France 98 〜 Battle of Japan 〜
中田英寿がピッチに残したもの。


「ジャパニーズ・スーパースター」フランスのテレビから、何度となく聞こえた彼を称するその言葉が耳に残っている。中田英寿は何のために、ワールドカップのピッチに立ったのだろう。彼の肉体は、彼の感情は何をモチベーションに動いているのだろう。彼の表情、態度を見るたびにそう思わざるを得ない。「ジャパニーズ」から抜け出したいのか。我々だってそれを望んでいる。いつか外国に行ってテレビをつけた時、君がその金髪でピッチを駆け回り、スルーパスを決め、FKを決め、アナウンサーが「スーパースター・ナカタ」と叫ぶのを聞いて興奮したいのだ。

 トゥールーズのピッチに日本選手が登場し、アルゼンチン選手と交差し、整列をする姿をスタンドから見ながら、中田英寿が2年前、ふと、もらした話を思い出した。'96年、アトランタ五輪が終わり、周囲に静けさが戻った頃である。
「自分のどこか評価され、どこが評価されないのか、世界に通じるのか通じないのか、自分が一体世界でどの辺にいるのか、それを知りたいからサッカーを続けているようなものかな。大きな舞台での楽しみのひとつには、そういう判断を自分でできるということも含まれている。オリンピックの後、対戦した選手のことを気にしていたら、自分がマークについて決して負けてない、と思っていたはずの選手たちが欧州に移籍し、ブラジルにもハンガリーにも勝った試合のに、自分にはオファーは一件も来なかった。これが現実ってもんですね」
 落胆していたわけではないが、19歳という年齢からしてももう時間はそう残されていない、そんな気持ちが表れていた。
 あれから2年、中田はフランスで海外のプレスの会見には極めて積極的に応じ、「チャンスがあれば欧州でのプレーをしたい」と公言した。裏を返せば、もしもこのW杯で評価がされないようならば、チャンスが与えられないならば、自ら、自分の力には見切りをつける、そういう意味を含んでいる。
 日本が初出場を果たしたこの大会で、中田はすでに「名前」を知られる存在で、評価の対象にはなっていた。欧州でも十分に通用する非凡さがある、いや、あんなにミスを多発する自己中心的な選手はとても通用しないだろう──。今のところ評価は真っ二つに分かれている。様々な評価の中、中田がチームの勝利のほかに、W杯に求めようとした自らの「答え」は見つかるのだろうか。それとも何も見つからないまま、2002年を待つことになるのだろうか。
 数字、という客観的な材料を元に、中田と、周囲の人々の視点とをつなぎ合わせてみようと思う。

アルゼンチンの牙

 代表のトレーナーはその傷を、「蛇」と形容した。アルゼンチン戦を終え、エクスレバンでの練習に戻った中田の左すねに、昔、そんな箇所の手術をしたことがあったのか、一瞬そう見間違うような傷跡があった。左すね、正確に言えば短めのすね当てとひざ小僧の境目、ふくらはぎの方に向けて20cm以上はある、太く、どす黒い裂傷ができていた。無論手術などしたのではない。
 アルゼンチンのDFからもらったW杯への歓迎の証──いわば「洗礼」である。初戦で中田が受けたファウル数は、審判が取ったもので4つあった。試合開始から、2度目のタッチで中盤のシメオネが、猛烈な勢いでスライディングをした。左すねに向け、取り替え式のスパイクで、凄まじい「削り」が入った。心理戦では常套手段である。中田はハーフライン近くで転んだが、平然と、笑顔さえ浮かべて立ちあがった。中田はこう言う。
「これをやって来たのはシメオネ。アルゼンチンのプレーは汚い、汚いと言われていても、1か月以上を戦う大会の初戦で、無謀なファウルをして警告をもらうほどとは思えなかったし、むしろ安全にくるのではないか、と皆考えていたんじゃないかな。削りに来ることぐらいわかっていたし、別に、これくらいは何でもない。ああいうのは全然問題じゃあない。むしろ優位に立てるんだ」
 アルゼンチンはこの試合をとにかく無事に、できるだけ省力化して勝つことだけを考えていたようだ。彼らには1点で十分であり、相手に点を許さなければいい。

試合後、シメオネは、
ユルチッチ、プロシネツキは、
ベンゲル、ファルカンは、
中田をどう評価したのだろうか?

