平成9年度 2年大石プロゼミナール論文

『原子力発電問題』

  
        政経学部 経済学科 64024  阿部大輔

【目次】
はじめに

第一章 原発事故とその被害
 1 スリーマイル島原発事故
 2 国境と時間を超えたチェルノブイリ

第二章 原子力発電の危険性・問題点
 1 放射能汚染
 2 「死の灰」のゴミ箱はない
 3 大停電をまねくのは大量発電
 4 秘密のルートは一般道 −核燃料輸送−

第三章  日本の不思議な原子力開発
 1 「もんじゅ」からのぞく原子力行政
 2 クリーンなエネルギーの裏の悲劇
 3 巻原発住民投票

第四章 原子力の未来は
 1 代替エネルギーはあるのか
 2 世界の原子力の行方
 3 最近そしてこれからの原子力事情
 4 脱代替エネルギー

おわりに

<参考文献>

はじめに

 研究テーマを「原子力発電問題」にしようと思ったとき、僕の原子力開発についての考え
方は曖昧なものだった。原子力や核といった言葉を聞くと、何か恐ろしいことのように感じ
ていながらも、今現在日本におけるエネルギー供給の約三割が原発によるものであるという
事実とが、自分自身の頭の中で賛成か反対かの意見を迷わせていた。
 原発問題を考えるにあたっては賛成論と反対論の二つの意見を聴いてから考えなければ
いけない。僕は最初賛成派、例えば原子力発電所の所長や原子力安全委員会の人の文献を多
く読んでいた。しかしそれでは原発の安全性を主張されるだけで、原子力、核燃料による放
射能の危険性を知ることができなかった。そこで次に反対派の意見についての文献を中心に
調べてみた。そして僕自身のはっきりとした答えが出た。原発、そして原子力開発には反対
である。理由は人間にとって危険過ぎるということだ。
 このレポートでは、原発の危険性、問題点について考え、まとめてみることにする。


第一章  原発事故とその被害

 1  スリーマイル島原発事故

 1979年3月28日、アメリカのペンシルベニア州のスリーマイル島原発二号炉で原発事
故が起きた。簡単に説明すると、運転中の原子炉は上昇する熱を水で冷やす必要があるのだ
が、その冷却用の水を送るポンプが止まってしまったため原子炉が空焚きになってしまった
のである。放射能が強すぎて、すぐにカメラを入れて調べることができず、事故から8年あ
とになって燃料の約70%が溶けて,20トンもの燃料が原子炉の釜の底に崩れ落ちたという
結果が明らかになった。
 「原子力は安全」と思い込みがあった当時の人々にはとても衝撃的な事故であったはずう
である。次に述べるチェルノブイリの原発事故に比べれば、スリーマイル島の原発事故の規
模は小さいものだった。しかし「原発事故なんて10万年に一回しか起こらない」つまり原
発に事故はありえないとする専門家たちの考えに反してこの事故が起きたことは、原子力の
危険性が明らかになる第一歩であったことは間違いない。

