リカードウ「生産費」批判の始元


     拓殖大学政経学部 大石高久

目次
はじめに
第1章 「パリ時代のマルクス」の課題と方法
第2章 パリ時代のリカードウ「生産費」批判^──『経済学ノート』──
 A 『リカードウ評註』の再検討^
 B 『リカードウ評註』の再検討_
 C 『マカロック評註』と『ポァギュベール評註』の検討
第3章 パリ時代のリカードウ「生産費」批判_──『経済学・哲学草積』──
おわりに

はじめに

 マルクス「経済学批判」体系は「経済学的諸範疇の批判」である、と言われる[1]。その意味は、経済学的諸範疇を現実の資本家的生産・交通諸関係の理論的反映として捉えた上で、それらの範疇の成立根拠と制限性の解明を通して、資本家的生産・交通諸関係の成立根拠と制限性そのものを把握するということであろう。資本制的な生産及び分配諸関係の中で各々の範疇が反映するものを規定し、それらの諸範疇の展開を通して、資本制的な生産及び分配諸関係そのものが、従ってまたそれらの総体としての近代的私的所有が学的に認識されるのである。
 マルクスにおいてこの学的認識を保証するものは、二重の意味での「発生的展開」である、と言われる[2]。即ち、諸範疇の発生的展開と、それに関する学説の発生的展開という二重の発生的展開である。後者は、自己の学説に至る発生史を辿り、それらの諸学説の意義と限界を明らかにしていくことである。従って、時間的な成立順序としては、後者が前者に先行せざるを得ない。つまり、マルクスは彼に先行する経済諸学説との対決を通して、経済学的諸範疇を発生的に展開する基礎を獲得して行ったのである。
 マルクスの対決した経済諸学説の中で特に重要な意味を持ったものの一つは、リカードウのそれであった。従って、数度に亙るリカードウに対するマルクスの取り組みを跡づけて行くことは、マルクスの「経済学批判」体系をその基礎から理解することである。逆の表現をすれば、マルクスのリカードウ批判を研究することは、マルクスの「経済学批判」が如何に、どのようなものとして形成されて行ったか、を明らかにすることでなければならない。
 ところで、リカードウとの数次に亙るマルクスの対決は、通常以下の様に解釈されている。即ち、当初マルクスは、リカードウの労働価値説を「拒否」ないし「否定」していた。その後マルクスは『ドイツ・イデオロギー』で「唯物史観」を仕上げた。この「唯物史観」によって、マルクスは『哲学の貧困』で労働価値説の「受容」ないし「肯定」ヘと進み、『賃労働と資本』で剰余価値論の基礎を築いたのである、と。その際、古典派労働価値説を「拒否」ないし「否定」した理由として、次の二つが上げられる。
@ エンゲルスの『国民経済学批判大綱』の影響で、競争を重視する余り価値法則の貫徹を否認し、市場価格だけが実在的であると考えた(『経済学ノート』、杉原・重田訳、未来社、46頁及び85−6頁参照)。
A プルードンの価値論に同意し、価値は生産費に等しいが、価格はこの価値に利潤と地代を加えたものであると考え、不等価交換を主張した(『経済学ノート』、前掲訳、47−8頁及び50−1頁参照)。
 このローゼンベルク等による通説的「転向」説に対して、日本では杉原氏の「連続」説、時永氏の「独自」説からの批判がある[3]。しかし、『経済学ノート』『リカードウ評註』でマルクスがリカードウ労働価値説を「否定」していた、と考える点では三者とも一致している。
 こうした諸見解に対して、著者は予々根本的な疑問を持っていた[4]。
 先ず第一に、その『経済学ノート』理解についてである。そもそも、リカードウの「生産費」による価値規定は、批判されて当然のものではないか。とすれば、問題はむしろ、「生産費」による価値規定の批判を労働価値説の「否定」と看做す研究者の側にあるのではないか。事実、当時のマルクスに影響を与えたと言われるエンゲルスやプルードンも『経済学批判大綱』や『所有とは何か』において、価値法則を否定したり、不等価交換を主張していないのではないか。
 仮りに、『リカードウ評註』において如上の二大理由から労働価値説を否定していたと考えてみよう。この解釈は、『リカードウ評註』と同時期の諸文献における、エンゲルス・プルードン・リカードウ等に対するマルクスの評価と矛盾していないだろうか。特に、『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕前段における叙述[5]や、「等価物(Aequivalent〕」ないし「代理物(Ersatz)」による交換を論じている『ミル評註』に矛盾していないか。そもそも、当時のマルクスの課題は、古典派が現実の中から抽出してきた経験的「法則」を一端認めた上で、それらを私的所有の「必然的」な「法則」として概念的に把握することにあったのではなかったか。
 第二に、労働価値説と『ドイツ・イデオロギー』との関係についてである。通説によれば、労働価値説の受容には「唯物史観」が不可欠の基礎であったことになる。しかし、スミスやリカードウはそもそも「唯物史観」を基礎とすることなく労働価値説を主張したのではなかったか。更に、マルクスの成立過程に即して言えば、『ドイツ・イデオロギー』は、『経済学・哲学草稿』の「経済学批判」をドイツのイデオローグ達に理解させる下準備の著作であって、『ドイツ・イデオロギー』の成果は、『哲学の貧困』ではなく『経済学・哲学草稿』において始めて見出されるのではないか。更にまた、通説は労働価値説が何処で、何故、如何に「唯物史観」と関係しているかを示していない以上、先の指摘は空語に等しいのではないか。マルクスの用語で皮肉れば、通説においては労働価値説と「唯物史観」とは「偶然的」な関係のままなのではないか。
 第三に、その成立過程の説明である。通説によれば、『哲学の貧困』でマルクスは労働価値説の「否定」から「肯定」に転向したことになる。しかし、この通説は、『哲学の貧困』や『賃労働と資本』における価値規定がマルクス独自のものであることを明らかにしていない。既に繰り返し論証してきたことではあるが、リカードウにおいては、「生産に必要な労働量」と「生産費」は同義ではない。リカードウ自身は「生産費」を賃金と利潤の合計で規定し、これで「価値」ないし「自然価格」を規定した。リカードウはこの「生産費」が「投下労働量」と比例関係にあると主張するが、両者の相等性は否定しているのである。従って、労働量による「生産費」の規定はマルクスに独自のものである。このマルクス独自の「生産費」規定が、一体如何に形成されたのか、通説は何も語らないのである。
 そもそも「リカードウ労働価値説の拒否から受容へ」という通説の定式自体の中に、杉原氏の批判点である連続面の欠落と、時永氏の批判点であるマルクス価値論の独自性の欠落という、通説の二大欠陥も潜んでいるのではないか。マルクス形成過程の研究とは、マルクスをして古典派経済学者達から区別させるところの「種差(differentia specifica)」が、如何に形成されたかを明らかにするものでなければならない。何故なら、「説明ではあっても、種差を拳げないような説明は、およそ説明ではない[6]」からである。
このマルクスの種差の形成過程を明らかにするためには、リカードウに対するマルクスの批判の始元、即ち、パリ時代[7]におけるリカードウ「生産費」批判を考察する必要がある。「始元(Anfang)」は「端初」であると同時に、それ以後の「原理」だからである。
 本章においては、このマルクスのリカードウ批判の始元を以下の順序で考察し、そのリカードウ「生産費」批判の内容とそれが以後のマルクスの形成史に対して持つ意義を再規定しようと思う。まず節においては、マルクスがリカードウの「生産費」を真先に取り上げて批判したのかは何故か、また如何なる視角から批判したのかを明らかにする為に、当時のマルクスの課題と方法を、当時の諸文献から確定する。。節では、その批判の一面である価値規定としての側面を検討する。この検討は通説の拳げる二大理由を検討し(AとB)、従来無視されてきた『マカロック評註』と『ボアギュベール評註』の検討(C)でこれを補う、という順序で展開される。「節では、リカードウ「生産費」批判の他の一面、しかも。節で考察する価値規定としての「生産費」批判を引き起こした側面、即ち、「利潤」の論理的発生論としてのリカードウ「生産費」批判を考察する。最後に、V節では、以上のリカードウ「生産費」に対する二側面を整理し、そのマルクス形成史上の意義を論じる。


