現実的・歴史的諸条件を析出すること、これが範疇の「発生」論である。この「発生」の解明を前提として始めて、諸範疇の間の内的・本質的連関の「必然性」──何故、如何にして、何によって──も明らかにし得るのである。このように、諸範疇の「発生・起源」の解明は、範疇把握(諸規定)のみならず範疇展開の基礎でもあり、範疇把握と範疇展開は密接な関係にある。しかし便宜上、本節では前者との、次節では後者との関係を中心に考察を進めることにする。
 古典派経済学は、確かに、眼前の歴史的なブルジョア的生産・交易諸関係を分析し、そこから諸法則を析出してきた。それ故、彼らは「事実上」経済学的諸範疇をブルジョア的生産・交易諸関係の理論的反映として把握していると言える。しかし、それは飽くまで「事実上」でしかない。「事実上」とは、「実際にはそうではない」という意味である。彼らの諸範疇は、「商品」ではなく「財貨」・「生産物」であり、「資本」は単なる「過去の蓄積された労働」・「道具ないし機械」でしかない。そこには、「生産物」をして「商品」たらしめ、「機械」を「資本」たらしめる一定の、歴史的諸条件ないし諸関係が見事に欠落している[21]。
 古典派経済学の労働価値説が「資本」を「過去の蓄積された労働」量に還元することによって成立したことを考えると、彼らのこの面での「科学性」は同時にまた、「歴史性」を抽象するという彼らの分析的方法の「非科学性」でもあったのである。古典派経済学は確かに「与えられた関係の下で人々が如何にして生産するか」(S.126,146,111)を説明する。しかしながら「如何にしてそれらの関係が生ずるかということ、即ちそれらの関係を生んだ歴史的[22]運動」(同上)は説明しないのである。
 「利潤」や「地代」範疇を例に取り上げて見よう。彼らにとってそれらの「発生」は「当然」、「自然」のことであり[23]、それらの発生・起源の理論的解明は最初から彼らの問題意識にはない。彼らの主たる関心は、それらの量的規定──即ち、「平均率」、「最高率」、「最低率」──にしかなかったのである。
 以上の意味で、「経済学者たちは、ブルジョア的生産関係、分業、信用、貨幣等を、不変不動の永久的な範疇として示している」(同上)と言える。この経済学的諸範疇の「発生=Genesis=起源」こそマルクスが、そしてプル−ドンが解明しようとしたものである。例えば、プル−ドンは次のように記している。
「どのようにして、使用価値は交換価値になるのか?……(交換)価値という観念の発生は、経済学者たちによって十分な配慮を持って注意されたことがない。我々はそこに注意を向けることが必要である。」(S.67,49,13。括弧内はマルクスによる挿入。)
 このように、プル−ドンは確かに古典派経済学が問題にもしなかった経済学的諸範疇の「発生」を解明しようとした。しかし、彼は現実の生産・交易諸関係、社会、経済学的諸範疇を現実の、歴史的諸個人の生産的活動とその生産諸力から説明・展開しない。
 そこには、ブルジョア的所有諸関係か否かの区別は全く見られない。逆に言えば、一つの歴史的「社会」を形成しているブルジョア的諸関係とそれに至る過渡的諸関係との区別がないのである。それ故、プル−ドンにおいては、経済学的諸範疇を明確にブルジョア的生産・交易諸関係の理論的表現として把握していないし、それらの諸関係の歴史性・過渡性も、それらを理論的に表現した経済学的諸範疇の歴史性・過渡性も把握することができないのである。
「プル−ドン氏は、人間が布やリンネルや絹を生産する事実を極めてよく理解していた。……彼が理解しなかったことは、これらの人間が、その中である彼等が布やリンネルをする社会的諸関係をも亦その能力に応じてつくりだすということである。更に一層彼が理解しなかったことは、彼等の物質的生産方法に応じて彼等の社会的諸関係を形づくる人間は又、諸観念と諸範疇即ちそれらの同じ社会的諸関係の抽象的観念的表現をも形づくるということである。それ故、諸範疇はそれらの表現する諸関係と同じく永遠のものではない。それらは歴史的で過渡(暫定)的な産物である。」(S.554,17-8,260)
