ラモス瑠偉(サッカー)

アエラ「この人を見よ」より


●らもするい/1957年2月9日、リオデジャネイロ生まれ。'90年の北京アジア大会で日本代表入り。'91年日本リーグで優勝、MVPに輝く。家族は初音夫人と一男一女。

喜び、怒り、祈り……自分と戦い続ける熱き中年

 カンガルー革のスパイクを胸に抱いて、ラモス瑠偉(41=川崎)は通路にしゃがみ込んだ。
 全員がロッカーに引き揚げてシャワーを浴びる時間である。Jリーグ最年長選手は、90分フル出場を果たし、汗で頭からずぶ濡れになっていた。
 これが最後のオールスターになる、と試合前言っていた。
 「楽しかった。ホント、最高だった。幸福だと思った」
 ここまではいい。
 「でも勝ちたかった。祭りだからこそ、勝負にこだわりたい。何でもっとがんばれないんだ……悔しい。だめだよ、気持ちがあんなんじゃ。悔しい、こうなると、ああ、来年もやりたいって、心から思うよ」
 こういう人である。ほんの90分前には、センチメンタルになっていたはずが、勝利への執念に身を投じると、一瞬にして体温が急上昇する。
 自分に、あるいは、現状を良しと納得しようとする自分に、怒りをぶちまける。もう最後なのだ、と感傷的になっていたオールスターでさえ、敗戦に怒り出すのだから、W杯期間中の「激辛解説」など、そう驚くこともないのだろう。サッカー仲間はそのことをよく知っている。
「サッカーなんて辞めちまえ」「このヘタクソ」「そんなプレーじゃ、田舎の母ちゃんが泣くぞ」
 こんな激しい言葉を、ピッチで幾度も投げつけられてきたからだ。

 ゴルフなどを除くと、現役のプロスポーツ選手の年長者には、落合博満(44=日本ハム)、投手では大野豊(43=広島)、鉄人・衣笠祥雄氏が引退したのは40歳だった。彼らが人並み外れて競技人生を伸ばすことができた理由はどこにあるのだろう。
「節制もしてない、食事も普通。でも自分は気持ちだけ、サッカーを好きだって気持ちだけ誰にも負けない。プロとは後戻りできない人たちのこと。だからここまでやってこられた」
 今でも夜には、明日もサッカーができるようにと祈り、朝は、きょうも無事にサッカーができるように、と祈るのだという。実際に後戻りすることはできなかったのだ。
 '77年20歳の春、故郷ブラジルから日本にやって来た。「母親に家を買ってあげる」それだけが目的だった。'89年に日本国籍を取得。ブラジル人として過ごしたのと同じ年月を、すでに日本で過ごしたことになる。'93年、ドーハの悲劇といわれたW杯アジア予選から帰国した際、「40歳までサッカーを続ける。それから後のことは、それから後、のことを考える時期ではない」と言った。それから後、のことを考える時期ではないか。

 来日21年目の今年春、初めて「気持ちが揺さぶられるほどの才能」を目にした。それもJリーグで。浦和のMF小野伸二(18)である。オールスターでは同じチームで戦った。
「ああいう選手が出てくる時代になったんだね、うれしいね」
 9月5日には、浦和と国立競技場で対戦する。18歳と41歳のMF対決を見逃す手はない。
 怒れる選手は一体どうやって競技人生に幕を下ろすのだろう。それが見たい、と言ったら、ラモスはまた怒るだろうか。ピッチを走り抜く史上最強の中年──この人を見よ、第2ステージのこの人を、じっと見よ。

AERA・'98.9.7号より再録)

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