[特別レポート]
名古屋グランパスエイト
「化学反応」。
大補強が意味するもの。
Chemical Reaction


大リストラの嵐が吹き荒れたJリーグのなかで行われた、異例の大型補強。新加入した山口、呂比須、楢崎は、いずれも日の丸を背負った戦士たち。今年こそ悲願の優勝を勝ち取るべく、期待はいやがうえにも高まる。しかし本当にうまくいくのだろうか。サッカーでは、強い個人から強い集団が生まれるとは限らない。

 テーマはケミカル・リアクション、つまりは化学反応である。
 これは1種、または2種以上の物質が反応し、以前とは「異なる種類の物質」を生成するプロセスを指している。
 もう少し専門的に言えば、1つ以上の化学元素、もしくは化合物といった「反応物」からほかの別な新しい「生成物」ができる反応のことを意味する。
 ほんの少しだけ、昔ややこしさのあまり頭をかきむしった化学の授業を思い出してみていただきたい。例えば、水素と酸素で水になる。H2+O2=HOというプロセスを反応式で表わせるという具合に、新たな「何か」を生み出すわけだ。
 なんだ化学の講釈をしようっていうのかって? いえいえ、この反応物と生成物の関係を、今年の名古屋グランパスエイトに起きていることとして想定してほしい。
 ここ何年にもわたって、名古屋はJリーグにおいて普通の「注目のチーム」に過ぎなかった。アーセン・ベンゲル(48歳)のような世界的名将を招聘していても、ドラガン・ストイコヴィッチ(34歳)のような選手を擁していても、名古屋はいつでもリーグの中の有力チームで終わってきた。日本人選手も競技者としてすばらしい性質を持ちながらも、彼らや、チーム全体に注目が集まったことなどなかった。ほかの強豪クラブとはそこが違う。
 しかし今年は、優勝候補の一角なのだ。
 その期待と興味の濃度はもはや人口200万ちょっとの名古屋という街や、東海地域に根づく「われらがグランパス」という愛着の域をはるかに越え、全国のファンから常に注視されるほどのものである。本人たちがそれに気がついていようが、いまいがである。
 名古屋だけが総額4億円ともいわれる突出した補強を行い、田中孝司監督(43歳)が言うところの「新しい血」を注入した。フランスW杯で日本代表の中核をなしたMF山口素弘(30歳)、GK楢崎正剛(22歳)を消減したクラプから高額で獲得し、平塚からはFW呂比須ワグナー(30歳)を加えた。
 万年注目チームに甘んじてきた名古屋の選手たち、代表で、あるいはクラブ存続そのものにおいで崖っぷちを歩いてきた移籍選手たち、2つの「反応物」は揃った。反応物はお互いをいかなる新しい「生成物」に変化させることができるのだろうか。
 名古屋に起きようとしていることは、大型補強の言葉通り「強く」ならないかもしれない、という点において非常に興味深い。あるポジションに人をあてがった「移植」では済まないからだ。元素はぶつかり、衝突し合いながら別の生成物を生む。
 優勝を生むのか、あるいいは何の反応も起こらないのか──ケミカル・リアクション、これが今年の名古屋のテーマである。