 むしろプル−ドンは、古典派経済学の経済学的諸範疇を「できあいの」ものとしてそのまま受け継ぎ、「平等」=「正義」を諸範疇の外部から区分原理として持ち込み、それらの諸範疇の分類と系列付けに専念したに過ぎない。こうして、プル−ドンにおいて諸範疇は「平等」と「貧困」のアンチノミーを表現するものとして把握される。その結果、彼の「系列の弁証法」においては、ヘ−ゲルの弁証法においてと同様、範疇が現実の諸関係を生み出す形式になる。
 それ故、経済的諸関係と諸範疇の関係がプル−ドンにおいて「あべこべ」に解釈されているというマルクスの批判は、プル−ドンに即して言えば正確ではないかも知れないが、依然として正しい。理論的には、「あべこべ」に解釈していることに等しいからである。プル−ドンによる「交換価値の発生」に即して具体的に考察して見よう。
 次節において詳論されるであろうが、プル−ドンの弁証法にはヘ−ゲル的な「矛盾」が内包されていないために、そこでは概念が自己展開することはできない。その困難をプル−ドンは一人の人物をを登場させることによって解決する。つまり、一人の人間が交換を取り決めたり、使用価値と交換価値との間に区別を設けることを様々な職務に従事する彼の協力者たちに「申し込みに」出掛けてゆくということで交換価値概念の「発生」を説明する。
 マルクスは、その議論を「デウス・エクス・マキーナ」により本来の課題を回避するものに過ぎない、と茶化す。「デウス・エクス・マキーナ」とは、「機械じかけの神」であり、「戯曲中解決困難な場合、その場を解決させるために天くだらせる神」であり[24]、他人に交換を呼び掛ける人物を登場させることで、「交換価値」の発生を説明したつもりになっているに過ぎない。しかし、仮にこの論法を認めたとしても、その「一人の人間」が何故そうした種類の申し込みをする気になったのか、「彼の協力者たち」が何故そうした申し出を受諾したかは説明されていないこと、従って未だ課題は解決されずに残されている、と[25]。
 こうしたプル−ドンの交換価値発生論に対してマルクスは、「交換はそれ独特の歴史を持っている。交換は様々な局面を経過してきた」として、実際の「交換」の三段階、三つの時代を具体的に分析し、「価格」から区別されるところの「価値」の発生を次のように説明している。即ち、「単に余剰だけでなく、総ての生産物が、総ての産業的存在が取引されるようになった時代」(交換の第二の局面)以後においては、「供給される生産物は、……単に効用ある物というだけのものではない。生産の諸過程で、それは原料、労働者の賃金等々といった一切の生産費と交換されてきているのである。それ故、……何よりも先ず売買価値なのである」(S.75,62,26-7)。他方、買手の方でも、こうした一定の交換価値を有する生産物を買うか否かを考慮せざるを得ない。従って、「交換価値」という観念は需給関係の中で生ずる、と結論するのである。
「現実の世界〔分業と(私的)交換の基礎に立った社会:大石〕にあっては、……供給者間の競争と需要者間の競争とが、買手売手間の闘争の不可欠な一要素を形成し、その結果として売買価値が生ずるのである。」(S.76, 64,28-9) 
 つまり、「価格」から区別されるところの「(交換)価値」は、最初から交換することを前提して生産される高度の分業と私的交換の許で、つまり大工業と自由競争の時代において始めて成立するのであり、またそうした時代において始めて「価格」から区別された「価値」概念の抽象が可能であり、許される──範疇の「真理性」が与えられる──のである[26]。
「彼(プル−ドン……大石)は、経済学的諸範疇はこの現実の(社会的生産……大石)諸関係の抽象に過ぎないこと、それらはこの諸関係が存在する限りでしか真理ではないということを、理解していないのです。」 (S.552,15,256-7)
 『貧困』の至る所で、同様の批判が行なわれているのであるが、こうした作業を通しマルクスが明らかにしようとしているものは、経済学的諸範疇が表現ないし反映しているところの現実の生産・交易諸関係の確定であり、それらの経済学的諸範疇が「発生」する諸条件の解明である。歴史としての歴史を問題にしているのでは断じてない。換言すれば、プル−ドンとマルクスの「経済学批判」の差違である「範疇批判」の内実が展開されているのであろう。「批判」とは、あるものの「成立根拠」とその「制限」を明らかにすることであると言われるが、マルクスのブルジョア「経済学」批判は、ブルジョア経済学的「諸範疇」の批判であり、それらの諸範疇の成立する歴史的諸条件を明らかにし、そのような歴史的なものとして諸範疇を規定し直すことに他ならないのである。