 試合前、アルゼンチン代表の合宿地となっていたサンテチエンヌ(リヨンから数十キロ)で行われた会見で、パサレラ監督は、初めて日本選手の個人名を挙げた。ナカタ、という中盤のキーマンに注目していること、これまでの日本にいないタイプと認識していること、その理由は何よりタフであること、そう答えた。試合終了後、キャプテンでもあるシメオネの話を、地元の記者を通じて聞いてみた。
「我々にとって、この試合は勝つことだけが目標だった。日本選手は倒す相手であり、特別感想もないし、相手の選手の分析をしながら試合をやるわけではない。しかし、ナカタは印象に残った。ファウルを受けても、実に淡々と集中してやっている。我々のチームのオルテガは、小柄な選手ではあるが、決して当り負けをしない。中盤の選手に必要な要素だ。ナカタもそうした技術とメンタリティを持っているのではないか」
 フィジカルコンタクトという、これまで日本人にとってコンプレックスにしかならなかったひとつの物指しで中田を計った場合、彼には十分な合格点がつけられた。

ミス12、カット13

 クロアチア戦の失点は、中盤の連携ミスから起きたものだった。ミスの多さ、中田のプレーの不正確さがクローズアップされた。実際に、この日のターンオーバー(相手にボールを奪われた回数)は8回。うち3回が、相手にシュートまで持ち込まれるという決定的なミスでもあった。アルゼンチン戦ではターンオーバー4回。2試合で合計12回のミスを犯し、何度か決定的なピンチを招いてしまっている。
 元名古屋クランパスエイト監督のアーセン・ベンゲル氏(現アーセナル[英]監督)は、大会前エクスレバンを視察に訪れ、日本チームを激励している。その中で選手の可能性にも触れ、特に中田については「欧州にもっとも近い選手であることは間違いない。今大会を楽しみにしている」と、大きな期待を寄せていた。それだけに、アルゼンチン、クロアチア戦でのミスの多さには、落胆したようだ。試合後もこう話している。
「あのポジションがどういう役割なのか、彼にはほとんど理解できていないようだ。彼はミスをしてはいけない。それも、決定的なチャンスに結びついてしまうような状況でも、なおも、リスクの高いプレーを無理やりにでも通そうとする。そういうプレーはやめなくてはならない。アルゼンチン戦では、自己中心的なプレーヤーだと表現したが、クロアチア戦でも基本的にはあまり変化がなかったと思う。ただし、1戦目よりはチームの中での動きを果たそうとしていたようには見えた」
 この試合は、気温が35度にもなり、クロアチアは引き分けを狙うかのように引いて、カウンター(速攻)を繰り返した。試合後、FIFA(国際サッカー連盟)が関係者用に発表した分析資料からも、面白い事実が浮き彫りになる。
 試合中のボール支配率は、クロアチアが33分55秒に対して、日本が40分05秒と6分以上も上回っていることがわかる。つまり、試合の主導権は握りながらもミスなどによって決定的なボールを奪われていることを示している。クロアチアにしてみれば、中田自身をマークするというよりも、中田を起点とするパスを遮断することがひとつの作戦になる、クロアチアのブラセビっチ監督は、そういう考えだった。中田には身長186cmのユルチッチがマークについていた。ユルチッチは試合後、こう言った。
「彼がいい選手であることはわたしも、チームもすでによく知っていた。あまり自由な動きはさせないように、マンマークというよりも、周囲を固めて守備をすることにしていた。1本だけロングボールを入れられたが(前半33分、中山のシュートにつながる)ほかにはいい仕事はさせなかったのではないか。選択肢を減らしていけば、日本のようなチームに決定的なチャンスは与えなくても済むんだ」
 逆にクロアチア戦で中田が奪ったボールは5本。パスカット、ドリブルのカット、両方が含まれる。アルゼンチン戦でも7本と、チームでもっとも多く相手ボールを奪っている。サッカーは流れの中で行なっているスポーツで、ピンチとチャンスは常に裏表の存在でもある。この試合での中田はサッカーを少々難しくしすぎていた。この日は、芝も乾燥が予想され、競技場は早朝から水をまいていたという。しかし効果がなく、クロアチアのFWスーケルも試合後、あまりにドライな芝でボールのコントロールがひどく難しくなったということを、告白していた。ボールが普段よりもまったく滑らない、つまり日本にとっては苦しい状況にもかかわらず、難しいプレーを選択していたところに、プレーの容量の狭さがあった。

