[独占インタビュー]
高原直泰(ジュビロ磐田)

「原点から頂点へ、雲の切れ間の兆し」
額のたんこぶが高度に原点を思い出させた。
ボカ・シュニアーズで戦っていたころの、燃えたぎる闘志。
迷いの雲の切れ間に光が差し込んたようだった。
待ちこがれた5年ぶりの日本人得点王、覚醒の理由。


    【鷹・タカ】 中型から大型の、昼行性の猛きん(肉食の鳥を指す)。極地をのぞいて、世界中に広く分布する。頭は短く、翼は広い。くちばしは鈎(カギ)状。足は極めて強く、爪は大きく鋭い。木の枝上や崖といった困難な場所に巣を設け、高い場所から獲物をさがす。大きな翼と、太い足と鋭い爪で、獲物を手に入れるのは素速く、うまい。飛ぷのがうまく空を美しく舞う。

 激しさと静けさ、大胆さと繊細さ、よく言われる泥臭さよりも洗練、こういった相反する要素が、ゴールに向かう途中に何度も現われる独特な雰囲気を例えるならば、おそらく「鳥」であるように思える。
「鷹」である。ニックネームと同じ。
 抑揚は違う。
 様々な鳥類図鑑の解説から特に、広い翼、強い足と鋭い爪、獲物を狙う前の静けさと、美しく飛ぶ姿が、J1で今季26ゴールをあげ3年ぶりの日本人得点王をついに手にした高原直泰のプレーを、実にわかりやすく表現しているように思う。
 夏が終わる頃から、力強さと、どうにもならないスピードと、安易に言われる泥臭さなどといった言葉とは対極に位置する、動きに常に漂うある優雅さをもって、タカという名のストライカーの輝きは、1ゴールごとに増すばかりである。途中交代に「時間が足りません」と、唇を噛みしめていたちょうど一年前のイタリア戦、指先ほどの血栓に、夢の流れまで止められた5か月前のW杯ベルギー戦、場所は同じ埼玉スタジアム。そして再び上がった舞台の目前には、「彼ら」がいる。アルゼンチン戦で受けた無数のファール、彼らを慌てさせたはずの3本のシュート、これらのディテールを改めて、ぜひ聞きたい。

 クラブハウスの向こうに沈む夕陽を正面に受け、ファンにサインをし終わると、高原は一度、車を走らせる。急ぎなのだろうと諦め、進路を離れ、脇に立つ。すると、真横に車が寄ってきた。ウィンドウを開け、「どうもすみません、お待たせしました」と、シャイな笑顔をのぞかせ、頭を下げる。
 こちらのポジションは、とっくに確認済みか。相手に悟られずに、自分は全てを把握する──無論、狩りの掟の第一歩。
「改めて、アルゼンチン戦の収穫は」
 ステレオのボリュームを下げ、間を置く。
「痛み、ですか」
 センターバックのアジャラ(バレンシア)からの激しい当たりで、左の額には大きな、赤いコブができていた。丸一晩、文字通り、「頭を冷やし」たものの、髪を剃り落とした形の良い頭に、新しい火山でも生まれたかのようなユーモラスな隆起が見える。

「ぶつかられた瞬間、ガツン、と骨がきしんだみたいな音がして、ものすごい痛みとともに、何クソ、と心から闘争心が湧いてきました。あの痛みで、全てが、一瞬で蘇ってきたんです。アルゼンチンで苦しかったこと、初めてボールを受けた日、悪い芝の上で思い通りにプレーできずにイラ立っていた自分、倒されてばかりの激しい当たり……懐かしい痛みがすべてを思い出させてくれました」

 笑顔は、充実のシグナルである。試合中、双眼鏡の奥を確かめるたび、高原は嬉しそうであった。倒されても、蹴られても、肘打ちのあまりの息苦しさに胸を押さえながらも、なぜか笑顔で立ち上がる。

「試合前は、僕自身、久しぶりにもの凄く緊張していたんですね。でもその緊張感が あの痛みで消え、そうだ、これだ、この痛みだ、毎日感じていたのは、と、嬉しさに変わった。日本でも感じられないわけではありませんが、一つのマークでも、怖いというか、本当に刺されるような鋭いもので、僕が求め続けていたのはこれだった、と。どこかで忘れかけたものが蘇ったんです。もちろん1点が欲しかった。それには不満は残ります。けれどもいろいろなものが、全て、はっきりした90分でした」

 昨夏、飛び込んで行ったボカで得たものが何かと繰り返し聞かれる。激しさであり、強さであると答えてきたが、一方では、言葉で表現できない感覚も体のどこかでずっと静かに眠り続けていた。アジャラに見舞われた強烈な肘打ち、DFからの激しい当たりは、眠っていたイメージと感覚を一瞬にして溶かし、熱く、太い血流を体中に送り始めるポンプ役となったのだろう。

「原点です。あの90分でそれを取り戻すことができました。目には見えませんが」

 世界中のリーグに分散し、ゴールを量産し、激しい生き残りに勝利する、「ストライカー王国」との一戦は、日本からそれを目指す23歳のエースにとって、自らを映し出す鏡でもあった。

 今回を含め4度の対戦では1得点(95年三浦知良)9失点。日本代表が世界への足場を築き始めたオフト監督時代の92年、加茂監督のスタートとなった95年、そして初のW杯で対戦した98年、アルゼンチンは、日本代表の重要な節目の姿を映し出す、実に不思議な鏡でもある。
 4度目の対戦となった今回もまた、新生日本代表の節目である。0対2で試合が終了した埼玉スタジアムのミックスゾーンは、高原とは別の意味における「原点」を取り戻そうとしていたアルゼンチン選手が、日本選手とミックス状態のまま取材を受け、混乱していた。
 ダメ押しの2点目、自ら「セレステ・イ・ブランコ」(白と水色=代表の意味)における19ゴール目を奪ったクレスポは、早歩きで、しかも早口である。

