単独インタビュー
曙「サップは怖くない」
外国人力士として初の横綱(第64代)となり、一昨年引退し部屋継承へ準備をしていた曙 太郎(34歳)が相撲協会を去り、角界から初めて、K−1に転向すると発表してから2週間以上が経過した。12月31日のボブ・サップ戦に向けてトレーニングを積む合間、都内ホテルで行ったの単独インタビューに「相撲こそ格闘技の最高峰。誇りをかけている」と、勝利に自信を見せた。(聞き手・増島みどり) |
「相撲は格闘技のメジャー」
K−1挑戦への経緯
曙のプロ格闘家転向、K−1参戦は、11月6日、突然発表された。K−1側は「11月に入ってから食事をし、その席で急きょ転向の話が出た」と説明しているが、曙には大相撲を引退前から、プロレス、格闘技界から誘いの手が伸びていた。
転向宣言翌日から、さっそく練習を開始。現在は午前中にランニングなど基礎的なスタミナ養成、午後からは都内のジムで専門家を招いてのボクシング特訓をする毎日だ。
元世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマン流のクロスガードのマスターに懸命。今年9月にサップと対戦した201cm、158kgのステファン・ガムリン(アメリカ)も、スパーリングパートナーとして来日。元IBFヘビー級王者フランソワ・ボタ(フランス)も近く合流し、「チーム・ヨコヅナ」として曙をバックアップする。 |
──改めてこの決断を振り返ってみていただくと
曙 相撲で12年、これほど取材を受けたことはなかったんです。今日も1日13件。
──予想以上の反響
曙 決断すれば、ただでは済まないなと予想はしていました。相撲記者たちにも、K−1の噂があるんだけれど、と何回か聞かれて、いやあ、そんなアホなことするわけないでしょうと答えたのに、とうとうやってしまいました。決断は発表3日前。毎朝起きると必ず、夢を見たようにこう思う。オレって一体何しちゃったんだ、でももう遅いって。
──まだ34歳なんですね。相撲とK−1、同じ格闘技だとは言えますが
曙 「格闘技の経験がないのに」とか「立ち技は大丈夫ですか」と何度も聞かれたけれど、相撲は寝てやるのかな。皆、格闘技と相撲は別ものと思っているけれど、相撲は世界中のレスリングの、言ってみればメジャーリーグでしょう。「僕は確か、テニス選手じゃなかったと思う」と答えています。
──おもしろいですね。転身の決断はなぜ? 借金、年寄株、親方や協会との関係? 噂話ですが
曙 皆さんご存知のように、もちろんお金はかかります。ただ、お金は目的じゃなくて手段だから、そのために転向したという話でもないんです。
──長い目で見れば、先行きのまったく見えない転身よりは、守る方が無難ですし、目前のお金より安定の方がいいですからね
曙 決断するなら本当に34歳の今、このチャンスしかない。これが一番ですね。それと、たった3人の自分の子どもにだって、責任を果たすのが精一杯なのに、人様の大事なお子さんを預かって、はい、必ず強くしますって、自分は、親方業はできないと思ってました。
──ほかにも?
曙 家族です。相撲は一年中やっていて、稽古、場所、巡業その他で自分の時間はまず持てません。父を亡くし母は元気なのに、ハワイにも帰れず、子どもたちはおばあちゃんの顔も知らずに成長している。最後にやはり、戦う気持ち、闘争本能を抑えられなかった。
──優勝して引退され、それでもまだ闘争心が?
曙 引退相撲をし、まげを落とし、あいさつ回りを終え、花道で警備員として制服のジャンパーを着て土俵を見ていたら、ある時、自分でも知らないうちに体が自然と動いていました。ああ、戦う気持ちは必ず復活し、抑えられなくなるのも時間の問題だと思いました。それでジムに通い、体を動かしてなだめていたんです。
──なだめ切れなかった
曙 僕の立場では誰にも相談できませんから、理事長(北の海)に直接「相談あるのですが」と時間をもらいました。ストレートに隠さず話してほしいと。「K−1? 何だとコラッ」と怒られると覚悟していたし、理事長も驚いたと思うんです。でも表情には一切出さず、師匠とはもう話したかと聞かれ、言い出せなかったことを伝えると、逆にアドバイスをいただきました。その通り行動し、理事長のところに報告に戻りました。
──理事長は何と?
曙 絶対後悔しないな、と6回聞かれ、最後に「ハイ、しません」と答えたら、じゃあ、がんばるんだぞ、と。その態度、言葉に本当に感動し、尊敬の気持ちを持ちました。相撲がなければ自分は存在していない。相撲を心から愛しているし、今後も相撲を悪く言うことは絶対ない。
──相撲界は変わるべきだと思いますか?
