古典派経済学のシニシズムとマルクスの「経済学批判」

          拓殖大学政経学部 大石高久


 目次
はじめに
第1章 古典派経済学のシニシズムとは何か
第2章 古典派経済学のシニシズムの二原因
第3章 古典派経済学のシニシズムとマルクスの「経済学批判」
おわりに

はじめに

 1843年秋[1]以後、終生取り組んだ自己の学的体系を、マルクスは「政治経済学批判」──以後、「経済学批判」と略記──と命名している。ここでの「政治経済学」とは、疑いもなく古典派経済学[2]──以後、古典派と略記──を指す。また、「批判」とは、古典派の経済学的諸範疇の「成立根拠」と「制限性」を明らかにし、それを自己の一契機とする新たな「全体性」を提起することを意味する。つまり、マルクス「経済学批判」は、古典派の諸範疇の体系的批判を意味する。それ故、その「経済学批判」を理解するには、古典派の諸範疇の「成立根拠」(科学性)と「制限性」(非科学性)を個々の範疇に即して具体的に把握し、マルクスをして古典派から区別せしめる「種差」を明らかにすることが重要である。
 ところで、この古典派の科学性と非科学性の両面を一言で表現する言葉は、『経済学・哲学草稿』における「国民経済学(古典派……大石)のシニシズム(Zynismus)」(岩波文庫、121頁。以後、頁数のみを記す)である。しかし、管見によれば、その意味・内容や重要性は、未だ十分理解されていないように思われる。従って、マルクス「経済学批判」自体も未だ十分理解されていないのではないかと危惧される。それ故、本章では、『経済学・哲学草稿』と『哲学の貧困』──以後、引用は『全集』、国民文庫、岩波文庫の順に頁数だけを記す──を主要文献として[3]、この「国民経済学のシニシズム」という言葉を手掛りに、古典派一マルクス関係の一般的性格を明らかにして見たい。以下、その目的について簡単に述べて見よう。
 著者は、マルクス「経済学批判」の理論的解明を、その形成過程の追体験から試みてきた。その結果、「初期」から「後期」に到るマルクスの一貫性と、「経済学批判」体系における「疎外された労働」概念の意義を痛感するに到った。そうした著者の研究成果は、若手研究者を中心に徐々に評価を獲得しつつあるとはいえ、未だ広範な評価を得るには到っていない。その原因を探っていくと、古典派一マルクス関係に関する理解の差違が浮かび上がってくる。即ち、著者が古典派一マルクス関係を上記の意味での「批判」と理解するのに対して、それを「肯定」ないし「受容」関係でしか理解しない研究者が多く、この古典派一マルクス関係理解が著者の研究成果に対する評価を妨害しているように思われる。
 既に述べたように、「批判」とは相手の主張する全体性を自己の一契機に落とすことを意味する。従って、古典派「批判」としてのマルクス「経済学批判」には、古典派を継承した側面が確かに存在する。しかし、その継承は、飽くまでも自己の一契機に落とした上での継承でしかない。それ故、古典派とマルクスには「同一性」と「差違性」の両面があり、両者の関係をその両面から把握する必要がある、ということである。両者の「同一性」の指摘自体は何ら間違いではない。しかし、「差違性」を看過した「同一性」のみの指摘は誤りである。
 今、この点を「マルクス価値論成立史」研究に即して、もう少し詳しく述べてみよう。この分野において主流を占めてきたのは、次のような「転向」論である。即ち、経済学研究を始めた当時のマルクスは、古典派労働価値説の合理的内容を十分評価できず、それを「拒否」ないし「否定」していた。しかし、「唯物史観」ないし「唯物弁証法」の成立を契機に「労働」の重要性を認識し、その「受容」ないし「肯定」に「転向」した、という見解である[4]。
 百歩譲って、マルクスの実際の歩みがそうだったと仮定しても、この「転向」論が明らかにしているものは、マルクスが如何にリカードウ主義者になったかということでしかなく、マルクスが如何にマルクスになったかは、全然明らかにされてはいない。従って、「転向」論が解明したものは、高々マルクス価値論成立史の「前史」でしかなく、研究者が本来解明すべき「本史」は未解明のまま残されていることになる。ところが、「転向」論者自身は、この「前史」を「本史」そのものと看做しているのであって、「本史」の解明が残されているとは夢にも思わないのである。
 この「前史」と「本史」の混同は、マルクス価値論と古典派のそれとを同一視ないし混同することによって始めて可能である。従って、この混同の中に、「転向」論者の次のようなマルクス価値論理解がはしなくも語り出されている。即ち、マルクス価値論は古典派の「価値実体」論に「価値形態」論を加えたものに過ぎない、という理解である。「経済学批判」が古典派の経済学的諸範疇に対する体系的「批判」であることは、マルクス研究者の常識に属する。にも拘らず、「価値」概念は例外だと言うのである。
 要するに、「転向」論は、基本的にはマルクス価値論と古典派のそれとの、マルクス「経済学批判」と古典派「経済学」との「同一視」の上に成立している。しかし、マルクス「価値」概念に古典派「批判」の具体的形態を見出すことこそ必要なのではないか。マルクス価値論の形成過程の解明とは、古典派のそれから区別されるマルクス価値論の「種差」と、その「種差」の形成過程の解明ではないのか。それは、古典派価値論が如何にマルクス価値論の一契機に落とされているかを解明する作業ではないのか。こうした反省に立って、本章では「国民経済学のシニシズム」という言葉を手掛りに、古典派の一般的性格、その科学性と非科学性を明らかにしてみよう。それは、マルクス「経済学批判」体系の形成過程を正しく在りのままに解明する予備作業であると同時に、その根本性格の一端を解明することにもなるであろう。