第1章 「パリ時代のマルクス」の課題と方法

 1843年3月17目、マルクスは『ライン新聞』の編集者の座を辞して、書斎に引きこもる。2月17日の同紙臨時株主総会において、株主達が同紙の論調を抑えることでプロイセン政府からの発禁処分を撤回しようとしたことに抗議する為であった。しかし、それは単なる切っ掛けであって、本当はこれを機会に「時代の問題」に真正面から取り組む為であった。
 その「時代の問題」とは、当時ドイツに漸く生成してきた近代的私的所有の問題であった。しかし、私的所有が引き起こす社会問題に主たる関心があったのではない。英・仏においては、社会主義運動の台頭という形で、その私的所有の止揚が既に間われていた。従って、マルクスの時代的課題とは、私的所有を原理とする近代市民社会の次に来る社会、その社会の原理の水準にまでドイツを引き上げることにあった。マルクスによれば、「人間というものは、この世界の外部にうずくまっている抽象的な存在ではない。人間とは即ち人間の世界であり、国家であり、社会的結合(Sozietaet)である[8]」。そして、市民革命という「政治的な解放は、人間を(その諸関係を……大石)一方では市民社会の成員に、利己的で独立した個人に、他方では公民に、精神的人格に還元すること[9]」であった。従って、近代に替わる新しい社会(人間の諸関係)とは、この個人における市民と公民への分裂を、近代以前よりも高次の段階において回復するもの、として構想される。
「現実の個体的な人間が、抽象的な公民を自分の中に取り戻し、個体的な人間でありながら、その経験的生活、その個人的労働、その個人的諸関係の中で、類的存在となったとき、……その時始めて、人間的解放は成就されたことになるのである。[10]」
 1843年10月下旬、マルクスがパリに亡命し経済学研究に没頭したのは、以上の見解を具体的に展開する為であった。
 パリ時代のマルクスによれば、人間の諸関係の中で最も基礎的で規定的なものは、人間と自然、自然を媒介とした人間と人間との関係である[11]。つまり、生産及び分配諸関係である。これらの諸関係の総体は、近代的私的所有と呼ばれるものを構成しており、これらの諸関係の理論的反映が経済学的諸範疇に他ならない。マルクスのこの範疇把握は、1844年9月上旬から11月上旬に執筆された『聖家族』の次の一節に示されている。
「プルードンが、例えば賃金、商業、価値、価格、貨幣などの私的所有の詳細な諸姿態(weiteren Gestaltungen)を、例えば『独仏年誌』でやられたように(F.エンゲルスの『国民経済学批判大網』を見よ)、正に私的所有の諸姿態として捉えるのではなく、これら(諸範疇……大石)の経済学的諸前提を取り上げて経済学者と争っているのは、上述の、歴史的に適合した彼の立場に完全に照応している。[12]」(強調は大石)
 ここでのマルクスは、経済学的諸範疇は私的所有の諸姿態、即ち生産諸関係の反映に過ぎないこと、にも拘らずプルードンの所有批判は、その生産諸関係には手を触れないで、その呼び名(範疇)を別様に解釈することに終始していること、を明らかにしている。特にこの範疇理解、従ってまた「価値」「価格」等の理解におけるマルクスとプルードンの相違は、後の展開にとって重要であるので、注意を喚起しておこう。
 更に、マルクスはイタリック部分で『大網』でのエンゲルスが諸範疇を私的所有の諸姿態として捉えたかのように述べているが、この点がマルクスの読み込み[13]に属することも、周知のことである。
 さて、経済学的諸範疇が生産及び分配諸関係の理論的反映として把握されるならば、近代的人間の市民と公民への分裂は、これらの諸範疇を通して描き出されることになる。この経済学的諸範疇の展開は、それが学的認識である為には、一定の方法を必要とする。その方法とは、叙述の弁証法、即ち、発生的叙述である。パリ時代のマルクスが、この方法に立脚していることは、次の一節からも明らかである。
「われわれが分析を通して、疎外された、外化された労働概念から私的所有の概念を見つけ出してきたように、これら二つの要因を使って、国民経済学上の一切の範疇を展開することができる。そしてわれわれは、例えば掛値売買、競争、資本、貨幣といった範疇に、これら二つの最初の基礎のただ規定され、展開された表現を、再発見するだけであろう。[14]」
 ここには、古典派には見られない、より抽象的な範疇からより具体的な範疇を展開するという方法が明言されている。このマルクスの方法から見るとき、古典派経済学の根本的欠陥は、次の二点である。即ち、彼らの経済学の基礎となっている「私的所有」、即ち「他人の労働及ぴ労働生産物に対する所有[15]」──正に説明されるべき当のもの──を前提し、その論理的ゲネジスについては何の解明も与えていないということ。従って彼らが「法則」として定式化したものも、それと私的所有の一般的本質との内的・本質的連関が示されていない以上、単なる「規則性[16]」の域をでるものではない、ということである。
「国民経済学は私的所有という事実から出発する。だが国民経済学はわれわれに、この事実を解明してくれない。国民経済学は、私的所有が現実の中で辿って行く物質的な過程を、一般的で抽象的な諸公式で捉える。その場合これらの公式は国民経済学にとって法則として通用する。国民経済学は、これらの法則を概念的に把握しない。即ち、彼らは、これらの法則が如何に私的所有の本質から生じるのかを確証しない。[17]」
 例えば、労働と資本と土地所有が分離する「根拠[18]」について、国民経済学は何の解明も与えない。スミスによれば、「労働者が自分自身の労働の全生産物を享受した状態は、……労働の生産力に最も著しい改善が行なわれるずっと以前に、終りを告げていたので……この点以上にさかのぼって追跡してみても無意味[19]」という訳である。では、利潤の発生については、どうであろうか。古典派においては、利潤は資本家にとって正当な報酬であって、それが得られなければ彼は投資に何の関心も持たないであろう、と説明されるだけである。マルクスが主張しているように「国民経済学では資本家達の利害が究極の根拠と見放されている。即ち、国民経済学は、自分が説明すべきことを予め(事実として……大石)前提しているのである[20]」。
 古典派経済学のこの根本的欠陥から、彼らのシニシズム(Zynismus)が発生する。スミスは『国富論』の開巻劈頭、労働こそが一切の富の源泉である、と高らかに宣言した。しかし、そのスミスが、労働の実際の担い手である労働者の苦況を、何の遠慮もなく描き出して憚らないのである。このシニシズムは、マルクス自身1844年7月28日頃から31日の間に執筆した論文の中でも述べている様に、英国国民経済学が「英国国民経済の状態の科学的反映[21]」である証明以外の何ものでもない。とは言え、彼らがこの矛盾を解明しているということでは全然ない。
 マルクスは、リカードウ学派──この学派においてシニシズムは極限に達する──が、資本を単なる蓄積された労働に還元している点に、このシニシズムの根本原因を見い出す。
「資本を蓄積された労働にすりかえることは──われわれから見ると、国民経済学が労働が富の唯一の原理だということを認めれば認めるだけ、労働者は一層品位を落し、一層零落し、労働そのものを一層商品化する──このことはこの科学の必然的公理でもあれば、今日の社会生活の実践的真理でもある──ことを意味するに過ぎない。『蓄積された労働』という表現は、単に資本の起源を示しているばかりでなく、それと並んで、この表現には、労働は一層物象、商品になり、むしろ資本の姿においてのみ把握され、人間的活動としては把握されない、という意味が含まれている。[22]」
 つまり、古典派が直接的生産過程において資本に転化している労働を、即ち資本の指揮命令権能下にある労働を、労働の唯一の自然的な形態と看做している点に、シニシズムの根源が潜んでいるのである。しかしながら、この古典派のシニシズムは、問題の真の解決ではなかったとしても真の問題設定であった点で、キリスト教史上のルターに相当する。
 ルターは、俗人と坊主の対立を俗人自身の内なる坊主性との対立に転化した。スミスは、富の主体的本質が人間の労働であることを示すことによって、私的所有の問題を人間自身、即ち労働のあり方の問題に転化した[23]。マルクスの課題は、この古典派を越えて、私的所有とその諸法則を労働のあり方から解明していくこととして設定されるのである。
「従ってわれわれは今や、私的所有、所有欲、労働と資本と土地所有との分離〔という三者〕の本質的連関……更にこうした一切の疎外と貨幣制度との本質的連関を概念的に把握しなければならない。[24]」(〔〕内は城塚・田中氏による補充。)
 以上、本節においては、パリ時代のマルクスの課題と方法について論じてきたが、最後に、この課題と方法がマルクスのリカードウ「生産費」批判と如何なる関係にあるかについて考察しておこう。
 経済学的諸範疇の発生的叙述による私的所有とその諸法則の概念的把握という立場に立つ時、リカードウの「生産費」(賃金と利潤の自然率の合計)による価値規定の根本的欠陥は、それが価値と価格を同一視している点である[25]。この欠陥は更に、次の二つに分かれる。即ち、
^ 「利潤」の発生に関して「論点先取の虚偽」を犯していること。
_ 「価値」が末だ「概念」として把握されていないこと、の二つである。
 ^は、利潤が商品の価値規定に密輸入され、利潤が「何故に、何によって、如何に」発生するのか、つまり、利潤発生の「必然性」が解明されていないことを意味する。_は^の反面であって、未だ説明されていない「賃金」や「利潤」の合計として商品「価値」を規定することは、結局、価値を説明していないということを意味する。この_は更に価値規定の問題と、その価値が生産価格(リカードウの「生産費」)にまで展開する過程の問題に分かれる。
 このリカードウ「生産費」に対する^と_の批判は、各々『経済学・哲学草稿』と『経済学ノート』に見られる。次節においては、_の批判を通説的解釈の検討という形で考察しよう。