 2  国境と時間を超えたチェルノブイリ

 チェルノブイリ原発事故が起きる前に書かれた本に「原発事故が起きても、ひどくてスリ
ーマイル島の原発事故程度である」という意味合いの専門家の意見が載っていた。ありえな
いとされていた原発事故が起きたにもかかわらず、原子力の専門家や関係者は原発の危険性
の心配より安全性の主張に力を入れていたのだろう。スリーマイル原発事故についての言い
訳のようなものである。
 しかしその言い訳など通用しない規模の事故が1986年に起きた。それがチェルノブイリ
原発事故だ。
 1986年4月26日に当時ソ連のウクライナ共和国のチェルノブイリ原発でちょっとした
テストが行われた。本来なら、別にテスト用の装置を作っておくべきなのだが、運転中の原
子炉をテストに使ったのである。すると運転員の予想に反して原子炉の出力が急上昇しはじ
め、核分裂を止める制御棒が機能しなくなり、数十秒後に大爆発が起こった。簡単に言うと
原子炉の暴走だ。
 爆発によって、大量の放射能が2000メートルも上空に吹き上げられ雲になったため、爆
発による直接の被害者は、原発の運転員と消火にあたった消防隊員31名にとどまった。
 しかし放射能の雲が上空にできたことが、それだけ広い範囲に放射能を運び雨を降らせる
ことになったのである。気流に乗って8000キロメートルも離れた日本にも放射能の雨が降
ってきた。
 そしてチェルノブイリ原発事故から10年が経とうとするなかで、だんだん被害の大きさ
がわかるようになったのである。事故直後は消防士など31人が死亡したのだが、放射能の
災害はそれだけで終わらなかった。大量の放射能を浴び、数年あるいは数十年経ってから、
ガンや白血病などさまざまな病気にかかる人が増えてくるのである。それが放射能災害の恐
ろしい点なのだ。
 この事故で放射能に汚染されていないヨーロッパの土地はないと言われている。原発事故
に国境が存在しないことを人類が知らされることになった。
 特に汚染のひどい地域はウクライナの隣のベルラーシを中心に約16万平方キロメートル。
日本の総面積の四割を超える面積である。国連の報告では、なんらかの被害を受けた人の数
は約900万人と発表している。ウクライナの保健省は、被害者のうち12万5000人以上が
1988年から94年まで7年間に死亡したことを明らかにした。隣の国ベルラーシでも少な
くとも同じくらいの人が死亡したと言われている。被害はこれから生まれてくる子供にまで
及び、胎児の染色体異常などで今現在も医師の勧告で中絶せざるを得ない状況が年400件
にのぼっている。
 これほどの規模の事故が起きても原発関係者は安全と言い切ることができるのだろうか。
それでも原発は僕達にとって必要なのだろうか。


第二章 原子力発電の危険性・問題点 

 1  放射能汚染

 原子力発電で最も恐ろしいのが放射能汚染である。チェルノブイリ原発事故のところで取
り上げたように、爆発に直接巻き込まれたわけでなく、爆発によって大気に放出された放射
能によって被爆した人たちが次々と死亡していき、何十万人という犠牲者を出している。
 時間がたつにつれてどんどん被害が大きくなってくるのが放射能災害の恐ろしさである。
ほかにも汚染された食べ物による被爆があり、ガンや白血病にかかっていく人もたくさんい
る。
 日本では、一般国民の年間被爆線量の限度は一ミリシーベルトとされている(シーベルト
は被爆線量の単位)。放射能影響研究所がおこなった広島・長崎の原爆被爆者の調査データに
よると、一万人が10ミリシーベルトずつ被爆した場合、ガン死の確率は6人から17人と
いう結果を出した。被爆線量限度がゼロでないのもおかしいが、原発労働者の法律で定めら
れた被爆線量限度はなんと50ミリシーベルトとされている。詳しいことは後で触れるが、
これは確実に被爆している人がいるわけで、原発労働者の中から、毎年数人から数十人がガ
ンで死ぬと言われている。

 2  「死の灰」のゴミ箱はない

 原発の特徴はエネルギーを大量生産できることである。しかし燃料となるプルトニウムや
ウランからは大量のゴミが出る。このゴミが「死の灰」と呼ばれる高レベル放射性廃棄物で
ある。この「死の灰」はゴミなのだが捨てることができない。強い放射能が含まれているか
らだ。「死の灰」はガラスと固めて「ガラス個化体」というものになる。仮にこの「ガラス
個化体」に15秒抱きつくと、二日以内に人間は100%死亡する放射線被爆量となっている。
しかも、大量に生産されたエネルギーはすぐに消費されるのに、こちらのゴミは10万年た
ってようやく放射能の毒性は1000分の1になる。
 国の計画では、これら「死の灰」を地下に埋める方針だが、これは危険としか言えない。
地下水の動きや地震の影響がまだ解明されていないからだ。
 原発から出るこの放射性廃棄物は、自分たちの子孫にまで、その危険なゴミの管理を押し
つけることになるのだ.

