乗り遅れるな、幸運という名の列車に!
〜サルバトーレ・スキラッチの語るワールドカップ得点王という人生〜


1990年イタリア・ワールドカップにすい星のように現れ、
母国の「救世主」となったサルバトーレ“トト"スキラッチ。
まったくノーマークの存在から世界の得点王になるというのは、
いったいどんな人性なのだろうか。
第2の自分を育てるべく故郷でスクールを開くスキラッチを訪ねた。

    慌てちゃダメだよ
    キスはしたかい?
    まずは神様に
    ホラ、幸運のキスをして

 ドメニコ・スキラッチは、通路を走り回る子供たちの頭を強く抱きしめ、耳元で優しくささやいていた。みんな、走りたくて、走りたくて仕方ないのだろう。上半身を抱きしめられても、足は止まらない。
 仲間を見つけるたびに恥ずかしそうな笑顔とともに、お互いにキスをし合う。小学生の挨拶にしてはどこか大人びている。
「ここでは、子供たちもみんなそうするのさ」
 5月なのに風が冷たい日、シシリア島・パレルモにある「サルバト―レ・スキラッチ、サッカースクール」では、サルバト―レ・スキラッチの父、ドメニコがそう言いながら、スクールにやって来た子供たち一人一人を抱きしめ、キスをし、ロッカーに押し込んでいる。
 天然芝のピッチが2面、建設していたフットサル用のコートも完成した。5面を持ったスクールの芝は、一年でもっとも美しい季節を迎え、照明に鮮やかに輝いている。その中心に、90年イタリアW杯、7試合で6ゴールをあげて得点王となったトトが立っている。
 ドメニコは「夜のクラスが始まるこの時間は、まるで戦争のようだよ」と笑う。所属する子供たちは、3歳から高校生まで数百人になり、これに他のクラスを入れれば、現在、生徒は600人を超えている。

「息子があんな年齢の頃、私はこうしてスクールに見送っていたんだ。神様のご加護にいつでも見守られるサッカー選手であって欲しいってね」
 未熟児で生まれ、身体は他の子供たちよりも小さく、家も決して裕福ではなかった。子供の頃から無口で、寡黙で、コーチの言うことは素直に聞き入れた。
「わかったかい?」と聞かれると、返事をする代わりにゴールを奪う、そんな子だったという。
 そんな子がいつかW杯で、得点王になる日を願っていたのだろうか?
 ドミニカは、首を大きく横に振って手を広げる。
「あれだけは願ってどうにかなるものじゃあない。イタリア・ワールドカップの初戦でさえ、私たち家族は、彼がベンチに座る姿を見ただけで、本当に感動したものだ。彼だってそうだろうね、まだほかに欲しいものなんてあるのかいって」
 ジュニアクラブに所属し、か細い身体とスピードと、その負けん気でプレーをしながら、ここパレルモでタイヤの修理工を目指した日々。
 W杯史上、「最も意外性にあふれた得点王」といわれる「トト」がピッチを仕切る扉を開けてやって来る。
 父子は肩を叩きあった。
 そして軽くキスをした。

 今回のイタリア代表には大いに期待をできると思う。なぜなら、過去にも例がないほど、攻撃的な才能を持って生まれたアタッカーが勢ぞろいしているからだ。
 インザーギ(ミラン)、モンテッラ(ローマ)、そしてビエリ(インテル)、トッティ(ローマ)デルピエロ(ユベントス)も、1点で大会の行方を左右するようなゴールと仕事のできる選手たちだ。こんな豪華な顔ぶれって、ほかの国にはないだろう。わくわくするね。イタリアの「カテナチオ」(カギの意味)という、伝統的な守備の価値観に加えて、これほど多彩なアタッカーが揃うことはないだろうね。(代表が決定した会見で)トラパット―二監督が、攻撃には選択肢がいくらでもある、と話していたが、実際のところ、選択肢あり過ぎて、今ごろ頭を悩ましているんじゃないかと思う。贅沢な悩みだけれどね。とにかく、日本で多くの応援を受けて、彼らにイタリアサッカーの価値観は守備だけとは限らないのだということを見せて欲しいと願っている。