第1章 古典派経済学のシニシズムとは何か

 A 古典派経済学および社会主義と「経済学批判」
 資本家的商品土産と小商品生産とを、「他人労働に基づく私的所有」と「自己労働に基づく私的所有」とを常に混同しつつ、資本家的生産・交易諸関係を自然的で、人間的な社会と看做したスミスやリカードウ。ヘーゲルの見出した現象の矛盾──近代市民社会と政治的国家の分裂──が、「ある本質的な矛盾」──「政治的国家の、従ってまた市民社会の、自己自身との矛盾[5]」──に基づくことを明らかにし、この資本家的諸関係の矛盾の解明へと進んだマルクス。この両者の思想や理論が同じである訳がない。
 しかし同時に、この両者の関係は単なる対立関係でもない。スミスやリカードウよりも後代に属するマルクスにとって、彼らに直接対立しているものは社会主義者であり、この経済学者と社会主義者の対立を「批判」ないし「止揚」することが求められていた。プルードンとマルクスの「経済学批判」──例えば前者の『経済的諸矛盾の体系』とそれを批判した後者の『哲学の貧困』──は、それぞれこの対立を「止揚」する試みであった。つまり、経済学と社会主義の対立は、各々が近代市民社会の生み出した富と貧困の各一面のみを代弁していることに起因すること。この対立、従って富と貧困は、資本家的諸関係の「二面的」、「敵対的な性格」から発生すること。そして最後に、資本家的諸関係自体が、それを「止揚」する主体的・容体的諸条件を産出しつつあること。これらを解明することが、マルクスの実践的課題であった。従って、マルクスの観る古典派は、その市民社会分析によって「批判」に値すると同時に、その分析の一面性故に「批判」されるべき存在だったのである。

 B 古典派経済学のシニシズムとは何か
 古典派が市民社会における「富」の産出しか観ないということは、彼らが労働者の窮乏を知らないという意味では勿論ない。例えば、スミスが『国富論』の到る所で労働者の悲惨な状態を描出していることは、周知の事実である。しかし、問題は正にそこにある。
 『国富論』は「あらゆる国民の年々の労働は、国民が年々消費する生活の必需品と便益品のすべてを供給する源であって、……」という書き出しで始まる。スミスの市民社会分析は「労働こそは富の源泉である」という原理から出発する。この原理に従えば、労働の実際の担い手たる労働者こそ豊かでなければならない。ところが、現実には、その労働者こそ窮乏に喘ぎ、非労働者即ち資本家が富を享受している。国民の大部分にとっての「富」こそ「国富」だと主張するスミスが、国民の大部分を占める労働者の悲惨な現実を熟知しながら、それでもなお労働を「富」の源泉と規定してはばからず、労働者の運命を遠慮会釈なく描き出す。労働の意義を高らかに宣言し、「富」の要因として人聞の側面を強調し、人間を承認するかの如きスミスが、労働者は人間性を否定され、悲惨な状態に陥らざるを得ないことを遠慮会釈なく描き出す。彼は自己の経済学の原理とその諸帰結の間に、何の理論的矛盾も感じない。彼は資本家的諸関係が膨大な富を生産するが故に、それは人間的で、自然な、従って永遠な諸関係であると主張する。そこが問題なのである。
 労働を原理とする古典派の、労働者の窮乏を描く「遠慮会釈の無さ」、人間を承認する外見の下での古典派による徹底的な人間否認、これが「国民経済学のシニシズム」である。
 この「シニシズム」規定は、古典派に対する単なる道徳的非難ではない[6]。それはむしろ、社会主義者の立場である。事実、『経済学・哲学草稿』のマルクスは、「リカードウが道徳を無視しているといって彼を非難する」シュバリエに対して、「リカードウは、国民経済学にそれ特有の言葉を語らせているのであって、たとえ国民経済学が道徳的に語らないとしても、それはリカードウの所為ではない」と反批判している。
 問題は、スミスが資本家的諸関係の下で如何に「富」が生産されるかだけを考察し、その同じ諸関係の下で如何に「貧困」が必然的に生産されるかを解明しない点にある。資本家的生産諸関係は、資本家の側での「富」と労働者の側での「貧困」を同時に生み出している。しかし、スミスはこの「貧困」が如何に必然的であるかを解明しない。従って、この「シニシズム」規定は、古典派のこの理論的一面性を指しており、『哲学の貧困』の次の記述と本質的に同内容である。
「(他の三学派[7]が『ブルジョアがプロレタリアと正面きって対立し、貧困が富と同様におびただしく生じている現代に属』しているのに対して……大石)A. スミスやリカードウのような古典派は、なお封建社会の残骸と闘うことによって、経済的諸関係から封建的汚点を拭い去り、生産諸力を増大し、商工業に一つの新たな飛躍力を与えることにのみ努力するブルジョアジーを代弁する。……その時代の歴史家であるA. スミスやリカードウのような経済学者達の使命は、如何にして富がブルジョア的生産諸関係の下で獲得されるかを証明し、それらの関係を範疇や法則に公式化し、それらの範疇や法則が富の生産にとり如何に封建社会の法則や範疇よりも優れているかを証明する以外にはない。貧困は、彼らの眼には、自然においても産業においてもあらゆる分娩の苦痛としか映じないのである。」(S. 142、169、136-7)
 ところで、「富」認識とは、所謂「価値論」、「剰余価値論」の問題である。従って、この「シニシズム」規定は、古典派の価値論や利潤論の欠陥ないし一面性に関わる。この点を、節を改めて考察してみよう。