第2章 パリ時代のリカードウ「生産費」批判^──『経済学ノート』──

 A 『リカードウ評註』の再検討^

 『リカードウ評註』においてマルクスが労働価値説を「拒否」ないし「否定」した第一の理由として、当時のマルクスは「私的所有とそれによって条件づけられる競争とが存在するもとでは、実在的なのは市場価格だけである[26]」と考えていたと主張される。本節においては、この点を検討してみよう。
 マルクスが利用したのはリカードウ『原理』第二版のセーによる注釈付きの仏訳(コンスタンチオ訳)である。マルクスはその第四章「自然価格と市場価格」を要約的に抜粋した後で次の様に注記している。
〔引用文1〕
「@111頁でリカードウは次の様に言う。彼が交換価値について語る場合は、常に自然価格を指しており、彼が一時的偶然的な原因と呼んでいる競争の偶然性は度外視している、と。A国民経済学は、その法則に一層の一貫性と規定性とを与える為に、現実は偶然的なものであり、抽象は現実的なものと言いくるめなければならない。Bセーはこの点について111頁の注1で次の様に述べている。自然価格という様なものは……空想的なもの……の様に恩われる。経済学ではただ市場価格が存在するに過ぎない。Cこの点をセーは労働、資本、土地は決して固定した率によってではなく供給量と需要量との間の関係によって規定されるということで証明する。[27]」(番号は大石によるものとする。)
 この引用文中の特にBとCだけを見ると、マルクスがセーの主張に同意しているかの如く思える。しかし、その考えは次の箇所と矛盾している。
〔引用文2〕
「リカードウは価値の規定において生産費のみを固執し、セーは効用(有用性)のみを固執する。[28]」
 この〔引用文2〕においては、リカードウとセーの価値規定における各々の一面性が「のみ」という表現で示されている。この〔引用文2〕から判断する限り、マルクスは市場価格だけを実在的とするセーの主張には同意していないのである。
 とすれば、〔引用文1〕のBとCは一体如何なる意味なのであろうか。この点を正しく理解する為には、@とAに重点を移して考察しなければならない。マルクスは商品の価値規定として「生産費」だけを主張することを「抽象」と批判している。この「抽象」とは、「非実在的」という意味ではない。「現実」の諸契機の中の一つを他から切り離して、あたかもその一契機が全体であるかの如く主張しているということである[29]。〔引用文2〕にもある様に、マルクスは価値が「生産費」と「効用」の両契機から成るものと看做している。従って、@とAでは、この価値の両契機の中の「生産費」だけをもって全体と主張するリカードウ価値規定の「抽象性」が指摘されているのである。BとCは、リカードウが「生産費」(=「自然価格」)に一致するのが法則であると主張できるのと同程度に、「生産費」からの「偏椅」(=「市場価格」)こそが法則であると主張しうる根拠があることを示しているに過ぎない。マルクスの本来の主張は、Aに示されている。
 重要なので繰り返そう。自然価格は市場価格の変動を通して、その変動の中からのみ成立するのであって、この運動(=過程)全体が「現実性」である。にも拘らず、リカードウとセーは各々反対の立場から、この「現実性」の一契機だけを切り離して取り出し(「抽象」し)、あたかもその一契機が全体であるかの如く主張しているのである。「抽象を現実と言いくるめ」るとは、以上の意味である。
 要するにリカードウが「偶然的」なものは捨象すると主張したのに対して、その「偶然」の捨象こそ、リカードウ理論を哲学的な意味で「偶然的」なものにする、と皮肉っているのである。従って、以上のリカードウ批判は全く正しい批判であって、マルクスが「その後しばらくして……この様な評価を放棄[30]」するどころか、1851年のノートの中でも維持されるのである。
「リ〔カードウ〕は彼が偶然的と考えたものは捨象する。現実的過程を叙述することはもう一つ別のことである。この現実的過程では、両者──彼は偶然的運動と呼んだが永続的で現実的であるものと、彼の法則、即ち平均的関係──この両者が等しく本質的に現象するのである。[31]」(〔〕内は、編集者による補充。)
 この価値法則把握はまた、通常言われている様に、『ミル評註』や『賃労働と資本』における以下の記述と矛盾するものでは全くない。
「@生産費が価値規定の唯一の契機だということを述べた場合にもそうだった様に、貨幣と金属価値との上記の補整関係を論じた箇所でも、ミル──一般にリカードウ派──は、次の様な誤りを犯している。即ち、この学派は抽象的な法則を述べて、この法則の転変と不断の止揚──それを通して法則は始めて生成するのだが──を無視している。A例えば、生産費は究極において──というよりも、むしろ需要と供給との一致が偶然的に生じた場合に──価値を規定するというのが不変の法則であるというのなら、B需要と供給のこの関係は一致しないし、従って価値と生産費との間…には何ら必然的な関係はない、というのも同様に不変の法則である。……Cところが、この真に現実的な運動──リカードウ学派の法則はこの運動の抽象的な、偶然的で一面的な一契機に過ぎないのだが──は、近年の国民経済学者達によって偶然事、非本質的なことだとされている。……D従って、国民経済の真の法則は(リカードウ派によれば……大石)偶然である。換言すれば、われわれ科学者は偶然(とリカードウ派が主張する……大石)の運動から随意にいくつかの契機を固定化してこれを諸法則に定式化するのだが、その偶然が国民経済の真の法則になっている。[32]」
「E以上見てきた様に、需給の変動は商品の価格を、絶えず繰り返してその生産費[33]に引き戻す。……Fこの様に、価格は生産費によって決められると言っても、このことは経済学者達の言う意味に理解してはならない。G経済学者達は言う。商品の平均価格は生産費に等しい、これが法則だ、と。上昇が下落により、下落が上昇により相殺されるこの無政府的運動を、彼らは偶然と看做す。Hだがそれならぱ、変動を法則と看做し、生産費による決定を偶然と看做しても、差しつかえなかろう。事実、他の経済学者達はそうしている。Iしかし、この変動……こそ、その進行の過程において、価格を生産費によって規定するものなのである。この無秩序の運動全体がその秩序なのである。[34]」(強調は大石)
 見られる様に、マルクスはリカードウの一面性をAとGで批判した後、BとHで、同じく一面的なセーの価値規定を引き合いに出して、両者の一面性を浮き彫りにしているのである。2ケ所の波線部分は両方とも一面的な真理でしかないとするマルクスの立場を示している。
 この両面批判を通してマルクスが言いたいことは、リカードウは価格変動が自然価格を中心点としているという経験的法則を理解してはいるが、その法則が貫徹する現実的な過程を概念的に把握していない、ということである。
「だから、リカードウ学派においては、一般的法則だけが問題なのである。この法則が如何に自己を貫徹するか……ということは、この法則や国民経済学者達にとってはどうでもよいことなのである。[35]」
 このリカードウ批判における競争重視ないし市場価格の変動の役割重視は、『資本論』第一篇第三章第一節において「価格」が商品に対象化されている労働の貨幣名とされていることとは全く論理次元が異なる点が決定的に重要である。後者は、価値尺度という機能において、貨幣が単に表象的ないし観念的な貨幣として役立つということである。これに対して、前者は、価値概念から生産価格が成立する過程に関するものである。
「さて、この価値が一層詳細に自己を規定する次第は、それが如何に価格(自然価格、即ちリカードウの「生産費」と読め……大石)にまで生成するかということと同様、別の箇所で展開されるはずである。[36]」
 要するに、『リカードウ評註』における以上のリカードウ「生産費」批判は、リカードウにおける価値と価格の同一視、即ち彼が自然価格を無媒介的に価値と規定し、この自然価格の論理的ゲネジスを何ら解明していない点にあったのである。
 これに対して、通説の誤りは、この価値の自然価格への転化論における価格変動の役割を、価値とその貨幣表現としての価格の間におけるその役割とを区別し得なかった点に基づいている。更に、この通説の誤りを引き起こした誘因として、初期の文献に対する安易な態度と哲学用語の内容規定に対する無理解が指摘されなければならない。
 問題は、初期マルクスの解釈に留まるものではない。その解釈の基礎に横たわる後期マルクスに対する理解の不十分さ、それこそが問題なのである。逆説的に言えば、初期マルクス理解こそが、後期マルクスの理解を左右するのではあるまいか。それはともかく、この自然価格から区別されたところの、価値に対するマルクスの規定を次節で考察しよう。

