経済学的諸範疇の批判とは何か
ーー『哲学の貧困』における古典派経済学批判を中心とした一考察ーー


目次
  はじめに
第一章 古典派経済学の範疇把握の特徴と制限性
 第一節 古典派経済学の方法の一般的特徴と制限性
 第二節 古典派経済学の範疇把握の制限性:(1)歴史性の欠如
 第三節 古典派経済学の範疇把握の制限性:(2)統一性の欠如
第二章 マルクスによる経済学的諸範疇の批判
 第一節 マルクスの弁証法的方法の一般的特徴と制限性
 第二節 マルクスの範疇把握:歴史性の把握
 第三節 マルクスの範疇展開:統一性の把握
  おわりに


  はじめに

「この二巻から成る大著(プルードンの『経済的諸矛盾の体系、別名貧困の哲学』、以下『体系』....大石)の批判については、私の返答(『哲学の貧困』)を見て頂かねばなりません。私はその中で、特に、プルードンが科学的弁証法の神秘に浸透することが如何に少なかったか、又他方において『思弁的』哲学の諸幻想に如何に多く陥っているかを示しました。つまり、経済学的諸範疇を物質的生産諸関係の一定の発展段階に照応する歴史的生産諸関係の理論的表現として考察するかわりに、彼の想像力はそれらを一切の現実に先立って存在する永久的諸観念に変形することによって、彼が一回りしてその出発点たるブルジョア経済学の見地に戻っていることをしめしました。」

 この「カール・マルクスの観たプルードン」の一節から[1]、次の諸点が読み取れる。即ち、
1) マルクスから観ると、古典派経済学は経済学的諸範疇を永遠視するという誤りを犯していること。
2) プルードンの『体系』は、この古典派経済学の誤りを「批判」ないし「止揚」する試みであったこと、「出発点たるブルジョア経済学」とは、その意味であること。
3) しかし、このプルードンの古典派経済学批判は、結局その古典派経済学と同じ誤りの繰り返しでしかないこと。即ち、プルードンもまた経済学的諸範疇を永遠視する誤りを犯していること。「一回りして....戻っている」とは、その意味であること。
 以上の三点から、つぎのような『哲学の貧困』の根本的性格が判明する。つまり、『哲学の貧困』は古典派経済学の方法的欠陥を批判したプルードンの「経済学批判」(『体系』)に対してマルクス自身の「経済学批判」、特のその「方法」を対置したものである、という性格である。それゆえ、『哲学の貧困』の眼目は次の点にあった。即ち、プルードンの「古典派経済学批判」が、古典派経済学を真に「止揚」したものではなく、その批判対象と同じかそれ以下の水準にあることを明らかにする、という点である。『哲学の貧困』におけるマルクスのプルードン批判には、こうした「経済学批判」の「方法」に関する批判以外に、『体系』の「基礎理論」である「総合価値」=「構成された価値」に関する批判が存在することは言うまでもない。従って、『哲学の貧困』の正確な理解は、次の四つの「論点」を理解して初めて可能である。即ち、
1) 古典派経済学の方法論に対するプルードンの批判
2) プルードンの古典派方法論に対するマルクスの批判
3) 古典派価値論に対するプルードンの批判(「総合価値」論)
4) プルードンの「総合価値」論に対するマルクスの批判
の四点である。重要なので別の表現で繰り返してみよう。
 『哲学の貧困』においては、古典派「経済学者」リカードウ、リカードウ派「社会主義者」ブレイ、ヘーゲルの三者がプルードンに対置されている。しかし、それら三者がプルードンに対置されている理由は、それら三者の見解に依拠してプルードンを批判するためでも、これら三者に対するプルードンの批判を批判するためでもない[2]。それは「経済学」と「社会主義」を止揚したと主張するプルードンが、経済学ではリカードウ以下、哲学ではヘーゲル以下であることを示し、その革命理論(「総合価値」論)もオリジナリティーのないものであることを暴露し、笑い物にするためである。マルクスがヘーゲルに依拠していないように、彼はまたリカードウにも依拠していない。このことは、『哲学の貧困』「第二章」を見れば一目瞭然であり、「一回りして....ブルジョア経済学の見地に戻っている」という言葉が示している。従って、『哲学の貧困』においてマルクスは、リカードウが経済学的諸範疇を「永遠視している」点を批判しているのである。
 つまり、『体系』と『哲学の貧困』とは、古典派ーー従って、リカードウーーを以下に批判し、止揚すべきかをめぐるプルードンとマルクスの理論的対決の書に他ならない。プルードンとマルクスの双方にとって、古典派経済学はその非歴史的な範疇把握故に最初から批判の対象なのであり、『哲学の貧困』においてリカードウは、方法論では直接に、「基礎理論」ーー価値論ーーでは間接的に批判されているのである[3]。
 ところが、従来の「『資本論』成立史」研究に欠けていたのは、まさにこの理解であった。いわゆる「初期マルクス」と古典派経済学との関係をめぐる通説的解釈ーーリカードウ価値論の「拒否」ないし「否定」から、その「受容」ないし「肯定」へーーは、この古典派経済学とマルクスとの関係の完全な無理解の上に始めて成立している。もしも、『哲学の貧困』におけるマルクスの古典派方法論批判が少しでも理解されていたら、こうした馬鹿げた主張は一笑に付されていたに違いない。
 そこで、本稿で筆者は、先の四つの論点のうち特に(2)を取り上げ、古典派経済学が経済学的諸範疇を「永遠視した」ということの意味を、逆の言い方をすると、経済学的諸範疇を歴史的に把握するとはどういうことかを解明することにする。
 以下、本稿は次のように展開されるであろう。先ず、『哲学の貧困』における直接・間接的に語り出されている古典派経済学ーー従って、リカードウ経済学ーーの方法論における根本的欠陥を摘出した後、その具体例としてリカードウの「地代」と「価値」を取り上げる。これらの作業を通して、「出発点たるブルジョア経済学の見地」の意味を把握かにする(B.)。次に、この古典派方法論を批判しているマルクスの方法論を、範疇把握と範疇展開の両面から、一般的および具体的ーー地代論に即してーーに明らかにする(C.)。本稿を通じて、マルクス「経済学批判」体系が古典派経済学の経済学的諸範疇の体系的批判であるということの意味が、『哲学の貧困』で展開されている具体的記述に即して解明されるであろう[4]。