 このように、マルクスの経済学的諸範疇とは、現実の即ち一定の生産諸力によって規定された、その意味で「歴史的」な諸個人の生産・交易諸関係を理論的に表現・反映したものなのである。逆に言えば、マルクスにとって経済学的諸範疇は、現実の生産・交易諸関係によって裏付けられ、それらを諸関係・諸条件を反映していなければならない。プル−ドンに「範疇批判」が無いということは、このことに他ならないであろう。プル−ドンは、結局、ブルジョア経済学者たちと同じように、ブルジョア社会を理論上、即ち範疇諸規定の上で、「歴史的」に把握できなかったのである。
「プル−ドンはブルジョア的生活が永遠の真理である、と直接には断言していません。しかし、ブルジョア的諸関係を思想の形式で表現する諸範疇を神化することによって、間接的にそう述べているのです。」(S.554,18,260-1)
 以上要するに、プル−ドンは古典派経済学の非歴史的範疇把握の「止揚」を意図しながら、範疇批判が欠けているために、結局古典派経済学と同じ見地に戻っているのである。
「かくして、一回りして彼[プル−ドン:大石]はその出発点たるブルジョア経済学の見地に戻っているのである。」[27]


 2. プル−ドンの範疇展開の批判:統一性把握

  a.諸範疇の内的連関

 前節においては経済学的諸範疇の「歴史性」の側面を考察したので、本節においては、「有機的統一性」の側面を考察しよう。それは、プル−ドンにおける「経済的進化の系列」の、範疇展開の批判の問題である。
 マルクスは、プル−ドンの範疇編成に対応して「交換価値」、「貨幣」(『貧困』第一章)、「分業と機械」、「競争と独占」、「土地所有ないし地代」、「ストライキと労働者の団結」等(以上『貧困』第二章)を「歴史的経済的見地」から具体的に検討すると同時に、それらの諸範疇が反映している現実的諸関係を具体的に析出し、プル−ドンの恣意的な起源・発生論を批判している。
 残念ながら、『貧困』が論争の形式で書かれているために、当時のマルクスの範疇展開それ自体は積極的な形では展開されていない。しかし、彼がこうした諸範疇の表現する諸関係間の連関を基礎として、その連関に応じて諸範疇の「論理的諸展開」(S.161,199,166) を考えていることは疑いないように思われる。少なくともマルクスの理論展開に従う限り、そうならざるを得ない。
 この点を本節では、「分業と機械」、「地代」の考察から明らかするが、先ず最初に、「有機的統一」とはどういうものかについてプル−ドンとマルクスが問題にした「近代ブルジョア的所有」に即して考察し見よう。
 言うまでもなく、「所有」はそれぞれの歴史的時代にそれぞれの形態で発達した。それ故、結局「所有」とは、その時代時代の生産諸関係の総体に他ならない。こうした生産諸関係の総体以外の「所有」とは、「一つの形而上学もしくは法律的幻想以外の何物でもない」(S.165,207,229-30)。
 従って、歴史的な、特定の「所有」を解明するには、その特定の形態を、その特定の時代の生産諸関係を具体的に分析することが必要である。マルクスの「経済学批判」体系全体が、近代的・ブルジョア的所有の諸構成要素を経済学的諸範疇の叙述を通して批判的に解剖しているのは、そのためである。しかし、プル−ドンは「ブルジョア的所有」を「ブルジョア的生産の社会的諸関係の総体」と把握できず、それを一つの独立した範疇と看做している[28]。それだけではない。プル−ドンは「経済的諸関係をば、……それだけの数の社会的諸局面と看,」(S.130,152、118) し、それらの諸局面を経済学的諸範疇と捉え、「経済的進化の系列」を展開するという過ちを犯している。
 プル−ドンの範疇展開とは、既に見たように、「平等」=「正義」という「区分原理」を範疇の外部から持ち込み、この原理に基づいて「肯定」「否定」の二面から系列づけたものであり、その「肯定面」とは平等あるいは平等に結付く規定であり、その「否定面」とは貧困ないし貧困に結付く規定である。
 このように、プル−ドンの範疇把握と範疇編成は、彼がブルジョア社会の、ブルジョア的所有の内的・本質的連関を、その「統一性」を把握できないでいることを示している。この点を、「分業と機械」に即して見てみよう。

