[独占インタビュー]
リオ・ファーディナンド
Rio Ferdinand MANCHESTER UNITED #06 DF

「タイトルを獲るために、マンチェスターに来た」
2002/2002シーズン開幕直前、電話インタビュー


    50歳くらいになって、
    あのとき移籍しておけばよかった、なんて
    後悔だけはしたくなかったんだ。

──リオさん? 今日はシーズン開幕直前のお忙しいところ、協力してもらいありがとうございます。
リオ・ファーディナンド(以下リオ) どういたしまして。こちらこそよろしく。

──ところで、ちょっと身元確認を……。
リオ なんでまた?

──電話なので顔が見えませんし。ご本人しかわからない話を少し聞かせていただこうかと。
リオ ハハハ、オーケー。

──お母様はイギリス人、お父様は確か違う国のご出身ですよね。
リオ 難しい質問だね。そう、カリブ海のセント・ルシア島出身だ。

──きょうだいは6人、リオは長男ですね。2番目の弟さんの年齢と、どこで、何をしてらっしゃるか教えてください。
リオ なかなか詳しいねえ。弟は17歳。なんとウエストハム・ユナイテッドに入ったばかりで、センターバックをしている。時間があればできるだけ弟の試合を観に行くようにしているよ。

──弟さんが、あなたと話すときの口癖は。
リオ 「You're Rubbish!」(最低)だ。

──イングランド史上最高額の選手に向かって、大胆にも「最低」と言うわけですね?
リオ 仲がいいから思ったことを口にできるんで、弟は素晴らしい存在だ。彼はサッカーで何か悩みがあるとすぐに電話をかけてくるし、レベルが違うなんて思ったことがないよ。彼もお世辞を言わない性格だから、「今日の兄貴のプレーはサイテーだったな」って、そのまんまを言う。だけどその意見はとても貴重だよ。プロになるのが先決だけど、将来代表に選ばれる選手になってもらいたいね。

──さて、弟さんの口癖、「サイテー」が出ましたので、本題に入りましょうか。
リオ オーケー。

──英国史上、移籍最高金額を更新しましたね。この夏、世界中が注目しています。この金額を開いたときの感想は?
リオ 子供の頃から、僕にお金を払ってくれる人がいるなんて思ってもみなかったからね。こんな金額は、まったくクレイジーだとしか言いようがない、そう思った。

──ずいぶんと冷静ですね。批判、憶測も飛び交いました。
リオ 今のやり方なんだから仕方ないよね。自分で決められることではないし、流れに任せて双方のクラブが決めたことに従うしかない。チャンスが与えられたことに感謝をしたいと、新しいシーズンを迎える今、思っているところだ。だって、もし50歳くらいになって、ああ、あのときマンチェスター・ユナイテッドからオファーがあって、チャンスがあったんだよな、移籍しときゃあよかったな、なんて後悔をしたくないからね。渦中も、僕と家族は金額ではなくて、マンチェスターでプレーをすることはどんな意味を持つんだろうと、本質的な価値に目を向け、話をしていた。僕自身、お金のことについて話すのが好きじゃないし、マスコミで話題にされる金額とか駆け引きには興味がないね。

──マンチェスター・ユナイテッドへのイメージは。子供の頃はファンでしたか?
リオ いや、ロンドン出身だから子供の頃はファンじゃなかったね。でもこの10年、彼らの活躍を見てきて、あの一員になることができたらいいなとは思っていた。だからそのオファーが現実のものとなったとき、断ることはできなかったんだ。今では100%、マンチェスター・ユナイテッドの一員だよ。

──ファーガソン監督のことは、好きになりましたか?
リオ 実際は、まだそれほど詳しくはない。ただ、マンチェスターでプレーすることは、アレックス・ファーガソンのもとでプレーすることと同じなわけだから、とても楽しみにしている。開幕すれば、もっといろいろなことがわかるんじゃないかと思うね。

──これほどの金額、評価に対して、これから先、感じたことのないようなプレッシャーを味わうことにはならないのでしょうか。
リオ プレッシャーは感じてはいない。ウエストハムからリーズへ移籍したときと似ていて、あの時も確か1,800万ポンド(当時約33億円)だったかな。でも金額はどうでもいい。試合に出て、自分のサッカーをするだけだし、日々上達して、いい選手になることが大切だと思っているんだ。金額と努力は無関係で、努力を怠ってはいけないし、その心がけを周りが評価するならそれでいいんだ。