 3  大停電をまねくのは大量発電

 日本でつくられる電気の30パーセントが原発で発電されている。原発がなかったら電気
が足りなくなって困ると思う人もいるだろう。しかし、原発が電力需要の三割をまかなって
いるというのは、その陰でたくさんの火力や水力の発電所が遊んでいるのである。1995年
の電力需要のピーク時(8月25日)のデータと発電の設備容量を比べても、原子力を除い
たとしてもほとんど供給できることがわかる。少し足りないとすれば、電力会社が電気の規
制をすればよいのではないでろうか。エネルギー問題が問われる現代において、電力会社は
大量の発電ばかり考え、省エネのアピールに積極的ではない気がする。電力会社が省エネも
大切だというのならば、発電量の調節が難しい原発を、電力需要の少ない時期や夜間を問わ
ずに、真夏と同じように24時間運転させる方がムダではないだろうか。
 原発に頼っていると、故障で停止した場合、1000万キロワットの電力が止まることにな
る。原発こそ大停電をまねきよせるのである。

 4  秘密のルートは一般道 −核燃料輸送−

 ウランやプルトニウムなどの放射性物質の輸送は非公開で行われている。そこらへんの道
路を輸送トラックが昨日通ったかもしれないし、今走っているかもしれない。一般道路を走
るので、他の一般車両も周りをいつもどおり走っている。もちろん対向車だってある。トラ
ックには「放射性・近づかないこと」の文字があるが、小さいので近づかないと読めないそ
うだ。
 核燃料輸送の非公開の理由は、核燃料を盗まれないようにするため、つまり「核ジャック
防止」のためである。しかし一般道路で核燃料が輸送されているなんて考えただけでも恐ろ
しいものがある。幸い輸送車は無事ながらも、1972年の7月に千葉県柏市の国道上で、1989
年6月に岡山県の勝央サービスエリアで追突事故・接触事故が起きている。
 もし、核燃料の流出・放出事故が起きたら、非公開では付近住民の避難などが遅れてしま
う。核ジャック防止のためなら、情報はきちんと公開して、輸送車のまわりにパトカーや消
防車をつけて輸送した方が安全なはずである。


第三章 日本の不思議な原子力開発

 1  もんじゅからのぞく原子力行政

 1995年12月、福井県敦賀市に建てられた高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事
故が起きた。高速増殖炉とは、プルトニウムを燃料として使いながら、使ったプルトニウム
より多くのプルトニウムを新しく作り出す原子炉である。この事故では一トンもの冷却用ナ
トリウムが配管から漏れ、火事になったというものだった。冷却材に使うナトリウムは水や
空気と激しく化学反応を起こすため、高速増殖炉の危険性は以前から指摘されていた。原発
大国フランスでも実証炉「スーパーフェニックス」が相次ぐトラブルのため研究炉としての
利用に変更され、事実上高速増殖炉から手を引いていた。しかし「日本の技術は世界の最先
端であり、事故などありえない」と言う専門家、関係者の言葉に守られ「もんじゅ」は運転
されていた。結果としてこの事故では大量の放射能が放出されずに済んだ。しかしこれでよ
かったと言うわけではない。「もんじゅ」を運転していた動燃(動力炉・核燃料開発事業団)
の情報隠しが問題となったのだ。現場を撮影していたビデオテープを隠したり、カットして
公表したりしたのである。動燃を監督する立場にある科学技術庁にまでウソの報告がされて
いた。しかしウソの報告を見抜けなかった科学技術庁の責任も重大だ。
 原子力の安全性を管理する組織に原子力安全委員会がある。しかしその職員は動燃や電力
会社の研究者を含む科学技術庁の職員が事務を行っている。日本の原発の安全管理は、原発
推進派の人たちだけで行われているというとても片寄ったものになっているのだ。

