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OSSAN'S INC

コーナートップヘ

・参照サイト様

http://uka.lib.net/yuge/kanata.htm
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/index.html
http://yokohama.cool.ne.jp/chinakiss/index2.html
http://someiyoshino.cool.ne.jp/NowOrNever/

http://www.fukudiary.com/

←自己研磨・・・ねえ。

「萌えとは?」で検索すると・・・

9000近いサイトがhitします。
よって見解も(九)千差万別です。

・ リアルな現実ではないが、自己の求める最高の理想。
・ 宗教によって保護されてきた恋愛の形態の崩壊によって、その代用として架空のものを愛すること。
  もしくは「偶像崇拝」(フィギュアとか)。
・ あらゆる形態の基となる、すなわちイデア的幸福。
・ 対象への到達不可能性による絶望が予め自らの内に含まれた「渇望」。
・ 意識的にせよ無意識的にせよ、主として性衝動を根源とする欲望の対象となる、高度に記号化・
  抽象化された存在に対し、それが不可能であると知りながら、むしろ不可能だからこそ、常にともに
  ありたいと希求する心の状態。

後の二つの見解には惹かれます。
「到達出来ないもの」「存在不可能なもの」、そんなものへの熱望こそが萌えの礎であり本質。
ガラス玉のような大きい目の女の子なんて存在しない。まして猫耳なんて。尻尾なんて。エルフなんて。
羽なんて。
無理に現実化を希求した結果、時にそれはいわゆるオタク系犯罪と化す。

では我々は、常に懇願するだけの傍観者たらねばならないのか?

次の言葉に、私は激しく同意します。
「いつか自分の理想とする「萌え」に限りなく近い女性と出会える事を生きる希望として日々を過ごし、
またその為に自己研磨に励む事こそ、「萌え」の真の意味と価値ではないでしょうか?」

萌え絵を描くことで「プチ」現実化を計り、それを積み重ねることによって自己研磨となす。
そうでありたい、そうであってほしいと願い、そうであることを今後示したいと切に思う今日この頃です。


                                     ※一部謝った表現がありましたことをお詫び申し上げます。

2004/12/16