 B 『リカードウ評註』の再検討_

 マルクスが労働価値説を拒否していた第二の原因として、当時のマルクスが「私的所有が支配する下では土地所有者と資本所有者に貢物(地代と利潤……大石)を納めなければならない[37]」と考えていたことが上げられる。この解釈によれば、マルクスは明らかにプルードンの価値論に立っていたという。これは前節で既に考察しておいた、マルクスの基本的考えに矛盾している。一時期にせよ、はたしてマルクスがプルードンの価値論に同意していたのであろうか。その論拠を検討して見よう。
 マルクスはリカードウが『原理』第一章第二節(現行版第三節)で、商品の相対価値に影響を及ぼすのは直接労働ばかりでなく、「蓄積された労働」である資本の間接労働もまた影響を及ぼすと記している箇所に、次の様に評註している。
 〔引用文3〕
「@リカードウは、資本もまた労働なのだから、労働が諸価格の全額を包括するという次第を展開している。Aセーは本書25頁の注で、リカードウは無償で提供されたのでない資本と土地に対する利潤を忘れたと述べている。Bプルードンがこの点から次の様に結論しているのは正当である。即ち、私的所有が存在する場合、商品はそれが値いするよりも)多くの費用がかかる(kostet mehr als sie wert ist)。正に私的所有者に対する貢物の分だけ多くの費用がかかる、と。[38]」
 一見すると、ここでのマルクスはセーとプルードンに同意しているかの様に思われる。それにしても、問題の核心は、リカードウの「商品に直接使用される労働」が「剰余労働」をも含むところの労働量を意味しているのか、あるいは所謂「必要労働」部分、より通俗的には「賃金」部分だけを意味しているのか、にあることは間違いない。
 成る程リカードウは、一方で「労働の賃金の如何なる変動も……より多量の労働が要求されるであろうということではなく、ただ労働がより高い価格で支払われるであろうというだけのこと[39]」と述ベ、労働量と賃金とを明確に区別しているかの様な記述を残している。しかしこの区別は、『資本論』でのマルクスの様な、発生的叙述における論理次元上の区別ではない。だからこそ、@生産諸部門内における資本の耐久性、A固定・流動資本の組み合わせ、B回転期間の相違という修正「誘因」が存在する状況下においては、労働量には変化のない単なる賃金の騰落でも、諸商品の相対価値(交換比率)を変動させる「原因」とする。
 この様に、リカードウにおける「労働量」と「賃金」の区別は、修正誘因の存在しない「初期未開の社会」にのみ妥当するものでしかない。リカードウ自身においてはむしろ、直接労働の量は賃金と不可分であって、直接労働の量を賃金から判断していると言うべきである。「賃金」と書くべき箇所を「労働」と記していることは、古典派経済学の特徴であり、その躓きの石の一つであったのであった[40]。従って、リカードウの「直接的労働」を「賃金」と解釈し、その「投下労働量」を「賃金」と資本からの価値移転部分の合計と解釈したからと言って、それは決して彼の理論を誤解したことにはならない。事実、リカードウ自身この命題について、「漁師の丸木舟と漁具は、100ポンドの価値を持ち、10年間保つものと計算され、そして彼は10人を雇って、彼らの年々の労働には100ポンドを要し……[41]」と例解しているのである。
 とすれば、マルクスが先の評註で述べている様にリカードウの「投下労働量」には「利潤」(正確には「剰余労働」)部分は含まれていないことになる。しかも、リカードウはこのことと彼の理論の他の部分とは整合的である、と述べている。何故なら、彼が問題にしているものは、「絶対価値」ではなく「相対価値」、即ち交換比率であり、その「変動原因」であるからである。リカードウは言う。
「私は、ある商品には1000ポンドの費用を要する程の労働が投下され、他の商品には、2000ポンドの費用を要する程の労働が投下されているが故に、一方は1000ポンドの価値を持ち、他方は2000ポンドの価値を持つであろう、と言ったのではなく、それらの商品の価値(「交換比率」と読め……大石)は、相互に1対2であり、その割合で交換されるであろう、と言ったのである。[42]」 
 従って、リカードウ自身に即せば、これらの商品が「利潤」を含んで「これらの商品の一方が1100ポンドに売れ、他方が2200ンドに売れようと、一方が1500ポンドに、他方が3000ポンドに売れようと、それはこの学説の真理にとって何ら重要性を持たない[43]」のである。
 この様に考えてくると、マルクスのリカードウ「生産費」に関する先の評註は、それが「利潤」を含まないという点で、リカードウ自身に即しても正しいと同時に、その批判がリカードウの「相対価値」の変動原因論としての価値論を、むしろいわば「絶対価値」論の方向に改鋳するという視角からなされていることが判明する[44]。
 ではその際、マルクスは通常言われている様に、
  価値=生産費、
  価格=価値十貢物(利潤十地代)
と考え、「価格」は常に「価値」よりも高く、不等価交換が一般的と考えていたのであろうか。
 まず細かい点から言うと、マルクスは「資本と土地に対する利潤」と述ベているのであるから、この「貢物」は「地代をも含む利潤」と理解されるべきであろう。
 次に不等価交換について言えば、プルードンに即しても、不等価交換は資本と労働との交換においてのみ成立するものと看做されている。プルードンの関心は、占有から区別されるところの所有(不労所得権)を基礎づけるものが何であるかである。彼はそれを、資本家が労働者の「個人的力(force individuelle)」に対しては支払うが労働者達の「集合的力(force collective)」には支払わない、という点に求めているからである[45]。プルードン自体、交換における等価交換を認めており、利潤の源泉を流通過程に求めることなどしていないのである[46]。
 因に、『大網』においてエンゲルスが等価交換を否認していたかの様に主張する研究者もあるが、これも誤っている。エンゲルスは利潤の発生源を生産過程に求めているからである。例えば、次のように記している。
 「資本が生産過程で受けとる、資本の増加分である利潤(Gewinn)……云々。[47]」
 従って、仮に当時のマルクスがプルードンやエンゲルスの影響下にあったとしても、むしろそのことのために、利潤を流通過程に求めたり、利潤の源泉を流通部面での不等価交換に求めたりするはずはない。従って当然にも、当時のマルクスが
   価値=生産費<価格=価値十利潤
とは考えていたと推測する根拠は全然無い。
 では、〔引用文3〕のBで「商品はそれが値いするよりも多くの費用がかかる」と述べ、この主張をあたかもプルードンの主張であるかの様に記しているのは、一体如何なる意味なのであろうか。
 確かに、プルードンは『所有とは何か』「第4章」の「第二命題」において、所有が認められた社会においては「生産は、それが値いするよりも多くの費用を要す」と記している。しかし、プルードンの命題の意味はこうである。10%の不労所得権が存在する場合、社会全体で1000単位生産されても、900しか消費されず、貢物の100単位は消費されない。この100単位については「無価値」になり、その分だけ「生産物をその価値以下に引き下げる(rabaisse les produits aw−dessous de leur valeur)こと[48]」になる。従って、社会的生産には1000単位費用がかかったにも拘らず900の価値しかなくなる、と。これを労働者個人について言えば、労働者は生産に1単位費やしたにも拘わらず、「彼の労働の価格(prix de son travail)」はその10分の1下がって、0. 9にしかならない、と。従って、プルードンの価値論は以下の図式になる[49]。
 「生産の価値」<「生産の費用」ないし「労働の価格」<「生産の費用」
 ここからプルードンは、所有は不合理で「不可能」なものであると結論するのである。
 だがこのプルードンの議論を通してマルクスが主張していることは、利潤が生じるためには、
 「商品の価格」>資本家にとっての費用(=「費用価格」)としての「生産費」
でなければならない、ということである。今この点を、〔引用文3〕と同主旨の次の叙述に即して論証して見よう。マルクスは、リカードウが差額地代論を展開して「地代は商品の価格の一要素ではない」と結論した箇所で、次の様な評註を書き残している。
 〔引用文4〕
「ここの所にセーは注記して次の様に述べている。
@地代は商品の生産に必要な費用の総額の一部分ではないから、その限りでは確かに商品の自然価格の構成要素ではない。
Aしかし、商品の市場価格の一部分ではある、と。一般に次の点は興味深い:
B自然価格はスミスに従えば、労賃と地代と利潤とから成る。
C土地は生産のために必要であっても地代は必要な生産費の部分に入らない。
D利潤もまた生産費の部分ではない。
E土地と資本との生産に対する必要性は、ただ資本と土地とを維持するために労働等が必要である限りにおいて、費用として見積もられるに過ぎない。つまり、それらの再生産費用が生産費(費用)の中に入るのである。
Fしかし、これを上廻る剰余こそが利子と利潤、小作料と地代を成すのである。
Gそれ故、既にプルードンが展開している様に、一切の商品の価格は高すぎるのである。
H更に、賃金、地代、利潤の自然率は全く慣習や独占に、しかも究極的には競争に基づいているのであって、土地や資本や労働の本性(Naturから展開されているのではない。従って、生産費自身は競争によって規定されているのであって、生産によって規定されているのではない。[50]」
 Gで紹介されているプルードンが、プルードン本人ではなく、マルクスが読み込んだプルードンに他ならないことは、今や明白であろう。プルードンならばむしろ、労働の価格が低すぎるのだ、自分達の集合力について支払われないで盗奪さている分だけ低すぎるのだ、と答えたであろう。
 ではプルードンへのこの読み込みでマルクスは何を言わんとしているのであろうか。それは、商品の価値規定としてのリカードウ「生産費」が孕む問題点である。マルクスの批判には二つの段階がある。第一段階は、リカードウ「生産費」がスミス「自然価格」に対して持つ進歩性とその限界をセーの論法を逆手にとって暴露している段階の批判であり、第二段階は積極的に自己の立場から批判したものである。@からGまでと、Hがその二段階である。以下、この2点について、考察しておこう。