第一章 古典派経済学の範疇把握の制限性

 第一節 古典派経済学の方法の特徴と制限性
 本章の課題は、古典派経済学の諸範疇が「非歴史的」であるということの意味を解明することである。この課題を、彼らの「分析的方法」の一般的特徴とその制限を明らかにした後、その制限をその「地代」把握に即して具体的に明らかにする順序で遂行する。
 古典派経済学の方法は、論理学的には「分析的方法」と言える[5]。
 古典派経済学は、眼前に存在する近代市民社会を、より正確に言えば、ブルジョア的な物質的「財貨」の生産・交換・分配等の諸活動をその考察対象とし、それらの生産・交易諸関係の分析、抽象を通じて、より本質的なものを引き出してきた。
 この点を、見田氏は次のように要約している。
「分析的方法の特色は、われわれの感性に与えられた事実の観察や実験を通じて、その 背後にひそんでいる本質的なもの−−類、実体、法則、事物の構成諸要素、原因などをさぐり出し、これらの本質的なものからひるがえって与えられた事実を説明する点にある。[6]」
 事実、古典派経済学は「資本」を「蓄積された労働」に、「労働」を「本源的購買貨幣」として把握することによって「商品」を「労働量」に還元した。彼らの労働価値説は、こうした二つのものの労働量への還元作業の上で始めて成立可能となったのである。更にまた、古典派経済学は変動絶え間ない諸価格からその「中心価格」を、「自然価格」(スミス)ないし「生産費」(リカ−ドウ)として抽出し、これをその商品の「価値」と規定したのである。
 こうした分析的方法によって、それまでの法学、道徳哲学の中から経済学が独立し、成立したことは言うまでもない。しかし、こうした古典派経済学の分析的方法だけによっては、事物の歴史性と統一性は説明することはできない。資本主義社会は封建社会の中から自然発生的に生成し、歴史の一段階として現存し、やがて次の、より発達した社会へと発達してゆく。この様に、資本主義社会を生成と消滅の中での相対的安定性・統一性として歴史的に把握すること、しかも単に漠然とした意識の上のみならず、理論上で明確に把握することは、古典派経済学の分析的方法によっては始めから不可能なのである。
 この点を、見田氏は次のように指摘している。
「しかし分析的方法は、ただそれだけの特色をもった古典的な形態では、また科学の方 法として一定の越えがたい制限をもっている。それはかんたんにいえば、この方法が、与えられた事態をそこに与えられ見出されたままに前提するやりかたのために、事物の 歴史性というものをとらえることができずに、また同時的にみて事物相互の連関、事物の統一性をよくとらえることができない、という点である。[7]」
 要するに、古典派経済学の分析的方法は、そのブルジョア的生産・交易諸関係の内的・本質的連関やその生成・発展・消滅を解明するものではないというのである。
 理論上で資本主義社会を歴史的に把握するとは、経済学的諸範疇を歴史的なものとして規定することである。少なくとも、マルクスにおいてはそうである。「社会」という言葉は一般化しており、その言葉は、通常現実の諸個人から独立した「制度」としてイメージさせる傾向を持つ。しかし、こうした諸個人の活動から抽象的に分裂・分離させられた「社会」は、むしろ資本主義社会において特徴的な事柄である。
 諸個人の活動と法則、諸個人の活動と社会を二元論的に考えることなく、諸個人の活動からこれらのものを、まさに諸個人の活動の産物として一元的に把握・説明しなければならない。そこに「疎外された労働」概念の真の意味が存在するのである[8]。
 経済学的諸範疇を歴史的に規定するとは、まさに一定の生産力の上で行なわれている諸個人−−勿論、今日の社会においては具体的な労働者、資本家、地主等の形をとっているのであるが−−がその諸活動を通じて取り結んでゆく生産・交易諸関係として規定することであり、それらの生産・交易諸関係が前提し、表現しているところ歴史的諸条件を反映したものとして経済学的諸範疇を規定することである。
 こうした範疇規定によって、それらの範疇の「真理性」もまた保証されることになる。ところが、古典派経済学の場合、その諸範疇は以上の意味での「歴史性」を持っていないのである。古典派経済学の経済学的諸範疇を歴史的に規定していないのであり、つまるところ、古典派経済学は理論上資本主義社会を歴史的に把握していないのである。
 事実、スミスは土地の共同的所有の存在を「事実としては」知りながら、実際には歴史を私的で排他的な所有の歴史としてのみ描いている[9]。彼らの「財貨」は事実上「商品」でありるにも拘らず、その両者の相違は、つまり「財貨」が「商品」形態をとらざるを得ない必然性は明確にされない[10]。更に、古典派経済学の「価値」は、「中心価格」という「価格」の一規定性(=形態)でしかなく、その「価値」から「価格」(スミスの「自然価格」やリカ−ドウの「生産費」)が説明・展開されるのではないのである。こうしたことは、彼らの他の総ての諸範疇についても言えることである。
 例えば、「貨幣」は「流通の大車輪」であり、単なる「交換手段」であり、「商品」との内的・本質的関係は解明されていない。同様に、「蓄積された労働」が「資本」と呼ばれるのは、それが「持ち手に利潤をもたらす場合のみ」と言われながら、その「利潤」をもたらす歴史的諸事情、即ちその起源・源泉は全く解明されない。否、そもそもそうしたことことを解明しようという意識がないのである。
 リカ−ドウについても、事情はまったく同じである。
 労働と資本と土地所有という三者の分離は、単に本源的蓄積過程のみならず、日々現実に再生産されている。にも拘らず、古典派経済学はこの分離の「根拠」を歴史の彼方に追いやり現実の課題として設定することがない。例えば、労働者がその全生産物を享受できるということが賃金に与える影響について、スミスは次のように述べている。
「労働者が自分自身の労働の全生産物を享受した状態は、・・・・労働の生産力の最も著しい改善が行なわれるずっと以前に、終わりを告げていたので・・・・ この点をこれ以上さかのぼって追跡してみても無意味であろう。[11]」
 亦、資本家が「利潤」を要求する権限〔Titel〕についても、利潤は資本家の生計の当然の基金であり、それが得られなければ資本家は投資に何の関心も持たないであろう、と指摘されるだけで、理論的に解明されることはない[12]。
 それ故、古典派経済学においては、「財貨」が他ならぬ「商品」という姿態をとっている「存在の必然性」も、「蓄積された労働」が他ならぬ「資本」という姿態をとっている「存在の必然性」も、その歴史的生成・発展・消滅の可能性も必然性も明らかにされないのである。それ故、彼らの経済学においては、ただそれらの「量」の分析だけが問題になるに過ぎないのである。
 このように、古典派経済学は現実の歴史的な社会を、より正確に言えば、現実の歴史的な生産・交易諸関係を分析しているのであるが、その近代市民社会を、つまりブルジョア的生産・交易諸関係を、生産力の一定の段階に照応した歴史的な生産・交易諸関係として把握することはなかったのである。その意味で、理論的には、古典派経済学は経済学的諸範疇を、従って近代市民社会を永遠のものとしてしか把握できなかったのである。
 こうした古典派経済学の理論的欠陥は、実は彼らの分析的方法それ自体に由来するものなのである。次節においては、この古典派の分析的方法の欠陥を、更に具体的に考察して見よう。

 第二節 古典派経済学の範疇把握の制限性:(1)歴史性の欠如
 本節では、古典派経済学における「地代」論を例にして、彼らの範疇把握の制限性を具体的に明らかにして見よう。
 スミスとリカ−ドウにおいて、「地代」は基本的には同じように説明されている。即ち、彼らは本来の「地代」を「土地に合体した資本の利子」やそれを含むところの「小作料」から明確に区別し、その「地代」を「立地条件」と「土地の豊穣度」という二つの条件から説明している。この「地代」把握の中に、古典派経済学の科学性とその制限性が余すところなく語り出されている。
 彼らがこれらの二つの条件を上げるのは、彼らが現実の経済諸現象をよく観察してからであり、決して見当違いの議論ではない。この意味では、古典派経済学は現実の近代市民社会の理論的反映である。
 しかしながら、こうした二条件も社会的諸事情によって左右されるという意味で社会的であるとはいえ、それらは基本的には「自然的」な諸要因である。もしも、これらの諸条件から直接に「地代」が発生するということであれば、結局何時の時代にも「地代」は発生することになる。それ故、これらの諸条件が基礎になっていることは間違いないとしても、そこから直接「地代」の発生を説くことはできないのである。
 つまり、古典派の「地代」把握は、「地代」を生み出すところの、「地代」を「地代」たらしめるところの肝腎の、歴史的・社会的諸関係を説明していないのである。それ故、古典派経済学が、マルクスの場合のように、「地代は土地から生ずるものであって、土壌から生ずるものではない」(『貧困』:『全集』版、S.174、国民文庫、221頁、岩波文庫、188-9頁。『貧困』からの引用は、以下特に断らずこの順序で行なう。)ことを理論的に解明したとは言えない。そのことは結局、彼らが「地代」を永遠のものとしたということなのである。少なくとも、理論的にはそうとしか把握されていないのである。
「リカ−ドウは、ブルジョア的生産を地代の決定に必要なものと仮定したのちに、それにも拘らず、それ〔地代概念・・・・独版〕を、あらゆる時代、あらゆる国々の土地所有に適用する。これこそ、ブルジョア的生産の諸関係を永久的な範疇〔諸関係・・・・独版〕だと主張するすべての経済学者の常套手段〔誤謬・・・・独版〕である。」(170、215、182)