 私が得点王を獲得できた90年、私はあの時、ビチーニ監督(90年代表監督)の選択肢には間違いなく入っていなかったと思う。もっといえば、誰の、ジャーナリストたちの、ブックメーカーの、ノートやメモの切れ端にでも、「得点王はスキラッチ」なんて書いてはなかったでしょうからね。何より世界中で一番驚いたのは私であって、考えたこともなかった幸運が、突然自分の前に飛び出して来たと感じていたんだ。
 得点王とはそういう存在で、誰かが生むものではないし、願って生まれるものでもない。まして強く望んで取れるものでもない。神様が選ぶんだろうね。でも選ばれるためには、ちょっとしたテストがあってね。自分で言うならば、あれは初戦の(オーストリア1−0)後半だった。交代してすぐに、ゴールのチャンスがめぐってきたんだ。アタッカーである以上、チャンスがきたら、どんなことがあっても決めなくてはならない。これに関しては絶対に偶然ではなくて、練習だけが答えを出してくれる。
 子供の頃、身体が小さくて、よく仲間に茶化されたものだった。身体では負けてしまうから、僕はいつでも集中するようにしていたね。どんなボールがいつ来ても大丈夫なように。それは、プロになっても、イタリア代表になっても変わることがなかった。あのw杯でのゴールは、まさにあの頃の集中力が生んだもので、自分は人生を変える瞬間にめぐり会えた、幸運の持ち主だと思う。先ほどお話した、「テスト」といえるものがあるとすれば、それはこの「瞬間」を決して逃がさないことだと思う。

「私の瞬間」というような一瞬が、w杯には存在する。これがDFとは違うところだろう。DFはもっともっと継続的に物事に取り組まなくてはなりませんし、w杯のような舞台では失点は許されないものです。けれども私たちアタッカーは彼らの忍耐とは違う類の、忍耐を常に携えて瞬間を生き抜くのです。世界中の鉄壁と向き合い、メディアやファンたちの強いプレッシャーと向き合い、そして、私の瞬間をつかまえなくてはならない。そこには、リーグ戦と違って、自分の得意とするパタ―ンであるとか、チームの形といったものは見つけ難い。なぜなら、今のサッカーでは、たとえ過去のどれほど偉大な得点王でさえ、簡単にゴールを奪えるようなシステムではないから。チームとして持てるチャンスなど、1試合で本当に3回あれば本当にラッキーなほうだと思う。

 だから、得点王の予想などはできっこないのが、正直なところでしょうね。イタリアからはビエリ、そして、若いが、イングランドのオーウェンにも、何か雰囲気というものが漂っている。
 大会がいよいよというところにきて、誰が得点王でしょうと聞かれるが、名前をあげるのは本当に難しい。私はかつて、パウロ・ロッシ(82年スペイン大会6点で得点王)に憧れ、彼のような選手になりたいといつも願っていた。彼と並んで、私が得点王のタイトルを手にできたことは光栄の限りで、今大会でも、もちろん私の気持ちの半分では、私たちのイタリアが優勝を果たし、同時に史上4人目となる得点王を誕生させて欲しいという思いがある。同時にあと半分は、ベンチ入りをようやく果たして始まった大会で、自分の瞬間をつかんで、人生を大きく変えた私のようなアタッカーが、誰も予想し得ないレベルで飛び出して欲しいと思っている。
 スピード、嗅覚、忍耐、集中力、これらはリーグでもどこでもゴールを奪う人間の宿命でもあり、得点への条件だ。けれどもW杯ではこれに「運」がついて回る。あえて言うなら、これらが得点王の条件になるのだろう。アドバイス?何もないが、いつもこんな風に思っている。

    乗り遅れるな!
    ゴール前を
    目の前を
    通り過ぎる
    幸運という名の
    超特急に。

(週刊サッカーマガジン・2002.6.12号(No.870、ウイークリーVol.1)より再録)

 
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