「スペクタクルなサッカーって、一体何なんだ、どういう意味なんだろう。そんな話をしている場合じゃあないと思う。こういう試合を落としたらどうなる? なに、ジュビロ? どんなにカッコ悪くたってヤツらは絶対に落としやしない。ドロドロになっても勝つだろうね。アントラーズ? 彼らだって石にかじりついたって、どんな代償払ったって、勝ちをもぎ取るよ。グランパスって、俺たち優勝候補じゃないか。プライドは、意地は、どこに消えてしまうんだ。なにをビクビク戦ってるんだって。後半みたいないいサッカー、やればできるっていうのに。笛が鳴ったら、そこから戦いが始まるんだ。スペクタクルなサッカーって、そんなのは最後の話じゃないか」
 山口は怒っていた。
 W杯アジア最終予選のどん底や、クラブ消滅の危機さえ、すべてを包み込んでしまうような冷静さで朝り抜けてきた男が、たった1試合の敗戦に、心底腹を立てていた。
 もちろん、「客観的」に見た名古屋グランパスに対してではない。自分が加入しながらも、難しい試合を何も変えられずに終わったこと、周囲の期待を裏切って開幕わずか2試合目で負けたこと。激しい怒りは、移籍を決断し、優勝への貢献、という新たな一歩を踏み出したはずの自分自身に対して、容赦なく向けられたものだった。
 山日がふと口にした「スペクタクルなサッカー」とは、名古屋にとって、もっとも重要なキーワードのひとつである。それは本来、光景を指す英語だが、このクラブでの意味は少し違う。「魅せるサッカー」とでも表現するもので、誰もが改めて口にしなくても、「スペクタクルなサッカーを見せること」は、彼らに長く義務づけられた使命のひとつだった。この表現自体が長い間、名古屋のサッカーを美しいものとして世間に知らしめ、しかし一方では恐らく、呪縛となってきたともいえるのではないか。
 3月13日、小雨の降りしきる大阪・万博記念競技場で名古屋は今季最初のアウェー戦に臨んだ。そして前半わずか25分で、ミスから瞬く間に2点を先制された。もしも、ガンバ大阪が上位チームと同じように注意深く試合を展開したなら、本来はこの、たった25分で名古屋の敗戦は決まっていただろう。
 しかしG大阪の不用意さにも助けられて、後半開始14分、岡山哲也(25歳)の右サイドからのセンタリングし望月重良(25歳)がヘディングで飛び込みまず1点を返す。ロスタイムかという終了間際には、今度はストイコヴィッチの個人技からまたも望月がヘディングを決めて同点に追いついた。
 しかし、延長でもチームが真の意味で立ち直ることはなかった。ディフェンスラインは声の連係に乏しく、集中力を欠く。結局はオフサイドを自ら勝手に判断し、プレーを止め、試合をも落としてしまった。
 1994年初冬、フランス人、アーセン・ベンゲルが、まず視察のためにグラウンドにやって来た時、チームはリーグ12チーム中、最下位にいた。ベンゲルは、低迷していた名古屋をどん底から、わずか数か月で引き上げた。卓越した理論と実行力、そしてそれらを表現する的確な言葉によって。
 彼が伝えようとした言葉の中で、大きなインパクトを与え、現在もチームに、選手個人に、あるいはサポーターに至るまで影響力を保っている言葉のひとつが「スペクタクル」だろう。
 3月5日、リーグ開幕の前日、記者たちから「あしたの試合の抱負は?」と尋ねられたストイコヴィッチを始め、何人かの主力選手はこんな風に答えた。
「名古屋らしい、スペクタクルなサッカーをお見せしたい。そしてホームグラウンドでの勝利をみなさん、サポーターと喜び分かち合いたいと思」
 記者たちはもちろん、当然のようにこの単語を入れながら正確なメモを取る。しかし、これがほかのクラブなら、こんなやりとりはできない。抱負を聞かれて、スペクタクルなサッカーと答える選手もいなければ、すぐにメモを取れる記者もそうはいないはずだ。
 彼らの表現の中には、4バックで「ライン」を形成しながら一糸乱れずチームが動き続ける、こうしたイメージが含まれているに違いない。ラインを保って……こうした整然としたイメージの裏で、13日のガンバ戦のようなことが起きる。
 例え相手が1トップでも、2点のリードを奪われていても、ラインに固執する。攻撃にも、形を崩そうとはしない。敗戦直後の山口の言葉は、こうしたイメージに対するジレンマなのだ。
 すべてをまとめる大岩剛(26歳)も名古屋生え抜きとして、主将として、あるいはベンゲルサッカーを理解してきた一員として、こうしたジレンマをもっともよく認識している選手だ。
「あの頃のサッカーに戻ろうという意識では逆行することになるのは間違いない。この新しいチャレンジを契機にもっと自信を持たなくては、と強く感じている」と話す。開幕戦では、勝利の瞬間、山口が真っ先に大岩主将に握手を求め、何かをささやいた。
「勝つんだ、形じゃない」
 大岩はその言葉の意味がどんなに大きなものか、噛み締めているのだという。