 第三節 古典派経済学の範疇把握の制限性:(2)統一性の欠如
 ところで、古典派経済学の範疇で問題なのは、その歴史性の欠如だけではない。そこには同時に、「有機的統一性」が欠如している。つまり、他の諸関係との内的・本質的−−「現実的〔wirklich〕」にはこの意味もある−−連関が示されていないのである。
 ここで、「同時に」と述べたことに特に注意してほしい。両者は別個のものではないからである。現実の生産・交易諸関係が、他の種々の関係を結び付きながら一つの総体を形成しているのに対応して、それらの理論的反映としての経済学的諸範疇は、他の諸範疇との関係を表現していなければならない。あるいは、経済学的諸範疇をそのような他の諸関係との中で規定しなければならないのである。
 ところが、古典派経済学の経済学的諸範疇は、この「統一性」も欠いているのである。 例えば、古典派経済学者にとって、貨幣そのものとその諸機能(=諸形態)との区別はない。彼らは貨幣をその具体的諸機能でしか見ない。そのために古典派経済学は、「貨幣」そのものを、「商品」と「貨幣」の内的・本質的連関を理解できないのである。彼らにとって、貨幣は交換を容易にするための手段でしかなく、商品生産そのものが貨幣を必要としていること、その意味で「商品」が不断に「貨幣」を生み出しつつあることを理論上把握することがない。貨幣が「購買手段」であると述べたところで、それだけでは貨幣を理論的に把握したことにはならないのである。これに対してマルクスは、「貨幣」の必然性を展開できる形で商品の「価値」を、その「質」を問題にしているのである。
「プル−ドンの最後の経済学的業績は、彼の『無償信用』とこれを実現すべき『人民銀 行』との発見である。私の『経済学批判』・・・・の中に、人々は、それらのプル−ドンの 考え方はブルジョア経済学の第一要素即ち商品と貨幣との間の関係の完全な無知に基づ くものであること・・・・が証明されていることを見出だすでしょう。」(「カール・マルクスの観たプル−ドン」前掲書、235-6 頁)
 プル−ドンの「構成された価値」に対してマルクスが現実に存在するのは「構成する運動」のみであるという時、実は「商品」と「貨幣」の連関を問題にしているのである。
 ところが、経済学史研究者はこれまで、こうした古典派価値論にマルクスのそれを読み込んできたように思われる。古典派経済学には、「価値形態論」はないが、「価値実体論」は同じだ、と。これはマルクス「価値実体」論のみならず、「価値形態論」の完全な誤解であり、このことこそ重大な問題である。マルクス研究者の理解するマルクス「経済学批判」体系は、実はマルクス自身の「経済学批判」体系ではなく、むしろ古典派の「経済学」に近いものでしかないのである。
今この点を少し詳しく述べて見よう。古典派の「価値〔value〕」とは、「中心価格」であり、「自然価格」である。リカ−ドウといえども事態は同じである。彼の「価値」は、「生産費」であり、「平均率」にある「賃金」と「利潤」の合計である。この「生産費」と「投下労働量」とは同じではない。この二つを混同することは、リカ−ドウ価値論に対する完全な誤解でしかない[13]。 確かに、スミスの「自然価格」は「労働によって測った価格〔price in labour〕」であり、「貨幣で測った価格〔price in money〕」ではない。その点では、彼に先行する他の経済学者達よりも一歩進んでいる。しかし、本質的には、スミスの「価値〔value〕」は、「値打ち」と考えて始めて首尾一貫して統一的に理解できるのであり、マルクスがこうした「自然価格」や「貨幣」の「発生・起源〔Genesis〕」を説明・展開すべく規定した「価値」とは、根本的に性格が異なるのである[14]。
 「価値概念」から「貨幣」のゲネジスを説明・展開するというマルクスの課題は、単に古典派経済学に無い「価値形態」論を生み出しただけでなく、「価値」概念そのものの批判を必然的に伴っている[15]。
 マルクスの「価値概念」を具体的に詳論することは、ここでの課題ではない。重要なことは、古典派経済学の経済学的諸範疇は、それらの諸規定は、「質」の面で、即ち「歴史性」と「統一性」を欠くという制限性を持ったものとしてマルクスの前に存在していたこと、マルクスの「経済学批判」はそうした一切のブルジョア「経済学的諸範疇」をその「歴史性」と「統一性」との観点から批判し、規定し直したものであることを理解することである。
 次に、古典派経済学の「地代」を、「統一性」という観点から見てみよう。
 成程、スミスもリカ−ドウも、商品の「価値」と「地代」との関係を問題にしている。しかし、彼らが問題にしたそれらの関係とは、「地代」が「中心価格」たる「自然価格」ないし「生産費」の中に入るか否か、「価格」の原因か結果かという議論でしかない[16]。
 しかし、彼らにおいては、商品「価値」を規定する際に、未展開の、従って本来説明・展開されるべき「利潤」−−しかも平均率でのそれ−−を前提しているのであり、逆に「利潤」を規定する時には、それが商品の「価値」規定から説明・展開されることはない。それ故、古典派経済学における「価値」と「地代」との関係は、マルクスにおけるような、厳密な意味での両者の関係とは次元が異なるのである。
 正にこの理由から、古典派経済学に厳密な意味での範疇展開がないのである。これに対してマルクスの場合は、「転化」論という形で範疇展開が行なわれるのである。この両者の差異は、古典派経済学の「分析的方法」とマルクスの「弁証法的方法」[17]という両者の方法上の差異に起因するものなのである。