 b.「分業と機械」 

 現実には、様々な時代に様々な分業が存在した。にも拘らずプル−ドンは、その様々な時代の分業を分析することなく、「分業一般」を問題にする。プル−ドンによれば、「分業」はもろもろの平等が実現される方法であり、熟練と富をもたらす(「肯定」面)が、同時に労働者には隷属と堕落と貧困をもたらす(「否定」面)。プル−ドンはこの労働の「措定」としての「分業」の「肯定」面からその「否定面」を引き出すために、現実とは無関係に、労働の「反措定」として「近代的工場」を持ち出し、それから更に労働の「総合」として「機械制」へと移項してゆく。彼は「ある歴史的時代の分業と他の歴史的時代の分業とを対立させ」て、その対立面から「分業一般」の「否定」面を引き出しているのである。そこでマルクスは、次のように批判する。
 即ち、プル−ドンにおいては、「分業=Teilung der Arbeit=労働の分割」は永久的な一法則であり、単純で抽象的な一範疇である。だからまた、歴史のさまざまな時代における分業を説明するためには、「労働を分割する」という抽象、観念、言葉だけで十分であるにちがいない。カ−ストもコルポラチオンもマニュファクチュア制度も大工業も、たった一つの「分ける」という言葉だけで、説明がつかなければならない[29]。従って、プル−ドンにおいては、「それぞれの時代に一定の性質を分業にあたえるところの無数の影響力を研究する必要はない」ことになる、と[30]。こうして、プル−ドンの疑似弁証法的な範疇展開においては、後の範疇が前の範疇の「解毒剤」として、経済学的諸範疇が「相互に生み出し合う順序」とは無関係に、恣意的に与えられてゆく。プル−ドンの範疇編成が如何に現実の諸関係と無関係であるかを示すために、プル−ドンの「機械」ないし「工場」論と、それに対するマルクスの批判を考察して見よう。
 プル−ドンによれば、「機械制」ないし近代「工場」は、分業が引き離した労働の各種小部分を結合する一方法であり、社会の中に権力の原理を導入するのであり、理論的帰結としては「賃金制度」を生み出すことになる。「機械」は、「分業」によって細分化された労働者を回復させ、労働者の苦痛を軽減し、生産物価格を低下させ、一般的福祉を増加させ、知性と結付いて平等をもたらす(「肯定」面)と同時に、賃金を低下させ、過剰生産を生み出し、労働者の社会的地位を喪失させ、貧困をもたらす(「否定」面)。
 そこでマルクスは、「歴史的経済的見地」から二つの分業(社会内分業と工場内分業)を、従って「工場または機械が社会の中に権力の原理を導入したか否か、工場が一方で労働者をして権威に服従させながらも、他方では労働者をしてその権利を復権(回復)させたか否か、機械は分割された労働の再合成──労働の分析に対立したその総合──であるか否か」(S.150,182,150) を吟味してゆく。
 先ず最初に、工場内部と社会全体との同一性を「分業が存在するという点」に求めた後、両者の差違性について、次のように記している。
「近代社会には、自由競争以外に労働を分配するための規制も権力もないのである(族 長制度、カ−スト制度、コルポラシオン制度の下においても、社会全体に一定の規則に よる分業が存在した。それらの規則は一人の立法者が定めたものではない。物質的生産 の諸条件から生まれたものが、後に法律になったに過ない。・・・・工場内部の権力と社会 内部の権力とは、分業に対する関係においては、互いに反比例するものである。」(S.1 50-1,180,150)
 次に、仕事がばらばらで、権力が、資本が労働を集結し、管理しているところの現実の「工場」即ちマニュファクチュアの発達過程を検討し、分業は一般に「市場の広さやその外形」によって規定されることを明らかにした後、マニュファクチュアという特殊な分業形態の発生に影響した諸要因について、次のような諸要因を指摘している。
 (1) アメリカとそこでの貴金属の発見によって容易になった資本の蓄積(賃金と地代の低下と利潤の増加)、
 (2) 通商の拡大、植民制度、海洋貿易の発達、その他本源的蓄積等。