 第一段階の批判について:
 マルクスは、@とAで示されたセーの見解の中で@の「地代」と「自然価格」との関係についての議論だけに注目している。リカードウが差額地代論を展開してスミスの「自然価格」(賃金十利潤十地代)の中から「地代」を抜かして、賃金と利潤との合計として「自然価格」=「生産費」を規定したことは、セーの見解によれば正しい。何故なら、セーの考えによれば、土地は生産に必要ではあるが、地代は生産に必要でないのだから、「地代」は「生産に必要な費用」である「生産費」には入らないからである。
 DとEにおいて、マルクスはこのセーの論法を逆手にとって、議論を更に押し進めて行く。よろしい。それならば、資本もまた生産に必要であるけれども、利潤は生産に必要ではない。従って「利潤」もまた生産に必要な費用という意味での「生産費」には入らないことになろう、と。そして、土地や資本が生産に必要であるということは、それらが生産期間の間に磨損することを意味するのであるから、土地と資本が生産に必要な費用に入るのは、それらの「再生産費」に相当する労働量としてでしかないことになる、と。
 結局、セーの評註を徹底させるならば、生産に必要な費用としての「生産費」とは、「賃金」と「資本と土地との再生産費」との合計に他ならないことになる。リカードウの「投下労働量」も実質的には、この意味での生産費に相当することは既に見た通りである。
 従って、仮りにこの「生産費[51]」──後の「費用価格」──によって価値が規定されると言うのであれば、「利潤」は生じないことになる。Fでマルクスが記している様に、利潤や地代とは、価格がこの意味での「生産費」を上廻る部分に他ならないからである。だからこそまたリカードウは、彼の「生産費」規定の「利潤」で、「資本と土地との再生産費」ではなく「平均利潤」そのものを表わしているのである。
 以上によって、リカードウの「生産費」が文字通りの「生産に必要な費用」でないことが暴露された。価格を究極的に規定するものが「生産費」であるというリカードウの主張は、厳密に言えば、あるいは範疇とその内容規定とを一致させて表現するならば、価格は「生産費」──生産に必用な費用──よりも高いという主張に他ならないし、むしろその様に表現すべきなのである。事実、リカードウの「生産費」は彼の「投下労働量」よりも高いのである。これがプルードンの命題に対するマルクスの読み込みであり、Gの深い内容である[52]。
 以上の考察において、著者が「費用価格」としての「生産費」規定がマルクスの究極の立場ではないと考え、この第一批判はセーの論法を逆手にとって、リカードウ「生産費」の持つ欠陥を暴露するものでしかないとしている点は、次のHの考察によって、確証される。

 第二段階の批判について:
 @からGまでの批判においては、自然率にある地代と利潤が順次消去されて行ったのであるが、Gまでに示された、生産に必要な費用としての「生産費」(実は「費用価格」)においても、自然率にある「賃金」は不問にされていた。ところが、Hになると、そもそも「生産費」を規定するためには、この「賃金」すら問題であることが示される。何故なら、この範疇も「利潤」や「地代」と同様、競争の結果成立するものでしかないからである。ここに至って、価格の原因としての価値の規定は、生産そのものによって、資本・土地・労働の本性から展開されなければならない、という根本的な批判がなされるのである。念のために、その部分を再度引用しておく。
「H更に、賃金、地代、利潤の自然率は全く慣習や独占に、しかも究極的には競争に基づいているのであって、土地や資本や労働の本性(Naturから展開されているのではない。従って、生産費自身は競争によって規定されているのであって、生産によって規定されているのではない。」
 従って、ここで三つの「生産費」が示されたことになる。即ち、賃金と利潤の合計としての「生産費」、資本家にとって必要な費用としての「生産費」、及び生産に内在して必要な費用としての「生産費」の三つである。
 最後の「生産費」、即ちマルクスが商品の真の価値規定として提出したところの、生産によって規定され、生産諸手段の本性から展開される「生産費」の具体的な内容規定を積極的に展開した箇所は、残念ながら『経済学ノート』の中には見出せない。しかし、Eでマルクスが資本と土地の「再生産費」を「労働」量に環元し、しかもHで、「賃金」に替わって、「労働」を生産においてしかも「労働」の本性から展開したもので規定すると指示していることから判断すれば、正しく剰余労働をも即自的に含むところの、「生産に必要な労働量」──リカードウの場合には、この規定は実質上、賃金+間接労働であった──即ち、直接労働と間接労働の合計以外にはない様に思われる。事実、〔引用文3〕を考察した際に記しておいた様に、リカードウの「直接労働」に対するマルクスの批判は、比喩的に言えば、「絶対価値」に焼き直す視角から、そこに「利潤」部分が欠落している点にあったのである。