第二章 マルクス「古典派経済学批判」の方法

 第一節 マルクスの弁証法的方法の特徴
 本章の課題は、古典派経済学の方法論を「止揚」したところのマルクス「経済学批判」の方法論を、特に範疇把握と範疇展開の点で一般的に明らかにした後、「地代」論に対する批判を通して具体的に明らかにすることにある。  
 先ず、マルクス「経済学批判」の方法の特徴について簡単に述べておこう。
 ヘ−ゲルの弁証法が、「分析的方法」が問題にもしなかった事物の「歴史性」と「統一性」を同時に把握する方法として「弁証法」を体系化したことは言うまでもない。
 ヘ−ゲル学徒マルクスが、ヘ−ゲル『法哲学』批判から近代市民社会の概念的把握へと進み古典派経済学の研究を始めた際、当然にも最初に問題にしたのも、古典派経済学の方法の欠陥であった。
 『経済学・哲学草稿』において、「国民経済学は私的所有(権)という事実から出発する。しかし国民経済学は我々にこの事実を解明してくれない」こと、「私的所有が現実の中で辿ってゆく物質的過程を、一般的で抽象的な諸公式(「法則」・・・・大石)で捉え」るだけで、それらの「諸法則がどのようにして私的所有の本質から生ずるかを確証しない」こと、つまり、それらの「諸法則を概念的に把握しない」ことを批判していたのがそれである。
 この古典派経済学の方法に対して、マルクスが「疎外された労働」とその必然的帰結である「私的所有」という二つの概念から一切の経済学的諸範疇を「これらの最初の基礎のより規定された、展開された表現」として展開すると記した時、正しく経済学的諸範疇をその「歴史性」と「有機的統一性」の両面で把握・展開できる彼の弁証法的方法を確立していたのである。
 本来、この『経済学・哲学草稿』の記述は、マルクス研究者をして『剰余価値学説史』のマルクスを思い起こさせて当然なのであるが[18]、この記述を「未熟」の証拠としてしか評価できなかったところに、マルクス研究者のマルクス無理解が露呈されていた。マルクス研究者は、『資本論』を超えることは勿論、若干26歳のマルクスよりも悠か下位に、せいぜい古典派経済学の水準にしか達していないことを自ら証明していたのである。 ところで、このマルクスの「弁証法的方法」は、現実の生産・交易諸関係の歴史性と統一性において、つまり「学」的に認識−−体系的認識ないし知識の体系的叙述−−するための「叙述」の弁証法であり、それ以上でもそれ以下でもない。それ故、ヘ−ゲルにおけるような概念の自己展開、自己産出と混同してはならない。マルクスの弁証法的・発生的叙述は「直感と表象とを諸概念へと仕上げてゆく行為」[19]でしかないのである。

 第二節 マルクスの範疇把握
 『貧困』におけるマルクスが、範疇を生産・交易諸関係の理論的反映ないし抽象的表現として把握したことは、言うまでもない。
「経済的諸範疇は、社会的生産諸関係の理論的表現、その抽象であるに過ぎない。」(S.130,151,117)
 しかし、この範疇把握をそのままの形で理解するだけでは、その十全な意味は明らかにならない。そこで、以下において、次の諸問題に答えながら、その意味を考えて見よう。1)そもそも、何故マルクスは、その他の社会的諸関係ではなくこの経済的諸関係に注目するのであろうか。経済的諸関係を把握することによって、何を明らかにしようとしているのであろうか。2)更にまた、経済学的諸範疇を生産・交易諸関係の理論的反映として把握するとは、具体的には一体どのようなことを意味しているのであろうか。

 1)の問題について:
 経済的諸関係が他の社会的諸関係を規定するからである。では、どういう意味で規定的なのであろうか。それは、所謂「自然」自体が人間自身の活動の産物でないのに対して、「社会」は間違いなく人間自身の活動の産物であり、特に生活活動の産物であるからである。
「その形態がどのようなものであるにせよ、社会とは一体何でしょうか。それは人間の相互作用の産物です。」(S.548, 8, 249)
 それ故、論理的には、この人間の生命産出行為からその他の諸関係を説明・展開する他ないのであり、それ以外の説明は、幻想であろう。では、何故、この経済的諸関係を、生産・交易諸関係に注目するのであろうか。
 諸個人の活動から出発して、その他の社会的諸関係(現実の「社会」)のみならず、その政治的状態等、現実の人間を、その「総体」において理解するために他ならない。
「もし人間の生産諸力における一定の発展段階を前提すれば、我々は交易と消費の一定 形態を得るでろう。もし生産と交易と消費との一定の発展段階を前提するならば、我々 はこれに対応する一つの社会的秩序、これに対応する家族や身分や階級の組織、一言で 言えばこれに対応する市民社会を持つでろう。もし一定の市民社会を前提すれば、我々 は市民社会の公的表現に過ない一定の政治的状態(国家)を得るであろう。」(同上)
 つまり、このマルクス範疇把握は、次のことを前提ないし含んでいるのである。即ち、1) ヘ−ゲルは市民社会と政治的国家との分裂という矛盾から出発し、市民社会を政治的国家(身分制議会)で「止揚」する道を歩んだ。しかし、近代市民社会こそが政治的国家の存立の基礎、自然的土台であるということ。つまり、「公民」としての人間が「比喩的な精神的な人格としての人間」[20]でしかないのに対して、「市民社会の成員である....(利己的な.... 大石)人間」[21]、「感性的な、個体的な、最も身近な在り方における人間」[22]こそが、政治的国家の土台であり、前提である、ということをマルクスは掴んだのである。それ故、近代市民社会と政治的国家の分裂という矛盾の「止揚」は、市民社会における諸個人の「市民」と「公民」とへの分裂という本質的矛盾の「止揚」によって、「市民」としての在り方の中に「公民」としての在り方も取り戻すことによって、始めて可能であることを掴んだのである。
2)この「諸個人」の生産的活動から出発し、「社会」を−−諸個人の活動から抽象的に分離せず−−それらの諸個人が取り結ぶ諸関係の総体として把握する時、「社会」の発展の歴史は即「諸個人」の発展の歴史として把握されることになる、ということ。
「人間の生産諸力が従って又人間の社会的諸関係が拡大されてくるに従っていよいよ人類の歴史となってくる。このことから必然的に次のことが生ずる。人間の社会的歴史は、彼らが意識していると否とを問わず、彼らの個人的発展の歴史以外の何物でもないのである。彼らの物質的諸関係が総ての彼らの関係の基礎である。それらの物質的諸関係は、彼らの物質的個人的活動がその中で実現される必然的形態に過ない。」(S.548-9, 9-10, 250)
 マルクスが生産・交易諸関係を問題にするのは、以上の総体の意味においてであり、生産・交易諸関係こそが人間の歴史的発展の度合いを語り出しているからに他ならない。マルクスの「経済学批判」体系は、古典派経済学がそうであったように、単に物質的財の生産・分配のみを考察しているのではないのである[23]。