「血液型で言うならA型というか、それも限りなくO型に近いA型というのがこのチームですね。ギラギラした競争意識ってあまり強く持っていなかった。それが2月に新チームをスタートさせてから、少しずつでも変わっては来てる。3人が移籍したと同時に自分も含めて3人がポジションを奪われた。そのことに対して、オレが、オレが、という気持ちが生まれたことは間違いないと思う。それと、彼らの意識レベルの高さというか、宮崎合宿でもこれまでのピクシーの意識とはまた違った何かなんだけど、それを選手それぞれが吸収していたんじゃないか」
 トヨタ時代から(一時浦和に在籍)の生え抜き・浅野哲也(32)は言う。移籍組が合流してわずか1か月くらいで、劇的な特効薬を期待するならばむしろ危険も大きくなる。時間はもちろんかかる。
 呂比須も「まだよくわからないけど、みんな、とてもおとなしい」とだけ印象を語る。いい意味でも悪い意味でも、なのだろう。
 昨年、川崎からレンタル移籍(今季移籍)したDF、右サイドの石川康(29)は、時間がかかるが、それこそチャンスだと、今年を位置づける。今年の移籍組と、これまでのチームをつなぐいわば中間的な存在の、元ボリビア代表に、ほかのクラブと違う点について聞くと、「ただただ、自己アピールだ」と明確な答えが返ってきた。
「初めてここに来た昨年2月20日、ぼくは忘れられない。みんな静かだった。ライバルが一人、合宿に乗り込んで来たというのに静かだった。これが昔のヴェルディだったら? まるで正反対の国に来たみたいだった。あそこでは、お互いのアピールをめぐって時には大喧嘩をした。それがここでは、いつでも静かに事が運ぶ。3人が入って来てから、ぼくには3人がもたらして行くであろう変化が、ものすごくよく分かる。つまり練習で争わなければ、試合でも争えないということ。本当の意味でのサバイバル=生き残るってことを、今こそ理解できる時期だと思う」
 昨年のW杯では、チームから唯一人代表に選ばれ、2試合に途中出場した平野孝(24歳)は、石川の言う「サバイバル」の意味をもっとも早く感じ取っていたはずだ。2月1日の全体練習開始前に、すでに例年より早く、しかも内容を大きく変えて自主トレを行うため、わざわざ鳥取まで出向くほどだった。例えば、決して「スペクタクル」ではなかったが、ホームでの開幕戦で福岡を下し、3年ぶりの白星スタートを切った試合も、すでに「何か」が違っていたと、平野は言う。
「サッカーにしてもチームの性格にしても、ぼくらはどこか純粋という面がある。反面、もろいんだね。例えば開幕にトーレスが欠けて、これまでなら心のどこかに言い訳みたいなものもできたと思う。でも、あの3人は貪欲なんだよね、どこまでも。みんな引っ張られて勝った、そんな面もあったと思う」
 どこかにいつでも「言い訳を求める」、これも名古屋の悪い癖のひとつだ。しかし、そんな色さえ、少し変わった。選手はみな口にする。平野はこんな表現をする。
「色を混ぜるような感じだろうか。赤なんだけど、またちょっと違った赤というか、いい色が少しずつ出てくるような……」