「バティストゥータ(ASローマ)が去った今、次は私の番だと言われていることは自覚はしている。W杯を置き去りにしたここ日本での勝利と、私のゴールは、まさに新しいスタートにふさわしいと思う」
 タカハラ、の名前を告げる。名前を聞き返されることはない。
「ボカでプレーしたことは知っている。今日のプレーを見る限り、彼には独特の雰囲気がある。欧州に移籍しても少しの驚きもない。ストライカーとしてのアドバイスがあれば? ない。ただしこれだけは言える。世界中どこのリーグでプレーしようとも、どれほど激しい当たりや厳しいマークをされようともFWの仕事だけは変わらないとね。私たちはとても孤独で、相当な覚悟がなければヨーロッパのどの国でも成功はおぼつかない」

 アルゼンチン選手として、W杯歴代1位となる10点をマークし、セリエでも得点王を獲得したバティは代表を引退。アルゼンチンの象徴となるべく後を追うクレスポ、C.ロペス、オルテガ、20歳のサビオラと、輝石は続々とピッチに散りばめられ、アルゼンチンの、世界中のリーグで強烈な光を放ち続ける。

 高原によれば、リーグとしてアルゼンチンとの間にレベルの差はない。クラブでもおそらく。しかし1対1の勝負ならば、差ではなく違いがあるという。自身が「刺すような」と表現した殺気であり、常に痛みを介在とするような実存である。アルゼンチン以前の若きストライカーには持ち得なかった感覚であり、今となっては、持ち帰った無二、最高の技術ともなる。

 アジャラは、テレビクルーのスペイン語に立ち止まり言った。
「タカハラにファール? もちろん、彼から私にも。国際試合の激しさを、今日は存分に味わえた。大変満足している」
 アジャラもまた、高原と同じように、肉離れによってW杯代表レギュラーから離脱せざるを得なかった一人である。高原がせめぎ合いの中で得た痛みによって何かを取り戻したように、アジャラもまた、このl対1において復活への基盤を築く。

「クレスポ、オルテガ、C.ロペスとの対戦は、何かをもたらすことになりましたか」
「もちろんです」
 高原は、強い口調で続ける。
「決定力が何かを彼らは世界中で示しています。もちろん自分もああいう世界的ストライカーになるのだと、強い気持ちを今は持つことができます。その試合で、その大会で、チームで、そしてその国にとって絶対的な存在のストライカーになるために、すべてのボールを僕にくれ! と言える存在にならなければ」

 これまで、この年齢にして不公平である、と誰かを、何かを恨んだとしても決しておかしくはないほどの経験を味わってきた。
 しかし、2002年11月20日、23歳の原点と、進むべき頂きへの道筋両方がもたらされた。地理において、サッカーにおいて、ストライカーの存在価値において、日本とは対極にあるかもしれない、彼の2つめの故郷によって。

 今季26ゴールの内訳もまた、充実ぶりを如実に物語っている。左足5ゴール、右足12ゴール、さらにヘディングが9ゴールとバリテーソョンに富み、何よりも斬新なイメージに溢れていることは、1試合で2得点以上を奪った試合が7度もある驚異にも現われている。これらのゴールを分かち、共に生んでいた中山雅史は(16点5位)、心強き相棒との動きの科学性を、「適性距離を常に測り合うことにある」と言う。2トップを組んで2年、互いの連携についてピッチ外で話し合ったことは、実は一度もない。

「タカとはお互いの距離と位置を常に見極めるんです。近すぎず、遠すぎず、付かず離れず。今年ほどこれが正確に測り合えた一年はなかったように思います」

 帰国当時、一人でボールを持ちすぎ、潰れるプレーにもがいていた姿を、後方から黙って見守っていたMF藤田俊哉は、高原の技術の高さを強調する。
「タカは日本のFWの中でもっとも高い技術を持つ一人。ボールをはたいて、キープして、あの懐の深さで切り替えして行けるのは、大変な技術です。帰国当時もがいた分、生まれた心のゆとりが、ボールをキープするエリアを広艶囲にしている」
 自身も熟知しているように、熱意と努力と調子だけでボールは奪えない。攻守の連携ともう1つ重要なのはイメージである。今もっとも巧く働いているストライカーの機能をあげてほしいと頼んだら、きっと「イメージ」と言うのではないだろか。

「もちろん、まだ増える可能性はありますが、今の時点でのベストのゴールはどれになるでしょう」
 まるで、大切な人を思うような優しさで、高原は深く考え込む。
「いや、全部。全部すごいですし、どれも素晴らしいと思っています。1つのゴールが次のゴールのイメージに繋がる。そうしてまた次のゴールのイメージが湧く。こうやって得点を積み重ねることができたのは、自分でも初めての経験です」
「ゴールは自分の姿だ、と以前話していましたね。表現だと」
「ありのままの自分、持っている全てをシンプルに表現したい。それができるようになり、このゴール数に結びついたんです」
 次なるイメージの完結は、世界のどこのピッチで、いつ、どんな風に。

●高原直泰(たかはらなおひろ)/1979年6月4日、静岡県生まれ。23歳。清水東高を経て、98年、ジュビロ磐田入団。2001年にアルゼンチンのボカ・ジュニアーズに移籍し経験を積む。今年2月こ磐田復帰。ワールドカップ出場はエコノミー症候群で叶わなかったが、その鬱積を晴らすがごとくJlでゴールを量産した。181cm、76kg。

(「SPORTS Yeah!」No.056・2002.12.6より再録)

 
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