2)の問題について:
 このことが、眼前に存在する経済的諸関係を分析するということを意味することは勿論である。そして、それだけならば古典派経済学とて同じであった。
 ところが、その古典派経済学は諸範疇を永遠視したとしてマルクス「経済学批判」の「出発点」を成しているのである。例えば、こうである。
「経済学者たちは、ブルジョア的生産の諸関係、分業、信用、貨幣等々を、固定した、不変の、永久的な範疇としてしめす。」(S.126, 146, 111)
「リカ−ドウは、ブルジョア的制を地代の決定に必要なものと仮定したのちに、それにも拘らず、それ〔ブルジョア的生産〕を、あらゆる時代、あらゆる国々の土地所有に適用する。これこそ、ブルジョア的生産の諸関係を永久的な範疇だと主張するすべての経 済学者の常套手段である。」(S.170, 215, 182)
 だとすれば、その意味はこのことに尽きるものではない、ということになる。では、プル−ドンとマルクスが、古典派経済学の、彼らの範疇把握の何処を「批判」しようとしていたのであろうか。それは、既に見たところの「歴史性」と「統一性」との欠如である。諸範疇に「歴史性」と「統一性」を与えることは、諸範疇の「起源=Genesis=発生」を解明することに他ならない。
「これらの(古典派経済学の・・・・大石)できあいの諸範疇を手にしたプル−ドン君は、 これらの諸範疇、諸原理、諸観念、諸思想の形成作用を、発生を、我々に説明しようとする。
 経済学者達は、それらの与えられた関係の下で人々が如何にして生産するかを我々に 説明する。しかし彼らは、如何にしてそれらの諸関係が生ずるかということ、即ち、それらの関係を生んだ歴史的運動を説明してくれない。」 (S.126,146,111)
 勿論、プル−ドンはその意志は持ってはいたが、成功したとは言われていない。そこでこのプル−ドン起源論の欠陥を明らかにすることから、マルクス自身の「発生」論を明らかにして見よう。このプル−ドンの欠陥について、マルクスは次のように記している。
「(1)経済学者としてのプル−ドン君は、人間が一定の生産諸関係においてラシャ、麻布、絹布を製造するものであることを非常によく理解した。(2)しかし、これらの一定の社会的諸関係もまた麻布、リンネル等々と同様に人間によって生産されるものであるということ、これを彼は理解することができなかった。(3)社会的諸関係は生産諸力と密接に連結する。新たな生産諸力を獲得するとともに、人間は彼等の生産様式を変更する。そして生産様式を、生活資料獲得方法を、変更するとともに、彼等はあらゆる彼等の社会的諸関係を変更する。・・・ (4)社会的諸関係を彼等の物質的生産諸力に応じて打ち建てるその同じ人間は、またもろもろの原理や観念や範疇を彼等の社会的諸関係にしたがってつくり出す。(5)だから、これらの観念、これらの範疇は、それらの表示する諸関係と同様に、永久的なものではない。それらは、歴史的・一時的産物である。」(S.130, 151-2, 116-7)
 この引用文から筆者が言いたいことは、単に経済学的諸範疇の歴史性だけではない。プル−ドンや古典派経済学も、意識の上では、近代市民社会が歴史の一段階であると把握していたであろう。ただ、彼らはそのことを理論的に把握していなかったのである。それ故、範疇の歴史性を結論した(5)そのものよりも、その結論にいたる(2)、(3)、(4)の方がここではより重要である。
 つまり、経済学的諸範疇を生産・交易諸関係の理論的表現として把握するということは、逆に、それらは現実の生産・交易諸関係を、反映していなければならない、ということでもある。その意味にも種々ある。
 第一は、経済学的諸範疇の「真理性」は、それらが表現しているところの現実の生産・交易諸関係が存在し、実際にそれらを理論的に表現している、ということによってのみ保証されるという意味である。この点をマルクスは、範疇が現実の諸関係の反映であるという規定に続けて述べている。
「彼(プル−ドン)は、経済的諸範疇はそれらの現実の諸関係の抽象的に表現に過ないのであって、それはそれらの諸関係の存在する限りにおいてのみ真理であることを理解していない。」(S.552,15,256-7)
 それ故第二に、経済学的諸範疇の歴史性は、現実の生産・交易諸関係がその上に成立しているところの一定の生産力に規定された諸条件が解明され、それらの諸条件を反映したものとして規定されることによって始めて明らかにされるという意味である。
 こうした作業を通して始めて、それらの諸関係、従ってまた諸範疇の「歴史的・過渡的」性格−−従って、また「発生」も「没落」−−も、「必然」的なものとして説明・展開されることになるのである。
「社会的諸関係を彼等の物質的生産諸力に応じて打ち建てるその同じ人間は、またもろもろの原理や観念や範疇を彼等の社会的諸関係に従ってつくり出す。だから、これらの観念、これらの範疇は、それらの表示する諸関係と同様に、永久的なものではない。それらは、歴史的・一時的産物である。」(S.130,151-2,117-8)           
 現時点から振り返ると、古典派経済学やプル−ドン「経済学批判」の非歴史性に対するマルクスの批判も、実はこの観点からなされていたのである。
「リカ−ドウは、ブルジョア的制を地代の決定に必要なものと仮定したのちに、それにも拘らず、それ〔ブルジョア的生産〕を、あらゆる時代、あらゆる国々の土地所有に適用する。これこそ、ブルジョア的生産の諸関係を永久的な範疇だと主張するすべての経済学者の常套手段である。」(S.170,215,182)
「プル−ドン君は、ブルジョア的存在が彼にとって永遠の真理であると直接には述べていない。彼は、ブルジョア的諸関係を思想の形式で表現する諸範疇を神化することによって、それを間接的に述べているのである。」(S. 554, 18, 260-1)
 最後に、もう一点だけ重要な点を確認しておこう。
 それは、ここでマルクスが「人間が作り出す」と述べている「範疇」や「諸関係」が、現実的には「ブルジョア的諸関係」であり、その表現としての「範疇」である、ということである。マルクスが「歴史的」「運動」と表現したとしても、それは直接的にはブルジョア社会内部の前提−展開関係であり、決して封建社会から近代市民社会への歴史的形成を直接意味するではないのである。何故なら、「諸個人」の「活動」から抽象的に分離・独立させられた「社会」なるものは、没概念的な思考の結果であり、マルクスはむしろ「社会」を「諸個人」の「活動」から説明・展開することを示しているからに他ならないからである。経済学的諸範疇は、この二重の意味での「反映」によって始めて、現実の生産・交易諸関係の歴史性、過渡性を表現するものとなるのである。