「コレクティブっていう考えは、組織として適切に、という意味なんだが、これはベンゲルがこのクラブに残した重要な共通意識だと思う。1人がボールを持ったら、周囲はどう動くのか、それを全員がしっかりとやる、これが名古屋の基本。でも、その一方では、個人の良さ、個人技での突破も、彼らならもっともっと出せるはずだ。自分自身、ベンゲル時代からコーチとして見てきてコレクティブという思想で、選手ががんじがらめになる時期というのはもう終わったのではないか、そう感じている。個人の力、個人の技が全体を変える、そういう認識を新たに与えていかねばならないでしょう」
 '95年以来、ベンゲル、コスタ(代行)、ケイロスとすべての監督の下でコーチを歴任してきた田中監督は、開幕戦を終え、こんな感想かもらしていた。昨年からチームを率いたが、「田中サッカー」ともいえるべき色でチームを染めることはなく、満足な結果は得られなかった。そして迎えた今年、2つの変革を掲げた。
 ひとつは、「背骨」の変革である。GKからFWまでのこの縦のラインをより強固にすること。それにより周囲の肉もまた厚みを増すと考えたからである。そこで、楢崎、山口、呂比須と縦のラインでの大手術を敢行した。
 もう一点は、チーム組織そのものの変革である。これも、背骨の形成同様、クラブの幹をより強固にすることに狙いがあった。「フロントには、選手たちが、環境への不満も、置かれた状況への言い訳も一切しなくていいようにしてもらった」と、監督は意図を説明する。4億円の補強、現在の1.5面取れる練習グラウンドの横に、さらに1面を建設すること(すでにオフに完成)、そして、チーム組織の改革をも行なった。名古屋のチーム体制を見れば、スタッフの人数の多さに驚く。いわば、監督自らの去就をも含めてこれでダメならば、と「退路」を絶つ格好である。
 選手の補強ばかりに目が行くところだが、実際には、Jリーグの中でもっとも多く、また細分化された組織の中で、スタッフを充実させているのである。監督以下、攻撃コーチにサンチェス、守備には今井、GKコーチに川俣、マザロッピ、フィジオセラピスト、フィジカルコーチ兼任でティリー、医療スタッフはほかのクラブも同様だが、通訳も4人いる。
「これも、新しいチャレンジのひとつだと思う。言わなくてもなんとなくわかる、ということは起きず、絶えず皆がディスカッションする必要がある。議論は理解を生むために欠かせぬものだ」と、サンチェス・コーチは言う。
 現在、名古屋のスタッフはどんなに遅くとも練習開始1時間前にはクラブハウスに揃っている。ミーティングでは、1週間のプログラムを碓認し、攻守、体力、故障など、各ポイントを出し合い検討をする。宮崎では、こうした話し合いが連日続けられた。
 メンバーが揃い、環境が整い、組織も揃った。こうなると選手はどこに負けたことへの「言い訳」を求めるのか。監督か、チームメイトお互いにか、それとも「恵まれ過ぎ」とでも言い出すのだろうか。理由を見つけるのは極めて困難だ。結果が出なければ、誰もが羨んだ大型補強や環境整備は金を捨てただけに等しく、細分化したはずの組織は、ただの無計画な「余剰人員」を抱える。その場合は化学反応どころか、何ひとつ生めずに終わってしまう。反応を促すのは、自らの意思だけである。

 名古屋駅から地下鉄の鶴舞線に乗り、名鉄豊田線に乗り換え約50分、三好ケ丘で降りてなだらかな坂を上ると、名古屋の練習グラウンドに着く。見晴らしのいい、2階塵てのクラブハウスの入り口にはこのクラブの「憲章」が掲げられている。フェアであること、最高の技術に挑戦すること、地域に貢献すること、6年間どれも十分に果たされてきた。
 皮肉にも最初に書かれた1項目を除いて。
「日本一を達成し、世界レベルのプロサッカーへ飛躍する」
 名古屋27+平塚1+横浜F2→生まれるものは果たして水か大気か、夢なのか。

Number 467号より再録)

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