曙 間違っちゃいけないのは、協会が僕を呼んだのではなくて、僕らは自分が成功したくてお願いして門をたたいたのだということ。相撲界は変わるべきだと言うけれど、僕に言わせれば、協会が僕らに合わせることはない。耐えられない、合わずに去って行くのは仕方ないし、それが魅力でもある。これだけいろいろなものが時代とともに変わっていくなかで、変わらない国技があるのは日本の誇りです。相撲自体は変わる必要がない。
──先ほど、闘争心は復活する、と話されましたが
曙 相撲は一年中やっていて力士の疲労は大変なもので、なかでも横綱のプレッシャー、ストレスは半端じゃない。失礼なたとえかもしれませんが、マイケル・ジョーダン(元NBA)は頂点に立ち、一度はそこを離れて野球をし、またリフレッシュして戻った。相撲は2度と戻れないけれど、充電ができればといいのにと思いました。
──リフレッシュ休暇
曙 しっかり休めばまた戦える、という気持を残したままやめた力士は多いんですね。もし戻って来ることができて、彼が望んでいるなら、貴乃花はまだまだできます。
──構造改革の発想ですね。外国人力士の制限は
曙 外国人が強くて、と、自分たちが何か悪いことをしているように感じるんですね。何だ、オレたちは一生懸命稽古して強くなったのにって。日本人でも外国人でも、人材を集めることがとても重要です。
──具体的には?
曙 協会は自分たちをもっとうまく利用する使い方があると思うんです。協会を出るのはいいとして、だったら協会の代表として国に行って人材を見つけて来い、そういう仕事があってもいい。誰でも見知らぬ国で、まして相撲をやるのは大変ですから、相撲協会の子会社組織を海外にも置いてもいい。
──日本相撲協会海外駐在所ですか、ユニーク
曙 その国にリーグがあって、学生や外国人でもそのトーナメントでトップになれば、最高峰、メジャーである日本でプロになれるとか、新しい発想も無駄じゃない。単にオリンピック種目で国際的に普及しスポーツにしてしまうのではなくて、国技としても世界中で広めていくことは、時間はかかるかもしれないが、少しずつできるようになると思います。
「今までに一番怖かった相手は、オヤジ」
──では、K−1に話を戻して、トレーニングは順調でしょうか
曙 まだまだ、自信があると言い切るほど“稽古”をしてないんですが。
──あれ? “稽古”ですか
曙 厳しい突っ込みだなあ。どちらにしてもね、肉体的にはとてもきついし、重いプレッシャーは感じている。でも、横綱時代のような何とも言えないストレスはないから、楽しくて仕方ないです。
──ここまで歯を食いしばって何十年もがんばってきて、またゼロから歯を食いしばるんですか
曙 ちょっと待って。何十年って、まだ34歳だから12年しか相撲はやってないでしょう。でも、今こうして戦う毎日を始めてみると、現役時代、何が楽しかったのかよくわかるんです。
──何でしょう
曙 稽古で自分を追い詰めること。追い詰めてそこから這い上がること。やはり苦労するのが一番楽しかったんですね。
──常人の発想ではありませんねえ。丸(土俵)でも、四角(リング)でも、追い詰める魂ですか
曙 だからこそ、これだけ長く歴史でたった68人しか横綱にはなれないんでしょう。格闘家というのはそういう気持ちを持った人たちの集まりですからね。限られた人間しか、リングに上がれない。その最高峰を張った者として誇りをかけていく。
──ボブ・サップとの対戦を控えていますが、恐怖心を感じますか
曙 いいえ。
──今まで対戦するのが怖かった相手は?
曙 オヤジ。子どものころ叱られ、思い切りたたかれ、そのまま泡を吹いて失神した。あれほど怖いと思った相手は一人もいないですね。本気で怒る、強いオヤジは僕の憧れで、だから、子どもたちにも戦う自分の姿を見てほしいと思っているんです。
●曙 太郎(あけぼのたろう)/1969年5月8日、アメリカ・ハワイ州生まれの34歳。アメリカ名はチャド・ローウェン。身長204cm、体重210キロ。88年春場所に初土俵。90年春場所新十両、同年秋場所新入幕。92年夏場所に初優勝を遂げ、場所後に大関へ。93年初場所後、横綱に昇進。幕内優勝は歴代7位の11度。横綱在位48場所は、歴代4位。96年4月に日本国籍を取得。2001年初場所後に引退し、東関部屋付きの曙親方として後進を指導していたが、2003年11月5日に日本相撲協会に退職願を提出。電撃的にK−1参戦を発表した。家族はクリスティーン麗子さんと2男1女。
(「東京中日スポーツ」2003.11.24より再掲)
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