 C 古典派経済学のシニシズムと価値論・剰余価値論
 マルクスは古典派に対してのみ「シニシズム」という言葉を使い、このシニシズムは「スミスからセーを経てリカードウ、ミル等々に進むにつれて、……相対的に露骨さを増す」(121頁)と記している。では、一体何故、重商主義や重農主義にはシニシズムがないのであろうか。何故、リカードウやミルでこのシニシズムが露骨さを増すのであろうか。
 重商主義は、貨幣としての金・銀のみを富と看做す。従ってこの理論では、富の本質は人間の外部に存在する対象物(金・銀等)にある。ところが、重農主義になると、商品としての「農産物」が富と認識されるようになり、富の本質は対象物から部分的に人間の内部に移される。即ち、「農耕労働」という特殊な労働形態が富の主体的本質だ、と認識されるようになる。こうした流れの中で、スミスが「日常生活の必需品および便益品」を富と看做したことは、富の主体的本質が完全に人間の内部に移され、「労働一般」即ち「人間そのもの」を富の主体的本質としたことを意味する。このように、富認識において「ドクター・ケネーの重農主義的学説は、重商主義からアダム・スミスヘの通路をかたちづく」(122頁)る。スミスは次の二重の意味において、「国民経済学上のルター」(120頁)である。
 先ず第一に、ルターが「宗教心を人間の内面的本質とすることによって、外面的な信心を止揚した」(120頁)のと同様に、労働をその経済学の原理としたスミスによって、「富の外在的な没思想な対象性は止揚され」(120頁)た、という意味において。 第二に、ルターの場合、その「止揚」によってむしろ人間は宗教の規定の中に置かれるのと同様に、スミスの場合にも、「その〔人間そのものが私的所有の本質と認められる……大石〕ために、人間そのものは、私的所有の規定の中に置かれることになる」(120頁)、という意味において。
 つまり、古典派が「労働は富の源泉である」という時、彼らは「労働者の労働は資本家に富をもたらす源泉である」と述べているのであり、労働者を利潤獲得の手段として考察しているに過ぎない。その労働が労働者自身にとっては貧困の源泉であること、生産的活動はそれを通じて人間が人間に成る本質的生命活動であること等は、彼らの与り知らぬことなのである。従って、労働をその原理とする古典派は、人間を承認するような外見の下で、むしろただ人聞の否認を徹底的に遂行するに過きず、労働を富の本質として認識すればするはど、つまりスミス一リカードウ一ミルと時代が現代に近づけば近づくほど、そのシニシズムは増さざるを得ないのである。
「彼らは私的所有をその活動的な形態において主体とし、従って正に人間を本質とするのであるから、現実の矛盾は、彼らが原理として認識したところの矛盾に満ちた本質に完全に対応している。」(122頁)
 要するに、古典派は労働を資本家にとっての「富」の源泉としてのみ、それが資本家にとって富の主体的本質である限りでのみ考察し、しかもそれを人間的で、自然な、従って永遠な形態と看做す。その労働が労働者にとっては貧困の源泉であること、その労働形態が人類史上如何なる意味を有するか等については、一考だにしない。古典派は、資本家的労働の特殊・歴史的性格を理論的に明らかにしない。そのことによって、彼らはこの資本家的「労働」を、人間的で、自然的な、従って永遠の形態として固定化する。「国民経済学は、労働者(労働)と生産との間の直接的関係を考察しないことによって、労働の本質における疎外を隠蔽している」(90頁)とは、このことを指すように思われる。
 この「富」認識における古典派の一面性は、反面で彼らが資本を単なる「過去の蓄積された労働」としてしか把握しないことを意味する。彼らは資本を「他人の労働および労働生産物に対する支配力」として考察しない。むしろ、彼らは資本を「蓄積された労働」と同一視することによって、「他人労働に基づく私的所有」を「自己労働に基づく私的所有」として、人間的、自然的諸関係として描くのである。節を改めて、この問題をもうすこし詳しく論じて見よう。


第2章 古典派経済学のシニシズムの二原因

 A 古典派経済学の科学性
 富と貧困は、資本家的諸関係が現実に日々生み出しているものである。従って、古典派が労働者の窮乏を遠慮会釈無く描き出していることは、彼らが「幻影を描か」(S. 124、143、108)ず、現実を冷静に描写していることを意味する。彼らの理論は、現実の忠実な反映でしかない。その意味で、このシニシズムは彼らの「科学性」の証明でもある。
 この外見上の矛盾に対して、社会主義者達は道徳や「平等な交換」や「平等な所有」ないし「平等な分配」を対置する。彼らは、資本家的諸関係を内在的に分析することなく、資本家的生産諸関係の下では資本家的交換や資本家的分配が必然的であることを看過し、ただ交換諸関係や分配諸関係のみを変革しようとする。
 従って、マルクスが社会主義者達よりも古典派を評価していることは、疑い得ない。事実、古典派のシニシズムに対する社会主義者からの道徳的批判について、マルクスは古典派の科学性を次のように記している。
「ミッシェル・シュバリエ氏は、リカードウが道徳を無視しているといって彼を非難するのだ。しかしリカードウは、国民経済学にそれ特有の言葉を語らせているのであって、たとえ国民経済学が道徳的に語らないとしても、それはリカードウの所為ではない。」(157頁)
 このように、古典派の諸範疇や諸法則が現実の生産諸関係や運動からの抽象であること、そのことこそ彼らをして「科学的」たらしめていることを、マルクスは十分に認めている。例えば、『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕後段、所謂〔四 疎外された労働〕の冒頭を見てみよう。〔第一草稿〕前段の「労賃」、「資本利潤」、「地代」欄において、経済学者や社会主義者からの諸著作を通して各々の本質・源泉や諸法則(最高、平均、最低等)を明らかにした後で、マルクスは次のように記している。
「我々は国民経済学の諸前提から出発した。我々は国民経済学の諸用語や諸法則を受け入れて来た。我々は私的所有を、労働と資本と土地との分離を、同様に労賃と資本利潤と地代との分離を、また、分業、競争、交換価値の概念等を、仮に認めて来た。我々は国民経済学そのものから、それに特有の言葉をもって、次の諸点を示して来た。即ち、労働者が商品に、しかも最も惨めな商品に転落すること、労働者の窮乏が彼の生産の強さと大きさとに反比例すること、競争の必然的な結果は、少数の手中への資本の蓄積であり、従って一層恐るべき独占の再現であること、最後に資本家と地主との区別が、耕作農民とマニュファクチュア労働者との区別と同様に消滅して、全社会が有産者と無産の労働者という両階級に分裂せざるを得ないということ。」(84頁)
 勿論、マルクスのこうした古典派評価は『哲学の貧困』においても見られる。『哲学の貧困』「第一章」でマルクスは、古典派の範疇や法則把握の科学性を認め、それをプルードンに対置していることは言うまでもない。そうした記述の一つを取り出して見よう。
「リカードウは彼の公式をいっさいの経済的諸関係から生ぜしめ、そのようにしてあらゆる現象──ちょっと考えたところでは彼の公式と矛盾するように思われる諸現象──を説明することによって、彼の公式の真実さを検証する。このことこそまさに、彼の理論をして一つの科学的体系たらしめるものなのである。」(S. 82、73、38)
 この古典派の科学性を、富認識としての価値論、剰余価値論で規定すれば、彼らが「財貨」を一定量の「労働」に、「資本」を「過去の蓄積された労働」に抽象ないし還元し、労働価値説を展開したことを指す。
 要するに、古典派の「シニシズム」は、彼らが現実を忠実に理論に「反映」している結果である。その意味で、「シニシズム」は彼らの科学性の証明である。しかし、その科学性は、彼らが私的所有の諸法則を概念的に把握した、ということを意味するものでは全然ない。否、彼らがそれらの諸法則を概念的に把握しないことにこそ、そのシニシズムの真の原因がある。節を改めて、その真の原因について述べてみよう。

