ファジー<fuzzy>
という言葉が、突然変異的に発生し、一気に広まった時代がありました。
「曖昧な」という意味のこの言葉、
某都知事が、「『NO』と言えない日本人」と評したように、我々は物事を明確に、理論的に示そうとする欧米人に
比べ、適度なところで妥協を計り、落ち着こうとする。
そういう日本人のマインドが、「fuzzy」という言葉・理論として集約され、これを家電製品にまで利用しようとした。
そんな時代があったわけです。
当時は「ファジー機能搭載」と売り文句のついた炊飯器や扇風機で溢れたものであります。
(どこまで理論的に完成されていたのかは不明です。なにせfuzzyな日本人の成せる技ですので)
物事を明文化すること・しないことには、それぞれ一長一短があろうかと思われます。
簡単に明文化出来るものもあれば、初めから出来ないものも、世の中にはあるのであります。
もうお分かりかと思いますが、「萌え」を明文化しようと多くの方が試みておられます。しかし、明瞭で胸の空くよ
うな説明を、今まで目にしたことはありません。
にも関わらず私たち日本人は、それが経済基盤の一翼を担えるほど、「萌え」というものに対する共通認識を、
確かに保持しているのです。
「萌え」のようなfuzzyな文化が続々と日本に発生して欲しいと願います。
言葉にならないこと、曖昧なこと、これらは強力な武器となり防御となる、そう思うからなのでありますが・・・
−次回に続く−