    憧れのDFはベッケンバウアー。
    ひとつでも多くのタイトルが欲しいし、
    まだまだ成長できるはずだ。

──ロラン・ブラン、ウェズ・ブラウンといった選手からレギュラーを奪うことはできますか。
リオ うーん、才能あるディフェンダーがそろったチームだし、開幕の日に誰がどの程度、ベストな状態を作っているかによるんだと思う。チームが高価な買い物をしたからって、自動的に試合に出られるわけじゃあない。もちろん移籍金の高さで出場するチャンスまで買ったというわけじゃないしね。このオフは、はっきり言って毎日がむしゃらにトレニーングをしていたよ。

──マンチェスターは代表選手も多くいますね。順応するのは比較的楽なようにも思えますが、どうでしょうか。
リオ そう、おおいに助かったね。ほとんどの選手と顔見知りっていうのはよかったと思うよ。ベックス(ベッカムの仲間うちの呼び名)、スコルジー(ポール・スコールズ)、ネビル兄弟、ウェズ・ブラウン……ほかにも大勢いるけれど、代表でチームメイトだった選手が多いと溶け込むのも早いね。

──ベッカム選手とは、同じ地域出身でもあるんですよね。意識しますか?
リオ このチームの結束力は素晴らしいもので、誰がどこの出身かなんて意識はないよ。話し方はそれぞれの地域で違うかもしれないけれど、皆、自分のルーツには誇りを持っている。僕もね、ロンドン・ボーイズ(ロンドン出身)のサッカーこそ一番優秀だと思ってるさ。でも大事なのは、サッカーへの意気込みが皆を繋ぐってこと。イングランドはそういう姿勢がとても強いしサッカーはひとつの言語なんだよ。その点で、世界がサッカーで学ぶことは多い。

──ロンドン・ボーイズ時代はMFだったんですよね。DFとしてこれほどの成功をすると思っていましたか。
リオ 16歳までね。マラドーナみたいに、スキルも高くてゴールも狙えるっていうスタイルを追求していたんだ。そうしたらユースの監督に、キミはセンターバックの方がいいんじゃないか、一軍で早くからプレーできるぞってアドバイスを受けて転向した。夢はプロになることだったから、ホジションにこだわっている場合じゃないと思ったね。夢を実現することのほうが先さ。だからやったことがなかったのにがむしゃらに練習し、ここまで来られたんだ。万事オーケーとしよう。

──理想のディフェンダーはいましたか、あるいはプレースタイルはありますか。
リオ ワオ! 難しいなあ。うーん、ベッケンバウアー(ドイツ)、ライカールト(オランダ)、ザマー(ドイツ)……。

──攻撃的なディフェンダーぱかり。
リオ そこが気に入っている。自分がやりたいのはディフェンスじゃなくてサッカーだからね。ゴールを守るのも大事だけれど、自然に体が前に行くようなチャンスはどんどん飛び出して行きたいね。

──自分がほかの選手より優れている点は。
リオ 特にない。分析ほ人様の仕事だ。

──自分はすでに成功した、と思いますか。
リオ 23歳で? 冗談じゃないよ。まだ優勝を体験していないし、タイトルを獲りたいと思うからこそ、ここに移籍することを決意したんだ。いろいろな成功があると思うけれど、僕は、偉大な選手はいいチームに恵まれてタイトルをどんどん手中にすると思っている。チームとして勝てなくても、素晴らしい才能に溢れた選手はいるけれど、僕は違うね。ひとつでも多くのタイトルが欲しいし、もっともっと良いプレーヤーになりたいんだ。学ぶべきものは山程あるよ。

──満足はしていないわけですね。
リオ 全く。何もかも、もっと強くなる必要がある。史上最高韻金額での移籍をして、世間はこう思っている。もうアイツは上手くならないだろうって。僕はそれが大きな間違いだってことを証明するために、どんどん上手くならなくてはいけないのさ。

──本音ですね。W杯の経験は生きますか。
リオ 本当に大きい。世界中が注目する中でプレーするプレッシャーの凄さを実感したけれど、僕はそのプレッシャーが大きければ大きいほど楽しめるし、自分を見失わないこともわかった。ベスト8を誇りに思うよ。個人的には大ファンのロナウド(ブラジル)と対戦したことがハイライトだ。全く素晴らしい選手で、同じピッチにいるだけで感激したよ。バティストゥータ(アルゼンチン)も凄かったね。

──向上心に満ちた開幕となりますね。
リオ W杯では選手として向上できた。これからも何かを学び続けられる選手でいたいよね。実際、移籍金がどんなに高くたって何も買えないこともまた事実なんだから。