 B 古典派経済学の非科学性
 確かに、古典派の諸理論は現実の反映であり、その限りで彼らは科学的である。しかし、シニシズムが古典派に特徴的な現象であり、しかも「労働を富の唯一の本質として、更にずっと一面的に、従って一層鋭く、また一層徹底的に展開」(121頁)すればするほどその露骨さが増すのは、彼らの富認識における不十分性ないし非科学性に起因する。つまり、彼らが労働──貧困ではなく──を富の源泉として把握したということは、彼らが労働者の労働を資本家にとっての富の源泉としてのみ考察し、その労働が労働者にとっては貧困の源泉であるという側面を看過していることを意味する。即ち、彼らはそうした「労働」の一面しか観ていないのであり、資本家的諸関係の「敵対的性格」──富と貧困が同じ関係の下で同時に生産されていること──を観ないのである。その意味で、シニシズムは彼らの経済学の一面性の現われである。
 現実の資本家的所有は「他人労働に基づく私的所有」である。しかし、古典派はこの資本家的所有を「自己労働に基づく私的所有」であるかの如く看做すことによって、この「他人労働に基づく私的所有」を人間的で、自然的であるが故に永遠な諸関係と看做す。この二つの所有の混同の背後には、その「労働」をして資本家にとって「富」の源泉とする、「過去の蓄積された労働」をして「資本」とする歴史的諸条件の看過が潜んでいる。
 これらの歴史的諸条件を解明し、古典派の諸法則が何処まで「私的所有」の必然的諸法則であるかを確証すること、ここにマルクスの古典派批判があった。『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕後段冒頭の一節には、それらの諸法則を概念的に把握するというマルクスの新たな課題設定が続いていたのである。
「国民経済学は私的所有(権……大石)という事実から出発する。だが国民経済学は我々に、この事実を解明してくれない。国民経済学は、私的所有(権……大石)が現実の中で辿って行く物質的過程を、一般的で抽象的な諸公式で捉える。その場合これらの公式は、国民経済学にとって法則として通用する。国民経済学は、これらの諸法則を概念的に把握しない。即ちそれは、これらの法則がどのようにして私的所有(権……大石)の本質から生まれて来るかを確証しないのである。…………
 従って我々は、今や私的所有、所有欲、労働と資本と土地所有との分離、〔という二者〕の間の本質的連関を、また交換と競争、価値と人間の価値低下、独占と競争等の本質的連関を、更にこうした一切の疎外と貨幣制度との本質的連関を概念的に把握しなければならない。」(84-5頁)
 引用文中の省略した箇所で、古典派が利潤の源泉を説明・展開しないことが例として上げられているように、このマルクスの課題は、「私的所有の一般的本質」と諸範疇との内的連関の解明であり、諸範疇の発生的展開を意味する。
 勿論、マルクスのこの古典派(の諸範疇に対する)批判は、『哲学の貧困』においても貫徹している。事実、『哲学の貧困』において古典派の科学的側面のみが指摘されているのではない。彼らの非科学性も又至る所で指摘されている。否、むしろその非科学性は前提であり、この前提の上で、プルードンがそれを「止揚」し得ていないことが暴露されているのである[8]。『哲学の貧困』「第二章 第一節 第一の考察」は次のように記している。
「経済学者たちは、ブルジョア的生産諸関係、分業、信用、貨幣等々を、固定した、不変の、永久的な範疇として示す。これからのできあいの諸範疇を手にしたプルードン君は、これらの諸範疇、諸原理、諸観念、諸思想の形成作用を、発生を、我々に説明しようとする。経済学者たちは、如何にしてこれらの与えられた諸関係の中で、生産が行なわれるかを、我々に説明してくれる。しかし、如何にしてこれらの諸関係が自ら生まれるかということは、即ち、これらの諸関係を生誕させる歴史的運動は、説明してくれない。」(S. 126、146、111)
 要するに、古典派は諸範疇を発生的に説明せず、理論上はそれらを非歴史的に把握している。そこに彼らの非科学性がある、と。では、こうした範疇の非歴史的把握は、彼らのシニシズムとどのように連関しているのであろうか。
 確かに、「古典派経済学者たちの資料は、人間の活動的な、現実に活動しつつある生活であり」、その意味で彼らは無意識的にではあるが、経済学的諸範疇を現実の生産・交易諸関係の理論的表現として把握している。しかし、彼らは「利潤」や「地代」が何処から、如何に「発生」するかについては説明しない。そもそも、彼らにとって「利潤」や「地代」の「発生」は当然であり、その「量」だけが関心を引くに過ぎない。つまり、彼らの非歴史的範疇把握は、それらの諸範疇が表現している資本家的諸関係の、歴史的存立諸条件の看過を意味する。
 彼らは歴史的な資本家的諸関係(「他人労働に基づく私的所有」)を分析しながら、その歴史的存立諸条件を解明しないために、それらを歴史貫通的生産諸要因に還元し、それを「自己労働に基づく私的所有」と混同し、自然で、人間的な諸関係と看做す。古典派は諸範疇を永遠視することによって、資本家的諸関係自体を永遠視し、自然で、人間的な諸関係と看做す。ここに、彼らのシニシズムの根本原因がある。
 これに対してマルクスは、範疇が表現している諸関係の歴史的諸条件を、範疇の「発生」を解明し、資本家的諸関係を一定の生産諸力に照応した歴史的、敵対的諸関係として把握しなければならないことを主張する。古典派のシニシズムは、彼らが資本家的諸関係の「歴史性」も「敵対」性も把握しなかった一帰結なのである。
 成程、プルードンは諸範疇の「起源=Genesis=発生」を説明しようとした。しかし、彼は現実の諸関係を分析することなく、ただそれらを「正義=平等」に基づいて順序づけ、系列化したに過ぎない。その意味で、彼には古典派経済学の諸範疇に対する批判が欠けている。範疇「批判」とは、資本家的諸関係を一定の生産諸力に照応し、相互に連関し、歴史的に相対的安定性を有した諸関係として把握することである。逆に表現すれば、諸範疇が反映する資本家的諸関係を、「一つの(歴史的……大石)生産諸関係」として、「歴史性」と「統一性」の両面から規定することを意味する。
 それ故、マルクス、古典派、プルードンの関係を一言で言えば、経済学的諸範疇を「社会的生産諸関係の理論的表現」として意識的に、無意識的に把握したか、全く把握しなかったかの違いである。ところで、古典派のシニシズムおよびプルードンの改良主義は、『経済学・哲学草稿』においては「私的所有の一般的本質」としての「疎外された労働」概念から、より具体的、根本的に批判されている。節を改めて、その批判を考察して見よう。