 第3節 マルクスの範疇展開
 ところで、こうした現実の諸関係の「分析」とそれを通した範疇「規定」だけでは、不十分である。そこには、それらの諸関係の「連関」が、従って諸範疇間の「紐帯」が欠けているのである。
 この現実的諸関係の連関とそれを理論的に表現する諸範疇間の「紐帯」が明らかにされない以上、経済学的諸範疇はただ相互に無関係ないし独立したものとして、並列的に並べられるだけになる。丁度、セーが彼の『経済学概論』の巻末でアルファベット順に経済学用語を解説したように。
 勿論、『貧困』のマルクスは、この点をしっかりと掴んでいた。そのことは、マルクスの「ブルジョア的所有」把握に明確に現れている。ブルジョア的生産・交易諸関係は決して相互に独立した諸局面を形成しているのではない。「全社会の生産諸関係は一つの全体を形成している」。それらは総体として今日「ブルジョア所有」と呼ばれている一つの社会的諸関係−−この範疇は、『草稿』の「私的所有」概念とはことなる[24]−−を形成しているのであり、この総体こそ「ブルジョア的所有」の「真の形態」に他ならない。これらのブルジョア的「物質的生産諸関係」という「所有諸関係の総体」以外の「所有」とは、「一つの形而上学もしくは法律的幻想以外の何物でもない」(S.551, 14, 255)のである。それ故、ブルジョア的所有を説明・解明することは、ブルジョア的生産・交易諸関係全体を説明・展開することに他ならない。
「それぞれの歴史的時代に、所有は、様々に、そして全然異なる一連の社会的諸関係の 中で、発展した。だからブルジョア的所有を定義することは、ブルジョア的生産の社会 的諸関係の総てを説明することに他ならない。」 (S.165、 207、 174)
 だとすれば、これらの「所有諸関係」とそれらの表現たる諸範疇の「連関」・「紐帯」を明らかにしなければならない。この「連関」・「紐帯」が解明されない以上、それは結果的にというよりむしろ「理論的」には、「形而上学もしくは法律的幻想」に陥っていることになる。
 ところが、この「ブルジョア的所有」を批判しようとしたプル−ドンは、『体系』において「所有」を他の経済学的諸範疇と並列的に考察している(「第十一章 所有」)。マルクスはここにプル−ドンの非歴史的な「所有」把握を読み取り、次のように批判する。
「プル−ドン君は、所有を一つの独立の関係として確立することにより、単に一つの方 法上の誤謬を犯しているに止まらない。即ち彼は、彼が総てのブルジョア的生産形態を結付けている紐帯を把握していないこと、ある一定の時代における生産形態の歴史的な そして過渡的な性質を理解していないこと、を明らかにしている。」(S.552, 14, 255-6)
 では、この「紐帯」をマルクスはどのように示しているのであろうか。残念ながら、その「論争の形」故に、『貧困』では具体的には示されていないように思われる。しかしながら、次のような記述を見る時、マルクスがどのようにそれらの「紐帯」を展開し、諸範疇を展開しようとしていたかは想像に難くない。
「彼らの物質的生産力に応じて社会的諸関係を確立するその同じ人間が、彼らの諸的諸 関係に応じて諸原理、諸観念、諸範疇をもまた生み出す。」(130、 152、 117)
 即ち、現実の諸個人が形成する生産・交易諸関係の関係に対応した順序での経済学的諸範疇の展開順序ということである。このことは、次の一節からも推測できる。
「ところがこの弁証法を実際に応用せねばならない今となって、理性が彼を見捨て去る。プル−ドン氏の弁証法がヘ−ゲルの弁証法から離反する。それ故プル−ドン氏は、彼が 経済学的諸範疇を述べる順序はもはやそれらが相互に生み出し合う順序ではない、と言わざるを得なくなる。」(134、 124、 157)
 これらの記述と『貧困』以前の諸著作での範疇展開プラン等[25]を勘案すると、少なくとも次のことだけは断言できる。即ち、生産過程から流通過程へ、より基礎的諸関係を表現する諸範疇からそれらを基礎として成立している諸関係の諸範疇、という順序での範疇展開がそれである。
 『貧困』について言えば、次節で考察するように、「地代」は「平均利潤」の後で始めて説明・展開されることになる。何故なら、「地代」は「平均利潤」の成立を前提して始めて成立する範疇だからである。
 最後に、重要な点を一点指摘しておこう。
 それは、こうした範疇展開における「上昇力」の問題である。『貧困』には、範疇自体が、あるいは範疇はその内部に「上昇力」を持たなければならないと述べているかのような記述がある。そこで、この箇所に一言触れておこう。
「確かに、弁証法的運動の過程が、善を悪に対立させ、悪の除去を目的とする諸問題を 提起し、一範疇を他の範疇に対する解毒剤として与える手続きに還元されるや否や、諸 範疇はもはや自発性を持たなくなる。観念は、『もはや機能することなく』、もはやその内部に生命を持たない。観念はもはや、自己を定立することも、自己を諸範疇に分解することもない。」(SS. 133-4, 157, 123)
 この一節から、マルクスが諸範疇に「自発性」を持たせ、「その内部に生命を持」たせようとしていた、と結論する[26]には若干の注意が必要である。何故なら、この一節は直接的には、ただ次の諸点を暴露したものでしかないからである。即ち、
1)プル−ドンの「系列の弁証法」は経済学的諸範疇を「できあいの諸範疇」として受容し、それらをただ「平等」の原理に基づいて順序付け、編成したものに過ぎない。このように、プル−ドンが「生産諸関係・・の歴史的運動を探求」しないで、「それらの諸範疇の中に現実の諸関係とは独立した自生的な観念や思想しか見な」い以上、彼はそれらの諸範疇の「起源を純粋理性の運動の中に求めざるを得な」い。その点でプル−ドンの弁証法は、基本的には観念的なヘ−ゲルの「弁証法」と同じ性格を持つこと。
2)しかし、ヘ−ゲル弁証法では範疇内部の「矛盾」が他のカテゴリーを産出する原理となっているのに対して、プル−ドンの「矛盾」は、単なる「区別」でしかないこと。
3)それ故、プル−ドンの「系列の弁証法」では、同じく観念論的弁証法とは言え、ヘ−ゲルの弁証法のように、一つの範疇がその内部の矛盾を通じて自ずから他の範疇を産出するという具合にはいかない。そこで結局、プル−ドンの「弁証法」的「範疇展開」では、他の諸範疇の力を借りなければ、他の諸範疇を前提しなければならないこと。
 例えば、「あらゆる経済的進化の基礎たる価値の構成に到達するためには、彼(プル−ドン・・・・大石)は分業や競争等を無視することはできなかった」 (S.131、 153、 118)ように、プル−ドンの範疇展開自体が彼の観念論的弁証法の破産を示している。
 先の範疇の「自発性」に関するマルクスの記述は、直接的には、以上のプル−ドン弁証法の欠陥をを暴露したものでしかないのである。
 事実、この一節は、次の言葉が続けられているのである。
「諸範疇の継起が一種の足場になっているに過ぎない。弁証法はもはや絶対理性の運動 (ヘ−ゲルにおける・・・・大石)ではない。もはや弁証法は存在しないで、せいぜいのところ、全く純粋な道徳(「平等」・・・・大石)がいくらか存在するだけである。」(S.134, 157, 123)
 これに対して、マルクスの場合は、「生産諸関係....の歴史的運動を探求」することを通して、「経済学的諸範疇が相互に生み出し合うその順序で」展開するのであるから、経済学的諸範疇の間の内的・本質的連関を「概念」−−例えば、「価値概念」や「資本概念」−−の自己展開として描出しているとは言え、それは「恣意」ではないのである。
 以上総ての考察から、マルクスの「経済学的諸範疇」と「現実の生産・交易諸関係」の「発生=Genesis=起源」を解明するという課題と、『貧困』の至る所でプル−ドンの範疇展開に対置して展開されている「現実の諸関係」の「分析」との関係、更には範疇展開との関係も明らかとなる。
 即ち、当該の各々の諸範疇がブルジョア社会内部−−というよりもむしろブルジョア的生産・交易諸関係−−のどのような諸関係を反映しているか、それらの歴史的成立諸条件を析出し、プル−ドンの誤った「起源」の説明・展開を批判しているのである。
 それ故、マルクスにおける範疇展開とは、『貧困』においては積極的な形では展開されていないのであるが、本来次のようなものとならざるを得ない。
 即ち、より基礎的諸関係を表現する諸範疇から、それらの基礎的諸関係を前提し、それらの基礎的諸関係の上に成立している諸関係を表現する諸範疇を順を追って展開する、というものにならざるを得ないのである。
 より具体的に言えば、資本の直接的生産過程分析を通じて「疎外された労働」概念からの貨幣所有者の「私的所有(権)」−−『草稿』の「私的所有」−−の発生と「資本」としての「商品」の生産。次に、この「資本」としての「商品」−−「ミル評註」での「私的所有」−−からの「貨幣」の発生と「利潤」、「利得」、「利子」、「地代」の発生という順序である。ただし、「貨幣」と分配次元の諸範疇との順序の前後関係については、少なくとも現存する諸文献では明示されていない[27]。
 この範疇展開は、現実の生産・交易諸関係の「発生」を、経済学的諸範疇の「発生」を通して明らかにする。その意味で、このマルクスの範疇展開の方法は「発生的叙述」と呼ばれる[28]。この「発生的叙述」(=範疇展開)を通して始めて、ブルジョア的生産・交易諸関係は、生産力の一定の段階とそれに照応した一定の歴史的諸関係の上に成立したものとして、「歴史的」に「有機的統一的」に把握されるようになる。その意味で、この「発生的叙述」は、諸範疇とそれらが表現する諸関係自体を「歴史的」、「統一的」なものとして−−それらの諸関係の「生成」−「発展」−「没落」の論理的必然性−−把握する方法なのである。

