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【欧州復興】 「2006年への礎」 〜2006ドイツワールドカップ組織委員会直撃レポート〜
アジアで初のワールドカップ開催となった2002年日韓大会を 2006年ドイツW杯の、ひとつのテーマは「チームスピリット」に定められた。「生活でも、スポーツでも、とりわけサッカーにおいて個人主義を尊重する欧州にあって、もっとも希薄な精神です。初の共催、初のアジアでの大会から私たちが学び取ったのは、全体を思い助け合う気持ち、チームスピリットでした」 フランクフルト、国際空港と渡り廊下で接続するビルの4階、エレベーターを降りて歩く通路には、ベッケンバウアー、ミュラー、リトバルスキーら母国の英雄を写した写真が飾られ、GKカーン、FWクローゼら、今大会の決勝の写真が、壁に掛けられるのを待って立て掛けられていた。現在、フルタイムで働く職員は20人で、来年から増員を始め、最終約には300人程度が同組織委員会を動かすことになる。日韓W杯期間中、同氏ら十数人が両国に分かれて滞在。広報活動のほか、関係者、ボランティア、普通のファンと交流し、資料、パンフレット関係だけでも数千種類を集め、次大会を模索した。 日韓大会ではフーリガンによる事件が起きなかったこと、そして、そうした緊張感、サッカーに常につきまとう負の社会約背景がクローズアップされなかったことによって、人々が純粋に、交流を含めて心からサッカーを楽しんでいる普通の姿を目撃することになったという。決勝は日韓両国ではないにもかかわらず、ブラジル、ドイツが日本の声援を受けていたことも、組織委員会には「ある意味のカルチャーショックだった」と、グリットナー氏は言う。 日本がいくらこぶしに力を込めて4年後への意欲や決意をみなぎらせたところで、すべては3年後のアジア予選で始まるに過ぎない。すべてが約束されていた98年フランス大会後に「2002年」を口にしたときと、状況は全く違っているからだ。大切なのは、こちらから向こうを見る片道の構図ではなく、スタートとゴール、点と点を結ぶ道のりを把握することだろう。そのための材料として、ドイツ組織委員会がすでに様々な試みをスタートし、日韓W杯から何を生かそうとしているかを知ることは無駄なことではない。 無論、重要な案件はチケット問題である。これについては組織委員会の独断では動くことができず、様々な特許も絡んでいる。組織委員会ではなく、FIFA(国際サッカー連盟)に問題の根があることも事実で、組織委員会の副会長、シュミット氏は、9月に行なわれるFIFA理事会(スイス本部)に打して、意見書、質問所を提出。同氏は、日本、韓国、ほかの国も「この問題についてFIFAと論議をし、抗議するべき点はしなくてはならないはずだ」と発言している。 すべてが初だった今大会と違い、74年にW杯を開催し同時に優勝を果たした国で、思い浮かぶ困難はそう見つからない。ミュンヘンなど12の開催都市の運営、9つを新築とするスタジアムやインフラの整備、キャンプ地の役割、ドイツサッカー協会に属する会員650万人の存在とボランティア、とれも未経験のものではなく、組織委員会が求めているのは「大会を成功させること」ではなく「どう成功させるか」の「プラスアルファ」を得ることにあるように見える。 何よりのプラスアルファは、2002年準優勝の結果であり、これを持って04年の欧州選手権制覇、地元開催で4度目のW杯優勝を狙おうという強い動機に支えられている。欧州選手健は2006年のために組織、強化両面で重要な大会となるものだ。 強固なフーリガン対策で 組織委員会が「最大の課題」と位置付けるフーリガン対策、警備については、すでにある戦いが始まっている。 「パリの悲劇」と彼らが呼ぶ事件が、98年から今も深い傷として、また教訓とLて存在することが最大の要因である。98年フランス大会期間中、ドイツのフーリガンがフランス人景観を襲い、警官は下半身不随に追い込まれた。ドイツのコール殊勝(当時)が「国民的な恥」と謝罪、保障を約束し、シラク大統領と会談するに至った国際問題でもある。 フーリガンが絡む事件、事故を回避するという強い意志は、イギリス、オランダの政府、内務省に協力を得ての、国境を越えた大プロジェクトとなる。リストでは、過去に事件を起こした者をカバーしており、ドイツに隣接する10か国から国境をまたけないようにすることを最終的な目標とする。データの共有、追跡調査の長期プロジェクトで合同する点は、これまでとはまた一段階上の協力体制となり、これがドイツW杯の成功を支える基盤となるはずだ。 一方こうした厳格な警備、強固な姿勢を貫くことによって、対極の思想をも実現しようとする初めての試みが計画されている。 サポーターの強い味方となる 警備様、すでに、かなりのスピードで動き出している準備が、キャンプ地の整備である。 あまりにも早い、と関係者を苦笑させた動き出しも、むしろ、環境整備といったひとつのアピールポイントに変換した。組織委員会は、早くも今年年末には第一選考として、100か所程度のトレーニング地を決定する。1か国(32か国出場)について大体2、3か所が候補にできるような計算である。条件も公示された。
グリットナー氏も「勝敗だけに徹して外界と遮断される1か月などあり得ない。選手は普通に人々と交流し日常生活を送る、それこそが最大のもてなしでしょう」と前提し、9月下旬には候補地からの書類を選別する具体的な会議がスタートするという。 日本での開催にあえて課題を見つけるならば、アクセスにある、と組織委員会のレポートは分析する。宮崎でキャンプを張ったドイツが札幌へ移動したことは、決して無理ではなかったが、大会後のリサーチによれば選手、またメディア関係者、サポ-ターにとっては「その方法、費用、時間において大きな負担になった」との、現場からの意見が多く寄せられている。 このプランによれは、例えばベルリンで試合を観るケースで観戦チケットと、最初にベルリンに入る何らかの切符を入手すれば、近郊のかなり広い範囲において、その後に使用する交通機関の移動を無料にしようという試みだ。 ボランティアについては、ドイツサッカー協会傘下のクラブ2万7000、会員650万人を持っているだけに不満は一切ないと見ている。「もっとも楽観的な準備のできる部門」(広報)との見方は、W杯優勝回数2位の誇りの部分であろう。 (「SPORTS Yeah!」No.051・2002.9.27より再録) |
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