第3章 古典派経済学のシニシズムとマルクスの「経済学批判」

 A 古典派のシニシズムに対するマルクスの批判
 労働こそ富の主体的本質に他ならないことを看破し、一見人間を尊重するかに見える古典派は、実は徹底的に人聞性を否認する理論でしかない。この古典派のシニシズムは、一面では、彼らが現実の経済諸現象を忠実に理論に反映しているからに他ならない。しかし、それと同時に他面では、彼らの非科学性の理論的帰結でしかない。それは、彼らが資本家的「労働」(労働の資本家的形態)をその真の姿で把握しておらず、資本家的生産諸関係の敵対性を看過しているからに他ならない。本節では、このマルクスの古典派批判を即自的に明らかにした後、プルードンの古典派批判との比較の中で対自的に明らかにしてみたい。
 古典派が資本家的労働や資本家的生産諸関係を、人間的で、自然的であるが故に永遠のものと看做したのに対して、マルクスは前者を「疎外された(他人に譲渡された)労働」として把握することによって、後者の敵対的性格を明らかにする。『経済学・哲学草稿』でのマルクスの論理[9]を整理すれば、次のように要約できよう。即ち、
^ 「私的所有」は歴史的には「土地所有」に始まり、種々の過渡的形態を経て「産業資本」においてその発展の頂点に達する。「産業資本」が「私的所有」の発展の頂点であるとは、前者の形態において、後者の内容の「抽象度」が主体的にも(労働一般として)、客体的にも(貨幣形態として)完成している点に示されている。更に、この「頂点」が同時にその「消滅」であることは、それが資本と賃労働との「矛盾」関係である点、即ち労働の「自己矛盾」であるという点に示されている。
_ 先に述べたように、マルクスは「私的所有の一般的本質」から如何に諸法則が生じるかの確証を自己の課題としたが、その「一般的本質」は「私的所有」の発展の頂点としての「産業資本」の、直接的生産過程の分析から引き出される。彼がこの「本質」を「産業資本」の分析から引き出す理由は、「頂点」においてこそその「本質」が露になっているからに他ならない。この頂点から見れば、労働および労働生産物からの労働者の疎外は、あらゆる私的所有に多かれ少なかれ存在するものであり、私的所有の発展とは直接的生産者の疎外が「対立」から「矛盾」へと完成し、やがてその「解消」に向かって進まざるを得ないことが洞察される。
` 「産業資本」の直接的生産過程は、次の二面から成る。即ち、「労働および労働生産物に対する労働者の関係」(=「労働としての私的所有」)と「労働者の労働および労働生産物に対する非労働者の関係」(=「資本としての私的所有」)の二面である。マルクスは前者の関係を「疎外された労働」に概念化し、「私的所有の一般的本質」(=非労働者の所有権)をこの「疎外された労働」概念の論理的帰結として引き出す。
 「疎外された労働」概念は、次の四つの規定から成る。即ち、労働者の生産物が自己に属さず、疎遠な力として労働者に対立している(第一規定)ということは、生産的活動が彼にとって苦しみであり、その活動が自己に属していない(第二親定)という事態の結果である。人間を他の動物から区別するところの、自己実現行為である生産活動が、労働者にとって苦しみになっているということは、労働者が人間的本質(=人間性)から疎外されている(第三規定)ということである。更にまた、以上の三つの規定の結果として、労働者の疎外は労働者が他の人間に対して持つ関係に現れざるを得ない(第四規定)。労働が自己に属さないということは、その労働が他人のための労働であることを、労働生産物が労働者に属さないということは、その生産物が非労働者に帰属することを意味する。
 従って、労働者の労働および労働生産物に対する非労働者の所有権・支配力は、労働者の疎外の論理的帰結である。非労働者が労働生産物を自己のものとして領有できるということは、論理的には、労働者を自己の指揮命令権能の下に活動させ、その生産物を自己の指揮命令権能の下に帰属させることによって始めて可能となる。資本が「自己増殖する価値」たり得るのは、それが生産過程において労働と労働生産物に対する「支配力(Kommando)であるが故である。「疎外された労働」概念が「私的所有の一般的本質」であるという意味は、このことを意味する。
a 見られるように、「疎外された労働」概念こそ「資本」を「他人労働の労働生産物に対する私的所有」(17頁)として、他人の「労働および労働生産物に対する支配力」(40頁)として、つまりは「自己増殖する価値」として把握せしめるものである。従って、それは「剰余価値」の発生、「剰余価値」の「利潤」と「利子」ヘの転化、「利潤」の「平均利潤」ヘの転化等、経済学的諸範疇の「発生的展開」を可能ならしめるものである。
 経済学的諸範疇の発生的展開を示すものとして、次のマルクスの記述は正しい。
 「我々が疎外された、外化された労働の概念から分析を通じて私的所有の概念を見つけ出してきたように、これら二つの要因の助けをかりて、国民経済学上のすべての範疇を展開することが出来る。そして我々は、例えば掛値売買、競争、資本、貨幣といった各範疇において、ただこれら二つの最初の基礎の、より規定され、より展開された表現を再発見するだけであろう。」(104頁)
b この「私的所有の一般的本質」把握から観れば、労働者の窮乏は彼がその労働力──富の一般的可能性──を資本家に譲渡・販売したことの必然的帰結であり、その譲渡の中に既に含まれていることである。
 以上の要約からも容易に推察出来ることであるが、古典派のシニシズムがその労働把握に起因するということは、同時に彼らの資本把握に起因するということでもある。古典派は、資本を単なる生産手段としてしか、一定量の「蓄積された労働」としてか捉えない。「富は支配力である」とはホッブズの言葉である。スミスは、この言葉を政治的支配力から経済的支配力(=購買力)に読み替えた。マルクスはこの言葉を更に、資本が生産過程において持つ「支配力=Regierungsgewalt=指揮命令権能」に読み替えることによって、資本を賃労働を不可欠の契機とする「一つの生産関係」として、つまりは「自己増殖する価値」として、発生的に展開出来る基礎を獲得したのである[10]。
「資本を蓄積された労働にすりかえることはそれはリカードウ学派の力説するところであり、また、この表現は既にスミスに認められるのだが──我々から見ると、国民経済学が労働が富の唯一の原理だということを認めれば認めるだけ、労働者は一層品位を落とし、一層零落し、労働そのものを一層商品化する──このことはこの科学の必然的公理でもあれば、今日の社会的生活の実践的真理でもある──ことを意味するに過ぎない。『蓄積された労働』という表現は、単に資本の起源を示しているばかりではなく、それと並んで、この表現には、労働は一層物象に、商品になり、むしろ資本の姿態においてのみ把握され、人間的活動としては把握されない、という意味が含まれている。[11]」
 勿論、「疎外された労働」概念の意義は、その範疇展開における意義に尽きるものではない。「産業資本」の主体的本質が「労働一般」であることが判明するならば、「産業資本」が「土地所有」に対して持つ文明的勝利の必然性や、富の認識史としての経済学の発展史の必然性もまた把握可能となる。つまり、「労働一般」としての「産業資本」の本質が、「農耕」という特殊な形態に限定された労働を本質とする「土地所有」を自己の内に含むこと、以前には萌芽形態にあったものを、それを自己の一契機として包括するところの、一層「発展」した形態であることは明らかである。従って、「産業資本」の本質把握によって、「土地所有」の「産業資本」ヘの発展の必然性と、「資本の文明的勝利」(116頁)「産業資本」の「世界史的な力」(125頁)が説明可能となる[12]。
 更に、このことに対応して、労働ないし富の本質の科学的把握である経済学が、重農主義から古典派へと進まざるを得ない論理的必然性もまた明らかとなる。
 最後に、「疎外された労働」概念によって、人類史は次のように把握されることになる。即ち、直接的生産者が自己の労働および労働生産物から疎外されるという事態は、土地所有に既に観られることであり、私的所有の歴史的発展はこの疎外の発展でもある。しかし、この私的所有の発展の頂点を積極的に止揚することによって、疎外そのものもまた止揚される、と。マルクスが資本─賃労働関係の積極的止揚を、従来の一切の疎外の止揚として、「人間的解放」として規定しているのは、この理由からである。