 C 『マカロック評註』と『ボアギュベール評註』の検討

 「生産費」による価値規定を拒否していたとする通説に反して、『マカロック評註』と『ボアギュベール評註』においてマルクスは、「生産費(Produktionskosten)」と「生産価格(Produktionspreis)」を区別しつつ、積極的に使用している[53]。本節では、その使用法からそれらの内容規定を確定し、当時のマルクス価値論に新たな角度から光を当ててみよう。『マカロック評註』では次の様に記されている。
 〔引用文5〕
「断わるまでもないことだが、国民経済学がその一切の奇跡を呼び起こす際に用いる命題、即ち、ある生産価格の損失は他の生産物の利益によって平均され、従って社会は何一つ失うことはないという命題は、ある者と他の者との利害が、同様にまた社会と個人との利害が同一である時にだけ、一般に個々の利害ないし生産が社会的である時にだけ現実的な意味があり、感性的で現実的な真理である。[54]」
 念の為に言えば、後半部分で述べられていることは、この国民経済学的命題が虚偽であるという全面否定ではない。この一節の前後を読めばマルクスの批判が「この法則が如何に貫徹するか」を国民経済学が確証しない、という点にあることは明らかである。
 さて、ここで「生産価格」を国民経済学の命題と呼んでいる様に、内容的に言ってこの「生産価格」とは賃金と利潤の合計としてのリカードウ派の「生産費」である。また、形式から言っても、この評註は、リカードウ派の需給と生産費との関係に関する議論に加えられたものである。リカードウ派の「生産費」(=「自然価格)をマルクスが「生産価格」と呼んでいることは、次の『ボアギュベール評註』においても確認し得る。
 〔引用文6〕
「@……生産物は総べて非常な過剰状態で存在するのだから、その価格が非常に低下するであろう。Aだがその生産費には一定の限界がある。B生産者ができるだけ多く交換しようと欲しようとも、彼らはその生産価格以下を支払う一部の購買者に売らざるを得ない。C即ち、その時は、その商品を贈るのであって、売るのではない。E販売一般に対する最も外的な条件は生産費であって、更にその上に、生産者がその生産物に対して若干の利益を得ることである。[55]」
 CはBを言い換えたものである。Cで「贈る」ことだと呼ばれている事態は、『国富論』第一篇第七章で平均利潤を得られない様な価格で販売する時、資本家はその取引で「損をした[56]」と表現されていることに対応している。従って、Bでの「生産価格」もまた「自然価格」を意味していると考えられる。では、この「生産価格」から区別されてAとDで使用されている「生産費」とは、一体何を意味するのであろうか。
 Dで販売の最低限の価格とされ、利潤を含む通常の価格は、その分だけこの「生産費」より高いとされていることから考えて、この「生産費」とは「費用価格」、即ち、資本家にとって商品の生産に必要な費用である。このことは@とAに整合している。つまり、商品の過剰からその価格が低下した場合、資本家は「費用価格」を切り下げることでこの事態に対処し得る。しかし、この「費用価格」の切り下げ努力にも、各々の時期において限界があって、どうしても平均利潤を得られない様な価格で売らざるを得ない場合があるからである。
 この様に、マルクスは、リカードウの「生産費」(=「自然価格」)を「生産価格」と呼び、前節で見たところの、セーの論法を徹底することで得られる「費用価格」としての「生産費」を「生産費」と呼び、使用しているのである。因に、この「生産費」の使用法は、『経済学・哲学草稿』〔第一草稿〕前段におけるそれと同一である[57]。
 では、本節において明らかとなったことを整理してみよう。
 リカードウはスミスにおける価値論の混乱を彼なりに解決して、古典派労働価値説を完成させた。しかし、リカードウの労働価値説には種々の問題点が潜んでいる。マルクスの批判の中心は、リカードウにおける価値と価格の混同にある。リカードウにあっては、投下労働量は、「相対価値」即ち「交換比率」の主たる「変動原因」としてだけ認められるに過ぎない。市場価格は結局の所、彼の「生産費」(賃金と利潤の合計)をその変動の中心にするとは言え、その「生産費」と「投下労働量」とは媒介されていないのである。それは彼が「絶対価値」の問題を回避しているからであるが、逆にこの回避の原因は、この「価値と価格の混同」にあった。
 更に言えば、リカードウにおける「価値と価格の混同」に対する批判は、「価値」概念から「生産価格」範疇を展開するというマルクスの発生的方法からのみ生じ得る批判である。このマルクスの方法から見れば、リカードウの「生産費」による「価値」規定は、同義反復であり、論点先取の虚偽に過ぎない。商品の価値を規定する段階、つまり経済学の冒頭部分で、未だ節・展開されていない「利潤」や「賃金」を前提して、価格の中心はそれらの合計であると主張しているからである。逆に、賃金や利潤の源泉も解明されることはないからである。
 これに対してマルクスは、競争による変動を受け「生産価格」という形をとりながらも自己を貫くものとしての「価値」概念を、生産において規定され、生産諸手段の本性そのものから展開されるところの、彼独自の「生産費」──直接的労働と間接的労働との合計──によって規定する方向をとっている。マルクスが『ミル評註』で「価値」から「価格」を展開すると述ベ、『リカードウ評註』その他で、価値法則が貫徹する過程を確証することの必要性を強調していることは、総べて「価値」→「利潤」(「地代」を含む)・「賃金」→「生産価格」という発生的方法──これこそが学的認識の正しい方法──と関連している。そして逆に、この様な展開がなされたとき、価値規定としての、マルクス独自の「生産費」は、正に必然的なもの、現実的なものとして論証されたことになるのである。このように、『経済学ノート』におけるリカードウ「生産費」批判は、マルクスによるリカードウ労働価値説「拒否」では更々ない。正しくマルクス独自の価値概念の生成である。
 ところで、価値規定としてのスミスの「自然価格」、リカードウの「自然価格」(=「生産費」)の諸構成要素を、生産に必要な費用であるか否かという点で消去して行く手法をとらせたものは、「利潤」や「地代」を発生的に叙述せよというマルクスの方法であった。ということは、マルクスの「利潤」(これは古典派における平均率の「利潤」ではなく、「剰余価値」に相当する広義の利潤)論がその前提としての価値規定における批判を生み出したということを意味する。
 論理的順序から言えば、利潤の発生的展開という認識があって始めて、リカードにおいて、利潤が価値規定の中に既に密輸入されていることの欠陥が表面化するのである。従って、本節において考察してきた価値規定としてのリカードウ「生産費」に対するマルクスの批判は、それだけではマルクスのリカードウ「生産費」批判の全貌を伝えるものとは言えない。マルクスのリカード『原理』との最初の取り組みは、むしろ「利潤」論に、従ってまた資本の本質把握にあったと思われる。
 古典派の労働価値説は、労働こそが本源的購買貨幣であるという認識と、資本もまた蓄積された労働であるという二つの認識を基礎にして可能となったと思われるが、この資本把握の不十分性が、古典派のシニシズムの基礎をも成している。今や、『経済学・哲学草稿』に目を転じて、マルクスの資本把握と利潤論を考察し、マルクスが如何に古典派のシニシズム解明の基礎を築いたのかを考察し、リカードウとの最初の対決を彼の成立史全体の中に位置づけることにしよう。

第3章 パリ時代のリカードウ「生産費」批判_──『経済学・哲学草稿』──

 封建的な土地所有が「利潤を伴って再生産される資本の範疇に転落[58]」することを私的所有の必然的な発展形態として捉えるマルクスにおいて、経済学的諸範疇は、広義の「利潤」の発生、その「利潤」の狭義の「利潤」や「利子」や「地代」ヘの「分解」という順序で展開される[59]。従って、最も根本的な問題は、広義の「利潤」が、一体何故、何によって、如何に生ずるのか、を解明する点にあった。
 そして、広義の「利潤」の発生を解明する際、マルクスを他から区別するものは. 彼が「労働と資本との関係……即ち資本の本質を持ってこなければならない」としている点である[60]。
 古典派は資本が蓄積された労働であることを明らかにした。しかし、スミス自身「資財は、その所有者に収入ないし利得をもたらす場合にだけ、資本と呼ばれる[61]」としながら、この蓄積された労働が資本となる所以、つまり利潤が何処から、如何に発生するかは解明しない。ところが、プルードンは、所有(=不労所得権)の基礎を、生産過程における資本家による労働者達の「集合的力」の収奪から説明する。しかし、彼も「労働者と生産物との関係[62]」、「労働者(労働)と生産との間の直接的関係を考察しないことによって、労働の本質における疎外を隠蔽し[63]」、単に労働者が自己の「集合的所有権」に目覚めることを要求したに過ぎない。これに対してマルクスは、資本の本質を、それが生産過程において持つところの、「(労働者の)労働とその生産物に対する指揮命令権能[64]」に見い出したのである。即ち、マルクスにおいて始めて、「資本」概念そのものの中に「賃労働」の契機が理論的に取り入れられたのである。
 マルクスが如何に広義の「利潤」を発生的に展開したかは、〔第一草稿〕後段(所謂〔疎外された労働〕部分)と〔第二草稿〕の表裏一体的関係の中で示されている。『経済学・哲学草稿』のマルクスによれば、「私的所有」の関係は、「労働としての私的所有の関係」即ち「労働者の自己の労働及び生産物に対する関係」と、「資本としての私的所有の関係」即ち「労働者の労働と労働生産物に対する資本家の関係」という表裏一体的関係にある二側面から成る。
 前者は、労働者にとって自然の「領有が(自然を……大石)疎外・外化することとして現われ」る側面であって、その必然的な帰結が、その労働者の「外化が(資本家にとって、自然を……大石)領有することとして、(また、労働者が自己にとって……大石)疎遠なものとすることは、(資本家にとっては……大石)真に順化することとして現われる」側面、即ち後者の側面に他ならない。
 この「資本としての私的所有の関係」を分析した〔第二草稿〕においては、賃労働者が一つの商品でしかないこと、生産過程において賃労働者は資本に転化すること、従って賃金は他の一切の生産用具の維持・修繕と同じ意味しか持たず、その額を超えるものではありえないこと、この「生きた」労働こそが、利潤を伴って資本を再生産すること、等が示された。この資本の直接的生産過程の二面的分析の各々において、マルクスは「労働者は……私的所有を」生み出し、「労働者は資本を生産する」と規定しているが、この「私的所有」「資本」は「生産物」ないし「商品」を各々の論理次元で規定したものである。従って、この資本の生産過程の産物である「商品」の価値規定は、先に考察したリカードウ「生産費」批判と何ら矛盾しない。「利潤」の発生が、「賃労働」の価値規定(「賃金」)を媒介にして、生産過程から説明されている以上、論理的端初としての「商品」の価値規定──労働量による「生産費」規定──は、ここでは前提されていると言えよう。
 以上の如く、既に「パリ時代」においてマルクスは「利潤」を発生的に展開しえていた。そして、この「利潤」の発生的展開を基礎として、価値規定において既に平均利潤を想定しているリカードの「生産費」による価値規定の没概念性が批判され得たのである。リカードウにおける「価値」の現象論的把握から、マルクスにおけるその本質論的把握ないし概念化は、利潤論としてのリカードウ「生産費」批判の産物なのである。