83%のパス成功率

 6月23日、中田が5月末に遠征に出て以来、密かな「楽しみ」にしてきたというホームページに、「これからはメールの返信はしません」という、メッセージが打ち込まれていた。それまでファンにメールを打つことを、リラックスする上でも楽しみにしていた。ところが、クロアチア戦後、誹謗、中傷のメールが殺到したのだという。あの勝敗を分けた1点が、中田のパスミスからくるものと判断されたのだろうか。
 しかし一方、こんな角度から彼を評価することもできる。ターンオーバーの数がクロアチア戦で8回あったことは記した。それではパスの成功率はどうだったのか。実際の数字を負ってみると興味深い結果になる。まずアルゼンチン戦でのパスをチェックすると、総数44本のうち、29本成功している。これを左右に分けると、右足からは29本中18本が通り、成功率は62%、左足からは15本で11本成功と、73%の成功率である。どちらもいい数字ではない。これがクロアチア戦になると変化する。パス総数は37本。うち左足は7本だけで5本が成功し成功率は71.4%。右足は30本で25本が成功し、確率は83%になった。
 パス自体の精度はむしろ2戦目で高くなっている。中田から展開される攻撃が、後半に入って効果を見せていった。試合終了間近には、ゴール前にスルーでラストパスを通したが、選手が見送ってしまった。このパスと、前半に中山に通したパス(33分)が決定的なチャンスを作るラストパスとなった。中盤で対面していたプロシネツキは、中田の動きに試合前から注目していたという。
「日本は組織化されたいいチームで、ナカタはいい選手であると分かっていた。特に決定的な仕事をされる可能性があったが、我々もかなり消耗していて、危険な場面はあった。個人的には日本のカントナ(元フランス代表)と呼ばれている特集記事を目にしたことがあった。試合中いくつか面白い、非常にユニークなプレーをしていた。彼にはもっと自信と経験を持つことが必要だと思う」
 攻撃では、シュートの少なさ(各1本)と、セットプレーでの発想に、中田らしい「冴え」がなかった。クロアチア戦でも、アルゼンチン戦でも、直接狙ったゴールはすべて壁に阻まれてしまった。試合を観戦した、元日本代表監督・ファルカン氏(テレビコメンタリ―)はこんな指摘をしていた。
「ナカタのベストの2試合を観たわけではないのであまりコメントはできない。しかし、日本の友人たちからいい選手がいる、と聞いていたので興味はあった。パスのテンポはいいし、わたしが代表を見ていた時にも増して、チーム全体が底上げされている。だが、ナカタについてはもうひとつ何か決定的な武器を持たねばならないと思う。欧州でのプレーを望むならば、個性というか、ほかの選手にはない、強烈なオリジナリティが必要になるのではないか」
 国内では本人も驚くほどの批判と中傷が起きているが、フランスでは、この試合で中田の評価が高くなった。「ゴール前では何もできなかった」としていた『レキップ』紙が、翌日の採点表で7.5点をつけた。これは、20日に行われた3試合の出場選手の中でももっとも高い得点で、しかも、クロアチアのスーケルを上回っていた。さらに、専門誌『フランス・フットボール』でも、5点満点中の4を、中田と、井原と相馬につけている。『レキップ』によれば、今大会で7.5のハイスコアをマークしたのは、22日時点でわずか11人だという。どの採点、どの見方が正しい、というものではなく、海外メディアの評価に迎合することもない。しかし、ひとつの判断基準として紹介はしておく。

 クロアチア戦が終わって、決勝トーナメント進出が絶望となった時点で、中田は「本当にがっかりしている。日本はよく戦った、といっても、きょう自分たちが欲しかったのは勝利だけだった」と落胆していた。3試合で終わってしまったW杯で、何を感じ、何を見つけ、求めていた答えは、どんな形で見つかったのだろうか。ベルマーレ平塚の植木晴繁監督は、
「アルゼンチン戦でプレーをする中田を見ていて、間違いなく世界でも通用する選手であることを確信しました。移籍、という選択しについて、クラブ間の交渉さえまとまるのならば、個人的には了承するし、クラブもそういう方向で送り出したいと思っている。間違いなく行くべきでしょう。21歳という年齢からも、時間はそうないでしょう。わたしは、アルゼンチン戦を見て強くそう思いました」
 とコメントした。中田自身は、この件について海外のプレスに「チャンスがあれば」と話す以外、日本のメディアには口をつぐんでいる。オファーはすでに期間中にあったとも言われている。移籍は「本当に請われて」こそ成立するものである。中田自身はレキップを始めとする自分への評価をどう見ていたのだろう。彼がこういった新聞の評価を見ている姿をイメージすることは難しい。
──レキップの評価は見ました?
「え? 何、それ、知らない」
──クロアチア戦では7.5でしたが。
「『レキップ』ってすごいの?」
──とりあえず、7.5点をもらっていて、それはそこまで11人しかいなかったらしいんですが。
「へー、そうなんだ。でも全然関係ないでしょう。それに、良くないと批判していて、今度は海外のメディアにいいと言われて判断を変えるんじゃあ、独自性に欠ける」
──実際に試合をしてみて、実感は?
「クロアチア戦でも、皆思ったことだけど、全然劣ることはないと思う。自分自身、どうしても駄目な相手とは思えなかったし、もっといいプレー、もっと何かができたと思っている」
──海外でのプレーについては?
 中田は黙っていた。
 どちらにせよ、何か決心はついているようだった。

Number 448 より再録)

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