「市場の拡大、資本の蓄積、諸階級の社会的地位に突発した変動、その収入の源泉を奪われたおびただしい人間、これらはみなマニュファクチュアの成立のための歴史的条件である。」(S.152,184,152-3)
 こうした近代「工場」の本質から、マニュファクチュア(工場)の本質は、労働を分割することよりも、むしろ多数の労働者と多数の手工業を一つの資本の指揮下にあるたったひとつの場所に集めることに存していたことを明らかにする。
 プル−ドンの分業論は、分業の一存在条件たる工場より前に分業が存在するという転倒した分業論であり、現実の歴史的運動では、一度人間と生産用具が集結されるや否や、同業組合の形態で存在していたような分業が必然的に工場内部に再現し反映していったことが明らかにされる[31]。
 更に「機械」は、労働用具の集結であり、労働者自身のための、諸労働の結合ではないこと、本来の意味での「機械」は十八世紀末から存在していたことが指摘され、この機械の発達過程の考察から、次の諸点が明らかにされる[32]。即ち、
 (1) プル−ドンでは、労働用具の集中は「分業」の「否定」とされているが、現実には生産諸用具の集中と分業とは不可分であること。
 (2) 機械の発明が製造業と農業との分離を引き起こし、機械と蒸気の応用によって、「分業」は大工業が世界市場、国際交換、国際分業にだけ依存するほどの規模に発達できたこと。
 (3) 何らかの製品の製造において部分的にも機械装置を導入(採用)する手段が発見されれば、その製造がただちに二つの相互に独立した経営に分割されるほど大きな影響を分業に及ぼすこと。
 (4) 1825年以来、ほとんどすべての新発明は、是が非でも労働者の特殊技能の価値を低めようと努めていた企業家と労働者との間の軋轢の結果であったこと。
 (5) それ故、機械の発明とその最初の応用の中に、プル−ドンが発見する神意による目的なるものについて語る必要がないこと等、である。
 要するに、現実の歴史的運動においては、機械の導入によって、社会の内部における分業が増進し、工場の内部における労働者の労務が単純化され、資本が集結され、人間が一層寸断されたのであり、プル−ドンの範疇編成が全くの恣意でしかないことが余すところなく暴露されてゆく。
 最後に、スミスの時代の分業と今日の自動機械工場の分業との違いとして、「近代社会の内部における分業を特色づけるものは、分業が、各種の専門、各種の特殊専門人、および、それらとともに職業白痴を生み出すという事実」(S.157,191,160)が指摘され、ここからむしろ、「普遍性への欲求、個人の全般的発展をめざす傾向が、感じ取られ始める」として、プル−ドンが理解しないところの自動機械工場の革命的側面を指摘している。


  c. 「土地所有あるいは地代」

 では、地代の起源については、どうであろうか。起源を解明するといったプル−ドン自身「地代と所有との経済的起源を理解する能力のないことを、自ら告白している」(S.165,208,174) とマルクスは言う。何故ならば、「地代の起源は、所有の起源と同じくいわば経済外的なものである」と主張することによって、地代の経済的起源の解明を放棄しているからである。事実、彼は「地代の平均額」について、以下のように記している。
「この質問にはリカ−ドウ理論が答える。社会の始めにおいては……地代はゼロでなければならなかった。次第次第に、家族の増加と農業の進歩とが、土地の値打ちを知らせた。ついで労働が土地にその価値を与えるようになった、そして、ここから地代が発生した。同一量の労役によって一つの畑から産出されうる生産物の量が増加すればするほど、その畑はますます高く評価された。また、地主たちは常に、その土地の生産物全体を──ただし借地農の賃金即ち生産費を差し引いて──自分のものにしようと努めるようになった。……それ故地代は、……地主と借地農とが、すればできる馴れ合いもしないで、より高い利益を求めて、互いに対抗し合いながら台帳に確定するところの、膨大な土地評価である。」(S.166-7,209-10,176-7)
 これはリカ−ドウの「差額地代論」を、「農夫に対して共同体を代表する」という「地主」を「デウス・エクス・マキーナ」として登場させて「もっと巧妙な言い方」をしているに過ぎない。正しくプル−ドンは、「土地所有を説明するために土地所有者を介入させ、地代を説明するために地代収得者を介入させる」ことで、その本来の課題である地代の経済的「起源」の解明を避けているのである。その結果、プル−ドンは結局「所有とは盗奪である」という以上には進み得なかったのである。