 第4節 マルクスによる「地代」の現実的分析
 以上のマルクスの範疇把握と範疇展開を、リカ−ドウ地代論に対する批判に即して論証して見よう。
 古典派経済学では、範疇の起源は問題にならない。彼らは、それが何処から、何故、如何にして生じるかには無関心である。彼らにとって、それは発生しているものであり、発生しなければ地主は資本家に土地を貸さないであろう、というに過ぎない。彼らの関心事は、地代の「量」的規定だけである。
 勿論、リカ−ドウ自身が直接的に地代を永遠のものと看做した訳ではない、マルクス自身そう誤解した訳でもない。事実、マルクスはそのことを認めている。
「地代は、リカ−ドウの意見では、ブルジョア的状態における土地所有である。すなわち、ブルジョア的生産の諸条件に服した封建的所有である。」 (S. 167, 211, 178)
 それにも拘らず、古典派経済学が「地代」を「永久の範疇だと主張する」とマルクスが批判しているのは、次のような意味なのである。即ち、彼らは「地代」が表現している歴史的生産諸関係を把握していないために、「理論」上は、それを「永久な範疇」としてしか把握していない、という意味である。  これに対してマルクスは、「地代」が反映する歴史的諸関係、諸条件を明らかにする。
「リカ−ドウの学説が〔−−前提が一度認められれば−−・・・・ 献本〕[29]一般的に真実であるためには、更に、次のことが必要である。即ち、(1)諸資本がいろいろな産業部門に自由に投下されうること、A資本家たちの間の強力に発達した競争によって、もろもろの利潤が一つの等しい率に到達していること、(2)借地農はもはや自己の資本を〔劣等な・・・・初版〕農業[30]に投下するに際して、その資本を何らかの製造業〔たとえば木綿工業・・・・ 初版〕に投下すれば得られる利潤と等しい利潤を要求する産業資本家に他ならないこと、(3)農業経営が大工業制度に服従していること、(4)最後に、地主それ自身がもはや貨幣収 入以外のものを目的としていないこと。」 (S.168-9, 213, 179-80)
 引用文冒頭部分の「更に」とは、(1)生産物価格が、産業利潤を含む生産費によって決定されることと、(2)農産物に関しては、最劣等地での生産費が価格を決定すること、(3)地代は優良地の生産物価格とAの生産費との差額であること等の他に、という意味である。
 マルクスはリカ−ドウ地代論から、これだけの諸条件を「地代」範疇が発生するための歴史的諸条件として析出した後で「地代が表示する諸種の関係」として、1)「働く者の地位が、産業資本家のために働く一介の労働者、日雇、〔賃稼人・・・・独版に は欠如〕にまで落とされたこと、2)土地を他の一切の工場と同様に経営する産業資本家が介入するようになったこと、3)地主が神聖な小君主から卑俗な高利貸に転化したこと」(SS.169-70, 214, 180-1) 等を指摘し、次のように結論している。
「地代は、農耕がその中で行なわれるところの社会的諸関係から生ずるのである。地代は、土地の持っている、多かれ少なかれ堅固な、多かれ少なかれ耐久的な本性の結果として生じ得るものではない。地代は社会から生ずるものであり、土壌から生ずるものではない。」(S.174, 221, 188-9)
 このように、「地代」を社会関係として、歴史的範疇として把握するということは、それが反映し、相互に関係し合っている歴史的、経済的諸関係を把握することであり、「地代」をそのようなものとして規定することに他ならない。それ故マルクスは、プル−ドンの根本的欠陥を「主として歴史的知識が欠けている」(S.552, 15, 256)点に求めたのである。マルクスの古典派経済学およびプル−ドン『体系』批判は、「歴史の現実の運動」(=現実の生産・交易諸関係)の分析から切り離されたという意味での「抽象的」方法論や「観念論」か「唯物論」かと言った批判ではない。  
「方法」は「内容」と密接に連関しており、「独自の対象の、独自の矛盾を概念的に把握する」という『ヘ−ゲル国法論批判』以来の姿勢が一貫しているのである。


  おわりに

 近代市民社会は、一方での富と他方での貧困を生み出した。この富の側面を代弁したのが古典派「経済学」であり、貧困の側面を代弁したのが「社会主義者」であった。
 当時やっとブルジョア的所有が成立し始めていたドイツで、マルクスは先進国イギリスでは社会主義運動という形でそのブルジョア的所有そのものの「止揚」が既に問題になっていることを見抜き、人間・諸個人の政治的解放でしかない「近代市民社会」の次に来る「人間的解放」に到達する道を探り始めた。
 そのための第一歩として、ヘ−ゲル『法哲学』の批判から出発したマルクスは、近代市民社会と政治的国家の分裂という表面的矛盾から近代市民社会における諸個人の「市民」と「公民」とへの分裂の中に本質的矛盾を見出だし現実の諸個人在り方を規定するものとしての諸個人自身の物質的諸活動に注目することになった。
 人間「社会」を歴史的に把握する時、その「歴史性」の根拠は現実の諸個人の諸活動から説明するほかない。そこでマルクスは、過去からの一定の生産力を引き継ぎながら、それらの基礎上で人間が、諸個人が取り結ぶ生産・交易諸関係を、経済学的諸範疇の姿態で把握しようとする。こうしてブルジョア的生産・交易諸関係の「歴史性」と「有機的統一性」を、経済学的諸範疇の「歴史性」と「統一性」として概念的に把握するというマルクスの「弁証法的方法」が成立する。
 このマルクスの方法から見ると、古典派経済学は、今日の「労働」を人間的・自然的なものと固定しているために、一方で労働こそが富の源泉であると主張しながら、他方でその労働の直接的担い手たる労働者の窮状を遠慮なく描いて何の矛盾も感じていない。この古典派経済学のシニシズムは、彼らがブルジョア的生産・交易諸関係を理論上「歴史的」なものとして把握していないところに起因している。
 パリで夜を撤して「ブルジョア的所有」の批判について議論を交わしたプル−ドンとマルクスの二人の「経済学批判」体系は、この古典派経済学の「非歴史性」を「止揚」する試みであった。
 マルクスが古典派経済学の諸範疇の批判に、つまりそれらの諸範疇が表現している現実の諸生産・交易諸関係を析出し、それらの内的・本質的(=現実的)連関を明らかにすることを通して「ブルジョア的所有」の歴史性を明らかにする方向に進んだのに対して、プル−ドンは、それらの経済学的諸範疇をそのまま受容し、それらを整理し体系化したに過ぎない。少なくとも、理論上の結果はそうであった。
 『貧困』は、この「経済学批判」の方法をめぐるプル−ドンとマルクスの対決を示しているが、通常理解されているように、古典派経済学(特にその価値論)に依拠したプル−ドン批判ではない。こうした『貧困』理解は、その第二章を、またプル−ドンの『体系』を看過したものでしかない。およそ研究などと呼べるものではない。
 初期のマルクスが、何時、何処で、古典派労働価値説を「受容」ないし「肯定」したかという課題自体がナンセンスなのであり、マルクスの「経済学批判」に対する無理解から生じたものなのである。ヘ−ゲル『論理学』を学んだマルクスにとって、古典派経済学は最初から「批判」されるべきものでしかなかったのである。
 「批判」とは、あるものの「成立根拠」とその「限界」を明らかにし、それを一契機(モメント)とする新たな「全体性」を提示することである。
 経済学的諸範疇の各々が反映している現実の生産・交易諸関係を析出すること、これこそが古典派経済学に欠けていたのであり、この欠陥故に古典派経済学には範疇の「歴史性」と「範疇展開」がないのである。この古典派経済学の諸範疇を「批判」することを通して始めて、ブルジョア的諸関係は真の意味で「歴史的」に把握されることになる。
 即ち、ブルジョア的生産・交易諸関係(=近代市民社会)は、「人類史」の「前史」の「最後」を占めるものとして、「人類史」の中に位置付けられことになるのである。
 以上本稿全体で述べてきたことを通して、マルクスの「唯一の人間的科学」が、「古典派経済学の批判」という形を、否「古典派経済学の諸範疇の批判」という形を採る理由が判明したと思われる。
「差当り問題となっている仕事は、経済学的諸範疇の批判です。別の言葉で言えば、ブルジョア経済学の体系を批判的に叙述することだと言ってもよいのです。それは体系の 叙述であると同時に、叙述を通してのその批判でもあります。」(1858・2・22のマルクスからラサールへの手紙)
 マルクス研究者のマルクス理解が、むしろ古典派の「経済学」的水準にあったこと、また現にあること、このことを『貧困』に即して幾らかでも明らかにできたとすれば、本稿の目的は達成されたことになる。
 次稿においては、本稿でのマルクス方法論に対する理解を前提して、古典派の経済学的諸範疇に対するマルクスの批判を「価値」規定に即して具体的に見ることにしよう。