おわりに

 さて、以上で考察してきたパリ時代のマルクスのリカードウ「生産費」批判を整理し、そのマルクス形成史上の意義を規定しよう。
 パリ時代のマルクスにとっての課題と方法は、近代人のあり方をその根本において規定しているところの、資本制的生産及び分配諸関係とその諸法則を、それらの諸関係の理論的反映である経済学的諸範疇の発生的(批判的)叙述を通して、概念的に把握することであった。
 このマルクスの課題と方法は、資本制的な生産及び分配諸関係を自然的・人間的な関係と看做し、その分析的な方法の限界の結果、経済学的諸範疇の表わしている歴史的形態規定性を一貫しては把握できなかった古典派経済学に対する、思想的・方法的対決の中で形成されたものであった。このマルクスの方法から見ると、リカードウにおける「生産費」(賃金と利潤の合計)による商品の価値規定は、それがスミスにおける二つの価値尺度の併存の一元化であるという反面、次の二点で、古典派価値論の持つ欠陥を一層鮮明にするものであった。
1. スミスに比較して、自然価格が成立する過程の捨象が一層進んでいること。
2. スミスに比較して、利潤の発生源が「職人達が原料に付加する価値[65]」にあることが不明確になっていること、の二点である。
 要するに、スミスからリカードウへの発展は、同時に、現実の運動の中から規則性だけをその運動から切り離して定式化すること、即ち抽象化の進行でもあった。この抽象化を一言で言えば、価値と価格の同一視である。従って、リカードウにおいては、
1. 価値は始めから自然価格なのであって、価値から自然価格を展開するという意識すらない。従って、リカードウにおいて価値は未だ「概念」にまで到達していないと同時に、自然価格は価値概念の諸現象の一つとして内的・必然的に展開されてもいない[66]。
2. その結果、説明されるべき平均利潤が何の説明もなく、無媒介的に価値規定に密輸入され、その論理的ゲネジスについては何の解明も与えられていない。
 こうしたリカードウ「生産費」に対するマルクスの批判は、一面では、リカードウにおいては単なる相対価値の主要な変動原因でしかない「投下労働量」を、言わば「絶対価値」の規定に改鋳する方向を示すものであった。それは、価値の概念化と、この価値概念からの自然価格の展開とから成っていた。
 リカードウ「生産費」批判の他の一面は、利潤の発生的展開の方向を示すもの、つまり『経済学・哲学草稿』における、直接的生産過程からの利潤の発生的叙述である。『経済学・哲学草稿』の利潤は、リカードウ「生産費」における「利潤」とは根本的に異なる。後者が平均利潤であるのに対して、前者はその中には地代をも含んでおり、この利潤から更に狭義の「利潤」や「利子」が分解されるものと言われている以上、その利潤は後の「剰余価値」である。そして、この広義の利潤が、それ以後の範疇展開の基軸であることが方法的に明確にされていたことは、マルクス自身この最初のリカードウ批判がそれ以後の彼の体系形成の基軸であることを自覚していたことを示している。
 正に、リカードウに対するパリ時代のマルクスの批判は、「始元」であった。即ち、「端初」であると同時にそれ以後の展開の「原理」でもあったのである。そして、以上の文脈において始めて、「資本は自己と利潤とに分解し、同様にこの利潤は利子と利潤に分解する[67]」ことを説いた『大網』を、「経済学的諸範疇の批判のための天才的スケッチ[68]」と呼んだ意味も現実的なものとなろう。
 最後に、本章におけるリカードウ解釈について一言断わっておく。リカードウ自身の見解と、それがマルクスの言う学説の発生史において持つ意義とは明確に区別されるべきである。後者から見るとリカードウは労働価値説の古典派的完成者と見られるし、その様に解釈して始めてリカードウは今日的意義を持つ。しかし、実際のリカードウは、むしろミルやマーシャルが解釈する様に「生産費」説と呼ばれるべきものに近いと著者は考えている。マルクスが生前発表された諸著作の中でコメントしているリカードウ像は、リカードウ自身というよりも、それが学説の発生史において持つ意義という観点から読み込まれ、位置づけられたものと理解すべきである。


巻末注********************************

[1]. 1858年2月22日付け、マルクスからラサールヘの手紙を参照。

[2]. 『見田石介ヘーゲル大論理学研究』(大月書店)第1巻、29頁参照。

[3]. 杉原氏は、「時間費用論」や競争重視という点での初期から後期の連続面を強調する(『マルクス経済学の形成』未来社、第三章)。時永氏は、リカードウ的な労働価値説とは別な、マルクス独自の労働価値説が『ミル評註』で生成していることを主張する(「マルクスにおける『相対的過剰人口論』の成立について(続)」『経済志林』25-3号、「三」節参照)。時永説に近いものとして、H. P. Adams, Karl Marx in his Earlier Writings (Atheneum 1972、NewYork), Chapter 3がある。

[4]. 1978年に執筆した、拙稿「<研究ノート>成立史に見る価値概念と疎外論──トゥーフシェーラ一の所説を中心にして──」『経済学研究科紀要』(関東学院大学大学院)第2号がその端緒である。

[5]. 本書第四篇第8章「〔市民社会分析〕と労働価値説」参照。

[6]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, SS. 210-1.

[7]. パリ時代のマルクスの経済学研究を伝える主たる文献は、『経済学・哲学草稿』と『経済学ノート』である。『経済学ノート』は9冊、約200頁から成る。この9冊以外にも存在していたと推定されるノートについては、重田晃一「マルクスのパリ時代の経済学研究に関する資料的覚書」『経済論集』13−1・2号が最も詳しい。現在公刊されている『経済学ノート』(Karl Marx‐Friedrich Engels: Gesamtausgabe, Ab. 1, Bd. 3)は、この9冊の全体ではない。
 特に、「リストの価値論に間する短い評註」を含む『リスト評註』が、何の断わりもなく削除されていることは極めて残念なことである。しかし、この評註の内容は、新しく発見された「フリードリヒ・リストの著作『政治経済学の国民的体系」『経済』、1972年9月号(1845年3月頃執筆と推定されている)によって推測可能となった。
 ところで9冊のノートで、ノート氈`」は1844年8月までに、ノート、〜ァは同年12月以後に執筆されたと推定されている(杉原・重田訳『経済学ノート』、「訳者解説」、175-6頁)。しかし、『リカードウ・ミル評註』(ノート「)と『マカロック評註』(ノートV)との記述様式から、『マカロック評註』は少くとも『ミル評註』よりも先に執筆されたことが判る(山中「『経済学・哲学草稿』と『抜粋ノート』の関係」『思想』1971年11号、114頁参照)。そして、ノート・の『ボアギュベール評註』と『マカロック評註』の内容は後に示すように内容上一致しているのであるから、ここでは執筆時期の多少のずれは問題にはならない。

[8]. Karl Marx‐Friedrich Engels Werke, Bd. l, S. 378.

[9]. Ibid. , S. 370.