 その根本原因は、彼の範疇把握それ自身にある。経済学的諸範疇を生産諸関係の理論的反映として把握しないで、むしろ逆に「これらの諸関係をば、原理、範疇、抽象的思想と看做し」、現実の生産諸関係の歴史的運動を追求しないプル−ドンには、「平等」という一つの純粋理性の運動から、範疇の外部の要因から範疇展開する以外ないのである。
 歴史的に説明するとは、それを動かす動力源から展開するということである。つまり、出発点は活動的、現実的な諸個人の「実践」(生産的活動)であり、そうした現実の人間の「それぞれの時期の欲求、彼らの生産力、彼らの生産様式、彼らの生産の原料はどのようなものであったか、要するに、これら一切の存立諸条件から生ずる人間対人間の諸関係はどのようなものであったか。これらの問題の総てを深く研究すること」(S.135,158-9、125) でなければならない。これに対してマルクスは、「地代」の起源について概略以下のように分析している。
(1) 「所有の起源(とは:大石)……生産諸手段の分配に対する生産それ自体の関係」(S.166,208,175) に他ならず、日々再生産されている「地代」の源泉の問題であること。
(2) リカ−ドウは地代を、(a) 商品の価格が生産費(平均賃金+平均利潤)によって規定されるていることと、(b) 農産物価格の場合は、最劣等地の個別生産費が価格を規定することの二つを前提して、「立地条件」と「豊穣度」の差異から説明していること。
(3) このリカ−ドウ地代論が成立するための歴史的・現実的諸条件、従って、地代」範疇が理論的に反映し、また反映すべき歴史的諸条件は、本源的蓄積、資本家的農業経営の発展、地主の資本家化であること。
「(a) 働く者の地位が、産業資本家のために働く一介の労働者、日雇、賃金労働者にまで落とされること、(b) 土地を他の一切の工場と同様に経営する産業資本家が介入するようになったこと、(c) 地主が神聖な君主から卑俗な高利がしに転化したこと。これらのことこそ、地代が表示する諸種の関係である。」(S.169-70,214,180-81。ただし、番号は大石。)
(4) 資本としての土地(土地資本)は「利子と産業利潤」をもたらすが、「地代」はもたらさない。それ故「土地は土地所有を構成しない」こと。「地代は、耕作がその中で行なわれところの社会的諸関係の結果として生ずる」(S.174, 221, 188) こと、等である。
 これらの記述から、経済学的諸範疇を「歴史的」・「発生的」に把握するということは、それらの諸範疇を成立させている現実の、歴史的社会的諸関係を析出することを不可欠の前提としていることが判明する。
 確かに、プル−ドンは古典派経済学が問題にもしなかった「範疇の起源」を解明しようとした。しかし、そもそも彼には諸範疇の起源を説明する「歴史的知識」が欠けている。彼は経済学的諸範疇を生産諸関係の理論的反映として把握しないで、むしろ逆に「これらの諸関係をば、原理、範疇、抽象的思想と看做している」点で、確かにプル−ドンはヘ−ゲル主義者である。事実、彼は、現実の生産諸関係の歴史的運動を追求するどころか、理論的には、「平等」という一つの純粋理性の運動からこれらの「範疇の起源」を説明していると言える。
 ところで、ヘ−ゲル弁証法においては、範疇はその内部に「自発性」の原理を持ち、範疇が自己展開する。範疇は、それを構成する二つの契機の「矛盾」から次の範疇に自己展開する。しかし、疑似弁証法としてのプル−ドンの「系列の弁証法」には、この範疇の「自発性」はない[33]。そこには真の意味での「矛盾」がないからである。従って、プル−ドンが範疇の起源を明らかにしようとすれば、つまり範疇を展開しようとすれば、結局「デウス・エクス・マキ−ナ」を登場させることで真の問題を避ける他ないのである。
 これに対してマルクスは、近代そのもの(市民社会と政治的国家の分裂)を、近代市民社会そのものから、そのブルジョア生産・交易諸関係から説明・展開する方法を獲得することによって、「経済学批判」を「唯一の人間の科学」を構想するのである[34]。


D. おわりに

