山口がボランチでつかんだ自信


 6万7千人を飲み込み、やがて静まり返った競技場を見上げ、山口泰弘(29=横浜F)は、しばらく立ち止まった。熱を冷ますように雨が降る。
 国内最後の試合となったキリン杯チェコ戦は、山口にとって55試合目のAマッチである。加茂周前監督が代表を率いた95年1月以来、井原正巳主将(30=横浜M)と並んで、実はもっとも多くの試合に出場してきた「代表」の顔である。
「そう、いよいよなんだね。早かった気もするし、長かった気もする。でもとにかく、役割については、出発前の忘れ物話、という感じにはできたんじゃないかな」

 チェコ戦で、中田英寿(21=平塚)よりも多くのスルーパスを出していたのは、山口だった。3バックで注目されたDFよりも多く、相手のパスを遮断していたのも山口だった。しかし、記事にはならない。この3年、本人は「目立っちゃいけないよ」と、いつも笑うだけだったが、実際、山口の記事は少ない。注目されない。地味。人柄のせい?
 いや、「ボランチ」と言う仕事のせいである。
 ボランチ、は攻守を操る要とされる。以下に相手のボールを奪うか、という守備と、さらに取ったボールをどう前に供給するかという、攻守両方の課題を常にこなさなければならない。サッカーの場合、ポジションを意味する表現は様々で、ボランチそのものはポルトガル語で「操縦桿=ハンドル」の意味だと言われている。
 しかし、ちょうど3年前、95年6月、日本代表が初めて遠征したイングランドで、このポジションについてもう少し詩情的な表現を目にしている。現地のある一般紙の見出しが目にとまった。

「ヤマグチの動きはまるで、日本が誇る織物を編み出す、織機のようである」
 山口への賛辞は、国内のそれとは大きく違っていた。
 6月3日、日本はサッカーの聖地・ウエンブレーでイングランドと対戦。チームとしての完成度は今とは比べるべくもない。しかし、1対2で敗れながら、日本代表への評価は、国内のメディアよりも好意的だった。なかでも、山口への賞賛は群を抜いていた。
「ヤマグチがそうやって丁寧に織り成したパスは、まるで絹糸のように美しく、繊細で、力強いものだった。初めて目にした日本のサッカーで、わたしたちは日本にこういう選手がいることを知ることができた」
 本人に尋ねると、記事のことより試合の方の印象が強い、とすぐに“攻守の切り替え”をされてしまった。

「W杯に行く今になって、あの試合の意味というのは自分にとって非常に大きいものだと実感しています。唯一のヨーロッパでの試合ですし、何よりも自信を得たから」
 加茂前監督になって代表に呼ばれたが、最初の大会でナイジェリア、アルゼンチンにコテンパンに叩かれた。代表でのボランチ、という慣れないポジションにも悩みが生まれる。しかし、イングランド戦では、素早い判断からボールを奪い、ボールを供給することができた。代表という舞台で初めてつかんだ自信だったのだという。
 フランスに行く前にした最後のチェック。それは、あの時の「自信」をもう一度思い出しておくこと。久しぶりに、ビデオを観直した。
 イングランド戦では、実によく周囲を見ている。だから判断が速い。足の遅い山口にとって「判断」の良し悪しは死活問題である。判断がいいとサッカーはシンプルになる。それが持論だ。

 何だか寝付かれない日もある。不安からではない。どうやってアルゼンチンら強豪を止めようか、そんなことを考えていると、ワクワクして楽しくなるからだという。
 雑誌が出る頃、代表はいよいよスイスの合宿地に到着する。
 昨年の最終予選から、周囲は何度も勝手にあきらめたり、もうだめ、と言ったが、選手たちは一度たりともギブアップしなかった。そうやって自分たちでつかんだW杯出場である。
 どうか激闘を心底楽しんで欲しい。お楽しみはまず270分間もある。もちろん、それ以上でも構わないが。

●山口泰弘/1969年生まれ。前橋育英−東海大。強烈なミドルシュートにも期待が高まる。

週刊文春・'98.6.4号より再録)

BEFORE
HOME