 2  クリーンなエネルギーの裏の悲劇

 「もんじゅ」は配管の破損によるナトリウム漏れ事故だった。「もんじゅ」ほどひどい事
故でなければ、それまでにもたびたびあったし、最近でも新聞で小さく載ってることがある。
原発だって機械だから事故までいかなくても故障することはたくさんある。
 では、原発内でのパイプの破損や原子炉の中での故障などの修理、工事または清掃などは
いったい誰がおこなっているのだろう。
 全国の原発で働いている人は5−6万人。しかしその90パーセント以上は電力会社の社
員ではなく、下請け労働者となっている。実際は、下請け会社のさらに下請け会社の…とい
うように孫請け、ひ孫請けの会社の人たちなのだ。そしてその労働者たちが原子炉内の掃除
や修理などの作業をしているのである。重装備の服に身をかためて、ボロ雑巾で床についた
放射性物質をふき取る放射能除染作業にはじまり、ひび割れたパイプの補修、放射能ヘドロ
のかい出し、さらに放射性廃棄物のドラム缶詰め、放射能に汚染された作業服の洗濯、配電
盤や配線の点検・補修、パイプに詰まったゴミ掃除など、数百種に及ぶ作業があるという。
作業に入るときはマスクを被るのだが、すぐに曇ってしまうため、ほとんどの人はマスクを
外して作業をするのである。前にも書いたが、一般国民の放射線被爆限度が1ミリシーベル
トに対し、労働者は50ミリシーベルト。言い換えれば、一般国民の50倍の放射能を浴び
てもかまわないということだ。労働者の中には、一つの原発での作業が終わったら次の原発
へ、というような渡り鳥方式で働く人もいる。その人たちは普通の労働者の4倍くらいの被
爆をするらしい。実際に原発内で被爆し、ガンや白血病などの病気になり死亡していく人が
後を絶たない。
 1974年に原発被爆訴訟を起こした人がいる。下請け労働者として敦賀原発で働いていた
岩佐嘉寿幸さんである。岩佐さんはパイプの修理中に被爆し、後日異常な皮膚病にかかり、
大阪大学病院の医師らにより「放射線皮膚炎、二次性リンパ浮腫」のカルテが書かれ、大阪
地裁へ提訴した。これが原発被爆裁判「岩佐訴訟」である。政府と日本原電はさまざまな「権
威」を使い、第一審、第二審とも岩佐さんの訴えを退け、1991年12月の最高裁において
も上告を棄却した。岩佐さんは「国立大学病院の診断書が役に立たないのなら、被爆者は死
ねと言うことなのでしょう」と語った。
 岩佐さんのように裁判を起こそうとした人は他にもたくさんいるが、すべて金銭や国家権
力や圧力などにより潰されている。
 農業や漁業だけでは成り立たない小さな町や村に巨大な原発と巨額の交付金がやってき
て、住民は生活のために原発へ出稼ぎに行き被爆をしてしまう。「クリーンなエネルギー」
がどの電力会社でも原発の宣伝文句となっているが、本当に原発は「クリーン」なのだろう
か。その裏側におきている労働者の悲惨な日常を知る人はあまりにも少ない気がする。

 3  巻原発住民投票

 新潟県巻町で1996年8月4日に東北電力が建設を計画している巻原発に、賛成か反対か
の住民投票が行われた。88.3パーセントという高い投票率の中、有効投票数の61.2パーセ
ントにあたる1万2478票が建設に反対、賛成は38.8パーセントの7904票だった。しかし
この結果について、国や電力会社は「これまでどうり推進の活動を続けることを止める法的
な力はない」としている。
 確かに住民投票に法的な力はないが、地元住民の意識がはっきり示されている。仮に巻町
でなくても同じ結果だっただろう。住民の多数が反対しても、国や県が賛成すれば原発は建
設されてしまう。原発問題はエネルギー・環境問題だけでなく、民主主義とは何かというこ
とも問われることになったのだ。


第四章 原子力の未来は

 1  代替エネルギーはあるのか

 今、世界で一番使われているエネルギーは石油である。しかし、石油の埋蔵量には限度が
あり数十年後には枯渇してしまうと言われている。そこで、石油に代わるエネルギーとして
原子力発電が注目されるようになる。しかし、いままで述べたように原発には計り知れない
程の危険が詰まっている。
 では、危険な原発以外に石油の代替となるエネルギーはないのだろうか。代替となるもの
はあるのだ。ヘビーオイルともいわれるオイルサンドや、油を含んだ岩であるオイルシェー
ルと呼ばれる資源が世界中にあると言われている。
 他にも三洋電機の桑野幸徳さんは「ジェネシス計画」と名づけて太陽光発電を提唱してい
る。地球上の各地に大規模な太陽光発電所を作り、送電線で結ぶ。そうすれば、あるところ
が夜だったり雨が降っていたりしても、別の所で必ず太陽光を利用できるので、お互い電気
を送り合えばいいわけだ。どちらもコストはかかるが、量的には石油の代替エネルギーとし
て使える。つまり石油代替エネルギーとなり得るのは原発だけということはないのである。