「ロンドンの中心から南にある地域、ペッカムが僕のホームタウンなんだけど……」
「えっ、ベッカム?」
「いや、ベッカムじゃない。ペッカムだ」
 何やら紛らわしい地名で、電話で笑ったが、ロンドンの中心から南にある「Peckham」が、彼の「故郷」である。イングランド史上最高額、3,000万ポンド(約55億円)でマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を果たしたディフェンダーが高級住宅街出身で、品行方正、恵まれたクラブで英才教育を受けてここに至ったのだとすれば、この移籍にこれほどのインパクトはなかったのではないか。
 ロンドンの中でも治安が悪く物騒なことで知られる地域のひとつである。ファーディナンドによれば、ギャング同士の抗争も絶えない程だったという。しかし、大家族で裕福ではなくとも、サッカーに夢中になるあまり、こうしたトラブルには無縁の「輝く少年時代だ」と笑う。こうした背景は、ウエストハム、リーズと、常に飾らない、ワイルドな魅力のシンボルでもあったが、マンチェスターとなると趣きは変わる。リーズファンは、心中穏やかではないと聞いた。しかし、電話の声には、地域独特のイントネーションが依然強く残り、ペッカムの友達と今も連絡を取り、食事をすることへの喜びに溢れていた。
 3,000万ポンドの個人的なストーリーはどうやら「小切手の数字がいくらでもリオは変わらない」ということのようだ。しかし業界に対する衝撃はそれにとどまらない。

「金額を知ったときには信じられませんでした。今後、この金額が更新されることはないでしょう。23歳という才能、マンチェスター・Uであることなど要因を分析していたとしても、驚きは変わりませんね」
 W杯で2ゴールをあげ、アーセナルからフルハムへの移籍を果たした稲本潤一の代理人である田辺伸明氏は、ちょうど在英中で、プレミア全体の衝撃がどれほどのものだったかを実感したと話す。代理人、クラブの市場では、今オフ「移籍で金を使い果たすような真似はやめよう」としたビッグクラブの申し合わせが、大きな影響力を持つと考えられていたこともある。昨年のジダン(レアル・マドリード)、一昨年のフィーゴ(同)といった選手の移籍金が天井だと誰もが思っていたところに、3,000万ポンドの衝撃である。しかも英国内ではなく、DFとして考えれば過去の移籍金史上最高額となる。選手という人権が、こんな金額で投資、駆け引きの対象とされるネガティブな要素は見逃せない。しかし、そうした嫌悪感だけでは終わらない。

 ひとつの変革は、長い間、ピッチに存在してきた「階級制度」に起きたことになる。攻撃的ポジションの選手ではなく、純粋な守備の選手にはこんな金額が提示されることはあり得なかった。しかしマンチェスター・Uの投資は、従来の階級制度を越えても、新しく、若いスター、それも自国の選手をクラブのシンボルとする明確な信念の現われであった。アーセナルのベンゲル監督は「あまりに高すぎる」と批判したが、これは移籍そのものへの枇判というより、もう1点の「チーム作り」における変革を意味していた。

 DFを動かすことは、チームにとって困難な選択である。反対に攻撃陣はリスクも少ない。動きにくいポジション、つまり全体への評価、計算がしづらい位置において、こんな冒険がされることもまた、今回の移籍がサッカーに与えた衝撃のひとつである。
 サッカーを観るファンの目線が、ハーフラインから何十メートルか後ろに釘づけになる点で、Jリーグにもたらす影響も少なくないだろう。移籍金ではないが、JリーグのDF最高年俸獲得選手は、鹿島の秋田 豊、8,100万円(推定)である。

「自分の海外移簿や、人様の金額には興味がないけれど、リオは大好きな選手でプレーには一番注目をしている」
 ファーディナンドと同世代の松田直樹(横浜F・マリノス)は言う。将来、DFとして移籍をリードするであろう松田、森岡隆三(清水)、中田浩二(鹿島)、また成熟期を迎えた中田英寿(パルマ)をはじめ、鈴木隆行(ゲンク)、中村俊輔(レッジーナ)、広川望(ブラガ)が新しく欧州に移籍し同じマーケットに並ぶ以上、今回「DF」で起きた移籍がただ「外国で起きた、日本とは無関係な話」で終わらないことも事実であろう。まして数日後には、日本人初のプレミアリーガーが、誕生するかもしれないのである。

 55億円でリーズからわずかに70キロほどの距離を移動したファーディナンドは、「まだ何も始まっていないことを忘れないでくれ」と言って、電話を切った。

■リオ・ファーディナンド/1978年11月7日、ロンドン生まれ。95年にウエストハム・ユナイテッドでデビュー。2000年には1,800万ポンド(当時、約33億円)でウエストハムからリーズ・ユナイテッドへ移籍し、当時の英国史上、最高移籍金を記録。今回のマンチェスター・Uへの移籍で自己の持つ記録をさらに塗り替えた。188cm、76キロ。

(「SPORTS Yeah!」No.048・2002.8.16より再録)

 
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