巻末注********************************

[1]. この論文は、1865年1月25日に執筆され、『社会民主主義者』に掲載された。『哲学の貧困』、岩波文庫、231-2頁。
[2]. プルードンは「地代」論以外では、リカードウについて触れてもいない。従って、マルクスにとってプルードンからリカードウを擁護する必要性はまったくない。
[3]. この点こそは、筆者が究極的に明らかにしたい点である。しかし、この点を理解しうるためには、他の三つの「論点」も同時に押さえておく必要がある。本稿とそれに続く一連の論文は、この点を理解するための基礎作業に過ぎない。勿論、筆者は初期マルクスの古典派労働価値説批判を、マルクス「経済学批判」体系の特徴を解明する作業の一つの中心的問題として考察しているのであって、単なる経済理論の一つとしての価値論の成立史を問題にしているのではない。
[4]. 有井行夫『マルクスの社会システム理論』(有斐閣、1987年)は、現代資本主義論を以下に展開すべきかという問題意識からマルクス自身の資本主義把握に迫った画期的な研究である。氏の著作はまた、従来の「『資本論』成立史」研究自体をも批判する意図を有すると思われる。従来の成立史研究に対する氏の批判を承知で敢えて筆者がマルクスの形成過程にこだわる理由は、この形成過程の解明だけが、真のマルクス「経済学批判」体系形成の方法を、従ってまた、今日のわれわれが如何に現代資本主義の概念的把握に取り組むべきか、その方法を明らかにしうるものと考えるからである。
 マルクスの眼前には、古典派経済学の非歴史的な「諸範疇」と錯綜した現実の資本主義社会の諸事実、より正確に言えば、現実の生産・交易諸関係しかなかった。それゆえ、マルクスがその経済学的諸範疇の批判を完成するには、多大の時間と労力を必要とした。混沌とした今日こそ、このマルクスの形成過程に学び、その「方法」に学ぶことが必要とされていると思われる。
[5]. 勿論、スミスの方法は「経験的自然法」と呼ばれている。
[6]. 『見田石介著作集』第一巻、230頁。
[7]. 同上。
[8]. 所謂「物象化」は、この一切の産出主体たる労働者の「疎外」から説明・展開されるべきもの(諸現象)であり、疎外論なき物象化論は、結局二元論に終わらざるを得ないであろう。
[9]. 和田重司『アダム・スミスの政治経済学』、ミネルバ書房、1978年、第一部第三章73-4頁参照。
[10]. 高島善哉『アダム・スミスの市民社会体系』岩波書店、1974年、終章283-6頁参照。
[11]. "Wealth of Nations" キャナン版P.67. 中公文庫版、I、111頁。
[12]. 同上、キャナン版P.57-8、I、95頁。リカ−ドウにおいて「利潤」とは、基本的には、商品価格(彼の「生産費」)から費用としての「賃金」との差額でしかない。この差額論以外の「利潤」の源泉・起源論は彼には無い。例えば、彼は資本家と労働者の両階級が「完成商品から実際に報酬を受けている〔paid〕」として,次のように記している。
   「−−というのは、労働者を仕事につかせ、かつ彼に賃金を前払いした雇主は、利潤をともなって賃金を回収しなければならず、そうでなければ、雇主には労働者を雇う動機はないであろうし、・・・・」『リカ−ドウ全集』第四巻365-6原頁参照。
[13]. リカ−ドウにおける「投下労働量」、「価値」、「生産費」の三者の関係については別稿で詳論する予定であるが、差当り筆者の「マルクスにおけるリカ−ドウ批判の『始元』」『拓殖大学論集』173号および中村廣治「リカ−ドウ労働価値論の再検討」『経済論叢』10-3号を参照。
[14]. 「価値」の「生産価格」への「転化」問題等に関する無用な混乱や本末転倒の議論が後を絶たない根本的原因は、このことを忘却ないし理解していないことに起因していると思われる。
[15]. 『貧困』における古典派「価値」論そのものに即した経済学的諸範疇の批判は、ここでの直接の研究対象ではない。『貧困』以前の諸著作に関しては、例えば、筆者の「マルクスにおけるリカ−ドオ批判の『始元』」『拓殖大学論集』、137号、「エンゲルス『国民経済学批判大綱』とパリ時代のマルクス」『拓殖大学論集』、164号、「私的所有批判と古典派労働価値説批判」『研究年報』(拓殖大学研究所)、11号を参照されたい。
[16]. 久留島陽三「第U部 論点 A 学説史的考察」『資本論体系 7』有斐閣、1984年は、「媒介項」の有無だけを問題にしており、「価値」規定そのものが批判されていることが看過されているように思われる(99頁参照)。
[17]. マルクス自身は「私の分析的方法」と呼んだりもしている。重要なことは、このマルクスの方法を「唯物史観」として、方法としてよりも「思想」として歪めてきたことである。マルクス自身の記述を辿ると、「導きの糸」であり、彼なりの分析的方法」であり、彼なりの「弁証法的方法」であったことが判明するし本稿もそのことを明らかにするであろう。
[18]. MEGA2, Ab. 2, Bd. 3, Vol. 4, SS. 1389-1390.
[19]. MEGA2, Ab.2, Bd.1, Vol. 1, S. 37.
[20]. MEW, Bd. 1, S. 370.
[21]. MEW, Bd. 1, S. 369.
[22]. MEW, Bd. 1, S. 370.
[23]. マルクスが物質的疎外を問題にすることの意味の総体は、『草稿』[第三草稿]で詳論されている。差し当たり、筆者の「『経済学・哲学草稿』[第三草稿]について」『研究年報』5号(拓殖大学研究所)を参照。
[24]. 『草稿』における「商品」−「私的所有」−「資本」の使用法については、筆者の「『経済学・哲学草稿』における《経済学批判》」『論究』(中央大大学院)13-1号31-3頁参照。
[25]. 大石「『経済学・哲学草稿』における<経済学批判>」(中央大学大学院、13ー1号)、37-8頁参照。
[26]. 佐藤氏は明確にではないが、そのように解釈されているように思われる(前掲書、175-6頁参照)。
[27]. 当時の範疇展開プランについては、注6論文および「『経済学・哲学草稿』と『ミル評註』」『拓殖大学論集』152号、194-5、214-5頁参照。
[28]. 平田氏が「発生的叙述」を『61-3年草稿』以後に特徴的とされる理由は(『経済学批判への方法序説』岩波書店、1982。13-4頁参照)、全然説得的ではない。
[29]. ファクシミリ版により訂正。しかし、accord仔sについて同版の「合致すれば」(別冊・日本語版、19頁)という訳語はとらなかった。
[30]. 『全集』での「土地」をファクシミリ版による訂正。