 2  世界の原子力の行方

 では、世界の原発開発はいったいどうなっているのだろう。
 チェルノブイリの事故は世界中に原子力・核の恐ろしさを強烈に知らしめた。特にヨーロ
ッパ諸国には国境を超えて放射能の被害に遭ったために「原発見直し」の意識が高まった。
 自然をこよなく愛する風習のあるスウェーデンではチェルノブイリの事故後、2010年ま
でに国内にある12基の原発を廃棄することを決めた。電力のほとんどを原子力と水力で供
給しているスウェーデンだが、風力発電などを開発しながら、時間はかかってもエネルギー
を多消費する社会からの脱却を目指している。原発全廃を決めた最初の国である。
 イタリアでも1990年6月の国会で全原発の廃止が議決された。ほかにもデンマークやス
ペイン、スイスなども計画中・建設中の原発を放棄したり、見送りしたりする動きが見られ
る。世界最大の原発大国アメリカも1995年までの18年間に新しい原発の受注は一基もな
く、工業国フランスは1994年に2000年まで新規の発注をしないと決定した。
 これは、欧米の国々がチェルノブイリの事故を教訓として「原発見直し」の意識が高まっ
たことに他ならない。日本はどうだろう。チェルノブイリの事故の後、日本で運転が開始さ
れた新しい原発は16基。この数は世界で群を抜いている。原発の規模は世界第三位となり、
まさに「極東の核大国」となっている。この日本の様子を欧米の人々はどのような気持ちで
見ているのだろう。日本の原子力開発においてチェルノブイリの事故は、ニュースではあっ
たが教訓にはならなかったのだろう。

 3  温暖化問題での原発の位置付けは

 1997年12月、京都CO2削減のための国際会議が開かれた。「原発推進派の人たちの立
場が優位になるのかな」くらいしか初めのうちは」考えていなかったが、新聞を読んで驚い
た。日本政府はCO2削減のために、原発20基の増設を前提条件にしていたのだ。実現し
たらフランスを抜いて世界で2番目の核大国になるのである。
 最近の話題なので参考文献がないため自分の考えだけで書くと、温暖化問題と言うのは本
来、環境破壊防止のために考えなければいけないと思う。つまりエネルギームダ遣い社会か
らの脱却が目標である。温暖化防止のために原発を増設するというのは、環境や自然のため
でなく、間違いなく人間社会のことだけしか考えていない。原発見直しが求められている時
に「温暖化防止のために」が原発増設の理由ならば、それは言い訳としか考えられない。

 4  脱代替エネルギー

 今から10年前の一般家庭の電気消費量は現在の三分の二以下だった。しかし10年前の
暮らしはそんなに不便ではなかったと思う。その頃から石油の値段が下がり、省エネの意識
が薄くなったことが、電気などのエネルギーの大量消費をもたらした。そこで大量発電がで
きる原発が発展したのだろう。
 しかし原発は危険なものだ。国民の多くの人も安全だとは思ってない。それなら「自分た
ちで何かできないのか」と考えると、原発を必要としない社会を作ることである。現在、電
力供給の約三割が原子力発電である。10年前の電力消費まで節約するとしたら、原発に頼
る必要がなくなる。
 省エネに意識することで、自分たちで原発の要らない社会に近づくことができるのではな
いだろうか。


おわりに

 これまでに原発の危険性や問題点についてできる限り、浅く、広く調べたつもりだ。しか
し原発問題は一つ一つの分野でまだまだ考えなければいけないことがたくさん残っている。
 原発問題は、エネルギー問題、環境問題を超えて経済問題、政治問題そして人権問題と領
域がどんどん広がっている。
 第四章でも書いたが、原発の要らない社会は、自分たちの努力次第でも実現できると思う。
そのためには、やはり政治に興味を持ち、政治が間違った方向へ行かないように国民一人一
人が「いま」を見つめることが必要だと思う。


<参考文献>
樋口健二『これが原発だ』岩波ジュニア新書1991年。
七沢潔『原発事故を問う』岩波新書1996年。
高木仁三郎『プルトニウムの恐怖』岩波新書1981年。
西尾漠『原発を考える50話』岩波ジュニア新書1996年。
田中三彦『原発はなぜ危険か』岩波新書1990年。
広河隆一『チェルノブイリから広島へ』岩波ジュニア新書1995年。
広河隆一『沈黙の未来』新潮社。
杉浦正和『徹底討論 原発、是か非か』ほるぷ社。
藤田祐幸『脱原発エネルギー計画』高文研。
村田浩『人類は原子力と共存できるか』電力新報社。
『知恵蔵』1997版 朝日新聞社。
日本国勢図絵。
朝日新聞。