強き者、その名はファジー

  著作権はオリジナリティを持つために必ずでてくる「生みの苦しみ」に対する対価である。

ネット掲示板で誰かがこう言っていました。

悲しい哉、我が国のすぐそばに著作権を理解しない、コピー商品製造世界1位2位を争う国々が存在します。
そればかりか、「起源は自分たちの方だ」とまで言い出し、あげくそれを既成事実にしようと画策する…
我が国にとってこれほど痛ましい事態はありません。

こうした事態を防ぐ手だては何か。

「真似しようとするものの実態が、日本人以外に理解出来ない」

これは一つの良策だと思うのであります。

翻って、「萌え」というものは形もなければ、分かり易い言葉で表現されたこともありません。
しかし、独自の経済基盤を築くまでに我が国では浸透しております。
何を持って「萌え」とするのか、という共通認識が、我々日本人には確かにあるのであります。

この共通認識が無い限り、見様見真似で描いても、萌え絵をコピーできたとは言えないでしょう。
故に、自分たちの方が起源だなどと嘯くことも出来ないのであります。

”No”とはっきり言わないファジーな民族性が、我々日本人にとっての最大の防御となり、
武器となり得るのであります!


でも、必要なときにはちゃんと”No”とはっきり言いましょう( ̄▽ ̄)b

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2006/3/5