 B プルードンの「経済学批判」とマルクス
 では次に、プルードンの古典派経済学批判との関係で、マルクスのそれの特徴を描き出してみよう。
 古典派─プルードン─マルクス関係、「経済学批判」をめぐるプルードンとマルクスの対立は、『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕後段末尾の、次の一節で簡潔に語り尽くされている。
「この(「疎外された労働」概念からの「私的所有」概念への論理的……大石)展開は、直ちに、これまで解決されていない諸々の衝突の上に光を投じる。
(1)国民経済学は生産の本来の魂としての労働から出発する。にも拘らず、それは労働には何一つ与えず、私的所有に一切を与える。プルードンはこの矛盾から、労働を擁護し私的所有に反対する結論を引き出した。しかし我々は、この外見上の矛盾が疎外された労働の自己矛盾であること、そして国民経済学は単に疎外された労働の諸法則を言い表わしたに過きないこと、を見抜くのである。……」(102頁)
 古典派は、労働こそが富の源泉であると同時に、その富は労働者に行き渡らないことを示した。プルードンは、この古典派の「外見上の矛盾」即ち「シニシズム」を批判して、労働にすべてを与えようとした。つまり、古典派が商品「価値」を、「労働」と「私的所有」の両方から、「賃金」と「利潤」から規定したのに対して、プルードンは労働のみ──即ち「(直接的労働)時間と出費」──で規定し、所有の不可能性を証明しようとした。
 しかし、マルクスはこのプルードン価値論が現実の理論的反映ではなく、直接的労働時間を基準とする交換を当為的に提起しているに過ぎないと批判する。マルクスの古典派批判はこうである。即ち、古典派のシニシズムは、彼らが現実の矛盾を理論上反映していると同時に、それを概念的に把握できないことの現れでしかない。これを批判したプルードンの「革命理論」は、せいぜい「労賃の強引な引き上げ」でしかなく、たとえそれが可能であったとしても、「奴隷の報酬改善以外の何物でもない」。古典派の明らかにした諸帰結は、「疎外された労働」の必然的諸帰結である。従って、真の問題は、彼らの諸法則を「疎外された労働」の諸法則として概念的に把握すると同時に、「疎外された労働」を止揚することである。つまり、資本家的生産諸関係そのもの、労働の在り方を変革し、労働に「人間的な使命と尊厳を獲得」することが必要なのだ、と。「我々は、この外見上の矛盾が疎外された労働の自身矛盾であること、そして国民経済学は単に疎外された労働の諸法則を言い表わしたに過ぎないこと、を見抜く」とは、このことを意味する。
 「実践」即ち「生産活動」は、人間にとって自己を実現する「生命活動」であり、自己の「類的本質存在」を確証する行為であり、全ての(物質的のみならず、精神的な)富の源泉である。これに対して「労働」とは、この「生命活動」を生活諸手段を獲得するために譲渡・販売し、他人の指揮命令下にある形態を指す。労働者の貧困や人間性喪失等は、この「労働力」ないし「労働能力」──即ち「富の一般的可能性」──の譲渡・販売の中に語られているのであり、その当然の帰結である。マルクスのシニシズム批判は、以上の総体の意味において、近代市民社会における「富」と「貧困」との内的連関、「矛盾」の「全体」の概念的把握である。それは、資本家ないし「富」の代弁者としての経済学者と、労働者ないし「貧困」の代弁者としての社会主義者の、各々の一面性の批判である。それは、古典派が現実の私的所有の運動から抽出してきた諸「法則」を、「疎外された労働の法則」として、「疎外された労働の自己矛盾」として概念的に把握するものである。それは、経済学的諸範疇を「疎外された労働」と「私的所有」の両概念から発生的説明・展開することに他ならず、古典派の「経済学的諸範疇の批判」である。
 従って、『哲学の貧困』におけるマルクスのプルードン批判は「疎外論の経済学への適用[13]」問題にある、という佐藤氏の指摘は、全く正しい。範疇批判とは、「疎外された労働」概念を原理とする諸範疇の発生的展開に他ならないからである。


おわりに