[10]. Ebd.

[11]. 『経済学・哲学草稿』岩波文庫、132及び141-4頁参照。

[12]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 2, S. 33.

[13]. この「読み込み」は通常言われる様な、自己の見解と先行者のそれとの相違を対自化し得ていない未熟性を示すものではない。この「読み込み」によって始めて読み込まれた箇所が科学的意味を持ち始めるのであり、学説の発生史を辿ることも可能となるのであろう。

[14]. 『経済学・哲学草稿』岩波文庫、104頁。『見田石介著作集』第4巻(大月書店)、132-4頁参照。

[15]. 国民経済学において「私的所有」は解明されることのない前提である、というマルクスの評註が加えられたセーの原文(杉原・重田訳『経済学ノート』未来社、34-5訳頁)を参照。

[16]. 『見田石介へ一ゲル大論理学研究』第3巻(大月書店)、42頁参照。

[17]. 『経済学・哲学草稿』岩波文庫、84-5頁。

[18]. 『見田石介ヘーゲル大論理学研究』第2巻(大月書店)、208-12頁参照。

[19]. スミス『国富論 氈x中公文庫版、111頁。

[20]. 『経済学・哲学草稿』岩波文庫、85頁。

[21]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, SS. 395-6。

[22]. 杉原・重田訳『経済学ノート』、136-7訳頁。

[23]. この点については、KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, SS. 385-6. 『経済学・哲学草稿』岩波文庫、119-22、155-8、105頁。杉原・重田訳『経済学ノート』、60及び62-4訳頁を参照。通説は、マルクスのこのシニシズム批判を、マルクスが「政治的に有害なもの」と考えたという程度にしか理解していない(ローゼンベルグ『初期マルクスの経済学説の形成 上 』大月書店、101-2頁参照)。尚、この点におけるマルクスのエンゲルスへの「読み込み」については、梅本克己『唯物史観と経済学』現代の理論社、106-7頁参照。

[24]. 『経済学・哲学草稿』岩波文庫、85-6頁。

[25]. リカードウが『原理』第3版において価値と価格の乖離について言及したとする研究がある。しかし、これは投下労働量と価格の乖離であって、価値を価格を別次元のものとして区別するには発生的展開の方法が必要であり、これはリカードウには存在しない(中村広治「リカードウの『不変の価値尺度』について」『経済論集』28-5号、29-1/2号。羽烏卓也「リカードウにおける価値と自然価格の乖離」『岡山大学経済学会雑誌」11-4号、11-5号参照)。

[26]. ローゼンベング前掲訳、101頁。

[27]. 杉原・重田訳『経済学ノート』、51-2訳頁。

[28]. 同前、46訳頁。

[29]. エンゲルスは『大網』で「抽象価値とその生産費による規定とは、正に抽象、実在しないものに過ぎない」(KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, S. 506)と述べているが、これは「価格が生産費と競争の相互作用によって決定されるということは全く正しい」(S. 508)と認めた上で、「価格の源泉である価値」(ebd. )が生産費だけによって規定されるということは実在しないという意味である。彼の真意も「価値概念はむりやり引きさかれて、個々の側面が何れも全体であると言いふらされている」(S. 507)という点にある。

[30]. ローゼンベルグ前掲訳、100頁。

[31]. Grundrisse der Kritik der politischen Oekonomie, S. 803.

[32]. 杉原・重田『経済学ノート』、85-6訳頁。

[33]. この「生産費」は労働量だけによって規定された、マルクス独自のものである。この「生産費」が何時、如何に形成されたのか、ということは従来誰れも問題にしていない。本章はそれに答えるであろう。

[34]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 6, S. 405.

[35]. 杉原・重田訳『経済学ノート』、137-8訳頁。

[36]. 同前、102訳頁。

[37]. ローゼンベルグ前掲訳、100頁。

[38]. 杉原・重田訳『経済学ノート』、47-8訳頁。

[39]. Works of David Ricardo, Vol. I, p. 28.

[40]. 例えば、以下のような箇所を例証とすることができよう。
「文明国では、その交換価値が労働だけから生じる様な商品はほんの少数であって、圧倒的大部分の交換価値には、主として地代と利潤が寄与している。」(『国富論 氈x中公文庫版、92頁)
「労働と資本の所産である商品、従ってその価値が賃金と利潤とに分かれる商品は、どんな事情の下でも、同じ様に労働と利潤から成る諸商品の価値の、正確な尺度になりうる唯一のものである。」(Works of David Ricardo, Vol. V, p. 379)
 問題は、彼らが「賃金」を労働者が投じた労働に対する「正当な補償」と看做している点である。

[41]. Works of David Ricardo, Vol. , p. 26.

[42]. Ibid., pp. 46-7.

[43]. Ibid., p. 47. リカードウは『マルサス評註』で、「価値」とは「生産費」であり、この「生産費」は「投下労働量」に「ほぼ比例する」と述べている(Works of David Ricardo, Vol. , p. 35)。

[44]. リカードウの投下労働量が相対価値の変動原因でしかない(『経済学原理』の展開上は)という主張が意外な感じを与えること自体、我々がマルクスの改鋳に慣らされている証拠ではあるまいか。

[45]. Proudohn, J. P., Qu'est‐ce-que la propriete?ou Recherches sur le Principe du Droit et du Gouvernement, p. 217.長谷川訳「所有とは何か」『プルードン。』(三一書房、1971年)、143頁。

[46]. Ibid., p. 228.同前、156-7頁。佐藤茂行『プルードン研究』木鐸社、198頁参照。マルクス自身、セーから「二つの相等しくない価値の交換も……やはり社会の価値の総額をすこしも変えるものではない」という一節を抜粋している(杉原・重田訳『経済学ノート』、36訳頁)。

[47]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, S. 511.

[48]. Proudohn, J. P., Qu'est‐ce-que la propriete?ou Recherches sur le Principe du Droit et du Gouvernement, p. 256.長谷川訳「所有とは何か」(『プルードン。』三一書房)、190頁。

[49]. lbid., p. 257. 同前訳、191-2頁。

[50]. Karl Marx‐Friedrich Engels: Gesamtausgabe, Ab. 1, Bd. 3, S. 501. 前掲『経済学ノート』、50-1訳頁。

[51]. 勿論、セー自身の「生産費」はこれとは全く別のものである。それは、労働、資本、土地が生産過程で産出する生産用役の合計である。マルサスやセーにおいても、価値規定としては「生産費」説ではないが、「生産費」そのものは否認していないのであるマルサス『経済学原理』第二章第三節及び橋本比登志「J. B. セーの価値論」『独協大学経済学研究』1号、158頁の注1を参照。

[52]. この解釈は本章の中でも最も受容されにくい部分であろう。しかし、『経済学批判要網』においても、同種の「生産費」批判は見られるのである(Grundrisse der Kritik der politischen Oeconomie, SS. 219-23参照)。

[53]. 同じ「生産費」でも、『経済学ノート』、59及び135-6訳頁のそれは、他人の説の紹介としての性格が強いので、これらは除外した。

[54]. 前掲『経済学ノート』、138訳頁。

[55]. 同前、153-4訳頁。

[56]. スミス『国富論 氈x中公文庫版、95頁。

[57]. 本書第四篇第8章「〔市民社会分析〕と労働価値説」を参照。

[58]. 『経済学・哲学草稿』岩波文庫、165頁。

[59]. この点については、本書第四篇第9章を参照。

[60]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 2, S. 54.

[61]. 『経済学・哲学草稿』岩波文庫、40頁。尚、この一節は、本来これに続く標題の後にあったもの(同、250頁の注4)で、この一節を動かすべきか否かで疑問が残る。

[62]. 当時、労働者は自己の生産物の全体を買い戻せない、という表現が一般的に使用されていた様である。マルクスはこの「買う」という規定そのものの中に労働者と生産物との疎外された関係を読み取っていた(Vgl., KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 2, S. 54)。

[63]. 『経済学・哲学草稿』岩波文庫、90頁。

[64]. 本書第四篇第8章冒頭部分を参照。

[65]. スミス『国富論 氈x中央公庫版、82頁。

[66]. この点については、資本概念についての見田氏の見解(『見田石介著作集』第4巻、68頁)を参照。

[67]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 1, S. 51.また、マルクスによるその抜粋(前掲『経済学ノート』、29訳頁)参照。

[68]. KARL MARX‐FRIEDRICH ENGELS WERKE, Bd. 13, S. 10.