 古典派経済学は成程現実のブルジョア的生産・交易諸関係を分析し、それらを経済学的諸範疇として定式化した。
 しかし、彼らはその経済学的諸範疇を歴史的に把握することはなかった。つまり、それらの経済学的諸範疇を一定の生産力によって規定され、それに照応したブルジョア的な、歴史的な生産・交易諸関係の理論的表現として把握することはなかった。その結果、古典派経済学は理論上は、このブルジョア的諸関係を永久のものと看做す結果となっている。
 これに対して、プル−ドンはその「系列の弁証法」によってこの古典派経済学の欠陥を「止揚」する意図を有していた。「系列の弁証法」とは、プル−ドンにとって経済学を「科学」たらしめる「方法論」であり、範疇展開の方法であり、範疇の「発生=Genesis =起源」を明らかにするものであった。
 しかし、このプル−ドンの「弁証法」は、古典派経済学の諸範疇を無批判的に受容した上で、それらをそれらの外部に存在する「平等」ないし「正義」を「区分原理」として分類、整序、系列づけたものでしかなかった。
 その結果、彼の主観的意図はともかく、理論上は、ヘ−ゲルにおける「逆立ちした」弁証法と同じ構造を持つことになった。つまり、範疇ないし観念即ち永遠の理性と看做されたものが現実の諸関係を産出するという理論構造を持つことになったのである。
 ヘ−ゲルの弁証法においては、範疇はその内部に「矛盾」を持ち、その「矛盾」が次の範疇を産出するが、プル−ドンの疑似「弁証法」はこのヘ−ゲル的意味での「矛盾」を持たないために範疇は自己展開し得ない。そこで、プル−ドンの弁証法では「デウス・エクス・マキーナ」を登場させることによって、この範疇展開の困難を回避する他ない。こうして、古典派経済学の方法を批判しながらも、結局プル−ドンは「一回りして」古典派経済学と同じく経済学的諸範疇を永遠視し、ブルジョア社会そのものを永遠視することになったのである。これが『貧困』において、マルクスがプル−ドンにヘ−ゲルを対置した理由である。
 一般に、運動し、変化しているものは、「歴史性」の中に「有機的統一性」(相対的安定性)を有している。近代市民社会やブルジョア的所有もその点では同じである、とマルクスは見る。
 この近代市民社会やブルジョア的所有をその「歴史性」と「統一性」において把握するには、その「社会」や「所有」を歴史的に運動させる動因から説明・展開しなければならない。その動因とは、現実的・歴史的人間であり、諸個人の歴史的な生産的活動である。プル−ドンに対比したマルクスの「経済学批判」は、大略以下のように整理できよう。即ち、その形態を問わず、一般に「社会」とは「家族や諸身分や諸階級の組織」であり、また「所有」とは「社会的所有諸関係」であり、生産・交易諸関係の総体である。
 この「社会」や「所有」の歴史的・具体的形態を規定するものは、当代世代が先行世代から継承した一定の生産力に他ならない。更に、こうした歴史的な──一定の生産力によって規定された──、ブルジョア的な生産・交易諸関係を理論に反映・表現したものが経済学的諸範疇である。
 それ故、マルクスの差し当たっての仕事は、ブルジョア的生産・交易・消費諸関係の分析を通してその「歴史性」と「統一性」を理論上反映するものとして経済学的諸範疇の諸規定と範疇展開を通して明らかにして行くことにある。範疇の「ゲニジス」の解明がそれである。
 経済学的諸範疇を「歴史的」に規定・把握するとは、単にブルジョア的生産・交易諸関係をその「歴史性」と「統一性」において把握することだけを意味するのではない。近代市民社会が人類史の中で持つ位置付けもまた、これらの経済学的諸範疇の「歴史性」を通して行なわれることを意味するのである。
 このマルクスの弁証法的方法において注意すべき点は、次の二点であろう。即ち、
(1) 経済学的諸範疇が表現ないし反映している現実の、歴史的生産・交易諸関係とそれらの内的・本質的連関を解明する分析が不可欠であり、逆に諸範疇はそうした諸関係によって裏付けられていなければならないこと。
(2) 以上の「現実的分析」を踏まえて始めて行なわれる弁証法的ないし発生的叙述は、現実を理論的に把握するための、その意味での「叙述の弁証法」でしかなく、現実そのものの産出とは無関係であること、の二点である。
 以上本稿で明らかにしてきた事柄は、それほど目新しいものではない。