 古典派は「労働こそ富の源泉である」という原理から出発しながら、労働者が窮乏せざるを得ないことを遠慮会釈なく描きだす。彼らは人間を承認するような外見の下で、徹底的に人間否定を遂行する。古典派のこの外見上の矛盾を、彼らの「シニシズム」と呼ぷ。このシニシズムは、一面では古典派の理論が現実の忠実な反映である証明である。しかし、それは反面では、彼らの理論が非科学的である証明でもある。即ち、古典派は労働者の労働が資本家にとって富の源泉であるという側面のみを考察し、それが労働者にとっては貧困の源泉でしかないことを考察しないからに他ならない。彼らはその「労働」の歴史的諸条件を明らかにしない。その結果、私的所有の規定の中に置かれた労働、他人の私的所有を生み出す労働、「疎外された労働」を、「自然的」で「人間的」な労働として、それ故永遠のものと看做し、資本家的生産諸関係の敵対的性格を看過するからである。古典派のシニシズムは、彼らのこうした富の主体的本質把握の不十分性の帰結なのである。
 以上の意味で、古典派が近代市民社会の富の側面を代弁しているとすれば、社会主義は貧困の側面を代弁している。彼らは、資本家的諸関係を現実に分析することなく、当為的な交換や分配を古典派に対置したに過ぎない。これに対して、マルクスのシニシズム批判とは、「富」と「貧困」との内的連関の、「矛盾」の「全体」の概念的把握であり、経済学と社会主義の、各々の一面性に対する両面批判である。
 ところで、古典派のシニシズムが、彼らの労働把握に起因するということは、彼らの資本把握に起因するということに他ならない。古典派にとって、資本は単に「蓄積された」労働であり、単なる生産手段でしかない。彼らにとっては、利潤が得られることは当然のことであり、その量だけが関心を引くに過ぎず、その「蓄積された労働」が「資本」となる歴史的諸条件、資本の「発生」を全く問題にしない。この点に関してマルクスは、古典派の諸法則が現実の理論的反映である限りでは評価しつつ、彼らのシニシズムの背後に潜む真の矛盾、資本家的生産諸関係の敵対性を解明しようとする。この作業こそ「経済学的諸範疇の批判」である。その意味で、「シニシズム」批判は、「経済学批判」そのものである。
 このマルクス「経済学批判」体系において、「疎外された労働」概念は次の三つの原理である。
 先ず、第一に、経済学的諸範疇の批判的展開の原理である。「疎外された労働」概念は、労働者の貧困と資本家の富を表裏一体のものとして把握する。「生命活動」であり、「富の一般的生産力」でもある労働力の譲渡、これこそ労働者の窮乏と人間性喪失との、更にまた、「蓄積された労働」が「自己増殖」しうる秘密である。「疎外された労働」概念とその論理的帰結である「私的所有」の概念こそは、経済学的諸範疇の発生的展開と資本家的生産の諸法則を概念的に把握する原理である。これらの二要因から、古典派はただ「疎外された労働の法則」を、「疎外された労働の自己矛盾」を述べているに過きないことが解明される。
 第二に、「疎外された労働」概念は、人類史の概念的把握の原理である。「疎外された労働」概念は、「私的所有」の発展の頂点としての、「産業資本」の直接的生産過程の分析から引き出された「私的所有の一般的本質」である。人類史における「私的所有」の生成─発展─消滅(=真に「全体的に発達した人間」の生成)の必然性は、人類史における「労働疎外」の生成─発展─消滅の問題として再定式され、「土地所有」に潜在的に存在する人間疎外が、労働の自己矛盾にまで発展し、その解消に向かって突き進む「運動」として考察される。尤も、第一と第二の意味は本質的に同一なのであるが、ここでは便宜上、前者を構造諸法則、後者を運動諸法則に区別してみた。
 第三に、「疎外された労働」概念は、経済学(労働の科学的認識学である)における発展の概念的把握にとっての原理でもある。「疎外された労働」概念は、それが「私的所有」の頂点(産業資本)の分析から引き出された「私的所有の一般的本質」であることによって、資本家的諸関係の構造・運動諸法則と経済学の発展過程の概念的把握を可能とする。マルクスの「経済学批判」とは、そうした体系なのである。
 最後に、『経済学・哲学草稿』がマルクスの最初の「経済学批判」体系であるのに対して、『哲学の貧困』はその部分的開示でしかないことが判明したと思われる。マルクス自身記しているように、『哲学の貧困』はごく限られた目的を持って執筆されたものである。従って、初期マルクスの「経済学批判」は『経済学・哲学草稿』でこそ展開されている、と断言しても過言ではあるまい。『哲学の貧困』から『経済学・哲学草稿』ヘ!これこそ研究者が進まねばならない道である。


