王様の耳はネコの耳

「女の子は可愛い。ネコも可愛い。だから二つ合わせれば抜群に可愛い。」
というのはネコ耳っ娘が生まれた理由ではなく、単なる結果論であると思われます。

1978年に連載された大島弓子著「綿の国星」がルーツとされるネコ耳っ娘ですが、もっと以前から人は、人と獣との
融合体、もしくは中間体というものを空想して参りました。

かつてヨーロッパの人達は、人魚の存在を信じて疑いませんでした。
それは、「各動物の種の間には、必ずその中間種となる種が存在する。」という説を何の根拠もなく定説としていたこと
によるものです。
人と魚(この場合、特定のある魚類を指していたのかも知れませんが)の間には必ず中間種が存在する。
彼らがジュゴンを人魚と間違えた、というのは、想像図や絵本で見られるような人に近い人魚の姿ではなく、あくまで
「中間体」としての人魚をジュゴンに見出したからなのでしょう。

こうして今も語り継がれる人魚ですが、彼らの定説に依るならば、彼らは「人と魚」以外にも色々と考えたはずです。
「人狼」もその一つではないかとも思われますが、では「人とネコ」は彼らの発想になかったのか?
古くからペットとして飼われてきて、自分らに非常に近いところにいた彼らを見逃していたはずはありません。
ネコ耳っ娘の発想の根幹は、意外にもこんな遠いところから来ているのかも知れません。

ネコ耳っ娘は「萌え」の発信地である日本の発想であって、ヨーロッパは関係ない?

では次は日本での「中間体」のお話をいたしましょう。

                             つづく
                               (本当に続く・・・かも知れない

メニューへ

OSSAN'S INC

コーナートップヘ

2005/1/8