 しかし、これらは「唯物史観」と理解され、マルクス「経済学批判」の「方法」として理解され、解明されて来なかったように思われる。
 本稿が、所謂「現状分析」に携わっているか携わろうとしている研究者にとって、些かなりとも知的刺激となれば幸いである。

巻末注********************************
[1]. 「カール・マルクスの観たプル−ドン」(1865)。『貧困』岩波文庫231-2頁。
[2]. 「《経済学的諸範疇の批判》とは何か」『拓殖大学論集』170号。
[3]. 佐藤茂行『プル−ドン研究』木鐸社(1975)、367頁参照。
[4]. 方法を「適用」するという言い方がよくなされるが、マルクスの場合には、内容そのもの、つまり経済学的諸範疇が表現している現実の諸関係そのものの連関によって規定されていることが注意されなければならない。
[5]. 佐藤前掲書、88頁参照。
[6]. その少ない例外は、宇野派である。
[7]. 佐藤前掲書、81頁参照。
[8]. 同上、84頁参照。
[9].  同上、100頁参照。
[10]. 同上、133頁参照。
[11]. ピエール・アンサール『プル−ドンの社会学』法政大学出版会(1981)、43頁。
[12]. 同上、44頁。  
[13]. 坂本慶一『マルクス主義とユートピア』紀国屋新書(1970)、118頁。[14]. 佐藤前掲書、203頁参照。
[15]. 『貧困』第二章「第一の考察」全体が「分析」と「抽象」との相違を指摘したものと言えるが、特にS.127,147,112 参照。古典派経済学とヘ−ゲルの「非歴史性」については、『経済学・哲学草稿』岩波文庫199-200頁、拙稿「『経済学・哲 学草稿』〔第三草稿〕について」『研究年報』(拓殖大学研究所)185-6参照。[16]. 佐藤前掲書、149頁参照。
[17]. 同上、133、148頁参照。
[18]. 同上、161-2頁参照。
[19]. 同上、137頁参照。 
[20]. 同上、149頁参照。
[21]. スミスが文明社会における価値決定を支配労働量に求めたことに対するリカ−ドウの批判を見よ。「初期未開社会」の猟師も「弓と矢」という「資本」を所持していたのであり、その資本が特定の個人の手に集中し、「利潤が発生」するようになったからと言って「価値」決定の原理には何らの変更もない、と。
[22]. 「歴史的」という言葉から、直ちに歴史としての歴史をイメージしてはならない。『貧困』での使用法は、主として、生産諸力の一定の発展段階に生成−発展−没落するという意味での、理論上の「歴史性」のことを指しているである。
[23]. スミスやリカ−ドウの利潤の発生・起源論は、結局、「利潤が得られなければ、資本家は投資に関心を持たないであろう」という資本家の動機だけである。この点についての『経済学・哲学草稿』での批判(岩波文庫、85頁)を参照。
[24]. 『貧困』、『全集』の「注解七〇」、国民文庫の「事項訳注」10頁参照。
[25]. 『貧困』、S.69,52,16頁参照。
[26]. この「競争」の中から「価値」概念が発生するという論法は、リカ−ドウの「生産費」による価値規定に対するパリ時代の批判に直接的に繋がっている。
[27]. 「カール・マルクスの観たプル−ドン」、『貧困』岩波文庫231-2頁。
[28]. その「所有」の具体的内容はここでは問題ではない。プル−ドンが「所有」に独立した章(第十一章 第八期 所有)を割いていること自体が問題なのである。
[29]. 『貧困』、S.144-5,173,140-1頁参照。
[30]. 同前。
[31]. 『貧困』、S.153、185、153頁参照。
[32]. 『貧困』、S.153-4,186-7,154-6頁参照。
[33]. この一節の解釈については、前稿*頁注*を参照。また、マルクスの範疇自体に「上昇力」があるか否か、持つべきか否かについては、「論理」と「歴史」の問題として論争のあるところである。差当り、見田氏の論理=歴史説批判(『見田石介著作集』第三巻所収)を参照。
[34]. 『経済学・哲学草稿』〔第三草稿〕、岩波文庫144頁および拙稿「『経済学・哲学草稿』〔第三草稿〕について」『研究年報』(拓殖大学研究所)5号、194-6頁参照。