巻末注********************************

[1]. マルクスが経済学の批判的研究を開始した時期については、1844年説もある。しかし、ここでは外部要因(エンゲルスの『国民経済学批判大綱』の影響等)よりも、内部要因(ヘーゲル『法哲学』批判)を重視し、一応1843年とする。

[2]. 今日の「経済学史」では、「古典派経済学」は通常スミス、リカードウ、ミルを意味し、この両者に特別の意義を認めている。しかし、既にここに、マルクスからのズレがあるのではあるまいか。
「商品を二面的形態の労働に分析すること、使用価値を現実的労働ないし合目的的な生産的活動に、交換価値を労働時間ないし同等な社会労働に分析することは、イギリスではウィリアム・ペティーに、フランスではボアギュベールに始まり、イギリスではリカードウに、フランスではシスモンディに終わる古典派経済学の一世紀半以上に亙る諸研究の批判的最終成果である。」(『経済学批判』国民文庫版、58-9訳頁。)

[3]. ここで、『経済学・哲学草稿』と『哲学の貧困』を取り上げるのは、「シニシズム」を考察する上で両著作が便利であるという他に、所謂「初期マルクス」と「後期マルクス」を両著作で代表させ、その一貫性ないし連続性を指摘するためでもある。

[4]. 吉沢芳樹「マルクスにおけるリカードウ理論の発見と批判」『社会科学年報』4号、ローゼンベルグ『改訳初期マルクス経済学説の形成 上・下』(大月書店)等がその代表である。

[5]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, S. 296.

[6]. 「富」認識が所謂「価値論」、「剰余価値論」の問題であり、この「シニシズム」規定が古典派の価値論や利潤論の欠陥ないし不十分性に関わる。従って、この点の誤解は、マルクス「経済学批判」体系の精髄を、その形成過程の全努力を理解不能にする。

[7]. 『哲学の貧困』のマルクスは、経済学者達が資本家的諸関係のこの二面的、敵対的性格を観ないために、彼らの間で論争が絶えないこと、「この敵対的性格が明らかになるに従い、資本家的生産の科学上の代表者たる経済学者達は、いよいよ彼等自身の理論と衝突するようになる。こうしていろいろな学派が形成される」(S. 141-3、168-9、135-7)として、経済学を「宿命論者」と「人道派」の二つに、その各々を更に「古典派」と「ロマン派」、「人道派」と「完成された人道派としての博愛主義派」に分類している。『経済学・哲学草稿』岩波文庫、85、111-7頁参照。

[8]. 詳しくは、本書第三篇第5章参照。

[9]. 詳しくは、本書第四編第9、10章を参照。

[10]. 『哲学の貧困』の執筆目的は、プルードンの「経済学批判」が基礎理論である価値論においても、また方法論においても、古典派経済学の欠陥(歴史性の欠如)を止揚できていないこと、結局「一回りして」同じ過ちを犯していることを暴露することにある。従って、そこでは剰余価値論の問題ははとんど展開されていない(「第一章第三節 労働の剰余」でも積極的には展開されていない)。従って、この側面は『賃労働と資本』と『道徳的批判と批判的道徳』からの次の箇所によって補完する必要がある。
「では、諸商品の、諸交換価値の一総和は、どのようにして資本となるのか?それは、それが直接の生きた労働との交換を通じて、独立の社会的支配力として、社会の一部の支配力として、それ自身を維持し、そして増殖することによってである。労働能力以外のなにものも持たない一階級の存在は、資本にとって不可欠の前提である。蓄積された、過去の、対象化された労働が、直接の生きた労働を支配することによって始めて、蓄積された労働は資本になるのである。……
 労働者は、彼の労働とひきかえに生活資料を受け取る。しかし資本家は、その生活資料とひきかえに労働を、労働者の生産的労働を、創造力を受け取る。そして労働者は、この労働によって彼の消費するものを補填するばかりでなく、蓄積された労働に対して、それが以前もっていた以上の価値を与えるのである。」(『賃労働と資本』角川文庫版、山中隆次訳、289頁)
「所有は、いずれにせよ一種の権力(Gewalt)である。経済学者たちは、資本を、例えば、『他人の労働に対する支配力』と呼んでいる。」(KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 4, S. 337)

[11]. 『マカロック評註』(杉原・重田訳『経済学ノート』)、136-7訳頁。

[12]. 『経済学批判要綱』の「資本の文明化作用」という言葉を思い出すだけでは不十分である。ここには、こうした言葉を生み出すマルクス自身の思考過程が展開されている。それを学ぶことこそ必要なのである。

[13]. 佐藤茂行『プルードン研究』木鐸社、365頁。