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OSSAN'S INC

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2004/12/20

我萌える、故に我有り  foxone師匠談


師匠には失礼ですが、言うまでもなくパクりです。パクりですが・・・

<(゜д゜;)> こんな顔をして、デカルト氏が知の地平で地団駄を踏んでいるのが目に浮かびます。

世のあらゆる事物の存在について疑いの目を向け、思索を重ねる自分という存在だけは、疑うことはできない、
というのが、「我思う、故に我有り」。
でも、疑いだの思索だのそんな面倒なことをしなくても、屈託のない笑顔ではしゃぐ水着っ娘や、おっちょこちょいで
運んだ料理を落として困り顔のメイドっ娘や、体操服姿の猫耳っ娘(すいませんすいませんすいま・・・)を目にする、
それだけで私達は、幸福感を得ている自分の存在を認めることができる。

デカルトの時代とは異なり、私達は情報化社会にあって、自分の趣味趣向に合ったものを好きなだけ選択収拾する
ことができます。
反面、ともすれば情報の波に揉まれ、自分という存在を見失いかねない社会でもあります。
師匠の言葉は、こうした自己喪失の危険について警鐘を鳴らし、己の幸福とするところ、欲するところ(萌え要素)を
知り、それに従って行動せよという指針・規範でもあるのです。

え、師匠、何ですか?

”そんな深い意味はない”?

ああ、そうですか、そうですよね・・・